「はぁっ、はぁっ……っ」
くっそ道分からねぇ……川ってどっち……あっクソ逆じゃんか!
「あーもう!!」
走る、ひた走る。
日はどんどん傾いていっているが、6月中旬とはいえそれなりの暑さ、それに加えて走っているもんだから汗がどんどん噴き出してくる。
来栖さんとはろくに会話もせずに、小宮山さんのいそうなところだけ聞いてさっさと駆け出してきてしまった。
初めから追いかけるべきだった。いや、彼女が去ってしまわないようにちゃんと言葉を伝えてあげるべきだった。小宮山さんの心が傷ついてしまったとしたらそれは間違いなく俺の責任で。
2回も同じ過ちはしたくない。その一心でひたすらに足を動かし続ける。普段ろくに運動もしない足はもう既に限界だが、ようやく川が目の前にやってきた。………そして遠くの方に橋が見えてきた。
「遠いな…ちくしょ……」
橋から下を見下ろす。
後ろでは車が走る音が何度も聞こえるけれど、橋の下を流れる川を見ていると不思議と静かに思えてくる。
昔から、何か辛いことがあって逃げ出したくなるとこの川を見にきていた。最近はあまりなくなってたけど、今日は久々だ。
「……そっかあ」
相手に好きって伝えるのは、プラスにしかならないと思ってた。
けどそれは、蓮木くんにはなんの効果もなくって、むしろマイナスになっていた。私の無自覚で考えなしの好意が彼にとっての重荷になってしまっていた。
「…くるっちゃん、心配してるよね」
せっかく一緒に帰ろうって待ってくれてたのに、無視して走って来ちゃった。追いかけてこないし……蓮木くんに絡みにいってそうだなあ。
スマホは手に持っていたけれど、なんとなく連絡を取る気にはなれなかった。画面を閉じて、ポケットに入れた。
もう少しだけ、この静かな川を見ていたかった。
「小宮山さっ…ゲホッゲホッ」
そんな気持ちだった私の頭の中に勢いよく乗り込んできたのは、肩で息をしながら……というか咳をしている、蓮木くんだった。
「なんでここに…」
「ごほっごほっ、ぐっ……お゛お゛ぉ…」
「あっごめんね?ゆっくり息してからでいいよ?」
「ぜぇ……ぜぇ……」
「すぅ………はぁ………吐きそう…」
「どれだけ全力で走ったの…」
「とにかく必死で…」
「そんなに私に会いたかった……ってこと!?」
「あぁうん、まあ…」
「やだ…しゅき……付き合お?」
「うん、待ってね、ちゃんと話をしよう」
…いつも通りとは言いたくないけど、まあそう変わりないようで少し安心した。
「来栖さんから多分ここにいるって聞いて…途中迷子になりかけながらここに」
「くるっちゃんが…?」
「小宮山さん、見たことないような悲しい顔で一人で走って行ったって言われて。……追いかけなきゃって、そう思って」
車の通りも元々少ない道だけれど、俺がここに来てから急に全く通らないようになった。橋の上に流れている静かな空気はお互いの言葉を遮ることなく伝えてくる。
「あー…やっぱり心配かけちゃったかぁ……大丈夫?くるっちゃんに殴られたりしなかった?」
「首元掴まれて大声で叫ばれたよ。怖かった」
「あはは…」
違和感。
なんだろうこの感じは、普通に話せているのになんでこうも違和感が……
「…今、初めてまともな会話になってる気がする」
「え?好きだよ?」
「ああ、戻った。いつも通りの安心感……そんなものはないけども」
「えへへ」
悪戯っぽく笑う小宮山さん。それでもいつも見てきた表情に比べると、どことなく暗さが感じられる気がして。
続けて口を開いた彼女の表情は寂しそうで、視線は下を向いていた。
「…蓮木くん、私のこと好きじゃないって言ったでしょ?」
「うん。……ああいや、別に嫌いとかじゃなくって恋愛的な対象として…」
「分かってるよ。……だから沢山好きって伝えたら、好きになってくれるかなって、そう思っててさ」
論理の飛躍が凄まじいが、これはさっきも聞いた言葉だ。
「私だって、心の奥底から好きすぎるから言わずにはいられない!ってわけじゃあないんだよ?」
「あっそうなの……そっか、そりゃそうだよな」
「半分くらいは」
「半分くらいか………」
「でも迷惑だったよね。今更だけど、ごめんね」
「あ…あー……うん…いいよ別に、気にしなくて」
反射的に迷惑じゃないと言いそうになったが、実際は迷惑極まりなかったので抑えた。
「蓮木くんは?ただ私のこと追いかけて来てくれただけ?それでも私すごく嬉しいんだけど」
「あー、何か言いたいこと…言わなくちゃいけないことあったんだけど、無我夢中で走りすぎて……ごめん今から思い出す」
「ゆっくりでいいよ。こっち来て一緒に川でも眺める?落ち着くよ」
「……まあそう言うならお言葉に甘えて」
手招きされるままに小宮山さんの右隣に立ち、少し身を乗り出して一緒に下の川を眺める。なるほど、気にしたことはなかったが緩やかな川だ、じっと耳を澄ませば水の流れてくる音が聞こえてくる程度。
完全な無音でもない、ちょっとした水のせせらぎの音が心地よく感じる。
隣の人がすごいにんまりしながら顔をじっと見つめてくること以外は、確かに落ち着く場所だ。
「………んふふっ」
「…小宮山さんは川眺めないのかな」
「こんなに近くに横顔があるのに眺めないなんて失礼でしょ」
「………」
ああうん、確かにこれは半分くらいだろうな、うん。
熱烈な視線を受けながらようやく話すべきだったこと思い出して、川から視線を上げ、空と建物の境界線に目を向ける。
「……思い出した。言っておかなくちゃいけないこと」
「え?告白?」
「ではなくて。…ある意味告白なんだけどさ」
「えっ……不束者で——」
「違うって言ってんじゃん」
微妙に話が通じるような通じないような…よくわからないなもう。
まあ気にしてても仕方ない、そう思いとにかく話を始めた。
「俺、中学の頃付き合ってる子がいてさ」
「……………………………」
「……小宮山さん?」
「ここから飛び降りたらどうなるかな」
「ねえ洒落になんないからやめて」
急にトーンが低くなって怖い、本当に怖い。
「なんてね、そりゃびっくりしたけど冗談だよ」
「だ、だよな……」
「……………」
「冗談なんだよね?」
別にそういう意味で秘密にしてたわけでも明かそうとしたわけでもないんだけど……そんなにダメージ受けるものなのか…?
「あ分かった!!蓮木くんが自己肯定感低くて相手のことを好きじゃないと付き合えないとかほざくのはその女のせいなんだね!?」
「……いや、俺のせいだよ」
「………………ちょっと川見てるから1分くらい待ってて」
「飛び降りないよな…?」
そうか…俺が昔付き合ってたことがあるのそんなにショックなのか……ショックなのか……?
この場合付き合ってたことがショック?別れたのがショック?どっちも?……他人の気持ちはよくわからん。
「川って吐瀉物垂れ流してもバレないかなあ」
「……まだ本題に入れてないんだけど」
「もうお腹いっぱい」
じゃあ吐いて空っぽにしちゃえばいいんじゃないかな…
「…まあもうこのまま話すけど」
「あと30秒…」
「小宮山さんと似た感じだったよ。あんまり関わりのない……俺が勝手にそう思ってるだけだったかもしれないけど、好きでもない相手ってのは同じ」
雰囲気は違ってた…というか小宮山さんの雰囲気がよくわからない。印象がもう色んなことでめちゃくちゃになってしまっている。
「告白されたから付き合ったんだ。俺は別にって感じだったんだけど、せっかく好いてくれて、告白もしてくれたんだから応えようって思って」
「モテるし真面目だね…好き」
「………」
まあ、今までの普段と比べたら会話が成り立っている方なのがこれまた……
「まあ、そんな半端な気持ちだったのがダメだったみたいでさ。向こうの堪忍袋の緒が切れて、泣きながら怒鳴られて、走ってどっか行っちゃったんだ」
「………」
「あの時追わなかったことを、今も後悔してる。……だから追いかけてきたんだ」
あの時の表情は時間が経った今でも鮮明に思い出せる。そのくらい俺にとっては突然で、理解のできないことだった。
「デートだって何度か行ったし、多分カップルっぽいことはできてたと思う」
「やだやだ聞きたくない聞きたくない」
「でもダメだったみたいでさ。……正直、何がどうダメだったのか、今でもよく分かってないんだ。好きじゃなかったのは事実だし、それがいけなかったっていうのか分かってるんだけど、こう……なんて言えばいいのかな……」
どうするべきだったか分からなかった、とでも言えば言えばいいのだろうか。……俺がちゃんと彼女を好きになれていたら良かっただけの話だろうか。
「だから好きじゃないと付き合えないって……」
「気色の悪いタチしてる自分が悪いんだけどな。……そういう意味ではクズってのも間違ってないのかもしれない」
「クズって、そんな……」
「相手を傷つけたくないんだ、もう。だからそんな中途半端な気持ちで付き合うことはできない。……人を好きになるってことがよく分かってないのにこれだから、面倒くさいこと極まりないと思うけど」
前例があって、前科があって。
そんな事があったから頑なに断るし、こうやって好意を剥き出しにしてくれてる小宮山さんが、俺のそんな歪んでるところのせいで傷つけたくない。そんなところは見たくない。
「これでちゃんと言いたいことは言えたよ。ごめんね、せっかく好きになってくれたのに俺がこんなので」
「………ううん、嬉しいよ」
「…なんで嬉しいんだよ」
首を振って微笑みながらそう言う彼女に視線を向ける。彼女も気づいてこちらを見つめ返してきた。
「言いたくないことだったんでしょ?言ってくれて嬉しい」
「……よく分からない」
「分からなくてもいいよ。これから知っていってもらうから」
「……え?」
身体もこちらへと向き直る。
少し涼しくなってきた空気が俺たちの間を静かに吹き抜けた。
「私が蓮木くんの初恋の相手になればいいだけの話……ってことだよね」
あまりにキラキラした瞳で見つめてくるので、呆気に取られて少しの間言葉を失ってしまった。
強すぎる。
「……話聞いてた?俺は…」
「今まではそうだったかもしれないけど、明日は?明日もそうだって言い切れる?」
「それは…」
そりゃあ、明日のことは誰にも分からないけど……でもそんなのは暴論に近い。不可能だって言い切れないことに賭けるだなんて、そんなこと。
「蓮木くんが私のこと好きになってくれたら付き合えるっていうのは変わってないでしょ?」
「そうだけど…」
「じゃあやることは変わらない。そうでしょ?」
どうしてこうも……なんで俺なんかのためにそこまで……
「私が蓮木くんのことを好きで好きで仕方ないっていうのは何も変わってない。私が蓮木くんのことを諦められないからそうするの」
「……今まで気を遣って言わなかったけど、やっぱりどっかおかしいね、小宮山さん」
「おっ本音が出てきた。これは距離感が縮まったってことでいいのかな?」
たくましすぎる。いやもうなんか、凄いなこの人。
「ごめんね、学校では逃げ出しちゃって。別に蓮木くんの言葉に傷ついたとかそういうわけじゃないんだよ?」
「え?」
「とりあえず好きって言えばいいと思ってて、でもそれは蓮木くんを苦しめてただけってことに気づいて、自分が嫌になって逃げ出しちゃったんだ」
「苦しめたって……別に俺は」
「だけど今は嬉しいんだ。蓮木くんがあきらめずに私と話をしてくれて、やればいいことがわかったから」
やればいいこと……つまり、変わらず自分が俺に好きになってもらえるようにするってこと。
まあ確かに一貫してるけども……
「普通ここまで言ったら諦めたりしない…?そういうもん?」
「私の全身から溢れる蓮木くんへのラヴがまだ分からない!?ほらもう湯気みたいに立ち昇ってるよ!?」
「全然見えないですね」
そんなもの見え始めたら終わりだと思う。
「私は蓮木くんに好きになってもらいたいし、蓮木くんは私のことを好きにならない可能性がゼロとは言い切れないから拒否はしない」
「まあ……」
「フフッ……俄然やる気出てきた」
「人前で好きって連呼するのは辞めてね…?」
「えー?それはどうかなー」
既にクラスメイトからの心象が互いにギリギリだろうからお互いのためにそこは気をつけた方がいいと思うんだけど……
「じゃあまずは友達になろっか!」
「……そうだった、なんなら今日やっとまともに会話したくらい他人だった」
小宮山さんはただのクラスメイトでしかなくって、もちろん友達なんかではなく、知り合いがどうかすらも怪しいような人なんだった。なんでそんな人に告白されて振ったあともこんなに関わってるんだ……-
「友達…か」
まあ別に小宮山さんのことが嫌いってわけじゃない。なんかすごい変な奴だなあくらいには思ってるけど。
友達って形でひとまず収められるのならそれがいいんだろう。
俺高校でろくに交友関係ないし。
「……うん、じゃあ友達で。これからよろしく、小宮山さ——」
「待った。穂花って呼んで」
「そこまで距離縮まってない…」
「小宮山さんは距離感遠いもおおん」
「だって実際遠いし…」
……まあ、追いかけてきてよかった。
来栖さんにすごい形相で詰め寄られたせいのようなもんだけど、でもこうして目の前の彼女が楽しそうに笑ってくれていることが今は嬉しい。
少なくとも俺のせいで心が傷ついたままじゃないんだから。
「………」
「どしたの?なんか考え事してる顔」
「いや……なんで俺のこと好きなの?」
思い出したようにそう呟いてしまった。今まで聞こうとは思っていたけれど聞けずじまいだったこの質問。本当はもっと早く聞くべきだったのに、俺が突き放そうとするばかりですっかり聞き損なっていた。
「おっ!やっと聞いてくれたね!!ずっと待ってたんだよ実は」
「すっかり忘れてた。さっさと聞くべきだったのにな」
すぐに答えが返ってくるかと思いきや、小宮山さんは顎に手を当ててわかりやすくて悩んでいますのポーズを見せてきた。
「んーと……本当は聞いてくれたらちゃんと言おうと思ってたんだけど…」
「けど……?」
「やっぱり今は秘密にしておこうかなっ」
楽しそうにそう言って、こちらに向き直ってウィンクしながら口元に立てた人差し指を添えて秘密の意味のジェスチャーを見せてくる。
「……いや、今のままだと俺、小宮山さんが一目惚れしてきたくらいしか想像できないんだけど」
「わお、自分の容姿に自信あり?ナルシストな蓮木くんも嫌いじゃないよ」
「ちげーわ」
ああ、微妙に話噛み合わないあたり向こうの調子戻ってきたんだなあ……
「まあそうだなあ、ヒントあげるなら…」
「ヒントって、クイズかよ……」
空を少し見上げるようにして考える様子を見せ、何かいいことを思いついたかのようにこちらを向いた。
「今日こうやって追いかけてきてくれたでしょ?そういうとこっ」
「……はい?」
追いかけたって、さっきも言った通りそれは俺がもう後悔しないようにで……
「じゃっそういうことだから。蓮木くん!明日からよろしくね〜!!」
「あちょ待っ………はあ」
そう言って、晴れて振った振られたの他人から友達になった彼女は、まだまだこれからだと言うのに心底嬉しそうに手を振って走り去っていった。
「……やっぱ何考えてるか分かんないなあ、他人って」
それもきっと、これから理解できるようになっていけばいいんだろう。少なくとも小宮山さんはそのために歩み寄ろうとしてくれていると思うから。
「ふぅ……はは」
自然と笑いが漏れた。その理由は自分でもいまいち分からなかったが、清々しい気分なのは確かだった。
「カバン学校に忘れてたあああああっっ」
「……あっ俺もだ」