裏切れなかった少女の話   作:息抜きのもなか

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14.契約

 ナナカはゲマトリアという組織について、そこまで多くのことを知らない。

 しかし、ナナカは彼らが契約は守る、というただ一点について信用できることは知っている。

 無論、自らの目的を果たすために婉曲した表現を用いたり契約の穴を突いて自分の都合のいいように動いたり、そういった汚い大人であることは否定はしない。だが、契約に明文化されて記載された内容については間違いなく履行するという点については、非常に好感を抱いていた。

 洗脳に利用こそされたが、死なない程度の食糧は与えられた。特に医療班が置かれたわけではないが、医務室という安静にできる場所が確保された。彼女より年下の生徒に人殺しをさせないという契約については、例外なく現在に至るまで履行されている。

 

「だから私は敬意を込めて、彼女のことをマダムと呼んでいるのです」

 

 散々な目に遭わされた過去はあるが、ナナカはマダムに対してそれほど悪感情は抱いていない。

 彼女の庇護下にいなければ自分が生きられなかったのもあるが、それ以上に自分の周囲を俯瞰して見るようになって、自分とマダムの立ち位置が似ていることに気が付いたからである。

 組織の中から少しだけ外れているイレギュラー。同じ方向を見ているようで見ておらず、密かに別の目標を抱き続けて種を蒔く戦略家。ナナカはそれが上手く行かなかったけれど、マダムは着実に実を結びながら進んでいた。

 そうしているうちに、思ったのだ。自分のことを気にかける人は僅かばかりでも存在するが、マダムのことは誰が気にかけているのだろうと。情が湧いたとも言える。

 おかしな話だ。自分を地獄に叩き落した相手に、憐憫の情を抱くなど。

 

「マダムは力を求めざるを得なかったのでしょう。誰も自分に対して好意的でないと理解していたし、他者を慮れるほどの余裕がなかったから」

 

 これも彼女に受けた洗脳が少なからず影響している、私の妄想に過ぎませんが。

 マダムとて自分が完全な存在でないことは理解していた。だから周囲を否定し、自分が絶対の存在になるために自らを高位の存在へと昇華させることが彼女の命題となったのだ。

 他のゲマトリアが何かを作ることで崇高に至ろうとするのに対し、彼女が自分自身を崇高に至らせることを選んだのは、きっとそれが理由。

 

「あなたは彼女のことを少し好意的に捉えすぎている気がしますがね。純粋な悪というものも、この世界には存在しているのですから」

「まあ、その傾向はあると思いますよ。私が自分を納得させるためだけの理由付けですから」

 

 黒服の指摘に、ナナカはあっけらかんとした様子で食事に舌鼓を打つ。

 色彩に対する別アプローチでの対抗策を模索したいと言われて度々彼の研究に手を貸しているため、その際にはよくこうして食事に行くことが多かった。

 ベアトリーチェのことを信奉しているわけでもないのに彼女のことを『マダム』と呼ぶナナカに対して、黒服がその理由を問うた返答が先の言葉たちである。

 それが自分の心を正当化するためのものであるのか、はたまた本心から彼女がそう考えているのか、正面から彼女を見る黒服にはわからない。しかし確実に言えることは、彼女が最初に自分の許を訪れた時のような悲壮さは感じられないということだ。

 

「最近、新たに彼女と契約を結んだとお聞きしましたが。わざわざ契約書を用意させられたと悪態をついていましたよ」

「ああ、トリニティを攻撃するのだから、襲撃成功後は彼女たちと同等の暮らしをさせるようにと約束してもらいました。まあ、彼女のことですからトリニティの生活レベルを私たちと同じぐらいに落として契約を履行したとでも言いそうですが」

 

 それならマイナスはないですし、最悪それでもいいかなと思ってます、とナナカは淡々とその契約内容を黒服に共有する。

 それを黒服に話しているということは何か仕掛けられているかもしれないな、とナナカは考えたが、実害のある悪戯レベルだろうと忘れることにした。自分の知識や常識外から手を加えられたのならば考えても答えが出ようはずもないのだから。

 今回彼女がマダムと交わしたのは、最初の約束の上位互換のようなものである。

 エデン条約を襲撃し、トリニティに攻撃を行う。もしその襲撃が成功してアリウスの立場をトリニティの上にすることが叶ったのであれば、トリニティの生徒たちと同じような生活を送れるように保証すること。それが今回の内容である。

 そんなことをする必要なはないと切り捨てようとしたマダムに対し、ナナカは上位者であるはずのアリウスがトリニティより生活レベルが低いなんておかしいと思いませんか、と詰めたのだ。

 それに加えて不満の爆発と離反者の増加の懸念を指摘したところ、渋々マダムはその条件を呑んでくれた。これはどちらかというと生徒というより、指導者側の方の離反を恐れた結果だろう。

 

「もしマダムが目的を忘れて暴走したら、その時はひと思いに殺してあげてほしいんです」

 

 ナナカがその言葉をなんてことない普通の会話のように話したため、黒服は反応が遅れてしまう。

 その瞳があまりにも優しく揺れていて、彼女の想いを物語っていた。

 

「だって、可哀想じゃないですか。誰にも愛されず、誰にも信用されず、その果てに、自分すらも失ってしまうなんて」

 

 もう、黒服は動いているのだろうか。

 別に契約したわけじゃないから、単なるお願いにすぎないけれど。

 今のマダムは少し暴走気味で、物語が進んでしまえばたぶんみっともなく壊れていくだけだと思う。悪役というのは、先生に関わるとそうなってしまう定めなのかもしれない。黒服と手を組んでいたカイザーもそんな感じだったし。

 マダムがそうなった理由は、少なからず思い至る。

 ユスティナ聖徒会の獲得はできたが数はそう多くなく、ETO自体は上書きされてしまい、トリニティもゲヘナも平時に戻りつつあって、彼女が望んだ混沌には程遠い。

 私がマダムと結んだ契約についても、これからマダムが儀式を成功させて再び攻め入ることができたなら達成は可能なのかもしれないが、そうなったらマダムが「あなたたちの力で達成できなかったのですから契約は無効です」と言い出しそうな感じがする。まあもう破綻していると見ていいだろう。

 

「監督官!」

 

 ああ、そういえば戦場だった。

 懐かしいことを思い返している場合ではない。

 ナナカは持っていかれかけた意識を現実に引き戻し、ヒヨリの狙撃を回避する。

 スナイパーライフルの狙撃で時間を稼いでくれている間に遮蔽物まで退避し、ナナカは愛銃を背中に預けハンドガンに持ち替える。

 それから周囲を確認して自分の所為で立て直しを要求された盤面を見直し、指示を振り直した。

 

「肝心なとこで弾詰ま(ジャム)ってんじゃねえぞ」

 

 近付いてきた部下に悪態を吐かれ、先の自分の行動を思い返す。

 うまく足止めしつつ、近付いてきたタイミングやチャンスではこちらが飛び込んで近距離での打ち合いにも持ち込む。そんな波状攻撃の中でナナカが飛び込む番になり、隙を晒したサオリを狙える絶好の攻撃機会に銃を構えた。

 ナナカが最大限神秘を込めてサオリを狙った彼女の攻撃は、愛銃の弾詰まりというハプニングによって終わる。せめて撃てさえすれば手痛い反撃を喰らうこともなかったのだが、結果は体勢を立て直したサオリにアサルトライフルの弾をたらふく叩き込まれるという大損害を被ってしまった。

 

「監督官はもう厳しいだろ、引っ込んで戦闘指揮に徹してくれ」

「いえ、まだ戦います。私がここで散っても、マダムの儀式が終わればアリウスの勝利ですので」

 

 ナナカの回答に苦い顔をした部下が飛び出す。何発か被弾しながら、スクワッドにも攻撃を加えていく。

 

 手榴弾を投げる。

 

 ハンドガンで牽制。

 

 ロケットランチャーの標的になったため離脱する。

 

 スナイパーの攻撃に合わせて回避した場所に銃撃。

 

 一人ずつ押し込まれ過ぎないように退避の指示を出しラインを下げる。

 

 ヒヨリの攻撃に右肩を被弾した。

 

 左手ではハンドガンが当たらない。

 

 指示を出して閃光弾を投げ入れる。一斉攻撃を叩き込む。

 

 突破を急いだミサキに攻撃を集中させる。

 

 庇うように飛び込んできたサオリを袋叩きにする。

 

 状況を見直して陣形を見直して指示を飛ばす。

 

 ミサキがこちらを狙っていることに気付いて退避のために移動する。

 

「――しまった」

 

 釣り出された。

 障害物から左手にミサキを見ながら走り出して、彼女の手が動いていることに気が付いた。

 まだミサキは撃っていない。それどころかこちらが気付くのを待っていたかのように銃口をこちらの行き先に合わせている。

 だが、間に合う。多少被害は貰うかもしれないが、瓦礫の陰に潜り込めば最小限に抑えられる。

 そう思って自分の行く先を目視して、まだ退避できていない部下の姿を認めてしまう。

 

 ヘイローに、ヒビが入っている。

 

 無理をさせ過ぎた。退避できないぐらい、動けないくらいのダメージを貰ってしまったのだ。

 ナナカは迷う。自分が行けば、瓦礫の破損で彼女も少なくないダメージを受ける。既にヘイローにヒビが入っている彼女に、その衝撃を耐えることはできるだろうか。

 ブレーキを踏む。反転して後ろに飛んだ。

 苦し紛れの左手を伸ばす。まだ引き金を引いていないロケットランチャーの銃口に合わせる。

 ナナカの弾のコントロールは悪い。自主訓練が無駄だと言われるぐらいには。しかしそれでも、味方に誤射するようなレベルではない。体感半分ぐらい的から外れてしまう程度で、そこらの学校の生徒よりは上である。それは左手であっても大差はない。

 この命のやり取りを行う緊張感の中、ナナカは自分の感覚が研ぎ澄まされている感覚があった。

 完璧だ。当たる。そんな予感があった。

 相対したミサキでさえ、引き金を引いてしまったことを後悔するぐらいには完璧なフォームと照準。このままいけば、発射速度や弾速の差で自分たちの近くでロケットランチャーの弾が爆発してしまう。

 

「また、あいつに……」

 

 ナナカの眼もミサキが引き金を引いたのを捉えている。ちらりと目を向ければヒヨリは狙撃体勢に入っておらずこちらの妨害の可能性はなく、サオリも同じくその位置と体勢からでは届かない。

 何より、サオリはここでミサキを庇うような動きを見せればロケットランチャーの直撃を貰う。もう既にそれに耐えられる余裕がサオリにないことを、その損傷具合からナナカは察していた。

 もうナナカの指は引き金に掛かっている。

 その瞬間に気が付いた。もう既にトリガーを引き始めていて、もう戻れなくなった後に。

 なぜ、自分の思考はこんな短期間に回っているのだろうか、と。

 思いつくのは、これは危機に見舞われた際にスローモーションに感じるという現象なのではないかということ。先ほども意識を失いかけた際に走馬灯のような記憶を見ていたし、いよいよもって自分も終わりなのかもしれない。

 だが、どうして?

 その回答は、自分の左手の先から届けられた。

 

 鈍い、くぐもった音。

 

 本日二度目の発射不良。

 

「あ」

 

 ミサキの放ったロケット弾がゆっくりと近付いて来る。

 彼女の下がる場所に向けてまっすぐに。空中で制御が効かない彼女を目指して。

 

 世界はどうしても、ナナカを勝者にはしてくれないらしい。

 

「――うラァ!」

 

 腹部への衝撃。それと共に世界が加速する。

 ナナカは地面に押し倒されて、ロケット弾は彼女の上を通って後ろの瓦礫に着弾する。爆風が彼女の身を灼き、体が悲鳴を上げるのが分かった。

 それでも体を起こそうとして、彼女の上に覆いかぶさる誰かがそれを制止する。

 

「監督官。終わりだ」

「まだだよ、イオナ。まだ――」

「止まってくれ。……頼むから」

 

 言われて彼女の顔を見て、その後頭部のヘイローにヒビが入っているのに気が付いた。

 先ほどの被弾で、限界を迎えたのだろう。

 それでも自分を抑えようとする彼女の行動に、ナナカは自分の状態を察する。ナナカ自身のヘイローももう、壊れかけている。

 恐らく、あの走馬灯モドキを見た際にはもう限界は来ていたのだろう。彼女の部下が身を挺してナナカを庇ったのも、それが直撃すれば確実にナナカのヘイローが無事では済まないと知っていたが故の行動なのだ。

 それに気が付いて、それでも諦められなくて。

 自分の上で倒れたままの部下を退()けようとして、隙だらけの額に銃を突き付けられた。

 

「強くなった。お前の言った通り」

 

 視線を上げれば、自分を見下ろすサオリと目が合った。観念したナナカは何も言わず、審判を待つように目を瞑る。

 少しばかり離れたところから声が掛かった。ミサキの声である。

 

「リーダー、それ以上は。リーダーが人殺しになる必要はない」

「……クソッ。行くぞ」

 

 四つの足音が離れていくのを聞いて、ナナカは目を開ける。

 充分すぎるほど時間は稼いだ。間に合うかどうかすら怪しいぐらいに。どうせマダムは儀式の開始を早めるだろうから。

 部下達には自分を見捨ててでも戦闘継続をしてほしかったと思ったものの、仕方ないかと結果を受け入れる。彼女たちの手を汚させないようにしていたのは、そこだけは躊躇させるようにしていたのは、自分なのだから。

 それも含めて絶対値の足りていない自分たちを考えると、まあまあ健闘した方だろう。弾詰まりがなければ勝利さえ見えたかもしれないことを思うと、惜しい気持ちも捨てきれないのだが。

 

 スクワッドからしてみれば、自分を倒せて幼い日の因縁に決着をつけたといったところだろうか。決着を考えれば彼女たちからしてもあまり気持ちが良いものではなかったのかもしれないが。

 どうなるかな、とナナカは先のことを想像する。

 人殺しになりたくない彼女たちが、果たしてマダムに勝てるのだろうか。

 人殺しを手段やプロセスの一部としか見ていない彼女に、先生は抗えるのだろうか。

 儀式を得て力を手にしたマダムに、満身創痍の三人と先生が勝てる未来が見つけられない。

 だがこの程度の修羅場は超えてきたからこそ、あの先生とやらは慕われているのだろう。でもそれならばそっちの方が理不尽だろう。こちらが何をしてもすべてを無に帰すなんて。

 ナナカは力が抜けて動けなくなった体を放りだし、大きく息を吐いたのだった。

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