日野森志歩は目的地に向かう道中何度目か分からない溜息を吐いていた。
姉である日野森雫から外でお茶をしないかと誘われた。
いつもだったらにべもなく断り、無視をするところ今回は随分食い下がられた。
結局根負けし、姉のお茶に付き合うことになったのだが道中で既に気が重い。
いっそこのまま約束を反故にしてどこか別の所に行ってしまおうかと思うが、後の事を考えるとそれで付きまとわられるようになるので余計面倒になる。
結局、志歩はこのまま姉とお茶するしか選択肢はない。
しかし不思議なのはあれほどまでに食い下がられたことだ。
志歩が雫を無碍に扱うのはいつものこと。
鬱陶しいからなどと志歩はいつも言っているが、そんな扱いでも優しく接してくれている姉に甘えているのかもしれないとも思うことはある。
それはそれとして、そんな彼女が今回食い下がったのには何か訳があるはずだ。
猛烈に嫌な予感がする。
今から引き返すか──そんな考えが過るが遅かった。
目的地に向かいながら考えていたため、その目的地に到着してしまった。
そして時間はほぼ予定通り。
ここまで来たのならば覚悟を決めるしかない、その先に何が待ち受けているかは分からないが。
待ち合わせ場所を兼ねた喫茶店。
ひとまず店に入り、店員に先に来ている人がいることを告げ店内をぐるりと見る。
そして、雫が指定した窓側の席まで向かい、ピタリと志歩は動きを止めた。
「や、志歩」
「な──んで、想がっ」
雫を探そうとした瞬間、つい最近再会した幼馴染の姿がそこにあった。
偶然ここに居合わせたのか──。
その考えを志歩は即座に切り捨てた。
あの想がここにいて偶然だなんてことはあり得ない。
で、あるならば……。
謀られた。
思わず額に手を当て、志歩は姉の顔を思い浮かべる。
どうしてあれほど食い下がられたのかここにきてようやく理解した。
ただまだ間に合う。
踵を返して、店の出口へ向かおうと一歩踏み出した瞬間、
「待って! ここで帰られるととても悲しいことになる」
懇願するように想の言葉が耳に届く。
無視しよう、志歩は心の中で決意を固め、
「本気で帰ろうとしないでくれません!? 奢るから、お願い!」
視界の端では拝むような想の姿。
そして、店内に人は多くないがこれだけ騒げば何事かと好奇の視線を当てられる。
確かにこのまま想を残していけば悲しいことになるだろう。
はぁ、と志歩は本日何度目か分からない溜息を吐いた。
渋々といった態で想が座っている席の向かいに志歩は乱暴に座った。
「騒いだの、わざと?」
「七割本気。実際、あのまま帰られていたらとても悲しい気持ちになってた」
おどけたように言う想の姿を志歩は忌々しそうに睨む。
幾年ぶりに会って思うがこの幼馴染は大分ふてぶてしくなった気がする。
ひとまず店員に珈琲を頼み、志歩は改めて想に向き合った。
泰然とティーカップを口に運ぶ想の姿には余裕が見える。
こんなのを相手に苛立っている志歩自身が馬鹿みたいだ。
身長低いままのくせに、と内心毒づきながら想を再び睨む。
「それで何の用? どうやってお姉ちゃんと話付けたの?」
端的に二つの質問を叩きつけたタイミングで珈琲が届き、志歩はそれを口につける。
「そうだね、雫さんには姉さんから連絡取ってもらった」
その手があったか、と志歩は得心がいった。
想の姉で雫とは幼いころから──それこそ志歩と想が仲良くしていた頃からの友人だ。
その伝手を辿れば雫に連絡を取るのは容易かっただろう。
「ちなみに作戦立案は雫さんね」
この釣りだす作戦は姉によるものだと聞かされ思わず机に突っ伏しそうになるのを志歩は堪えた。
裏切り者、と心の中で罵るが雫はずっと志歩の事を気にかけていた。
で、あるならば裏切り者と称すのはいささか不適切なのかも。
「その当人は?」
「今頃姉さんと別の場所でお茶してるはず。あっちはあっちで話すこと多いだろうし」
廻と雫は別の学校に通っているため、機会を作らないと会うタイミングが無い。
何か新しい活動を始めたらしい雫としては確かに積もる話があるのかもしれない。
「で、何の用か……」
うーん、と悩んだ素振りを見せながらティーカップを口に運ぶ。
紅茶を一口飲んだところで、
「久しぶりに会った幼馴染と話をしたいだけじゃいけない?」
「何を──」
馬鹿な、と一蹴しようとして志歩は思いとどまる。
想の顔を見てしまった。
その表情からはどこか切なさを帯びながらも、いたって真面目そうでからかっている素振りは無い。
想はからかうなら分かりやすくからかってくる。
それに、会って話がしたいなんて何の変哲もない理由。
思わず馬鹿馬鹿しいと言ってしまいそうになるほど、会っていない期間が長かったのだと思い知らされた。
「……」
思いっきり眉を顰めながら志歩は珈琲を呷った。
その様子は想は苦笑しながら見ている。
二人の間に静寂が訪れ、店内に流れるジャズの音楽だけが耳に届いた。
「咲希と一歌は頑張ってるよ。どうしてもお前とバンドしたいって」
その言葉に志歩は想の顔をじっと見る。
あの二人ならきっと必死に練習しているだろうとは分かっていたけど、改めて言葉で伝えられると複雑な気持ちになった。
「……それならここにいる想は頑張ってないんだ」
口から出た言葉は皮肉。
別にこんな事を言いたいわけではないのに、と志歩は思うが口の悪さは昔から。
「ま、そう見えるか。ただこれでも志歩のお眼鏡にはかなうと思うよ」
「…………」
志歩の言葉に苦笑を浮かばせながらも、想の口ぶりには余裕がある。
この前皆で一緒に弾くことになった時には想は演奏していなかった。
だから志歩には今の想がどれほど弾けるかなんて分からない。
それでもこの幼馴染が課題に真面目に取り組まないわけがない。
で、あるならば志歩が出した課題曲をこなすくらいはしてみせるだろう。
「結構『セカイ』で練習するのは集中できるみたいだし、咲希も一歌も伸びてる」
「そういう事言っても判定甘くはしないから」
会話のペースが握られがちで口から出てくるのはこんな言葉ばかり。
だから嫌だったのだ。
──こんな風に傷つける言葉しか吐けない。
「別にそんな事頼みはしないって。だってそんなのどっちに対してもフェアじゃないだろ」
志歩は思わず目を瞠る。
頬を打たれたような気持ちだ。
ああ、そう言えばそうだったと。
栗空想という人物は、何かとつけて公平だった。
幼い頃、志歩が咲希を泣かせたことがある。
とは言っても志歩が直接どうこうしたというわけではなく偶発的な事態が重なっての事。
その時に想が駆け寄ってきた。
当時の志歩としては何かと咲希に構っていた想のことだから一方的に自分が責められるのだろうと思っていた。
だが、
『二人とも何があったの?』
想の口から最初に出てきたのは確認の言葉。
真っ先にどちらかを非難するでもなく、両方に向けて確認するという。
結果として想に宥められた咲希に志歩が謝る形になり、咲希のほうもこっちも悪かったという形で手打ちとなった。
今思うと幼い子供の采配としてはできすぎなくらいだが、それでも想はそんな頃から公平なのだ。
で、あるならば先程の志歩の言葉はなんて浅はかだったのだろう。
幼馴染の性質を忘れているなんて。
「ごめん」
志歩の口から出てきたのは端的な謝罪。
「別に謝ることでもないでしょ」
苦笑しながら想は気にした素振りを見せない。
優しさ、なのだろう。だが、その優しさに今は甘えてはいけない。
「……想はいいの、私なんかと一緒にいて。誰かに見られたりしたら困るでしょ」
思考を振り払おうとして、出てきた言葉はつっけんどんなくせに甘えが隠しきれていない。
突き放せばいいのにわざわざ確認する辺り甘っちょろいと志歩は自戒する。
こうやって想と話しているうちに昔に引っ張られてしまったかもしれない。
「別にいいも悪いもないでしょ。見られて困る事なんてないんだし」
事もなげに想は言ってのける。
「そうかもしれないけど、変な噂立つかもだし」
予想通りの想の返答がどこか気に食わなかったのか、志歩は食ってかかる。
それでも想の様子はあっけからんとしていて、
「それ、心配するの志歩のほうでしょ。噂で困るなんて男子より女子なんだから」
挙句の果てに逆に心配される始末だ。
思わず志歩は自分自身に呆れてしまいそうになる。
「私は別に、どうせ今更」
「今更って……」
「気にしないで」
気にかけた様子の想につっけんどんに返すことしかできない。
バンドが上手くいかなかったことは話したが、もう一つ幼馴染を突き放している理由はまだ話していない。
正直、想ならこのやり取りだけで察するのかもしれないがそれでも今は口にしたくなかった。
まだ一歌達に出した課題を終えていないこの段階で想に弱みを見せたくない。
「とにかく想は自分の事を心配しておけば。私と一緒にいて何言われても知らないよ」
一応再三の忠告。
しかし想は志歩の忠告を気にする素振りを見せない。
「そんなこと気にしないって」
やれやれ、と肩を竦める想。
そんな想の様子に志歩は一瞬いらっとして──
「他人にどうこう言われようが関係ないでしょ。誰と一緒にいるかは自分で決めるって」
後悔した。
想と会うべきじゃなかった。
揺らいでしまう、揺らいでしまった。想が口にしたそれだけの言葉に。
そんな『当たり前』を言われたら、今まで自分は何のために──
「帰る」
そう言って志歩は立ち上がり、席を離れる。
引き留めるような想の声が聞こえたが振り払い、レジで精算を済まし店を出た。
後悔の念に押しつぶされそうになる。
会うべきではなかったとも思うし、あの場を立ち去ってしまったという思いもある。
はぁ、と一際大きなため息を吐いた。
揺らいでしまう情けなさ、結局志歩は逃げたのだ。
咲希と約束した日までもう時間が無い。
その日が来たら否が応でも想とまた会うことになる。
その事を考えると気が重くなった。
そしてもう一つ、
「追いかけてこなかったな……」
志歩が店を出てからしばらく歩いたが、想が追いかけてくる気配はなかった。
自分から立ち去ったくせにどこか追いかけてくるのではないかと思っていた自分もいて。
なんて未練がましい──。
そんな思考を振り払うように志歩は乱暴に歩を強めた。
────
しくじった、というのが今日の流れを鑑みての結論。
志歩がいなくなった後、想は冷めてしまった紅茶に口をつける。
「まったく奢るって言ったんだから、そこは奢られておけっての」
志歩は自分が頼んだ分の会計は済ませて出て行ってしまったので想としては立つ瀬がない。
それにしても、地雷を踏んだという事は分かる。
ただ何が地雷だったかまでは詳しく分からなかった。
推測はできるのだが断定は難しい。
割と、いつもこうだ。
極端に口が悪いわけではないのにピンポイントで相手の地雷を踏みがちなのが想の悪い癖。
こういうのを舌禍というのだったか。
別に今日志歩と会って関係の修復を目論んできたわけでない。
志歩にも言った通りただ昔馴染みと適当に話したかったというのが目的だ。志歩の内情を知れればという思惑はあったが。
関係修復には咲希と一歌も一緒の場に居合わせたものだし、その機会はもうじき訪れる。
とはいえ、ここで怒らせて帰らせてしまったのは自分事ながらナイワーと想は俯瞰した。
これで課題に関して悪影響が出なければいいのだけれど、と想は苦い顔。
まぁそれに関しては後日の自分及び一歌と咲希に任せたものと丸投げ。
それより、
「志歩と話をしていたなんて知ったら咲希は怒るだろうなぁ」
ずるいと頬を膨らます咲希の姿を思い浮かばせながら想は苦笑する。
既に空になったカップの淵を撫でながら。
志歩ちゃん回になります。
ここでずばっと解決できないどころか若干溝を作るのがここのオリ主想くん。
未来の自分たちが解決してくれるでしょう精神。
志歩ちゃんコーヒー飲むのかなと思いつつ、コーヒー牛乳飲んでるしええかという感じで。