暗黒錬金術師伝説8 暗黒!リディー&スールのアトリエ 作:dwwyakata@2024
自分達が地雷原のど真ん中にいたことを思い知らされます。
これ以上もなくはっきり。
濃厚な死の臭いとともに。
呼吸を整えると、アトリエに戻る。
情報を整理する。
リディーは熱を出して寝込んでしまったので、お薬を飲ませる。やっぱり少しちびったらしく、着替えするから見ないでと言われて。衝立を挟んで、それで話す。
「もう、間違いないね。 利用はされているけれど、多分建設的な目的ではあるんだと思う」
「うん。 でも深淵の者は、そのために手段を選ばない組織でもあるみたいだね」
「アルトさん、別人みたいだった」
「そうだね」
アルトさんに気があるのが目に見えていたリディーは、余計にショックが大きかったのだろう。
まあ気持ちは分かるけれど。
アルトさんは中身が老人だ。
見た目で判断する事を、明らかに不愉快がっている様子もあった。
リディーは見た目でアルトさんに熱を上げていた様子だから。
いずれにしても、アルトさんには拒絶されていただろう。
今日の内に。
一旦酷い目にあっておいて、良かったのかも知れないとさえ、スールは思う。危険な恋をネタにする物語もあるけれど。
そんなものは、現実では火傷ではすまない。事実、さっきは冗談抜きに、一瞬の差で首を落とされ掛けたのだ。
そういうものだ。
「ネージュの所に行こう。 もう、時間がない」
「分かった。 私、着替え終わったら王宮行ってくるから、スーちゃんはフィンブルさんに声を掛けてきて」
すぐに二手に分かれて動く。
リディーも怖かっただろうけれど。
スールだって怖かった。
ソフィーさんほど桁外れの怖さでは無かったけれど。アルトさんのあれもまた、深淵から這い上がってくる魔物のような怖さだった。
錬金術はやはり、極めれば極める程恐怖に近付くのだ。
イル師匠だって、きっと。
雨の中を走りながら、そう思う。
いずれ自分達も。
ルーシャも。
そう思うと、心も痛む。
だけれども、今は走る。アダレットの人達、なんて大げさな単位じゃない。少なくとも、自分の大事な人達のためだけにでも、走る。
フィンブル兄に声を掛ける。
いつも通り、三日後に。
次に勝負を付ける。ネージュから情報を聞き出し、対ファルギオル戦の全ての準備を整える。
ファルギオルが本当に健在なのかさえ分からなくなってきた。
だけれども、少なくとも。
この雨はどうにかしなければならない。
掌の上で踊らされているのははっきりした。
だけれど、まだ今は抵抗する実力もないし。
何よりも、掌がどれくらいの広さかさえも分からない。
だから、力をつけるしかない。
でも、手段を選ばない戦い方はしたくない。
それも本音だった。
リディーはどうなのだろう。
酒場で、フィンブル兄に声を掛けて。それですぐに帰る。
こんな日でも、コルネリア商会は普通に開いていた。錬金術の装備で、雨を出店に入らないように防いでいるようだった。
ざっと売り物を見るが。
素材で良さそうなのが幾つかあったので。
渡されている財布を開いて、中身を見る。
補助金は振り込まれているので、こういう所で使うのには抵抗もない。最近は、ラブリーフィリスで時々入荷されている本を買うこともあった。本が楽に買えるくらいにお金が振り込まれている、ということだ。
荷車は流石に持ってきていないので、外出用のリュックに素材を詰めると。
コルネリアさんが声を掛けて来る。
「そろそろサービスをするのです」
「あ、そういえば前に言っていた……」
「はいなのです」
かなりお金は掛かるものの。
物品のコピーをしてくれる、というのだ。
驚く。
それは確か。
噂に聞く、ごくごく希にホムが持っている複製能力。
コルネリア商会に、使える人材がいるのか。
「少しばかり高リスクになるのですけれども、どうしても増やしたいものがあるのなら、持ってくるのです。 お金と引き替えに、数日後には複製して見せるのです」
「分かりました……!」
そうか。それならば、頼みたい所だ。
情報は少しでも多い方が良い。
一つずつ、順番に聞いてみる。
何でもホム達は、この複製能力を「別系統の錬金術」と呼んでいるらしい。コルネリアさんもこの能力持ちだそうで、本来はこれよりずっと弱い力を男女のホムがそれぞれ使って、子供を作るのに用いるらしい。
ホムは商売が成功すると子だくさんになるらしいが、それはこの能力によるリスクが、体力の消耗以外にないかららしく。
またホム以外の三種族の人間の女性が、妊娠と出産というリスクを負わなければならないのに対し。
ホムは子供を文字通り「作る」ため、その辺りの危険がないという。
そもそういう事情からか、他の三種族に比べて性に対して極めてドライで。
ヒト族が恋愛に夢を見たり、獣人族が発情期がどうのこうのというのに対し。
ホムはもう淡々と、必要に応じて子供を作るそうだ。むしろヒト族はその辺りが面倒くさくないのかと、ホムとしては疑問だとコルネリアさんは言っていた。
情けない事に、最近ようやく知ったのだが。
王都を離れて小さな街に行くと。
産婆すらいないケースや、適正な魔術を使える人間がいないケースがあり。
子供を産むのが文字通り命がけになる事もあると言う。
ホムは身体能力で劣るものの。
子供を作ることに関しては、人間四種族の中では、最も低リスクで行える種族であるわけだ。
とはいってもホムはアンパサンドさんのような例外を除くと戦闘力がとても低いわけで。
やはり、ホムだけでコロニーを作ったりして暮らすのは無理がありすぎる。
他の種族と連携して、始めて力を発揮できると言う事だ。
ともかく、コルネリアさんの所には、この複製能力持ちのホムが複数いるという事で。ただし相当なリスクも伴うため。
簡単には出来ないし。
商売も、おとくいさん以外には解放していないという。
まあそれもそうだろう。
ヒト族だったらともかく、ホムの商人ともなると、エゴも少ないしリスクも考えて動くのだ。
従業員の消耗を考えると。
おいそれと、誰に対してでも使える能力ではないし。
商売に出来るものでもない、と言う事なのだろう。
説明を受けたのでメモ。
このメモも、最近始めた。
リディーがやっているのを見てはいたのだけれど。どうしてもメモを実際に取る気にはなれなかった。
しかしながら、そろそろメモをとって、しっかり頭で考えるというのを、やらなければならない。
ただでさえ、リディーは気付いていないようだけれども。
リディーが錬金術を行っている際に、妙な勘みたいなのを使い始めているのである。
多分厳しい状況で錬金術をしている内に身につけた技術なのだろう。
なら、スールもリディーの強みを少しでも取り込んで。
力を上げなければならない。
戦闘でバトルミックスを使う事だけを考えていれば良い状況はもうとっくに終わっている。
スールだって。
一人前の錬金術師として、恥ずかしくない力を手に入れなければならないのだ。
そのままアトリエに戻る。
リディーも帰ってきていたので、情報交換。
やはり役人は渋い顔をしていたそうだ。
そろそろ厳しい。
間違いなく。
この長雨だ。農作物が壊滅的な打撃を受けたら、どうなるかは考えたくも無い。
王都や、万を超える住民を抱える都市はどうにかなるかも知れないが。
小さな街や村は文字通り地獄絵図になる筈。
ラスティンだってそんなに蓄えはないだろうし。
文字通りアダレットは壊滅する。
大都市だけ守っていれば良い、というようは話では無いし。
ファルギオルは、直接暴れていなくても。
これだけの損害を周囲にまき散らす、と言う事だ。
話をした後、次にどうするかの相談に入る。
ネージュとのネゴシエーションを成功させる。
恐らくネージュが使ったのは、高度な錬金術の産物だ。それを使ってファルギオルと戦うには、当たり前だけれども時間もいる。調合とかを、ルーシャやアルトさんに頼るわけにもいかないだろう。
深淵の者の話を聞かされた以上。
何かの思惑があって、リディーとスールが使われているのは確実だと分かったが。
それでも、此処は。
真面目に話に乗らなければならないのだ。
「素材については、ちょっと私が見ておくね。 必要に応じて、不思議な絵画に入らなければならないかも知れないし」
「スーちゃんは必須の調合しておくよ。 爆弾とか薬とか、なんぼあっても足りないでしょ」
「うん、お願い」
「後で考えをすりあわせよう」
決めると、すぐに動ける。
この辺りは双子の強みだ。
今度こそ、勝負を決める。
王城のエントランスに集まる。
ネージュの絵画に入る前に、打ち合わせをする。
「今回で決めます。 農作物の被害もそろそろ限界の筈です」
リディーが言うと。
マティアスが頷く。
多分王族だし、状況は流れてきているのだろう。
間違いない。想定通りだ。
だからこそに、早く勝負を決めなければならないのである。
「ネージュを説得できそうなのです?」
「自信は……七割くらいです」
「はあ。 準備はしてきてそれですか?」
「はい」
リディーをじっと見るアンパサンドさん。
ベストを尽くしてそれだと言う事を理解してくれてはいるのだろうが。それでも七割だと少し分の悪い話だと思っているのだろう。
スールも見つめられる。
アンパサンドさんは厳しい人だ。
戦闘では自分にもっとも厳しいが。
しかしながら、戦略的にものを考えるという点でも厳しい。
だからスールに怖い事もさせる。
スールが起点になって、連携が崩れる可能性や。
全てが台無しになる状況のことを。
想定しているから、なのだろう。
「分かりましたのです。 では、今回で勝負を付けるつもりで。 ただ、どうしても無理ならば、引くのですよ」
「はい」
「分かってます!」
周囲にいるのは、ルーシャとオイフェさん。アルトさんとフィンブル兄。マティアスとアンパサンドさん。
この絵に対している、いつもの面子だ。
今回で勝負を付ける。
気合いを入れて来たリディーとスールのことを、アンパサンドさんは認めてくれたのだ。だから頑張る。
頑張るだけではなくて成果も出さなければならないけれど。
まずは、自分に気合いを入れる。
深呼吸した後、絵に踏み込む。
そして、要塞の正門をくぐった。
あくびをしているネージュの姿が見える。
フリだなと、すぐにスールは看破。
明らかに、此方を苛立たせるためにやっている。勿論ネージュにとっては、アダレットなんてどうなってもいい、というのも理由の一つだろう。
ネージュはまだ。
此方に対して、話をしてくれているだけの状態。
切り札は開示してくれていないのだ。
信頼を得られてなどいない。
その証拠に、リディーとスールが精神的に追い詰められるような話ばかりしてきている。
それは間違いなく、リディーとスールを試すと同時に。
必要とあれば追い出すためだ。
「しつこいわね。 それで?」
「話をさせてください」
「ふーん。 まあいいわ。 ひよっこ三人、きなさい。 後は人質で」
「はい」
アンパサンドさんに目配せ。
どうせこの城は、ネージュのおなかの中も同じだ。誰かが動いたら、即座にネージュに察知される。
勝手な行動を誰かがしたら。
多分全員がその場で殺される。
ネージュにはそれくらいの力はある筈で。
絶対に余計な事をすることは許されない。
いつもの机のある部屋に通される。
鎧が、お茶とお菓子を配膳してくれたけれど。
やはり中身は、あからさまにがらんどうだった。
「それで。 深淵の者は貴方たちみたいなひよっこに、何を期待していると」
「深淵の者が、組織として未来を指向しているという話をされました」
「……驚いたわね。 殺されずに、それを聞き出せたの」
「はい」
リディーは、震えを押し殺しながら、一言ずつ選んで話をしていく。
というか、今話している内容だって。
下手をするとアルトさんに筒抜けである。
そしてアルトさんの判断次第では。
殺される。
「何かの鍵として、私達を使うつもりの様子です。 それ以上の事は、聞き出すことが出来ませんでした」
「未来ね……」
「はい」
ネージュが考え込む。
子供の姿はしているけれど。
やはりその動作は、子供のそれではなかった。
しばしして、ネージュは言う。
「深淵の者が世界征服なんて目論んでいないことは知っていたし、各地でドラゴンや邪神を狩っているのが不思議ではあったのよね。 事実私がファルギオルと戦った時、支援を申し出てきた深淵の者の凄腕達も、目的については口にしなかった。 或いは、当時はそもそも世界を単によくする事だけを目論んでいて、何かしらの材料を得たことで、未来を指向するようになった?」
「分かりません。 この情報を聞き出すだけでも、殺され掛けたんです」
「そうでしょうね。 あの組織は基本的に、全体の利益で考えるから。 有害と判断したら、王でもある程度力のある錬金術師でも容赦なく殺すからね」
「考えたんです。 もしも、この世界に未来がないのだとしたらって」
ネージュが少しだけ驚いたようだった。
ルーシャもこっちを見て、驚いている。
アルトさんは超然としている人だが。
あの人が、大まじめにあんな行動をするのは何故か。
考えられるのは。
このいびつな世界に。
本当の意味で、未来が微塵もないのだとしたら。
場所によっては現在さえないはずだ。
今いるアダレットだって、無理矢理維持しているけれど。それもいつまで続くのか。それも分からない。
何百年ものスパンでものを考えているとして。
何かしらの方法で未来を見られるとか。
何か別の理由で、未来がないことを知っていたら。
大まじめに、何か企むかも知れない。
「掌の上で転がされていることは分かっています。 でも、もしも私達が動く事で、その未来の可能性を少しでも作れるのなら、動きたいです」
「双子のもう片方も?」
「はい。 二人で話して決めたことです」
「ふーん」
ネージュはその気が無さそうな返事だが。
多分違う。
しばし、考え込んでいる。
これまでにない手応えだ。行けるか。
だが、ネージュは、なおも言う。
「分かったわ。 深淵の者の思惑については、恐らく聞き出してきた情報で間違いないでしょうね。 それに乗って見ることで、此方にもデメリットはない」
「じゃあ……」
「最後に一つ。 自分達が人間ではなくなるとしても、その思惑に乗るつもりはある?」
ネージュの言葉は。
酷く冷徹で。
突き放すようだった。
「もう知っているわよね。 錬金術は才能の学問。 知恵の学問。 そして知識というものは、深淵そのものよ。 深淵を覗けば深淵に覗き返されるのは当たり前の話で、深淵の者が鍵として……どういう意味だかは分からないけれど、切り札として貴方たちを使用しようとしているのなら。 多分二人とも、いずれ人間ではなくなるわよ」
むしろこの言葉。
側で完全に血が引いている顔で此方を見ているルーシャに向けられているのかも知れない。
言葉には揶揄の要素もなく。
そして、むしろ哀れみがあるようにさえ思えた。
「少し待ってあげるわ。 だからその間に考えなさい。 例え人間を止めてでも、その未来とやらを作る鍵になる覚悟があるのかどうか」
ネージュが、最初からいなかったかのように消える。
スールは、吐き気が一気にこみ上げてくるのを感じた。
今食べたお菓子も、飲んだお茶も、とても美味しかったのに。
それが泥にでもなったかのような気分だ。
「スー!」
「だ、大丈夫、大丈夫……!」
何処かで、分かっていたのかも知れない。
リディーはおかしくなりはじめている。
スールも、心の奥に、黒い染みみたいなのが出来はじめている。
何だか、時々おぞましい凶暴性が誘ってくるのだ。
どうやって敵を殺すか。
効率的に敵を殺すにはどうすればいいか。
そんなことばかり考えてしまう。
今のネージュの言葉が決定打になった。いずれ、力を更に伸ばしていけば。
リディーもスールも。
多分人間じゃなくなる。
考えてみれば、イル師匠だって、そうなのだろう。あの人は、丁寧に指導はしてくれるけれど。振るう力は、もう人間の領域をとっくの昔に超越している。フィリスさんは、人間から足を踏み外していることを隠そうともしてない。
ソフィーさんに至っては。
もはや、人間どころか、生物であるかさえも怪しい有様だ。
先達の恐ろしさを叩き込まれているからこそ分かる。
そしてネージュは、きっと既に。どうにかして、リディーとスールが、先達の恐怖を見ている事を、知っていた。
そしていずれああなると、釘を刺してきた。
ネージュは多分、最後まで人のままだった、のだろう。
もしもそれ以上の存在になっていたら、多分深淵の者に加入していたはずだ。
或いは、人を辞めるのが嫌だったのかも知れない。
そしてネージュを責める資格なんて。
誰にもない。
「お、おえっ! げほっ!」
必死に吐き気を堪える。
リディーも、口を押さえたまま、じっと蹲っている。
震えているのは、恐怖からだろう。
多分ソフィーさん辺りだったら。これで笑っていたのかも知れない。あの人は何となく勘で分かるのだけれど。天性の存在だ。最初から壊れていたからこそ、彼処まで行けたのだろう。
ルーシャはもう泣いていた。
「し、深淵の者に交渉して、わたくしが代わりに!」
「無理だよ! ルーシャが「鍵」だかに丁度良いんだったら、最初っから深淵の者はそうやって動いているはずだもん! リディーとスーちゃんである必要があるんだよ! もう、逃げられない!」
「怖いよ……」
リディーが呻く。
背中を撫でようとして、自分の手も震えている事にスールは気付いて。
また吐き気がこみ上げてきた。
これが、ネージュの最後の試験だ。
コレを突破しない限り。
ネージュは絶対に、切り札について教えてくれる事など無いだろう。
思い出せ。
尊敬できる人たちの事を。
スールは、自分に言い聞かせる。
駄目だ。
怖くて、それでもどうにもなりそうにない。
人間では無くなる。
告げられたその言葉はあまりにも強烈すぎて、その言葉だけで脳内が真っ黒に塗りつぶされそうだった。
ルーシャも泣いている。
どうにも出来ない自分の非力を呪っているのは確実だ。
ネージュは一目でルーシャがどういう存在にいるのかを見抜いて。
此処に招いたのは確実だ。
嗚呼。
流石は200年を経ている錬金術師。
老獪さでは、勝てる訳がない。人間観察についても、明らかに優れている。ネージュは即座に見抜いたのだろう。
リディーとスールが、どうしようもないと。
素質は知らない。
スールは、昔は自分は出来る子だと思い込んでいたが。そんな事はないと、今ははっきり理解している。
だからこそに、ネージュは揺さぶりを掛けてきた。
人間を止める覚悟があるかと。
これ以上進めば、二人とも壊れる。
それを、ネージュは見抜いているのだ。
震えながら。
リディーが、スールの手をとった。
ぎゅうと、リディーの弱々しいはずの手が、力を込めて握りしめてくる。
リディーは震えながらも、必死に顔を上げた。
唇を噛みしめている。血が出そうな程に。
顔色は死人のように青ざめているけれど。
それでもリディーは。立ち上がると。スールの背中を撫でた。
「大丈夫、お姉ちゃんが、側に、いるから」
「……っ!」
「リディー、もう無理は……」
「ルーシャも、本当に、有難う! 私達のために泣いてくれて、本当に嬉しい。 だけど、だけどもう、逃げ道なんてない! そのまま泣いていても、ファルギオルにアダレットは滅ぼされる! 下手な事したら、お父さんもルーシャも深淵の者に、これ以上もないほど確実に残酷に殺される! だったら今は、力を、力をつけるまで……」
耐えるしかない。
そう、リディーは言うと。
押し黙り。
スールの手を握ったまま。自分に言い聞かせるように言う。
「私が、スーちゃんも、みんなも守るんだから……」
小さな悲鳴が漏れそうになる。
リディーの目が。
ああ、リディーの目が。
みるみる濁っていく。
一目で分かるほど、濁っていく。
頭がぐらんぐらん揺れる。
多分、スールの目だって、濁り始めている筈だ。
だって、リディーを一人で戦わせる訳にはいかないのだ。絶対に、絶対にこれ以上、家族を失うわけにはいかない。
だったら。
人間なんて。
辞めてやる。
深呼吸をすると。
席に着く。もう、泣いているのは、ルーシャだけだった。
嗚呼。今、深淵を覗き込んでしまったんだな。そう、スールは悟った。これから、どんどん深く覗き込むんだな。そうとも悟った。心に点っていた小さな黒が。どんどん拡がっていくのが、体感できた。