ようこそ綾小路がいなかった教室へ   作:せご曇(せごどん)

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√堀北
堀北鈴音、27歳


 

「堀北くん、また契約を取れなかったのか?」

「申し訳ございません…………」

 

飾り気の無いオフィスの中で、私は上司である三島課長に頭を下げていた。

 

「まったく、これで何件目だ? 君の同期は皆、君よりもずっと多くの契約を持ってきている。悔しいとは思わないのか?」

「はい……自分の未熟さを腹立たしく思うばかりです………っ……」

 

三島課長の叱責の言葉に、私は唇を強く結んだ。

 

悔しい。

 

悔しくない訳が無い。

 

でも、どうしようもない。私は結果を残せていないのだから。

 

反論の言葉なんて、言う資格は無かった。

 

「次こそは頼むよ。私だって、本当はこんなことを言いたくなんてないんだからな」

「はい…………申し訳ございません…………」

 

私は深々と頭を下げてから、課長のデスクに背を向けて歩き出す。

 

くすくすと私を笑う社員たちの声が耳に入って、胸の部分に締め付けられるような痛みを覚えた。

 

 

 

 

「はぁ………」

 

勤務時間が終わって、私は外に出る。今は12月で、既に空は真っ暗。粉のような雪が降っていて、ため息が白い煙のように風に流されていく。

 

私は堀北鈴音。

 

職業、会社員。

 

浅場(あさば)商事の営業部に所属する、一介の会社員。

 

「寒い………」

 

マフラーをしていても、寒いわね………。今日は気持ち的にも決して明るいとは言えないから、余計にそう思えてしまう。

 

そもそも、最後に笑ったのっていつだったかしら。もう随分長い間、営業スマイルではなく心の底から笑ったことなんて無かった。

 

「うぅぅ………寒いね〜」

「早く帰りたいぃ……………」

 

そう談笑しながら私の側を通り抜けていく2人の女子高生。赤いブレザーを着ていたから、私は一瞬胸がドキリと鳴るのを感じた。

 

まさか、ね。あり得ないわ。

 

だって、高育は全寮制の高校なのだから………………。

 

 

 

 

 

街を歩いていると、人々は忙しなく行き来する。この東京では、当たり前のこと。誰も彼もが自分のことで精一杯で、他人のことなど見向きもしない。

 

「っ………」

 

だから、こうして交差点で肩にぶつかっても、振り向きもしない人がいる。だって、私のことなどどうでも良いのだから。私がいてもいなくても、変わらないのだから。

 

分かっている。世の中はそんなものなんだって。

 

1人の人間がある日突然消えたって、社会には何の影響も無い。もしそれが一国の総理大臣だったり、大統領だったり、あるいは何十年に1人と言われる才能の野球選手だったり、世紀の大発明家だったりしたなら、きっと違う。

 

でも、私はそうじゃない。あくまでもただの零細企業の会社員。それも、営業成績では長年最下位。

 

社会どころか、会社からしたっていてもいなくても変わらない。むしろ、いない方が給料泥棒が消えてくれるから良いのかもしれない。

 

「………フフッ」

 

まさか自嘲で笑いをこぼすなんて。高校に入学した頃の私なら、とても信じられないことだ。

 

そんな時、大型ビジョンに映し出されているニュースが次のトピックへと移った。

 

『先日、カーイレブンの買収を発表した四菱(よつびし)商事。今を時めく大企業は、若手社員にも幅広い裁量を認めています。今日は、入社から5年で早くも部長に昇進したある若手社員に、成功の秘訣をインタビューしました』

 

女性キャスターのそんな言葉と共に、画面が切り替わる。日本屈指の大企業、四菱商事の本社の写真が映ると、次には女性リポーターが本社内のある部屋の中へと入る様子が映し出される。

 

そして、その部屋にいたのは──────。

 

『第1営業部部長の堀北です』

 

四菱商事第1営業部部長の、堀北学(兄さん)だった。

 

「…………………………………………」

 

…………今日はダメね。ちょっと気持ち的に辛い。

 

こういう時は、あそこ(・・・)に行くに限るわ。最近は行けていなかった、私の唯一の心のオアシスに。

 

 

 

 

 

私は会社の最寄り駅から数駅隔てた所のある居酒屋に時々訪れている。

 

最寄り駅付近の居酒屋にしない理由は、もしかしたら会社の人たちが立ち寄るかもしれないから。ひと息つきたい時に、嫌な人たちの顔なんて見たくない。

 

「らっしゃい!」

 

店主さんの勢いのある声が耳に入る。年齢的には中年。若いという歳ではない。

 

なのに、まるで20代の若者のように生き生きと働いている。私よりも余っ程活気があって、羨ましいとさえ思えてしまう。

 

「お、堀北さん。また嫌なことがあったんで?」

「ははは………そうですね…………」

 

そうしている内にも、大学生ぐらいのバイトの女性店員がビールジョッキを手に持ってお客さんのテーブルまで持って行っている。

 

「今日も繁盛してますね」

「おかげさんでね」

 

私は空いているカウンター席に腰を下ろすと、ふーっと溜まった疲れを吐き出すように息を吐き出した。

 

「店員さん、餃子1つお願い」

「はいぃ! 餃子1つまいどっ!!」

 

ジョッキを置いた店員さんは、はきはきとした声で注文に応じていた。キラキラと輝く笑顔は、どこか眩しくも感じられる。

 

「あの店員さん、新入りの人ですか?」

 

前回来た時には見なかった人なので、聞いてみることにした。

 

「うん、そうだねぇ。とにかく元気が良くて、俺気に入っちゃってんのよ」

 

店員さんがそう言うのも分かる。あの元気で、どこか人懐っこい笑みは誰にだって出来るものじゃない。

 

私に、少しでもあの子のような才能があれば…………って、いけないわ。

 

せっかく心を癒やすためにここに来たのに、ここでもそんなネガティブな考えをしていちゃ。

 

そんな時、お店の入口が開いた。誰かが入店してきたんだ。私は入口へとちらりと目を向ける。

 

その人は男性で、黒いスーツを着ていた。センターパートの茶髪で、表情は無表情。顔からは何も感じさせない人だった。

 

でも、不思議。

 

私はこの人のことを知っているような気がする。会ったことなんてないはずなのに、私はこの人と何年も一緒に過ごしたような、そんな感情を抱いていた。

 

「らっしゃい! 綾小路さん、今日もまいど!」

「どうも」

 

綾小路…………。

 

綾小路…………………………。

 

やっぱり、思い当たる節は無い。小学校でも、中学校でも、高校でも。綾小路という名前の生徒はいなかった。

 

もしかしたら大学にならいたのかもしれないけど、大学でも人との関わりなんて殆ど無かったのだから、私には分からない。

 

「隣、良いですか」

「え………」

 

私は周りを見てみる。空いている席は………他には無さそうね。

 

しょうがない、か。

 

「大丈夫です」

「どうも」

 

そう言って、綾小路さんはカウンター席に座った。

 

 

 

どうして、私はこの人に懐かしさを覚えたのだろうか。それは分からない。

 

でも、この人との出会いが、私の向いている方向をほんの少しだけ変えてくれた。

 

これまでの人生を無かったことには出来ない。過去を変えることは出来ない。

 

でも、これからの未来は変えられる。

 

これは、私がそのことに気付くまでの、ちょっぴりと甘くて、ほんのりと切ない………とある冬の物語。

 

 

 

 

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