暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ   作:dwwyakata@2024

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ルーシャも覚悟を決めます。

双子だけを。

彼方に行かせないと。


結いのパステル
序、超越へ


体調を崩していたルーシャは、しばし寝込んでいた。あの黒い絵で見た人間の精神の世界。もっとも落ちた人間の心。

 

それは、ルーシャを酷く痛めつけていた。

 

最後の「傲慢」との戦いは、それほど辛くは無かった。リディーを助けるのに必死だったからだ。

 

だが、戦いが終わった後。

 

フラッシュバックで、心に襲いかかってくるのだ。

 

七つの大罪が。

 

その全てもが。そのあまりにもおぞましい姿と一緒に。体よりも、心への傷が大きかった。

 

思い当たる事があるものばかりだった。

 

ヒト族の故郷となった世界が滅びたことは知っている。その原因が、ヒト族の驕りにある事も。何が万物の霊長だか知らないが、いずれにしてもヒト族の先祖は傲慢な行動の果てに自業自得の滅亡を遂げた。

 

そして、今。

 

この、助け合わなければならない世界でも。あのようなおぞましい心を持っている。

 

レンプライアは確かに悪意だ。

 

ロジェおじさまの絵を汚した時のように。美しくあろうとする心まで剥ぎ取る。

 

だが、それによって、人間の真の姿が露出するとも言える。

 

七つの大罪か。

 

良く言ったものだ。

 

その七つの大罪を否定しながら実際には内心肯定し続け。そして挙げ句の果てに人間を無責任に持ち上げ続けて。

 

そして滅びたのがヒト族の世界なのだとしたら。その頃から、何も根本的にヒト族は変わっていない。

 

深淵の者本部に無理矢理連れて行かれて聞かされてもいる。

 

既にこの世界の創世神ですら。

 

九兆回に達するやり直しをしていると。

 

本当にどうしようも無いのは神なのか。

 

違うだろう。創世神パルミラは全能にも全知にももっとも近い存在だ。

 

人間はそのままでは可能性が無い。

 

それに関しては、今のルーシャは同意できる。だが、同意できると思っていただけだったのかも知れない。

 

本物の心の闇というものを、間近で見てしまった今となっては。はっきりいって、人間という生物も。ヒト族も。

 

信頼なんて、とても出来なかった。

 

オイフェが粥を持って来たので、食べる。

 

双子はどうしているか聞くと、オイフェは小首をかしげた。

 

「ご自分よりも双子の心配ですか?」

 

「わたくしは良いのですわ。 おばさまとの約束も守れなかった無能者。 それに、今だって現在進行形で何一つ出来ずにいる愚か者ですもの」

 

「そんな風に考えて貰っては困るね」

 

不意に、オイフェの口調が変わった。口調だけでは無い。声もだ。

 

オイフェの表情は変わっていない。

 

口から漏れているものだけが変わっている。表情は、いつもの鉄面皮のままである。

 

そしてこの声。聞き覚えがある。恐怖とともに、何度も体に刻み込まれてきた声である。

 

ソフィー=ノイエンミュラー。

 

思わず、熱いまま粥を飲み込んでしまっていた。

 

全身が硬直する。震え上がる。恐怖に、体が動かなくなる。もう、この声を聞くだけで、反射的に体が硬直する。

 

「双子はルーシャちゃんに手を出さないことを条件に深淵の者への協力を許可したけれど、個人的にはしょーじきその約束守るかどうか、迷ってるんだよねえ」

 

「……っ」

 

「ルーシャちゃんさ、双子を守るどころか、とうとう守られ始めていることに気付いている? まあ流石にこの状況で気づけていなければただのアホか。 直接口にもされてたような気もするし」

 

返す言葉もない。

 

そうだ。もうルーシャは。守るどころか、双子に守られ始めている。

 

最初から才覚は向こうの方が上だったのだ。

 

自分は優れているという驕りを捨て、真面目に錬金術に取り組み始めれば。

 

双子がルーシャを超えるのは当たり前だった。

 

錬金術は才能の学問。それはどうしようもない、揺るがしようが無い事実なのだ。ルーシャではどれだけ頑張っても、いずれは超えられた。

 

それについては悔いはない。

 

だが、守られる立場になるというのは、誇りに出来るけれども。そこまで割切るには、葛藤が必要だ。守っていた相手が自分を超えたとき。誇りだと喜べる人間は決して多く無いし。ルーシャだって、そうあろうとは思っているけれど。完全にすぐには体の方は受け入れられていたのか。

 

そうなのかは、はっきりいってよく分からない。

 

ソフィーの声で、オイフェは更に続ける。

 

「一つ、良い事を教えてあげようか。 賢者の石の作成をそろそろ双子が始める時期でね、正確には作成をあたしがさせるんだけれど」

 

「賢者の、石」

 

錬金術師だったら誰もが知っている錬金術の到達点。究極の一。

 

金を作り出す事も出来れば。最高の媒体にもなる、文字通り万能究極の存在。

 

三傑はどうか知らないけれど。

 

歴史上、賢者の石を作った錬金術師の記録は、残されていないはず。

 

三傑は作っている可能性があるが。少なくとも、見聞院に記録は無い。

 

勿論作ったと自称している者は幾らでもいるが。明確に、本物だと確認できる記録はない。

 

もしも完成品が何処かの遺跡に残っていたら、アダレットとラスティン、二大国両方で騒ぎになるだろう。

 

「賢者の石を作成すれば、その時には賢者の石を媒介に、深淵の中の深淵であるパルミラに謁見することが可能になる」

 

吐き戻しそうになった。

 

それは、つまり。三傑と同じような、バケモノになると言う事だ。

 

そもそも双子は、もう心が人ではなくなってしまっている。だが、三傑は更にその先に進んでしまっている。

 

震えが止まらない。

 

涙も。

 

見栄なんて、張る余裕すら無かった。

 

「もしも、双子を守りたいのなら」

 

文字通り。

 

レンプライアなど、比べものにもならない。極限まで凝縮された、悪意の囁きが、頭の中に響き続ける。

 

ルーシャの心を、たたき壊すようにして。

 

「ルーシャちゃんも、賢者の石を作るしかないね。 ハルモニウムとヴェルベティスを作ったルーシャちゃんなら、出来るかもしれないよ。 ふふ、もし作りたいと思ったのなら……イルメリアちゃんかフィリスちゃんに声を掛けるようにね」

 

ぶつりと、何かが切れる音がして。

 

その場に、オイフェがへたり込んだ。

 

そして、オイフェが気付いたのか、立ち上がる。どうして自分が倒れたのか、気付いていないようだった。

 

小首をかしげてしばし考え込んでいたオイフェ。

 

自分が乗っ取られていたことに気付いていない。

 

或いはソフィーは、オイフェにこの機能を最初から仕組んでいたのかも知れない。

 

オイフェは尋常な人間ではない。

 

それくらいされていても、不思議では無い。

 

やがて、オイフェはルーシャの手元に視線をやった。感情のまったくこもっていない視線だった。

 

だが、あのソフィーの恐ろしすぎる声に比べれば、どれだけマシだろうか。

 

「お嬢様、食が進んでいないようですが」

 

「食べますわ」

 

少し冷えてしまっているが、栄養は充分だ。

 

掻き込むようにして粥を腹に詰め込む。あまり急いで食べると体に良くないけれども、今回は仕方が無い。

 

配膳をオイフェが下げると。

 

ルーシャは何度もため息をついていた。

 

どうしよう。

 

イルメリアかフィリス。

 

どちらかに頼めと言われたら、それはイルメリアに頼むしかない。一見すると厳しい様子だが、イルメリアはとても真面目で。狂気に抗っているようにも思える。

 

それに対してフィリスは、もう狂気に抗っていない。

 

抗うつもりがない。

 

狂気に馴染んで、平然としている。

 

そういう印象を受ける。あの破壊神には。

 

しばし休んで。体が動くようになってから、起きだす。早朝だが、既に人々はそれなりに行き交っていた。

 

港の方へ向かう人夫が多い。

 

内海を守っている堤防の工事が佳境らしく、土砂を外に捨てに行く人夫も、とれた巨大な魚を捌く職人も、どちらも必要らしい。

 

そういえば、最近魚屋に、新鮮な魚がたくさん入っているらしい。

 

勿論新鮮なうちに売れなければ、加工して保存食に切り替える。

 

この世界で、食糧を無駄にしている余裕は無い。

 

流石に早朝過ぎて、開いている店は存在しなかったが。

 

あてもなく彷徨う。

 

いつの間にか、オイフェがそばを歩いていた。

 

別に邪険にするつもりはない。

 

ソフィーが恐ろしい機能を仕込んでいたとしても。

 

いつも寡黙でまったく何を考えているか分からないとしても。

 

オイフェが何度も体を張ってルーシャを助けてくれた事実には変わりが無いのである。邪険にする理由は無いし、信頼も出来る。

 

どこに行くか、は聞いてこない。

 

ルーシャだって、何処かに行くつもりもない。

 

いつのまにか、丘の上の教会に来ていた。

 

おばさまの眠るお墓を綺麗にする。双子とロジェおじさまは気付いているだろうか。時々ルーシャも墓参りをしている事を。

 

お花を変えて。祈りの言葉を捧げると。

 

シスターグレースに会いに行く。

 

オイフェは教会の外で待たせた。

 

この教会も、どうせ深淵の者の息が掛かっている。そんな事は分かっている。

 

双子は知らないだろうが。

 

シスターグレースが来る前は、ここは立地の良さもあって、ろくでもない孤児院だったという。

 

パメラさんが姿を見せると同時に。

 

先代のシスター長は失踪。

 

同時に、問題があったシスターは、離散。

 

新しくシスターグレースが来て。何名か、出自が分からないシスターが一緒に赴任。以降は、ごくまっとうな孤児院に生まれ変わったという。

 

お父様に聞かされた話だ。

 

まだお父様が幼い頃だったらしいのだが。

 

その頃は、両親からもあの教会には絶対に近付くなと言われていたらしい。

 

それがシスターグレースが来てからというもの、荒んでいた孤児達はまるで生まれ変わったかのように素行が良くなり。

 

孤児院でスキルを学んで社会に出て、多くの貢献をするようになったとか。

 

シスターグレースが見かけとは裏腹に高齢であることはルーシャも知っていたが。

 

双子にこの話をするつもりはない。

 

これ以上双子に、精神的な負荷を掛けたくないからだ。

 

しばし躊躇っていたが。

 

シスターグレースの方から、声を掛けて来る。

 

「どうしたのですか、ルーシャ」

 

「少しだけ、相談したいことがあって」

 

「……話してみなさい」

 

「わたくしは無能な愚か者です。 それでも無能な愚か者なりに、大事なものを守りたいとも思いますし、出来るだけ立派な行いをしようとも思い続けてきましたわ」

 

これについては事実だ。

 

ヴォルテール家の腐った歴史をあまり良く想っていないのは、実はお父様も同じであるらしく。

 

ルーシャもその影響を受けた。

 

祖父の代までは、国と癒着してろくでもない事ばかりしていたヴォルテール家だが。

 

お父様とロジェ叔父様の時代に、その悪しき風習からは脱却。

 

運が良かった。

 

そうでなければ、深淵の者が本格的に膿だしを行って庭園王を幽閉したとき。

 

ヴォルテール家も、ただではすまなかっただろう。

 

「でも、もうわたくしの手では、どうにもなりませんわ。 人間としてのあり方を捨てるか、それとも諦めるか。 その二択しか、わたくしには……」

 

両手で顔を覆う。

 

悲しいのでは無い。

 

情けなくて、涙が出る。

 

無力でどうしようもない自分。ソフィーに言われた通り、もう守られる側に廻ってしまっている。

 

必死に勉強して、ハルモニウムもヴェルベティスも作った。

 

多分ヴォルテール家の関係者では、リディーとスールを除けば、ネージュ以来の快挙であるらしい。

 

お父様もそう言って、感涙していた。

 

だけれども、ルーシャの作るハルモニウムもヴェルベティスも。

 

恐らくギフテッドに覚醒している双子のものより数段質が劣ってしまっている。

 

これもまた、どうしようもない事実。

 

そして、才覚の学問である錬金術では。出来ないものは、どうしようとどうにもならないのである。

 

シスターグレースは、しばし黙って話を聞いてくれた。

 

それだけでも、随分と楽になった。

 

「ルーシャ。 貴方は人間という存在について、その年では信じられないほどに色々と見聞きして、自分でも経験しているのではありませんか?」

 

「……ヒトの心については、見てきたかも知れませんわ」

 

「それならば、より大事なものを優先すれば良い」

 

シスターグレースは言う。

 

年老いる体には問題があると感じた。

 

人間としては、年老いて死ぬのが自然だという事も分かっていた。

 

だが、この人材がいない世界。もしも若い人間を育成できる者がいなくなれば。技術は途絶えてしまう。

 

教会はちょっと気を抜けば、あっと言う間に腐敗する場所だ。

 

元々殆どの場合、教会の長にはヒト族が赴任する。

 

そしてヒト族は信仰とこれ以上無い程相性が悪い。

 

魔族は心の内に信仰を持つから、そもそも教会のようなシンボルを必要としない。獣人族はヒト族よりも考え方が単純だから、信仰もごく素朴だ。

 

だがヒト族は違う。

 

油断すると、すぐに金に結びつけて考える。

 

どう利用するかを考える。

 

わかり安い形がないと、どうしても信仰というものを保つ事は出来ないのである。

 

それはつまり、堕落ともっとも近い場所にあるという事。

 

ルーシャも、ヒト族の末路は知っている。

 

そして、ソフィーにあの真っ黒な絵で聞かされた。

 

七つの大罪といったか。

 

アレはそもそも、堕落をそのまま煮詰めたようなものだ。

 

そうか。シスターグレースは堕落した後続に任せるくらいなら、人間を捨てる事を選んだのか。

 

この人は元々超凄腕の傭兵だ。戦略級の傭兵なんて、そうそう滅多にお目に掛かれるものでもない。

 

膨大な経験を積んでいるからこそ。

 

この人は、人間を捨てる事を選び。そして後続の若者達を育てることに、心血を注ぐことにした。

 

人間を捨てたとはいっても。

 

この人は、決してバケモノの類ではない。

 

「今、この街には三名の超越存在が来ています」

 

頷く。

 

三傑のことだ。

 

どうせシスターグレースも深淵の者関係者だろう。それくらいは知っていても、不思議ではないし。

 

今更である。

 

「ですが、彼女らは一様に同じ人格の持ち主というわけではありません。 元々普通のヒトとは根本的に思考回路が違ったもの。 深淵に落ちた今でも家族の事は何よりも大事にしている者。 深淵においてなお、ヒトであろうとしているもの。 それぞれに、大事にしているものが違うのです」

 

シスターグレースの言葉は、良く耳に入ってくる。

 

わかり安いし。

 

押しつけるようでもない。

 

分からないなら、分かるようになるまで、丁寧に話してくれる。そういう話し方をしてくれる人だ。

 

「貴方にとって一番大事な事が、人間を止めなければ手に入らないのだとすれば。 それならば、もうするべき事は決まっているのではありませんか?」

 

しばし、長い間。

 

息を止めていた気がする。

 

ルーシャは大きなため息をつくと。

 

一礼して、教会を出た。

 

確かに、もう他にする事は無い。そして、曲がりなりにもハルモニウムとヴェルベティスを作成するのにも成功しているのだ。

 

三傑が出てからこの世界には大きな変化が生じたが。

 

本来ハルモニウムもヴェルベティスも、一世代に一人、作れるものが出るかどうかという超存在。

 

ハルモニウムのインゴットが国宝になる事からも分かるように。

 

今のルーシャは、手が届く位置にいるのだ。

 

後は古い時代のしばり。

 

そう、ヒト族がもっとも優れていて、万物の霊長だとか言う「傲慢」を離れる時。

 

あの絵の奥で戦ったではないか。

 

その思想の究極集約点と。

 

あんなものと一緒になっていいのか。良い筈が無い。だったら、古き七つの大罪とは、決別するときが来たのだ。

 

何度か顔をくしゃくしゃと擦る。その度に、ツインテールに結っている赤毛が揺れる。

 

髪なんか切ってしまってもいいかなと思ったが。

 

今は、それよりも先に、やる事がある。

 

敢えてフィリスの所に、ルーシャは向かう。なぜなら、フィリスが深淵に落ちつつも、家族を誰よりも大事にしている事を、ルーシャは知っていたからだ。つまり、自分には、むしろフィリスが近い事を。

 

移動式アトリエは、相変わらず小さなテントのよう。

 

ドアを叩くと。フィリスが、ひょこりと可愛らしく顔を出した。動作だけなら、とても可愛らしい。

 

「おはよう、ルーシャちゃん。 何の用事?」

 

「賢者の石を作成したいのですわ。 ご協力……願いたく」

 

「ふうん。 どうしてイルちゃんの所に行かずにわたしの所に来たの?」

 

「貴方が、家族を誰よりも大事にしているからですわ」

 

冷めた様子で鼻を鳴らすフィリスさん。

 

まあそうだろう。ルーシャの苦悩なんて、この人は。知る限り、億年単位も前に通り過ぎている。

 

一緒にするなとでも言いたいのかも知れない。

 

だが、フィリスは。アトリエに、ルーシャを迎え入れてくれた。

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