亜人間恋愛物語   作:d1199

10 / 27
まとわりつく陰

 夜の住宅街に響くダダダという足音は、士郎のモノだった。

 

 幼い義姉から責務ではなく逢い引きではないのかと嫌味を言われながらも、彼はセイバーを連れだって夜の住宅街に繰り出した。二人の注意を引いたのは、最近二人目の子供が産まれたという家族が住む洋風一軒家であった。二人は警邏の警官を遣り過ごすと、塀を飛び越えてその家の庭に忍び込んだ。

 静かすぎるその家の庭で、油断なく愛剣を構えたセイバーは《居ます》と士郎に言った。士郎は、夜干しされている子供の衣類に付いた血の様な赤い点に気がついた。その家から何かが《キィ》羽ばたいたのは、その時であった。

 翼開長三メートルを越える何かが、薄暗い住宅街の夜空に舞い上ったのである。鳥類は暗くなると視力が落ちるので、フクロウやミミズクなど一部を除き、夜に行動をしないのが一般的だ。そのフクロウでも翼開長は九四センチからイチメートル少々なのだが ――赤い羽を機関銃の様に撃ち出すならばそれ以前の問題である。

 道なりに走るより他はないならば、空を飛ぶそれに追い付く事は不可能に決まっている。彼はセイバーに先行を依頼すると、彼自身も追うように走り出した。

 聖杯戦争終結から五日が経過したが、町には未だ陰鬱な空気が立ち籠め、深夜ともなれば人影は殆ど無い。町には、洋風住宅や和風住宅、新しめの家から年季の入った家までが、詰めるように立ち並んでいたが、どの家も闇夜を恐れ明りを強く灯していた。

 その様な住宅街に足音を響かせる存在が居るならば、それは暗がりに紛れざるを得ない誰かか、或いは暗がりそのモノに違いない。つまりは関わってはいけない存在だ。

 士郎がとある家の前を通り掛った時にその家のカーテンが揺れていたのは、直前までその家の誰かが、閉ざされたカーテンから外を窺っていたからである。彼はタイミング良く閉ざされたカーテンに気に取られること無く、住宅街の屋根を八艘飛びで駆けて行くセイバーの背を追い掛けるように走り続けていた。

 

 一時停止の道路標識が立つ十字路を通り抜け、横断歩道の存在を注意する路面標識を踏み越えた時、士郎は脚を縺れさせる様に立ち止った。両膝に充てた両腕で支えた身体は、ヒューヒューとふいごの様な呼吸音を立てていたのである。

 

(この疲労は普通じゃない……)

 

 彼は、左の二の腕に刺さっている赤い羽根を疎ましそうに見詰めた。

 

(やっぱり、これは呪いか)

 

 赤い羽根にキラキラと光る粒子は、自然揮発型加湿器の様に吸出された士郎の魔力だ。もちろん彼は抜こうと試みたが叶わなかった。それは、大量に撃ち込まれた内の、セイバーの防御を通り抜けた、一本である。

 

(あの怪鳥は、おさん狐より強力だ。顕現した触媒が具体的なのかもしれないど……いや。それは今考える問題じゃない。一刻も早くセイバーに追い付かないと)

 

 彼は、体に鞭を打ち走り出した。

 

◆◆

 

 セイバーと合流した士郎は、ビルとビルの隙間・公園の木陰・工事現場を捜した。悪霊は居なかった。何食わぬ顔でコンビニエンスストアの店員に聞いても無駄だった。思い余ってごみ箱の中も覗いたが徒労に終わった。

 

(考えたくは無いけれど誰かが目撃した可能性もあるから、まだ聞き込みをしてみるべきだ)

 

 セイバーがその場に居ないのは、街中で行動する為の着替えをしているからである。彼に声を掛けたのは、警邏中の警官だった。

 

「君。未成年だね? こんな時間に出歩かなければいけない程の用事はなんだろうか」

「……きょうだい達がひもじい思いでタイムサービスの鯖を待っているのぉぉぉぉぉっ!」

「待ちなさい! 待たんかコラ!」

 

 駅前の、ロータリーにあるベンチに腰かける彼はグッタリとしていた。

 

(妖怪より警官に疲れた……)

 

 住宅街から新都へのランニング。呪い。そして投影。彼の体力はもう限界だ。

 

(打てるのは後一本)

「シロウ」

 

 彼女の着ているワンピースは、彼のワンショルダーバッグに入っていた彼女の着替えだ。彼がそれを持っている理由は、人前で不都合な鎧を展開すると服が弾け飛んでしまうからである。

 

「これから聞き込みをする……セイバー?」

 

 両手足を大きく振り戦車のように歩く彼女が、小ぢんまりしていた。艶・科・色気・恥じらい。むわっとするその類いの香りを彼女は放っていた。この雰囲気は前にも見た、彼はそんな事を考えた。その声はいつもより小さく、そして揺らいでいた。

 

「殿方が女を嬲って喜ぶ性癖を持っている事は知っています。ですがこれは少々意地が悪すぎだ」

「?」

 

 彼女の物言いは表情は咎めだったが、その頬は紅く染まっていた。

 

「淑女を寝所に誘うのも男子の甲斐性の一つですが、シロウがこういう事をしてしまう程に……なるほど。あの家の状況では、シロウも健全な十七歳の男子なのだから、何かと不便があるのも分かります」

「セイバーのその話し方は少しおかしいと思う」

「シロウの、その殿方特有の苦しさは私も知っていますが、そう言った情欲を私に向けられても困る。これは拒絶という意味ではなく、夫婦という新しい関係を築くには正しい手続が必要という意味ですが、私は婚姻の儀を執り行わずして夜の交渉を持つ事を認めていない」

「あのさ。俺には何が何だかなんだけど」

「だからと言って他の者に頼むのも許しがたい事実であり、どうしてもというのであれば、協力しても良いのですが、ですからその、」

 

 

 もじもじもじ。

 

 

 彼がみる彼女の向こうには駅前の強い灯りがあった。強い明りを背に浴びる彼女は、ワンピースの下に隠された肢体のラインを影絵のように浮び上らせていた。彼女が下着を身につけていない事に、士郎は気がついた。

 それは彼女の主観であったが、彼の視線に体中を舐め回される様だった。彼女は、まぐわいと言う密かな欲望を、誤魔化す様に彼を睨み付けた。

 

「その眼差しは少々不躾だ」

 

 彼が「……」黙って着ていたブルゾンを差し出したのは、着替えの用意はしたが、下着まで頭が回らなかったからである。

 

「今のセイバーを他の奴に見せたくないから、着てくれ。恥ずかしいけれど次からは誰かに頼んで下着もバッグに詰めておくから」

「配慮だけは有り難く頂きます」

 

 いそいそと着た彼女は、煮え切らない彼にムッスリとしていた。

 

 

 頬を叩き活を入れ、彼が辿り着いたのは大橋を望む海浜公園である。息を切らし、悲鳴を上げる心臓を左手で庇う士郎が見たモノは、大橋の赤いアーチ型鉄骨を駆け上るセイバーと、彼女の視線の先に居る赤い怪鳥だ。それは、巨躯の割にもしくは巨躯相当の、身重の様な重く鈍い飛翔であった。彼の魔術回路に火花が散った。

 

「投影開始〈トレースオン〉」

 

 カンカンカン。金属同士が奏でる足音を立てながら、海面より五〇メートルという落下すれば死に至る高さの鉄橋を、威ともせず走るのは白銀の鎧を揺らすセイバーである。住宅街で跳躍しても怪鳥の高度に届かない。高さを補う高層建築物もない。新都にある高層建築物は登るのに時間が掛かる。跳躍し斬り付けたいが、川を走る強い風が懸念材料だ。宝具の使用が無難だが、聖杯戦争が終結した以上、聖堂教会による秘匿の庇護が得られるか不透明だ。

 

(どうする)

 

 住宅街と新都を繋ぐこの大橋が、勝負の分かれ道なのである。彼女は愛剣〈エクスカリバー〉を握り絞めた。アーチ型鉄骨の上を走る彼女は、見下ろす風景 ――夜の川・夜の新都・夜の住宅街・街灯で浮び上る夜の海浜公園―― の中に一際光るモノを見つけた。

 

「シロウか?」

 

 強い風が彼女の髪を凪いでいた。

 

 川辺の公園に立つ彼は、両手で掴んだバスケットボールを脇に抱えるような姿勢だった。その手と手の間の空間に、青白いプラズマの嵐が吹き荒れていた。

 

(憑依・経験・共感 ――終了〈エクスドラフティング〉)

 

 顕れた槍は、三角形の斧としか例えようのない鋭利で幅広な鏃〈やじり〉を持っていた。

 

(工程・装填 ――完了〈ロールアウト〉)

 

 戦争と死と詩の神を司るその槍は、朱い月を彷彿とさせる雷を迸らせていた。

 

(目標補足〈ターゲットマーク〉 ――射線確保〈ラインクリア〉 ――弾頭種“亜大神宣言〈グングニルズ〉”)

 

 士郎を中心に巻き起った旋風は、空き缶を転がし、落ち葉を巻き上げ、その空間掻き混ぜた。

 

「射出〈ガンブレイジイング〉!!!」

 

 ゴゥン。砲台である士郎を仰け反らす程の反動と共に撃ち出されたそれは、海浜公園・川の上の空間・大橋・セイバー、それらの脇を瞬時に駆け抜け、怪鳥の翼を貫いた。

 それは「ギィッ!」と言う悲鳴を上げると、錐もみしながら深夜の新都に墜落していった。士郎は慌てて駆け出した。

 

(命中補正〈ホーミング〉のあるグングニルを避けた……違う。散らせた羽根〈フレア〉を囮にして直撃を避けたのか。狙ってやったのだとしたら頭が良いな。あの悪霊)

 

 橋の中程で待っていたセイバーは、士郎の二の腕にある羽根を見た。

 

「シロウ。無事ですか」

「ごめん。外した」

「捜しましょう。その羽根が健在ならば、あの怪鳥はまだ顕現していると見るべきです」

「セイバー。あの怪鳥はおさん狐と違う」

「はい。比較にならない程強力です。具体的な顕現の事象、強固な依り代が有るのかもしれません」

 

◆◆

 

「これからどうしますか」

 

 彼女が物陰に居るのは、人目を憚る鎧姿のセイバーの声である。替えの服は二着用意しよう、彼はそんな事を考えた。

 

「もう少し捜して見つからなければ、遠坂に報告して今日は引き上げる」

「シロウ。あそこに人集りがあります」

「人集り?」

 

 彼女が指さした、彼の視線の先に救急車が止まっていたのだった。彼は何食わぬ顔で野次馬に聞いてみた。

 

「何かあったのか?」

「通り魔だよ。妊婦さんが斬られたらしい。くわばらくわばら」

「通り魔?」

 

 彼が見たモノは、台車ベッドに寝かされた二〇歳前後の女性が、救急車に乗せられるシーンであった。

 

「おかっぱ黒髪の和服だなんて今どき珍しい」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 青い空には、優しい光を大地に届ける太陽が浮かんでいた。彼が居るのは、母屋に外接している出っ張った空間だ。手摺りに手を沿えれば、大きな庭を一望できた。

 そこに立つ彼は、緊張を欠いた顔をしていた。

 

「静かだな。あり得ないけれど、ずっとこのままなら良いのにと思ってしまうぞ」

『寝ていたマスターはご存じないと思いますが、桜さまと凛さまが千歳さまの支度金の所有権を巡って、先程まで争っていました』

 

 チチチと鳴きながら飛んでいくスズメを見た彼は、手摺りにもたれ掛かった。

 

「問題がないので何の計画もない。いや。対策を考える必要がない。こんな時間の過ごし方があるとは思わなかった」

『四〇〇〇万円というのは、一人の子供を選良まで育て上げられる大金なのだとか。私の時代も金策は重要でしたが、あそこまで人を変える金銭の魔性に畏怖するべきか、ヒトの浅ましさを嘆くべきか迷いますわ』

 

 手摺りに垂れていた彼は、シャッキリと立ち上がった。

 

『葵さんが管理する事になったんだろ』

『はい。葵さまの怒声など想像だにできませんでした』

『今日のリハビリはお休みだし、これからどうするか』

『本日は門前の掃除となっておりますが?』

『俺が?』

『お忘れですか? 凛さまのメモをお持ちの筈です』

 

 

 

 竹ぼうきを持った真也は、せっせと家の前の道を掃除をし始めた。

 

 

 

 彼は『キャスター。家事って素晴しいな。生きる為の仕事って感じでなんかこう料理にも興味が出てきそうだ』と言ったので、キャスターは『この時代には主夫という家事を専業とする夫も居るそうですが、流石に男らしさに欠けますわ』と呆れた様に応えた。その真也に近づくのは、衛宮家の二人である。

 

 士郎は、とても美味しそうに御飯を食べるセイバーを見る事がとても好きだった。もっとおいしいモノを食べさせたいという欲求は止まる事を知らない。

 なので士郎は、右隣を歩くセイバーに「セイバー。晩御飯の希望はあるか?」と聞いた。なので彼女は「シロウの料理であればどの様なモノでも私に不満はありません」と想いを馳せる様に彼の料理を肯定した。

 そう言われると困るのは士郎である。

 なので彼が「カレーライスとかどうだろうか」と言ったら、セイバーは「カレーは料理ではありません。強い味付けで誤魔化している雑な料理です」と不満を露にした。士郎は誰かに聞かれていないかと、辺りを見渡した。

 セイバーのその発言は、十字路を曲がった頃だった。カーブミラーに歩く二人が映っていた。

 

「ところでシロウ。チトセの事はどうするのです」

「何とかしたいとは思ってる。けど、あの馬鹿は言っても素直に受け入れないからタイミングを待っている」

「他所の家庭事情だ。放っておくという選択肢はないのですか?」

「そうなんだけど、どうにも気に掛かるんだ」

「シロウ。契約に対する私の真摯を逆手に取り、まさかチトセに心変りをしたのだと言いますまいな?」

「しない。あの、セイバー?」

 

 士郎の顔が強張ったのは、セイバーが道に落ちている小石を拾ったからだった。士郎は、彼女が見ているモノに気がついた。

 

「噂をすれば影です」

 

 彼女は、背後を見せているそれに小石を投げた。彼女はこう言った。

 

「調子が悪いと聞いていましたが。壮健な様で何よりだ。シンヤ」

 

 右手で竹ぼうきを持っている真也は、左手の人差し指と中指で、小石を挟んでいた。彼女は言った。

 

「私の顔に何か付いているか? その視線は少々不愉快だ」

 

 セイバーが悪戯をした子供を叱り付ける様な顔をしていたのは、真也が乗り換えの電車を待ちわびる様な眼で彼女を凝視していたからである。

 

「セイバー? いつからそこに」

「シンヤが、掃除をしている時からですが」

「そうじ?」

 

 真也は手に持っていた箒を凝視していた。

 

「家事に勤しんでいたのではないのですか」

「あ、いや。何でもない。ところでセイバーが来たのは士郎と破局したからだろ。金髪美人さんとの傷心デートなら最大限のおもてなしを……」

「お前のそれは挨拶みたいなものだと分かってるけど。セイバーに妙な事したら承知しないからな」

 

 真也が硬直したのは、その声がセイバーの影から現れた士郎のモノだと知ったからである。士郎は感じた違和感に眉を寄せた。

 

「……どうしたんだ。お前。ゲームの選択を間違えて、レベルアップ前にラスボスに会った様な顔してる」

「シロウのその例えが、私には理解できません」

 

 衛宮家に居る雪の娘は、ぬか喜びになるのではないかと言いしれぬ不安を感じていた。真也は竹ぼうきを士郎に突き付けた。

 

「なにしに来やがった……俺は食べても美味しくないからな! 近づいたらうちにある槍でぷすっと刺すからな! あの槍はこわいぞー。痛いんだぞー。こうやってぷすっと刺すとその傷は呪いで治らないっ!」

「……」

「……何か言えよ。せっかくギスギスを和ませようとしてるのに。というか。そのヤレヤレ顔がアーチャーにそっくりでムカツクわ」

「真也。お前に相談する為にセイバーとここに来た」

「……バカシロが。俺に?」

「二度も言わせるんじゃない」

「お前偽物だろ! ホンモノの士郎をどこやった!」

「黙れ。このばか」

 

◆◆

 

 セイバーと士郎が居る部屋は、少なくとも士郎にとって馴染みのない部屋だった。背の高い柱時計・テーブル・ソファー・チェストなどは、アンティーク〈年季を感じさせる木製〉だった。窓から光は差し込んでいるというのに薄暗く感じるのは壁が分厚いからだが、その部屋に油絵で描かれた人物画が掲げられているならば、大正時代の洋風ホテル以外何物でもない。二人が腰かけているのはその部屋のソファーである。

 セイバーの物言いは、僅かだが深刻味を帯びていた。

 

「シロウ。シンヤの事ですが」

「具体的には言えないけれど確かに何かおかしかった。ただあの感じは間違いなく真也だ」

 

 コンコンと言うその部屋の扉が立てた音は、入室を知らせるサインである。

 

「まぁ♪」

 

 お盆を手にするにこやかな人物は、若葉色のワンピースに白いショールを羽織っていた。士郎は凛にも桜にも似ていると考えた。

 セイバーがすっくと立ち上がったので、士郎も慌ててそれに続いた。彼女は深々と頭を下げた。

 

「私はアルトリア=ペンドラゴンと申します。彼はわたくしの主で衛宮士郎です。急な訪問にもかかわらずこの様な歓迎を頂戴し感謝の言葉もありません。貴方様はこの家の奥方とお見受けしますが、間違いありませんでしょうか」

「はい。当主、遠坂凛の母で葵と申しますわ。御二方にはぜひお目にかかりたいと思っておりましたのよ。ぜひゆっくりしていってください」

「こちらこそ。宜しくお願いします」

 

 彼は、初めて見るセイバーの態度にとても驚いた。そして(ここは俺がするべき挨拶だったのではなかろーか)そんな事も考えた。葵は二人を紅茶で持て成した。

 

「お口に合うと良いのですが」

「これはおいしい」

 

 葵はニコニコと笑みを絶やさずこう言った。

 

「セイバーさん。士郎さん。そうお呼びしても宜しいでしょうか」

「「どうぞ」」

「せっかくいらして頂いたのに。ごめんなさい。凛と桜は買物で不在でして」

「えーと。遠坂のおばさん」

「葵と呼んでで頂ければ嬉しいです」

「だったら葵」

「シロウ」

 

 セイバーはすまし顔だった。士郎は気まずそうに紅茶を飲んだ。そしてこう言った。

 

「葵さん。俺らは真也に用事があって来たのだけれど、葵さんにも用事がある」

「千歳さんの言っていた事でしょうか」

「千歳、さんの壮行会に是非参加したいと舞弥さんがそう伝えてくれと言っていた」

「新都でお酒なんて初めてなんです。申し訳ありませんが、ここで失礼しますね。もうじき真也さんも来ると思いますので。ゆっくりしていってください」

 

 セイバーが「いえ。どうぞお構いなく」そう言うと葵は「大変。なに着て行こうかしら」パタパタとスリッパを鳴らしながら部屋を出て行った。

 

 

 士郎が新しい料理を思い付いた様な顔をしていた事に彼女は気がついた。

 

「どうかしたのですか。シロウ」

「真也は葵さんが苦手だ。間違いない」

「何故その様に思うのです」

「ほら。真也って千歳に、」

「大きな御世話だ」

 

 入れ違いで立っていたのは、ジャージ姿の真也であった。

 真也が士郎のそれに気づいたのは、セイバーが静かに紅茶を飲んだ時である。なので彼は、ムスッとした表情で腕を組みながら、こう言った。

 

「士郎。その左二の腕の羽根は呪詛か?」

「昨夜遭遇した悪霊にやられた。影響がない程度には弱めてあるから問題ない」

「セラかイリヤに祓って貰えば良いだろ。なんでそのままにしてる」

「呪詛自体は小規模なモノだけど、暗号の様なモノがかかっていて無理に外すと跡が残る」

 

 真也は、ムッスリと眼鏡を取った。その眼を見たセイバーは多少であったが身を強張らせた。もちろん士郎は意にも介していなかった。

 

「さっさと腕を出せ。士郎に何かあると苦労が台無しだ」

「シンヤ。これは私の借りにしておく」

「言っておくけれど。セイバーとかイリヤに泣かれたら、片手落ちになるだけだからだ。頼むからキモいから妙な事は言うなよ」

 

 感じた違和に眉を寄せたのはセイバーである。

 

(シンヤは私に気付いていない? 違う。それならば庭で会った時挨拶をする筈がない。ならば、士郎以外見えていない様な振る舞いは何だ)

 

 真也は、爪楊枝で士郎の二の腕をちょんと突くとこう言った。

 口を開いたのはセイバーであった。

 

「本日来たのはイリヤスフィールの事だ」

「待った。セイバー。俺が話す」

「? 新手のパントマイムか? 士郎の一人芝居なんて見ても面白くない」

「真面目な話に来たんだから、茶化すな」

「自分ボケ自分ツッコミとは……まぁ。良いけど。で?」

「姉さんの身体の事だ。実は――」

 

◆◆

 

 かくかくしかじかまるまる。士郎の話を聞いた真也は、腕を組みムスっとしつつもこう言った。

 

「できるかどうかは保証できないけれど。今晩にでもキャスターに往診して貰う様頼むから、そっちはそっちで準備しとけ」

「借りにしとく」

「イリヤの治療は桜にも応用できるし、貸し借り無しだ。それにそんな不承不承な貸しなんぞ不要だ。不要」

(この二人は……そう。意地と照れの隠し合いだな)

 

 呆れるセイバーを他所に、真也は士郎にこう言った。

 

「ところで士郎。その悪霊の事について聞きたい。呪詛のその暗号に心当りはあるのか?」

「正体はまだ分からない。けれどセラが言うには妊婦の術師でないと解けない呪いだったらしい」

「妊婦?」

「出産経験者でも効果はあるらしい」

(はーてな。何処かで……)

 

 

◆◆◆◆

 

 

 町の外れにあり、周囲を深い木々で囲まれるならば町の灯りも届かない。先程まで夜空に浮かんでいた月も雲に隠れてしまっていた。一寸先は闇と言うが、そこはそれを体現した場所だった。

 

《いたい》

 

 一歩踏みだした時、ピキリと耳に突く音が立ったのは、床に散らばっている硝子の破片を踏み付けたからだ。

 

《くるしい》

 

 そこは酷い臭いだった。建築材と家具だったであろう木材が腐った臭い。忍び込んだ動物の排泄物の臭い。誰かが持ち込んだ食材が腐った臭い。何かの死骸の臭い。腐った臭いが立ち籠めていた。

 

《さむい》

 

 酷い臭いを意にも介さず ――実際は死ぬ気で我慢している訳だが―― 黒く長い髪を左手で梳き流すと、その部屋の招かれざる客たちにこう言った。

 

「暖炉の影に一つ。抜けた天井の穴に一つ。白かったであろうカーテンに一つか。あらいやだ。足がないのにルームランナーをどうするのかしら」

《そのにくがほしい》

 

 凛の背後で揺らいだのは、黒装束に目隠しという身形のライダーである。彼女は、悪霊に目もくれず凛をじっと見ていた。背を向けている凛は、構えたまま言った。

 

「言いたい事があったら言ったら?」

「リンは、この生き方をいつまで続けるのだろうかと」

「あのね。魔術師に荒仕事は必須よ?」

「魔術師を辞める事を考えますか?」

「それは私たちに死ねって言っている様なモノね」

「たち、ですか」

「あったりまえじゃない」

 

 朽ちたリビングに迷っていた四体が動いた事と、凛が左手を抜いた事は同時だった。バサリと赤いコートが舞い上る。彼女の位置はリビングの入口だ。最も遠いのがルームランナーに漂っていた一体、逆に最も近いのがソファーの一体である。足は無いが足の速さはどれも同じならば、近い悪霊から倒すのが定石だ。彼女の左腕に刻まれた魔術刻印が唸りを上げると、それは火を噴いた。

 ズドドドドド。

 撃ち出された大量のガンドは、ソファーを穴だらけにし、カーテンを引き千切り、ひん曲げられたルームランナーは弾き飛ばされ窓の外へ落ちていった。静寂。

 

「意外に呆気ないわね」

 

 文字通り一掃されたそのリビングで、凛は左腕を誇示するかの様に構えていた。天井から何かの破片がパラリと落ちたのは、その時である。

 

「?」

 

 リビングの天井が焼かれる餅のように膨らむと、ドドドと盛大な音を立てて崩落したのだった。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

◆◆

 

 仰向けで天井板の下敷きになっていた凛は、恨みがましい眼でライダーを見ていた。目尻に浮かんだ涙は悔しさの表れだ。凛が結界を張っている事を知っているライダーは、僅かに首を傾げた。

 

「必要ならば救助しますが」

「私のことが嫌いなら嫌いって言ったら?」

「嫌悪しています」

「あ、そう」

「もちろんそれだけではありません。リンの身に及ぶ危険は全力で排除します」

「いいわよ……もぅ!」

 

 屋根材を蹴飛ばした凛は、髪や衣類に付着した埃を、仏頂面で払い始めた。いつものタートルネックの赤いシャツに黒のフレアミニが、汚れていた。

 

「あ~ぁ。せっかくの一張羅が台無しじゃないっ! まったくもう! キャスターとライダーあげるからセイバー頂戴って衛宮君に頼んでみようかしら! うちのサーヴァントどもは本当に可愛げが無いんだから ――なによ。その意味有り気な顔は」

「確かに可愛げが無いと思ったまでです」

「自覚してるなら正して欲しいけれど……」

 

 周囲を見渡したライダーはこう言った。

 

「ここは随分数が少ないように感じます」

「それは同感。学校裏の林に一〇〇体近く居た事を考えると異常な位だわ。キャスターの予報が外れたって言いたいけれど、誠に遺憾ながらそれを考慮する順番は最後の最後よ。なら他の可能性を考慮しなければならない訳なんだけど。ライダー。アンタ意見ある?」

「除霊や結界を行う神秘に類するモノの気配はありません。第三者に寄るモノだと考えるべきです」

「ライダー達を見てると感覚が狂うんだけどさ。一〇〇体以上の悪霊を祓うって事がどれだけ大事か分かってる? そんな奴がこの冬木市に居るならそっちの方が問題と言いたいけれど、判断するにしても情報が少なすぎるし予定どおり次の場所に向かいましょ。万が一聖堂教会の仕業って言うなら注意しないとね」

 

 務めを終え自室に戻った凛を出迎えたのは、パジャマ姿の桜だった。凛は言った。

 

「アンタ。まだ起きてたの?」

「一人で寝るのが、まだ辛いんです」

「母さんのところに行けば良いのに」

「交代ですから」

「良いけれど。特に変わった事はないわね?」

「キャスターさんが先輩の家に行ったそうです。イリヤの診断をするとか」

「その話なら知ってるわ」

「それと。兄さんが一時間ぐらい居ませんでした。多分夜の散歩だと思いますけど」

 

 ピクリとは、凛の眼が釣り上った音である。

 

◆◆

 

 自室のベッドに腰かける彼がじっと見るのは、聖杯戦争を潜り抜けた霊刀だった。

 

『キャスター。例えばなんだけどさ。欲しい物があるけどお金がないなら、働くって当り前だよな』

『はい』

『家族を養う為に、身を粉にして働いて、帰宅できず会話もできないってのは当り前なのか』

『当り前というのは、属するコミュニティの価値観で決まります』

『例えば。好き合ってる王女様と結婚する条件が、命を危険に曝す仕事ってのは、当り前なのか』

 

 キャスターの声は固かった。

 

『時代・人・場所を含めたコミュニティの価値観で決まります』

『失言だった。ごめん』

 

 ドドドと言う駆ける馬車馬の様な音が、その館に響いた。ババンと派手な音を立てて扉を開いたのは、「真也!」凛だった。真也はパンツ一丁だった。「「……」」ふさぁと彼女の髪が逆立った。

 

「ひっ!」

「凛ちゃんのえっち」

「ガンド! ガンド・ガンド・ガンド!」

「ちょーーっ!」

 

 

 微笑ましくとも一般人には致命的な喧嘩の後、二人は四つん這いでゼィゼイと息を切らしていた。彼が両手に息を吹き掛けたのは、いそいそと服を着た後である。

 

「家の中でガンドって家が壊れたらどうする。あぁもう。両手がヒリヒリする」

「真也が悪い!」

「ノックも無しで何を言っていますか。この娘は」

 

 すっくと立ち上がった彼女はズバシと彼に指を差した。

 

「外出したでしょ」

「誤魔化したね」

「一時間ほど居なかったって桜が言ってたわよ。聞くけれど。幽霊洋館に行ってないでしょうね」

「多分散歩だと思う。ほら、そろそろ夜も厳しくないし。男の子なら夜歩きは当然だし。というか指を差すな」

「思う? そう。良いわ。次ぎにやったらライダーに二四時間監視して貰うから」

 

 凛は彼の深刻な顔に驚いたが、立場上飲み込んだ。腕を組み睨み上げた。彼は言った。

 

「一つ聞きたい。そこまで怒る事か?」

「当然でしょ」

「その理由を聞いてる」

「私の言う事を聞けって言ってるのよ」

「俺は、正当な理由を求めてる」

「言っておくわ。真也はその日の風の吹くままって言う風来坊の気があるのよ。私の手の内に収まった以上()()()()勝手は許さない。まだ言わせる気?」

 

 彼女は、内に籠もる不安を堪えるかの様に自分を強く抱き締めていた。威圧的な態度に隠された想いに気づいた彼は、認めざるを得なかった。

 

「凛が怒ってるのは、俺が勝手に動いた事を言っているんだな。その目的は特に気にしないんだな」

「当り前じゃない。求めるモノが大きい程に支払う対価は大きくなる、等価交換は魔術師に必須なセオリーなんだから」

 

◆◆

 

 彼は、その常識を自分の状況に当て嵌めた。知っている事でも人に言われる事は別物だ。それが、近い人物なら尚更である。

 

「勝手に動いた事は済まなかった」

「一週間毎に真也の予定とその結果を提出しなさい」

「分かった」

 

 彼は、背を向けた彼女にこう言った。

 

「工房に入って良いか?」

「駄目だって言う理由は無いわね。あれはアンタのモノなんだから」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 彼が訪れたのは、その屋敷の地下工房だった。

 

『奥にあります』

 

 メディアの導きのまま、彼はその部屋の深くに入った。

 工房の最も深い所に安置されているのは、真紅の魔槍である。それは、シルクのクッションと樫の木枠でできた台座に置かれていた。

 彼はそれに近づいた。その体に残るのは、戦闘後に生じる固有の高揚感だ。彼は、その事実を受け入れた。

 

『結界を解く呪文は?』

『instruereです』

 

 それが放つ赫〈あか〉い魔力は、問いかけるかの様だった。それを浴びる彼は、槍の向こう側に居る男にこう言った。

 

「理由はある。俺が俺をどうするかって問題もあるし、報告もしないといけないし、何より文句を言いたい。これは建前では決してない」

 

 彼は、気がついていたメモをポケットから取り出した。

 

『入浴後はきちんと身体を拭け。男でも肌の露出を控えろ。私が管理できないから、インターネットを自室に敷設する事は禁止。携帯電話も同じ理由で駄目。ゴミは溜めない。靴下・下着・普段着など洗濯物の分別を怠るな。ゲームは一日一時間。予定表は正確に書け』

 

 小遣い帳の提出という項目が横線で消されているのは、熱の籠もった相談の結果だ。僅かな躊躇いの後に、真也は手を槍にかざした。メディアの声は、微かに震えていた。

 

『宜しいのですか?』

『あの娘の隣に居るには、この生き方しかない』

 

 彼はその言葉に魔力を載せた。

 

「instruere〈展開〉」

 

 彼は、掴んだ。真紅の魔槍〈ゲイボルク〉が唸りを上げた。

 

「その為にも。ランサー。俺はお前に会いに行く」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。