暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ   作:dwwyakata@2024

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大きな国の港というのは水深が深く、それが故に大型の船が停泊できるのです。

アダレットも、海に出られなくとも、その点は同じ。

大陸棚がすぐに終わり、深海へ続く奈落みたいな海が側にあるのです。


2、アビス

下り坂のようになっている海底を。

 

黙々とただひたすら降りていく。

 

言葉も無いくらい怖い。

 

当然地面はドロドロ。坂道だけれど、転げ落ちたらアウトだろう。それに、地面にも獣は潜んでいる。

 

手をドロッセルさんに引かれる。

 

いきなり、リディーが立っていた場所が、ばくんと巨大な口によって噛み合わされた。手を引かれていなければ、即死だった。

 

即座で全員の攻撃を浴びせ、仕留めるが。

 

空気が露骨に濁ったのが分かった。

 

ドロッセルさんとマティアスさんで、協力して、ずたずたになったそれを引っ張り出すのだが。

 

どうやらいつも食べているヒラメの仲間らしい。

 

海底では、こんな風に待ち伏せしていたのか。

 

というか、あれがどうやって生活しているのか分からなかったのだけれど。こんな風に過ごしていたのか。

 

槍のように、突貫してくる魚は殆ど姿を見せなくなったが。

 

その代わり、とんでもない巨大な魚が、悠々と泳いでいるのが見える。

 

それだけじゃあない。

 

こうやって奇襲してくる奴もいるし。

 

完全に真っ暗で、灯りによって照らされた先には。

 

想像を絶する巨大な巻き貝や二枚貝。

 

或いはカニや海老などが。

 

此方を見ると、威嚇の声を上げ。その後、距離をとるとそのまま去ってくれる場合もあったが。

 

戦いになる場合は、とにかく相手の巨大さもあって、やりづらいったらなかった。

 

今も、高さはリディーの背丈の二倍半、横幅は歩幅の十倍はある巨大なカニを仕留めたのだけれど。

 

動きは速いわ、当然のように魔術を使うわ、金属を弾き返すほどの甲羅を持つわで。とてもではないが手なんか抜ける相手では無く。

 

無言で解体して、荷車に乗せたが。

 

ルーシャが持ち込んでいる荷車もほぼ一杯一杯。

 

更に戦闘で呼吸が荒くなったから、だろうか。

 

露骨に、頭がくらくらする。

 

「リディー、撤退しよう」

 

スールが言う。

 

廻りを見ると、全員が同意している。そうか、ならばそれが最善手だろう。頷くと、一旦撤退。

 

エントランスに出る。

 

反省点を互いに述べ合うが。

 

まず最初に出たのは、やはり戦いづらい、という事だった。

 

更にである。

 

アンパサンドさんが、具体的な話をしてくれる。

 

「深海に入ると、しかけてくる生物も異常に巨大化するのです。 それと、もう気付いているかも知れないですけれども、寒くなっているのです」

 

「そういえば、坂を下りきった後、息が白くなっていたな」

 

「多分日光が届かないから、では?」

 

フィンブルさんに、ルーシャが答える。なるほど、確かに日光が届かない夜は、とても寒くなる。

 

それに、深海の水も冷たいし。

 

持ち帰ったカニやヒラメに触ってみると、おぞましい程冷たかった。

 

「今回は此処までにするべきだろう」

 

フィンブルさんが提案してくる。

 

苦虫を噛み潰して、スールが俯く。リディーは、ドロッセルさんの契約延長の件だろうなと思って、フォローを入れた。

 

「分かりました。 一度解散します。 次までにクリアする点として、まずは空気がすぐ濁るのを改善、海水を防ぐシールドを頑強に、任意に大型に出来るように。 更に温度の調節機能の追加。 ドロドロの地面の対策ですね」

 

「おいおい、大丈夫か? 何だかCランクの錬金術師にやらせる事じゃないように思えてならねーよ。 そもそもドラゴンとの戦闘だって」

 

「殿下」

 

「……分かってる。 姉貴の言い出した事だし絶対だ」

 

ぼやくマティアスさん。だが、やっぱりフィンブルさんの事は信頼しているのだろう。自分に言い聞かせるようにしてぼやく。

 

フィンブルさんは、正式に騎士になって貰って、マティアスさんが雇うのが良いのではあるまいか。

 

多分バカ王子の腰巾着とか言われるかも知れないが。

 

しかし、それでもマティアスさんには支えてくれる人が必要だ。

 

辛い役回りになるだろうが。

 

フィンブルさんがそれを嫌がるとは思えなかった。

 

解散。

 

一旦魚市場に行って、お魚を分ける。

 

巨大なカニとヒラメを見て、漁師達は驚いていたけれど。

 

ボロボロに傷ついているのを見て、簡単に捕った訳では無い事を悟ったのだろう。何も言わずに、そこそこの高値をリディーとスール、ルーシャに支払ってくれた。

 

解決すべき問題の内、濁る空気についてはエアドロップの量の改善。シールドについては、装置の機能拡張で何とかなる。

 

温度調節だが。

 

これについては、装備品で補うか、或いはシールド発生装置に手を入れるか。

 

いや、しかし多機能にしすぎると壊れやすくなるし。

 

難しいところだ。素直に周囲の温度を変える装置を作るか、装備品を人数分作るべきだろう。

 

カニやヒラメでも、強い魔力が籠もっている殻などは売らずに残しているので。

 

これを活用する手もある。

 

ただ、カニは甲羅を剥がしているとき、凄い数の寄生虫が出てきて、文字通り絶句したが。

 

ただ、スールももう虫でピーピー泣き言を言わないのだ。

 

リディーが泣き言を言う訳にもいかなかった。

 

ドロッセルさんは、コンテナに戦利品を格納してくれるまではつきあってくれたが。その時に言われる。

 

「分かってると思うけれど、契約は一旦解除。 次はどうする?」

 

「延長は……」

 

「契約書の変更はトラブルが多いんだ。 だから、もしもやるんなら、契約のし直しだね」

 

「分かりました、次回、一週間後に一回だけ護衛をお願いします」

 

まだ掛かるかも知れないが。

 

ともかく、一週間後、一回。

 

それで、話をつける。

 

料金は割り増しになるが、こればかりは仕方が無い。此処まで厳しいとは思わなかったのだ。

 

考えが甘かった自分への勉強料、という所だし。

 

危険なのだから撤退した。

 

その判断に間違いは無かったはずだ。

 

「それにしても、あの大型が襲ってくるんだろうな海だと……」

 

「湖に潜ったことがあるって聞きましたけれど」

 

「それはね、フィリスちゃんの作った船でね」

 

「フィリスさん、何でも作るんですね……」

 

自慢げなドロッセルさん。

 

フィリスさんと旅をしていたときより少し年を取ったけれど。

 

あの頃が一番楽しかったと、目を細めて笑っている。

 

今ではすっかり戦略級の傭兵として、騎士団からも声が掛かるほどの戦士に成長しているドロッセルさんだけれども。

 

フィリスさんと旅をしている頃は、まだ戦略級傭兵ではなかったらしい。

 

なお、湖で見かけた生物は、さっき深海で見た者に比べると、だいぶ小さかったそうである。

 

コンテナへの格納を終えると。

 

ドロッセルさんに夕食を振る舞って。

 

その後は、作業を黙々と始める。

 

出来るところからだ。

 

まずは硬化剤。

 

これについては、土木工事をしているときに、レシピを聞いている。二種類の薬剤を混ぜることによって、地面を瞬く間に固めることが出来る。上手くやれば、地下からの奇襲も防げるだろう。

 

これをそれなりの量作っておく。

 

これでドロドロの地面については解決。大量にいるので、スールに頼む。

 

リディーは装置類の改良を開始。

 

まずはシールド発生装置。

 

エアドロップ。

 

灯りも、シールドの範囲拡大にあわせて、増やした方が良いだろう。

 

それに加えて、必要なのが。

 

温度を一定に保つ事だ。

 

これに関しては、別にもうバステトさんと相談しなくても、自分で魔法陣を書ける。温度を感じ取り。寒くなっているようなら暖かくする。以前フーコと火竜の世界に行ったときに、温度調整のアクセサリを作ったが。あれをそのまままた引っ張り出してきても良いだろう。

 

問題は、どれくらい気温が下がるか分からない事で。

 

荷車に積んでおくとしても。

 

荷車が吹っ飛ばされたりしたときに紛失しても困る。

 

少し悩んだ末。

 

前に使ったネックレスを引っ張り出してきて。

 

それにちょっと改良を加える。

 

宝石に魔法陣を刻んで。

 

更に荷車に、縛り付けるようにして固定。

 

これで多分、温度調整については、気にしなくても良い筈だ。今後の事を考えて、この温度調整宝石は、荷車に標準装備としてつけておいても良いだろう。

 

改良を進めていく内に。

 

一週間は容赦なく過ぎた。

 

イレギュラーな事態は嫌でも起きる。

 

一応、できる限りの準備はした。マティアスさんとフィンブルさんの分も、服の下地に仕込むモフコットとクロースは用意した。アンパサンドさんには既に渡しているので、これで充分だろう。

 

他のメンバーは、自前でそれくらいは補えるはず。

 

後は布の質を上げながら。

 

ヴェルベティスを作れるようになるまで、精進を続けるだけだ。

 

一週間が経つ前に、フィンブルさんにも声を掛け王城でも手続きをして。更には、服の下地に仕込むモフコットも渡しておく。

 

これで後は、各自で何とかしてくれるだろう。

 

さあ、これで決める。

 

元の海よりも条件はかなり温いはずなのだ。

 

これを超えられなければ。

 

先になんか進めない。

 

 

 

エントランスで集合し、海に入る。今回も来ているのはアルトさん。多分、単純に楽しいのだろう。にこにこしている。何というか興味津々の若者と言うよりも、好々爺という風情だが。

 

ルーシャが何だかげんなりしている様子なのは。

 

多分その辺りが、違和感を強く感じるから、なのだろう。

 

多分ルーシャも、アルトさんが深淵の者の幹部である事くらいは勘付いているはずで。下手な事はしないとは思うけれども。

 

しかしながら、最近どんどんアルトさんは本性を出してきているようにも見えるので。今後何が起きるかは分からない。

 

海の中に入ったら、対水シールドの拡大。空気の量を調整。更に、温度も状況に合わせて調整。

 

硬化剤を使って、地面を歩き易くすること。

 

これらを説明すると。

 

皆、ある程度納得してくれた。

 

「シールドが大きくなれば、奇襲に対応するのも楽になる。 問題は深く潜ると、シールドへの圧力が尋常では無い事だが……」

 

「それについては、シールド発生装置を強化することで対応はしてきました」

 

「無理そうだったらすぐに引き上げるのです」

 

「分かっています……」

 

ただでさえ、今回はかなり赤字が出始めている。

 

来月に入ればまた給金が振り込まれるけれど。

 

それは逆に言えば、また義務をこなさなければならない事も意味しているし。

 

何よりも義務の中には戦略事業への協力も含まれる。

 

もたついていると、多分永遠に此処で足踏みしたまま、先へ進めなくなるだろう。それだけは、避けなければならない。

 

海に入る。皆で同時に入らないと危ないのが問題だ。

 

シールドを入ると同時に展開、拡大。エアドロップも補充してきてあるし、今の時点では問題は起きていない。

 

頷くと、全員揃った事を確認。

 

そういえば今回、ルーシャは全自動式荷車を四連にして来ている。

 

流石お金持ち……と言いたいところだが。

 

多分、リディーとスールの荷車では足りないと判断。

 

戦略的に海底を探索する準備をしている間に、準備をしてくれていたのだろう。

 

てきぱきと、ルーシャとオイフェさんが、四連目の荷車を、リディーとスールの二連の後ろにつけ直してくれる。

 

これで移動にムラが出ないはずだ。

 

全自動荷車のレシピは同じ筈なので。

 

動かすのも、何ら問題は無いだろう。

 

「前回の移動経路に沿って、行ける所までいってみます」

 

リディーが声を掛ける。

 

アンパサンドさんが周囲を見回し、頷くと少し離れて前に立つ。これなら、ある程度は戦えると判断したのだろう。それにドラゴンのブレスを余波は受けたとはいえほぼ完璧に回避した彼女だ。ちょっとやそっとの獣の奇襲くらい、どうにでもなる。

 

深海へと、移動開始。

 

硬化剤の準備もしておく。

 

これは坂になっている場所で使う。

 

前にも実際に硬化剤で固めた場所は触った事があるのだが。つるつるではなくざらざらになるので。

 

荷車を移動させるには、充分な状態だと言える。

 

移動しながら、ちょっかいをかけてくる獣を片付け。

 

処理が終わったら、また進む。

 

坂につく。

 

本当に、奈落の入り口、という感触だ。

 

ひえーと声を上げながら、マティアスさんが覗き込んでいるが。文字通りのアビスへは、此処から挑むのだし。

 

今後、此処の比では無い魔境に行く可能性も高い。

 

この程度で、尻込みなんてしていられない。

 

そもそも、アルトさん見たいな超格上が側にいてくれるだけでも、かなり探索条件が温いとも言えるので。

 

あまり贅沢も言えない。

 

硬化剤を流す。

 

まず最初のを流した後。

 

二種類目を流す。

 

瞬間的に硬化する。

 

先に降りたアンパサンドさんが、確認をしてくれて。

 

その後、出来るだけ急いで、移動を行う。

 

以前移動した経路を辿って、どんどん移動していく。巨大な魚に目をつけられて、攻撃を受ける前に。

 

可能な限り深淵を進みたいのだ。

 

この間の到達点は、比較的簡単に到着できた。更に深くに潜れるように、周囲を探していくが。

 

完全に崖同然の場所ばかりで。

 

緩やかに降っていく地形が殆ど見当たらない。

 

散開する訳にもいかず、ゆっくり、じっくり、丁寧に周囲を這うようにして調べていかなければならない。

 

崖崩れの危険もあるし。

 

最悪の場合は、即時撤退。

 

撤退し損ねたら死ぬ。

 

それも皆に周知し。

 

それぞれ認知して貰っている。

 

比較的緩やかな坂を発見。硬化剤を流し込む。しばらく硬化剤を流し込んでいるが。先を見てきたアンパサンドさんが、急いで戻ってくる。

 

巨大な海老が、もの凄い勢いで突貫してきた。

 

ルーシャがシールドを張って突撃を防ごうとするが、一気に押し込まれる。でかすぎるのだ。

 

アルトさんが多数の剣を本から召還。

 

海老の周囲に突き刺し、一瞬だけ動きを止めると。

 

リディーがマティアスさんに筋力強化の魔術を掛け。

 

ドロッセルさんとマティアスさん、更にフィンブルさんで、一斉に関節の継ぎ目を狙って、一撃を降り下ろす。

 

更に、顔面に、掌底をオイフェさんがたたき込み。

 

跳躍したスールが、海老のヒゲをへし折ると、海老はハサミをしばらく振り回していたが。

 

やがて動かなくなった。

 

図体だけの相手で良かった。このサイズで魔術を使う獣も多いのだから、冗談ではない。またハサミは恐ろしく鋭く。アンパサンドさんが顔面至近で気を引いてくれていたから良かったが。

 

ルーシャのシールドを潰されていたら、どうなったか知れたものではない。

 

荷車に死骸を積み終えると、更に坂を下る。坂を硬化剤で固めるだけでも、かなり時間が掛かった。何度かに分けてやらなければならなかったのだ。それだけ深い深い坂だったのである。

 

途中で何度か無理矢理坂の途中で足を止め。

 

硬化剤の散布作業をせざるを得ず。

 

その途中での作業は、非常に緊張した。

 

いつどこから襲われてもおかしくないのである。やはり、生身で深海に来るのは、無理がありすぎるのかも知れない。

 

のそのそと歩いて来る姿。

 

ユーモラスな顔立ちをしているが。崖のような場所を、横に立ったまま、重力を無視するように近付いてくる。

 

近づいて見ると、それが大量の触手で構成されていて、人とは似ても似つかないが。此方に敵意はないことだけは分かった。

 

ハルバードに海老の肉をつけて、フィンブルさんが差し出すと。

 

触手の塊生物は、肉を美味しそうに食べて、満足したのか引き揚げて行く。

 

戦わずに済むのならそれで良い。

 

見ると、触手生物がたくさん近づいて来ている。

 

多分海底では、弱い方の生き物なのだろう。

 

それでも、リディーよりもずっと大きいし。多分何かしらの自衛手段も持っているのだろうけれど。

 

此処は不思議な絵の中。

 

外と違って、獣は必ずしも人間の敵ではない。

 

少なくとも海中の獣は。

 

「食べたら引いてくれよ」

 

そういいながら、フィンブルさんは、マティアスさんと協力して、海老肉を分けていく。

 

工事を終えて、更に坂を下る途中も、エサをねだって触手の塊達は集まって来ていたが。海老肉が尽きたのを察すると、さっと消えていった。

 

現金な生物たちである。

 

でも、それで良いのかも知れない。それで生き残れるのなら、何でも良いのだろう。

 

合計七度、坂の舗装工事を行い。

 

荷車が滑り落ちないか冷や冷やしながら作業をし。

 

そして、ついに深淵の底に辿りつく。

 

使い魔を飛ばして確認。

 

かなり、深く潜ってきていることが分かった。使い魔が、中々水面に出ない。やがて、水面には出たが。

 

キャプテンバッケンの島が、もう見えないほど遠くになっているようで。全周囲に確認できなかった。

 

「推定深度……私の背丈の2000倍」

 

「それならば、外海と遜色ないのです」

 

「はい」

 

アンパサンドさんの言葉に頷く。

 

周囲はやっと平面になっていて、探索するなら此処しかないだろう。やっと、徹底的な調査が出来る。

 

地面の泥も採取。

 

小さな生物も、ある程度採取していく。

 

シールドがギシギシ言っているのを見て、アンパサンドさんが急ぐように声を掛けて来る。

 

これは、改良案件だ。

 

まだ予想よりも、シールドが脆かった、と言う事だろう。

 

それに空気が肌寒い。

 

一応、温度は安定させている筈なのに。

 

これも予想を遙かに超えて、アビスとも言える此処が寒かった、と言う事に他ならない。

 

探査を急ぐ。

 

上の方を、とてつもなく巨大な何かが、ゆっくり泳ぎすぎていく。此方には興味も無い様子で、それだけは助かる。魚のようにも蛇のようにも見えるが。ドラゴンではなさそうだ。あの圧倒的な殺意というか戦意というか、そういうものが感じ取れない。

 

海底の地面は柔らかく。

 

また、採取した水も、かなり成分が普通の海水と違うようだった。澄んでいる。

 

それぞれ少しずつ回収して、荷車に積んでいく。

 

「ちょっと、あれ」

 

ドロッセルさんに言われて、気付く。

 

雪のようなものが降ってきている。

 

海底でも、雪が降るのか。

 

シールドの外側では、雪を求めて、小さな海老とか蟹とか、それに近い姿をした生き物が、それぞれ動き回っている。

 

つまりアレは雪と言うよりも、何か違うもの、ということだ。

 

シールドを移動させて、海底の雪をちょっと回収。多分見た感触だと、小さな生き物の死骸だろう。

 

海底の雪は。

 

地上の雪と違っている。

 

それは死体で出来ている。

 

少しばかり、面白い結論だった。

 

獣も、この過酷な環境ではあまり戦いたがらないのか。

 

それともそも、この絵を描いた人が、それほど深海を緻密に想像できなかったのか。それは分からない。

 

だけれども。

 

はっきりしているのは、調査している間、獣は襲ってこなかったし。

 

調査そのものは、無事に完了した、と言う事だった。

 

 

 

一旦絵から出て入り直し。

 

キャプテンバッケンの島に赴き。キャプテンに挨拶する。これで調査は終わりだ。時々素材を取りに来るかも知れないが。

 

この人には、色々お世話になった。

 

礼を言うと。

 

キャプテンバッケンは、カカカと笑った。

 

「また暇なときにでも来てくれや。 俺の宝は世界中から集めたものだからな。 また子分が増えたら、分けてやるぜ」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

「また来ますね!」

 

「ああ。 だが、命がけとか、無茶をしてまで此処に来るんじゃねえぞ。 此処はあくまで楽しむために来る場所だ。 それは、理解しておいてくれ」

 

多分キャプテンは、荷車に積んでいる大がかりな装置などから、察したのかも知れない。深海の危険な調査をして来たばかりだと。

 

苦笑いすると。

 

もう一度キャプテンに頭を下げて、絵を出た。

 

エントランスで、話をする。

 

「分かっていると思うのですが、レポートを出すのです」

 

「はい。 すぐに準備します」

 

「いやはや、中々刺激的な体験だったよ。 これは是非書物に書き残さないといけないね」

 

アルトさんが、そんな脳天気な事を言っている。

 

肩をすくめると、ドロッセルさんは、契約終了でいいねと確認して。それで、戻っていった。

 

後は、荷車をルーシャに返して。

 

巨大な海老を一とする戦利品の本格的な解体と分別。

 

やっぱり寄生虫はたくさん出てくるだろうと思ったので。内臓とかの取り出しは、キャプテンの島で済ませてある。

 

殻などは、それ自体が強い魔力を帯びていたし。

 

ハサミはとても鋭く、なおかつ頑強。

 

加工すれば、そのまま武器にできるかも知れない。

 

だが、多分だけれども。

 

実際の深海は、環境が更に厳しい。

 

そう考えると、色々と陰鬱な気分にもなる。

 

不思議な絵画の世界ですら、あれだけ厳しかったのだ。獣の攻撃はゆるめだったけれど。それ以外は、いつ死んでもおかしくない程だった。

 

エントランスで解散すると、後はアトリエに。

 

荷車を三連にしようかとリディーは思ったが。

 

スールは、見越したように言う。

 

「まだ二連で良いんじゃないのかな、荷車」

 

「うーん、でもそろそろ、出てくる獣を積み込めなくなりつつあるよ」

 

「それはそうだけれど……」

 

「ドロッセルさんに聞いたんだけれど、フィリスさんはアトリエを自由に移動させることが出来たんだって」

 

えっと、スールが驚く。

 

リディーもそれには驚かされた。

 

何でもソフィーさんから貰った折りたたみ式のアトリエを使っていたから、らしい。

 

そういえば、あのテントみたいなあれがそうか。

 

山を丸ごと飲み込むという話をしていたが。

 

あのアトリエを移動させながら、山を前見たようにつるはし一丁で粉々に砕き。鉱石をガンガンコンテナに流し込んでいたのだろうか。

 

だとすると凄い話だ。

 

残念ながら、リディーとスールに同じ事は出来ないけれど。

 

コンテナへの入り口を、いつでも作れるようになれば。或いは。

 

だが、空間系統の錬金術は、最上位に位置すると聞いている。

 

それこそ、フィリスさんやイル師匠がやっと着手できる領域だとも。

 

だとすると、今の双子では到底無理。

 

しばらくは諦めるしかない。

 

コンテナへの収納を終えると、レポートに着手するが。やっぱり少しずつ書き始めて分かるが、今回は兎に角大変だ。

 

ドラゴン戦の経緯。

 

海底の環境。

 

海底を探索するのに必要なもの。

 

全てをまとめていかなければならない。

 

考えた末に、ドラゴン戦と探索は、別レポートにして出す事を決定。不思議な絵の具についても、しばし考えた後、最高機密扱いでレポートに記載することとした。

 

不思議な絵の具のレシピはそれほど極端に難しくはないのだけれども。

 

残念ながら自分の身をもって知っている。

 

あくまで力の差を多少埋める程度の効果しか無く。

 

相手に絶対勝てる必殺の道具などでは無いと言う事を。事実、ドラゴン戦では、相手が海竜としては小さい方……つまり弱いとフィリスさんが断言していたにもかかわらず、アンパサンドさんを死なせかけた。

 

もっと強ければ。あんな事には。

 

そう思うと、今でも悔しくて、涙が流れそうになる。

 

だけれど、強くなろうとすればするほど、あのアビスのような深淵に、どんどん首を突っ込まなければならなくなる。

 

レポートを手分けして黙々と仕上げる。

 

黒板にまずチョークで書いて。

 

それからゼッテルに書き写すのはいつもの作業。

 

ゼッテルにインクで書くと取り返しがつかないからである。

 

気分転換にと、スールが蒸留水を作り始めるので、好きにさせる。アレは定期的にやらなければならないし。時間も手間も掛かるから、誰かが開いている時にやらなければならないのだ。

 

ドラゴンの血を回収出来なかったのは致命的だったなあと思う。

 

フィリスさんもソフィーさんも、イル師匠も。

 

重要な調合で使う中和剤には、ドラゴンの血を用いているらしいから、である。

 

レポートを真夜中まで書き。翌日の昼前までに何とか第一稿を仕上げ。スールと互いにチェックし合い、修正点をそれぞれに書く。そして推敲を重ね。夜までには、何とか書き上げた。

 

リディーがレポートを出しに行くと。

 

途中で、隣のおばさんに呼び止められる。

 

一時期は、ずっとあのろくでなしがと、お父さんの悪口を言っていたおばさんだ。昔はそれに同意していたが。

 

今はむしろ腹が立つ。

 

お父さんの哀しみを知っているからである。

 

「ちょっと風邪薬が欲しくてね。 作ってくれないかい。 最近、評判が凄く上がっているんだろう?」

 

「分かりました。 後で作って持って来ますね」

 

「今すぐは作れないのかい?」

 

「ちょっと王宮にレポートを出しに行かないといけなくて」

 

レポートを見せる。

 

蜜蝋で止めているスクロールを見ると、不愉快そうな顔をしたおばさんも、それ以上は止めなかった。

 

風邪薬とは言われたが。

 

実際に症状を見ないと何とも言えない。

 

状況次第では、もっと高度なお薬が必要になる可能性もある。

 

そう考えると、とてもではないけれど、安易に依頼は受けられなかった。

 

レポートを提出して。

 

そして、結果は後で報告させると、不慣れな様子のヒト族の役人に言われる。今まで見たことが無い役人だが。或いは人員を増強している結果なのかも知れない。

 

後は淡々と帰る。

 

昔は、夜に歩いていると、嫌な視線を感じることもあったけれど。

 

今はもうそれもない。

 

リディーとスールがドラゴンを倒したという噂は、雷神を倒したという噂と一緒に広がっていて。

 

流石にしかけるのは命知らずすぎるだろうと思っているのだろう。

 

ドラゴンを倒せる騎士なんて、いない。

 

錬金術師、それも相当な凄腕と連携して、やっとドラゴンとは戦える。

 

この街の人達は、錬金術師が少ない世界で生きてきたから。

 

ドラゴンの脅威度についての認知は高い。

 

騎士団だけではどうにもならない。

 

それを知っている。

 

だからこそ、雷神に続いてドラゴンを倒したという話が広まっている今。もう、リディーやスールに無意味にしかけてくる輩はいないだろう。

 

夜道を歩いて、アトリエに辿りつくと。

 

お薬を調合しているスールを横目に、必要そうな道具類を持って隣の家に。熱を出している子供を診察。変な病気では無さそうなので、必要と思われるお薬を何種類か出しておく。

 

それだけ。

 

お金も勿論請求するが、同時に言っておく。

 

「お医者さんには診せましたか?」

 

「そりゃあもちろんだけれど、貰った薬が効かなくてね」

 

「……」

 

とりあえず、他の薬とバッティングするような薬は渡していない。明日、もう一度様子を見に行く必要があるだろう。

 

後は、アトリエに戻る。

 

丁度スールが、調合を切り上げたところだった。うがいをして、手洗いも済ませて。後は寝るだけ。

 

軽く寝る前に、スールと話す。

 

「キャプテン、自分がどういう存在か、分かっているみたいだったね」

 

「……自分が道化だって分かっていても、その生き方を貫けるのは、凄い事だとスーちゃん思うな」

 

「うん……そうだよね」

 

「キャプテンには色々お世話になったね。 未来に好きな人が出来て、子供が出来たら、連れていきたいな」

 

そんな日、来るだろうか。

 

そもそもリディーもスールも、どんどん力をつけている。そして力をつけた先にあるのは、人間離れしていく錬金術師の真実だ。

 

良い例がソフィーさんやフィリスさん。イル師匠も、多分あまり好んではいないだろうけれど、人間の枠組みからは外れてしまっているはず。

 

そうなったら、子供なんて作れるとはとても思えない。

 

年も取ることが出来ず。

 

錬金術師として、深淵に挑み続けるのだろう。それは、幸せなことだと言えるのだろうか。

 

もうスールは疲れが溜まったのか、寝てしまっていた。

 

リディーも目を閉じる。

 

不安がどんどん大きくなっているのを感じる。

 

アビスは文字通り暗闇の世界だった。

 

そして錬金術を極めた先にも、同じような深淵の闇が拡がっているのは確実だ。

 

戻ったら。

 

生きて帰れる自信は、あまりない。

 

いつまで人間でいられるのだろう。

 

それも、もうよく分からなかった。

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