やっぱり女性の泣き顔を書くのは楽しいですね。
黄色いソファに座り、今か今かとその時を待つ。
私は最初からこの会社に入りたかった訳じゃない。大学4年の秋、就職活動が全然上手くいかなくて、それでやっとの思いで採用されたのがこの会社。
正直、大学名に見合った会社かと問われればそれは違うと答える。私が在籍していたのは、国内でも有数の国立大学。学業の面では優れていた私は、高育内での受験勉強の末、大学受験には合格した。
大学内では、何か特別な活動を行った訳ではない。多くの大学生が参加する「サークル」や「部活」には見向きもしなかった。大学は勉強をする所で、遊びに来た訳じゃない。そう思っていた私は、講義の受講に精を出した。勿論、友達も不要だと考えて1人も作らなかった。
でも、研究の道に進むかと言われればそうではなくて、私は民間企業への就職を決めた。そして真っ先に志望したのは、兄さんが働いていた「四菱商事」。採用倍率は500倍超と言われている国内最大手企業。全国から非常に多くの学生が、四菱商事を受けに来る。それは私の大学においてもそうで、何千人もの就活生の中から内定を勝ち取らなければならなかった。
もし、Aクラスで卒業出来ていたら。私は難なく内定出来ていただろう。Aクラスの特権とは、就活において絶大な効力を発揮する。でもDクラスで卒業した私にその権利は当然無かったので、通常の学生と同じ方法で選考に進むしかなかった。
適性検査は問題なく合格した。勉強は得意だった私には、この手の分野は得意分野。
そして、適性検査を通過した私は一次面接へと進む。四菱商事は四次面接まである長期選考の企業。一次面接で躓いているようでは話にもならない。
私は胸を張って、面接室の扉をノックした。
けれども──────。
扉を開けて部屋の中の光景が目に入ったその瞬間、心臓が止まるかと思った。
5人いた面接官の中心に座っていたのは、当時人事部に所属していた兄さんだったのだから。
まだ入社してから1年目の兄さん。既に、面接を担当する程に頭角を現していた。
私は面接の場だというのに、その場で硬直してしまった。兄さんが私を睨んだように思えたその時になって、ようやく硬直が解けて用意されていた椅子へと歩き出した。人生で一番、ぎこちない歩き方で。
緊張。
あり得ない程に緊張していた。
手が汗でぐっしょりと濡れた。
呼吸が乱れて、酸欠になるのかと思った。
他の面接官が私に掛けた定型文のような言葉にどのように受け答えしたのかは、今となっては覚えていない。
ただ、質疑応答が始まった時。
面接官の1人である兄さんは、私に問いかけた。その質問は今でも覚えている。
『あなたは、何のために生きていますか?』
「私、は…………………」
兄さんに認めてもらうため。
そんな言葉を、その場で言うことなど出来なかった。
私は理解した。この質問は、私への最後のチャンスだったのだと。
兄さんは、私に自分を追いかけるだけの妹でいて欲しくなかったのだと。
気付いた時には、何もかもが手遅れだった。
何も言えずに黙ったままの私は、一次面接で早くも「不採用」が決定した。
そして、それでもと藻掻いて四菱グループの企業を他にもいくつも受けた。
「四菱重工業」「四菱電機」「四菱自動車工業」…………他にもいくつも選考に臨んだ。見苦しくも、兄さんと同じ名前のもとで生きていたいと思ったから。
でも、「生きる目的」という根本的なものさえ持ち合わせていなかった私の人間性は見透かされ、どの企業でも不採用が続く。
大学3年生から始めた就活は、結局4年の冬近い秋になってようやく今働いている会社に採用された。誰も名前を聞いたことのないような零細企業、それが私の進む道。
そして、その零細企業でも私は活躍出来ずにいた。
そんな私が、これまでの失態を覆す千載一遇のチャンス。
これを活かさない訳にはいかないわ。
そうしていると、応接室の扉のドアノブが動く。
ついに、担当者がやって来る。私は背筋を正して立ち上がった。
そして、扉が開いた先にいたのは────────。
「……………っ!?」
うそ…………。
どうして、あなたがここに……………。
「…………? あ……………」
相手も、私の存在に気付いた。そして、
「お世話になっております。浅場商事株式会社の田辺と申します」
ただ、隣の田辺さんの声が私には聞こえない。聴覚では捉えているはずなのに、言語の意味を脳が処理しない。
「…………? ちょっと、堀北さん………!」
「え?」
その私が、強制的に現実へと引き戻される。
隣を見ると、田辺さんが顔を顰めていた。
そうだ。
私は商談のためにここへ来たんだ。
自己紹介をしないなんてことは、許されない。
「あっ…………わ、私……は……………」
息が乱れる。声が震える。
だって。
だって、私の目の前にいたのは──────。
高育で私を徹底的に排斥してきた、クラスメイトの櫛田桔梗だったのだから。
「………したがって、我が社は鉄鋼業界における幅広い繋がりがあり、御社の鉄鋼製品を業界内の様々な企業様へと流通………」
櫛田さんは、私たちが同級生だということを明かさなかった。だから、私も何も言わない。いや、言えない。
あちらが明かさないということは、昔のよしみという手は使わせないという意思表示。
険悪だった私たちが、ここで仲良く手を取り合うなんてことは無い。
ただ、仕事は仕事。櫛田さんもそこは弁えているはず。私たちと取引することのメリットが確かにあるのならば、契約を断る理由は無い。
今回の営業の中核は、田辺さんが担う。後輩でかつ主戦力とは言えない私は、田辺さんの側で説明の邪魔をしないように控える。機会があればアシストする。それが、私の役目。
そのはずだった。
「堀北さん」
「は……」
「えっ……?」
櫛田さんは、田辺さんの説明を遮って私の名前を呼んだ。
背筋に寒気が走った。
「堀北さんは、我が社が御社と取引をする利点をどうお考えですか?」
櫛田さんは、朗らかな笑みを崩さずに私にそう尋ねてきた。
「それは私の方から説明させていただいた通り……」
「私は堀北さんに聞いています」
「……………!」
そう言われると、田辺さんは黙るしかない。
「ねえ堀北さん、どうお考えなのです?」
「それ、は……………」
まただ。
私はまた、同じ苦境に立たされている。
そして、また何も返せずにいる。
あの時、嫌と言うほどに涙を流して、己を悔いたというのに。
「堀北さん…………私の説明をなぞって……!!」
田辺さんは、小声で私に指示を飛ばしてきた。
でも、喋ることは出来そうにない。
唇が震えて、喉の奥から言葉を引っ張ろうにも、声が出てこないのだから。
「うーん………メリットを説明出来ないのであれば、我が社も御社との契約に積極的にはなれませんねぇ」
「そ、そのようなことでは……!!」
「そうだ田辺さん。実は私と堀北さんは、同じ中学校、同じ高校を卒業しているんです。高校では3年間クラスも同じだったんですよ?」
「……………っ!?」
どうして、今それを………!?
「ただねぇ………あの頃の堀北さんは………そう、クラスで孤立気味だったんです」
「孤立気味…………?」
「気味、というより孤立していました。クラスメイトたちへの態度も排他的で、私は何度も見かねて声を掛けたんです。ですが、堀北さんから返ってくる言葉はいつも冷たくて棘のあるものでした」
「………………………!」
違う。
あなたは、私のためを思って声を掛けたんじゃない。
私の性格を知っていて、わざと声を掛けた。私が冷たくするのを知っていて、差し伸べた手を振り払ったとしてクラスから排斥するために。
私は当時気にもしなかった。
1人でも構わないと思っていたから。
それを、今になって…………!
「今の堀北さんを見ていると、当時から変わったようには思えません。そして、大事な商談だというのに自社の強みを言えない社員を連れてくる御社に対する印象は良くないですよね? 我が社が軽く見られているように思えます」
「も、申し訳ございません………!!」
田辺さんは顔を青くして頭を下げた。
下げているから見えない。
櫛田さんが、悪魔のような笑顔で私を見据えているのが。
「とても残念ですか、今回の契約は見送らせていただきたく存じます」
田辺さんを見ず、私だけを見て彼女は言った。
「そ、それは………どうか、もう少しだけでもお時間を……!!」
「大変心苦しいですが………どうかお引き取り願います」
帰り道。
私たちは歩いていた。その歩みは「凱旋」などではなく「敗走」。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ………………」
田辺さんが、何度目になるか分からないため息をついた。
「堀北さん……………」
「は………はい…………」
「はぁぁぁぁぁぁっ…………もう……言葉が出ない………何も言えない……………」
「っ………………………」
吐きそうな程に重い空気が漂った。
今回の商談の失敗は、全て私に原因があった。
言い訳など出来ない。全て、私のせい。
私のせい。
私のせい。
私のせ──────
「………ハッ、子供の頃から変わってなかったのねあんたって」
「……………………」
「情けなくて言葉も出ないわ……………ああ………本当にっ………情けない…………っ………!!」
「………………!!」
田辺さんの声が震えている。
本当に、心の底からこの状況に落胆して、涙が浮かんでしまっている。
「もう行くわ………今日は強いお酒を飲まないとダメね………」
「あ、あの………」
「話しかけんじゃねぇよ」
「……!」
「お前のせいで、私の出世まで遅れるんだよ。どのツラ下げて私の前に立ってんだよ」
「それは…………………」
「はぁぁぁぁっ………………情けない…………親の顔が見てみたいわ………こんなダメな子を育てた親の顔が!!」
「…………!!」
田辺さんはそう言うと、唾を吐き捨てて私から遠ざかって行った。
私はひとりその場に残された。そのまま立ち尽くしていた。私だけでなく両親を侮辱するその言葉を、何度も頭の中で繰り返しながら。
「……………うっ………」
ダメ。
ここは人も行き来している。
こんな所で、恥の上塗りをするつもり?
「ううっ……………!!」
ああ、ダメ。
分かっているのに。ダメだって分かっているのに。
抑えきれない。もう、耐えられない…………。
「ああああっ………………………」
一度溢れてしまえば、もう後戻りは出来ない。
「うあああああああぁぁ……………………………」
膝から崩れ落ちた。
まるで幼児のように泣きじゃくった。
27歳にもなる女が、公衆の面前で泣き崩れた。
惨めすぎる。
情けない、自分が情けない。
どうして、こんなことになってしまったんだろう……………。
どうして……っ………………。
「ああああああっ…………………………」
それからどれぐらい時間が経ったのか。
涙も枯れた私は、力無く電車に乗って、あの居酒屋へと向かっていた。
誰でもいい。
今はひとりになりたくなかった。誰かと一緒にいたかった。
「………フフッ、『孤高』ね…………」
これでよく、「孤高」を気取ったものよね。
あの時の私は子供だった。どうしようもない、無知な子供。社会の現実を何も分かっていない、大人を気取ったただの子供。
あの時の私が今の私を見たら、何て言うかしら。何を言っても、戯れ言にしかならないけれど。
あと少しで着くわね。
早く中へ……………。
「───────えっ?」
うそ………。
私の身体は止まった。視線がある一点に釘付けになった。
目を向けたその先にいたのは───────。
「ん………堀北さん」
ずっと、ずっと会いたかった、その人。
「綾小路………さん……………」
気付けば私は動いていて、もう20年以上していなかった動作を身体に命じていた。
「うおっ」
綾小路さんが驚いた声をあげる。急に女性に抱きつかれたのだから当たり前だ。
でも、今は気にしてられない。気にする余裕が、私には無い。
「綾小路さん……………助けて………っ…………………」
私はもう、限界だった。
サブタイトル:『ダイの大冒険』 ミストバーンの台詞より引用
誰の曇らせが一番好き?
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