暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ   作:dwwyakata@2024

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ついに

一つの時代が終わります。

そして新しい時代が始まります。


3、即位

鐘が鳴らされる。

 

重要な出来事を知らせるためのものだ。王都中に鐘が鳴り響き。多くの民が、道に出てくる。

 

数名の騎士に護衛された、重要事を知らせるための専門の役人が、声を張り上げながら歩く。

 

「ミレイユ王女の即位の儀が三日後に正式に決まった! ミレイユ王女が先代の作り上げた弊風を吹き払い、王都ばかりかアダレット全域に光と祝福を拡げてくださっているのは周知の事実である。 今、此処に王女は名実共にアダレットの最高位に登られる。 祝福せよ」

 

わっと声が上がっている。

 

リディーとスールもアトリエから出て、歓喜する民草を見ていた。

 

しらけてはいたが。

 

ミレイユ王女が即位するのはめでたい。

 

だが、もう「みんな」に対する不信感はどうしようもない所まで来ている。

 

此奴らはちょっと揺らせばすぐに悪意に染まり。

 

そしてやがて世界を滅ぼす。

 

神そのものが、どれだけ苦心してもどうにもならなかった要因こそ「みんな」。

 

「みんなそうしているから」というくだらない理由で悪行を正当化し。自分の目から見て気持ち悪ければ何をしても良いと考え。自分の価値観と違っていればどんな仕打ちをしても良いと本気で考えている連中。

 

「みんな」なんて大嫌いだ。

 

アトリエに戻る。

 

翌日には、ハルモニウム釜が来る。

 

お父さんにはその話をしてあるので、今はアトリエの模様替えの最中だ。今、二つある釜を三つに変える。

 

そうすることで、釜を三つ同時に使い、更にアトリエの回転率を上げることが出来る。

 

お父さんは自分の才能はもう限界だと言っているけれど。

 

それでもAランクのアトリエ相当の待遇は受けている。

 

つまりそれだけの凄腕という事だ。

 

リディーとスールもAランク待遇なので。

 

丁度Aランクの錬金術師が、三人同時に釜を使えるようになる、という事を意味もしている。

 

もっとお金に余裕が出てきたら、ハルモニウム釜を三つの体勢にしても良いかも知れないけれど。

 

今はちょっと現実的では無い。

 

もう少し腕を上げたら。

 

そう、Sランクのアトリエに昇格して、ネージュに並んだら。

 

それも良いかも知れない。

 

お父さんとスールは掃除が苦手なので、ルーシャにオイフェさんを借りて、二人で掃除を黙々とこなす。

 

オイフェさんはこういうのは得意らしく。説明さえきちんとすればしっかり掃除をしてくれる。

 

細部まで殆ど一切合切なにも見逃さないので、隅々までとても綺麗にしてくれるのが嬉しい。

 

スールは裏庭でうねうねと動く奴をやるし。

 

お父さんは地下で研究を続行。

 

もうお母さんの絵は修復が終わったらしいのだけれど。

 

若干安定性に欠けるそうだ。

 

入る分には問題が無いらしいのだが。

 

お母さんの残留思念が、形を保てるかかなり不安らしい。

 

それで、更に何とか改良をしたいと、今頑張っているそうである。

 

それならば、掃除を手伝えとは言えない。

 

また、絵が完成していても、流石に即位の儀が終わるまではお城には入れない。残念ながら、お母さんに会うのはもう少しお預けだ。

 

掃除と模様替えが終わる。

 

元々この家は広いのだ。釜を三つ置くくらいのスペースは充分にある。最悪の場合、裏庭を潰せば良い。

 

こんな良い家に住んでいながら、昔は貧乏生活と勘違いしていたのだから、本当に度し難かった。

 

スールは、昔の自分を全力でぶん殴りたいと何度か呟いていたが。

 

リディーも同意である。

 

本当に何も分かっていないバカだったんだと、今になると思う。だからこそ、バカにもどってはいけないのである。

 

スールとお父さんに、見てもらうが。

 

二人とも模様替え後のアトリエに不満は無さそうで、少し安心した。

 

オイフェさんはずっと無表情なので何とも言えないが。意見を求めてみると、意外にも答えてくれた。

 

「利便性でいうならば、此処のソファは彼方に移した方がよろしいかと。 導線が阻害されています」

 

「どれどれ、ああ確かに……」

 

「じゃあお父さん手伝って。 移動させよう」

 

「まあ仕方が無いな」

 

リディーとお父さんで、ソファを動かすと。確かに誰も文句がない状態になった。

 

話によると、空間を操作して内部を更に広くすることも出来るらしいのだけれども。それはまだリディーにもスールにも荷が勝ちすぎる。

 

外でも掃除が始まっている。

 

ミレイユ王女は慕われているし、誰かが自主的に始めたのだろう。極めて有能なミレイユ王女の即位の儀が行われると聞いて、喜んでいないのは一部の佞臣や、後ろ暗い仕事をしている連中くらいだ。

 

外はお祭り騒ぎになっているが、その一方で散らかってもいない。

 

不思議な喧噪と秩序の中。

 

即位の儀が行われた。

 

 

 

王都で一番広い広場にて、台が設けられ。

 

ミレイユ王女が、その台に上がる。

 

武門の国だ。だから、ドレスでは無い。その場で実際に戦闘が出来る、鎧姿である。この辺りは伝統で、武王の時代から、女性の王でも同じようにして鎧姿で即位の儀を行って来た。

 

他ではどうするかは分からない。だが、この国では、王は即位の際、自分で王であることを宣言する。

 

そして、自ら、冠を被る。

 

これは武力にて周囲を従えた武王からの伝統であるらしい。

 

良く通る声で、ミレイユ王女が、ミレイユ女王になる事を宣言すると。

 

楽団が楽器をならす。

 

勇壮な音楽である。

 

そして騎士達が剣を掲げる。現在の騎士団長が最前列。副騎士団長がその左後ろに。騎士隊長達が、ずらっと並んでいた。

 

見た顔もたくさんある。各地でのインフラ作業で、一緒に仕事をしてきたのだ。

 

そういえば、キホーティスさんはそろそろ引退するらしい。後続には、ヒト族の若い俊英と呼ばれる騎士が入るらしい。

 

今回増員にあわせて騎士団ではかなりの改革を行うらしく。

 

流石に即位にあわせてそれをお披露目はしないらしいが。幾つかの噂は、リディーの所にも届いていた。

 

音楽が終わった。

 

先代王が最低のクズだった事もあって。勿論「みんな」にとって叩きやすい相手だった事も更に大きな要因となって。

 

歓喜の声が爆発した。

 

パレードの類はやらない。ただ、これから二日くらいは、お祭り騒ぎが公認で許される。騎士団は忙しくなる。

 

皆浮かれているときに、専門で悪さをする輩が増えるからだ。

 

そして、リディーとスールはマティアスさんと話をして、許可を貰っている。

 

即位の儀が終わるのを見終えると、すぐに城門に。

 

かなり人がたくさん行き交っている中。

 

隅っこの方で、マティアスさんとアンパサンドさん。フィンブルさんと、ルーシャとオイフェさんが待っていてくれた。お父さんも遅れて来る予定だ。

 

そう、今度こそ。

 

お母さんに会いに行くのである。

 

残留思念だ。

 

それも、一度レンプライアに食われ掛けた。

 

だからどこまでお母さんなのかは分からない。だけれども、きっとお母さんは、しっかり残留思念として頑張ってくれていると思う。

 

即位の儀が終わっても、王城の周辺が落ち着くまで少し時間が掛かる。今が一番危険だから、である。

 

その辺。アンパサンドさんやマティアスさんは詳しい。

 

今のうちに、話をしておきたかった。

 

即位の儀で、後ろの方で護衛をしていたアンパサンドさんと。後ろの方で文官に混じっていたマティアスさんは。いずれも着替えてから此方に来た様子で、ちょっと忙しかったらしい事が見た感じでも分かる。

 

アンパサンドさんはそもそもホムの騎士が極めて珍しい事もあり。

 

三百年前くらいに即位の儀に参加したホムの騎士の話をわざわざ見聞院から取り寄せて、格好を似せたという。

 

そんなのどうでも良い気がするのだが。

 

まあ、そんなくだらない事で批判を喰らう方が余程アホらしいので。

 

「前例」を上手に利用したと言う事で。アンパサンドさんも納得している様子だった。

 

なおホムは基本的に化粧の類をほぼしない。今回は即位の儀という事もあって、ミレイユ女王も他の女騎士も、相応の化粧はしていたのだが。前のホムの騎士も化粧はしなかったらしく。アンパサンドさんもそれにあわせたそうだ。恐らくだが、ホムは他種族から見て見分けがつきにくく、化粧をしてもあまり栄えないから、というのが理由であるらしい。その代わり、普段の騎士鎧よりも、華美で非実用的なものを着せられたらしいが。

 

お父さんが合流。

 

騎士団に仕事を頼まれて納品していたらしく、かなり急いで来たことが分かった。きちんと錬金術師の正装をしているが。これはお母さんに会えるのは、お父さんでも嬉しいから、なのだろう。

 

そのまま、この面子で軽く浮かれている街を見て回る。

 

騎士がかなり多く、アンパサンドさんが話をして、周囲の警戒や状況確認をしてくれた。やはり相当数の悪党がいる様子で。騎士団が先手を打って大物を次々に捕まえているため、現在は小悪党を中心に捕縛を勧めているという。

 

彼方此方に魔術での監視網を敷いており。

 

それによって、泥棒の類の捕獲は容易に進んでいるようだが。

 

何しろ今回は騒ぎの規模が規模だ。

 

騎士団は増員を更に進めるべきだと、アンパサンドさんが話した獣人族の騎士はぼやいていた。

 

以前は更に大変だったのだろうなと、リディーは彼らに同情するしか無かった。

 

スールは祭に若干興味があるようだが。珍しいものが売っているわけでも無い。

 

大道芸の類はやっているが、いつもアンパサンドさんの超絶体術を見ているので、今更驚くこともない。

 

むしろコルネリア商会やラブリーフィリスも、今日はセールで安物の在庫を放出しているので、いつもより見所がないくらいだった。

 

昔だったら、雰囲気で楽しくなったかも知れないが。

 

今はもうそれもない。

 

ある程度見て回ったら、時間が余る。

 

教会を見に行くと、人形劇をやっていた。どうやらフィリスさんを主人公にしたものらしい。

 

フリッツさんとドロッセルさんが人形を動かし、そしてシスターグレースが読み上げをしている。

 

フィリスさん。

 

閉ざされた鉱山の街で生まれて。空を見たいと願っていた普通の女の子だった。

 

それが現れた特異点の錬金術師に才能を見いだされ。

 

世界を巡る旅に出かける。

 

人形劇でさえ、その過酷さがよく分かった。

 

彼方此方でインフラ作業をしながら、一人前の錬金術師の資格と見なされるための試験を受けていって。

 

色々な人をインフラ整備で助け。

 

多くの邪悪を退け。

 

そして立派な一人前の錬金術師になりました。

 

めでたしめでたし。

 

そうか、人形劇としては、それでいいのだろう。深淵を覗いた今のフィリスさんが破壊神と呼ばれている事なんて、子供達に伝える必要などない。

 

人形劇は難しい。

 

見る度に分かる。

 

一度に出せる人数は限られる。人形の操作も演技も難しい。演者だって、一人で何役もこなさなければならない。

 

そして何よりも。

 

愛情が籠もっていなければ、人形は答えてくれない。

 

この辺りは、芸術全てに共通した話なのだろう。

 

わっと浮かれている子供達。

 

彼らの心を、人形劇は鷲づかみにするのに充分だったようだった。

 

そういえばお菓子作りは頼まれなかったなと思ったが。ルーシャのお父さんが、使用人にお菓子を配らせているのを見た。

 

あの人も厳しい立場だろう。

 

娘が自分を超えてくれたことは、誇りだ。そう言える親は、きっとそんなに多くは無い筈だ。

 

むしろ周囲には、十代の娘に追い越されたと、嘲弄されるはずである。

 

相手に弱みがあれば、嬉々として噛みつきに行く。それが「みんな」という存在であり。社会の地位の高低に関係無いのだから。

 

今は、こうしてせっせと彼方此方で根回しの途中、というわけか。

 

ルーシャと、ルーシャのお父さんの目が一瞬だけあう。

 

互いに頷いていたようなので。

 

どうやら、あまりこじれてはいないらしい。

 

それならば、もう何も言うことは無いだろう。

 

時間も丁度良い。

 

皆と一緒に、王城に出向く。

 

当然、手続きには時間が掛かった。だが、王城に入ることは出来た。

 

儀式の類はもう幾つか廃止するらしいと、途中マティアスさんが話してくれる。

 

そもそも時間と人員の無駄だし。

 

騎士団は今でも人員不足に苦しんでいる。

 

王が即位したと言う事だけを示せばいいのであって。

 

王はその後は、施政で自分を示して行けば良い。

 

政治というのは実行であって。権力を奪い合うことでは無い。

 

ヒト族は勘違いしやすいのだが。政治というのは、そもそも税金を分配して、最大多数の幸福を作り出す事。そのために国家というものは存在している。それが出来ないのなら、王にも役人にも存在する意味がない。

 

それが、ミレイユ女王の言葉だそうだ。

 

確かに納得がいく。

 

後は、どれだけミレイユ女王が、歪まずに進めるか、だが。

 

それについては、もうリディーにもスールにも、分からないとしか言えなかった。

 

エントランスに到着。

 

お父さんが咳払いした。

 

「まだレンプライアは多く無いはずだが、完全に駆逐された訳では無い。 気を付けて欲しい」

 

「ねえ、お父さん。 レンプライアを完全に駆除する方法はないの?」

 

「ない」

 

即答される。

 

スールは、それを聞いて目を伏せるが。

 

お父さんは、大きくため息をついた。

 

「芸術は人の心の映し鏡だ。 魂を込めた完成度の高い芸術ほどその傾向が著しく強くなる。 光を描けば闇だって濃くなる。 善意を描けば悪意だって生じる。 レンプライアはだから永遠に生まれ続ける」

 

「ネージュは……押さえ込む方法を知っているみたいだったけれど」

 

「俺も、理論的には分かる。 だが、それは今Sランクのアトリエを経営しているような錬金術師が、それこそ不思議な絵に住む覚悟でやる事だ。 定期的に不思議な絵を回って、駆除をするしかないのが現実的だな」

 

「……そろそろ、行くのですよ」

 

アンパサンドさんに促される。

 

あまり時間はない。

 

それはリディーも分かっている。スールも分かっている筈だ。

 

お父さんが修復した不思議な絵の中に。

 

今、入る。

 

 

 

天国は、再現されていた。一皮剥いた狂気の世界は既に姿を消し、息を呑むような美しい光景が再び広がっている。

 

レンプライアもかなり落ち着いている様子で。小さいのがたまに見かけられるくらい。ただ、妙な気配を感じる。

 

何だか嫌な予感がするが、其所へ踏み込むのは後で良い。調査は後ですれば良いのだから。

 

黙々と、美しい花園と、遺跡と。浮かぶ島々の中を行く。

 

目を細めてお父さんが周囲を見回している。

 

自分が理想とした世界に入るのが、まぶしいのだろうか。

 

コアにまで成長したレンプライアを悉く討ち滅ぼしたのだ。

 

周囲は静かで。

 

小さなレンプライアなんて、リディーとスールが出るまでも無く、前衛組が処理してしまう。

 

お父さんの護衛には気を遣う必要があったけれど。

 

それ以外は、特に何もする必要もなく。

 

念のために周囲を警戒しながら。

 

黙々と歩けば良かった。

 

ルーシャが眉をひそめたので、話を聞いてみる。

 

「どうしたの」

 

「見てくださいまし。 花が……」

 

「あっ……」

 

一目で分かった。

 

この間。狂気の園と化していたこの絵の時とは、見かけられる素材の品質が段違いで落ちている。

 

まさかとは思うが。

 

不思議な絵画では、状況が悪くなるほど、入手できる素材の品質が上がる傾向があるのだろうか。

 

他の絵についてちょっと考えてみる。

 

環境が過酷だったり。

 

レンプライアの侵食が強烈な絵ほど、確かに良い品質の錬金術素材が手に入った傾向が強かった。それは認めざるを得ない所だ。

 

ひょっとすると、だけれども。

 

コアになるレンプライアが、猛威を振るっているくらいの絵でない場合。

 

最高品質の錬金術素材は、手に入らないのではあるまいか。

 

もしそうだとすると、此処には。

 

いや、別にそれで良い。

 

此処にお母さんの残留思念がいるのなら。

 

過ごしやすい場所であった方が良いに決まっている。

 

何でもかんでも、そう都合が良い場所があって良い筈が無い。あっても良いかも知れないけれど、そんな場所は大きな歪みに支えられている。

 

見たばかりでは無いか。

 

この美しい楽園の、一皮剥いた裏の顔を。

 

お父さんだって、あんな狂気の園を描きたいと思ったはずがない。

 

この絵を汚す輩は絶対に許さない。

 

スールは本気でキレていたが、リディーだって同じだ。

 

錬金術の高品質素材は、それは欲しいに決まっている。

 

だが、この絵にしても他の絵にしても。

 

意図的にレンプライアに汚染させることは、あってはならないのだ。

 

自分の出番がない駆除作業を何度かすると、もう目につく範囲内にレンプライアはいなくなった。

 

何だか妙な気配があるのは気になるが、敵意では無い様子だし。人間に対する悪意だとも思えない。

 

今は放置。

 

お母さんの安全確認が最優先だ。

 

「覚悟だけは、しておいてくれ」

 

お父さんに言われて、頷く。

 

そもそも、ネージュのような不世出の錬金術師でさえ、不思議な絵の中に閉じこもるためには、相当な技術を必要とした。事実社会そのものが嫌になったネージュは、子供の姿になって今でも不思議な絵の中で暮らしている。彼女を外に引っ張り出そうとすることは、文字通り傲慢である。何しろ、社会全てを上げて彼女を迫害し、殺そうとしたのだ。彼女には恨む権利もあるし。社会から距離を置く自由だってある。

 

お母さんは、どうなのだろう。

 

同じ残留思念でも。

 

あそこまで完璧に、本人を再現出来ているのだろうか。

 

多分触れないだろうと、前にお父さんに聞いたが。

 

それはいい。

 

お母さんに会うことが出来るだけで、それでもう充分だ。

 

家が、見えてきた。

 

美しい薔薇園の中に、ぽつんと建っている。

 

周囲を見る。

 

この薔薇だけは、品質が素晴らしい。少し回収していきたい。何かに使えるかも知れないからだ。

 

ふと、気付く。

 

聞こえてきた。

 

懐かしい、鼻歌だ。

 

お母さんはお世辞にも歌が上手じゃ無かった。そもそも騎士としてずっと生きてきたらしい。

 

騎士は戦闘の本職で。事前に傭兵として相当な実績を積んでいたりとか。或いは王族でもないかぎり、従騎士から開始、というのが普通である。お母さんも当然従騎士から開始して、騎士に若くして成り上がったらしい。

 

お母さんの時代、騎士の仕事は今とは比較にならない程過酷だったはずだ。三傑も来ていなかったし、多分あの庭園王の時代だったのだ。それこそ無能な王に足を引っ張られて。伝説のあの先代騎士団長が率いていたとしても、苦労は絶えないだろう。

 

お母さんは料理は出来たけれど。それも苦労して身につけたものらしい。裁縫だって、散々苦労していた。

 

だから、そんなお母さんが四苦八苦して作ってくれた今の服は、デザインを絶対に変えるつもりはない。

 

駆け出しそうになる足を押さえる。

 

アンパサンドさんがハンドサイン。

 

周囲の警戒に当たってくれると言う事だ。

 

気を利かせてくれるという意味でもあるだろう。

 

頷く。

 

本当に感謝しかない。

 

アンパサンドさんとは、種族の違いもあって考えも違う。同じ人間でも、四種族では考え方がかなり違う。ホムと魔族は、特にヒト族との考え方の違いが大きい。そんなホムであるアンパサンドさんも。今日は気を利かせてくれた。

 

スールの手を引いて、ドアに手を掛ける。

 

ドアが開く。

 

中に入る。

 

少し模様替えをしたから、今の家とは違う。錬金釜も一つしか無い。台所に向かっている後ろ姿。

 

間違いない。

 

お母さんだ。

 

「お母さんっ!」

 

スールが叫ぶ。

 

リディーは、無言のまま手を伸ばし。そして、お母さんに触れようとして。手がすり抜けるのが分かった。

 

嗚呼。分かっている。

 

お父さんの言う通りだ。

 

お母さんが振り向く。へたり込んでいるリディーに、記憶の中にある優しい笑みを浮かべてくれた。

 

「リディー。 スール。 それにロジェ」

 

「オネット……」

 

「ずっと見ていたわ。 絵の中に入ってきたなって分かっていたの。 二人のことを見る事も出来た。 でも、体は自由にならなかったし、レンプライアはどんどん湧いてくるしで、殆ど此処から動けなかったのよ。 たまに動けるようになったと思ったら、もう二人とも絵から帰ってしまっていたり、ね」

 

もう触ることが出来ないお母さんは。

 

その場に確かにいた。

 

お父さんと二人きりにさせてあげるべきだろうか。いや、そういうわけにもいかない。外には弱いとは言えレンプライアも湧くのだ。

 

「お母さん、ごめん。 苦しかったよね」

 

「ううん、あの程度何でも無いわ。 騎士団で現役の騎士をしていた時は、もっと苦しいことも悲しい事もたくさんあったもの。 それよりもロジェ、すっかり窶れたわね」

 

「……すまない」

 

「駄目よ、きちんと食べないと。 私が料理を覚えたのも、貴方が不摂生ばかりしていたからなのに」

 

そうだったのか。

 

だが、ともかくだ。

 

今は、お母さんの声が聞けるだけで嬉しい。

 

残留思念で触ることが出来なくても、側にいるだけで嬉しい。

 

厳密には、本当のお母さんでは無いのかも知れない。

 

だが、ネージュは明らかに本物のネージュだった。

 

だったら、お母さんだって。

 

少しだけ、時間を貰えただけ。外で見張りをしてくれているみんなだって、いつまでも此処にいるわけにはいかない。アンパサンドさんは副騎士団長への昇格の話が来ているし、当然引き継ぎで覚える事もあるだろう。マティアスさんは、今後更に王の影としての仕事を覚えていかなければならないし。最悪の場合、女王のスペアとして国政を見る為の準備もしておかなければならない。

 

だから、出来るだけ。

 

急いで話をする。

 

錬金術師として、もう少しでこの国の一番になれること。

 

約束を果たせそうなことを伝えると。

 

お母さんは目を細めた。

 

優しい笑顔だった。

 

「そう。 良かった。 人を幸せにする錬金術師になってね。 私の一番大事なリディーとスール」

 

「おかあさん、あのね」

 

「なあに」

 

スールが、少し躊躇った後。言う。

 

お母さんに、助言を聞きたいと。

 

拳を固めている。まあ、腹に据えかねているのだろう。それは、リディーも同じではあるのだが。

 

「スーちゃん、思うんだ。 みんなをたくさん見てきた。 どれだけ醜いのか、よく分かった。 お母さんも、騎士としてみんなを見てきたんでしょう。 どうやって、割切っていたの?」

 

「スー……」

 

お父さんが悲しそうに言う。

 

だが、リディーも、お母さんの意見は聞きたい。

 

ふっと、目を伏せるお母さん。触れないけれど。その手が。まだまだお母さんより小さいスールの頭の上に乗った。

 

今更気付く。

 

左手の小指が少し短い。戦いで欠損したのだろう。

 

「いい、スー。 確かに多くの人はとても醜い心を持っている。 私も騎士として現役の時は、本物の悪党と邪悪をたくさん見てきたし、たくさん撃ち殺してきた。 でもね、スー。 もしも可能性があるのなら、試してみたい。 私は、そう思うの」

 

「……」

 

「もう少しで、この国一番の錬金術師となるのでしょう。 それまで頑張って。 次は、その時に報告しに来て」

 

スールは無言で頷く。

 

リディーは、そうかと思った。

 

お母さんは血の雨の中で生きてきた戦士だ。騎士として、彼方此方の仕事場で、怖気が走るような人間の業を嫌と言うほど見てきただろう。

 

でも、お母さんは可能性を信じたいと言った。

 

それは、奇しくも。

 

二十万回以上も人類の破滅を見ながらも、まだ諦めていないソフィーさんと同じ結論だった。

 

口を引き結ぶリディー。

 

分かった。

 

お母さんがそういうのなら。

 

スールを連れて、家を出る。お父さんと、少しだけで良い。お母さんを、二人きりにさせてあげたかった。

 

一番お母さんを喪って苦しんだのは。

 

お父さんなのだから。

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