朝食を食べ終えた私たちは、改めて部屋の状況を確認する。
とても人を招き入れて良いような部屋じゃない。普段の私なら、間違い無く誰かを、それも殆ど見ず知らずの男性を中に入れることは無い。
それ程に泥酔していた証拠でもある。
それに『1人にしないで』って………どんな気分だったのよ。
「あー、えーっと………出来れば見ないでもらえるとありがたいのだけれど…………と言っても、手遅れよね」
「まあ、な」
綾小路さんは否定せずにそう答えた。
彼がどこで眠ったのかは分からないけど、うちはそこまで広くないから、眠れる場所は限られている。部屋の光景は嫌でも目に入る。お風呂場で寝る訳でもないし………まさか、ベッドで一緒に………!?
「ベッドでは寝ていないから安心して欲しい」
またも綾小路さんは私の思考を見透かすかのようにそう言った。エスパーでも持ってるんじゃないかってぐらい的確な読みね。
それに自分で頼んでおいてなんだけど、頼まれたからって女性と同じ部屋で寝て、しかも表情が少しも変わらないというのが凄い。もしかしたら私に女としての魅力が無いという意味なのかもしれないけど。
彼の謎はどんどんと深まるばかりだ。
「掃除、するか」
「え………」
「普段忙しいんだろ。今日は土曜日だし、こういう時にやっておいた方が良い」
「そんな……悪いわ、そこまでしてもらったら。こっちからは何も返せないのに」
「夕べの堀北さん、疲れてるようだった」
「夕べ………?」
ほぼ覚えていない、居酒屋での私。
「昨日話を聞いていると、随分と真面目なんだと思った。でもそれがプラスに働いているとは、今のこの状況を見たら思えない。少しは人に頼った方が良い」
綾小路さんはそうとだけ言って、すっと立ち上がった。
「まずは空き缶からだな」
「…………そうね」
もっと大きなゴミ袋を箪笥から取り出して、私たちは散らばった空き缶を片付けていった。
それから数時間、掃除の他に洗濯まで手伝ってもらった。綾小路さんは随分と手際の良い人のようで、テキパキと家事が進んでいく。
一通りやることは終わったので、私たちはお茶を淹れて一息ついていた。
「ふぅ………本当に助かったわ。ここまで手伝ってもらって」
「気にすることじゃない。オレがやりたくてやったことだ」
綾小路さんはそういってお茶を口に流す。その所作は、どこか洗練されて見えた。
「綾小路さんは優しいのね」
「優しい?」
「ええ」
彼は首を傾げていた。
「初対面の私にここまでしてくれるなんて………あなたみたいな人とは、あまり会ったことが無いわ」
自然と口もとが緩む思いがした。昨日までの冷たくなっていた心とは違う。今の私は、多分心から笑っている。
「オレは優しいなんていう出来た人間じゃない」
けれども、私の言葉を否定するように、綾小路さんは変わらない真顔でそう答えた。
「オレは………そうだな、オレの本質は子供の頃から変わらない。オレは昔から自分さえ良ければそれで良いと思って生きてきた」
綾小路さんの口から、謎めいていた彼のことが語られていく。
自分さえ良ければ良い、まるで以前の私みたいね。
「今堀北さんにこうしているのも、オレの単なる自己満足なのかもしれない」
「自己満足………」
何に対する満足なのか。
人を助けたという達成感なのか、単純に個人的に私を気に入って世話を焼きたかっただけのことなのか。
でも、それはどっちでも良い。
「いいえ………それでも、私は助けられたわ。たとえ自己満足なのだとしても、私はとても感謝している」
「………そうか」
本当に、よく分からない人ね。
おかしくて、思わずくすりと笑ってしまう。
「もう行くよ」
「もう?」
「一通りやることは終わったからな」
部屋を出ようとする綾小路さんを見送りに、私も玄関まで足を運ぶ。
「ねえ………」
「ん?」
「その………また、会えるかしら」
「…………………」
綾小路さんは無言で靴を履くと、
「あそこで飲んでいたら、また会えるかもな」
そう言って、玄関の扉を開けて出て行った。
久しぶりに、人の親切をこの身に受けた。たとえそれが私の幸せを願ってのものでなかったとしても、あの温もりは嘘なんかじゃない。
人との繋がりって、悪いものじゃなかったのね。
あの時………もっと早く、それに気付けていれば良かったな。
土日は瞬く間に過ぎていって、気付けば月曜日の朝。
また憂鬱な1週間が始まる。
けれども、少しだけ前とは違うことがあった。
それは、「綾小路さんとまた会えるかもしれない」という希望があること。
漠然とした希望だし、それが私の現状を大きく変える訳じゃない。とても小さな希望だとは思う。
それでも、何も無い日々に少しだけ色が塗られていた。この色を最後に塗ったのは、もう随分と前のこと。ほんのちょっぴり、若返ったような気がした。
私はそんな小さな希望を胸に、洗いたてのシャツに腕を通す。
それからは、綾小路さんがいないかあの居酒屋に顔を出す頻度が増えた。
「らっしゃい! お、堀北さん。今日も綾小路さん目当てかい?」
「え、ええ………」
「まだ来てないよ。今日も気長に待とう」
「…………………」
元々私の心の最後のオアシスのような場所だったこの居酒屋は、いつの間にか綾小路さんを待つ私の、ちょっと騒がしい待合室のようになっていた。
店主さんの計らいで、私の隣の席はいつも空けられていた。いつでも綾小路さんが座れるように。
でも、それから綾小路さんと一緒にお酒を飲む日はやって来ない。そもそも最初に飲んだ日だって、私は泥酔して何を話したのか覚えていない程だったから、実質的にはまだ一度も一緒に飲んでいない。
1週間経っても、2週間経っても。私が綾小路さんと肩を並べて座る日はやって来なかった。
それが逆に、私の生きる気力に繋がっていたのかもしれない。どれだけ辛いことがあっても、綾小路さんと会えるかもしれない。そんな淡い希望が、私の心を繋ぎ止める。嫌だと思ってるオフィスの階段を上る足も、少しだけ軽く感じられる。
綾小路さんは、私の心の拠り所になっていた。
そして、綾小路さんと最後に会ってから3週間程が経過した。
私は3歳歳上の先輩社員、
今年最後とも言える、大きな契約。その大役を私たちが担うことになった。三島課長曰く「汚名返上のチャンス」で、実際にこの契約を取れればこれまでの私の悪評も無かったことに出来るのかもしれない。
「堀北さん、分かってるわね」
「はい」
「今世紀最大の大仕事よ。今回の仕事の結果は、今後の私の評価にも関わってくるわ。絶対にヘマだけはしないでよね。顔だけの女じゃないって所を見せるのよ」
容赦の無い物言いだけど、それも今は気にならない。私はずっと、営業成績では最下位。そんな私がこれまでの評価を覆すためには、ここで絶対に契約を取らなければならない。
「分かっています。誠心誠意、お役目を果たさせていただきます」
「よし……行くわよ」
そうして、私たちは力強く一歩を踏み出した。
この感覚………高育の特別試験を思い出す。あの時は結局、3年を通して1勝も出来なかったけれど、今回は違う。
もう、あの時の私じゃないってことを、自分自身に証明したい。
だから、兄さん……どうか見守っていて下さい。
綾小路さん………どうか私を見守っていて…………。
誰の曇らせが一番好き?
-
堀北鈴音
-
一之瀬帆波
-
坂柳有栖
-
軽井沢恵
-
椎名ひより
-
櫛田桔梗
-
佐倉愛里
-
長谷部波瑠加
-
松下千秋
-
佐藤麻耶
-
天沢一夏
-
七瀬翼
-
雪
-
茶柱佐枝