あらかじめご了承ください。
―― 金石さん具合悪い?
―― 大丈夫って、ずっと声ずれてるんだけど……。いつもこんなミスしないよね?
―― 無理な日だったら帰った方がいいよ
―― 金石、今日は早めに帰りなさい。本格的に体を壊す方が心配だから
音楽室の扉が閉まり、背後からは再開された合唱が漏れ聞こえてくる。
少しの間たたずんでいた体が帰り支度をするために教室へと足を進め始めた。
「今ーわたしのー、願ーい事がー」
足を一歩踏み出すと靴音がやけにこだまする。
部室棟の最上階だからか、学祭も近いというのに誰ともすれ違うことはない。
「かなーうなーらばー、つばーさがほしーい」
曲がり角の先に渡り廊下が見える。
外の風が運んできた空気が少し肌寒かった。
「このー背中にー、とりーのようにー」
渡り廊下には誰もいない。
蓬くんに呼び出されたであろう彼女も、その先にはいなかった。
「しろーいつーばさー、つけてくーださーいー……」
開かれたままの扉をくぐって外に出ると西日の強さに目が眩む。
思わず目を背けると、夕焼けに染まった校舎が視界を占めた。
怪獣によって壊された街をSNSやテレビ中継で見たことがある。
瓦礫の山を飾るのは、昼間のように明るい赤、赤、赤。
それがどれだけ悲惨であっても、私にとっては目の前の淡い橙より煩わしいものではなかった。
もし、今怪獣が現れてくれたのなら。
この橙もただの景色に代わってくれるのだろうか。
「……つまんな。願って来るものじゃないでしょ」
あまりに不謹慎な空想を振りはらうように夕焼けから目をそらす。
帰るんだから、リュックを取りに行かないと。
渡り廊下を通り抜けて校舎外に張り出している階段を降りる。
みんながリュックを移動させてないかと教室を覗いても、駄弁っている男子グルーブ以外めぼしいものはない。
「一階かな。……もう、聞いたほうがはやいか」
どうせ帰ってるだろうし。
共通のグループで「私のリュックってどこ置いてる?」と送ると、少ししてらんかから返信があった。
返信は「今どこ?」という簡素なもので、私はいぶかしみながら「教室の前」と返す。
「……『誰かいる』? ……『いる』」
「そこで待ってて」と、返信とともに送られたスタンプで会話のラリーは止まった。
変なことを気にするなと思っていると、
────────ジリリリリリリリリリ────────
『火事です。火事です。2階です。火事が発生しました。
落ち着いて避難して下さい』
けたたましいサイレンとともに、自動音声のアナウンスが響き渡った。
「えっ、火事? ヤバくね?」
「避難……する?」
「……降りるか。一応」
残っていた男子たちが教室を出ていくのに合わせて、私も階段のほうへと足を進めようとする。
そのとき、スマホがまた震えた。「待っててよ~」と、個別チャットで届いたらんかからの通知。
「…………いや、まさか、ね」
怪獣被害やらでみんなこういう事態には敏感になっている中、やらかす奴がいるとは思えない。
それがよりによって、私の友人なわけがない。
教室の中に入って少しすると廊下から足音が聞こえてきて、
「よっす」
サイレンが鳴り響く中、リュックを抱えたらんかが笑顔で教室に入ってきた。
「な……あんっ……何やってんの!」
「二人きりで話すべきだと思ったからさ。ジャマな奴を追い出したくてね」
「そんなのが理由になるわけないでしょ!」
「なるよ? 友達のことだし」
怪獣みたいな女だ。道理が通じない。
二人で話したいことがあるのならどっかに呼び出すだろう、普通。
こいつは単に人避けのためだけに警報器をぶっ叩きやがったのだ。
らんかはおちゃらけてるところはあるけど、そういう常識は持っている子だったはずだ。
なにがらんかをこんな馬鹿な行動に駆り立てたのか……私か?
「はぁ…………。謝りに行くよ、らんか。私も付き合うから」
「そうやって逃げるよね、金石は」
「はぁ?」
私が教室を出ようと歩き出すと、らんかはそう言って私の前に立ちはだかった。
物言いの強さの癖にへらへらと笑っていて気分が悪い。
「なに、喧嘩売ってんの?」
「話し合おうって言ってんのに逃げんじゃん。何の話だと思ったわけ?」
「……ふーっ、わかった。で、何の話したいの」
「わたし、なずみと付き合ってんだよね」
あたりがしんと静まる。
いつのまにかサイレンが止まっていたことに、今更になって気づいた。
「な……なんで……」
「なんで、って。好きだから?」
「なんで言うのっ!」
誰もいない教室に私の声がこだました。
こんなに騒いで誰も来ないのは楽でいいななんて、私の頭の中の冷たいところが見当違いな感想を述べる。
「なんで、私に、付き合ってるってっ、いまさらっ!」
「グループ出来てから付き合ったから黙ってたけどさ〜。変に気を遣わせたくなかったし?
だけどさ、よもくんたち見てて思ったんだよね。誰かに相談できるのいいなって。
だから金石に言った。これで理由になる?」
目の前の女は何でもないように、平然とそうのたまった。
襟首をつかんで引き寄せてもこいつはへらへらと笑っている。
「だったら、だったら今のままでよかったじゃんか!
お前の下手くそな隠し事なんてこっちはわかってたんだからっ!」
「じゃあ、金石が黙ってたら済む話だね」
「それっ、は……」
「……ね、金石。なんでそんなに怒鳴るの? 言ってくれなきゃわかんないよ」
「……ぁ……っ」
私は何も言えなかった。わからなかったんだ。私にも。
友達が、秘密を教えてくれたって。普通は喜ぶところじゃないか。
南さんが蓬くんをかっさらったから?
そんなの、らんかの話には関係ない。
「か、変わっちゃう」
なのに、私の口は勝手に動いた。
「みんな、変わっちゃうのに。わたっ、私だけ、なにも変われなくて……」
視界がぼやけてる。
それをらんかには知られたくなくて、彼女の胸に顔をうずめた。
彼女は、そんな私をよけることなく背中をさすってくれた。
「らんかに彼氏がいたら、遊びも誘いずらくなって」
「……まぁ、なるかもねぇ」
「蓬くんに彼女がいたら、好きって気持ちも、なくさないといけないのに」
なくさないと、友達としてすらそばにいられないのに。
「なんで? 好きでいいじゃん」
「……へ?」
思わず顔を上げると、心底不思議そうならんかの顔がそこにあった。
「えっ、だって。蓬くん、彼女いるし」
「いいじゃん。彼女いても」
「……好きってバレたら。蓬くんから離れるでしょ。それに、私が付き合えても、蓬くんも悪者になっちゃう」
「あー、略奪愛ダメなタイプか」
らんかは私の背をぽんぽんと叩きながら数秒上を向くと、うんと頷いて視線を戻す。
「それでも変わらないわ。高校生のカップルなんてすぐ別れるし、その時まで友達のままいればいいじゃん?」
「……らんかが言う? それ」
「うちらは別格というか。そこらのカップルより上にいるんで」
「棚の上じゃん」
いつも通りのらんかにふっと笑ってしまう。
いや、らんかは最初からいつも通りだったんだ。私が色眼鏡で見ていただけで。
友達のためならどんな馬鹿な真似もできてしまうのがらんかだったんだ。
「金石はさ、不器用だよね」
「……らんかより器用なつもりだけど」
「どこがぁよ。……器用なふりして、気持ちまで変えようとしなくていいよ。
気持ちだけは、自由なんだから」
らんかはそう私を抱きしめて、頭をなでてくれている。
「だからさ、また私をだしにしてみんなで遊びに行こう?
誘いづらいとか、言わないでよ」
「……うん」
私はもう一度だけ、彼女の肩を借りてひとしきり泣いた。
すると、だんだんと下の階が騒がしくなってくる。
先生やら避難した生徒達が上がってきているのだろう。
「……もしさ、蓬くんたちがずっと長く付き合ってさ、結婚しそうだったらどうするの?」
「その時はなりふり構わず行くしかないね」
「らんかみたいに?」
「お、伝わった? 金石は行動に派手さが足りないね~、もっとインパクトがないと!」
「らんかは流石にやりすぎだよ。……じゃあ、怒られに行きますか」
そう言って私が教室を出ようとすると、らんかはまたも私の前に立ちはだかる。
「……黙ってたらバレなくない?」
こんどはえらい真剣な顔をしてそうのたまうのだから、呆れたものだ。
私は彼女を逃がさないように腕を組んでしっかり手を握った。
「責任はとらなきゃでしょ」
「うへぇ」
「私も一緒に怒られるからさ」
それが、私の赤いランプの光を見逃さなかったこの怪獣へのせめてものお礼だった。
◇
そして翌日。
一人で学校に続く橋を渡ると、土手の下に南さんがしゃがんでいた。
「あ」
「……どうも」
昨日より幾分も距離を感じるあいさつに、人の家の猫って一度なついても次に会うとこうなるよな、なんてことを思ってしまう。
「蓬くん待ち?」
「まぁ、うん」
へー、と言いながら南さんの隣に座ると彼女は「えぇ……」と呟いた。
昨日の話のせいか警戒されているみたいだが、敗者が勝者に気を遣う必要はないだろう。
「仲直りしたんだ」
「……おかげさまで」
ぺこりと頭を下げられて、そこで会話が途切れてしまう。
ここ数日は話せていたからか、こういう子だったよな~と少しなつかしさを感じる。
南さんに話すべきというか、謝るべきことは沢山ある。
陰口叩いていたこととか、別れさせようとしていたこととか。
蓬くんのことを、まだ好きなこととか。
だけど、私にはそれを言うだけの勇気はまだなくて、言うんだったらしっかりと機会を改めたいなんて、逃げ道を作って気持ちを誤魔化す。
ああ、やっぱり変わるのは難しいな、なんで考えて。
だけど、ただ黙っているだけじゃ仕方ないので、とっておきの話題を振ってみることにした。
「南さんさ、鳴衣と友達だよね」
「うん」
「正直さ……」
すこし緊張した面持ちの南さんに私は言い放った。
「鳴衣のこと、素で母さんって呼び間違えたことあるんだよね」
「……くふっ、ふふふっ」
「あははっ、だよね、わっかる人いたか〜!」
身内ネタはやっぱりウケがいいなんて思いながら、彼女の横顔を見る。
彼女の笑顔は綺麗だった。
「実はさ、昨日鳴衣とギクシャクして話しづらくてさ。南さんからそれとなく顔色うかがってくれない?」
「ふふっ、えー? なんで」
「同じ母を持つ者のよしみでさ」
「だれが姉妹だよ」
そんな風に、私たちはしばらく話し込んだ。
別にそこになんの裏も意図もない。
ただ、紆余曲折がある前の私の気持ちに従っただけだった。
この子は
私の好きな
彼女と仲良くなったら、蓬くんへの気持ちはどうなるのだろう。
それは、その時考えればいい。
結局何の決着もつかなかったけど、彼女と無駄話ができるのは楽しかった。
それだけの話だ。