謎の映画監督の物語 無の映画監督 作:dwwyakata@2024
はいカット。
そう高宮が声を掛けると、俳優達はぐったりした様子で一旦体を弛緩させる。
まあそれもそうだろう。
意味不明のシーンが続くのは相変わらずだ。
それに、訴訟の件もあったからだろう。
高宮の評価は。以前はホトケの高宮として俳優達には意味不明だけれども温厚な人だと思われていたようだが。
今ではすっかり地蔵の高宮と変わり。
閻魔大王の側面を持つと思い込まれている。
別に閻魔大王に対する誤解はどうでもいいのだけれども。
俳優に怖れられるのは。
まあいいか。面白いし。別に恐怖で人間を統制しようとか高宮は思っていないので。これについては、許容するつもりでいた。
「次はシーン202。 それまで五分休憩」
声を掛けると、スポーツドリンクを飲む。
そして、休憩所に行くと。
スマホの電源を入れ、メールを受け取っていた。
井伊からだ。
連絡があったのだ。
どうもポリコレを裏から指嗾している人権屋が、高宮作品に目をつけたらしい、という情報を。
情報の出所は黒田からだ。
趣味で以前から危険思想のアカウントを調べているらしいのだが。その結果偶然見つけたものらしい。
ともかく井伊の方でも調べて貰って。
その結果をすぐに出して貰った。
「例の件だが、結論から言うと貴方の作品に対して今ケチをつけるのは難しいという事になっている様子だ」
「ほう。 何でも骨までしゃぶり尽くす連中なのに」
「それだけ貴方の作品が難解……というか意味不明という事だ。 あの手の連中は、なんでも分かりやすく落とし込んで叩きに掛かる。 フェミニズムが良い例だが、立場が弱い女性がこの作品ではモノ扱いされているとかぬかして、人権を盾に攻撃する」
その通りだ。
そのくせ、自分達は立場が弱い男性を差別して平然としている。
おぞましい矛盾だが。正義だと錯覚しているから気づくことさえできない。
フェミニズムの尖兵となっている連中は、正義の棍棒を渡されているから。鬼の形相になって夢中になって暴力を振るっているが。
客観性という鏡を持っていないので、自分の顔を見る事が出来ない。
鬼の形相になっていることも。
血まみれの棍棒を持っている事も。
おぞましい顔で暴力を振るっていることさえも。
分かっていないのである。
そんなだから、人権屋の手先にされるのだが。
「貴方の作品には、そういう分かりやすい攻撃をできる点がない。 欧州だと特定人種だけ使うのは差別だというのが今のトレンドだが、貴方の作品は、特に最近のものは人間すら使っているとは言い難い」
「確かにポリコレという観点から私の作品を攻撃するのは無理があるね」
「そういうことだ。 ただ、もしも攻撃の糸口を連中が見つけた場合にはすぐに私が対処する。 ポリコレによる炎上は厄介だ。 先に手を打って置かないとまずいかも知れないから、私はしばらく先手を打つのに回る」
「CG作成は大丈夫?」
問題ないと、井伊は即答した。
まあ井伊の見立てなら大丈夫だろう。
あの黒田が、予想以上に出来ると言う話は聞いている。
代わりは幾らでもいる。
そういう思想の元、そんな出来る人材をつぶしかけた会社は許しがたいが。
残当な事に。その会社は潰れたそうである。
社長は失踪。
恐らくだが、闇金業者か何かに埋められたか沈められたか。
役員連中も概ね同じ運命を辿ったことだろうと言う事だ。
闇金の連中は反吐が出る程嫌いだが。
まあ今回については、警察も何故か裁かない連中に、恐怖と死をくれてやったということだけでは評価する。
そのまんまお前らも潰れて死ね、と思うが。
はっきり言って、それ以上は何とも思わなかった。
「では後は任せる。 危険な相手だから、油断はしないでね」
「承知している。 了解した」
通話を切る。
まあ通話と言っても、殆ど亜音速で指を動かしてスマホでメールのやりとりをしていたのだが。
それはそれ、これはこれだ。
ともかく、次である。
撮影のペースは一時期よりも遅れていたのだが。最近、またペースが上がって来ている。
全部自分でやっていた状態から、同志が加わった事で。状況が変わったからである。
これは高宮にとっても有り難い事だ。
今後も取り巻きはいらない。
同志は増やして生きたい。
大望のために。
休憩を終えて、監督の椅子に戻る。俳優達は、すでにスタンバイしていた。
「はい、じゃあ撮影開始」
カメラが回る。
「正当派コメディ映画」として撮影している今の映画だが。
実際の内容はシュール過ぎてジャンルを分類することすら出来ない状況になっている。
俳優達も、場の空気がコメディ映画の撮影では無いと思っているようで。
みんな目が死んでいるが。
目が死んでいるのは、高宮映画の撮影ではいつもの事なので。
まったく気にする必要はない。
今は、階段を横に転がりながら、いわゆる暗黒舞踏を行っているシーンを撮影している。
前衛的なダンスだが、まあそれはそれで別にどうでもいい。
階段を転がり落ちるのだから、色々と危険が伴う。
そのため、危険を徹底的に排除するべく、さまざまな工夫をしていた。
なお、暗黒舞踏するのは日野である。
スタントいらずと本人が申告していた通り、実際に大した身体能力である。
なお全身黒タイツで顔も隠している状態なので。
ポリコレもクソもあったものではない。
「はいカット。 それでは五分休憩後、シーン21」
慌てて俳優達が脚本をめくる中、次のシーンに出番がないと知っている日野は着替えにいった。
この撮影では。皆普段着で撮影するという画期的な試みをしている。
というのも、今回はCGで優秀なバックアップが加わった事もある。全員の服をゲーミング仕様にしてみようと思っており。
以前は手間が大変だろうなと思っていたのだが。
基礎的な設定なんかは全部井伊がやってくれたので。
それにそって応用部分を黒田が作り。
色々と、実際にやれそうになっているのである。
まあ、編集は流石に高宮がやるのだが。
「はい、撮影開始。 スタート」
俳優達が動き出す。
今度は五人の俳優が、息をあわせて頭上で手を打ち合わせるシーンである。
足を交差させ、何度か手をうちあわせて。そしてシュールで哲学的な台詞を喋るシーンだ。
流石にプロだけあって、全員が一発で台詞をあわせてくる。
なおずれた場合には、後で声だけ吹き込む。
そもそもこのシーンでは、全員をCGで黒子にするつもりなので、何ら問題はないのである。
はいカット。
高宮がいうと、全員がげっそりした様子で、椅子に座る。
十分休憩を指示して、時計を確認。
日野が戻って来た。
ささっと着替えを済ませたらしい。
まあこう言う場所だ。劇団時代に、早着替えはマスターしたとか言っていたっけ。まあ高宮に言ったのでは無く。
泣きながら相談を求めて来た新人俳優に相談に乗っているのを、影から聞いたのだけれども。
「はい次はシーン71ね」
すぐに俳優達が動く。
全員が普段着だから、全くもってよく分からない状況ではあるが。
それでも、頭の中に。高宮の頭の中には、全体像が出来ている。
そして創作者の仕事は、この頭の中のイメージを的確にアウトプットすることだ。
高宮の場合は、敢えて虚無にアウトプットすることが重要なのだけれども。
それは現時点では客観的に出来ている。
撮影を開始する。
今度のシーンでは、交差するように側転する俳優達と。その真ん中で、手を空に掲げた脇役が。
哲学的な台詞を喋るというシーンである。
うんうん。
完全に無意味だ。
これぞ実に虚無。これでいい。
そう思いながら、OKを出す。
俳優達の目は死んでいる。何をもうどうすればいいのかと顔に書いているし。そして精神的な疲弊も凄まじい。
ここで高宮が無茶ぶりをすれば、心が壊れてしまう人もいるかも知れないが。勿論そんな事はしない。
日野茜だけいれば充分。
日野にしても、事務所に掛け合って当分うちの映画で使うのでヨロシク、とは伝えてある。
その内、いっそのこと引き抜くつもりだ。
話によると、日野の今の給金は手取りで十五万程度だそうである。
これだけヒットした映画の主演も務めた俳優が、である。
流石に映画ヒットの直後には、ボーナスは出たそうだが。
それでもいくら何でも少なすぎる。
芸能事務所なんてのがろくでもない場所であるのは分かりきっているが。それでも何とかならないのかと思う。
役にも立たない脳筋のイエスマン重役にバカみたいな給金を払うくらいだったら。
それこそこういう前線で仕事をしている人に金を回すべきだろうに。
さて、撮影を再開。
日野は淡々と、死んだ目で撮影に応じるが。
そろそろ他の俳優が限界かな、と思う。
今回も正気度をゴリゴリ削る撮影内容だ。
まあ色々と、心がおかしくなっていく人も増えていくだろう。
だが、それすらも。
高宮は織り込み済みである。これでも、伊達に既に十四作も映画を撮っていないからだ。まあどんだけ映画を撮っても全然成長しない監督もいるが。これでも高宮は高IQが自慢だ。常に成長と改善を求めている。
故に、スケジュールについても大丈夫。
五時を少し過ぎた所で、きょうの撮影は終了。
定時の前に、俳優達に話をしておく。
「明日から休暇を順番で入れるのでよろしく。 休暇の間は絶対に呼び出さないので、温泉なりなんなり使って心を休めるように」
顔を見合わせる俳優達。
まあいつもどんなブラック職場にいるのかそれだけでも分かってしまうのが悲しい。
定時になったので、皆を上がらせる。
さて、此処からだ。
幾つか、やっておかなければならない事がある。
定時後に仕事をするつもりはない。
ただ、同志とのやりとりはする。
自宅にささっと戻り。
それでメールで連絡を入れて。同志とテレビ会議をする。会社の人間とテレビ会議をする頻度はめっきり減った。
基本的にクレームの類は一切入れて来ない代わりに。
下手に触ると大やけどする。
それが現状の高宮の、会社側からの認識らしい。
更に世間的には小娘の分際で、小野寺がもの凄く上手に立ち回っていることもあって、下手に手を出す事も出来ない。
普通だったら小野寺くらいの年の人間だと、会社で必死に修行と称して顎で使われている年代なのだが。
自分の役割を理解している小野寺は、会社の重役とバチバチにやりあっていて。
もう舐めて掛かっている役員はいないようだった。
それでいい。
本来の能力主義というのはこういうもので。
ついでに本来のコミュニケーション能力というのもこういうものだ。
上司の機嫌を伺う能力の事ではない。
意思疎通をするための能力である。
それは才能に依存し。
小野寺は才能をきっちり持っている。
故にコミュニケーションが必要な職場にいて。それを十全に生かす事が出来ている。高宮にとっては、本当にいい拾いものだった。
小野寺も井伊も、本来だったら会社組織に埋もれてしまい。
才覚の一割も発揮できなかっただろう。
特に井伊の場合、あまりにも駄目すぎる現状の会社というシステムに早々に嫌気が差してしまい。
さっさと株式取引などで稼ぐ道を選んでしまったかも知れない。
井伊のIQだったらそれも難しく無く。
後は人材を無駄に、この世界はしてしまうところだっただろう。
ともかく、同志達のおかげで。高宮はとても動きやすい環境にいる。
普段はメールでやりとりをしているが。
たまにこうやって、テレビ会議で状況確認をするようにもなっていた。
ただし、ごく短い時間だ。
ベタベタするのが同志だとは思わないし。
無駄に時間を使うつもりもない。
「それでは晴。 何か問題は起きている?」
「いいえ。 会社側では、もう高宮監督には好きなようにやらせるべきだと諦めているようです」
「いい傾向だな」
井伊がいうが、その通りだと高宮も思う。
何か勘違いしている役員が、変な風に介入してくるくらいだったら。
好き勝手にやらせて貰う方が高宮としては万倍もいい。
ともかく淡々と話を進めて行く。
「井伊の方で、何か気になる事は」
「現時点ではない」
井伊はどうも名前で呼ばれるのがいやらしく。
それを小野寺に言われたので、名字で呼ぶようにしている。
戦国大名徳川家の家臣井伊家の血脈を引いているらしいのだが。
それについては本当かどうか、良くわからないそうだ。
有名な井伊直政は、関ヶ原の戦いでの傷が元で死んだとか言う伝説があるが。
実際の所は、単に過労死をしただけである。
ただ、井伊を井伊直政のように過労死はさせたくはない。
元々体力にそれほど自信がある方でもなさそうだし。
高宮の方で、気を遣わなければならなかった。
二人とも大丈夫そうだ。
だが、黒田については、先に聞いておく必要がある。
そのうち同志として迎えたいと思っているのは、現時点では日野茜と黒田恵子。
この二人だけ。
他にも今後は増やしていきたい所だが。
まあ、現時点ではまだ適材は見つかっていない。
適材から、丁寧に吟味していきたいところだ。
「あの黒田という子について、どう思うか二人の意見を聞きたい」
「では私からですけれど」
小野寺が軽く話をしてくれる。
黒田は元々生真面目で、体さえ壊していなければずっと同じ会社で働いていたのだろうと言う。
確かにそれは同意見だ。
ただ、話に聞く労働環境を鑑みると。
多分長くはもたなかっただろうと思うが。
五年も頑張っただけで立派である。
狂った環境で、良くも五年頑張ることが出来たと言える。
そして、そんな狂った環境を当たり前にしているのが、今の社会情勢という奴なのである。
映画業界も狂っているが。
今の時代は、社会全てが狂っている。
更にいうと。
そんな狂った社会に対して、順応するように求めるような風潮まである。
社会そのものを変えなければならないと、誰かが声を上げなければならないのだ。
そうしないと、いずれこの文明そのものがクラッシュするだろう。
「黒田さんは、無理をさせないで、少しずつ同志に引き込めるかを見極めていくべき相手だと思いますね」
「……井伊は?」
「私も同感」
井伊も静かに言う。
小野寺の言葉と概ね同意らしい。
とにかく頭のスペックが違う井伊だが。
人間とコミュニケーションを取ることについては、かなりの部分で諦めているらしい。
良くある、「バカにも説明できる人間が賢い」とかいう言説。
あれは完全に間違いである。
そもそもそんなバカにでもかみ砕いて説明したところで、どうせバカは自分の好感度が高い相手の言葉しか信用しない上に。逆に言うとどんなトンチキな説明でも、好感度が高い相手の言葉は何でも平気で鵜呑みにするという事を忘れている。
そういう意味でも、むしろ分かりやすく説明してくる相手というのは、最も疑って掛からないといけない存在であり。
そんな事すら分からない人間が蔓延り。
更に狂った言説が蔓延している現在に。
井伊は相当に、マイナスの評価をつけているようである。
ただそれに関して、高宮はほぼ同意できるので。
特にどうこういうつもりはない。
小野寺も現在社会には相当に思うところがあるようだが。
ただ小野寺は、匠極まりない意思疎通能力を使って、どうにでも出来ているので。
それはそれ、これはこれだ。
「黒田のカルテをこの間見せてもらった。 此方で確認した所、医師のいうことはほぼ間違いは無い」
「え。 医術も出来るの?」
「出来るかは微妙だが、知識はある」
それは凄い。
六法全書を丸暗記と言うだけでもかなりの超人ぶりだが。
現在医学も、かなりの所まで記憶しているのか。
生半可なスパコンよりもオツムのスペックは上なのでは無いか。
そう思えてしまうが。
それは流石に、専門分野の違いという所だろう。
「いずれにしても、黒田さんは後数年はまともに体を動かすことはさせない方が良いと思う。 今もやっと精神が安定してきたところで、何か下手なアクションが周囲で起きたら自殺してもおかしくない」
「……分かった。 それなら、適切量の仕事だけ回してほしい。 もしも病気で黒田が動けないようなら、補助してほしい」
「分かった。 ただ私も忙しい時は動けないから、やはり補助要員がほしい」
「それについては、二人が来る前に手伝って貰ってた下請けを紹介しておく。 必要に応じて使ってほしい」
こくりと頷く井伊。
これでいいか。
軽く話だけして、後は会議を終える。
夕食を取って、もう少しで映画の撮影が終わるな、と思った。
井伊からは、誤字脱字の修正が終わって。既に脚本が戻って来ている。
井伊は文字通り淡々とやってくれるし。
何よりも敢えて意味不明の内容にしているとも理解しているので。
その辺りは、ああだこうだ言い合う事も無く。
推敲はすんなり終わっていた。
高宮はかなり誤字脱字が少ない方なのだが。
それでも一部はあったので、修正をしておく。
普段は脚本を世に出す前に、最終チェックをして。誤字脱字を取り除くのだけれども。
それは結構精神的に大きな負担が掛かる。
これで、面倒を減らせるのは有り難かった。
風呂にゆっくり浸かって疲れを取る。
人間はそもそも、十五時間とか働くように体が出来ていない。
疲れを取った後は、ゆっくりねむる。
それで、次の日を迎える。
それが、自然な人間の体の使い方、というやつであり。
そもそもとして、そうすることで。
やっと健康について、考える事が出来るのだった。
黒田は黙々と、渡された仕事をこなす。
現在やっているのは、どうやら今後想定される仕事のベースになる部分のCG作成らしい。
何でも少しだけ聞かされた所によると。
井伊という人は、高宮監督から今後公開する脚本について見せてもらっているらしく。
それで、いっそのこと必要になるCGを先に作っておき。
今後の手間を減らそう、と言う事らしかった。
そこで言われるままにCGを作っていくのだが。
定期的に休みを入れながら作業をする。
というのも、文字通り正気度がゴリゴリ削られるような、意味不明な仕事ばかりだからである。
黒田も自分の精神が不安定なことは自覚している。
会社にいたころは何度も電車に飛び込む事を本気で考えたし。
首をくくって死ぬ事だってしかり。
男を作って慰めて貰おうとか、そんな事は一切考えなかった。
そんな精神的な余裕がそもそも無かったし。
今の時代、稼いでいる人間は。
それこそ自分の命を削りながら金に換えているか。
悪逆の限りを尽くしている外道か。
そのどちらかと相場が決まっているからだ。
稼いでいる男が良いかというと、そうでもないのだけれども。
ブラック企業が蔓延している今。
いわゆる「理解のある彼」なんて都合がいい生物はいないし。
いたとしても、何かしらの裏がある事はほぼ確定だろうとも思っている。
ましてや世間的な風潮からも、結婚した後も働け、というのが今の時代である。
そうなれば、どっちも余裕が無くなるのは当たり前の話で。
そんな状態でも他者を自分より大事にしてくれる「理解のある彼」なんて生物は、存在し得ないし。
存在したとしても、黒田みたいなのの所にはこないと分かりきっていた。
ため息をつくと、狂気を刺激されるCGをガンガン作りあげていき。
一段落したので、井伊に送る。
送信すると、殆どノータイムで指摘が来るので。それにあわせて修正をしていく。たまに、作業中にどこをミスするのか見透かしているかのようにメールが来て。それを実際に調べて見ると、本当にミスしていたりもする。
何というか、超人だ。
黒田はCG職人だが、それはあくまで勉強して身につけたもの。
自分の限界だって今は分かっているし。センスだって限定的なのだと知っている。
勿論黒田がいた会社にも、高いスキルを持った人間はいたが。
体育会系のクソ上司に文字通りすり潰されて命を落としたり、或いは仕事を辞めていったり。
その力を十全に発揮できているとはいえなかった。
井伊はそれが出来ている。
本当に羨ましいなあ。
最初からその職場にいたかったなあ。
そう思う。
CGだったらゲームという固定観念が、何処かにあったのかも知れない。
その昔の固定観念をぶん殴りたい気分だけれども。
もはや、どうにもならないのが。悲しい所だ。
作業を済ませて、定時になったら切り上げる。
進捗については大丈夫だ。
そもそも井伊に言われている。
今やっているのは前倒しの作業だ。
出来れば進捗を守ってはほしいが、それよりも体の方を優先してほしい、と。
更に井伊は、以前カルテを要求してきて。
それを把握したらしい。
要するに医療関係にも知識がきちんとあるようで。カルテも読める、ということだ。
これは凄い事だと、今の黒田は分かっている。
やれ根性だ、やれ筋トレだで全てが解決し。
鬱は甘えからくるとか本気で信じている阿呆どもには、一度地獄に落ちてほしいと思っているが。
少なくとも井伊は違う。
そんな井伊の下に。相手がずっと年下だとしてもつく事が出来たことは、どれだけ幸せなことは。
黒田はよく分かっていた。
ぼろぼろになっている体は、こんな良い環境で仕事をしていても。なおも時々悲鳴を上げる。
五年分の無茶な生活で、どうしても体中はズタズタ。
こればかりは、どうしようもならないのだ。
家の側の量販店に出向き。
夕食の材料を買ってくる。
本当に疲れている時は、料理をしないこともあるが。
今日はしようと思って、料理をきっちりする。時間はある程度掛かるが。マニュアル通りにやっていくのがメインとなる料理というものは。
プログラミングやCG作成と同じで。
黒田にとっては、趣味とまではいかないにしても。
それなりに悪くないものであるのは事実だった。
夕食を終えて、風呂に入って休む。
まだフラッシュバックで、会社時代に受けたダメージが心の奥にぐさぐさと突き刺さる。
それで飛び起きることもある。
人間の心が受けた傷は、外からは見えない。
人間は他人に傷をつけるときは全く自覚しない生物だと言う事も、この間聞かされた。
ましてや近年は、虐めを弄ると言う言葉で誤魔化し。
それによって自分の醜悪な行為を正当化する。
そんな連中が増えに増えすぎている。
黒田はもう、会社には。
少なくとも普通の会社。
ブラック企業が当たり前になり。スタンダードになってしまった今の会社には、いきたくなかった。
起きだす。
布団からもぞもぞと出ると、泣いていたのに気づいた。
酷い夢でも見たのだろうか。
前はもっと、寝ている間に泣いている事が多かった。
夢は記憶の整理作業だと聞いたこともある。
つまるところ、黒田はそれだけ頭に負荷を掛けていて。今もその後遺症が残っているという事なのだろう。
涙を何度か拭く。
理解ある彼くんなんて生物はいない。
甘言で近付いてくる奴ほど危険だ。
それがわかる程度の頭はあるから、ヒモにも引っ掛かる事は無かったし。宗教にはまるような事も無かった。
だけれども、人間にはすがる相手が必要なのだとも思う。
誰も彼もが。
自分の足だけで立って、生きていけるほど強くないというのが現実だ。それは、黒田もよく分かっていた。
歯を磨いて、うがいをして。
朝ご飯を食べて。PCを起動。
時間を見るが、フレックスで作業をすればいい。それも会社の方で認めてくれている。
フレックスで今日も仕事をしよう。
温泉にでもいこうかな。
ぼんやりと、PCが起動するまでの間。
黒田はそう考えていた。