「なあ。たまにさ、無性に世界がどうでもよくなることってないか?」
「突然なに? 生憎だけど、私は自分の人生を悲観したことはないから」
「人生を悲観ってわけじゃないんだけどさ……。堀北には無縁の話か」
堀北は露骨に嫌そうな、というか面倒臭そうに重いため息をつく。
「結局何が言いたいわけ?」
「実力主義の世の中で、頑張り続ける意味は何かと思ってさ」
「そんなの、当然自分のために決まっているでしょう? バカなの?」
「バカって……。じゃあ具体的に自分のためってなんだよ」
「ステータスを高めて、社会的地位のある仕事に就く。じゃないかしら」
(1年生編 Short Stories 24Pより引用)
今見ている夢は、そう、遥か昔、俺がまだ10代だった頃だ。
金を貯めて中古の軽自動車を1台買った時の心境を夢で思い出していた。
走行距離は有に10万キロを超え、内装の手入れもままならないオンボロ。
お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかったが、それでも俺はちょっとした一家の大黒柱になった気持ちでその車を乗り回していた。
友人も恋人も作らず、ただ己と車だけで過ごす時間は、かけがえのないものだった。
あれから随分と時が流れ、俺は今自ら運転することもなく後部座席で眠りこけていた。
本革の深々とした柔らかい座り心地。
背中を包む温かな感触。
そのどれもが、昔運転していた車とは比較にならないほど高級なものに変わった。
だがどうしてだろう。
あの頃の感動と喜びには遠く及ばないのは。
「綾小路先生、そろそろ到着いたします」
運転席からのそんな声に、俺は静かに目を開いた。
(0巻 120,121Pより引用)
デステニーランド内は、時たまニュースで見るようなファンシーな空間となっていた。
普段の日本の街中ではまずお目にかかれないような建物の数々、世界的知名度を誇る動物のキャラクターの着ぐるみ、まるで異世界の中に入り込んだみたいだ。
「行きたいアトラクションはあるか」
綾小路さんが私に尋ねてきた。
「そうね………」
色々と思い浮かべてみるけど、特にこれに行ってみたいというものは思いつかない。
何せそういったものに興味を抱かなかったからこそ、27年間ここに来なかったのだから。
「思いつかないなら、オレが連れて行こう」
「………その方が良さそうね」
このまま何もしない訳にはいかない。ここは綾小路さんに任せることにしよう。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!?!?!?」
私はとてつもない悲鳴をあげていた。
綾小路さんが連れて行ったのは、「ユニバース・マウンテン」。デステニーランド内でも指折りの絶叫アトラクション。
私は、この手のジェットコースターに乗ったことが無かった。遊園地に行ったことすら遠い昔の話だし、その時は小さくてジェットコースターには乗せてもらえなかった。
でも、身体能力にはそれなりに自信があった。昔は武道を習っていた時があったし、高校までの体育の成績も良かった。
「早く!! 早く終わってっ!!!?」
それだと言うのに、私はこうも絶叫している。
時間が経って身体能力は衰えたでしょうけど、それにしたってここまで叫ぶことになるなんて。
もともと身体能力の高低はあまり関係が無いという話のようね。
謎の自信で、このアトラクションを軽く見ていた自分を恨めしく思った瞬間だった。
「はぁっ………はぁっ………………」
アトラクションを出た私は、息も絶え絶えにベンチに座った。
「大丈夫か」
私に声を掛ける綾小路さんは、私とは全くの真逆で涼しい顔をしている。さっきのアトラクションで、絶叫はおろか声一つあげることは無かった。
一体、どんな身体をしているのかしら。とても同じ人間とは思えない程に落ち着いている。
「大丈夫じゃないわ…………あんなに叫んだのは久しぶりよ……」
綾小路さんは黙って私の隣に座った。
「写真、撮ろうか」
「え……………」
「今のこの状況を記録しておくんだ」
「………嫌よ。みっともないわ」
少なくとも、私の無様な姿が映ることだけは確定している。
「オレはそうは思わない。ありのままを映すのが一番だ」
「………………………………」
どうしてこう、綾小路さんの言葉は胸の奥にまで響くのかしら。
私は結局逆らうことが出来ずに、携帯を綾小路さんに渡してさっきみたいにツーショットを撮った。
どこかげんなりとした私と、絶叫なんてどこ吹く風の綾小路さんがしっかりと映っていた。
それから私たちは、デステニー内の色々なアトラクションを巡っていった。「サザンリバー鉄道」「アイリスのティーパーティー」「イッツ・ア・ワンダフルワールド」など、王道と言える部分を次々と押さえていく。
私は結構可愛い動物が好きだったりする。だから、デステニーランド内のファンシーな雰囲気は、意外にもすんなりと受け入れられた。
つい昨日まで心の中にあった重りが、今は感じられない。叫んで、笑って、感情を包み隠さずに発散している今は、私には心地良いひと時だった。
こんなに素直になれたのは、いつぶりだったかな。小さい頃は私も自分の感情をありのままに表現していた気がする。成長するにつれて兄さんの真似をするようになって、「孤高」であろうと自分を作り変えた。既に大人びていた兄さんを真似て、私も大人のふりをして、そんな日々が何年も続く。気付けば社会に出て、孤高ぶっていた私でさえ壊されていって。本当の私というものは、一体どこへ行ってしまったのか。今では自分でも分からない。
その私が、今日だけは違った。もしかしたら、本当の私は自分で思っているよりもずっと感情豊かな人間だったのかもしれない。そう感じてさえいる。
でも、楽しい時間というものはあっという間に過ぎていってしまう。
気が付けば18時を過ぎていて、私たちはデステニーランドから出ていた。
「楽しかったな」
綾小路さんは歩きながらそう言った。相変わらずの無表情で、言葉を聞いただけでは楽しいようにはとても見えない。でも、彼が私を色々な所に連れて行ってくれたおかげで、私は今日という日を楽しめた。
「堀北さんは、『子供』を忘れてしまっていたみたいだからな」
「え…………?」
私は彼の顔を見る。綾小路さんもまた、私を見た。
「話を聞いていたら、堀北さんはまだ子供だった時に大人のふりをしていたように思えた」
「……………………………」
「子供でいることは悪いことじゃない。むしろ大人になれば、子供でいることはもう許されなくなる。だから大人たちは、昔を『懐かしい』と感じているんだ。遠い昔のお伽噺のように、取り留めのないものになってしまうんだ」
「………そう、そうね」
今となっては、痛いほどに分かる言葉。
大人になれば、失敗は許されなくなる。
それが出来るのは「子供」だから。未熟で何も知らない、発展途上の存在だから。
だから大人たちは、失敗を笑って許してくれた。
「堀北さんは、あまり楽しい学校生活は送ってこなかった」
「…………………そうね」
「だから、今日1日だけでも『青春』を味わってみて欲しかったんだ」
「……………!」
青春を………。
「子供の時にしか味わえない、若さの特権。大人になるための、大切な階段の1段だ。堀北さんは、階段を何段も飛ばして上ってきた」
「…………………」
「でも、1段1段踏みしめてきた訳じゃない。今心が晴れやかじゃないのは、しっかりと階段を上がってきた実感が無いからだ。今更階段を下りて上り直すなんてことは出来ない。でも………『青春』も悪いものじゃなかっただろ?」
ネオンの光が綾小路さんの顔とその真っ白なコートに反射する。ほんの少しだけ綾小路さんが微笑んでいる気がした。
私は、綾小路さんの言葉に頷く。
あの時は、遊びにうつつを抜かすなんて堕落した人間のすることだと思っていた。
でも、違っていたのね。
私はただの大人ぶっていた子供。
もっと子供らしく、その時間を楽しめば良かった。大人になるのはそれからでも遅くはなかった。
それに気付けただけでも………1日とはいえ「青春」を知れただけでも、私は幸せ者なのかもしれない。
その後すぐに解散とはならずに、私たちはとあるレストランで夕食を食べることになった。
雰囲気は中々良い。冬の夜の夜景を見渡せる、ロマンチックとも言える場所。今日1日は楽しかった。そう振り返らせてくれるムードが漂う。
でもお別れの時間が近付くにつれて、私の心にまた重りがかかり始める。
今日が終われば、私の生活はまた暗く淀んだ日々の連続になる。何のために、何を目的として生きているのか分からない日々が続く。
「………………綾小路さん」
私の口は、おもむろに言葉を紡いでいた。
「綾小路さんは、何のために生きているの?」
「ん………」
夜景を見ていた綾小路さんは、私に顔を向けてきた。
「私は………分からないの。自分が何のために生きているのか」
「分からない………」
あの日から。
兄さんに問われたあの日から。
私は、自分の生きる目的を見失っていた。
「私には……兄がいるの。2つ歳の離れた兄が」
頭に思い浮かぶのは……そう、夢で見たあの光景。
まだ幼かった私と兄さんは、よく一緒に遊んでいた。今思うと、兄さんは笑うと可愛い子供だったかもしれない。成長した後の凛々しくて知的な顔立ちばかりがイメージとして先行するけど、実際には年相応の可愛らしさはあった。
小学校を卒業して兄さんが中学生になる頃には、兄さんは様々な面で優れた実力を示していた。勉強、スポーツ、課外活動。自ら積極的に動いて、全てから学ぼうという強い意欲を見せていた。本当に名前通りの人で、私はそんな兄さんに憧れて、兄さんの後を追おうと必死になった。
でも、私が中学生になる頃には、兄さんは私に冷たい態度を取るようになった。やることなすことの全てが兄さんの真似事だったからか、多分愛想を尽かされたんだと思う。当時の私は、どうして兄さんが私を突き放すのか、それを理解出来ずにいた。
そして高育に入学して少しした頃、数年ぶりに再会する。当然、感動の再会とはならなかった。兄さんは何も変わっていない私に失望して、私のお腹に掌底を放った。そこまでされても私は、兄さんがどうして私を拒絶するのか分からないまま。結局3年間何の成長もすることなく、高度育成高等学校を卒業する。高育の門を出るその時、私の見送りには誰も訪れていなかった。
その後の大学時代も、兄さんと関わりを持つことは無かった。お互いに寮生活だったし、そもそも大学が違う。何年もお互いの声を聞かない日々が続いて、そのままあの面接の日が訪れる。その日を境にして、私たちは一度も言葉を交わさないまま今日を迎えていた。
「私はずっと兄さんに認めてもらいたくて生きていた…………でも、兄さんは自分を追ってばかりの私でいて欲しくなくて………生きる目的を見失って、私はこうして何者にもなれていない………」
それが、堀北鈴音の人生。
兄の影を追って、それでも兄には追いつけなくて、結局何者でもないただの女になってしまった。
「……………………………」
綾小路さんは、グラスに注がれたワインを一口飲んだ。
「………フフッ、自分で言っていて恥ずかしいわ」
今にして思えば、兄に認めて欲しくて生きるなんてとんだお笑い話よね。それこそ、何のために生きているのだか…………。
「良いんじゃないか」
「……………………え?」
「兄貴に認めてもらいたいから生きる、それで良いんじゃないか」
綾小路さんは変わらない態度で私を見る。思えば、私の痴態を何度目にしても、綾小路さんの私を見る目が変わることは無かった。
「逆に堀北さんは、どうしてそれがダメだって思ったんだ?」
真っ直ぐに、目をそらさずに私に問いかけてきた。目をそらすことが出来ない。でも、あの面接の時のような心臓を締め付ける感覚も無い。
「それは………兄さんが………」
「それではダメだと言ったのか?」
あれ…………。
兄さんは私に直接言ったっけ。
自分に認められるために生きるのは止めろって。
態度から、私はそう判断した。でも、結局言葉にして伝えられたことは無かった。
そうなる前に、離れ離れになってしまったから。
「この際、実際に言ったかはあまり問題ではない。オレは堀北さんの過去を直接見た訳じゃないから、もしかしたら言っていたのかもしれない」
「じゃあ………綾小路さんは何が言いたいの?」
発言の真意を掴めずにいる私に対して、彼は簡単なことだと言わんばかりに口を開いた。
「生きる理由なんて、何でも良いんだ」
本当に、ただそうとだけ言った。
「何でも良い………何でも良いって、そんなこと………」
「おかしいと思うか?」
「それは………だって、人生は一度きりなのだもの。生きるからには大きな目標を…………」
「それは堀北さんの言葉じゃないな」
私の反論に、綾小路さんはまるで諭すように返してくる。
夢は大きく持て。誇れる目標を持て。今を生きる人間は、多かれ少なかれそう言われてきたはず。
綾小路さんはその言葉に従わなかった。
「オレが何のために生きているのか、だったな」
綾小路さんはそう言うと、バッグの中に手を入れた。少しだけして、何か本のようなものを取り出す。
いえ、あれは本………漫画本………?
「オレの生きる目的はこれだ」
綾小路さんが私に見せたのは、麦わら帽子がトレードマークの有名な漫画。
普段この手のものに触れない私でさえ、タイトルは知っている。もう20年以上連載されている国民的な漫画。
「毎週、連載を楽しみにしているんだ」
そして、漫画本をテーブルに置く。
「これだ………って、それだけ?」
「ああ、今はそうだな」
綾小路さんは淡々とそう返してくる。
「今の世の中は、あまり景気が良いとは言えない。だから国は、社会は、子供たちに伝える。『立派な夢を持て』『他人に誇れる夢を持て』……そうして、子供たちが未来を担うことを期待するんだ」
私も、小さい頃に学校で言われたことがある。学校だけでなく、さまざまな場所で未来に希望を持ち、将来大成することを望まれた。
「だがそれは、子供たちが心から望んだものではない。中にはそういった大きな夢を持つ子もいるだろうが、全員が全員そういうことにはならない」
それは………そうよね。
人の考え方はそれぞれ違うのだから。
あれ、じゃあどうして私は同じことを………。
「オレは毎週の連載が楽しみで、毎日を頑張れる。これでもそれなりに楽しくやれている。それで良いんじゃないか? 明日も頑張ろうと思えることのために生きる。それだけで、オレは十分だと思う」
「…………………」
どこまでもぶれない綾小路さんの言葉が、私の頭にすっと入っていく。これまで強張っていた全身の筋肉を、少しずつほぐしていく。
「ただ、堀北さんが1つ良くなかった所は、お兄さんの言葉で自分の気持ちを曲げてしまったことだ」
少し、私の目は見開かれた。
「お兄さんに認めてもらいたくて生きる。そのために、堀北さんは自分なりに頑張っていたはずだ。けれども、それをお兄さんが望んでいないと思ったから目的を見失った。お兄さんを想う気持ちはあるんだろうが、ここは曲げちゃダメだったんだ。たとえお兄さんが望まずとも、自分はそのために生きているんだと胸を張って言えたのなら、それは立派な目的だ」
長い間、私を縛り付けていた鎖が解かれる。そんな気がした。
胸に付きまとっていた息苦しさが、私にかかっていた重荷が、少しずつ消えていく。
「オレはそうだと思っている。自分を偽って生きることの方が、よっぽど辛いんじゃないか」
『オレはそうは思わない。ありのままを映すのが一番だ』
ずっと、ずっと同じことを言っている。綾小路さんは、今日1日私に同じ話をしていた。
自分に正直であること。
それが、綾小路さんが一番大事だと考えていること。そして、私に伝えたかったこと。
『オレは………そうだな、オレの本質は子供の頃から変わらない。オレは昔から自分さえ良ければそれで良いと思って生きてきた』
『今堀北さんにこうしているのも、オレの単なる自己満足なのかもしれない』
本当に、ぶれない人。
人に言われるままに生きるのではなく、自分の好きなように生きる。
簡単なようで難しい。
でも、目の前の人はそれをやってのけている。自分が生きたいように生きている。
私にはそれが、カッコよく思えた。
「もし………その漫画が終わったら、何のために生きるの?」
「ん………そうだな…………」
私の問いかけに、綾小路さんは夜景を見ながら少し間を開けて答えた。
「その時は、その時考えるさ」
「……………フフッ、何それ」
酔いが回ったのかな。
頬が熱を帯びているように感じた。
次回、堀北編最終回。
誰の曇らせが一番好き?
-
堀北鈴音
-
一之瀬帆波
-
坂柳有栖
-
軽井沢恵
-
椎名ひより
-
櫛田桔梗
-
佐倉愛里
-
長谷部波瑠加
-
松下千秋
-
佐藤麻耶
-
天沢一夏
-
七瀬翼
-
雪
-
茶柱佐枝