クラス内でも秀才としての立場を確立している啓誠が口を開いた。
「Aクラスの特権って話なら、断然大手企業に就職すべきだ。露骨に能力が追い付いていない場合は例外としても、人並みに働けるなら滅多なことじゃ解雇されない。入った者勝ちの世界に飛び込ませてもらうのが一番賢い使い方じゃないのか」
(2年生編10巻 P21より引用)
私はクロワッサンを食べ終えると、腕時計に目をやった。
あと15分でお昼休憩の時間が終わる。この妙に楽しい時間が終わってしまう。
「そろそろオレは行く」
「あっ……」
待って。そう言いかけたけど、私も戻らなきゃいけない時間だから口を閉ざす。
「あ、綾小路さん……」
「ん?」
「明日も……会えるかな?」
既にここまで心を許してしまっていることに驚きつつも、私は今一番聞きたいことを尋ねた。
「ああ、明日も仕事だからな」
「………! じゃあ、また……」
「明日はここで落ち合おう」
私はその言葉に頷いて、綾小路さんと別れた。
明日からの楽しみが増えて、嬉しかった。
「…………………」
私は星野課長との
私の心境とは真逆に、心底気持ち良さげに夢の世界に旅立っている課長が恨めしい。本当に大嫌い。
これ以上長居する意味は無い。さっさと服を着て出よう。
私は足早に部屋を出て、家に帰ることにした。
「本日付けで配属になりました、松下千秋です。よろしくお願いいたします」
私は明るい笑みを浮かべて深々と頭を下げる。
新人研修も終わり、いくつかの部署を転々として2年が経った頃、私はついに出世街道の第一歩を歩み始めた。
営業一課に配属され、キャリアウーマンとして本格始動する。それが、私の入社した時からの目標だった。
「うん、松下くんだね。よろしく」
営業一課の課長である星野課長が、ニヤニヤと笑みを浮かべて私に手を差し出した。
……あんまり触りたくなかったけど、上司の握手を無下には出来なかったから仕方なく手を握った。
「よろしくお願いします」
思えばこれが、悪夢の始まりだった。
しばらくして、私は今のマンションに住み始めた。憧れていた、都会のマンションでの暮らし。初めての都会の夜景を眺めながらワイングラスを片手に優雅なひと時を過ごす。
本当は隣に素敵な男性でもいればもっと良かったけれど、仕事がそれなりに忙しいから恋愛をしている余裕は無かった。それと、もう少ししてからでないと私が求める理想の男性は見てくれない。そう思って、目に映る星のような煌めきに胸をときめかせていた。
その翌日。
この日から私の日々は変わっていく。とても、とても悪い方向に。
私は星野課長から話があると言われて呼び出されていた。課長は創業者一族の一員ということもあってか専用の個室を貰っていて、そこで一対一の話がしたいと伝えられた。
ノックをして、個室の扉を開ける。
「失礼いたします。松下です」
「ああ、待っていたよ」
星野課長は笑顔で私にそう告げる。
頭から足元まで舐め回すように視線を向けられ、それが結構不快。
でも、それを態度に出すことはしなかった。
「今日は折り言って君に話したいことがある」
課長の表情が少しずつ変化していき、私の心音は大きくなっていった。
まさか、仕事で何か問題が………?
私の不安を煽るような間を空けて、課長はゆっくりと口を開く。
「君は先日のキャリア面談で、ゆくゆくは海外勤務も希望したいと言っていたね」
「は、はい」
「結論から言おう…………今の成績では少々難しい」
「………っ!?」
どうして……?
私はトップではないにしても、トップクラスの成績は出している。それなら昇進の目も十分にあるはずなのに……。
「確かに優秀だ。君は中々に良い成績を維持している」
「ならば………」
「だが、それは君を昇進させるコアの理由にはならない」
口の中が乾いていく。冷や汗まで噴き出してきた。
私たちの昇進の是非を決めるのは、この星野課長。その課長がそう言っている以上、これは事実ということになってしまう。
「分かるかね? 君は優秀ではあるものの唯一無二ではない。現に、営業成績で君よりも上に立つ人間はいる。わざわざその中で、将来の星野を背負う人間を君に選ぶ理由は無いのだよ」
唯一無二ではない。
私よりも上がいる。
心臓の音が、これまでにない程に高くなっていく。早くここから出たい、逃げ出したい。そんな気持ちを抑えるのに必死になる。
「だが………」
ぞくっ。
課長が、背筋が凍りつく程に薄気味悪い笑みを浮かべる。間違い無く、私にとって良くない話が始まる。そう直感する。
「私とある契約を結べば、君の道は拓けてくる」
「契……約……?」
「そう…………どうだね。私と寝てみないか?」
「………っ!?」
嫌っ………。
来ないで………。
「その気持ちは分かるよ。誰も私のような醜いオヤジなんかと寝たくはないよなぁ。だが………君の進退を決めるのもまた私だ」
「っ……」
「君は上に上がりたいんだろう? 昇進して、ゆくゆくは良い男と巡り合いたい……幸せな家庭を築きたい……そんなところか。これまでの経歴や、君の所作を見ていれば分かる。となると、ここでもっと名を挙げる必要があるな。そして……私は創業者一族の1人。いずれは役員、社長の椅子を狙えるかもしれない男。………その私と良好な関係を築くことは、メリットに溢れていると思わんかね?」
「そ、それは………っ………」
鳥肌が立つ。私の心の中を覗いたかのような物言いをする目の前の男に、殺意にも似た何かを覚える。
殴りたい。人を本気で殴りたいと思ったのは、生まれて初めて。
でも……。
確かに、課長はこの会社での絶対的な立場を保証されている。この競争の激しい会社で、数少ない安定感のある人間。
「何度も言うが、私は君の優秀さは高く評価している。世間一般のバカ騒ぎしている女たちとは一線を画す聡明さを持っている。利口な君ならば、この契約が後に自分にもたらす利益のことを既に考えているのではないかな?」
……………………。
「今まで、ご両親には大切に育てられてきたろう? こんな所で『島』に行ってしまえば、どう顔向けすれば良いのか………」
「っ!!」
手が出そうになるのを必死に抑える。
駄目、そんなことをしては。私に一文の得もない。感情的になっては駄目。
今まで通り、損得勘定で冷静に頭を働かせないと。
「答えは決まったようだね。だが、一応君の口から直接聞かせてもらおうか」
荒い鼻息が私の頬にかかる。とてつもなく不快で、吐いてしまいそうになる。
でも、そんな私の感情とは裏腹に、私の口は最適解を導き出していた。
「………是非、ご一緒させていただきます」
「うん。良い返事だ。早速、今日の夜は頼むよ」
コツコツと耳に響く足音。どこからか聞こえてくるクラクション音。ケラケラと下品に笑う夜の女たち。
そして、夜だというのに太陽のようにギラギラと私たちを照らすネオンライト。
私の憧れが、ひどく痛々しく目に映る。
深夜の2時。つい数十分前の記憶が蘇る。
課長の不快な腹部の感触、身体中を舐め回すように触ってきた手の動き。
その全てを鮮明に覚えている。
自宅に戻ってきた私は、窓から夜景を眺めていた。
昨日はとても美しく見えた。選ばれた者、才能のある者にのみ許されるえも言えない快感。自分が優れていると再確認させられる至福のひと時。
今ではどうか。
………ただの光る砂粒にしか見えない。
「…………………」
不意に流れた涙を拭う。
弱音を吐いてはいられない。私は優秀なんだ。このぐらいの困難には打ち勝たないと。
そう自分を奮い立たせて、目を閉じる。もう一度目を開けて、選ばれた者の特権を味わおう。
目を開いた。
………やっぱり、砂粒にしか見えない。
私はカーテンを乱暴に掴んで、窓を覆い隠す。
これ以上、何も見たくなかったから。
お昼休み。
綾小路さんと公園で落ち合う。彼はモンパルナスの紙袋を握っていた。
「好きだね、あのパン屋さん」
「ああ。気に入っているんだ」
気に入っている、か。
ベンチに座った私たちは、昨日話せなかったことを話し始める。
「ねぇ、綾小路さんは何か趣味はあるの?」
「趣味…………そうだな。旅をしている時に釣りを始めたが、あれは趣味と言えるかもしれないな。子供の頃、釣りは習っていなかった」
「釣りかぁ………私はやったことないなぁ」
「最近はやらなくなっている人が多いからな。だが、これが結構楽しい。子供の頃は、釣りの待ち時間ように何もやらない時間が続く経験をしたことは無かったからな」
「待ち時間………待ち時間が楽しいの?」
「結構な」
何だか私には独特な感性に思える。
「でも、何も釣れなかったらちょっと虚しくない? あんなに待ったのに〜、って」
「そうだな………確かに、残念かもしれない。でも」
綾小路さんはカツサンドを齧ると、もぐもぐと食べ始める。
「オレは結果だけを求めている訳じゃない。何も釣れないのは残念なことではあるが、何が釣れるかワクワクしながら待つその時間は決して嘘ではない。釣りが終わって振り返って見た時、オレは釣りを楽しめていた。それが分かれば、残念ではあっても虚しくはならないな」
「…………………………」
その言葉を聞いた時、何故だか胸がドキリとした。
結果だけを求めない。それは私の人生には無かった考えだからなのか。
失敗したら嫌だ。それは当たり前のはず。失敗したら誰も見向きもしないし、私は何も得られない。
大人になればなる程、失敗は許されなくなってくる。私はもう、子供という程若くはない。
楽しめれば良い。ひどく楽観的に思えるその考えが、脳にこびりついて離れない。
「他には趣味はあるの?」
「他か……」
その時。
「ひっ!?」
突然、私の顔の前に何かが飛んできた。慌てて顔を守ろうとすると、隣の綾小路さんの足が私の目の前に伸ばされる。
「すんません!!」
それと同時に、まだ若い男の声が聞こえてくる。大学生ぐらいかな………その後ろにも何人かの人がついてきていた。
「危ないぞ、もう少しで彼女に当たるところだった」
「マジっすか……!? ホントにすんません!!!」
そういって、ボールを蹴ったであろう彼が深々と頭を下げる。
当たっていたら、鼻血は間違い無かった。かなり危なかったから正直ムッとしたけど、申し訳なさそうにしているので許す気にはなれた。
「良いよ………怪我はしなかったから」
そう言うと、彼は目を光らせた。何だか分かりやすい子だ。
「サッカー、好きなのか」
綾小路さんは人差し指ボールをくるくると回しながら、彼らに問いかける。
「あ、はい。 自分ら、子供の頃からサッカーやってて……」
「………なるほどな。じゃあ」
すると綾小路さんは、ボールを床に置いて足を乗せた。
「オレからボールを奪ってみる、っていうのはどうだ」
「えっ?」
「オレもサッカーは趣味だ。どうだ、4人がかりで良いぞ」
サッカー……。
言いかけていた綾小路さんの趣味だったのね。
「えっ……4人がかりっすか?」
「ちょうどいいハンデだろ?」
綾小路さんの挑発に、彼らの瞳がギラついていく。負けん気が強い証拠だった。
「面白ぇっすね。良いっすよ、でも手加減はしません!」
「その意気だ」
綾小路さんはボールを明後日の方向に蹴ると、凄いスピードで駆けていく。
自分で蹴ったボールを自分で受け止めると、ドリブルで彼らの守りを掻い潜っていった。
「凄い………」
サッカーにあまり詳しくない私から見ても、綾小路さんのテクニックは凄い。まるでブラジルのサンバを踊るように軽快な足さばきでボールを跳ね飛ばす。
青年たちはその綾小路さんに負けじと必死に食らいつく。
その両者に共通することが1つあった。
楽しそう。
本当に、今という瞬間を楽しんでいるようだった。
綾小路さんは相変わらずの真顔。でも、纏っている空気はいつもの自然体そのもの。
青年たちも同じで、綾小路さんという壁を乗り越えようとギラギラとした笑みを浮かべていた。
あぁ。
そうか。
綾小路さんと私では、住む世界が違うんだ。
綾小路さんには才能がある。世界を1人で旅するぐらいだし、スペックが高いのは間違い無い。英語だけじゃなく、他の国の色々な言語も話すことが出来る。
今こうして見ても、身体の動きだって物凄い。私と同い年だって話だけど、私たちより若い青年たちよりも身体の動きが柔軟だ。
持って生まれた才能の違い。それが、綾小路さんが今を楽しめている理由。
私に綾小路さんのことなんて分かるはずがない。
綾小路さんに私のことなんて分かるはずがない。
だって2人は、違う世界の住人なんだから。
私は優秀。でも、私はそれ止まり。凡人の幸せでしか生きられない。それだけが、私に残された道なんだ。
それから綾小路さんと会うことは無かった。
あの後、私はお昼休憩が終わる時間になったから、何も言わずに綾小路さんのもとを去った。
勿論、次に会う約束はしていない。
私は、綾小路さんという異才の熱にあてられた。普段は出会わないような特別な人。だからとても珍しく思えて、興味を持った。
でも、私は綾小路さんのことを理解出来なかった。
私とは違う世界………私が出を伸ばしても届かないものに、綾小路さんは簡単に手が伸びてしまう。
私の苦労だとか努力だとかは、綾小路さんにとっては大したことでもない。ちょっとその気になれば楽々と手に入る。それが余裕に繋がっている。
もう会わない方が良い。このままだと、嫉妬してしまいそうだから。
綾小路さんは悪くないのに、一方的に嫌な感情を向けてしまう。そんなことにはなりたくない。
それから数ヶ月が経った。
日に日に課長が私を求めることが増えていく。
物凄い嫌。逃げ出してしまいそうな程に嫌だと思ってる。
でも、断らない。ここまで来たんだから、もう最後まで行くしかない。一度乗りかかった船から下りるなんてことは私には認められていない。
だから吐いても、泣いても、私は昇進のその時を待った。
そして、4月。
ついに昇格の通達が来る。
「やっと……!!!」
ここまで、本当に長かった。何度辞めたいと思ったか分からない。今すぐこの豚のような課長を引っ叩いて、辞表を叩きつけたいと思ったことか。
でも、それももう終わる。私はこれから昇格して、あと少しで海外での勤務に移る。そして、よりスキルアップしてから日本に戻って来る。
現地で旦那さんを見つけるのも良いかもしれない。別に日本でないと駄目って訳じゃないし、外国での暮らしもまた私がかつて描いていた理想の1つ。
高育に入学した時は、その特権を利用して国連で働くことも考えていたぐらいだ。
そして、辞令は掲示板に貼り出されている。
逸る心音を落ち着かせながら、ゆっくりと文字に目を通していく。
『 辞令
松下千秋殿
────年─月─日付をもって、東京本社営業部 第一営業課の任を解き、島根支社営業部 第二営業課への異動を命じます。
』
「…………………………………は?」
は?
「松下さ〜ん」
「………っ!!」
「松下さん、辞令どうなってた〜?」
「………………………………」
「…………わぁ、島根…………本当に『島』だ…………。良かったね、鳥取砂丘あるじゃん」
「…………何言ってるの?」
「あら、笑ってくれないの? 残念………」
何なのこれ。
何かの間違い? 私が地方に………?
??????
「あ、みてみて……………私ぃ……………これから係長になりまぁぁす!!!」
「……………はッ!?」
係長………!?
「あ……………………」
は………………
はぁ!!!!?
「課長ッ!!!!!!」
「おや松下くん。アポイントも無しに突然の来室とは、あまり感心しないな。それに私はもう『次長』だよ」
どうでもいい…………。
そんなこと、どうでもいいっ……!!!
「どういうことですか。課長は私に言いましたよね。あの契約を守れば、私を昇進させるって……!!!」
「うむ、人事査定に異議があるということか……………」
「当たり前です…………私が何のために、何のためにあんなことまでしたと思ってるんですかッ!!!!!!!!!」
「契約か。契約の内容には、君が私の望む営業成績を示すことが条件に組み込まれていたはずだね」
「ですから私は常に上位の成績を示したはずです。なら、契約の内容は十分に……!!」
「ん? 上位……確かにそうだな。だがそれが、『私の望む成績』かどうかは別の話だよ」
「は…………?」
何言ってるの。
「まぁ正直、そんなことは上辺だけの理由でしかないのだが」
「何で捏見さんが良くて私が……………」
「それは捏見くんが我が社にとって有益な存在だからだよ。君よりも………いや、君たちなどよりも余程ね」
私よりも……?
私たちよりも…………???
「おかしい………おかしいです。彼女の成績はずっと下位。私に何一つとして勝てていないじゃありませんか……!!」
納得出来ない。
彼女が良くて私が駄目。そんな話はあり得ない。あってはならない。
「この会社は実力主義ですよね…………どんなに若手でも、実力があれば上に上がれるんですよねぇ!!!! なら、どうして私が駄目で彼女が昇進出来るんですかッ!!!!?」
「うん。まさしく君の言う通り、我が社は実力至上主義だ。常に我が社にとって有益な、『実力』のある者を重宝する」
「だったら何で………!!」
「ふむ。君はどうして、『実力』が本人の資質だけだと思い込んでいるのかな?」
「………は?」
「捏見くんは実は『マーズ製薬』の社長令嬢でね。我が社との友好関係を築く意味で入社してきたんだ。一応、正社員として働いている手前最低限の業務はこなしてもらっていたが、彼女の成績が良いか悪いかははっきり言ってどうでも良いことだった」
「なんですか、それ」
「分からないかな。要するに、彼女は『家柄』が良かった」
「実力主義じゃないんですか」
「実力主義だとも。彼女には『実力』があるじゃないか」
「ありません。彼女は私より下です」
「いいや、君は彼女より下だ」
「違います」
「違くないよ」
「違います」
「……分かっていないようだから、噛み砕いて説明しようか。…………そうだな、例えばアスリート。彼らは体格が良い者が多いね。私など簡単にひねり潰せてしまうほど、屈強な肉体を持っている。そして世間は、マスコミは、彼らのそのフィジカルをあたかも本人が凄いという風に持て囃す。…………だが、それは見当違いだ。凄いのは本人ではなく、本人の両親。あるいは一族。彼ら彼女らの肉体が凄まじいのは、親から貰った遺伝子が優れているから。ただ、それだけのこと」
「…………?」
「分からんかね? 彼らの肉体は本人が凄いのではなく親が凄いから成り立っているのだ。人間は所詮、遺伝子に縛られる。親から受け継いだ………いや、押し付けられた遺伝子のもとでしか生きていけない。生まれた瞬間から、本人だけの資質によるものなど殆ど無いのだ」
「遺伝子の話はしていません」
「例えだよ例え。そうやって親から押し付けられた遺伝子で結果を残した者が『天才』だの『英雄』だのと持て囃される。それを否定する気は無いが、大衆は見ている部分が少々間違っているな。そして、スポーツの世界と同様に、ビジネスの世界も結果が全てだ。いかなる手段を用いてでも『結果』を残す者が重要であり、『実力』があると見なされる。頭が良いとか、能力があるとか、そんなことは二の次だ。『結果』こそが全てだ。そして遺伝子と同様に、『家柄』もまた親から押し付けられるものだ。子供は親を選べないからね。政財界の要人の子息などは、どんなバカだろうと『家柄』だけで価値がある。能力があり、頭が良い平凡な家庭出身の者がせこせこ働いて数千万という金を動かそうとも、それらの馬鹿者は指をちょいと動かすだけでウン十億、ウン百億という金を動かす。過程は重要ではない、結果的にその金を動かした者こそが肝要なのだ。『実力』とは個人戦ではなく総力戦なのだよ。捏見くんがご両親に我が社のことをよく話してくれれば、将来の取引で有利に働くだろう。そのために、彼女にはご機嫌になってもらう必要があるのだ」
「納得出来ません」
「まぁ、理不尽だというのは分かる。が、我が社は実力主義。そして我が社の実力とは『結果的に』金を動かす力を意味する。家柄でも何でも利用して、な。君と捏見くんとでは、金の巡りが違うのだよ。私も未来の星野を担う人間として、心苦しくも冷徹な審判を下したのだ」
なんで…………
「なんで………なんでなんで………なんでぇ!!!!」
「うお、びっくりした。デスクにヒビが入るかと思ったよ」
「おかしいよっ!! 実力って、本人の力でしょッ!!!実力が無い人が上に立つなんて、そんなっ……!!!」
「うーん………やはり君もかぁ………」
「は………?」
「いやね、我が社は大手企業だから、毎年高育の卒業生を何人か入れるんだよ。Aクラス……だったかな?政府に言われているから仕方なく、だけどね。彼らは君と同じく特殊な高校で生活していたから、競争の経験そのものはあるんだ。だけど………それがちょっと良くない。あの高校ではどうやら、3年間外部との関わりを一切絶って、本人の学力やら身体能力だけを見て評価を下すらしいね。あとはクラス間での試験での戦い……だったかな?面白い試みだとは思うけど、実際の社会で本人の能力だけで戦うなんてことは中々無いよ。大きな組織に入ればより顕著になる。それを分かっていない卒業生が結構多いんだ。中途半端に勝っちゃったから、間違った認識が染み付いているのかね?勿論、入社後の処遇は政府に口出しされないから『島』送りになった卒業生も沢山いるよ」
「え…………………」
「そうだな、あと君がこうなった理由を挙げるとするのなら、『勝者の器』ではなかったから……といったところかな」
「器……………?」
「勝つ人間というのは、何が何でも勝たなければならない性分でね。どんなにストレスのある環境に身を置いても、どういうわけか這い上がってくるんだ。それは安定だとかステータスだとか、そういった外部からの評価を気にするのではなく『勝つ』ということだけを考えているからかな。泥水をすすろうと、靴を舐めようと、絶対に勝つという気概を持っている。その点では、君は身体を売るという手段を選ばない行動に出られる点でマシだが………日に日に心が弱っていた。成績も下降気味だったね?要は『強がり』でしかなかった。我々が欲しい人材は、たとえいつ終わるかも分からない地獄の中だとしても、『勝つ』ということだけのために這いつくばることの出来る人間だ。終わりがあるから頑張れる、なんてのは所詮は使い潰しだね。いずれは使えなくなる人材だと分かったから、私はせめて限界まで君の能力から利益を搾り取り、ついでに私自身の欲を発散する口実とした。それだけのことだ。星野は勝たなければならない。一番でなければならない。そのために、君は不要だったんだ」
許さない。
許さない許さない。
許さない。
殺す。
殺してやる。
殺してやるっ!!!!
「ッ!!!!!」
「私を殺せば、君はずっと軽蔑されるよ」
「……………!?」
「家族、友人、その他諸々の一般大衆。その全てから、君は殺人者の汚名を着せられる。私たちの間で何があったかなど、星野の力を持ってすれば簡単に揉み消せる。それにこの関係が大事になれば、君もまた穢らわしい女と見なされる。君の求めるステータスやら将来やらには、何一つとしてプラスに働かない。どうせ記録なんてしてないだろう?」
「っ………………」
「………ははっ。やはり君は聡明だな。それも悪い方向に。こういう時でさえ、外部からの評価を気にしてしまう。だから駄目なんだ…………まぁ、せめてもの餞別だ。もし退職するのなら、退職金はそれなりに出そう。島根に行くのなら、それもまた君の自由。後は君が決めることだ」
夜。
私は部屋でずっと蹲っていた。
私、負けたんだね。
ずっと勝ってる側だと思ってた。昔から学業成績も優秀で、親からはいつも褒められていた。容姿にも恵まれたから、大学でもモテた。大手企業にも入れたし、一番でなくても私は「勝ち組」だと思ってた。
『さぁ………でも、今転職したら『負けました』って言ってるようなもんでしょ。もう一流企業で出世、っていうのはキツそう』
「…………………ううっ…………!!………っぐ………うぅぅっ………!!!!」
嫌だ……………いやだっ……………!!
負け組なんていやだっ…………いやだよ…………!!
『私とある契約を結べば、君の道は拓けてくる』
『そうだな、あと君がこうなった理由を挙げるとするのなら、『勝者の器』ではなかったから……といったところかな』
『私を殺せば、君はずっと軽蔑されるよ』
「ううっ…………!! うううううっ………………!!!」
ひどい…………!
「ひど………すぎるっ……………!! ひどいよぉ…………!!!」
『こういう時でさえ、外部からの評価を気にしてしまう。だから駄目なんだ…………』
あんまりだよ………こんなのってない!!
ひどすぎるっ!!!!
「どうして…………どうしてこんな……っ……………うううっ………うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……………………」
私はただ…………
私はただ…………!!
幸せになりたかっただけなのに……………っ……!!!
あれから何日が経ったのかな。
外には出てない。当然、会社にも行ってない。
もう涙もとっくに枯れ果てて、カピカピの目を擦って私は身体を起こした。
もう私は上に上がれない。
この歳になって、今更出世ルートになんて乗れない。星野じゃ無理だし、他の会社だってそうだ。
海外勤務も、優秀な男性との結婚も。もう遠い夢の話。
「……………ははっ」
なんだか疲れちゃったな。
もう死のうか。
死ぬって決めたら、何だか身体が軽い。
私の欲しかったものは何も手に入らなかったけど、最後の最後で暗い気持ちで死ぬことは無さそう。
………………………………………。
私って、何のために生まれてきたのかな。
一般の人たちよりずっと優秀で、幸せを掴む権利があった。私を羨む人、妬む人、沢山いた。
なのに、いつしか皆私のことを忘れた。私よりも優秀じゃない人は先に幸せそうにしていて、私は結局こんな感じ。
何がいけなかったんだろう。
最後の最後まで、分からなかった。
「どうでもいっか…………」
もうすぐ死ぬんだし、考えたってしょうがない。
『釣りが終わって振り返って見た時、オレは釣りを楽しめていた。それが分かれば、残念ではあっても虚しくはならないな』
綾小路さん。
結局、あなたのことはよく分からなかったな。
失敗しても、振り返って見た時に楽しい。その感覚が、分からない。
私の人生、振り返ったって楽しくないよ。
小学校、中学校、高校、大学。楽しいって思ったことは何度もある。
でも、最後には失敗した。楽しかったって言えない。
今ではとっても虚しいよ………。
「虚しい………虚しいなぁ……………」
涙は枯れたはずなんだけどね。また溢れてきちゃった………。
「結局……何にも残らない人生だったな…………」
トボトボ歩いていたら、建物の屋上に着いた。
ここがどこの建物か、それは分からない。
でも、ここから飛び降りれば確実に死ねる。靴を脱いで、死の一歩前まで出る。
頬を吹き付ける春のそよ風が、何だか気持ち良かった。
もう、苦しむ必要は無い。
「はぁ……………」
思い返すことはもう、無いかな。
もし来世があるのなら、今度こそ幸せになりたい。
もう………こんなのは嫌だからね。
「さようなら…………」
右手首に走る痛み。何かに掴まれたような、鈍い痛みだ。
「えっ……………」
「久しぶりだな、松下さん」
熟れすぎた果実のように
潜りすぎた地下室のように
引き返せなくなったみたいだ
これはなんていう味?
いきさつが複雑すぎて
どこから話していいかわからない
僕のことをわかってほしいんだよ
これはなんていう味?
真っ暗闇はこわい もう一歩も踏み出せないんだ
座りこんで地面についた手のひらはなんだか冷たい
Numbness like a ginger
Numbness like a ginger
痛いの?違うよ 喉が渇いただけじゃないか
叶わない夢があっても 明けない夜があっても
いつかのどこかで答え合わせしようね
命はある それっぽっちのことでもおみやげになるから
(アニメブルーロックED 『Numbness like a ginger』)
サブタイトル:『賭博黙示録カイジ』 石田光司の台詞より引用
誰の曇らせが一番好き?
-
堀北鈴音
-
一之瀬帆波
-
坂柳有栖
-
軽井沢恵
-
椎名ひより
-
櫛田桔梗
-
佐倉愛里
-
長谷部波瑠加
-
松下千秋
-
佐藤麻耶
-
天沢一夏
-
七瀬翼
-
雪
-
茶柱佐枝