謎の映画監督の物語 無の映画監督 作:dwwyakata@2024
ただ、この化け物は酷い目にあわせるだけではなくて、ちゃんと福利厚生はしっかりしているし。
しかもそれでいながら、認めてくれるし出世もさせてくれるのです。
日野が休みを貰って事務所に顔を出すと。
久々にマスコミが取材をしにきていた。
日野が来るのは想定外だったらしく、取材をしたがったが。
近年ではマスコミの取材、それもいきなり許可証も得ずに来るようなものはリスクが高すぎる。
芸能事務所とマスコミは昔はズブズブだったし。
今でも一部はズブズブだが。
それはそれ、これはこれだ。
流石に日野も、いきなり何を聞かれるか分かったものではない取材を受ける勇気はなかったし。
事務所も受けるように強要はしなかった。
しぶしぶマスコミが引き揚げて行く。
事務所にいる上司はむすっとしていた。
「日野くん。 後で会議室に来て欲しい」
「今日は休日ですし、荷物の整理に来ただけなんですけれど……」
「口答えするんじゃない!」
いきなり顔を真っ赤にした上司が怒鳴り散らす。
周囲の俳優達が青ざめたが。
日野はむしろ、むっとした。
どうしてだろう。
もっと恐ろしい高宮監督をいつも目の前にしているからだろうか。顔を真っ赤にして怒りをむき出しにしている。
つまるところ、感情を剥き出しにしてみせれば相手が恐縮すると思い込んでいる輩が。
猿か何かにしか見えなかった。
「怒鳴れば黙ると思っているんですか? これからのやりとりは録音させていただきます」
「お前、恩を知らないのか!」
「恩ですって……!?」
何が恩か。
此奴。上司は営業として、散々日野を彼方此方のオーディションに出したが。
どれもこれもロクな仕事では無かった。
高宮監督の目にとまらなかったら、多分枕営業とかもさせられていた可能性が高いだろうし。
何よりも主体的に何か教えて貰った事何て一つも無い。
高宮監督は確かに怖い。
深淵そのものだし。
はっきりいってホラー映画に出てくるような幽霊なんかよりも、ずっと格上の恐ろしい存在だ。
だけれども、あの現場に出向いて。
色々と今の業界はおかしいのでは無いか、とも思うようになってきた。
今は、殆ど事務所は離れているし。
何よりも、仕事は簡単に来るようになっている。
それが、立場が弱かった頃には見えなかったものを、日野に見せるようになってきていた。
テレビ局でCMの仕事をしているとき。
日野は何度も、おぞましいものを見た。
CMの仕事ですら、である。
隣の控え室から聞こえてくる怒号。
マネージャーがアイドルをぶん殴る様子。
それをニヤニヤしながら見ているテレビのスタッフ。
スポンサーには一転してへこへことカエルのようにへつらう。
挙げ句の果てには、自分を特権階級だと思い込んでいる事を、隠そうともしない有様である。
「テレビに出してやっているんだから感謝しろ」。
そういう態度がバレバレだ。
これではいわゆる素人弄りが蔓延して。
それで視聴率が下がるのも当たり前だろう。
これは終わっているメディアだなと何度も思った。
そして、そんな仕事しかとってこない上司にも、いい加減頭に来ていた。
日野は、高宮に声を掛けられている。
自分の事務所を作るから。其処に移籍しないかと。
声を掛けられたのはこの間だ。
かなり怖かったけれど。
はっきりいって、この事務所に比べればマシだとさえ思う。
この事務所は、スジ者と関係している訳では無い。
ヤクザとつながっている事務所は幾らでもあるし。
そういう事務所にいて、目が死んでいるアイドルと顔を合わせたことがある。話も少し聞いた。
ヤクザが主催するような乱交パーティーに出ることを強要されて。
あからさまにヤバイ薬とかも散々入れている現場を目にして。
もう何もかも頭がおかしくなりそうだと、ぼやいていた。
いずれ日野にも来る運命だ。
邪神に抱きしめられて、一緒に深淵に落ちるのと。
ダニと蛆虫のたまり場に放り込まれて、骨までしゃぶり尽くされるのと。
今後は二者択一になるだろう。
だったら。
深淵に落ちた方が、はっきりいってマシである。
額に青筋を浮かべている上司をもう一度見る。
怖いとは、全く思わなかった。
「お前なんかなあ、その気になれば簡単に干すことが出来るんだぞ! 何だったら……」
「営業部長!」
「……っ」
ちっ。踏みとどまったか。
ヤクザの名前を具体的に出して脅すと、それだけで逮捕が可能なのである。今、日野は録音している。
大慌てで止めに入らなければ、此奴は多分牢屋行きだっただろうが。
寸前で部下の一人が止めたか。
いずれにしても、もう決裂だな。
そう判断して。
大きく日野は咳払いしていた。
「何だったら、なんですか」
「このガキが、調子にのるんじゃねえっ! あんなクソ映画ばっかり作ってるクソ監督に気に入られてるってだけで、何をふんぞり返ってやがるんだ、ああん!?」
「録音されていると分かっている上でそう言っているんですね?」
「……」
そこで、やっと気づいたらしい。
はっと青ざめる上司。
そう。高宮監督のシンパは、今二種類いる。
クソ映画と分かりきった上で、何故か中毒性を受けて映画館に通っているファン達。彼ら彼女らはみんな高宮監督の映画がクソ映画である事なんて分かりきっている。それはそれとして、不愉快ではないクソ映画という不思議な代物を楽しんでいる。
もう一方は、アカデミー賞を高宮監督に渡して、本気で業界の寵児だと思い込んでいる連中である。要するに意識高い系の業界人だ。
此奴らは映画界隈どころか、マスコミにも太いパイプをもっている。
勿論、此奴らを怒らせでもしたら。
当然の事ながら、この上司は終わりだ。
いや、この会社そのものが終わる可能性が高い。
「それでは、この件は高宮監督に相談します。 今の録音テープも引き渡しておきますね」
「ま、待てっ!」
「待ちません。 退職届が必要なら、後で郵送しておきます」
「待てって言ってるんだこのアマぁ!」
手を掴んできたので。
その瞬間。
鍛えていた肺活量をフル活用して。
周囲のビルにも響くほどの、いわゆる事件性がある悲鳴を日野は上げていた。
警察が来て、上司を連れて行く。
完全に青ざめている上司は、暴行未遂の現行犯で逮捕された。
周囲に多数の人間がいたこと。
何より、暴行を直接行ったと言う事。
更には、日野が警官の前でしくしく泣いて見せた事。
そして日野がCMよりもむしろ高宮映画で知られている事が、決め手となった。
警察で聴取を受けたので、録音テープを引き渡す。
恫喝をしているのは明らかすぎる程だったので。警察も流石に看過はできないようだった。
それだけじゃない。
日野が事務所で、上司に襲われかけたと言う事については。既にSNSで拡散されていた。
「日野茜って高宮映画だと変な役ばっかりやらされてるけど、CMだとかなりの存在感があるあの子だよなあ」
「ああ、そうだよ。 結構な逸材だと思う。 きちんと高宮のクソ映画でも文句も言わずに変な役やってるみたいだし、CMでも存在感あるし。 何というか本物のプロだと思うね」
「要は金の卵って訳か。 それを暴行しようとしただあ……?」
「これ、ヤバイんじゃないのかな。 多分大スキャンダルになると思う」
大マスコミは沈黙を決め込んだが。
早速ハイエナを始めた中小の週刊誌。
色々な記事が暴露される。
日野の事務所はそもそも、それほどブラックな職場だという噂はなかったし。事実ヤクザとも関係があるわけではなかったのだが。
そもそも芸能界が、ブラック体質なのだ。
当然の話である。
埃なんか、はたけばなんぼでも出てくる。
むしろ週刊誌よりも、SNSでの暴露が早速多数で始めていた。
「日野茜に暴行未遂した営業部長、前にも何人か俳優を辞めさせてるらしいな。 居酒屋とかで、何人辞めさせてやったとか自慢しているのを聞いてる証言見つけた」
「良く見つけてくるなあ……」
「今本人が聴取中だって事もあって、アカウント荒れ放題見放題だよ。 全部ログ引っこ抜いてまとめが作られてる」
「うわ、これすごいな。 芸能界の闇が凝縮されてるやん。 もしもこれでヤクザとの関係とかあったら数え役満だったんだが、流石にそこまではないのか……」
いや、そうでもない。
日野の事務所そのものはヤクザとの関係はなかったが。
この営業部長本人は別だった。
やがて、証言が出てくる。
「出て来たぞ。 関東にある最大暴力団の三次団体と、この営業部長と関係があるみたいだ」
「おお……何というか終わりだな」
「詳しく情報を見せてくれるか」
「ああ。 これになる」
怪しい証言だとかではない。
写真だ。
その三次団体の人間と、営業部長が笑顔で握手している写真だ。
日野はやっぱり、とは思った。
あの時、営業部長はこいつの名前を出して脅しに掛かろうとした訳だ。
もう警察は動いているようである。
翌日には、その三次団体に家宅捜索が入り。
逮捕者が二十人出た。
芸能界の事務所のスポンサーをしていた訳では無いが。それでもかなりあくどい仕事を斡旋していたらしい。
中にはもっと上位の団体が主催する乱交パーティーの開催について、声を掛けるような事もしていたらしく。
それで更にSNSが過熱する。
「マジであったのか、乱交パーティー……」
「噂だとあるって聞いてたけどな」
「何言ってる。 周知の事実だよ。 アイドルとかがくれば、それは金払いのいい客とか来るしな。 ヤクザとか半グレとかの金もってる奴も、アイドルとヤれば自分のステータスが上がると思って来るからウハウハってやつよ」
「警察がどこまで踏み込むかは分からないが。 こりゃ事務所は終わりだな。 日野茜もかわいそうに」
それが、日野が仕事がなくなるからという意味なのか。
それともこんな事務所にいたから、と言う意味なのか。
日野には両方に思えたが。
SNSの事だ。
本人がどういう意図で発言したのかまでは分からない。
まあいい。
ともかく、様子をそのまんま見守る事にする。
「警察は三次団体を潰して、それで終わりにするみたいだな」
「そうなると、これ以上踏み込むと多分キャリアも関わってることがばれるって判断したんだろうな」
「クソだな。 どうせまた東のあの県警のキャリアだろ」
「西のあっちの府警のキャリアかも知れないぜ」
嘲笑が入る。
いずれにしても、以降警察は黙り。
そして翌日。
株が紙屑になった日野の事務所は。
綺麗に倒産した。
そして、その日のうちに、日野の所に連絡が来る。
高宮監督からだった。
「少し予定が早まったが、仕方が無い。 しばらくはフリーランスとして、私の映画に出てほしい。 契約を更新するから、うちの会社に来てくれるかな」
「分かりました。 でもその後は……」
「次の次の映画くらいから、うちは独自の事務所を建てるつもり」
高宮監督の映画だけではなく。
高宮監督が所属している配給会社にでる俳優を専門で抱える事務所、ということらしい。
日野はそのスターターメンバーの一人として、抜擢するそうだ。
有り難いやら嬉しくないやら。
ただ、はっきりしている事は。
どうやら、骨まで蛆虫とダニに貪り尽くされることはなくなったようだった。
いずれにしても、拒否する理由は無い。
ようやくその頃になって号外が出たが。
今更週刊誌の情報なんて、誰も真に受けない。
号外は虚しく撒かれるだけで。
一部の物好きだけがSNSに情報をアップし。
それで笑われるだけに終わった。
週刊誌は案の定、ヤクザとの対立を怖れたのか。その辺りには深く踏み込むこともしなかったし。
センセーショナルなタイトルで客を引こうとしておきながら。
記事の中身は案の定からっぽ。
謎の人物の談話を紹介して。
分かりきっている事や。既にSNSでとっくに暴露されている事を述べ立てるばかりだった。
これじゃあ売れない。
日野も、石山という記者が書いた記事はみた。
レベルが違い過ぎる。
裏取りをして、可能な限り客観的に、正しい情報を届ける。
それを大まじめにやっている記者なんていないんだなと、はっきり思い知らされた。
石山というあの人は、二次元の世界から来たのかも知れない。
そうとすら思って、何だか情けなくなったが。
ともかく。その日は疲れきったので、眠る事にする。
警察はしばらく、家の周囲を巡回してくれると言う事で。
それだけは安心だったが。
夢は見なかった。
疲れきったから、かも知れない。
それにしても声量を鍛えておいて良かった。
あの悲鳴は、数百人以上が聞いたと後から聞かされている。
実際、警察が踏み込んでくるのも早かった。
鍛えていたことが、自分を救ったのだ。
朝一番に起きると、記者が来る前にさっさと家を出る。朝一番に、何もかもを終えて。高宮監督の会社に向かった。
昔も今もあの人は怖いけれども。
それでも、無惨に蛆虫とダニに貪り尽くされるよりはなんぼかマシである。
事務所で応対してくれたのは、井伊と言う人。
子供みたいな見た目をしているが、話には聞いている。
高宮監督を中傷した映画監督を、一瞬で社会的に屠った人だ。
法律関係のプロフェッショナルだということだが。
単にスペックが段違いに高いと言う事で。
法律だけでなくて、知的活動も相当に出来るという事だった。
まさかな。
SNSでの炎上と過熱は、あまりにも早かった。
それにあの営業部長とヤクザとのつながりの決定的証拠が出てくるのも、である。
この人がじかにやったのか。
それとも、或いはこの人が煽ったのか。
分からない。
ただこの人を怒らせることは。はっきりいって致命的な事に思えてきた。
ぶるっと悪寒が来る。
高宮監督が深淵の邪神だとすれば。
この人は何というか。
その頭脳を司る強大な闇そのもの。
はっきりいって怖いけれども。それでも、尊厳を何もかも食い尽くされるよりはまだマシだと思う。
そのまま話を幾つか聞かされる。
「まず契約についてだけれども、この契約で構わないか目を通してほしい」
「はい。 ……はい、はい……」
目を通しただけで分かった。
なんだこれ。
こんな契約書、見た事がない。
まず仕事の定時での確約。
有給の確保の確約。
給金についても、はっきり明記されている。
今の時代、ブラック企業がどこでも当たり前になっている。どこも搾取してなんぼの時代である。
契約書にこういう事は普通書かない。
それなのに、きっちり書いているのは、あまりにも凄い。
勿論残業が生じた場合にも、「サービス残業」とかいう邪悪な制度を適用はしないと明言までされている。
残業の詳しい金額。
更にはボーナスまで記載されているのを見て。
日野はくらっと来ていた。
「わ、私フリーランス扱いでの契約ですよねこれ……それも、高宮監督の映画には全部出ることだけが条件でこれですか!?」
「本来企業と人との契約というのはこういうもの。 人がいなければ企業なんて動かないし、別に社長が人間的に部下より優れているわけでもない。 だから、本来は労働者と企業とは契約関係に過ぎず、別に偉い人間が偉くない人間を使っているわけでもなんでもない。 それを理解出来ていない阿呆が、ブラック企業なんてものを作った」
井伊の言葉は鋭いが。
概ね同意できる内容でもある。
無言で目を通し終える。
こんな契約は他に見た事がないし、受ける以外にはない。
勿論裏側に好きかって書かれている事も無く。
全て目を通した後、写真を自分でとっておくようにも言われた。
フェアにも程がありすぎる。
驚きである。
勿論。高宮監督の映画に今後ずっと出なければならないというのは、胃に穴が開きそうな話ではある。
だがそれはそれ、これはこれ。
それに、CM等の出演に関しても、OKは出ている。
ただ当面は、その仕事はないだろうが。
テレビ局の方でも嫌がるだろうし。
「け、契約は受けます。 ハンコを此処に捺して、名前を……」
「うん。 それで写真を撮って」
「わ、わかりました」
「じゃあ契約成立。 以降も関係無しで映画の出演をよろしく」
頭を下げる。
明日から、また俳優業だ。
家に帰ると、やっと記者が集まっていたけれども。取材許可証は出ていないので、そのまんま無視。
警官も集まっていて、邪魔だからと記者達を避けてくれた。
外が少し五月蠅いけれども。
これで、芸能界という檻から出ることがで来たのかも知れない。
デジタルアイドルの世界にいけたらな、と思った事は実際に何度かある。
まああっちもそれなりに大変ではあるようだが。
それでも、今の腐りきったリアルアイドルやらの世界よりは、なんぼもマシだろう。
そして今後は邪神に囲われる代わりに。
日野は、それ以外の部分では自由になった。
溜息が何度も出た。
涙も零れる。
うれし涙と一緒に、これはなんだろう。
安堵の涙かもしれなかった。
ふと気づくと、高宮監督からメールが来ている。
内容を確認すると、どうやら次の次の映画が取り終わったら話があるらしい。
そうなると来年くらいか。
いずれにしても、まだ先の話だが。
明日も見えない状態から、そういう話が出てくるようになり。そしてあくまで邪神の配下とは言え。
それでも光明が見えるようになったのは。
日野茜にとっては、本当に格段の進歩であり。運が開け始めたのかもしれなかった。