「今日も練習、がんばろーっ!」
いつも借りているレッスンスタジオで咲希は元気よく腕を振り上げて大きく声を出す。
自分は元気いっぱいというアピールをするように。
「咲希ちゃん、熱は大丈夫? 今日もちょっと赤く見えるけど……」
しかしすぐに穂波が見咎めて心配してくれる。
「え? 咲希、熱あるの? それなら家で休んで──」
「ううん! ないない! 明日はみんなで天文台にいけるーって思って、テンション上がってるだけだから!」
志歩も心配してか、珍しく練習を休んでくれていいなんて言いかけるが咲希はすぐさま首を横に振った。
ここで休んではいられない。
「……本当に?」
「うん! だから練習やろ! ね!」
「……はぁ。いいけど、ヤバかったらちゃんと言ってよ……」
強気に押していくと志歩はしょうがないといったように折れてくれた。
これだけ元気よく見えれば多少の違和感は誤魔化せるもの。
そういう意味では、
「今は想もいないんだから、また無理して前みたいになったら……」
栗空想が不在というのは咲希にとって都合がよかったかもしれない。
バイトで練習時間と合わないために、今日の練習に関しては良くて遅刻、悪ければ休み。
練習時間が終われば咲希を迎えには来てくれるが、そのタイミングなら無理を通しても家に帰るだけだ。
「そうだよ。練習ならいつでもできるしさ」
「んもー。みんな心配しすぎだよ! ほら、こんなにピンピンしてるでしょ」
一歌の心配そうな声に咲希は両腕を上げて元気であることを強調する。
「……それならいいけど、とにかく。無理はダメだからね」
志歩が一瞬訝しんだ表情をしたが、それでも咲希の言い分を信じてくれたようだ。
咲希の中で少しだけ申し訳ない気持ちになる。
それでも今日の練習はやり通して見せるから、と自分の中で気持ちを強く持つ。
「じゃあ、頭から通すよ」
「あ、今日は個人練習のほうがいいんじゃないかな? それなら、みんなそれぞれのペースでできるし」
「それもそっか。じゃあ……」
通しで全体練習を始めようとした志歩に穂波が静止をかけた。
咲希のことを気遣っての提案で、志歩も素直に頷く。
しかし、
「もー、アタシのことそんなに気にしないでいいってば。ほら、頭から通そうよ!」
咲希としてはここで気遣われたら、練習に参加する意味は無い。
「でも……」
「個人練習は前もしたし、アタシは合わせたいな!」
一歌も個人練習にしたほうがいいのではないかと言いたげだが、咲希は笑顔で押しとおす。
「咲希ちゃんがそれでいいならいいんだけど……」
「バッチリオッケーだよ! ほらっ、やろやろ!」
まだ気づかわしげな穂波だが、あえてここで個人練習に切り替えた方がいいとは強く主張しなかった。
咲希のアピールが効いているのもあるし、先程言ったように個人練習はこの前やったから、練習の量を鑑みると全体で通したほうがいいというのもある。
流れは咲希の要望通り全体練習に向いてきて、
「……じゃあ、始めるよ」
頭がぼーっとする。
思考が正常に纏まらないのを感じる。体温が上がってきたかもしれない。
それでも皆の音を聞いて、手元だけはしっかりと。
ここでヘマを踏むわけにはいかない。
失敗したら、何のために無理を言って練習に参加したのか分からない。
皆で一緒に天文台に行くため。
志歩が条件として練習の手を抜いたら行かないと言ったから。
だから練習の穴を開けるわけにはいかなかった。
ううん、そんなの言い訳の一つで。
皆と練習するのが楽しかったから。
それで自分はもう元気なのだと、こうやって一緒に演奏できるのだと。
そういう姿を見せたかったのかも。
なんて、くだらない事を考えているといつの間にか演奏は終わっていて。
「咲希ちゃん、大丈夫?」
優しい声が聞こえて、なんとか上の空で咲希は返事をしていた。
─────
「咲希が倒れた!?」
想がバイトの時間が終わって、店内の掃除をしていたタイミング。
叔父の弦が経営しているのはカフェ&バーで、バータイムに切り替わる間に想のバイトは終わり、締めとして店内の掃除をするのが恒例だ。
そんなタイミングだからかスマホをポケットに入れっぱなしで掃除していて、着信が届いたのを無造作に出てみれば穂波からで。
思わず声を上げてしまったため弦から不信そうな目で見られる。
「……ちょっと外出ます」
それだけ言い残して、店外に出て再び耳にスマホを当てる。
「それでどういう状況?」
『まだ倒れたわけじゃないから、想くん落ち着いて』
「悪い。早とちりした」
穂波から最初に聞かされたのは咲希の体調が悪くなってるとのことだ。
以前の事がフラッシュバックして、倒れたと早とちりしたのは些か早計だと臍を噛む。
「それでどんな状態?」
『うん。やっぱり熱があるみたいで足元も覚束ないみたいかな。今は座って休ませてるけど……』
「分かった。すぐ行く」
穂波の返事を聞いてから想はスマホを切ってから店内に戻る。
「この前一緒に来た子だよね? 大丈夫そうかい」
「倒れたってのは早とちりでした。ただあまり良くはないみたいなので今から迎えに行きます」
弦の心配に、早とちりの訂正だけして想はエプロンを脱ぐ。
「少し上がるの早くなりますけど、いいですか叔父さん」
「ああ、大丈夫だよ。元々掃除は好意でやってもらっていたものだし、殆ど終わっていたからね」
ただ、と弦は言葉を続けた。
「呼び方を変えるのはちゃんと上がってからにしてね」
「了解、マスター」
ちょっとした茶目っ気を見せる叔父に少し苦笑しながら、想は荷物を取りに向かった。
いつも練習しているレッスンスタジオに向かう途中でコンビニで必要な物を買う。
殆ど駆け足で向かえば軽く息も上がるが、そんなことは無視して、
「大丈夫か?」
なんとか平静を保った体でスタジオの扉を開くと全員の目が一斉にこちらを向く。
「そんなに、急いで来なくても、よかったのに……」
「阿呆。急がないわけがあるか」
息も整えないで来ているから急いで来ているのは全員にバレバレ。
そんな中咲希が弱弱しく苦笑していた。
「水は……飲んでるか。とりあえず冷却シート買ってきたから、少しは楽になるだろ」
スポーツドリンクも買ってきておいたが、咲希がペットボトルを持っているのを見て取り出さずにおく。
ほい、と近くにいた穂波に冷却シートが入った箱を渡した。
受け取った穂波が箱を開けて冷却シートを取り出してる中、想はしゃがんで咲希に目線を合わせる。
「どんな感じ?」
「もう、みんな大袈裟だよ。ちょっとボーっとしてるだけ」
「ダウト。割と辛いだろ」
「……うん」
咲希にいつもの元気が無いのは明白で、少し体調が悪いって程度ではないのは見ればすぐに分かった。
それでもなんとか笑顔を保とうとしている姿が痛ましく見えて思わず目を逸らしそうになる。
しかし、想のやることは現実から目を逸らすことではない。
「今回は有無を言わさず背負っていくからな。まともに歩くのも危ういだろ」
「……ソウが潰れない?」
「そこまでヤワじゃない」
小さく息を吐いて立ち上がる。
「準備するから穂波はそのまま咲希のこと見ておいて、一歌は俺と一緒に荷物纏めるの手伝って」
「うん」
「分かった」
冷却シートを貼っていた穂波も、流れを見守っていた一歌も頷く。
「それじゃ私は先に帰りの受付済ませておく」
「よろしく」
志歩がすぐに自分のやるべきことを見つけて部屋を出て行った。
こういう時に率先して動いてくれるのはありがたい。
「よし、やるか」
顔を軽く叩いて気合を入れて想も動き始めた。
─────
咲希を背負うのに支障はあまり無かった。
練習にいなかったからギターを持ってきてもいなかったし、咲希を一人背負うくらいは想でもこなせる。
後ろから穂波が咲希を支えるようにしていたのもあって思ったより、天馬家にたどり着くまでの道中はキツくなかった。
天馬家には誰もいなくて、玄関を開けるのに多少手間取った。
そこから咲希の部屋まで連れて行ってベッドに寝かしたところで、想は後を三人に任せて部屋を出る。
部屋まで連れて行った時点で想の役割は終わり。後の介抱は男性である想が出る幕ではない。
「そういうわけだから、今は三人が様子見てる。急ぐ気持ちは分かるが、無理する必要ないしお前が事故にでもあったら本末転倒だからな」
電話口からは大声が返ってきて、思わず想はスマホを耳から離す。
「くれぐれも事故には気を付けてよ。咲希の事になると周りが見えなくなるんだから、いっそ類あたりにでも一緒についてきてもらえ」
また一際大きな返事が聞こえた瞬間想は通話を切った。
このままだと耳がおかしくなっていたかもしれない。
司にも連絡を取ったし、いよいよ想のやれることはなくなった。
一応司が帰ってくるまで待っておくか、などと考えていたところ志歩が降りてきた。
「咲希はどう?」
「寝てる。今は一歌と穂波が見てくれてる」
「そっか」
想は背中を壁に預けて一息吐く。
やれることなんて大したこと無かったがひとまず落ち着いて、少しだけ気が抜けた。
「……想は焦らないよね」
唐突とも感じる志歩の言葉。
ただ、さっきまでの想を見ていて何か思ったことがあるらしい。
「別に、焦ってないわけじゃないよ。ただ取り繕ってるだけ」
「それでも取り繕える分冷静ってことでしょ」
志歩が少し目を伏せる。
「咲希が体調悪いって知った時に私は何もできなくって、後から来た想のほうがよっぽど上手くやって……」
「後から来たからできたってだけ、幾分頭が冷える時間もあったわけだし」
「……ちゃんとやってる想を見たら、少しくらい慌ててもいいのにって思ったんだ」
自嘲気味に、吐き捨てるような言葉。
志歩にも理不尽なことを言っている自覚があるのだろう。
「ごめん、八つ当たり」
「いいよ。そういうとこ可愛げがない自覚はあるし」
伏せていた目を少し上げて志歩は想を見る。
「そういうところ」
そして一際大きなため息。
「実はルカさんに咲希がいつもと様子が違うかもしれないかもって言われてたんだ」
「ルカさんが?」
この前の天文台の話が出た時だろう。前に皆で『セカイ』に行ったのはその時だ。
あずかり知らぬところでそんな話が出ていたのに意外な気持ちとどこか腑に落ちない気持ち。
「それで、私がちゃんと見てるって言ったのに全然できてなくってダメだなって」
だから八つ当たり、と自分に呆れたように志歩は自嘲する。
「別に志歩はダメじゃないよ」
想は背中を壁から離した。
足音が二人分近づいてくる気配がする。
「だって志歩がルカさんに頼まれたんでしょ。咲希が無理を隠してたんだから気づけないのも仕方ないって」
声音はいつもの調子だった。表情は少し苦笑気味。
それでも想の言葉にはどこか棘が含まれていた。それも誰かを刺すものでなく自分自身を傷つけるような。
「それに俺も志歩なら安心して任せられるって思うよ」
「何言って──」
「俺じゃなくてもよかったんだってだけ」
想の言葉に志歩が目を瞠る。
まるで信じられないものを見るように。
「想……っ」
志歩が想に詰め寄るように一歩前に出る。そのタイミングで、
「志歩?」
「想くん?」
一歌と穂波が心配そうな表情で二人を見ていた。
ついさっきこちらに降りてきて想と志歩の様子を窺っていたのだろう。
「さっき司には連絡しておいた。もうすぐ帰ってくるはず」
志歩が一歌と穂波に気を取られて止まっている間に想は背中を向けて、玄関に向かう。
「俺がいてもやれること無いし、先に帰るよ」
─────
玄関に向かっていく男の子の背中を志歩は黙って見続けることしかできなかった。
穂波が一瞬止めようとして、伸ばした手は虚しく空を切る。
「志歩、想と何かあった?」
一歌が不安そうに訊ねてくる。
さすがに先程までの気まずい空気は隠せそうにない。
「何かあった、ってわけじゃない……けど、ちょっと咲希のことで話して」
「喧嘩?」
「そうじゃないけど、ちょっと上手く伝えられない」
一歌の言葉に志歩はかぶりを振って頭に手を当てる。
喧嘩になったわけじゃない。口論になったとも違う。
ただ想がいつもと違うと感じた。でも、それは今さっきのことなのか。
否、
「最近、想くんの様子ちょっと変だったからもしかしてその事が関係あるのかな?」
「多分」
穂波も思い当たる節があるようで、最近の想の様子が変だと感じたのには志歩も頷く。
「なんだか最近の想は少し素っ気なかったよね」
真剣そうに一歌も想の変化を口にした。
「最近って言ってもしばらくまともに会ってなかった私が口にすることじゃないかもしれないけど」
どこか吐き捨てるような言葉に、一歌と穂波が顔を暗くする。
しまった、と志歩は臍を噛んだ。
自分を傷つけるだけなら自分の勝手だが、二人を巻き込むような言葉になったのは良くない。
「……咲希ちゃんなら何か分かったのかな」
「どうだろう」
今はベッドに寝込んでいる咲希。
志歩達と離れていた期間でも、想はお見舞いという形で咲希と会っていった。
想本人曰く中学生の時だからそんな頻繁に行けていなかったと言っていたが、それでも志歩達と比べると二人は会っていた時間は長い。
そんな咲希なら想の些細な変化を見逃さなかったのか? もし、今咲希が体調を悪くしていなければ何か分かったか?
そんな疑問を頭に浮かべて志歩はかぶりを振る。
「咲希ばっかに頼ってられない」
志歩が呟いた言葉に一歌と穂波は目を瞠り、そして頷いた。
「うん、咲希に余計な心配かけたくないし」
「私達だって想くんの幼馴染だもんね」
穂波の言う通り、咲希だけが想の幼馴染なわけじゃない。例え離れていた期間が長くとも。
あれだけ自分達を繋ぎとめようとしてくれた想なのだ。
そんな彼に何かあったのなら手を差し伸べるのが自分たちの役目。
だから、
「絶対に逃がしたりなんかはしない」
そんな志歩の言葉に一歌と穂波は「犯人を逃がさない刑事みたい」と苦笑した。
描き始める前は咲希ちゃん倒れたと思ってたが、ストーリー見返したら別に倒れてはなかったんですよね。
女の子を背負うのは大丈夫か…? と少し思いましたが、ディテール気にしてる余裕はなかったということで。