「え?ちょっちょっ……どこ行くの〜!?」
誰かの名前を読んだ途端に、来た道を引き返すように……まるで逃げ出すように、蓮木くんが走っていってしまった。
「咲希って……」
女の子の名前…だよね?
蓮木くんが見ていた方を少し見つめてみるけど、特に気になるものはなくて知らない誰かを探すのをやめる。
「………いいね、あの時と逆だ」
逃げた私を、蓮木くんが追いかけてくれたあの時。
そして今、何かから逃げるように駆け出してしまった蓮木くん。多分放っておいても彼のことだからメッセージ送ってきたり、すんなり帰ってきそうな気もするけれど……
「あの時のお返し、今していいってことだよね?」
下駄を履いてきたのを後悔する、走りにくいったらありゃしない。カツカツ音を鳴らしながら不恰好に走る私を人々が怪訝そうな目で見つめる。
彼もあの日、こうやって必死に走って私の元に来てくれたのだろう。多分、私のことを思って、私のために。
私は彼じゃないから、彼みたいに誰かのために必死になることがあんまりできない。どうしたって優先順位には自分が真っ先にいて……だから今だって、彼のためじゃなくて……私がなんとなくそうしたいからっていう理由で走ってる。
「はぁっはぁっはぁっ」
運動が出来ないし体力もそんなにない自分を呪うと同時に……彼を必死になって追いかけている今の状況が、少しだけ楽しい。
早く彼と話したい、彼のことをもっと知りたい。彼が自分のことを明かしてくれるたびに、彼の中での私が大きく、近くなっていくのが分かって……
きっと彼には、彼にとって大切なものが欠けている。それは私が彼のことを好きでいることには全く関係のないことだけれど……でも、彼が彼自身を好きになるためには必要なものなんだと思う。
私は、ただ好きな人と一緒にいたいだけ。
曲がって、曲がって、遠ざかっていく彼の背中を目で追って、私なりに必死になって追いかけていく。
お祭りの会場から離れて……どんどん遠くへと行ってしまって、何度も見失いそうになりながらも追いかけ続けて。
階段を登っていく、人のいない高台の場所。上から夏祭りの様子を見下ろせる場所に、彼が立っていた。
「……もしかして、ずっと追いかけてた?」
「はぁ………はぁ………」
「ごめん………」
本当に、心の底から申し訳なさそうにする彼の顔を見て少し元気が出た。これ以上走られると私がもう動けなくなって力尽きていた可能性があった。
「すぐに連絡入れなきゃなとは思ってたんだけど……」
「ぜ、全然大丈夫……ふぅ」
思ったより思い詰めてる様子もなくて安心する。よく抱え込んで悩む人だって今では知っているから……私にそう見えないように振る舞っているだけなのかもしれないけれど。
「ふ、二人だけで抜け出してみんなに内緒であんなことやこんなことするっていうのも、夏祭りのだっ、醍醐味だよね!!はぁ、はぁ」
「息整えてくれてからでいいよ……あとフォローありがとう」
「う、うん…」
私としては別に走っていっちゃった彼のことをどうも思っているわけじゃなかったんだけれど、彼が気にしてそうだからと変なことを口走ってしまった。
……いつも口走ってるっけ?
「小宮山さん、前こんな風に橋から下を見下ろしてたろ?………なんか真似したくなって」
「きゅん…」
「きゅん……?」
「………おっほん。何か嫌なことでもあったの?やっぱり……」
私がそこまで言うと、彼はこちらに向かって微笑んでまた下の方を見下ろした。
「去年の夏祭りだったんだ、前の彼女と別れたの」
「………え」
「相手を悲しませちゃって……それっきりになって。別れようって切り出したわけでもなく、切り出されたわけでもないけれど……なんとなく、それ以降連絡も取らなくなったから」
……蓮木くんは。
彼にとって決していい記憶じゃないだろうな、何を思って、私たちと一緒に……
「来ないと思ってたんだ。俺があいつを傷つけてしまった場所だから……会うことなんてあるわけないと思っていたから、みんなを誘ってきた。結果的にはあいつは全然勝てたんだけどさ」
「………咲希って子?」
「そう」
「私のことは苗字でさん付けなのに…………」
「そこ……?」
ストレートに嫉妬する。
「まあその……俺の顔見せたら、また悲しませると思ったんだ。……というか、俺があいつをまた悲しませるのが嫌で……だから逃げ出した」
「………そんなに嫌われたの?」
「さあ……どうだろう。相手のことろくに理解しようとしなかったから……」
自虐のようにそう言って見せる彼の表情はそう深刻なものではなく、なんでもないように見える。
「別に……フッた相手の顔なんて見たくもないだろ」
「……蓮木くんは会いたいって思わなかったの?」
私がそう言うと彼は驚いたような表情をした後、少しの間うーんと考え込んで「別に」と短く返してきた。
「会わない方が互いのためだって、そう思ってるし」
「……そうなんだ」
どんな言葉をかけてあげれば、彼の手助けができるだろうか。釣り合ってないだなんて彼は言うけれど、私は蓮木くんに何かをしてあげてるつもりなんか一切なくって。
そんな難しいこと考えずに、好きな人と一緒にいたいって思っているだけで。
「向こうはきっと、綺麗さっぱり俺のことなんか割り切って、忘れてるんだろうなって。じゃなきゃ来ないよなあって。……余計に思い出させたくないから、会いたくない」
「………」
誰かを理解するのは難しい。
本当はいつだって彼の望む言葉を投げかけてあげたいけれど、それがいつだって思いつかない。
「俺だってもう過ぎたことだって割り切ってた、だからここにみんなを誘った。でもいざ見つけてしまったらこれで」
「………」
「…小宮山さんいると甘えちゃうな、やっぱり」
「え?」
「普通こんなに自分のこと吐露しないよ。……小宮山さんが俺のこと好きなの分かりきってるから、一方的に聞かされても仕方のないことを話してる」
そんな悲しい言い方はやめて欲しい。
君だってそんなこと言いたくないだろうに……
「俺が今やってることは……いつもやってることは卑怯なことなんだ。今日だって本当は純粋に楽しもうとしたはずなのに……いつのまにかこんな話になってる」
「卑怯だなんて、そんなこと……」
彼はどこまでも自分のことを好きになれない。……私がもっと早く彼と出会えていれば、想いを伝えていれば違ったのかな。
「……卑怯だって言うなら私もだよ。面識ないのに急に告白してきて、断ったら好きっていいまくってくるような奴だよ?普通なら2度と近寄って欲しくないって思うよね」
「まあうん………そうだね?」
「私だって蓮木くんの優しさにつけ込んで、甘えてるだけだよ。………その相手のことを信頼してるから、誰だって自分のままでいられるんだと思うよ」
それが気の置けないとか、気心の知れた間柄っていうものなんだと思う。
「というわけで私は蓮木くんの信頼を得られているわけです、いぇい」
「まあそうだけど……」
「そうなの!?えっ好き…」
「………」
呆れた表情になったあとすぐに少し笑って、会場の方に視線を向けた蓮木くん。隣に行って、同じようにする。すると彼は口を開いて、また淡々と話し始めた。
「その時、付き合って半年くらいだったかな。普通に夏祭り一緒に行こうって話になって……多分、俺がほとんどあいつに興味なかったっていうか、好きじゃないってことに気づいて。中途半端な思いで付き合い続けてることが許せなかったんだと思う」
彼の視線は夏祭りのどこへ向いているのだろうか。
その横顔を覗くのが、今はなんとなく怖く感じて見れなかった。
「本当になんの前触れもなくて……急に怒ってるんだか泣いてるんだか分からない表情をされて、深刻そうに話されて……私に興味なんてこれっぽっちもなかったんだ、ってさ。困って、何も言えずにいたらどこかへ行かれて、それっきり」
彼の視線が上へと向く。
「あの時追いかけなかったこと、ずっと後悔してる。放心してる場合じゃなかったし、追いかけたって何か好転したとも思えないけど……それっきりになったってことが、今でも心残りで」
「……だからあの時、私を追いかけてくれたの?」
「………まあ、ね」
彼にとってはそれも自分本位ということなのだろう。勝手に別の人に重ねて……とか、そんなこと考えていそう。
「誰かを傷つけたくないし、後悔したくない」
「……それは誰だってそうだと思うよ」
本当は会って話して、ちゃんと謝りたいんだと思う。今の彼なら自分の何がいけなかったかのかをちゃんと理解しているだろうから。
けれど会えば彼女に思い出させてしまう。
「俺は………」
「蓮木くんと私って、高校で初めて会ったと思ってるでしょ?」
「え?……そりゃあ、まあ」
「違うんだよね、実は」
この事が今の彼に必要かどうかは分からない。
別に言わなくてもいいかなって、そう思って言う気もなかったけれど……私の思いの内だし、少しくらいはいいかなって思う。
「蓮木くんのことを蓮木くんだって知ったのは高校生になってから。けれどそれより前……最初は小学生の頃に行ったボランティアだったかな」
あの頃の私は今とは雰囲気違うだろうし、ちゃんと話したわけでもない。だからこれは本当に、私の一方的な一目惚れ。
「私、自分のゴミ袋ひっくり返しちゃって。真っ先に蓮木くんが拾いに来てくれたんだ」
「………いや覚えてないけど、そんなことで?」
「そんなものだと思うよ、好きになった理由なんて。それの積み重ねだと思う。………まあ本当に好きになったのは同じ高校で、同じクラスになった時だけどね?」
名前も知らなかったあの子のことをずっと忘れずにいて。
思えば縁があったんだと思う、私が遠くから見ているだけで話なんか一回もしていないっていうのもあったけれど。
「蓮木くんは自分のことを特別でもなんでもないって思ってるだろうけど……私にとっては誰よりも特別な、初恋のひと」
誰にとっても特別で、誰からも好かれる人である必要なんかないし、そうであろうとすることはすごく苦しくて、辛いことだと思う。
「何度も何度も、私は蓮木くんのことを見たし……その度に蓮木くんの行動を見て勇気づけられて……って、こんな風に言われても自覚ないんだもんね」
「まあ………」
「とにかくさ、そんな憧れの人?みたいな男の子と同じ高校に行って、同じクラスになって……って、流石に運命だと思うでしょ」
「そのまま勢い余って一方的な面識で告白?」
「恋って勢いつけてやるもんだと思うんだよね」
「……そんなもんかあ」
きっと彼には欠けているものがあって、彼はそれに向き合っている途中なんだと思う。そのきっかけだったり、手助けになれたりするだけで私は嬉しい。
「完璧な人なんていないからさ」
「………」
「私は恋するっていうことをよく知らなかったし、くるっちゃんは……その、暴力的だし」
光田くんもよくない噂はたくさん聞くけど……
「自分に足りないものを補い合っていけたら……それは凄く素敵なことだなって思うんだ、私」
「………補い合えてるかな、俺たち」
「もちろん!蓮木くんじゃなかったら、私は好きって連呼するだけのモンスターで終わってたよ?」
「……そっか」
そもそも、蓮木くんを知れていなかったら今の私はきっともっと違う私になっていたし………私は今の自分が大好きだから。
「特別に何かしようって思わなくたって、誰かに影響を与えてるものなんだと思う。それが良いものでも悪いものでも………それが誰かと関わるってことで、生きていくってことなんだって、そう思うよ」
「……そうなのかもなぁ」
お互いに相手の方を見て、目と目が会ったのでにっこりと笑ってみる。それを見た彼もクスッと笑って。
空へ打ち上がった光に、二人とも目を奪われる。
橙色に飛び散って、続け様にどんどん花火が上がっていく。
「……あー、花火全員で見れなかったな」
「第二部とかなかったっけ?そっちなら皆んなで見れるんじゃないかな」
「そっか、ならまあ………今はここでいいかな」
「……うん」
正直今すぐにでも抱きつきたいし、沢山好きって言いたい。けどこの空気だし………あんまりそういうことをやり過ぎると、彼にとっても負担になってしまうかもしれないからほどほどに……
「分かったよ、どうすればいいのか」
「え?」
花火の音にかき消されないように、いつもより少し声を大きくして話し始める彼。
「このまま進み続けるよ。自分のことを認められるようになるまで……そうして進んで行った先で、君にもらったものを返せたって思った時…きっとそこでようやく、君のことを好きになれる」
「———」
「だから——」
身体が勝手に動いていた。
そんなもので誤魔化したって意味がないのに、花火の音と一緒になるように、彼の頬へと顔を近づけて。
「……えっ……と?」
「……さっ、先に降りてるねっ!!」
めちゃくちゃ逃げ出した。
それはもう、蓮木くんを追いかけた時より全力で、顔を真っ赤にしながら。
「……最後まで言えてないんだけどなあ」