暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ 作:dwwyakata@2024
「さんびきのやぎのがらがらどん」という童話がありますが、それに出てくる恐ろしいヤギを想像していただければ。
草食動物って、一部の人間が思っているよりずっと攻撃的で、力も強い生物が多いんです。
城門で集合してから、イル師匠に教わった廃鉱山に出向く。そういえば、コバルト草の場所は教えてくれなかったのに、廃鉱山について教えてくれたのはなんでだろう。鉱石を試行錯誤して探すのは、危険だからだろうか。スールには分からなかったけれど。とにかく、スケジュールは一泊二日。
今回はちょっと厄介で。
森で守られていない街道を行かなければならない。
距離そのものは短いが。
当然のことながら、危険度は段違いだ。
更に言うと、鉱山のそばに合った小さな宿場町は、自衛だけで精一杯の状況。
何が起きていても不思議では無い。
王都の周囲にも、ほろぼされた集落は点々としているが。
その一つに加わっても、おかしくない。
そんな場所なのだ。
王都に引っ越そうにも。
そもそも、集落から出れば、獣に狙い撃ちにされる。
獣からして見れば、エサが自ら目の前に出てきてくれたようなものである。遠慮も容赦もしてくれないだろう。
森を出る。
既に皆無言だった。
スールはクラフトを何時でも投げられるように構えているし。
小走りのまま、街道というただ踏み固められただけの場所を行く。
前の方から、傭兵に守られた商人の馬車が来るのが見えた。かなりの大所帯だが。多分アルファ商会ではないだろう。
街道を行く場合。
ああやって傭兵をやとって守って貰うか。
騎士団に要請するしかない。
それでも無事にたどり着けるか分からないのだ。
この世界は。
過酷なのである。
一礼して、ヒト族の商人とすれ違う。傭兵は獣人族が主体の様子だった。魔族がいれば多少はマシになるのだろうが。
そもそも魔族はどの集落でも守りの要扱いである。
簡単に外征には出してはくれないだろう。
傭兵団にいるとしても、多くの場合相当な高給取り。
今の規模の商人には雇えない。
そういう事と、見て良さそうだった。
街が見えてきた。
ささやかな森がちょっとだけあるが。街を守りきれているとはとても言えない。城壁もぼろぼろ。
王都側の街でこうなのだ。
辺境がどうなっているのか何て。
とてもではないが、考えたくも無い。
街の中に入ると、何もかもがくすんでいた。
色が灰色だ。
家も何もかも。
華やかな王都とは何もかも違い。
人々に気力もなく。
何かに怯えるような目が目立つ。
獣に常に脅かされているのだと思うと、当たり前の話である。自警団ではとてもではないが、獣の対処だけで精一杯。
子供がさらわれでもしたら、その瞬間諦めるしかない。
そういう場所なのだ。
アンパサンドさんに言われる。
「宿では盗人が出る可能性があるので、気を付けるのです。 荷車に貴重品も残さないか、或いは宿を使わない方が良いのです」
「つまり野宿ってこった」
「野宿……虫……」
マティアスの心ない発言にスールが青ざめるのを見て。
フィンブル兄が呆れる。
「スー、まーだ治ってなかったのかそれ」
「だってえ!」
「ともかく、リディーさん。 どうするか決めるのです」
「ええと、宿を使いましょう。 クラフトとお薬は、手元に。 荷車に関しては、見張りをつけましょう」
はあとため息をつくスールだが。
フィンブル兄は意外と落ち着いている。
もっと酷い宿が当たり前だったのかも知れない。
宿に入ると。
虱だらけのベッドに。
食事も出ないと言う。いずれにしても、出たとしても、腹を下すようなものが来る可能性は低くない。
ただ、街の惨状を見てしまうと。
それに対して、どうこう言う事はとてもではないが出来ない。
アンパサンドさんが、部屋に入ってくる。
そして、説明してくれた。
「話を聞いて来たのです。 ヤギのいる丘については、現時点ではネームドは出ていない、との事です」
「良かった……」
「いや、喜んでばかりもいられないのです。 ヤギの数がかなり多いそうで、どうにか駆除して欲しいと泣きつかれたのです」
「えっ……」
今回の予定駆除数は8。
アードラのような空中戦を得意とする相手では無い。大きいとは言っても四足だ。クラフトの置き石戦法などで充分対応出来るかと思っていた。
だがヤギは獰猛な上に、群れを作る生物である。
その群れの規模によっては、話がだいぶ変わってくる。
「街は見ての通りの有様で、周辺の小物の獣に対応するのが精一杯。 錬金術師と騎士が来たのなら、仕事をして欲しいと懇願されたのです。 さて、どうします?」
「スーちゃん、これは……」
「やろう」
「うん」
リディーが頷く。
スールだって、こんなのは見過ごせない。
人手が足りないのは分かっている。だけれど、この街は完全に灰色だ。
獣が多すぎて畑仕事ですら命がけ。
その畑だって枯れかけている。
城壁も不安だし。
本来なら、国が力を入れるべき場所なのではないのか。
そんな予算もない。
とても守りきれない。
他にもっと守らなければ行けない場所がある。
あの冷酷そうだけれども、リアリストの極みであるミレイユ王女である。恐らく、そう言った理由で、此処には時々騎士団を派遣する、位のことしかしていないのだろうとは思う。
いずれは此処にも何か手をさしのべてくれるのかも知れない。
いや、違う。
その手が、スール達なのだ。
ならば、少なくとも。
できる範囲の事は、しなければならない。
「それで、どれくらいのヤギがいるんですか?」
「街の周辺には、少し大きめのが三十。 魔術を使うほど成長した個体がいるかまではわかりませんが、多分群れなのです。 恐らく攻撃を仕掛ければ、一斉に反撃に出てくると思いますです。 多分一回り強いボスもいるでしょう」
「地図はありますか?」
「地図?」
マティアスが不思議そうに聞いてくるけれど。
当たり前の話だ。
爆弾の使い方については、イル師匠に習った。
投げるか、置き石戦法か。
相手の来る場所を予測して、発破する手を、今回は使う。
つまり釣り出して、何かしらの形で集め、それで一斉に爆破、ズドンである。
これで一気に主力を潰して。
残りを殺す。
「そう行きたいと思います」
「……少し村長と交渉してくるのです」
「お願いします」
アンパサンドさんは、マティアスさんを連れて宿を出る。
フィンブル兄が、それを見送ると、話を振ってきた。
「下に知り合いがいた」
「本当ですか?」
「ああ。 どうもこの街に自警団として帰化したらしいな。 情報を貰えるかも知れない」
「私も行きます」
リディーが立ち上がる。
スールも、と声を掛けたが。
休んでおいてとリディーに言われる。
余計な事を言うことを危惧されたのかも知れないけれど。まあそれは、もう何というか、仕方が無い。
しばらく黙っていると。
程なく、年老いたヒト族男性と。
自警団の長らしい、中年を過ぎた獣人族の男性が来た。
どうやらアンパサンドさんとマティアスさん。それにリディーとフィンブル兄がそれぞれから声を掛けて。
来て貰った、と言う事だろう。
「錬金術師どのということで、ありがたい。 それで、地図の提供をして欲しいと」
「はい。 お願い出来ますか」
「確か貴方の権限なら出来る筈なのです」
「……分かりました、簡単なものしかありませんが」
自警団団長は、態度が真逆だ。
不審そうに此方を見ている。
錬金術師には、若くして大成する者もいるらしいと、スールも聞いた事があるけれども。大半は相応の年で一人前になる。リディーやスールみたいな小娘が、一人前の訳がないと、疑いの目で見ていた。
悔しいけど、返す言葉も無い。
実際問題、一人前ではないのだから。
「自警団から手を貸せと」
「犠牲者を出したくありません。 ヤギの数が多すぎますし、一網打尽にするには人手が足りないので……」
「ふん、錬金術師の台詞とは思えんな」
精悍な豹の顔をした自警団長は。
予想通り相当頭が固い様子だった。
アンパサンドさんが咳払いする。
「この子らは確かに半人前なのです。 しかしながら、既に大火力の発破を作るくらいの腕前はあるのです」
「ああそうでなければ騎士どのが護衛してここに来ていないだろうよ。 あんたもホムで騎士になってるって事は相当な使い手とみるが、それなら村の守りで精一杯、ということくらいはわからないか」
「それをどうにかできる好機なのです」
「……そうかも知れないな。 だが、失敗した場合、村全体がやられる可能性の方が高いんじゃあないのか」
こりゃ、ダメだな。
自警団の団長は、失礼すると言って、部屋を出て行った。
マティアスが頭を掻く。
「向こうが言うことも正論ではあるな。 こっちが何かしらの実績を見せていれば、信用してくれるのかも知れないが」
「仕方が無い、我々だけでやるのです」
「いや、アンパサンドどの、マティアスどの。 二人だけ、力を貸してくれるかも知れない」
フィンブル兄が言うには、昔の傭兵仲間が、賛意を示してくれたという。
だが、団長があんな様子では。
無理に力を借りるとしても、どんな無理難題を言われるか。
難色を示すリディーに。
フィンブル兄は、頭を下げる。
「ちょっと待っていてくれ。 俺が話をしてみる。 昔の仲間の伝手だ」
「……無理、しないでよ?」
「ああ、分かってる」
名を上げたくて、無理をして死ぬ傭兵はたくさんいる。
最初の戦いで死んでしまう従騎士や傭兵は、大体そういう手合いだという話を聞かされてもいる。
しばしして。
部屋に戻ってきたフィンブル兄は、少し疲れた様子だった。
あの団長に、土下座でもして頼んだのかも知れない。
兎も角、二人。
兎顔の獣人族戦士と。
魔術師らしいヒト族の男性を連れていた。
どうやらこの二人が昔の仲間らしい。
「無理を言って、手を借りてきた。 獣人族の方はピッター。 ヒト族の方はクラップだ」
「よろしくおねがいします」
「よろしく」
ヒト族の男性はもう中年だろう。
厳しい傭兵団での生活を切り上げて、帰化したとみた。
兎顔の戦士は、まだ若い女性戦士だが。
多分傭兵団の荒々しい生活に嫌気を覚えたのかも知れない。
「もう少し錬金術師としての実績を積めば、向こうから諸手を挙げて協力してくれるのかな……」
スールがぼやくが。
リディーは口をつぐんだまま、何も言わなかった。
半日ほど掛けて、貰った地図を頼りに、アンパサンドさんが、土地勘のあるピッターさんと一緒に、周囲を見てきてくれた。
その結果。
地図がかなり間違っている事が分かった。
まあ、こんな状況だ。大まかな地図しか作れないだろうし、それは正直な所仕方が無いと思う。
「これなら国が昔作った地図でも持ってくるべきだったのです」
「でも、近くに川があるし、かなり地形が変わっている可能性も……」
「いずれにしても。 もしも殲滅するなら、此処なのです」
アンパサンドさんが、地図の上で指を動かす。
そして行き着いた先は。
谷だった。
「此処に誘いこんで相手の足を止め、一気に爆破」
「うん……でも、まずどうやって誘いこむか」
「囮は自分がやるのです」
「足はどう止めるの?」
スールが聞くと、リディーは頷いて、先に仕掛けをする必要があると教えてくれた。
崖の一部にクラフトをしかけて。
タイミングを合わせて発破をしかける。
そして、崖崩れを引き起こし。
ヤギが引きつけられて崖になだれ込んだところで、地面にしかけておいたクラフトを一気に爆破する。
つまり、二段階の爆破で、敵を壊滅させると言う事だ。
しかしながら、今手元にあるクラフトで、そんな器用なこと、できるだろうか。
多分全部まとめて、一気に爆破してしまう可能性が高いと思う。
セーフティの解除は、基本的に爆弾に触った状態で行う。或いは、誰かが触っていないといけない。
そう説明すると。
魔術師のクラップさんが頷く。
「ならば俺がやろう。 これでも実戦仕込みの魔術だ。 総力をつぎ込めば、崖崩れくらいは引き起こせる」
「……クラップの旦那、大丈夫か」
「ああ、若造。 これでもまだ何とか一発くらいはデカイのを撃てるさ」
「そうだな。 昔のあんたは凄かったもんな」
フィンブル兄の話によると。
クラップさんは大火力の爆発を起こす魔術を得意としていたらしく。
傭兵でもそれを売りにしていたそうだ。
ただし、今では年老いた結果、全盛期のフルパワーの破壊力は、一回再現するのが限界だという。
なるほど、そうなると、厳しい戦いになるが。仕方が無い。
アンパサンドさんが、ピッターさんに聞く。
「ヤギと競争して勝てる自信は」
「い、いや流石にそれは」
「ならば囮は自分一人でやるのです。 リディーさん、全てのタイミングの判断は任せるのですよ」
「分かりました」
側でリディーが生唾を飲み込んでいるのが分かる。
自分を含めて七人の命を預かることになったのだ。
緊張するのは当然だろう。
まずは下見に行く。
崖の周辺にも小物の獣がいたので、全て先に追い散らす。流石に小さいのばかりだったので、苦戦はしなかった。
殺した後、風下に死体を集めて、先に処置。
荷車の容積が早くも危ないので。
肉類や骨などは、皆村に分けてしまう方が良いだろう。
羊毛は欲しいけれど。
ヤギの羊毛は品質に問題があるし。
作戦の性質上、どれだけ無事に残るか分からない。
爆破に適当な場所も確認。
魔術の詠唱と、発動のタイミングについても確認した。
その上で、緻密な作戦を立てる。
スールは先にクラフトを埋めに行き。
そして、崖の上から逆落としを掛ける場所についても、先に相談。敵は爆破されたら、生き残りが逃げに入るだろうから、先回りする必要がある。崖を駆け上がるような事が出来るヤギもいるらしいが。
流石に其処までの強力な個体はいないと判断するしかない。
一応、リディーが、崖の出口に防御魔術を展開すると言っていたが。
それも多分、長い時間はもたないだろう。
アリスさんに鍛えられて魔術の腕は上げているだろうけれど。
それも限界があるはずだ。相手を混乱させる事が出来れば、勝率は上がるはずだが。
「それでは作戦開始。 誰が失敗しても死人が出るのです」
「おう。 分かってる」
「リディーさん、作戦開始の合図、後は指揮を」
「分かりました」
リディーが震えているのが分かる。
スールだって恐い。
だけれども、大型化したヤギの群れが、それぞれの個体が凶悪化したケースなんて、考えたくも無い。
今のうちに駆除しておかなければ。
本当に大変な被害が出る。
下手をすれば、あの街は滅びてしまうかも知れない。
それだけは、絶対に許されない。
リディーが頷くと。
残像を作ってアンパサンドさんが消える。
詠唱を開始するクラップさん。
ほどなく。
地鳴りのような音が聞こえはじめた。
アンパサンドさんが、ヤギの群れに散々嫌がらせをし。そして、完全に怒らせたのだろう。特に群れのボス個体を、である。
凄まじい唸り声が聞こえる。
ヤギの雄叫びとはとても思えないほど、おぞましく、殺意に満ちたものだった。
子供だけ、狙って喰らうヤギのネームドがいる。
荒野のヤギは雑食で、当然人間も襲って喰らう。
それらの恐ろしい話を思い出して、スールは生唾を飲み込むが。
リディーは既に目を閉じて、全力で詠唱中。
クラップさんもだ。
先にリディーの詠唱が完了する。
クラップさんも、詠唱を完了。いつでも行けると、目配せしてくる。
さて、後は。
敵が姿を見せるタイミングで。予定通りに、全員が動く。トラブルへの対応もする。
「来やがった!」
フィンブル兄が叫ぶ。
数は、思ったより少ないが、だがどうやら群れが縦に伸びている様子だ。何度か切り返して、まとめようとアンパサンドさんがしかけたようだけれど、敵の群れのボスが思ったより冷静らしい。
何かあった時に備えて、群れを想像以上に上手に制御している、と言う事なのだろう。
まずい。一気に群れがなだれ込んでくることを想定していたのに。
だが、リディーは、谷に入り込んで来たヤギの群れを見ると。
アンパサンドさんに手鏡で合図を送り。
そして叫んだ。
「クラップさん!」
「おうっ!」
印を切り。空中に巨大な魔法陣を出現させるクラップさん。
全身の魔力を絞り出すような一撃だが。
それでも錬金術師が作る強力な爆弾には及ばない、のだろう。でなければ、錬金術師は此処まで重宝されない。
ただ、崖の脆くなっている一点を集中爆破し。
粉みじんに砕いて、落盤を起こさせるには充分だった。
爆発し、脆くなっていた谷の壁面が一気に崩れ始める。怒濤のように、土砂が降り注ぎ始める。
アンパサンドさんは残像を作ると、その岩の下をさっと抜けて、向こう側へと退避。
対してヤギの群れは、悲鳴を上げながら逃げ惑い。後続が駆け込んできたことで、混乱に陥った。
「スーちゃん!」
頷くと。
ワードを唱えて、起爆。
谷が。
光と、爆裂と、血に包まれた。それは情け容赦ない死の具現化だった。
クラフトの上にいたヤギたちの残骸が、谷の上まで跳んでくる。首だったり足だったり内臓だったり。
思わず真っ青になるけれども。
今の爆破に耐え抜いたのが、まだ十頭以上いる。特にボスヤギが、手負いのまま、どうやってか生き延び。
崖を蹴り上がって、姿を踊らせた。
太陽を遮るようにして姿を見せたそれは。
他のヤギよりも明らかに大きく。
そして猛り狂っていた。崖を乗り越えてきたのだ。戦闘力も侮れない筈である。
「フィンブルさん、ピッターさん、マティアスさん、残敵の掃討を! 生き延びていても、手傷は受けている筈です! スーちゃん、時間稼いで!」
「おうっ!」
リディーが防御魔術を展開。
分厚い魔術の防壁が、崖の出入り口に展開。敵の生き残りを更に分断した。
二の足を踏んでいた後続のヤギたちが、それを見て一瞬足を止める。谷の中にいたヤギは全滅、もしくは瀕死。後続集団のヤギは無事だが、しかしボスと引き離されて殆ど無防備状態だ。其処へ、更に分断工作が入り。崖上から躍り上がるようにして、マティアスさんとフィンブル兄、ピッターさんが襲いかかる。
クラップさんは、肩で息をついていて、もう戦えそうにない。
リディーは壁の維持で精一杯。
スールは指先で来いと、ヤギのボスを挑発。
小娘が、舐めるなと。ヤギのボスは、体勢を低くして突進してきた。
自慢の機動力を生かして戦うべきだが。
自分の身の程はわきまえている。
拳銃を乱射しながら、横滑りに走る。
ヤギのボスが、至近の地面を抉りあげた。
目が合う。
ヤギの目は、瞳孔が人間とは向きが違っていて。それが一種の威圧感を作り出す。スールも一瞬、ぞわっと来るのを感じた。
立て続けに、竿立ちになったヤギが、足を踏み降ろしてくる。
踏まれたら、背骨を一撃でへし折られて即死だが。
ずり下がりながら、また弾丸を乱射して浴びせてやる。
傷ついている毛皮には、小さな弾丸でも少しは効く様子だが。
苛立ちながら、ヤギはインファイトをどんどん挑んでくる。その蹄も角も、喰らえば一撃確殺は確定。何度も掠める。その度に内臓が縮むようだ。こんな恐い戦い方を、アンパサンドさんはいつもしているのか。ぞっとする話だ。
まだか。とにかく、ヤギとの戦闘が長く感じる。
下では苛烈な戦闘が続いている。
ボスと分断された烏合の衆、それも奇襲を受けた状態だ。どうにかなると信じたい。
後は、スールが持ち堪えさえすれば。
悲鳴が下で上がる。
味方のものではない。
ヤギのものだ。
立て続けに上がり始める。どれもが断末魔なのは明白だった。
恐らくは、谷を迂回しきったアンパサンドさんが、味方に加勢し始めたのだ。
集団戦で真価を発揮する戦闘法。
相手をひたすら攪乱し続け。
そして味方に必殺の機会を作っていく。
アシスト特化の、何て言ったっけ。
そうだ、回避盾だ。
リディーが盾の魔術を解除。敵の残存勢力を分断する必要もないと判断したのだ。
そろそろか。もう少し耐えれば、勝ちだ。
ヤギが怒りの声を上げた。群れが全滅寸前になっている事を悟ったのかも知れない。ぐっと間合いを詰めてくると。一気に巨大な角でカチ上げてきた。
喰らったら即死確定。
もう余裕も何も無く、必死に飛び下がるが、少し足りない。
擦る。
それだけで、吹っ飛ばされて、岩に叩き付けられる。
背骨が軋む音がした。ぎゃっと、情けない悲鳴を上げてしまう。
頭を打たなかっただけ上出来か。
更に、突っ込んでくるヤギ。フルパワーで、全力で突貫してくる。
押し潰す気だ。
あ、死んだなこれ。
スールは、ゆっくり見える、突っ込んでくるヤギを見て、そう静かに思ったけれども。その瞬間、雷霆のように走った光があった。
ヤギを横切るようにして。
アンパサンドさんが、その目の一つを抉ったのである。
流石に荒野のヤギ。その頭目。
目を一瞬で潰される、とはいかなかったようだが。
それでも苦悶の声を上げて、竿立ちになる。
ひゅうと呼吸を整えながら、アンパサンドさんが、両手に血染めのナイフを持ったまま、左右にステップする。
「良く持ち堪えたのです。 下はもう大丈夫だから、此方に来たのです。 さあ三下、後はお前を自分がズタズタに切り刻んでやるのです」
「キギャアアアアアアッ!」
ヤギが絶叫。
余裕を見せているアンパサンドさんが気にくわないのか、真っ正面から叩き潰しに行く。
だがこのヤギのボス、全身傷だらけの上に、この間の喰人植物よりかなり弱い。ならば結果は見えていた。
それよりも凄いのは、敵を攪乱して釣り出し、危険地帯を駆け抜けた上に谷を迂回して敵の後ろに回り込み。更に味方を支援した後、崖の上に平然と戻ってきたアンパサンドさんだ。
一発でも貰ったら終わり。
その弱点を克服するために。まず圧倒的な体力を身につけている、と言う事だ。
速さもそうだが、まずは体力。
そういうことだったのか。
案の定ヤギの攻撃は、どれも空を抉るばかりで。手傷が次々に増えていく。リディーが詠唱を開始。
スールは頷くと、呼吸を整えながら立ち上がる。
そして。筋力強化の魔術を受けて、全身の力が一気に膨れあがったのを感じると、体勢を低くし。
アンパサンドさんに翻弄されているヤギの土手っ腹に、渾身のドロップキックを叩き込んでやる。
流石によろめいたヤギの、喉を。恐らく十回以上、アンパサンドさんは切り裂いたのだろう。
血がしぶく。
だが、それでも致命傷にならない。
攻撃が軽いのだ。
だからスールは、ヤギの背中に跨がると、首を掴み、一気に力を込める。めりめりと音がして、首の傷が拡がっていく。
悲鳴を上げるヤギだが。
その全身に、更にアンパサンドさんが容赦なく傷を増やしていく。抵抗する事も出来ず。関節も耳も多分おしりなどの毛が少ない肌が露出した場所も。どんどん傷を増やされて、絶叫するヤギの首を。
ついにスールは、リディーの魔術の支援もあってねじり上げた。
傷口が盛大に開き。
鮮血が噴き出す。
ヤギが横倒しになり、巻き込まれ掛けたが、間一髪で戻ってきたマティアスが支えてくれた。
マティアスも肩で息をついていた。
フィンブル兄とピッターさんも戻ってくる。フィンブル兄のハルバードは折れてしまっていた。ピッターさんのロングソードはのこぎりのように歯が零れてしまっていた。武器とは言え相棒。悲しい姿だ。
そして全員例外なく返り血で真っ赤だった。
マティアスが、無言のまま、まだぴくぴく動いていたボスヤギの首を刎ねる。マティアスの剣だけは、まったく傷もなかった。
本当に一発の威力は大きい。あんなにアンパサンドさんが切っても、首に致命打を入れられなかったのに。アードラのように、防御が脆い獣ならともかく。こういう装甲が厚い奴にも、一撃で此処までのを入れられるのを見ると、マティアスは力だけは強いのかも知れない。それとも、相当な業物を渡されているのか。多分両方だろう。
ぼんやりと、スールはそう思う。
「スー、大丈夫か。 目の焦点が合ってないぞ」
「うっさい残念イケメン……」
「お、おいっ!」
そのまま、前のめりに倒れる。
リディーが抱き留めてくれなかったら、地面に顔面をぶつけて、歯を折っていたかも知れない。
意識を失ったのだと。
何となく分かった。
目が覚めると、街の宿だった。
虱だらけのベッドだと思って、思わず飛び起きたが。驚くほどベッドは清潔になっていた。
側にはリディーがうつらうつらしていて。
そして、スールの目が覚めたのに気付いて、話をしてくれる。
「アンパサンドさんが村にひとっ走りして、話をしてくれたの。 そうしたら、村の方でも、流石に思うところがあったんだと思う。 シーツとか急いで洗濯して、待ってくれていたよ」
「あの後街までひとっ走りしてくれたの!?」
「うん」
「体力底なしだね……」
絶句するしかない。
アンパサンドさんの本当の武器は、多分体力だ。敵の群れの中で常時嫌がらせを続け、そして味方に必殺の好機を作り続けるには、ホム特有の高い計算能力に加えて。その頭と、体の動きを維持するための体力が必須なのだろう。
街に出ると、大量のヤギの死骸を、嬉々として捌いていた。
毛皮の一部と、首は回収したが。
それ以外は全部あげてしまったという。
まあそれもそうだ。
うちの荷車の積載量だと、とてもではないけれど回収できない。
更に、である。
これから、急いで鉱石類を拾って戻らなければならない。ヤギの群れが全滅した今が好機だ。
クラップさんは腰を痛めたようで、しばらく休むと言うことだったが。
今回の功績を認められたらしいピッターさんは、新しいロングソードを貰ってご満悦。街の財政状況から言うと、これでも相当な褒美だろう。問題はハルバードをダメにしてしまったフィンブル兄だ。
悲しそうにしていたので、声を掛ける。
「ごめん、フィンブル兄。 それ、大事な相棒だったんでしょ」
「ああ。 だが、弱き民を守れたのなら、此奴も喜んでくれるだろう」
「あの、これから鉱石を集めるんだけれど。 それが終わったら、鍛冶屋の親父さんに鉱石からインゴット作って渡そうと思うんだ。 それで……スーちゃんから頼んで、直して貰うよ」
「嬉しいが、これ結構高いぞ」
頷く。だが、あまり素直にこれを使うべきだとも思えない。
ハルバードは斧槍とも言われる、それぞれの特徴を持った複雑な機構の武器だ。
銃ほど複雑な訳では無いが、こういった武器を作るには、相応の冶金技術が必要になってくる。
実のところ、スールはフィンブル兄には普通の槍か、或いは長柄の斧か、どちらかが良いのではないかと思っている。
前にシスターグレースに聞いたことがあるのだが、ハルバードを一とする「何でもできる武器」というのは、構造的にも脆く扱いも難しい。普通の槍と立ち会うと、余程の達人でない限り遅れを取る事が多いという。本末転倒である。槍も実のところ、殴るという機能を充分に持っているからである。
勿論スールも二丁拳銃にこだわっているのだ。
フィンブル兄の拘りにケチを入れるつもりは無い。
フィンブル兄もリディーのもやもやを察してくれたのか。
やがて、有難うとだけ、呟いた。