(何だあいつッ何だあいつッ何だあいつッ)
現在時刻は十五時頃。公園からの帰り道、玲はベビーカーに揺られながら憤慨していた。
道路を走る下校後らしき小学生達の楽しそうな声を聴きながら、しかし玲の心の中は荒れていた。
公園デビューは失敗だった、途中まではよかったのだ。
子供たちは優しかった。オタチのチョー太くんも愛想を振りまいて、みんなが自分を喜ばせようとしてくれた。
その優しい気持ちを感じ取り、うまくやっていけそうだと安心していたのだ。
問題は一人の母親の言葉から始まった。
「玲くんっていくつなの?」
うちの母は答えた、一歳六か月だと。胸に抱いた子を優しくなでながら、元気に育っていると。
いい子に育っていると、嬉しげに誇らしげに笑顔を浮かべていた。
「んー、ちょっと遅れてるんじゃない?大丈夫?」
「人それぞれだもの平気平気。うちの子も一歳二か月まで――」
母の笑顔は変わっていない、だが玲を抱く腕に力がこもった。その心の中を思うと泣きそうになる。
玲は思う、母は悪くない。悪いのは自分だと。当たり前だが玲は話すことができるのだ。上手く口を動かすことは出来ない。なので滑らかに会話をすることは出来ないが、意味のある言葉を出すことは出来るのだ。
だが怖かったのだ。分からなかった、子供が話し出す時期が。自分は一年眠っていた、いつ話すのが正解なのか分からない。想像する、自分を見る家族の目が変わるのを。異物を見る、得体の知れない物を見るそんな目を。
分かっている、優しい家族がそんな目を向けはしないだろう事は。
父や母が自分に向ける思いを考えればそんなことは起こらないと。それでも嫌な想像を振り切ることが出来ず、先送りにし続けてしまっていたのだ。
「レーくん見て、ちょうちょさんよ」
「おぉー、おっおぉ」
母の笑顔を見て思う。気にしていないはずがない、悲しんでいるのだろう。それでも息子に暗い顔を見せまいと笑いかけているのだと。
そんな顔見ていたくなかった、心からの笑顔を見せてほしい。怖い思いは離れない、それでも玲は決意し母を呼んだ。
「あぁーあうぁー」
「どうしたのレーくん、だっこがいいの?」
胸に抱かれ母を見上げた。自分の行動でこの表情が変わる。嬉しそうにするのか怖がるのか。
恐怖心はあるが決めたのだと、決意を胸に口を動かす。届いてほしいと心を込める、自分は母が大好きなのだと。
「まぁ、まんまぁ」
「―――れ、レーくん?」
最初は何が起きているのか分からないといった顔だった。
しかし次第に母の目に涙があふれだす。息子を抱く腕に強く、けれど優しく力がこもりだす。
玲の目にも涙があふれる。感情を制御できないし、するつもりもない。今は泣いてもいいのだ。
「すごいわ、レーくんすごいわ」
「まんまぁぁ、まんまぁぁ―――」
太陽の光がふりそそぐ秋空の下、優しい泣き声がひびいていた。
(ふふっ、慣れたものよ)
玲は母と一緒に風呂に入っていた。マットに座り体を洗われ、しかし心は穏やかだった。
最初は恥ずかしかった。壊れ物を扱うように、優しく丁寧にすべてを洗われ何度心が死にそうになったか分からない。
母の裸を見る度に動悸が激しくなった。女性と付き合いのなかったのであろう、そんな自分の前世に涙する。
しかし、それも半年もすればさすがに慣れる。温もりを味わうし、上から下までガン見もする。
許してほしい男の子なのだから。
(ぷるんぷるんやでぇ)
「おっぱいほしいの?ごめんね、お風呂でたらね」
「あぁい」
目の前で揺れる二つのメロン。見つめすぎていたようで、お腹がすいたと勘違いされる。都合がいいのでそのままに、変な目では見てませんよママ。
公園から帰ってきてから玲は気兼ねせず話すようにした。さすがに会話なんて出来ないが、それでも1音程度の意味のある言葉を出すことに躊躇しなくなった。
父は喜んだ。喜びすぎて眼鏡を落として、慌てている姿が可笑しかったが嬉しかった。
母はスキンシップが激しくなった。頬と頬を合わせたり、前以上に抱きしめてくれたり、恥ずかしいが嬉しかった。
風呂の中でも母のスキンシップは多い。しかし玲はすべてを受け入れた、これも母の愛情だと、自分も母が大好きなのだと。
体の柔らかさを楽しんでいるわけではないのだ。ないったらないのだ。
そういえばと玲は考える、言葉の問題はいいとしてハイハイはどうするかと。
寝ていた時間を抜いて考えるとおよそ六か月。実年齢的には遅いのだろうが、適当な時期が分からない。
ハイハイより先に話すなんて順番がおかしいかなとは思うが、難しく考えるのをやめる。
少し変な子だと思われたとしても、家族の自分に向ける愛情は変わらないだろう、そう思うことにした。
湯船につかり、頬に当たるふくらみを感じる。大きな山の偉大さを。
―――さすがに日を改めるが。同じ日にイベントが重なりすぎると母の愛がどうなるか分からない。
自分の理性もどうなるか分からない。男の子だから。
「ぱぁぱぁ」
「よしよし玲くん、いいこだね」
風呂上がりのリビングで、玲は父の胸に抱かれていた。父の顔は緩んでいて、息子の可愛さにメロメロだ。そんな父のいつもと違う表情に、玲は己の行動の結果を噛みしめる。
そこで父は何かを取り出す、片手で持てるくらいの大きさの板。目の前に掲げたので、玲は気付いて笑顔を向けた。
―――ティロン。
決め顔の父が映っている、さっきまでの表情が見る影もない。パパ…。
もちろん玲も映っていて、自分の可愛さに自画自賛だ。
「あきらさん、わたしにも送ってくださいね」
「もちろん。―――はい、送ったよ」
父は画像を送った後にも、何やら操作を続けている。どうやら動画で教育番組を見せてくれるらしい。
だが玲は困ってしまう、そんなのを見るより家族の時間を大切にしたいのだ。馬鹿にするつもりはない、小さいお子さんには必要なのだろう。
しかし玲の中身は成人男性だ、ためになるとは思えない。どうやって断るかなと考えていると、それが再生された。
『よい子のみんな、げんきー?ポケモンのおともだちと、おべんきょうしよー』
『ピカー』
(ほあああああああぁぁぁっ)
ピカチュウがいた、目の前に映っていた。こちらでも大人気な、皆のお友達が。可愛らしく笑顔で、お姉さんと一緒にご挨拶していた。
現実に存在していて、元気にしっぽを振っている。玲は心の中で奇声をあげていた。
『ドンドンたったん、ドンドンたったん、ドンドンたったん』
『ピカピカッ、ピッカー』
「どんどん、ぴかぁーっ」
ピカチュウが楽しそうに踊っている。お姉さんと一緒に歌っている。玲も腕を振り上げて、一緒に元気に声を上げる。幸せだ、最高の時間だ。動画の中とはいえ、ピカチュウと一緒に踊れるなんて。
しかしそんな幸せな時間にも、終わりの時はやってくる。
『ピカッチちゃんも、おともだちにバイバイしよう』
『ピカ、ピッカー』
「ぴっかー…」
とうとう終わってしまった、玲は悲しかった。父を見上げる、次の動画を見せてほしい。
潤んだ瞳の玲を見て、父の右手が動き出す。どうやら見せてくれるようだ、ありがとうパパッ。
「あきらさん、ダメですよ。レーくんを寝かせないと」
「くっ、そうだね。玲くん、次は明日にしようか」
「ぱぁぱー…」
しかし母に止められてしまう、夜更かしはさせられないと。玲は悲しんだ、ピカチュウのピカッチちゃんともっと遊びたかった。パパに甘えても駄目だった、教育では妻に勝てないか。玲の悲しい顔を見て、父の顔も悲しんでいた。
子供とポケモンは再登場させたいなぁ