「腹を割って話せるようになった櫛田とは、上手くやっていける気がしている」
裏側まで見えることで考えていることが推察しやすい要素も増えた。
「やめてよ。私の本性を知った人が本気でそんなことを考えるはずがないじゃない」
嫌われる性格をしていると、自分が一番痛感しているだろうからな。
「そうでもない。素直に好感が持てる」
「何それ……どこまで本気なんだか。綾小路くんは信用ならないから」
普段の櫛田なら笑って答えそうなことだったが、その表情は固い。
「これは事実だ。世の中にはおまえの本性の方が居心地が良いと感じる者もいる」
「そんなの───」
何かを言いかけた櫛田はこちらを見て口を大きく開け、動きを止める。
そして突然壁に向かって歩き出した。
(2年生編8巻 P250, 251より引用)
…………――昔、こんな話を聞いた。
街にやって来た男の話だ。
その男は街角に立ち――説法を始めたのさ。
「世の中がよくなるように」
そういって男は説法をし続けた。
毎日、毎日だ。最初は皆、男の言うことに耳を傾けた。
共に戦おう、と言うものもいた。
だが――皆はまた、興味を失っていった。
連中にとっちゃ世の中がどうなろうと、
知ったこっちゃなかったんだ。
だが男は、やめなかった。
歳を食い、誰一人聞くものがいなくとも男は説法を続けた。
ある時そこを通りかかった子供が男に聞いた――
「どうして誰も聞いてないのに」「説法を続けるのか」と。
その男はこう答えた。
「最初は皆を変えられると思っていた」
「そして今は、叶わぬ夢だとも知っている」
「だが俺が説法をやめないのは――」
俺が、戦いをやめないのはな、あんちゃん。
あの頃の俺は、生きてるってことをこいつに懸けたんだ。
そいつを、嘘にしたくねえからだよ。
(『BLACK LAGOON』タケナカの台詞より引用)
あの女は死んだ。
最後まで、私に愛の言葉は告げなかった。
……………
良い。
そんなの分かりきっていたから。
私はあの女には愛されてない。だから、私は自分の手で、自分の力で、愛を掴み取る生き方を選んだ。
高育では「実力主義」が何度も強調されていた。その通りだと私は思う。結局、世の中は優れた能力を持つ人間が中心になって回る。
スポーツの世界でも、学問の世界でも、アートの世界でも。飛び抜けて目立った何かを残せた人間は、多くの人間の注目を浴びる。山のように積み上がる富、耳栓が必要になるほどの名声、さぞや快感だろうね。
私だってそれを知ってる。私には自分をよく見せる才能があった。大勢の「一番」の信頼を勝ち取って、大勢の人間から認められることの快さ。喝采を一身に浴びる瞬間が、私の人生で一番光り輝ける瞬間。他のどんなことをやったって、あれに勝るものは何一つ無かった。
だから、変わらない。
あの女が生きていようと、そうでなかろうと。
私は私の生き方を変えることはない。
それを味わうことだけが、私が生まれてきた意味なんだから。
それから少し時間が経って、2月の半ば。
今日は東京としては珍しく、雪が降っていた。2月であっても、降る時には降る。真冬の時期は少し過ぎていたけど、雪のせいで手袋が必要な気温だ。
私は日用品の買い出しのために家を出ていた。
「ふぅっ…………」
口から漏れる吐息が白い煙へと様変わりする。パラパラと降ってくる粉雪が頬に当たってくすぐったい。
そんなことを思っていた時──────
「あ」
前方に見覚えのある顔があった。
あの時………2年以上前、雨の日に私と会った、いけ好かない男。
どうしてこんな所に………
「ん」
私の視線が露骨だったのか、男の方も私に気づいてしまった。
「君は………あの時の」
「……………………」
「まさか再会するとはな」
………………。
嫌な偶然ってあるんだね。
「それで?どうしてあんたがここにいるの」
いつもの「櫛田桔梗」をこの男の前で出すことはない。というよりも、既に私の素を知っている人間にそれは無意味。
人前ではまず見せないぶっきらぼうな態度を、普段のストレスのはけ口だと言わんばかりにこの男にぶつけた。
「久々に日本に帰国したんだ。ここに来たのは………そうだな。以前オレが足を運んだ所に、再度来てみたくなったからだな」
「何それ?」
「前にも言ったかもしれないが、オレはあまり自由な生活を送っては来なかった。あの時この辺をうろついていたのも、日本の住宅街を学んでいたからだ」
日本の住宅街を学んでいた………。
「意味が分からない………どんな世間知らずでも、街ぐらい分かるでしょ。それとも、あんたは海外育ちだったの?」
「まぁ………そう思うのが普通だよな」
「ふーん………まぁどうでもいいけど」
別にこの男が日本で育っていようとも外国で育っていようとも、それは私には関係が無い。
「君の方はどうなんだ」
「は?」
「人生は楽しめているか」
「…………またその質問?前にも聞いたんだけど」
「改めて聞いてみただけだ。それで、どうなんだ」
「……………楽しんでいるよ。あんたに言われなくてもね」
楽しんでいる。当たり前だ。愉悦に満ち溢れている。
私は私の欲しいものを毎日手に入れている。これが愉悦じゃなくて何が愉悦なのか。
私は苦しんできてるんだ。楽しまなきゃ損よ。私が許さない。
「………嘘だな」
「………………………………は?」
嘘……………?
「その顔は人生を楽しんでいる奴の顔じゃない。心の何処かに痛みを感じている奴の顔だ」
「何それ……………あんたといるのが不愉快だからこうなってるんだけど………?」
「それも違うな」
「………?」
「本当に不愉快ならオレなど無視して通り過ぎて行けば良い。楽しくもないことをするなんてそれこそ人生を楽しんでいる奴からすれば時間の無駄だ。だが君はそうしなかった。何か思う所があるからそんな行動を取るんだ」
…………!
こいつ………相変わらず見透かしたようなことを………!
「………じゃあ良いよ。あんたと話すなんて時間の無駄でしょ」
やっぱり好きになれない。私のこともよく知らないで、勝手なことばかり言って。
ほんと、何様のつもりなの?
「私行くから」
私はこの男に背を向けて、スーパーへの道を再び歩き始めた。
………!
あっ………
足が………雪のせいで………
「ひゃっ………!?」
「おっと」
「え………」
転んでない…………?
「雪道で走り出すと危ないぞ」
男の声がした。両脇に違和感があり、顔を上げるとそこには男の顔がある。
この男が私を転ばないように支えたってこと?つくづく癪に障るね………
…………………
………………………
この男の目…………
何も無い。
私の創り出した「櫛田桔梗」を見ている皆の目に光る好意の感情も、私の本性に触れた人間の目に灯る侮蔑や嫌悪の色も。
そのどっちも。どっちも見えない。
こんなことは初めて。
「…………………」
「ん………どうした」
「え」
「オレの顔に何か付いてるのか」
「……………!!」
よく考えればこのままの体勢でずっといるって………凄く変なことじゃない!
私は急いで男から身体を離した。
「な……何すんのよ………!」
「ん……オレは何かまずいことをしたか」
「か……身体……勝手に触ったでしょ……!」
「だがそうしなければ君は転んでいた」
「そうだけど……余計なお世話だよ………」
むず痒い。
どうしてこの男は私に構うのか。私が私を演じている時ならともかく、今の私の態度なんて好き好む人はいない。
だからあの時もあんなに皆掌を返して私を責め立てたのに……
「……あんたはどうして私に構うの」
「どういうことだ」
「私と絡んだって気分良くもなんともないでしょ。あんたのこと邪険に扱ってる訳だし」
「気分が良くない、か。オレはそうは思っていない」
「は………」
「別にオレは君を批判的に捉えていない」
…………………。
「嘘だよそんなの。こんな態度取られて何が面白いの」
「逆に君は自分の在り方が不満なのか」
「そういう話してるんじゃなくて………」
「世の中に聖人君子しかいないというのなら、それもそうかもな。だがそうではない。もしそうなら、テレビの『毒舌キャラ』はどうなる。合衆国の大統領は?人に愛される者が必ずしも善人とは限らないのが、人間の面白い所じゃないのか」
「………………………」
「君のその発言からは、君が自分を肯定的に捉えているとは思えない。そうだと言うのに君は人生を楽しんでいる、と言えるのか」
何。
何この感じ。
「………うるさい。あんたに私の何が分かるの?」
「何も分からないさ。君の生まれも、君の育ちも、オレと君はお互いに自分の何も話していない」
「だったら……!」
「だが、君が自分を偽って生きていることだけはよく分かった」
「は………」
「君のその目は、人を疑っている人間の目だ。過去に誰かに裏切られた経験でもあるのか、それとも利害関係でしか物事を捉えたことが無いのか。だから自分が人にどう見られているかに機敏になる。人の手助けを拒みたくなる。その裏に何か目的があるように思えて気持ちが悪いんじゃないか。あるいは、弱みを見せれば自分に価値が無くなるとでも思っているのか」
「…………………」
「それはおかしなことじゃない。家に鍵をかけずに眠るなんて不用心だ。何よりも自分勝手に生きると大抵は社会からは爪弾きにされる。大なり小なり人は自分を偽って生きているのが常だ」
「そんなの……そんなの当たり前でしょ」
全て自分を曝け出して生きてる人間なんてどれぐらいいるって言うの?
いや、いるにはいる。そういう人間は何度も見てきた。でも、そんな人間は誰にも好かれない。自分勝手、自分第一、そんな人間だと思われたら、誰もがその人から離れていく。
あの時のあいつらみたいに。
「だがそんな偽った人間でも、金曜日になれば飲み屋に行って、上司の愚痴を同僚と言い合うだろう。同僚でなければ、相手は学生時代の友人かもしれない。24時間365日自分を偽るなんてこと、人間には出来やしない」
「……………………………………」
「君にその相手はいるのか。あるいは君は、理解者だと思っていた人間に裏切られて、自分の気持ちを抱え込んでいるのかもしれないな。だから無責任に他人を信用しろとは言わないし言えない」
「……………………………………………」
「だが、オレはそうじゃない」
「は…………」
男と私の視線が重なった。
どうしてか、私は男の目を見て金縛りに遭ったように動けなくなっていた。
「オレは君のことをよく知らない。それこそ、君の名前すら知らない。君がオレに何を話したって、オレが君にどうこう出来るものではない。そうだろう?」
「……………」
「今後君とまた会うのかも分からない。もしかしたら、今日別れればそれが今生の別れかもしれない。だからこそ、オレには何を話したって問題無いはずだ」
「………!」
「オレは君の力になれるのかもしれない」
「………そんなことをしてもあんたの得にはならないでしょ」
「損か、得か。人間は時に利では動かないもの………そうだとオレは学んだ」
……………
何………
何…………この感じ…………
こんなの知らない………
こんなに私の心を踏みにじられてるのに……
どうして私は……私はこんなにも心が軽く感じられるのか。
どうして苛立っていないのか。
おかしい。こんな屈辱、私が許すはずが無いのに。
それなのに。
どうして………
「私…………は………………」
まさか……
これが………
…………ダメ。
「……………しつこい。あんたに話すことなんて何も無いから」
それは出来ない。
この人に頼るなんて、私には出来ない。
そんなことをしたら、私のこれまでを否定することになる。どんなに辛くて、どんなに吐いても。私は1人で耐えてきた。中学の時は失敗しても、高校時代は、今は、私の思い通りになっている。
どんなに苦しくても、私はそれを受け入れた。それでしか生きていけないって覚悟を決めて、そのために自分の時間を費やした。死に物狂いで努力してきた。あの女に見てもらえないと分かった日から、それが私の生き方になったんだ。
そんな私の覚悟を、簡単に否定なんてしたくない。否定しちゃいけない。それで私は気持ち良くなってきたんだ。この人に私の胸の内を話すってことは、私が安らぎを求めてるってこと。苦痛と快楽の等価交換を、実は辛かっただなんて死んでも言っちゃいけない。
言っちゃいけないの………
「じゃあね…………」
私は今度こそ、男を振り返らずに歩き出した。
手袋を嵌めているはずなのに、ひどく指先が凍えて感じられたのはどうしてだろう。
今日はとても寒い1日になった。
それからも私は、皆の理想の「櫛田桔梗」であり続けた。
4年生になって就職活動が本格的に始まると、私の学生生活もスーツを伴った時間が多くなる。けれどもこの就職活動というイベント、私にとっては物凄く簡単なもの。
自分をよく見せて売り込むのがこの活動の本質。だとしたら、生まれた時から命を懸けてそれをやり続けてきた私は、その能力に関しては他の追随を許さない。許すはずがない。ちょっと良い顔をしようって子たちとは、文字通り次元が違う。
私は様々な企業の面接を受けた。国内最大手商社・星野商事。様々なお菓子で有名なお菓子メーカー・ヴァロワ。不動産界の最大手・
でも、入社出来るのはその中で一社だけ。だとしたら私はどこに入るべきか。
そもそも、営業成績みたいな数値のある指標で測られる場は私の得意じゃない。確かに、私のトークスキルはその辺の子たちとは比較にもならないだろうけど、ビジネスという場だけで見るのならば私よりも上はいる。商品や法律に関する専門知識など、私に勝る武器で私よりも上に立つ人間が。何よりも皆ガツガツしてピリついた競争の場では、信頼を得るも何も誰も他者に心を開こうとしない。
私が欲しいのはお金じゃない。お金は暮らしを豊かにはするけど、私が欲しいものはお金じゃ買えないから。変に私の方が収入が高いからといって、男から妙な敵対心を持たれても困るしね。何かとお金が絡むと人は気が荒くなる。
私は色々と悩んだ結果、1つの答えを出した。
「櫛田桔梗と申します!本日から、よろしくお願いします!」
私は総合商社・
大人に限った話ではありませんが、人間はそう簡単には変われないものでしょう。特に長い時間その生き方をしてきたのならば。
√櫛田の最終話に、全体の振り返りで本章を書くにあたって私が考えていたことを語りたいと思っています。
√堀北や√松下と比較して論じる部分もありますので、もしまだ読まれていない場合は、是非とも読んでいただきたいと思います。
サブタイトル:『ダイの大冒険』バランの台詞より引用
誰の曇らせが一番好き?
-
堀北鈴音
-
一之瀬帆波
-
坂柳有栖
-
軽井沢恵
-
椎名ひより
-
櫛田桔梗
-
佐倉愛里
-
長谷部波瑠加
-
松下千秋
-
佐藤麻耶
-
天沢一夏
-
七瀬翼
-
雪
-
茶柱佐枝