――この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
丹田に力をこめる。
軽快なメロディーに変わった後半に合わせて、跳ねるように声を出す。
――悲しみのない 自由な空へ つばさはためかせ いきたい
自由な空ってなに? ちゃんと目的地って決めて飛んでる?
馬鹿だな、人が飛べるわけないじゃん。
そんな頭の中のノイズをかき消すように、最後の一フレーズを歌いきる。
「はい、ありがとね」
一番が終わるところで、パンッ、と指揮者を止める拍手が鳴った。私たち合唱部の顧問の先生だ。
先生は口に手を当てて少し考えるそぶりを見せた後、小さくうなずいてから言葉を続けた。
「うん、まず先に褒めるとこ。前半気持ち乗ってて音程も音量も合ってた。最後のレガートもすごいよかったね。
次に課題。前半と後半で曲想が変わってるのに伸びが前半と一緒だね。そこを変えてこうか」
すると先生は気になったフレーズの手本を聞かせ、私たちにやってみてとうながす。
手本と実演を何度か繰り返して、満足がいったのか先生はうんと大きくうなづいた。
「後半は翼が手に入ったんだからもっと軽々としていいんだよ。
忘れがちだけど、この曲の元はポップスだから。
そこを意識してもう一回通しでやったらBチームは終わりね。集中して頑張ろう」
「「「「はいっ」」」」
「つっかれた〜、ロバート鬼すぎ」
「定期演も終わったばっかなのに学祭でレパートリ増やすとかきついって。
金石さんもそう思うよね?」
金曜日の放課後、チームの合わせ練習が終わった私たち合唱部Bチームのメンバーは音楽室前の廊下で休憩という名のおしゃべりに興じていた。
音楽室からはAチームの息のあった『少年の日はいま』が聞こえてくる。
私が壁際にしゃがんで先ほどの曲の譜面を追いかけていると、メンバーの一人から始まった愚痴のバトンが手渡された。
ちなみに、ロバートとは合唱部の顧問の先生のあだ名だ。
由来はわかってないけど昔からそう呼ばれているらしい。
「うん。指導もあんまりわかんないし」
「そう? ロバートの指導はそこそこわかりやすい方でしょ」
「金石さんは高校からだもんね。私らの中学とかやばかったもん」
「体育教師で未経験とかほんとふざけてた、ほんと」
「私のところも今考えるとそこそこヤバかったかな」
バトンを無事取り落とし愚痴の対象が中学時代へと移っていったところで、私は苦笑いしか浮かべられなくなった。
フジヨキ台高校は合唱部にそこそこ力を入れており中学から合唱を始めた部員もそれなりにいる。
だから、気づかないうちに独特な、内輪ノリの空気が作られることもよくあることだ。
得てして部活動とはそう言うものなのだろう。
「でも、金石さんは高校からって思えないくらい合わせるの上手いよね。来年は私たちと一緒にAかな〜」
「若山先輩も言ってたよ、声きれいだって」
「いやそんな、自分はまだまだですって。それに若山先輩も先輩のこと、怪獣のせいで通学大変なのに練習休まないのすごいって……あ、水切らした」
チーム内の先輩からのお世辞やその中に潜む牽制を軽く受け止めていると、ペットボトルの中身が空になっていることに気がついた。
「次全体練習だよ。大丈夫?」
「うーん、ちょっと自販機行ってくる」
同学年の部員に対してそう返すと、私は空のペットボトルをもって立ち上がる。
「遅れんなよ〜」
「遅れたら吹部からもどやされるんだからね」
「はーい」
チームの面々にやじられながら、私は早足でその場を立ち去った。
別に今の合唱部が嫌いなわけではない。
練習自体は難しいけど遊ぶ時間はある。いじめなんてないし、波風は立てないようにしている。
でも、
「居場所じゃないよなぁ」
一緒にいるのに離れているような、そんな疎外感をいつも感じていた。
「バスケから離れるだけなら写真部でよかったかも…」
「あれ、交子じゃん」
くだらないもしもの話を想像しながら階段を降りていると背後の踊り場から私を呼ぶ声が聞こえた。
私を下の名前で呼ぶ人なんて、この学校には一人しかいない。
「めーいー、交子って呼ぶなっ。って、あれ、南さん?」
「おっす」
「……どうも」
私が振り返ると、踊り場には私の友人である
「二人セットなの珍しいね」
「そう? 結構一緒だけど、基本隠密なだけで」
「忍者かよ」
鳴衣のボケにいつも通りうりうりと小突きながら、確か二人は中学時代からの友人だったなと思い出す。
私と鳴衣が別のクラスになった時期からの付き合いのはずだ。
鳴衣はお節介焼きなところがあるからこの不思議ちゃんともやっていけるのだろう。
「で、何してたの? 放課後に学校でさ」
「学祭の写真の選考。夢芽さん全然手伝ってくれなくてさ〜」
「あ〜、あれね」
鳴衣は写真部なので学祭で催される展示に自分のスペースを持っているのだ。
そのための写真を選ぶために、私も度々呼び出されていたりする。
最近は私の写真だけでなく南さんの写真まで見せられる始末である。
そんな南さんは私たちの会話よりも自分の爪の調子が気になるようで、手を胸の前で遊ばせていた。
中学の頃から変わらないスタンスに私は内心あきれ、視線を戻す。
「そう言う交子さんは部活で?」
「だから交子言うなし。そ、合唱部」
「演奏会終わりでしょ? 大変だね〜」
「合唱部……?」
他愛のない会話につぶやき声が割り込んでくる。
顔を向けると南さんが顔を上げてこちらを見つめていた。
「あー、そう。交子は合唱部なんよ。高校から」
「へぇ」
「うん。楽そうだし人数多いから選んだんだけどさ、練習キツいわ意識高いわで空回り中って感じ」
「……そうなんだ」
南さんが会話に参加するとはつゆも思わなかったからか、余計なことを言ったかもしれない。
私を見る南さんの目は隠しているものを見透かしているようで苦手だ。
――金石って南さんと中学同じなんだっけ
軽く流しておいとましようかという思考を昨日の思い出がせきとめる。
そういえば、蓬くんが話題を振ってきたのって、登校時はあれだけだったかも。
「南さんは合唱好きなの? よく歌ってるよね、合唱曲」
空のペットボトルを両手でいじりながら、南さんに問いかける。
「あー……、考えたことなかったからわかんないかも」
「ふふっ、まあそんなもんだよね」
あまりにも明け透けな答えに思わず私はわらってしまった。
人に合わせるとか考えたことあるんだろうか。
ないのだとしたら、少し羨ましい。
「よかったら見にこない? 学祭の公演会」
「えっ……?」
「私、二日目に出るんだ。蓬くんたち……クラスの友達は誘ってないんだけどね」
そんな南さんだから、私は彼女を公演会に誘ってみることにした。
共通の話題があれば探りも入れやすいし、彼女の素直な感想が欲しいという自分がいたからだ。
今の活動にやりがいというか、意味が欲しかったのかもしれない。
「それって私は行っていいパターン?」
「鳴衣はだーめ。絶対からかうじゃん」
「んなことないって。立派になったなーってハンカチで涙拭いてるから」
「もうからかってんじゃんっ」
「約束は」
鳴衣とじゃれあっていると、顎に手を当てながら南さんが口を開く。
「約束は、できないかも。学祭行きたくないし、守れない約束はしたくないから」
「そ……う、なん、だ?」
なんか名言みたいなことを言いながら断ってっきた。
ダメ元だし断られるのはいいけど、何か釈然としない。
「交子さん。夢芽さんあれじゃん。噂で聞いたかもだけど、一時期男子を呼び出してすっぽかしたりしてたじゃん」
「あー、らしいね」
私もいつメンの中で何度か話題にあげたことがあった。
「そういうのやめていろんな人に謝ってさ、社会復帰してるんだよこの子。心境の変化ってやつ。
だから断り方下手でも許したげて?」
「お母さんうっさい」
「ふはっ」
鳴衣のお節介を的確に表した表現に、思わず笑ってしまう。
いやほんと、今の鳴衣はいつにも増してお母さんそのものだ。
「そっか、社会復帰か……っ、ふふっ、じゃあ手伝わないとだ」
「いや、そういうのいいから」
そう言って南さんは顔をしかめる。
それが照れてるだけに見えたので、私は鳴衣にならってお母さんのように、身内のように接した。
「良かったね。約束、大事にできるようになって」
「――――うん」
からかい半分の言葉に南さんは凛と応える。
その誇らしげなはにかみを見てつい、
(あ、かわいい)
なんて思ってしまう自分がいたのが、すこし悔しかった。
「……あ、やば。そういえば水買わなきゃなんだ。もう行くね」
「待って交子。来週写真選び付き合ってくんない?」
「ん、じゃあ月曜ね」
照れ隠しついでに踊り場を去ろうとすると鳴衣に呼び止められる。
振り返って鳴衣と約束を取り付けると、隣にいた南さんと目線が合った。
「演奏会、ほんと気が向いたらでいいから。じゃ、また来週」
「うん、また」
どうやらこの約束は大事にできる範疇らしい。
南さんが頷いたのを確認すると、私は階段を下っていく。
「なんだ、意外と話せる子じゃん」
口を持った空のペットボトルは段を降りるたびゆらゆら揺れる。
一段飛ばして段を蹴る足は翼があるかのように軽かった。