暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ 作:dwwyakata@2024
ようこそ
こちら側に。
タスクの六割が終わる。
額の汗を拭いながら、リディーは残るタスクを確認。また、スールには、今までの中間生成物を確認して貰う。
現時点では問題はない。
問題があるとしたら、これからだ。
時間を止めて、瞬時にこなさなければならない調合や。
一瞬で痛んでしまう中間生成物が増えてくる。
基本的に時間を止め。
その中で活動し。
必要に応じて、一瞬だけ時間を動かしたりする。時間操作への習熟が、これから求められるのだ。
それに備えて、時間操作の技術を、スールと一緒に練習しておく。
タスク処理と並行するのは非常に難しいが。今まで多数の修羅場をくぐってきた経験が、短時間での成長を可能とする。
負ければ死ぬ。
当たり前の話。
そして、今生きている。
たくさんの屍を踏み越えてきたのだ。だからこそ、刹那の時間活用が如何に大事かはよく分かっているし。
戦闘中に都合良く覚醒できる事はまず無い事も知っている。
練習をこなして、先にしっかり基礎を作っておく。出来ればいきなりの実戦投入は避ける。
自分に言い聞かせながら、作業を行う。
額の汗は、互いに気付いたら、指摘する。自分でぬぐえそうにない時は、互いにフォローする。
連携しての調合をこなしながら。
少しずつ、確実にタスクをこなして行った。
大きめのタスクが来た。
複数の中間生成物を混ぜ合わせる。それも、時間を止めた状態で、一気に全てを投入する。
そして、可能な限りの短時間で混ぜ合わせ、安定させる。
口にするのは簡単だが。
実際にやるのは非常に難しい。今までの作業も難しかったが、これは桁外れの難易度である。
一旦此処がキーポイントになるだろう。
事実、イル師匠が印をつけてくれてもいた。
スールが鉱物の調整を行っていたので、一段落した所で声を掛けて、少し休む事にする。スールもかなり疲弊しているようだったので、一も二も無く頷いた。アトリエから出るときに、消毒し。
そして、手指がかなりボロボロになっている事に気付く。
難しい調合だけではない。
危険な薬物もかなり扱っているのだ。
ハルモニウム装備と、ヴェルベティスの服で異次元に基礎能力を上げていてもこれか。傷の回復を、お薬を塗り込んで加速させる。
本当の所、これは。
挑戦するのが早すぎたのではあるまいか。そうリディーは思いたくなる。
今更からだが傷つく事なんてどうとも思わない。戦闘では、もっと酷い怪我を散々してきた。周囲の人にも、同じような怪我をさせてきた。アンパサンドさんなんて、内臓がはみ出すような怪我を強敵との戦いでは日常的にしていた。
自分なんて、この程度で済んでいる。
そう考えて、しばし薬で傷が回復していくのを待つ。かなりの良い薬を使っている筈なのに、回復が遅い。
恐らくは、気がつかないうちに危険な中間生成物を、ある程度指に受けてしまっていたのだろう。
常時回復の装備もあって。
悪い意味で気づけなかった、と言う事だ。
色々と口惜しいが、今はそんな事よりも。先のタスクについてだ。フローは休憩用の部屋にも張ってあり。其所で、現在の処理状況も確認できるようにしてある。次の調合について、軽くスールと話しあって。やはりこれは難しいという結論に達した。
「このタスクだけは、二人がかりかな」
「いや、この先これと同レベル以上のものが幾つもあるみたい」
「うえ……」
「とりあえず、イル師匠が印をつけてくれているタスクについては、二人がかりでやることにしよう。 今までの中間生成物が全部無駄になったら、泣くに泣けないよ」
スールも頷く。
アリスさんが戻って来ていたので、食事を作ってもらう。栄養を第一に考えた食事だけれども。
それでいながら、リディーが作るのよりもずっと美味しいのは色々ずるい。
分かってはいるが、イル師匠の食事を常に作っているだけの事はある。イル師匠は手料理とかするようには思えないし。
或いは、この調合をするようになってから見かけるようになった、アリスさんと似たような姿の同族が、作っているのだろうか。
もしそうだとすると、休憩時間も考えると、同族がかなりたくさんいる事になるのだが。怖いので、考えない事にした。
まだ感情は残っている。
イル師匠やフィリスさんだって、感情らしいものを見せる事もある。
賢者の石を作ってパルミラに謁見しろ。
それがソフィーさんの指示。
超越者になるために必要な事。
勿論、それがなっても、完全に感情が消えて無くなるわけではないのだろう。三傑を見る限り。
だが、リスクが激甚なのも分かりきっている。
しかしもはや、引き返せない。
食事をさっさと済ませると、ベッドで横になる。眠っている内に、ぼんやりと夢を見た。
天海の花園で、お父さんとお母さんが静かに暮らしている。お父さんも残留思念になってしまっているという事は、何十年も後の話だろうか。残留思念だからか、若い頃のお父さんに戻っていて。
其所に双子で会いに行くと、親子と言うよりも、兄弟姉妹みたいに見えるのだった。
他愛もない話をする。
何を食べた。
どんな調合で失敗した。
お薬を作って、それで誰を助けた。
王都の人達は、みんな幸せにくらしている。
にこにこと微笑んで聞いてくれるお母さん。お父さんは、咳払いすると、色々とアドバイスをくれる。
今は、そのアドバイスも素直に受ける事が出来る。
嗚呼。なんと幸せな世界だろう。
でも、本来だったらあり得ない光景だ。これが見られるだけでも、リディーとスールは恵まれすぎているのではあるまいか。
そもそも死んだ親と会う事が出来るという事だけでも、驚天の奇蹟なのである。
リディーは。まだ、甘ったれではないのだろうか。
目が覚める。
ぐっしょりと汗を掻いていた。幸せな夢を見ていたはずなのに、どうしてなのだろう。体の状態を確認する。傷は既に回復していた。回復に時間が掛かったと言う事は、よほどに危険な中間生成物なのだろう。今後は更に、扱いに気を付けなければならない。
一旦部屋から出ると、軽く体を動かす。
少し遅れて起きて来たスールも、並んで体を動かす。
周囲には人はいない。
そもそも、通路を外れると奈落へ真っ逆さま。立体的に通路が交錯していて、とてもこの世とは思えない場所だ。
遠くに見張りがいるが。
ルーシャも、こんな感じの場所で、今賢者の石を作っているのだろうか。
だとしたら、心細いだろう。早く何とかして、終わらないだろうかと、心配になってしまうが。
今はそれよりも先に、まずは自分達の事から。
ルーシャの所には、プラフタさんがついてくれていると聞いている。それならば、リディーやスールがついているよりも、ずっと安心度は高い。あの人は、とても良心的な人だった。
厳しい部分もあったが、それ以上に優しさが目だった。
だから、信頼する。
地獄を散々見てきて、それでも優しくあれるというのは、本当に大事な事だと思う。だからこそに、リディーは。自分と違う考えの持ち主であっても、信頼しなければならないのだ。
自分に言い聞かせながら、調合に戻る。
まずはコンディションをベストに保つと。スールと綿密に打ち合わせてから、調合に取りかかる。
時間停止から、解除。
そして、一気に全ての中間生成物を混ぜ合わせる。
凄まじい勢いで色が変わる。
「スーちゃん!」
「うんっ!」
時間停止。
呼吸を整える。凄まじい勢いで色が変わっていき、その内紫色になる。その瞬間に、更に別の中間生成物を足す。
粉状のそれをばらまいて。そしてまた時間停止解除。
更にかき混ぜていくと。
激しく反応していた中間生成物が、やがて落ち着いてきた。呼吸を整えながら、順番にタスクに書かれている要件を確認。
どうやら、成功らしい。
乾いた笑いが漏れてくる。これ一つにしても、時間停止が無ければとても出来たものではない。
丁寧に釜から中間生成物を取りだすと。黄金色に輝くそれを、コンテナに格納。
今後、ミスをする分も含めて多めに作ったが。
それでも、足りるかどうかは微妙だ。
また、一度休む。
此処からのタスクは、また少し難易度が下がるが、長期戦になる。この疲れを残しておきたくはない。
お父さんは無事かなと思ったけれど。アリスさんが、話をしてくれる。
「ロジェ様であれば、現在私の兄弟姉妹が、世話に出向いています。 何ら問題は起きていないと報告があります」
「そう。 それは良かった……」
スールが胸をなで下ろす。
リディーはそこまで楽観的にはなれない。
これは要するに、人質に取られているのと同じだ。確かに世話をしてくれてはいるだろうけれども。
リディーとスールが余計な事をしたら。
お父さんが何をされるか何て、言うまでも無い事である。
一休みしてから、調合に戻る。
まだまだ、難しいタスクは、山のように残っている。
失敗するタスクが増えてきた。
疲れが取りきれない。材料についてはまだ大丈夫。また、中間生成物がカツカツのタスクについては、やり直す必要も生じる。それも含めての「一月」なのだろうけれど。それにしても厳しい調合だ。
失敗したら、一旦休憩。
それをスールと話し合っているので。失敗を責め合うようなことは互いにしない。失敗してしまったら、どうして失敗したのかを確認し。そして、次の成功につなげる。それでいいのだ。
昔だったら、絶対にこんな風には考えられなかった。今は、それだけ技量が上がっているという事である。
今回の失敗で、指が吹っ飛びかけた。
使っていたのが鋭い鉱物片で、それを潰しているときに、やってしまったのである。
この鉱物片、中間生成物の一種で。元のものに、幾つかの薬品を掛けて変質させている最中だったのだが。
その途中で、恐ろしく堅くなる瞬間があるのだ。
そのタイミングで、潰さなければならないという面倒くさい処理が必要で。
処理中に、手が滑った。
集中力が切れていた。それに、血を浴びた分の鉱物は作り直しである。色々と神経が参ったが。兎に角一旦タスクは中断。
血で汚染してしまった鉱物片は廃棄。
怪我の手当と。それと、血で周囲が汚染されないように処置をして。それからアトリエを出た。
指がぶらんぶらんになっていたが。
痛みはカットしたので、作業に支障はでなかった。
部屋を出てから、お薬をねじ込んで、指をつなげる。回復するまで、少し時間が掛かる。スールがアトリエに戻り、事故現場を丁寧に確認してきてくれた。人血が材料に混じるなんて論外。
埃ですら混じらないように作業をしているのだ。
当たり前の話である。
間もなく戻って来たスールが、指で丸を作る。頷くと、用意された食事を取って、反省会をする。
失敗の要因と、次に上手くやるための方法を話し合い。
タスクに書き加えた。
そして、休憩後。指がきちんと動く事を確認してから、作業に戻る。さっきの失敗に対する動揺は無い。
今度は、ペンチなどの器具を使って、さっきのタスクを二人がかりでこなす。一人でやるには厳しい。そう判断したから、である。
今度は、上手く行く。失敗は成功の母だ。問題は、資源が限られていることで。一度の失敗で、問題点を全て洗い出さなければならない事だが。それも、今の実力であれば出来る筈だと、言い聞かせる。
客観的に見て、出来る。それが重要なのである。
また二手に分かれて、タスクを処理に掛かる。
そろそろ八割だ。難しいタスクも増え、失敗も増えてきた。致命的な失敗はまだ一つもしていないが。
それでも、次の休憩時に話し合うべきだろう。
失敗が増えていると言う事は、疲れが溜まっている、という事であって。疲れを回復させるには、休みを増やすしかない。
時間が停止した空間で休んでいるのだから、外とは時間の感覚が違ってきているというのも、疲れの一因かも知れない。
時間の停止、停止解除にも。かなりの魔力を消耗するのである。
二人で話し合いながら、時間の操作は行っているが。
スールには負担が大きいし。リディーにだって楽では無い。
実際にやってみて、こんな事を指鳴らすだけでやっているイル師匠の恐ろしさがよく分かったが。
それをぼやいている場合では無い。
あと少し。言い聞かせながら、タスクを処理。顕微鏡を使って、極限まで不純物を取り除いていく。
勿論ギフテッドもフル活用する。
ギフテッドに警告されて、調べ直してみると。ゴミが混じっているというような事が一度や二度では無い。まあ、ギフテッドに目覚めてからは、いつもこれが当たり前だったから、感覚が麻痺しているというのもあるのだけれども。
それにしても便利な力だ。同時に怖くもある。
不純物の除去、完了。
ゴミはゴミで分けて捨て。中間生成物は時間が止まったコンテナに格納する。スールも、丁度良いところまで来た。
声を掛けて、休む。
まだ余裕がありそうだったけれど。スールも失敗が増えているのは気付いているのだろう。切り上げて、休憩にした。
その間に話をしておく。
同意は得られる。実際、スールももう一流の錬金術師だ。そんなスールでも、この調合はおぞましく危険だという事は分かっている。
一度、疲れを徹底的に取るべきだろう。
その結論に達し、眠れるだけ徹底的に眠る事に決めた。アリスさんにもそれを話すと。時間が止まった休憩室で休む。
どれくらい休んだのかは分からない。
いずれにしても、時間が止まった部屋で休んでいるのだから、外とはあまり関係がない。起きだすと、疲れはまだ少し残っている。体を動かして、ほぐして。また眠る。そうやって、疲れを無理矢理全て除去した。
さて、後のタスクはチェックがついているものばかりだ。
此処からはいずれにしても、失敗は許されないと思うべきである。
うねうね動く例の運動をこなしてきたスールが、部屋に戻ってくる。頷きあうと、最後の調合をする覚悟で、アトリエに戻る。
さあ、此処からだ。賢者の石を作る前段階の、深紅の石を作り上げ。それをベースに、賢者の石を作成する。
三傑だけが恐らく成功している賢者の石の作成。これから、それに王手を掛けることになる。
ルーシャは上手く行っているだろうか。
今までのタスクには、もしも失敗した場合には、体が粉々になってしまうような危険なものも含まれていた。
ルーシャが悲しい目にあっていないかは、祈るしか無いと言うのが実情だ。
外の事を、知るすべが無い。
このアトリエから出ることは出来るが、あくまで気分転換だけ。深淵の者本部から出ることも、内部を歩き回ることも許可されていない。
途中、イル師匠が一度来た。
そして、中間生成物をチェックしてくれた。
だが、それだけ。
信頼してくれているのか。それとも、忙しすぎて、直接は中々来られないのか。それはよく分からない。
分からないけれども、やらなければならない事は決まっている。もうイル師匠に頼りっきりの段階は終わっているのだから。
休憩して、気力は充分。
高難易度のタスクに取りかかる。
どれもこれもが極めて難しい。失敗したら死ぬ事も覚悟しなければならない、高難易度調合ばかりだ。それも、どんどん難易度が上がっているように思える。リディーが得意な分野と、スールが得意な分野を手分けして処理することには変わりは無いが。それも、何処まで今後通じるか。
更に数日を掛けて、深紅の石の作成に取りかかる。
見えた、かも知れない。
体の中が熱い。
そして、その時は、来た。
アトリエにイル師匠が迎えに来る。
休憩室で、ぐったり寝込んでいるリディーとスールを見て、イル師匠は呆れるでもなく、驚く様子も無かった。
「お疲れ様。 出来たものを見せて頂戴」
「はい……」
「まずこれを飲みなさい」
人間用の栄養剤を貰う。イル師匠の作った奴だ。飲んで見ると分かるが、まだまだリディーの作ったものとは質が桁外れだ。
前に100点満点で採点をされていたが。
今なら分かる。
あれは恐らく。イル師匠が、リディーとスールと同じ年だったときの技量と比べての100点満点。
心を折らないために、そうしてくれていたのだ。
現状の実力でも、イル師匠の作るものと、リディーとスールの作るものでは、文字通り天地の差がある。
100点満点だと、多分小数点になってしまうはずで。
その辺りは、イル師匠はずっと研究していたのだろう。
一万回の周回の中で。
どうやってリディーとスールと接すれば良いか。嫌と言うほど、把握していたのかも知れない。
今は踊らされていることを承知で。
疲れが取れたリディーは、スールと一緒に、賢者の石を取りだす。
賢者の石。
ついに完成したのだ。
美しい赤黒い石で。これが全ての媒体に応用できる究極の素材だという事は、リディーにもスールにも一目で分かった。
ギフテッドがあるから、声も聞こえる。
何にでもなれるよ。
どんな媒体にもなるよ。
神様にだってあえるよ。
さあいってごらん。ぼくは夢の媒体だよ。そう、賢者の石は、使え使えと促してくるのだった。
「……79点ね」
「うわ、凄い高得点!」
「嬉しいです、イル師匠っ!」
「……これは100点満点として、私とフィリスが最初に一緒に作った時を100点としての採点よ」
イル師匠は少し寂しそうに笑ったけれど。
それで充分だ。
すぐに来るようにと言われたので、片付けをする。賢者の石を完成させた後、ぐったりして、寝こけていたのである。だが、同時に体の中から灼熱の溶岩のような魔力がわき上がってくるのを感じる。
多分賢者の石を作る事で。何かが決定的に変化したのだと思う。
片付けが終わると、イル師匠が、アトリエを外側から時間凍結する。それも、リディーとスールが使っている時間操作よりも、上位次元からの時間凍結である。仕組みも見ていてよく分からなかった。
いつも指パッチンで止めているのとは、別のやり方だと見て良さそうだ。
つくづく次元違いだなと思うが。
それはそれとして。いよいよこの時が来た。
もう、別れは済ませてある。
やるべき事は、全てこなした。だから、悔いはない。社会から外れる事になる。それどころか、多分世界の理の外に出る事になるだろう。
賢者の石は、ヴェルベティスとモフコットで二重に包んで持って来ているのだが。それでも暖かみが手の中にある。スールが側について、落とさないように気を付けて見張ってくれているが。
この奈落の底が見えない空間で落としたらどうなるかは、あまり考えたくない。
先に行くイル師匠に、深淵の者の猛者達が敬礼して、道を空ける。皆、何が起きたかは理解しているようだ。
少し肩身が狭い。
だが、いずれにしても。複雑な通路を行く間、蔑視される事は無かった。かといって、自慢する気にもなれなかったが。
黙々と歩き。そして、階段を上り。空間がどう見てもつながっていないような場所を歩き。長い廊下を抜けると。
いつの間にか、広い空間に出ていた。
ずらりと並んでいる、桁外れの使い手達。人間四種族全てが揃っている。
何となくそうだろうなと思ってはいたが。パメラさんやオスカーさんもその中にいる。最上座にはアルトさん。左右に並んでいるのは、ソフィーさんとプラフタさんだ。ルーシャの姿はない。賢者の石が出来たのは、リディーとスールが先だったのだろうか。
跪くように言われたので、素直に従う。
此処でああだこうだ言っても仕方が無い。まずは、やるべき事を順番にこなさなければならない。
全ては、それからである。
イル師匠が、皆に宣言。
「賢者の石が完成したわ。 これで三例目ね」
「素晴らしい。 これで超越者はまず五人か」
「……リディー、スール。 顔を上げて」
イル師匠の言葉のまま顔を上げると、魔法陣が準備されていた。複雑すぎて一瞬では何が書かれているのか分からなかったが。よく読むと、神への謁見を行うためのものだと分かった。
神と言っても、世界そのものの意思。
深淵の中の深淵だ。
パルミラ。
教会で信仰されている神だが。
その存在は、深淵の深奥に住まうものであり。この世界が意思を持った存在でもあるのだと聞いている。
世界各地に配置されているパルミラは端末に過ぎず。その実力は、アリと巨獣どころか、人間と、人間の髪の毛の先の、顕微鏡で無ければみられないほどの一部と比べてもまだ差があるほどだとか。
賢者の石を作成したことで、魂が強化されていること。
此処にいる者達は、皆アンチエイジングや肉体強化処理を受けていること。
そうでなければ、パルミラを見ただけで精神が死ぬ事。それらを告げられた後、イル師匠が確認を取ってくる。
「もう引き返せないわよ。 良いわね」
「……退路なんて、最初からないじゃないですか」
スールが口を尖らせる。
リディーは、それをたしなめる気にはなれなかった。
分かっている。
リディーとスールにとっても、一番大事なものを守る事が出来た。それは事実だ。もしも三傑の関与が無ければ、お父さんが立ち直ることもなかったし。お母さんの残留思念も人知れず消えてしまっていただろう。リディーとスールは三流以下の錬金術師として、どうしようもないくだらない人生を送り。自分を常識人だと思い込んで、自分から見て「下」の存在を今でも嘲笑っていたに違いない。そう、「みんな」のままだった。唾棄すべき「みんな」の。
だけれども、その代わり払った代償は人生そのもの。
リディーとスールは、今後完全な意味で人間ではなくなる。そしてそれを主導したのは三傑、特にソフィーさんだ。
冷酷なソフィーさんは、双子が何度死んだところで、意にも介さなかっただろうけれども。
イル師匠は違った。それは、肌で感じる。
だからこそ。人間を止めても、完全に何か違う者になる訳では無いと、今は信じる。信じて、先に進む。
どうせこの世界は詰んでいる。
お父さんの思いも。お母さんの哀しみも。全てが消えて無くなるよりは。
犠牲を払ってでも、この世界を守り抜く。詰みを打開する。その方が、大事なはずだと、リディーは思う。
その犠牲が自分である必要は、ある。錬金術は才能の学問だ。こればかりは、どうしようもない。
たまたまリディーとスールに才能があった。
それだけで、充分過ぎる理由だ。
そして現状可能性がない詰みの打開。可能性を作る事が出来るのであれば。リディーとスールが、人を止める事には。
そう、間違いなく意味がある。
リディーは、そう、淡々と言った。
イル師匠は頷く。同時に、何をすれば良いか教えてくれた。リディーとスールは、二人で作った賢者の石を、魔法陣の中央に置く。
そして、魔法陣が作動。
世界が、塗り変わり始める。
凄まじいプレッシャーが、上から降りてくる。誰かが、呟くのが聞こえた。
「これで三度目だな……」
そうか、その人にとっては三度目なのだろう。いや、恐らく三傑にとっても三度目、なのかも知れない。
この時点で世界の固定が行われて。
賢者の石を他人が作るところは、見ていないのだろう。
意識を保っているだけで精一杯だ。
光が、これほど強烈な圧力を持っているなんて、始めて知った。恐ろしい。光とは、こうも恐ろしいものだったのか。
呼吸を必死に整える。
広間に、なにかが顕現しつつある。
宇宙そのものの意思。この世界を大まじめに詰みから打開しようとしてくれている存在。パルミラ。
教会ではその姿を描写しないことにしているらしいが、子供のような姿をしていると聞いたことはある。
だが、それも風聞。
この凄まじい圧力を感じる光。
一体どのような姿か。
顕現した。
それが分かったので、顔を上げる。そして、言葉を失っていた。
杯の上に姿を現しているそれは、四枚の翼を持つ、ヒト族の子供に見えた。しかし細部が色々違っている。あくまで姿がヒト族の子供に似ているだけ。あり得ない髪の色も、何よりも発している次元違いの魔力も。何もかもがヒト族とは違いすぎる。人間とは根本的に決定的に違うのだと、一目で分かってしまった。
ソフィーさんですら、この超越的存在に比べればまだまだ。
それが分かる程だ。この世界で無敵だろうソフィーさんですら、パルミラ本人と敵対したら、ひとたまりも無くひねり潰される。
その事実だけが、目の前にあった。
そして幸いなことに、パルミラは人間四種族に対して友好的な神だ。それだけは、本当に幸運なことだったと思う。
もしもパルミラに少しでも悪意があったのなら。
人間四種族は、そもそも滅びていたのだろう。
この世界を用意されることもなく。用意された後も、生き延びる事は出来なかった。
深淵の者とパルミラと。それに三傑が緊密に連携してきたからこそ、人間四種族は生きていられるのだと。
リディーは悟らされていた。
「ふあーあ。 おはようソフィー。 賢者の石新規作成者は三度目……かな」
「この後更に二回続くよ」
「まあ起きる分にはかまわないよ。 ソフィーは基本的に転機にしか起こさないし」
転機にしか、起こさない。
そうか、やはりこの人は、もう素で賢者の石をホイホイ作れるレベルなんだ。それはそうだろう。
だが、転機には起こしている、と言う事か。それもまた、色々と異常な話だ。
パルミラの意識が、此方に向けられる。
それだけで、絶息しそうだった。
「今までで一番才覚がないね。 無理矢理才覚を引っ張り出した、というところかな」
「多分次……いや最後の子が一番才覚に欠けると思うよ」
「まあ仕方が無いかなあ。 さて、名前はリディーとスールか。 リディー、何を望む?」
声を掛けられた。
それだけで、今までなら発狂していたかも知れない。凄まじい圧力に脂汗を流しながら、必死に顔を上げる。
「この世界の「みんな」の変革を」
「ふむ、平均的な精神性の持ち主に強い不満があるんだね。 まとめて変革したいと願っていると」
「っ、はい……」
「まあやってみると良いんじゃないのかな。 私としては、どのような方法であっても、人間達が詰みを打開できれば良いと思っているからね」
そうか。だからソフィーさんと話が合うわけだ。
この神は、違う観点から人間を見ている。勿論それは善意なのだろうが。あまりにも高次元からの善意だから、人間から見れば、狂気にしか感じ取れないのだ。深淵の深奥にいるのも納得である。
其所は、そもそも知恵の究極集約点。
人間が本来はたどり着ける場所ではないのだから。
そしてスールに、今度は問いが投げかけられる。
「スールは、何を望む?」
「みんなの変革を。 でも、リディーとは違う……」
「選別をしたいと。 ふむふむ、双子の姉妹で方法論が変わってくると言うのもまた面白い。 良いんじゃないのかな。 現状では可能性がない。 特異点として全てを統括する、新しい方法を模索するために破壊する、創造する。 これに加えて、変革と選別が加わるとなると、手札が増えるものね」
パルミラは素直にスールの言葉も受け入れる。思考も相手が読んでいるから、会話がスムーズだ。物わかりが良い、というよりも、この神にはタブーが存在していない。どんな手を使ってでも、実用的ならかまわないという思考なのだろうと理解する。
それはとても怖い事なのだろうが。
しかしながら、現実問題として、ふつうの人間だけでは解決できない問題に直面している今。
柔軟に考える事が出来。
人間側からの提案を最大限柔軟に受け入れてくれるこの存在は。
とても便利なのだと、実感できた。
それにしても神なのだなと思い知らされる。本当に、道徳とか倫理観念とか、そういうものとは完全にかけ離れた所にいるんだなと知るばかりである。
神はあくまで神。
人間とは違う。
その強烈すぎるプレッシャーの中で強制的に理解させられる。
神が求めているのは、人間四種族が自立意思を持ってそれぞれ活動し、互いの種族を尊重して生きること。
なぜならば、この世界。
この星を出れば、他にも文明が存在しているのだ。
それら文明の人間と仲良くやっていけるのか。
残念ながら、今の段階では不可能だ。
接触しただけで、総力での殺し合いに発展するだろう。
人間はそういう生物だという理屈は成立しない。なぜならば、この世界の人間四種族は、滅びから救われて此処にいるのだから。
しかも、その際に他の生物もまるごと巻き込んでいる者達もいる。ヒト族と獣人族のことだ。自分達の世界を丸ごと潰しておいて、今更どの面下げて自主性がどうのこうのとほざくか。
そんな事をしておいて、今更人間らしい生き方だとか、人間も獣の一種なのだから仕方が無いだとか。腐った理屈を口から垂れ流すことは許されない。
知的生命体にまで成長したのなら、責務を果たせ。そしてそれは自立意思で行え。そして手助けは最大限するのだから、可能性がないなら作り出せ。
それが、この地獄が生まれた理由。
そもそも地獄で無ければ、人間四種族は、ともに手を取り合って生きる事を考えることさえしなかった。自分より弱い他種族を滅ぼすか、奪い合うことしかしなかったのだ。
種族間の闘争だから仕方が無い、ですまされるのは獣までだ。
知恵を使って生きる事を覚えた生物が、獣と同じように振る舞う事は許されない。都合良い時だけ人間も獣だと宣うのは、それは要するに獣と同じように扱うべきであるという言葉を肯定することに他ならない。
パルミラには、色々と思うところはある。素晴らしい神だとは一概にはいえない。ソフィーさんと話が合う時点で、危険な存在だと断言することだって出来る。
だが、逆らう事は考えられない。
悔しいけれど、確かにパルミラのいう事は正論だ。従うほかは無い。
「それじゃあ、力の上限を引き上げておこうね。 後は努力次第だよ」
ぱちんと指を鳴らすパルミラ。
賢者の石を作成している過程で、体の中が温まっていたリディーだが。その熱が、更に強烈になった感触がある。
同時に生物としての機能が、完全に失われていくのも感じた。
世界から切り離された。
知的生命体が獣とは違う振る舞いを要求されるように。
超越者はみんな、つまり普通の知的生命体と違う振る舞いを要求される。
それを、体に直接叩き込まれていく。
パルミラからは悪意は感じない。
隣で、床でのたうち回って苦しんでいるスールに手を伸ばそうとするが。全身がひび割れるようにして痛んで、悲鳴さえ漏らせなかった。
程なく、体が再構築されるのと同時に。
パルミラが言う。
「じゃあ、この時点で世界を固定で」
「すぐにまた呼び出すことになると思うけれど」
「んーん、かまわないよソフィー。 ソフィーが私を呼び出すときは、基本的に詰みを打開する重要転換点だし。 そもそも時間の感覚は私と超越者と人間とで、それぞれ違いすぎるからね」
パルミラが消えていく。
凄まじいプレッシャーが全て無くなると同時に、スールは盛大に床に吐き戻していた。
多分、以降は完全に食事が必要なくなるか。いや、多分排泄の方が必要なくなるとみて良い。
取り込んだ栄養は完全に無駄なく自分のものになる。
それはすなわち。
獣とは完全に切り離され。獣と混ざる部分もあったヒト族とも、完全に違ってくるという事だ。
呼吸を整えながら、スールの背中をさする。
スールは完全にパニックに陥っている様子で。周囲に対して、恐怖の目を向けていた。精神がリディーより脆いんだから仕方が無い。あんなものに直接接触して、発狂しなかっただけでも凄いくらいだ。
しばしして。気がつくと、別の部屋で寝かされていた。
イル師匠が側についていてくれた。それだけで、随分安心したが。しかし、その安心もほぼ一瞬で収まった。
「ようこそこちら側に」
「……」
「イル師匠……」
「分かっているだろうけれども、私も貴方たちも、もう人間ではないわ。 今後は超越者として活動する事が求められる。 それを覚えておきなさい」
イル師匠は、億の時を費やして、リディーとスールを超越者にまで育て上げるべく、試行錯誤した。
本来なら嬉しくて跳び上がるのではないかと思うのだが。まったく嬉しそうには見えない。
超越者だから、だろうか。
いや、これは違う。
多分イル師匠は、ずっと快く思っていなかったのだ。
だが、イル師匠は、「ありのままに人間が滅びる」事もまた望んで等いないだろう。それについては、見ていてよく分かった。
頭がどんどん冴えてくる。
どれだけ力がついたかも分かってくる。
勿論、何百倍なんて倍率は掛かっていない。今後、更に鍛え上げていかなければならない段階だが。
それでも、以前とは比較にならない。
才覚の上限値が上がったのだ。だから、もっと凄い錬金術を試せるようになる。そういう事である。
何となく分かった。賢者の石の話からして、人間時代のイル師匠やフィリスさんの七割強程度しか才覚が無かったリディーやスールだけれども。
今後は努力次第で、今のイル師匠やフィリスさんに並ぶほどの力を得ることも可能になるのだろう。
ただし、大まじめに努力を重ねた上で。
天文学的な時間、研鑽を続けなければならないのだろうが。
「今回、ルーシャと、もう二人の超越を試みる事になっているわ」
「アルトさんとプラフタさんですか」
「察しが良くていいわね。 アルト……いやルアードという本名で呼んだ方が良いかしら」
深淵の者の長。
500年の時を経て、この世界に秩序を作りし者。
ある意味、この世界にとっての最大の偉人だ。寿命だけなら、既に克服し。人間の世界をしっかりまとめ上げ。存在すらしなかった秩序をもたらしたという意味では、それがどれだけ凄い事かよく分かる。
イル師匠は更に語ってくれる。
ルアードは、生来的に様々な内臓が機能していなかった。その悪影響は多数存在していたが。
その一方で。野心というものが存在しないという、ヒト族にしてはとても珍しい性質を持つことに成功していた。
プラフタさんも完璧なように見えて、元々欲求が極めて薄いヒトであったらしい。幼い頃から二人で生きてきたのだが。それは単純に性格があったというよりも。そもそも、普通の人間とは、意識しない地点で違っている、というのも大きかったのだろう。
だから二人は世界の命運を巡って争いもしたし。
そしてルアードはそもそも、500年を掛けてこの世界に秩序を作り。腐敗もしない組織を作ることに成功した。
深淵の者は、この世界に対する監査組織に等しく。
ドラゴンや邪神の恐怖から、弱者を守ってきた存在でもある。
ヒトらしい生き方には反しているかも知れない。
だが、深淵の者が存在しなければ。
今だ世界には二大国どころか。安定した大都市すら存在していなかっただろう。失われてしまった技術も、多数存在していたに違いなかった。
此処からだ。
此処からは、リディーとスールも、主体的に世界の変革に関わる。ついに、この世界を蝕んでいる最大の元凶、「みんな」を変える時が来たのだ。
リディーは唇を噛む。
嬉しい事ばかりでは無い。だけれども、やらなければならない。
人間の未来に可能性がない以上。
手段を選んではいられない。それについては、全くの同意なのだから。