亜人間恋愛物語   作:d1199

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赫〈あか〉い月1

(勝負所だ)

 

 彼がそう己を叱咤したのは、馴染みつつあったこの家のリビングが入試試験会場の様な緊張感に包まれていたからであり、ローテーブルを挟んで向かう凛が交渉相手だからだ。

 手法が適切かどうかの判断は難しいが交渉までこじつけたのである。彼は、この機を逃すまいと攻める事にした。だが目の前の同い年は ――友好的でなくとも構わない実母・何かといがみ合えど意思疎通ができる天敵・意見は言えど最終的に尊重する昔馴染み・保護対象の妹――他の誰よりも一筋縄でいかない相手なのだ。

 

(許可を得る、か。本当に他所の家に来たんだな。俺)

 

 拙い手付きであったが、彼は辛うじてティーカップに紅茶を注いだ。震えてなどいない。だが、ありふれた作業が結果に影響すると思えば、その緊張が極限にまで高まるのは当然だ。

 

(バーサーカーとやり合った時の方が、少なくとも気は楽だ)

 

 直ぐ様本題に入る事を避け、彼はワンクッション置く事にした。紅茶を差し出した後に持ったナイフで、二つあるショートケーキの自分の分を魔眼で切った。

 

「こういう使い方なら、平和だよな」

「そう言う使い方は止めなさい」

「何故? 包丁で切る事と結果は同じなのに」

「包丁とは食事という生きる為の道具。結果は同じでもそれは殺す為だけのモノなんだから。間違った使い方なんて、能力以前の問題よ」

「そう、だな。気を付ける」

 

 彼の目の前のその娘は、腕と足を組んでいた。背もたれに身体を預けず身を乗り出していた。機嫌を損ねた訳ではないと彼は心中で安堵した。

 

「どうぞ。冷めないうちに飲んでくれ」

「不味いわね」

「次からもう少し良くするよ。誰かに頼むよりはと思った」

 

 ソファーに腰かける彼は、前屈みで両膝の上に両肘を置いていた。それは意気込みの表れだった。

 

「こうしたのは他でもない。実は、」

「真也の言いたい事は大体分かるわ。ランサーに会いに行きたいって言うんでしょ」

 

 彼の眼鏡が僅かにずり下がったのは、意表を突かれたからだった。

 

「……なんで」

「槍持ってウンウン唸って恋しそうな眼をしてれば馬鹿でも気づくって言うのよ」

「そう。俺はランサーに文句と感謝を言いに行きたい」

「アンタね。今の体の状態で、」

「もちろん治ってからだ。桜もまだ不安だしな」

 

 凛の緊張は、小さい息と共に緩んだ。内定を取れたと、彼は密かに喜んだ。

 

「旅程計画表を提出しなさい。予算もね」

「分かった」

「旅費を出してあげても良いけれど利子は取るわよ。格安チケットなら往復で十万位だけれど、宿泊費やらでもっと掛かるから」

「歩いて行く」

「ちょっと。今なんて言ったの貴方」

「だから徒歩。ランサーは好きそうだろ。こう言うの」

「クー=フーリンの墓が何所にあるか知ってる?」

「アイルランド」

「真也。貴方、正気?」

「理解し難い話だとは思ってる」

 

 彼女はずずっと紅茶を飲んだ。こう言った。

 

「駄目に決まってるでしょ」

「ちょっと待て。一度許可して引っ込めるのか」

「私は行って良いなんて言っていないから」

「おい」

「なによ」

 

 彼女はじろりと彼を睨んだ。彼は、両膝に手を置くと深々と頭を下げた。

 

「俺の中にはあの槍兵が残していった棘がある。深く突き刺さって、今でもチクチクと痛む。ランサーに勝つより遙かに簡単な旅すらできないなら、俺はランサーに負けを認めてしまう」

「負けとか勝ちとかバカじゃない」

「魔術師らしからぬ思想だとは理解してる」

「駄目よ」

「そこを何とか」

「駄目」

「条件があるなら提示してくれ。可能な限り歩み寄る」

「しつこい」

 

 ここで押し続けても動きそうにない。それどころか逆効果になるかもしれない。そう判断した彼はこう言った。

 

「分かった。今日は一旦引っ込める」

「どうして許可しないのか。これを聞かなかった事だけは評価する。けれど、一月後でも半年後でも一年後でも許可しないから。陸路なんて冗談じゃないわ」

「ならその都度頼む事にする」

 

 彼女は、メモを書いていた彼にこう言った。

 

「茶器を片付けておきなさい。御馳走様」

 

 パタンと呆気なく扉が閉まった。リビングに一人になった彼は、用意していた紅茶とケーキが無くなっている事に気がついた。そしてグッタリとソファーに身を預けた。彼はローテーブルに置かれたメモを敢えて見なかった。自分の落胆具合から、結果が予想できたからだった。

 

(誰かを味方に付ける事は逆効果だから、地道に説得していく他ない……凛が相手だと上手くいかない)

 

 

 

 その夜の月は、とても赫〈あか〉かった。

 

 

 

「制作は久し振りだけれど、中々の仕上りだわ」

 

 そう言ったキャスターは、手に持ったナイフを突き立てた。ゴリゴリと耳障りな音を立てながら、地下工房の床に円を刻み始めた。そのナイフは、刃渡り二〇センチ程だった。銀色の刀身と木製の柄には、黒猫の血とドクニンジンの汁が染み込み、古い神々の名が刻まれていた。それは、彼女が作ったばかりの魔法陣を描く道具であり、彼女が作っているのはもちろん魔法陣だ。実際に描かなくとも擬似的に魔法陣を構築できる彼女であるが、万全を期す為に敢えて作っているのだった。

 彼女の目的は主の治療だが、その魔法陣の目的はキャスターの補助だった。

 

「δήλωση!〈宣言〉」

 

 最初に取り掛かったのは宣言のシンボルである。魔法陣の土台となるアウターリング〈最外円〉と六芒星が描き上がった。彼女は、次々にシンボルを刻み始めた。それらは主要機能となる補助のシンボルだ。

 

「σταθερότητα!〈安定〉」

 

 それは術者の精神を、術の間のみ拘束する。このシンボルによって術者は儀式の一部品となる。

 

「διακοπή!〈割込み〉」

 

 それは予定外の事象が起きた場合に術者の拘束を解く。

 

「στασιμότητα!〈停滞〉」

 

 それは、被術者の生命活動を最低Lvにまで落としノイズを可能な限り排除する。

 

「Αποκλεισμός!〈遮断〉」

 

 それは、外力を排除する為に魔法陣内を外界と切り離す。

 最後は力のシンボルだ。主神とその眷属であるエリーニュス・ランパス・エンプーサ・モルモーの名を格に応じて配置した。主神とはΕκάτη〈ヘカテー〉、つまり彼女の師である。

 中世。聖堂教によって魔女の神とされたが、元々はギリシャ神話の地母神であり冥界神だ。彼女がアクセスするのは、もちろんギリシャ神としてのヘカテーである。

 

「マスターが師と同じ死と言う属性を持っていて助かったわね」

 

 長々としゃがみ込んでいた彼女は、身を起こした。自身の肩を揉んだ。

 

「完成、と」

 

 遠坂家の地下工房には、魔法陣の他にアロエ・ナツメグからなる香を焚く香炉と黒い牝の仔羊からなるヘカテーへの供物があった。そしてヘカテーの力の象徴である三つの松明が用意されていた。ヘカテーは、ギガースの一人クリュティオスを松明の炎で倒したのである。

 彼女の足元に広がる魔法陣は淡い光を放っていた。それらは記号の寄せ集めではなく、ステンドグラス・万華鏡・ニューロネットワークを想起させる複雑な芸術ですらあった。

 

「後は入浴で身を清めれば準備は終了……ここまで念入りに構築するのは何時以来かしらね」

 

 暗い地下室には、仄かに光る魔法陣の光があった。それを浴びる彼女が浮べる表情は、緊張である。準備は万端だ。唯一の懸念材料である悪霊は、屋敷に張った結界とライダーと衛宮家への依頼〈サーヴァント二体〉で事が足りる。今夜魔術師メディアの真価が問われよう。

 

「何としてでも成功させないと」

 

 

◆◆◆

 

 

(誰か!)

 

 その女性が、なり振り構わずに走る場所は新都にある野原だった。野原と言えば聞こえは良いが、十年前に起きた大火災の爆心地であり、未だに草木も生えず再開発もされない気味の悪い場所だった。

 駆ける彼女は酷い有様で、買ったばかりの靴は泥だらけだ。肩掛け鞄は鋭利なもので裂かれてしまっていた。そうなってしまったのは、彼女の背後に広がる暗がりに、彼女を追い掛ける何か潜んでいるからだった。

 それは、暗がりに同化している何かであり、余りにも速いので姿が見えない何かだ。分かる事は、逃げなくてはならない事のみである。ジャラジャラ。金属が小刻みにぶつかり合う音が闇夜に響いていた。

 

 どうしたこうなったのか。彼女は自問自答したが分からなかった。

 今日は土曜日だ。五日分の疲れが溜まった身体に鞭を打ち、出社した。煩わしい人間関係に閉口しながら土曜出社を終えた。このまま帰宅するのも癪だと、彼女は寄り道する事にした。彼女が近道として選んだのは、小さく古い社祀られている人気の無い裏路地だった。

 社の扉が開いたかと思うと、彼女は凄まじい悪寒を感じた。その直後に上下感覚が無くなってしまう程の目眩に襲われた。幻か現実か。曖昧な夢から覚めた彼女は、知らない誰かに追い掛けられているのだった。

 恐ろしさを感じていた彼女だったが、それ以上に恨めしかった。何故なら、追い掛けられているのは彼女だけではなかったからである。

 

 ザシュ。三時の方向を走っていた仲間が、暗闇から伸びた鉄杭に貫かれてもう一度死んでしまった。脚の無いその仲間は、転ぶ事すらできずに掻き消えた。

 ジャラジャラ。鎖がのたうつ音がした。ジャラジャラ。それが蛇の様に仲間を殺していった。ヒュン。空気を切り裂く鋭い音と共に、また仲間が「ギャァ!」もう一度大地に影を落とすと言う悲願を目前に死んでしまった。

 彼女は走った。逃げるのだ。この野原から逃げるのだ。人目の多い所ならば、手を出せまい。力の満ちる場所から離れたくはないが追っ手は格が違いすぎる。暗がりの先に緑色の網形状のフェンスを見つけた。アスファルトの道路も見えた。もう少しだ。ゼーハーと口からふいごの様な音がする。慣れない身体は動かしにくいが文句は言っていられない。ようやく手に入れた二度目の生を、フイにしてなる物か。

 ジャラジャラと言う鎖がのたうつ事と、脚に鎖が絡まる事と、ドサリと彼女が倒れた事は同時だった。

 

「手を煩わせない様に」

 

 地を這う彼女が見上げた姿は、この世のモノとは思えない美しさを持つ女だった。彼女を見下ろす女は、黒い装束に黒い目隠しを付けていた。

 

「その身体は、その身体の持ち主に返すのが筋でしょう」

《お主も甦った口じゃろうが。どの口で道理をほざく》

 

 女〈ライダー〉は、彼女〈一般人のOL〉の額に人差し指の先端を添えた。唇を動かした。

 

 

 天より注ぐ水は地に還る

 

 芽吹いた草木は地に還る。

 

 駆ける獣は地に還る。

 

 歩みしヒトも地に還る。

 

 産まれし全ては地に還る。

 

 還りしは、産まれし。

 

 全ての地の子らに祝福あれ。

 

 

 ライダーの呪文が力を持った。

 

《呪われよ》

 

 OLから離れた白い何かは、無念を残し空虚に消えた。それを片手で振り祓った彼女は、目隠しを取った。ライダーの瞳に写るのは、夜空に浮かぶ赫い月だった。

 

「今夜は、世迷い言を唱える者が多い様です」

 

 彼女は、寝息を立てるOLを抱きかかえた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 結界である風を帯びるその剣身に、未練あるモノや望まずとも起こされてしまったモノは、何の抵抗すらできず斬り裂かれてしまった。それらは、漂う煙が宙へ消える様に或いは角砂糖が水に溶けるかの様に、闇夜に消えた。彷徨う者たちが倒された理由を考慮する必要すらないのは、セイバーの持つその剣が聖剣の頂点だからである。有する神秘の差が圧倒的すぎたのだった。最後の悪霊が消えると彼女の回りに静寂が戻った。

 彼女の周りには何もなかった。在ったであろうオフィスデスクもビジネスマンの姿も無く、かつてオフィスビルだった光景が広がっているのみだった。

 風王結界を解いた彼女は、両手にある聖剣を、誰かに或いは何かに問いかける様にかざした。

 

(シロウにキリツグと同じ轍を踏ませたくはない。この地に止まっているのはその為だ。私は、シロウを変えた者の一人なのだから、彼に対して責がある。私は彼を見届ける責務がある。その筈だったのだが、こうも女扱いされては、あの日までの自分を思い出す。それを悪くないと思う自分に驚きすら感じる。だが。何の対価も無く、人としての生き方を送って良いのか)

 

 

 その最強の幻想〈ラストファンタズム〉である剣身には、まどろみの靄がかかっていた。

 

 

 かつて。寒々しい程に綺麗なオフィスだったその部屋は、汚れたコンクリートが剥き出しになっていた。屋外と屋内を隔てる壁に、窓枠は残っていたが窓ガラスは無くなっていた。そこから見える新都の夜景は、それなりだったが淀む生暖かい風で台無しになっていた。

 棺の中から外を覗けばこんな感じだろう、彼女はそんな事を考えた。

 

「ここに居たのか。セイバー」

 

 そこに、それを背景にする士郎が立っていた。彼女の首にあるのは、糸の様に細い白銀の鎖で釣り下げられた白銀〈プラチナ〉の指輪だ。彼女は、迷っている左手の薬指でそれをそっと撫でた。

 

「どうかしたのか。セイバーは少しおかしいって感じる」

「少々考え事をしていただけです」

「悩みなら相談に乗るけど」

「いえ。心配無用です。それよりシロウ。この場所の悪霊は随分少ない様に思う」

「その事なんだけど。セイバーに見て貰いたいものがある」

 

 彼女が息を呑んだのは、その部屋のいたる所に足跡があったからだ。それらは、床はもちろん柱や天井にまで及んでいたのだった。しゃがみ込んだ彼女の指は、コンクリートに残されたそれらに触れた。

 

「この足跡から察するに、速力系の剣士でしょう」

「理由を聞いて良いか」

「私の剣は、基本的に大地を足で支える事によって威を持ちます。その為に足跡の形が強く浮き出るのですが、これらの大半は、踵が弱く足の指の付け根が強く出ている。一カ所に止まっていない結果だ」

「なら。これはどう思う」

 

 士郎が案内したのは、部屋の片隅にある一本の丸椅子だった。それは、クッション部分から基材となる金属部分まで綺麗に斬り落とされ、真っ黒な断面を見せていた。士郎の干将で突かれたその断面は、魚の焦げの様にパラリと落ちた。

 

「長い刃物によって斬られたのでしょう。ただ、この様な断面は見た事がありません」

「切断されたバーサーカーの斧剣を覚えてるか」

「そうだと仮定して、シロウが不安になる理由が分りません。あの男が、悪霊退治に加わっていたとしてもおかしくはない」

「そうなんだけどさ。あいつ本人か遠坂から一言あっても良い様な気がしてならない」

「キャスターの予知したポイントはまだ残っていますが」

 

 彼は、朽ちた窓から差し込む月明かりに気がついた。夜空に浮かぶ月は、赫〈あか〉かった。出口に向かう彼は、急ぎ足である。

 

「公衆電話を探して遠坂に電話をする」

「リンは時計塔に出かけた筈です」

「桜がいる。残した場所を放置したくないけどこの胸騒ぎは質が悪い」

(あの男が相手であれば、死力を尽くさねばなるまい)

 

 彼女は、聖剣を握り絞め直した。セイバーの先を行く士郎の背中は、何も答えなかった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

『新都で交通事故がありました』

 

 ニュースキャスターの声で、ページを捲る手を止めたのは、実母の部屋に居る桜である。ソファーに腰かける彼女は、雑誌を読んでいたのだった。その部屋の壁際に設置された大型テレビには、大型トラックと正面衝突した軽自動車だった鉄の塊が映っていた。フロントウィンドウは割れて無くなっていた。ボンネットは歪み、内部のエンジンが見えていた。タイヤのホイールは変な方向に曲がっていた。サイドミラーは、内部電線のみで支えられプラプラと揺れていた。桜がそのTVから目を離せなかったのは、自動車の白く塗装された鉄製の骨組に、赤い液体が付着していたからだった。

 それは、桜の背後から聞えてきた葵の声だった。

 

「大変。何時からかしら」

「どうしたの。葵お母さん」

 

 振り返った桜が見たモノは、実父のフォトフレームを持つ葵の姿だった。写真を保護する透明な硝子にヒビが入っていたのだった。その屋敷のロビーにある電話機は呼び鈴を鳴らしていた。その痛い音は、ロビーから溢れ、階段に伝わり、二階の廊下にも染み出していた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 一度入浴し身体の汚れを隅々まで落とした。沸かし直した風呂湯に塩を入れた。その湯で身を清めた。全ての準備を終えたキャスターは、地下工房に安置されている真紅の魔槍を手に取った。その槍は、士郎を救い、真也を救い、世界を救った槍だ。

 

(用心を重ねるとはあらゆるミスを想定・排除する事)

 

 彼女はその槍を強く握り締めた。

 

「(今程己の質が疎ましいと思った事は無いわね。最悪の展開を考えてしまうのだから。水星の時間まで少し間があるけれど、マスターの様子を見に行きますか……)どなたかしら」

 

 屋敷の一階と地下工房を繋ぐ階段に、息を切らした桜が立っていた。

 

「キャスターさん!」

「桜さま。今夜はここに来ては駄目だと、申し上げた筈ですが」

「兄さんがいないんです!」

(……結界を殺しましたわね。マスター)

 

 彼女の手にある真紅の魔槍は魔力を帯びていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 どこだどこだ。

 器はどこだ。

 閻魔がどうした器が欲しい。

 地蔵がどうした器が欲しい。

 

 

 どこだどこだ。

 杯はどこだ。

 鬼が居ぬ間に手に入れろ。

 丑三つ時だ手に入れろ。

 

 

 どこだどこだ。

 魂 収める器は肉の中。

 嬰児を支える杯 腹の中。

 

 

 ごくごく酒飲む口 欲しい。

 すたすた歩く足 欲しい。

 ひょいと物を掴む手が欲しい。

 おっと。御天道さま見る眼を忘れるな。

 

 

 どこだどこだ。

 器はどこだ。

 どこだどこだ。

 杯はどこだ。

 どこだどこだ。

 どこだどこだ。

 

 

『その器。みーつけた』

 

 

 そこで催されていたのは、肉の体を捜し求める悪霊の宴だった。ヒトの灯りが届かない死者の集落から逃げ損なった森の生き物たちは、恐ろしさのあまり身を潜めていた。その様な暗がりから顕れたのは、太古と現世の狭間を彷徨うモノである。砂利を踏み付けるその足は、音一つ立てなかった。

 

「真っ暗な空にさ、赫〈あか〉い月が在ってさ、それが子供の衣類に付いた血の印に見えるんだよ。そう思うと居ても立っても居られなくなってここに辿り着いた」

 

 それが携える霊刀は赫〈あか〉い光を帯びていた。

 

「お前たち。――はどこに居る」

 

 その辺りを迷っていた悪霊は、一斉に押し寄せた。

 町の歪みは漂うモノを引き寄せた。漂うモノは更なる歪みを呼んだ。更なる歪みは寝ているモノも起こした。集い騒げば祭となった。唄うのは、肉の体を持つモノへの妬みであり、血が巡る体への渇望だ。

 ビジネススーツを来ているモノ・ランドセルを背負っているモノ・旧式のライフルを携えているモノ・鎧を鳴らしているモノ。古今東西老若男女、時の狭間に陥った色々な足の無いモノたちが『『『ギャァァァァ!!!!』』』真っ二つになって消えたのは、闇夜に蒼い双眸が浮かんでいたからだった。

 

「言わないなら言わなくても良いけど……だったら死ねよ」

 

 その祭りは、死者を狩る死神の宴になってしまった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「どこだーーーっ!? どこに居る!? 子から親を奪うお前は殺す!」

 

 夜がもたらす暗さと、町の光を遮る樹木の暗さと、終わった生という概念がもたらす暗さ。その場にふわりと舞ったのは、青紫のローブである。ジャリ。そのローブから伸びた足は、大地に敷かれた砂利を踏み締めた。彼女は、叫び声と剣戟の音を頼りに歩き始めた。

 一歩。また一歩。巨大な塀の様にそびえる木々の立ち並びを、回り込む様に彼女は歩き続けた。最後の一歩を踏み出したとき、最後の一本の影から、墓場に立つ彼女の主が現れた。

 彼女の主は、Tシャツにデニムパンツにトレッキングブーツと一般的によく見る姿だった。それにコートを羽織るなら得る印象は、千歳である。

 

「何か用か。キャスター」

 

 振り返った彼の手にある霊刀は、赫〈あか〉く光っていた。

 

「屋敷にお戻り下さい」

 

 しゃらん。彼女は、月を模したシンボルを飾る錫杖を墓地の大地に突き付けた。

 

「治療の準備を済ませております」

「進言は聞けない」

「今のまま憤怒に身を任せ続ければ、それが基礎人格として定着してしまいます。いえ。定着仕掛っている筈です。そうなれば並の生活はもう送れますまい。屋敷にお戻り下さい」

「知ってる家の子供が殺されてしまった。六歳の子だった。その子の親は悲しみのあまり、自分の心を殺してしまった」

 

 狼の口・虎の爪・猪の身体・蛇の尻尾。異形の迷いしモノたちが、彼に襲い掛かった。彼の右腕のみが視覚的にブレると、『『『ギャァ!』』』取り囲んでいた五体の悪霊が消滅した。

 

「お前こそ帰れ」

「屋敷にお戻り下さい」

「あくまで邪魔をするというのなら、例えお前でも容赦はしない」

 

 彼女が飲んだのは、小さな息である。

 

「結構ですわ」

 

 ボコボコという滑稽な音を立てながら、大地という殻を突き破り這い上ったのは、竜の牙より作られた彼女の兵士たちだ。彼は、驚きもしなかった。

 

「お前。あんな目に遭ったのに自ら進んで裏切るのか」

「おほほ。酷いお方。私はご命令に順じておりますのに」

「凛のフォローをしろ、この命令がこの行動に繋がる理由が分からない」

「今のマスターはご存じないと思いますが新たな命を受けています。もっとも。私を殺すというのならばそれ以前ですが」

「そう言う契約だったな。良いだろ。やってみろ」

「御意」

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