裏切れなかった少女の話   作:息抜きのもなか

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05.破砕

「ベアトリーチェ!」

 

 現生徒会長のいる部屋の扉を蝶番が軋むほど力を込めて開いた少女は、すぐに君臨する圧政者の率いる武力を以て鎮圧された。

 しかしその熱量は組み伏せられてなお冷めやらぬ様子で、その視線は鋭く牙を保ったままだ。

 それに対する大人の反応はと言えば、笑みを浮かべてその努力を嘲笑うのみである。

 

「約束が違うなどとつまらないことを言わないでくださいね。あなたと私、解釈が違っただけなのですから」

「嘘を吐くな! 全員に十分な量を与えていないだろう!」

 

 今までナナカがベアトリーチェに従ってきたのは、彼女が圧倒的な力を持っていたことも一つの要因ではあったものの、彼女との約束が結ばれていたからに他ならない。

 アリウス生全員へ行き届く食料の安定供給。

 ベアトリーチェの要求に応じる対価として提示したそれを承服することがなかったのなら、ナナカはもし殺されたとて彼女に従うことはなかったはずだ。

 彼女が支配を始めて以降、ナナカ自身は三食ちゃんと食べれるようになっていたし、当然それが他のアリウス生もその恩恵を得られていると信じていた。

 しかし実際に学校に通うことになって知った現実は、彼女の望みからはかけ離れた現状で。

 

「日に一度しかない食事は、行き届いているとは言えないはずだ!」

「何を言っているのですか。十分ではありませんか」

 

 皆と同じ環境に身を置いて、以前耳にした陰口の理由が理解できた。

 日に三度食事を摂り、中等部の年齢になってなお十分な睡眠がとれる個室を与えられている。アリウス生の現状を知った今、そんな環境に身を置いておいている自分が優遇されていないなどとは口が裂けても言えなかった。

 ナナカだけがその事実を知らず、その情報を掴まないように情報入手の手段を制限したその徹底ぶりを見れば、ベアトリーチェが意図してこの状況を作ったことは疑いようがない。

 それが彼女の罪悪感を育み、彼女自身が自らその心を蝕むことこそが彼女の目的なのだから。

 

「十分な量を与えていますよ。彼女たちの洗脳が上手く行きやすいぐらいの量を」

「オマエ……ッ!」

 

 噛みつこうとして暴れれば、背中にショットガンの散弾がゼロ距離で放たれる。

 内戦の経験者である彼女はそれぐらいでは意識を保つことは想定内なのか、ベアトリーチェはカツカツと彼女に歩み寄ってきて、地に伏したナナカのことを見下ろす。

 手を伸ばせば届く距離。しかし組み伏せられた彼女は指一本すら触れられない。

 そのことが彼女の悔しさを加速させる。

 

「生徒にはこの苦しみはトリニティのせい、ゲヘナのせいだと教えています。いまはまだ実感できずとも、五年後、十年後には彼女たちに植え付けたその種が見事芽吹くことでしょう」

「ふざけるなっ」

「ですがあなただけは違います。なぜならあなたは彼女たちの苦しみが誰のせいなのか、一番よく理解しているでしょうから」

 

 その言葉で、ナナカはベアトリーチェの計画が自身の想像以上に恐ろしいものだったことを悟った。この悪辣極まる大人はテロリストを作るつもりだ。憎悪を薪として復讐の炎を燃やすために、感化されやすい子供たちを洗脳して兵士を作り上げるつもりだ。

 そんなことは、させるわけにはいかない。

 それが実現してしまえば、アリウスは――

 

「アリウスはもう二度と、あなたのせいで日の目を見ることはなくなったのです」

「……私のせい? どの口が……」

「ええ、だってあなたでしょう?」

 

 ――生き残っていたアリウス生を全員、私の支配下に放り込んだのは。

 熱が一気に冷めていくのを感じた。あれだけ猛っていた憤りの炎は鳴りを潜め、ただ後悔と絶望の渦が彼女を沈めよう引き込もうと手を伸ばす。

 

 ベアトリーチェをアリウス自治区に引き入れてしまったのは自分だ。彼女が何をするつもりなのか分からずとも、それがよくないことになることは勘付いていたはずなのに、我が身可愛さに彼女を受け入れた。

 

 元生徒会長を殺したのも自分だ。アツコという彼女の宝を奪えば、動きづらくなると解っていたはずなのに。あの人さえ動ければもしかすれば、被害は出てもベアトリーチェに抵抗し続けることはできたかもしれないのに。

 

 学校に来なかった者たちを学校に来るように説得したのは自分だ。一人でも彼女の支配から逃れられていたのであれば、普通に成長したその子が()()()アリウス生徒として受け入れられたかもしれないのに。

 

 自分があいまいな要求をしなければ、ちゃんとすり合わせをしておけば、こんなことにはならなかった。彼女が自分の期待通りに動いたことなどなかったというのに、どうして約束だけはちゃんと遂行するなどと思ってしまったのだろう。

 

 ああ、そうか。

 アリウスを少しでも良い方向になんて力のない自分が願った結果がこれか。都合のいい大人の甘言に騙されて、まんまと飛びついた愚かな自分が全ての元凶だったのだ。

 

「私が、アリウスを地獄にしてしまった……?」

「そうです。よく理解しているではないですか」

 

 彼女たちが日に一度しか食事にありつけないことも。

 今までは手に入れることができた嗜好品を手に入れることが出来なくなったことも。

 床の上に一枚布を引いただけの冷たく硬い寝床で眠らされることになったことも。

 飾り気の欠片もない支給品しか身に纏えなくなったことも。

 軍人が受けるような過酷な訓練を幼少期から受けさせられることも。

 作り終えていない身体に生傷が絶えず、消えない傷跡をつけられてしまうことも。

 幼いころからの教育によってマダムという独裁者の手によって洗脳されてしまうことも。

 洗脳の過程で自己肯定感を否定された彼女たちが人格形成に異常を来してしまうことも。

 理不尽と不条理の連続によって全てが無意味なことだと未来を諦めてしまうようになることも。

 命令に恭順するだけの救いようがないテロリストになってしまうことも。

 その行いによって行き場を失くした彼女たちが私の都合のいい駒に成り果ててしまうことも。

 

 ――その全てが、あなたのせいなのです。

 

 彼女の耳元で囁かれる言葉たちが、否定する心を蝕んで染め上げていく。目の前のこの大人が悪い。それは分かりきっているはずなのに、一つ、一つと自分の罪状が積み上げられていくごとに天秤が傾いていく。

 マズいと思っても、洗脳だと気付いても、ずいぶん昔に限界を迎えていたナナカの心は楽な方に逃げようと終わりを求める。

 そうしてついに、認めてしまう。

 自分の行動は無意味だったと。

 

 ナナカの脳裏に、いつかアズサと話した聖典のとある一説が思い浮かんだ。

 

 

Vanitas vanitatum, et omnia vanitas

 すべては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。

 

 

 あの子は正しく聖典を読み解いて、それでも抗うことを選択すると瞳を輝かせていた。

 けれど、私はもうダメだ。私の行いは何もかも、虚しく何も残さない。

 

「なるほど、あの聖典の一節ですか。いいですね。言葉尻だけを捉えた中身のない言葉。従うしか能のない空っぽの彼女らには相応しい。それを我々の合言葉にしましょう」

 

 その言葉に顔を上げる。

 やめろ。私と彼女の時間を、あの美しい思い出を壊さないでくれ。

 そう思ったナナカの縋るような表情を見てベアトリーチェが見せたのは、今日一番の笑み。

 

「ああ、あなたがまた余計なことを口走ったせいで、曲がり(まが)った教えが皆に広まってしまうことになりました。これからもあなたの失言(アイデア)、期待していますよ」

 

 もう既に、ナナカの拘束は解かれている。

 座り込んで動かない彼女にはもう抗う気力は残っていないという判断の結果だった。

 放心したように落涙する彼女を慰める者はその場に存在せず、床に手をついて俯く彼女はさながら女王に許しを請うように首を垂れる罪人のよう。

 ごめんなさい、ごめんなさいと謝罪の言葉を垂れ流すその姿を見て、ベアトリーチェはナナカの心が折れたことを確信する。

 ベアトリーチェはナナカの信念と理想を叩き折った。だが、彼女から言わせればまだ足りない。人のことを気にしている余裕などないぐらい、もっと彼女は追い詰められるべきなのだとベアトリーチェは語る。

 彼女がナナカを弄ぶ理由が彼女自身の目的とは全く関係なく、計画の合間のただの遊びでしかないという事実を知った彼女の顔を想像して、ベアトリーチェは邪悪な笑みを浮かべるのだった。

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