ようこそ綾小路がいなかった教室へ   作:せご曇(せごどん)

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誰かと話すって心地いいのね。知らなかった

 

あの人と共にいたのは、パン屋さんでの数分間だけ。だけど、やけに印象に残る人だった。

 

自然体。つまり、何かに対して身構えていない。悪く言えば隙だらけ、ということになるのかな。

 

現代の日本は治安が良い。世界では街を歩くのにも身の危険を案じるような地域がいくつもある中で、女性が夜に1人で歩いても良い日本は相当に安全な国だと言える。

 

でもそれは物理的な脅威の話であって、普段仕事をしている人は疲れやストレスで心に余裕が無くなる。それはいつしか外界への警戒心に繋がっていく。私もなるべく顔には出さないように心がけてはいるけど、外で気を緩めることはない。朝の満員電車なんて、皆ピリピリしている。

 

綾小路さんからはそれが感じられなかった。まるで1人だけ違う世界で生きているような、そんな感覚。

 

その綾小路さんが、まさかこんな所にいるなんて。

 

「わーったよ、じゃあ再開…………だ〜〜るまさんが〜〜………」

 

バレリーナのポーズを解除した綾小路さんは、ゆっくりと赤髪の人に忍び寄る。

 

あの4人、まるで子供みたい。

 

身体は大人なのに、言動やら行動が子供。心はそのままに、身体だけ大きくなったという感じだ。でも……なんだか楽しそう。

 

だから、綾小路さんはあんなに無警戒だったのかな。

 

このまま見ている訳にもいかないので、私は買い出しへの道のりを再び歩き始めた。

 

何かが、胸に引っかかる。

 

「これは何だろう………」

 

子供じみた大人たちへの好奇心? それとも、軽蔑?

 

私は彼らに………綾小路さんに何を感じていたんだろう。

 

「……………………」

 

また会えるのかな。

 

まだ直接話したことは無いけど。

 

一体、何を考えて生きているのか。ほんのりとした興味は、間違いなく心の中に芽吹いていた。

 

 

 

 

 

翌日、社内を歩いているとある人とすれ違う。

 

「ううっ……………」

 

弱々しい嗚咽と共にとぼとぼと歩いていたのは、同僚の大岩さん。ただでさえ大きくない身体が、今は一層こじんまりとして見えた。

 

「聞いた? 大岩さん、契約取れなかったんだって……」

「あ〜………あれはもうダメだね。完全に島行き。せっかく東大まで出たのに」

 

そんな大岩さんについてひそひそ話をする女性社員の声が聞こえる。

 

………どうやら大岩さんは、担当していた山中電工との取引に失敗したらしい。

 

この前、星野課長に圧をかけられて、戦々恐々とした面持ちでスケジュール調整を頼んでいる所を見た。

 

だけど結局、上手くはいかなかったみたいだ。

 

東大。日本の大学の中で最も格が高い国立大学。当然、東大に入学するためには相当な時間と労力をかけなければならない。中学校1年生の頃から勉強漬けでやっと合格出来たという話も聞く。私も一時期志望していたけど、あまりの難易度に諦めたほど。

 

そんな大学にまで入ったのに、最後がこれ。

 

「転職するのかな?」

「さぁ………でも、今転職したら『負けました』って言ってるようなもんでしょ。もう一流企業で出世、っていうのはキツそう」

 

「負けました」。その言葉に、背筋にゾクリとした悪寒が走る。

 

そうだ。

 

私たちは皆、いつ大岩さんのようになるのか分からない。

 

今転げ落ちたら、この先出世街道には絶対に乗れない。この会社は勿論、他の一流企業への転職もかなり難しい。

 

高育でAクラスで卒業出来ないのとは訳が違う。思った以上に、この国は学生時代の失敗には寛容だった。所謂「Fラン大学」と言われる低偏差値の大学を出ていても、実は大手企業には就職出来る。数は少ないけど、決して不可能という訳じゃない。その意味では、Aクラス以下の卒業によって落伍者の烙印を押される、という学生時代の認識は視野が狭かったと思っている。

 

でも、就職後は違う。成果が求められる。

 

どんな大学を出ていようが、結果を出せなければ無意味。

 

入社して数年で転職する人が良く思われないのもそれが理由。根性が無いだとか、ストレス耐性が無いだとか。そういう風に思われてしまう。実際にはどんなに辛い職場だったとしても、外部の印象ではそうなる。

 

私たちだってそうだ。

 

今職場を変えたら、何かワケアリだと思われる。わざわざ最大手企業の星野商事で5年以上働いたというキャリアを捨てて他に移るというのは、外から見れば奇妙に映ってしまう。

 

成功するには、耐えなければならない。どんな理不尽にも対処して、しがみつかなければならない。

 

それが、この国の根本だった。

 

成功というのは、決して生ぬるいものじゃない。骨身を削らないで得られる成功は無い。それを嫌と言うほど思い知らされた5年間だった。

 

その5年が、大岩さんは今水の泡になった。

 

そんなことを考えていると、女性社員たちが慌てて頭を下げ始めた。気になって下げた先を見ると、そこには星野課長がいた。

 

私の心臓が跳ね上がる。

 

私の成功を、生殺与奪の権を握っている張本人。私の将来は全て、この人の胸三寸次第。そして………今この世で一番嫌いな人。

 

「松下くん」

「…………はい」

 

名前を呼ばれて、それに返事する。

 

「今夜………どうかね?」

 

まるでこちらに選択の余地があるかのような嫌らしい聞き方。

 

………知ってるくせに。私が断れないって、誰よりも知ってるくせに。

 

そういう所が、大嫌い。

 

「………………喜んでご一緒させていただきます」

 

私がそう答えると、星野課長は満足げに頷いた。そして去り際にお尻を舐め取るように触り、鼻歌交じりにその場を後にした。

 

唇を強く噛む。血が出るかもしれないというほどに、強く。

 

成功のためなら、私はどんなに嫌いな人とだって寝る。

 

それが、私の進むべき道に必要ならば。

 

今ここで負けたら、私は一生負け組だ。両親にも友達にも、誰にも顔向け出来ない。もう一流の男性になんて見向きもされないし、キャリアウーマンでもなくなる。

 

華の20代の大半を犠牲にしてまで頑張ってきたんだ。

 

もう、後戻りなんて出来ない。

 

 

 

 

 

お昼休み。

 

私は昼食を買いに外に出ていた。その時───

 

「あれは…………………」

 

私の視線はある人物に釘付けになっていた。真顔で道を歩いていたのは、綾小路さん。

 

今一番、気になっている人だった。勿論、恋愛的な意味ではなく関心的な意味で。

 

前と同じ黒いスーツを着ていて、手には紙袋が握られている。あのデザインは、あのパン屋さん……モンパルナスの袋だ。

 

店員さんとの話からして常連さんだったみたいだし、今日もお昼ご飯をあそこで買っていたのかな。

 

というより、この辺を歩いているということは綾小路さんもここら辺の会社で働いているって可能性が高い。

 

「…………どこへ行くんだろう」

 

どうせ今日は、夜に最悪な気分になることが確定している。

 

だったら、今少しぐらい興味のままに動いても罰は当たらないよね。

 

私は、綾小路さんの後をつけてみることにした。………完全にストーカーだけど。

 

 

 

綾小路さんはいくつかの横断歩道を渡り、交差点を曲がっていき、街を縦横無尽に歩いていた。

 

こんなにあちこち動き回って、本当にどこに勤めているのか気になる。

 

しかし、ある所で綾小路さんの姿が消えてしまった。人混みに紛れてか、それとも曲がり道を活かしてか。どちらにせよ、後をつけるのが難しくなる。

 

「どこに行ったの………」

 

気が付くと、あまり人通りの無い裏路地に来ていた。

 

残念だけど、綾小路さんの尻尾は掴めなかった。これ以上会社から離れても面倒だし、もう引き返そうかな……。

 

「何か用か」

「ひゃぁっ!!?」

 

えっ……!?

 

綾小路………さん……?

 

慌てて背後を振り返ると、そこには私を見下ろすように立っている綾小路さんがいた。

 

「な、何のことですか………?」

 

後をつけたってことは知られたくない。私は激しく鳴る心臓を何とか落ち着けながら、白を切ることにした。

 

「いや、ずっとオレの後を追っていたようだから。何か話があるのかって」

「……………バレていたんですね」

 

作戦は失敗。

 

綾小路さんら最初から気付いていたみたいだった。無警戒に見えたのに、気配には敏感。その矛盾が、ますます彼への関心を強める。

 

「逆なら、完全にストーカーだな」

「っ………」

 

痛い所を突かれて、私は押し黙る。けど、綾小路さんは特に気にした様子を見せずに口を開いた。

 

「場所を変えるか。ここは冷え込む」

 

綾小路さんにそう言われて、私たちはその場を後にする。

 

 

 

 

私たちは、この前パンを食べた公園へとやって来た。ベンチに2人で腰掛けると、綾小路さんから話を始める。

 

「それで、松下さんは何が聞きたいんだ」

 

綾小路さんの瞳が私を捕らえた。

 

「何が………っていう程具体的な訳じゃないんだけどね。ただ、綾小路さんのことを知りたいなって思って」

「オレのことを?」

 

綾小路さんは首を傾げる。

 

まぁ、いきなり知りもしない女からそんなことを言われたら奇妙に思えるよね。

 

「あ……変な意味じゃないっていうか、純粋な疑問なんだ。この前、パン屋さんで綾小路さんを見かけた時……そう、凄くリラックスしているように見えたの」

「リラックス………」

「うん。あんなに自然体でいられる人って、今の時代中々見ないから。その後、家の近くの土手でだるまさんがころんだをやってるのを見て、興味が強くなったっていうか……」

 

上手く説明するのが難しい。

 

第一、私は綾小路さんのことを覚えているけど、綾小路さんが私に気付いていたかは別の問題。

 

何なんだこの女、って感想を抱かれても不思議は無い。

 

「そうか………あそこは君の家の近くだったんだな」

「うん」

 

けれども、綾小路さんはそのことに特に触れはせず、腕を組んで目を閉じた。

 

「リラックス………と言われればそうかもしれないな。確かにオレは、特にストレスを感じてはいない」

「あの時土手で遊んでいた人たちは……」

「ああ。全国を旅していた時に知り合ったんだ。3人ともたまたま東京に来る用事があったようだから、オレも久々に会って遊んでいた」

「旅……?」

「オレは冒険家なんだ」

 

冒険家。普段中々耳にしない言葉に、私の興味が強まっていく。

 

「今から数年前………まずは日本からと全国を旅していた。3人とはその途中で知り合った」

「そうなんだ……冒険家…………。だるまさんがころんだで遊んでいたのはどうして?」

「そうだな………子供の頃、オレが遊んだことが無かったから、か」

 

綾小路さんは空を見上げて続きを話す。

 

「オレは子供の頃、家からあまり出たことが無かった。勉強漬けの毎日……と言ったら良いのかな。勉強の他にも運動だったり、音楽だったり、様々な習い事をさせられていた」

「ご両親が厳しかった……ってこと?」

「……そうだな。行き過ぎた教育熱心というイメージで良い」

 

教育熱心という言葉に、私もまた子供の頃を思い出す。私も塾だったり習い事には通っていた。勿論、苦にならない範囲でのものだったから不満は何も無かったけど。綾小路さんはその口ぶりから遊ぶ自由なんて無い程に色々と詰め込まれた日々だったみたい。

 

「それはオレが20歳になるまで続いた。その後紆余曲折あって家を出たオレは、昔出来なかったことをやりたいと思い、冒険の旅に出た。本や映像で見た世界を、実際にこの目で見てみたくなった」

 

綾小路さんが子供の遊びをしていたのは、その時出来なかったことを今したかったから、ってことかな。

 

「あの3人は面白い奴らでな」

「えっ?」

「オレがだるまさんがころんだをやりたいと言ったら、ウキウキで賛成した。子供心を忘れないというか、今を全力で楽しんでいる奴らだ。オレは彼らのそんな所が好きだ」

 

口に出すと恥ずかしくなるような言葉。聞いているだけでも私はむず痒い思いになるけど、綾小路さんはそうは思っていないみたい。

 

ただ純粋に、思ったことを口にしているだけという様子。

 

「そう………そうなんだ」

「リラックスしているように見えるのは、気ままな冒険家をやっているからかもな」

「でも、冒険家だったらどうしてここに? スーツも着ているみたいだし………」

 

次に気になっていたことを尋ねてみる。

 

「ああ、それは金が必要だっていうのと、都会がどんなものかを知りたいからだな」

「都会………?」

「まぁ世知辛いことに、冒険をするのにも金はいる。最近は海外を旅しているから余計にだな。それと、都会で働くというのはどんなものか気になっていた。だから、この辺の会社でバイトをして金を稼いでいる」

「なるほどね………」

 

興味の赴くままに、ってことだったんだ。

 

ここまで話していて、私は綾小路さんに対して身構えていないことに気が付いた。

 

会社では基本的に、誰に対しても本音を話すことはしない。誰が私の隙を突いてくるか分からないし、仕事で会う人たちはあくまでもそれまでの関係。

 

仲が良くなって、プライベートに遊んで。そんな関係にまでは発展しない。競争が激しい私の会社だと尚更だ。

 

だからかな、久々にフラットな状態で話せる綾小路さんといると、何だか心地良い。

 

お互いに、少し前までは存在すら知らなかった関係。実際に言葉を交わしたのはついものの十数分前。

 

赤の他人には普通は気を許すことは無い。警戒心が勝ってしまう。けれども綾小路さんには、外に向ける敵意だったり猜疑心のようなものが無い。

 

となれば、仕事でのしがらみみたいなものが無い綾小路さんはむしろ話していて楽しい相手なのかもしれない。

 

同性でもない、異性との会話でこんな気持ちになるのは初めてだった。

 

「食べるか?」

 

綾小路さんはモンパルナスの紙袋を開けてクロワッサンを取り出すと、私に差し出した。

 

「え………でも………」

 

……ここのパンには、ちょっと嫌な思い出がある。

 

私が勝手に嫌になっていただけだけど。

 

「疲れた時には、甘いものだ」

 

けれども、綾小路さんはそんな私の心の内は知らないから………いや、むしろ見透かしているのかもしれない。

 

つべこべ言わずに食べろと言った具合で、気付けばクロワッサンを握らされていた。

 

「ありがとう………」

「気にしなくて良い。さあ、食べよう」

 

ついさっき言葉を交わした綾小路さん。そんな彼と2人きりという、奇妙な時間。でも、悪い気分はしない。

 

私は久しぶりに、食べ物を食べるという行為を楽しんでいた。

 

 

 




サブタイトル:『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 式波・アスカ・ラングレーの台詞より引用

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