午後の授業もホームルームも、全て終わって放課後の教室。今はここで瀬川さんの迎えが来るのを、みんなとお喋りして待っているところだ。
クラスメイト達のその殆どは既に帰路についていて、ここには数えるほどしか残っていない。居るのは自分以外ではいつもの友人達くらいで、それも紗更と高貴に相田、あとはそれぞれのポケモン達だけだ。
他の二人は仲良く帰っていて、今頃はバスに揺られながら楽しくおしゃべりしている事だろう。
せっかく仲が進展したのだ。須田の性格的に今日はこれ以上進むことはないだろうが、彼にはこの調子で頑張って欲しい。少しお節介かもしれないが大事な友人達の恋路なのだ、大目に見てもらいたい。
「大きくなったね、セイくん」
「ルカリオちゃんより大きいねー」
「キャオン」
そんな人の少ない教室で今話している内容は、無事進化できたセイくんについて。
目の前に立つ彼は、種族的に小学五年生の自分より小さいのは変わらないが、それでも原作の図鑑データよりは大きいようだ。
うちのルカリオよりも全体的に大きいし、筋肉も盛り上がっている。顔つきもどこか精悍で、鳴き声は進化前からあまり変わらず可愛らしいものだが、とても強そうな見た目だ。
体育館で見てはいたが、ルカリオが自分の隣に立っていて見比べることが出来ると、その違いが分かりやすい。
もちろんルカリオも強いと分かる見た目をしているのだが、この子はどちらかというと綺麗なのだ。
「カオ」
おっと、どうやらセイくんを見つめ過ぎていたようで、うちのルカリオが鳴き声を上げている。表情に出さないようにしているが自分には分かる。主人を取られないか心配しているのだろう。
「大丈夫だよ、ルカリオ。心配しなくていいからねー」
「カ、カオン…」
不安に思っているだろうルカリオを、後ろから抱きしめて頭を撫でてあげる。
心配しなくていいのだ。確かにセイくんは可愛いが、うちのルカリオより彼の方がいいなんて言うはずが無い。僕はこの子にメロメロなのだ。
「おい相田、セイが羨ましがっているぞ!ギュってしてやれって!」
「せっかく進化できたんだもんねー。いっぱいナデナデして欲しいよねー」
「キャオン…」
「さ、さっきしただろッ」
「何回だってしてもいいだろ。恥ずかしがんなって」
「愛情を込めてあげてね」
同族のルカリオが主人に可愛がってもらっているのを見て、セイくんが羨ましそうにしている。
恥ずかしいのかもしれないが、せっかく進化してくれた相棒なのだ。愛情を込めて抱きしめてあげて欲しい。
「い、家でだッ。それまで待っていろ、セイッ」
「キャオーン!」
「そっか、そうだよね。全力で可愛がるならここでは不都合だよね」
「え…いや、普通に」
「よかったねセイくん。家でいっぱいギュッってしてくれるって」
「キャオ!」
なるほど、ここでは出来ないような可愛がり方をするのか。さすがの相田でも相棒が進化したのだ、何もしないなんて事があるはずが無いか。
「記念日だもんな!今までにないような凄いのがくるぞ、セイ!」
「いっぱい可愛がってもらってねー、セイくん」
「待てってッ、俺はただ頭を撫で―――」
相田が何か言っているが、教室のドアが開く音に気を取られて聞き逃がしてしまう。
見ればそこには学級委員長の笠沼が立っていて、何やら疲れた顔をしている。
「あれ?沼ちゃん、帰ってなかったんだー?」
「うん…。学級委員の仕事でね…」
どうやら彼女は学級委員の仕事をしていたようだ。こんな時間までお疲れ様です。
「んあ?相方の方はとっくに帰ってるけど?」
「おい…、今あいつの事は言うなよ…」
「え?」
「あははぁ…、なんか用事があるんだって。わたしにだって用はあったんだけどね…」
副委員長は既に帰っている。仕事で疲れている様子の今の笠沼に、彼を思い出させてしまうのは不味いのだが、どうやら高貴は気付かなかったようだ。
「元はと言えば、あの人が金曜に間に合わなかったから今日までかかったのにね」
「き、金曜までの物があったのか。それで帰るのはダメだよな。うん!」
「土日にやって来るって言ってたから安心してたのに、朝聞いたら出来てないって」
「それはダメだ!許せねー!」
月曜の朝から笠沼の機嫌が悪かったのはこれが原因か。
締め切りまでに仕事を終わらせられなかった相方が、更に土日にやってくるという約束までも破ったのだ。彼女のストレスが溜まってしまうのも仕方がない。
「なのに昼休みにやりもせず用事があって帰るって。何を考えてるんだろうね、あの人」
「インチョー頼りになるからなー!でも頼りすぎるのはダメだよな!」
「どこまでやったか分からないし、仕方がないからあの人の分まで、わたしが全部終わらせたよ」
「さすがインチョー!わかった、俺があいつに言っておくから!バカヤロー!って。な?な?」
「本当?…いいの?」
「おう!まかせろって!」
「ありがとう夏木くん、お願いね。わたしが何か言おうとしても、あの人すぐに逃げるから」
高貴の奮闘のおかげで、感情を落ち着けてくれたらしい笠沼。表情が心なしか穏やかになっている。
「よくやったな夏木…。お前、すごいよ…」
「手伝えよー!」
それは本当に申し訳ない。静かに怒れる笠沼に圧倒されて、話に入れなかったのだ。
少し遅いかもしれないが、せめてここからは自分が引き受けよう。どうか休んでいて欲しい。
「えっと、用事があったんだよね…、時間大丈夫?」
「今からだとー…、間に合わないかな…」
どうやら今からでは間に合わないようで、笠沼は時計を見て残念そうな顔をしている。どのような用事があったのだろうか。
「その、どんな用があったんだ?」
「カットの予約。人気のスタイリストさんで楽しみにしてたの…」
「えー!それは楽しみだったよねー…」
いつもクラスのために頑張ってくれている笠沼。そんな彼女がこれだけ落ち込んでる姿を見ていると、何とかしてあげたいと思えてくる。
幸い自分には、この状況を解決できる方法が思い浮かんでいる。瀬川さんに頼るだけなので自分の力を使う訳ではないのだが、何もしないよりはいいだろう。
「えっと、笠沼さん」
「なに、白雪くん?」
「笠沼さんってバス通学?」
「バスと電車だけど」
「車で帰れば時間を短縮できるよね?それなら予約に間に合わないかな?」
目的地がどこかは分からないが、バスの待ち時間や乗り換えを考えれば、車で帰る方が断然早いはず。渋滞が少し怖いが、どのみち今のままでは間に合わないようだし、それなら車に賭けてみてもいいと思う。
「悪くないかな?」
「悪くなんてないよ。その美容室ってどこにあるの?」
「あ、一回家に帰ってお母さんと一緒に行かないといけないから。―――の辺りなんだけど」
「そこなら帰り道からそんなに外れないし、全然大丈夫」
学校から我が家までのルートから、彼女の家はそんなに外れていないようだ。仮に外れていたとしても、ここまで言っておいて撤回するつもりはなかったが、帰り道を少し変えるだけなので都合がいい。
「みんなも乗ってかない?」
出来れば誰か一人だけでも一緒に来てくれないだろうか。
瀬川さんもいるが、笠沼と二人だけだと気まずいし、彼女としても抵抗があるだろう。知り合いがもう一人でもいれば安心できると思う。
「あー、オレは反対方向だからなー。オレを先にすると、インチョーが間に合わないだろ」
「俺も別方向だな」
「えっと、わたしは…、いいかなー?」
「うん、全然いいよ」
紗更が一緒なら僕も嬉しいし、同性の彼女がいるなら笠沼も乗りやすいはず。これでも車に乗るのに抵抗があるならそれは仕方がないが、彼女は何ていうだろうか。
「どう?僕は全然構わないけど、一緒に乗って行かない?」
「えっと、それじゃあ…、お願いね白雪くん」
「うん、任せて」
任せてなんて言っているが瀬川さんに頼るだけだし、間に合うかどうかはまだ分からないが、自信なさそうに言うよりは良いだろう。笠沼を不安にさせてしまう。
まだ瀬川さんに確認してはいないが、彼女が断ることはないだろう。
連絡を入れた方がいいのだろうが、まだ学校についていないだろうし、運転中なら今は止めておいた方がいい。申し訳ないが直接頼むことにしよう。
「あと十分で来るはずだから、外に出てようか。いつもその時間に迎えが来るんだ」
「うん、わかった」
時計を見ればもう少しでいつも帰る時間になる。友人達とのお喋りを考えて、いつもこの時間に来てもらう事になっているのだ。
帰る準備もあるので、駐車場に着くころには丁度いいくらいの時間になっているはず。
「ごめんねルカリオ。せっかく出してあげたけど今日はもう帰るから」
「ごめんね」
「カオン」
せっかく学校で出してあげたのに、あまり可愛がってあげられなかったルカリオ。そんな彼女に笠沼と一緒に謝る。
彼女は気にしていないとでも言うかのように首を振ってくれているが、申し訳ないので家でいっぱい抱きしめてあげよう。
「セイくんに負けないくらい、家でいっぱいギュってしてあげるからね」
「カオ!」
「おいッ、だから俺は普通に撫でるだけで―――」
聞こえません。
「じゃーな!レイレイ、サラサラ、インチョー!」
「また明日な」
「二人とも、また明日ね」
「またねー」
「また明日ね」
別れの時も元気な高貴と、片手を上げるだけの相田。対照的だがしっかりと挨拶してくれる二人と校舎前で別れて、駐車場の方へ向かう。
「帰りにこっちに来る事ってあまり無いからないから少し新鮮」
「バス通学だと、あまり来ないよねー」
車で送り迎えしてもらっていないと、帰りにこちらに来ることは殆どないだろう。あるとしたら運動会などで親御さんが学校に来ている時くらいだ。
「この時間だと車も少ないね。全然違って見える」
「僕はいつもこの時間だから、この光景が普通だけどね」
まだ十数台は残っているが、それでもとても広いのでがらんとして見えるそんな駐車場。
笠沼は沢山の車が並んでいる光景しか見たことが無かったのだろう、不思議そうな表情をしているが、朝早くとこの時間しか来ない自分からしたらこれが普通なのだ。逆に車でいっぱいの光景を見る事があまりない。
「どの車?」
「そこの車だよ。向こうは教職員の人のだと思う」
「すごい高そうな車だね」
校舎と駐車場出入り口、どちらからも遠い場所にある十数台は教職員のものだろう。いつ見てもあの辺に駐まっている。
それとは別の、自分が乗りやすいよう校舎近くに駐めてある高そうな車。そこに向かって三人で歩いて行く。
この学校には他にも金持ちの子はいるので、近くに高級車が駐まっている事もよくあるのだが、今日は既に帰っているのか我が家の車だけしかなく凄く目立っている。
「ごめんなさい、瀬川さん。一緒に送ってもらいたい子がいるんですけど」
「構いませんよ、玲様」
良かった。駄目だなんて事は絶対にないと分かってはいたが、もし断られていたら笠沼に悪い。言葉の毒もお見舞いされていただろうし、そんな事態は御免だ。
送ってもらう事になる二人も、その言葉に安心したのか瀬川さんに挨拶しながら車に乗り込む。そんな彼女達がシートベルトをしっかりと締めているかをルームミラーで確認していた瀬川さんは、笠沼を見て口を開く。
「新しいご友人が出来たんですね」
「えっと、はい。友達の笠沼さんです」
「笠沼です。よろしくお願いします」
「白雪家の運転手をしている瀬川です。こちらこそよろしくお願いします」
「運転手…」
瀬川さんの肩書を聞き、運転手を雇うほどの車だとでも考えたのか、笠沼の表情が緊張したものに変わる。
我が家の車の事ながら、その気持ちはよく分かる。もし傷でもつけてしまったらと考えると恐ろしい。修理する事になったらいくら掛かるのか分からないのだから。
しかし普通に乗っている分にはそのような心配はないだろう。何しろあの元気な高貴も何回も乗っているのだ。初めての高級車に興奮していた彼の時でも何も無かったのだから、性格的に大人しい笠沼が問題を起こすとは思えない。
それに仮に傷をつけてしまったとしても、故意でなければうちの両親は問題になんて絶対にしない。あまり緊張しないで欲しい。
「可愛らしいお嬢さんですね」
「えっと、そんなことは…」
「このようなお嬢様方を二人も連れて来るなんて、玲様はモテるのですね」
笠沼の緊張を解すためとはいえ、その話題は止めて欲しい。
彼女は自分に何人も女の子と付き合いがあるのを知っているので、あまり否定は出来ないのが辛い。
「ふふっ、そうなんですよ。白雪君、クラスでも人気なんです。ね?白雪くん」
「それを僕に聞く?」
モテているかどうかなんて、本人に聞かないで欲しい。
「大丈夫だよ、サラサラちゃん。わたし年下がタイプだから、安心してね」
「し、心配なんてしてないよー…」
キュッと制服を掴んで来る隣に座る紗更。緊張は解れたようで笠沼に笑顔が戻っているのでそれはいいのだが、代わりに紗更が恥ずかしそうに俯いてしまっている。
その姿は可愛らしいし、嫌な訳では決してないが、家族のような瀬川さんがいてこの空気というのは、こちらも大分恥ずかしい。
彼女達を送り終えるまでこのままというのは、出来れば勘弁してもらえないだろうか。