櫛田の過去には独自設定・独自解釈が混ざっています。
Material Girl
─櫛田桔梗の独白─
私にとって、「愛」は有償だった。
私の生まれた家庭は、一言で言うのならば「クソ」だった。父親はどこの誰とも知らないちゃらんぽらんな男。そして母親は、水商売の仕事中にその父親に一晩でゾッコンになって寝た、はしたない売女。
結局父親とは一晩それっきり。それ以降一度も顔を合わせていない。そんな男にまた会えないものかと、母親はいつも夢見ていた。その男との間に生まれたはずの娘には、見向きもしないで。
私は生まれてからただの一度も、あの女に「愛してる」と言われたことがない。初めて立ち上がった日も、言葉を覚えた日も、文字を覚えた日も、あの女は私のことを見てもいない。そして、気が付いた時には保育園に通っていた。ただの一度の称賛も、 "I love you" も知ることなく。
保育園で、私は自分が人よりも優れているのではないかと思うようになった。同じ組の女の子と比べて、私の目は大きくてキラキラしていた。かけっこをしても私の方が速くて、絵を描いても私の方が上手かった。そして、周りよりも優れた結果を出した時に、私は決まって「凄い」と褒められた。誰かから受けた、初めての称賛。その時、上手く言葉には出来ない何か気持ちの良いものが、胸の内側から物凄い勢いで込み上げてくるのを感じた。間違いなく、人生で最初の感情だった。
小学校に入学すると、私と周囲の差はより顕著になった。幼稚園の頃のお遊びとは違って、明確に「勉強」「運動」という仕組みが加わったからだ。テストがあり、運動会があり、音楽の授業では楽器の演奏が、図工の時間には作品の制作が、ありとあらゆる所で自分と周囲の「差」が浮き彫りになる瞬間があった。
あんな男と女の間に生まれた私だけど、勉強は人よりも出来たし、身体だって並より動けた。だから、私はクラスの中心になった。何か結果を出す度に「桔梗ちゃん凄い」をたくさん貰った。その瞬間、またあの時の凄い快感が押し寄せて来て、私は自然と笑顔になった。皆が私を愛していた。皆が私の虜だった。
けれども、そうなってもあの女は私のことを見なかった。テストで100点を取っても、乾いた返事が返ってくるだけ。運動会の50メートル走で1位になっても、そもそも運動会を見に来てすらいない。私の周りを友達が囲って「おめでとう」と言っても、ビデオカメラを構える保護者たちの中に、あの女の姿は無かった。
あの時のこと、今でも覚えている。私と一緒に走った子で、最下位になった子がいた。ぽっちゃりしていて、明らかに運動は苦手。顔だって可愛くはないし、きっと私よりもずっと劣っている子。見た目通り、ダントツの最下位に終わっていた。私が友達に囲まれている間、その子は誰にも囲まれなかった。
けれども、その後に見てしまった。その子が、お昼休みのお弁当の時間、家族たちに囲まれているのを。「よく頑張ったね」「偉かったよ」、結果は全然伴わなかったのに、その子は父親に、母親に、祖父に祖母に褒められていた。ビリッけつのその子は、満面の笑みを浮かべていた。
それを見た時に、心の奥底がささくれたって、目頭が熱くなっていたのを鮮明に覚えている。さっき私もあんなに褒められたはずなのに。気持ち良かったはずなのに。その快感は吹き飛んでいて、針で何度も刺されたような鋭い痛みが胸に走った。私の中には、形容し難い悲しみだけが残っていた。
今なら分かる。言葉に出来る。
あの時、私は「無償の愛」を目の当たりにしてしまっていた。そして、気が付いたんだ。私の称賛は、皆からの愛は、「有償」でしかないんだと。
何か結果を出して、その末に称賛が返ってくる。皆よりも優れている時、初めて愛してもらえる。そんな資本主義みたいな愛情以外、私は受けたことが無いんだと。
だから、初めて保育園で褒めてもらえたあの日、私はあんなにも猛烈な感動を覚えたんだ。本来なら、親から受けられるはずの愛情を、私は外の世界で初めて知った。そしてそれは小学校になっても変わらない。私は外の世界でしか愛してもらえなかった。家に帰ったら、私はスーパースターじゃなくなる。あの女と2人でいる世界に、私の居場所は無い。皆からの「凄い」が、私が唯一愛される瞬間だった。
悲しかった。どうしようもなく悲しかった。あんなに頑張ったのに、輝いたのに。私には、お弁当の時に褒めてくれる親がいなかったことが悲しかった。結果とか関係無く、私を愛してくれる人がいないのが悲しくて仕方がなかった。そして、その時私の中で何かが弾けた。
皆に褒められたい。皆に好かれたい。皆に愛されたい。あの快楽は、あの感動は、皆からの称賛の中にしかあり得ない。そして、それを得るためには対価が必要だった。皆の注目を得られるだけの結果が求められた。
だから、私は皆の「一番」が欲しかった。
全員の注目の的、全員の羨望の的、全員の称賛の的。誰もが認めざるを得ない、そんな「一番」に、私はなりたかった。
そして私は───────
今日は高度育成高等学校の卒業式。
私たち3年Dクラスは、3年間ずっとDクラスのままこの学校生活を終えることとなった。
進学先を、就職先を保障してもらえるのはAクラスで卒業した生徒たちだけ。だから、私はこの学校を卒業しても、何の恩恵も受けることはない。
でも………正直に言えば、Aクラスの特権は私にとっては二の次だった。
私がこの学校に入学したのは、私のことを誰も知らないゼロの環境に身を置きたかったから。中学時代、私は私のクラスを学級崩壊させて、地域中の悪評の的になった。そのまま地元の高校に進学しても、私の居場所はどこにも無い。私は誰からも褒めてもらうことは出来ずに、ただただ空虚な時間を過ごすだけ。そんな時、東京というとても離れた所にある全寮制の高校に入学出来るという話が舞い込んできたのは、まさに天啓だった。
ここならやり直せる。ここなら、私はまた皆に愛してもらえる。それだけが欲しかった。その瞬間が、その時間が、私には何よりも重要だった。
入学式で同じ学校出身の堀北鈴音と会った時は本当に最悪な気分だったけど………でも、結局あの女は私に何もしてこなかった。いや、そもそも私のことを覚えてすらいなかった。元々あんなお高くとまってる女に、交友関係なんてあるはずがない。私のことを覚えていないのも、当たり前の話だった。結局堀北は、3年間ぼっちのまま今日を迎えていた。
Aクラスの特権は無い。それでも、私にとってこの高校での時間は悪いものじゃなかった。先輩、後輩、他クラスの皆。同性異性問わずに様々な人間から、私は愛された。Aクラスの男子から告白されたこともある。クラス間の戦いと言ったって、所詮は高校生。人が人を好きになる気持ちは、そんな事務的な理由だけでは止められない。まぁ、同年代の子に興味は無いから全部断ったけど。
むしろ、実質Aクラスが独走状態だったのは私には良かったかもしれない。皆には諦めのムードがあった。だからもうAクラスに上がることよりも、学校生活を楽しむ方向にシフトした。そういう時、私の存在は皆には有り難かったんだろうね。最初は私と人気を二分していた一之瀬が途中で不登校になると、いよいよ私の独壇場になった。ある意味で普通の高校と変わらない日常がやって来て、私の輝ける瞬間がもっと増えた。私はずっと愛され続けていた。
「櫛田桔梗」
「はいっ!」
私は皆の前で出す、はきはきと明るい声で理事長の呼びかけに応じる。そして卒業証書を受け取り、一度学年中の皆に目を向けた。
私への視線は、温かいものばかり。クラスの垣根無く、私と過ごした時間は楽しかったって、皆思ってる。私のことを必要として、私に夢中になっている。それが伝わってくる、幸せな時間。
私はこれが欲しくて、この学校に入学した。そしてそれは、間違いなく叶った。
だから、私の頬は自然と綻んだ。
でも、その時保護者席にも目がいってしまった。
今年の卒業式から、保護者が参加することが認められた。だから、体育館の後方にはずらりと保護者が並んで座っている。
そしてそこに、あの女の姿は無い。
私の釣り上がった口元は、一瞬で横一文字に垂れ下がっていた。
卒業式が終わると、Dクラスに戻って最後のホームルームが行われた。でも、茶柱先生に話すことなんて無いと思う。
この人は私たちのことを一度も見ていなかった。その目は常に床に落ちているゴミを見つめるように冷めていて、何の期待の光も無い。入学して最初の1月が経った後に私たちに吐き捨てるように言った「評価0のクズ」という言葉が、この人の私たちへの回答。
そしてそんな人と私の間には、勿論何も無かった。
教室から出て、私は保護者たちが並んでいるのを目にした。中には花束を持っている人も。そのまま校門の前や、他の学校のスポットで写真を撮る流れになっているらしい。
普段私と一緒によくいるみーちゃんや心ちゃんも、親と一緒に写真撮影に向かった。気付けば廊下の人は少なくなっていって、私もその場に残っていることに意味を感じなかったので校舎から出ることにした。
「…………………………」
その時、教室前で佇立している堀北が目に入る。下唇を噛んで、握り拳を作っていた。
悔しがっている………それとも寂しがっている?私は堀北の様子が気になって、どうせ最後だからと声をかけてみることにした。
「どうしたの?堀北さん」
すると、少し驚いたように堀北が私を見た。そして、まなじりが再び下がった。
「…………何でも無いわ。少し………悔しかっただけよ」
「悔しかった…………それって、Aクラスに上がれなかったから?」
「…………………」
きっと答えは"Yes"だ。堀北はAクラスに上がることに執着していた。3年間、ずっと切望して止まなかった。
だから私は、面白くなって追い打ちをかけることにした。
「確かに私たちはAクラスにはなれなかった。でも、それで人生が終わりって訳じゃないでしょ?まだまだ人生は続くんだから、そんなに悲観的にならなくて良いと思うけどな〜」
「……………っ!!」
私の言葉に神経を逆撫でにされた堀北は、私を思い切り睨見つける。私にとって一番邪魔だった人間が、こうして私に良いように遊ばれているのを見ると何だかスカッとする。
「あなたに何が分かるの……………!?あなたに私の何が分かるって言うのよ……!?」
「ちょ、堀北さんそんな怒らないで──」
「こんな結果じゃ!!私は兄さんに認めてもらえないじゃないっ!!!!!」
「…………………!!」
私たちだけになった廊下に、堀北の叫び声が木霊した。
「フーッ………フーッ…………」
「堀北………さん………?」
「……………………………っ」
堀北は目に涙を浮かべたまま、私から視線を外した。そしてそのまま背を向けて、どんどんと私から遠ざかって行った。
「認めてもらえない………か」
口から出た自分の声に、私は少し驚いた。
私って、こんなに低い声だったっけ。普段皆と話す時は、柔らかくて耳触りの良い声を意識しているから、必然的に高めの声が出ている。
なのに今は、その時の私より数弾低い声。吐息まで冷たく感じられるような、温かみの無い声をしていた。
堀北の兄のことは、私も知っている。中学時代から、優秀な生徒として注目を浴びていた。私とは違うタイプの、人を寄せ付ける人間だった。
そして、堀北がその兄と不仲だということも。詳しい事情は知らないけど、堀北は兄と近しい距離にはいなかった。
結局最後まで2人の関係は分からなかった。それに大して興味もなかった。
でも。
それでも、最後に堀北が言った言葉。
夜になった今でも、私の耳に残り続けている。
堀北も、愛が欲しかったのかな。兄に愛されたかった、でも愛されるのには対価が必要だった。家族だというのにそんな歪な愛情しか、堀北には無かったのかな。
それでも…………
それでも、対価を払えば愛してもらえるなんて。堀北はまだ私よりもずっと恵まれている。
そういう風に思ってしまった自分に、私はどうしようもない苛立ちを覚えた。
人生の節目、新しい門出の前祝い。そうだと言うのに、私に花束を持ってきてくれる大人は、誰一人として存在しなかった。
後輩たちも、友達も、皆私の前に集まってくれたのに。その誰もが、私の本当の声なんて知りもしない。私が血反吐を吐く思いでストレスを抱えて創り上げた「櫛田桔梗像」に惚れ込んで、対価を払ったから集まってきただけ。
そんなことは分かっている。それしか私には無いんだって、理解した上で生き方を決めたはずなのに。私はどうしてか、心の渇きを抑えられなかった。
そして────
高育を卒業した私は、東京のA大学に入学することになった。
Some boys kiss me, some boys hug me
I think they're okay
If they don't give me proper credit
I just walk away
They can beg and they can plead
But they can't see the light (That's right)
'Cause the boy with the cold hard cash
Is always Mister Right
'Cause we are living in a material world
And I am a material girl
You know that we are living in a material world
And I am a material girl
Madonna『Material Girl』より引用
誰の曇らせが一番好き?
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堀北鈴音
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一之瀬帆波
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坂柳有栖
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軽井沢恵
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椎名ひより
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櫛田桔梗
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佐倉愛里
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長谷部波瑠加
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松下千秋
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佐藤麻耶
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天沢一夏
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七瀬翼
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雪
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茶柱佐枝