いきなり現れた男。荒い息の私とは対照的に、息を吸っているのかも怪しいほど機械的な佇まいだった。
「何よあんた…………何のつもり?」
「何のつもり、とは」
「そのままの意味だよ。何でこんなことしてんの?」
「何で、か。何でだろうな」
「は?……ふざけてるの?」
とぼけたことを言うこの男に虫唾が走った私は、傘から急いで出ようとした。
けれども、そんな私の動きを合わせるようにこの男は傘を私の頭上から離さない。その結果自分の方が雨に打たれているのに。
「ちょっと……本当に何のつもり?」
今の私は機嫌が悪い。自分でも驚くほどに低い声で、この男に冷たく当たっている。いつもの私なら、絶対にあり得ない態度。
「困っている人は助けろと言われた」
「は?」
「オレには、君は困っているように見える」
「何それ………正義の味方ぶってるの?」
「正義?」
きょとんと首を傾げる男のふざけた仕草に、私の中の苛立ちは更に過熱した。
「あんたの助けなんていらないから。一々絡んでくるな!!」
私は立ち上がって、公園を駆けて出ようとする。
…………!?
「あっ………」
足が滑って…………
「ったぁ!!?」
転んだ…………あの時みたいに、また。
「最悪………ほんとに最悪……………」
雨に濡れて少し泥みたいになった公園の足場の土が、服にべっとりと付着した。
「大丈夫か」
すると、頭上からあの男の声がした。
イラつく。物凄いイラつく。
「構わないでって言ったでしょ………早くどっか行って」
「そうはいかない。友達に『困っている人を見捨てるな』と言われている」
「何それ…………」
「とりあえず起き上がったらどうだ」
すると男は、私に手を差し出してきた。手を取って立ち上がれってこと?
馴れ馴れしいにも程がある。
「っ!!」
私はその手を思いっきり横に引っ叩いて振り払った。
「何様のつもり?私を憐れんでるの?何も知らないあんたが」
「ん……オレは君を怒らせるようなことをしたのか」
「見れば分かるでしょ。あんたのせいでこんなことになってんの」
「走って転んだのは君だ。オレとの間に因果関係が存在しているのか」
こいつ…………
ムカつく。惚けてるのか知らないけど、一言一句、一挙手一投足が鼻につく……!
「ともかくもう話しかけないで。今は1人になりたい気分なんだから」
「……………………」
男はようやく口を閉ざした。私は自力で立ち上がると、軽く服に付いた土を払う。洗濯しても堕ちるかどうか怪しい汚れに、口もとがひどく歪む。
「これは志朗………友達が言っていんだが」
「は?」
「『人間は死ねばゼロになる、だから生きている内にありったけ楽しまないと損だ』、ということらしい」
「…………何それ?」
「君は人生を楽しめているのか」
「………………」
「オレはこれまで楽しみなんてよく分からなかった。ただ学ぶことだけを強制される人生だったんだ。だが今は、出来ることなら楽しんでみたい。そう思っている」
「……………」
強制………?
毒親か何かに育てられたの………?
……………………
「………うるさいよ。もう行くから」
どっちにしろ私には関係無いことだ。
この男がどんな人生を送ってきたかなんてどうでも良い。
大学の秋学期が始まった。でも私の大学生活に趣は無い。
必修科目の講義には日下部がいた。必修だけじゃない、他の科目でも何故か被ることが多い。日下部がいる時、私は私の理想を演じられない。あの女と一瞬目が合う時、勝ち誇ったようなニヤけ面が目に入って何度も殺したいと毒づいた。でも日下部はピンピンしていて、怪我の一つさえしない。
私はもうA大学での関係づくりを諦めた。ここで何かを築いても、日下部がそれを崩す瞬間を虎視眈々と狙っているのが見え見えだから。だからと言って、私は私が輝ける場所を探すことまでは諦めない。諦められない。
それが無いなら、私が生きている意味なんて無いのだから。
そこで私は、他大学のインカレサークルに入ることにした。どこの学生だろうと参加出来るインカレサークルならば、交友関係も広げやすい。流石に日下部でも、私が行く先々の全てを把握することなんて出来やしない。
サークル内での私の評判はとても良かった。男子からは優しい美人として注目を浴び、女子には人には言えない悩み事を聞いてくれる相談役として名を馳せた。他の大学出身ではあるけど、自分の大学同然の距離感で皆と接していた。どんなに下心まる見えのキモい男であっても雑に扱わないで、真摯に向き合っているように見せかけた。中学までと違って身体の関係を明らかに狙っていたけど、そこは男子たちの暗黙の協定により防いでいた。近寄りやすい、でも穢し難い。そんなイメージの妙を創り上げていた。夏祭り、ハイキング、紅葉狩り、スキー合宿、他にも沢山ある大学生の定番イベントを隅々まで満喫した。紛れもなく私は皆の中心、皆の「一番」になっていた。
そして、新しくアルバイトも始めた。今度は日下部の家からも大学からも離れた所にあるファミリーレストラン。私はいつもの天使の微笑みを皆に振り撒き、そこでも「一番」になろうと創意工夫を凝らした。誰よりも仕事量をこなし、自分の仕事以外にも困っている人の仕事も助けた。バーガークイーンの時みたいに、私は皆の頼れる存在になっていた。お客さんの中にも、私目当てに通ってくる人も見えた。まぁ、もう若くはないおじさんもいたけどね。視線は気持ち悪い。それは間違い無いけど、でも注目の的になるというのは悪くない………いや、心地良かった。
大学での虚無を補って余りある光の視線を私は受け続けた。正直に言って、とても気持ちが良い。
「君は人生を楽しめているのか」
あの男、そんなこと言ってたね。
あの時の私は、それに言い淀んだ。最悪の気分だったし、全然日々を楽しめてなかったから。
でも今なら言えるよ。
楽しい
間違い無い。こんなに皆に褒められて、認められて、愛されて。皆の「一番」として、私は輝けてる。私が欲しかったものが、全部この手の中にある。
楽しくないはずがないよね。
今度こそ絶対に、私は私の居場所を守ってみせる。
何があっても、絶対に。
大学3年の夏が来た。
もう入学してから2年が経ったんだ。大学生活はあっという間だって話は何度も聞いていたけど、振り返ってみるとそうかもね。超特急列車に乗って、もう始発駅を遠く離れてしまった気分。
でも、物凄く充実してるよ。
あれから私は色んな大学の人と交流を持った。後輩たちも出来て、私はサークルの太陽のような存在になってる。大学の垣根なんて関係無い、私の魅せる「櫛田桔梗」は、どんな人間にだって愛される。休みになれば友達とショッピング、カフェ、色んな所に行く。
アルバイトでも、私は今ではお店の看板娘みたいな存在。固定ファンのお客さんもいるし、ちょっとしたアイドルの気分。どうして少女たちがアイドルを夢見るのか、よく分かった気がするよ。
だって、気持ちいいんだもん。ドルオタはキモい人が多いけど、それでも自分に夢中な人間が大勢いるってなったら、気持ち良くないはずがない。武道館ライブなんて、きっと壮観なんだろうね。
皆が、世界が、櫛田桔梗に夢中。その事実が、私を堪らなく幸福にさせていた。
そして今日は、サークルの中でも特に距離の近い子と一緒に遊びに出かけていた。
今日はお台場に行ったかな。ゆりかもめに乗って、広々とした東京湾を眺めながら。地元では味わえない、東京ならではの空気感だった。
「桔梗ちゃん、またね〜!」
「うん!」
楽しかった時間は終わり、私たちはそれぞれの帰路につく。
私は1人で道を歩いていた。ただ前に、前に。隣に誰かいるでもないから、1日中釣り上がって疲れた表情筋に暇を与えながら。
この日々は良い。皆に求められて、私が中心になっているこの日常は私の追い求めていたものそのもの。
だけど何だろう。何かが足りないように思える。それは漠然としていて、だけど確かに存在する違和感。身体の痒い所があっても、とこが痒いのか分からない時のような気持ちの悪さ。
一体これは………
そんな時、私の隣を何かが素早く動いて追い抜いた。その時に少し私にぶつかっていて、何かと思えば小さな男の子だった。まだおぼつかない足取りで、何を追いかけているのかひたすら走っている。
「こら!」
そして、その少し後に後ろから女の人の声が聞こえる。恐らく、あの子の母親。
「すみません………」
母親は、息子が私にぶつかったことを謝罪してくる。私は休めていたはずの表情筋に再度命令して、とても明るい笑顔で応対した。
「いえ!元気があって良いですね」
「すみません本当に………」
母親は再度ぺこりと私に頭を下げて、息子の方へと向かって行った。
子供は元気が良い。私だってまだ若いけれど、小さな子供ほどのエネルギーは無い。あの無尽蔵の体力はどこから来るんだろうね。
……………………………
…………………………………
あれ………
気付いたら笑顔を解いていた。
「あっ」
その時、男の子が躓いて転んだ。それを見て母親が慌てて男の子のもとへ駆け寄る。
「大丈夫!?」
男の子は起き上がらない。そのまま地に伏せたままだ。
あれは痛そう。
母親は男の子を何とか立たせた。男の子はやっぱり痛かったのか、大声をあげて泣き始める。
すると、そんな男の子を─────母親は抱きしめた。
「大丈夫………痛くない………大丈夫だから………」
抱きしめて、何度も背中をさすった。痛んでいる所とは全く違うし、治療でも何でもない。合理的な要素は欠片もない所作。ただそれでしかない。
なのに
男の子は、くしゃくしゃに歪めた顔の緊張少しだけ緩める。母親の笑顔と正対して、釣られるように泣き笑いを浮かべた。
「…………………………………………………………………………」
こんな時、"理想" の櫛田桔梗はどんな顔をすべきなの?
そんなことは言うまでも無い。そしてそれは私にとってそれは簡単なはずのこと。
なのに。
私はその仕方を忘れていた。
"理想" を忘れて、私は素顔を曝け出しているようだった。
年が明けて1月を迎えていた。
お正月には、友達と皆で初詣に行った。「今年も私が皆の『一番』でありますように」ってお願いした。
不純かな?でも私にとってはそれしか願うことは無いんだ。私は生まれた時から神様にはひどい目に遭わされてきたんだ。少しぐらい強欲で罰が当たるなんて、私は許さないから。
別に初詣のおかげってわけじゃないだろうけど、私の日々は満ちていた。相変わらず皆は私に全信頼を寄せていて、快感の甘い汁を吸い続けていた。この気持ち良さは、普通の人には味わえない。ストレスもあるけど、その対価を支払ってもお釣りが来るぐらいの愉悦。
もうきっと、私の脳みそは焼かれてしまっているんだろうね。
それでしか楽しめない。それでしか潤えない。
それで良い。
それで私は良いんだ。
1月23日。私は誕生日を迎える。
私はサークル中の皆に祝ってもらった。部室全体を使って、盛大な誕生パーティーが開かれた。
今日、間違いなく私はこの世界の主人公。そう思えるぐらい、私は天にも昇る気持ち。バイト先の人たちからも、お祝いのメッセージを沢山貰った。
この感動。遠い昔の記憶、保育園で初めて味わったあの感動と同じ。
どんなに綺麗な宝石よりも、どんなに高いブランド品よりも、こったの方が絶対に良い。そう胸を張って言える、私だけの感動。
きっと私は、これから毎年この日にこの感動と共に過ごすんだろうね。
私は胸いっぱいの希望を抱きながら、パーティーから帰宅した。
「はぁ〜〜……………気持ち良い………」
だらしなくベッドに大の字で横になって、私は天井を仰ぎ見る。
「幸せ……………」
今日1日で、一生分の幸せを吸い込んじゃったんじゃないかな。そんな風に思ったけど、私は即座に考えを改める。
私がそんな無欲な人間なら、こうはなっていない、と。
どこまでいっても、私は強欲な人間。満たされたように見えて満たされない。際限のない欲望を抱えている。そんなことは自分でよく知っている。
きっと明日になれば、またあの快感が欲しくなってるよ。櫛田桔梗はそういう生き物なんだから……………
「大丈夫………痛くない………大丈夫だから………」
……………………………………。
どうして今、そんなことを思い出すの。
せっかく気持ち良くなってたのに。私はもう、あんなクソみたいな環境にはいないんだから。今さら昔を思い出しても何の意味もない。
だから、もうどうでもいい。
どうでもいいんだ。
…………………
………………………………
あの女から誕生日を祝われたことなんて、一度も無かったな。
あの女はどうして私を産んだのか。
クソ親父との唯一の繋がりが欲しかったから?娘が生まれたとなったら、また会いに来てくれるとでも思った?
もし私が男だったなら。顔がクソ親父に似ていたなら。
あの女は私を愛したのかな。
不純な動機だったとしても、「愛してる」って言ったのかな。
「お誕生日おめでとう」って言ったのかな。
…………………
……………………………
もう止めよう。
これ以上考える価値は無いんだから。
今日はこのまま、気持ち良く眠ろう……………
その時、突然携帯電話の鳴る音がした。チャットで誰かがメッセージを送信した音じゃない。電話の着信音だ。
「誰………?」
私はスマホを手に取って画面を見てみる。
「…………警察署………!?」
えっ……?
何で警察署から……?
私が何かした………?
いや……そんなことはあり得ない。少なくとも、警察の厄介になることに思い当たる節は無い。
ならどうして………
とりあえず、出ないのはまずい。私は急いで画面をスワイプした。
「も、もしもし……」
『………もしもし、こちらXX警察の者です。櫛田桔梗さんのお電話でお間違いはありませんか?』
「は……はい………」
何………本当に何かあったの………?
『ご家族に櫛田
「………!」
その名前は………あの女の名前だ。普段は源氏名を使っているはずの、あの女の本当の名前。
「………はい」
まさか………何かトラブルでも起こした?というか、東京の警察署だよね………東京に来ているの?東京で何かしたの?
『先ほど、櫛田雛さんが交通事故に遭われました』
え?
『現在はY病院に搬送され─────』
交通…………事故………………?
サブタイトル:『銀と金』平井銀二の台詞より引用
誰の曇らせが一番好き?
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堀北鈴音
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一之瀬帆波
-
坂柳有栖
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軽井沢恵
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椎名ひより
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櫛田桔梗
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佐倉愛里
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長谷部波瑠加
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松下千秋
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佐藤麻耶
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天沢一夏
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七瀬翼
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雪
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茶柱佐枝