亜人間恋愛物語 作:d1199
駅から続く階段の最後の一段を降りた彼女は、トラベラーズキャリアをドスンと置いた。彼女の周囲には、駅前に立ち並ぶ多々のビルとそこを行き交う通行人とロータリーで客待ちをするタクシーとバスとが停まっていた。彼女は伸びをした。
「無事に帰って来れたか。ん~~。(どうなるかと思ったけれど、まさか祖師父にフォローして貰えるなんてね。千歳さんの言っていた心配しなくて良いが、この事なら二人は知り合いだったって事か。蒼月家を追求してはいけない取り決めだけれど、あの人も謎だわ)」
背筋を伸ばし終えた彼女は、町をぐるっと見回した。不満を浮べながらもお得意先に向かうビジネススーツが歩いていた。平日の昼間だと言うのに複数の学生たむろっていた。
「(ま。聖杯戦争終結からまだ二週間少々。大事件がぽこぽこ起こるわけ無いし、起こっても困るんだけどさ。あはは)さてと。我が家に帰りますか」
彼女の足元で起こったのは、弾けた音である。
「バキ?」
彼女が転がすトラベラーズキャリアの影から、輪っかが一つコロコロと転がっていった。
「あんなドレス着てたら良いところの世間知らずのお嬢ちゃんだって思うじゃない! なんでプロレスなのよ!」
凛が憤るのは、時計塔で遭遇したとある魔術師との一件である。目が合った瞬間に、互いが互いに敵だと認定し、周囲に構わず争い始めたのだった。
そこは、新都から自宅へ通じる生活道路だ。彼女が両手でぶら下げていたキャリアの角が、道路と擦れた。ガリという耳に付く音がした。輪っかが無くなったならば、転がす事ができないのは理屈である。
節約の通知を出した以上、自ら進んでお金を使う訳にも行かない。彼女は、タクシーを断念し、壊れたトラベラーズキャリアに難儀しながらバスと徒歩でここまで来たのだった。
やり場のない苛立ちが、屈辱的な敗北という記憶を呼び覚ましたのだ。
「ちょーっと。お金があるからって威張ってくれちゃってさ。うちにはサーヴァントが二体も居るのよって勝ち誇ってやりたい。そして悔しがる顔を笑ってやりたいわ」
ガリガリと引き摺る音がした。キャリアの取っ手を介して伝わる振動は不快である。
「でもそんな事は出来ないから、三重〈鉱石の複合行使〉を習得しておかなくっちゃ。次を覚えてなさいよ。ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト! アンタのクルクルを茶色に塗ってクロワッサンにしてやるんだから!」
それは、通りすがりの母子である。
「ママー。あのお姉ちゃん、なんか怖い」
「しっ。見ちゃいけません!」
「……」
彼女は平静を装いつつ歩き始めた。
そうだ。気分を入れ替えるのだ。昨日のしがらみより明日の〈利益の〉為に。
◆◆◆
彼女が最後の曲がり角を曲がると、自宅の前の側溝を浚う人影に気がついた。思わず電柱の影に彼女が隠れたのは、出立前のしがらみを思い出したからだった。
(感心感心と言いたいけれど。却下した事を根にもっていなくても、対策を講じているのは間違いない。あの軽薄な態度に惑わされるな。主導権を握ってるのは私なんだから)
彼女の態度は、目に隈を作りながらヒィヒィ働く部下に声を掛ける、午後から出社の上司の様だった。
「精が出るわね。調子はどう?」
シャベルで側溝に溜まった土砂を掬い取っていたその人物は、その手を止めてゆっくり振り向いた。
「……なによ」
彼女がそう言ったのは、その人物がおおよそしそうにない表情をしていたからだった。少なくとも彼女には、想像すら出来ない表情だった。彼女が何の脈絡もなく連想したのは、衛宮家の当主である。
「お帰り。その様子だと予想通りに何とかなったんだな。無事で良かった。拘束されたり拷問されてたりしてたらって不安だった」
はてな。凛は首を傾げた。自分が感じてるこれは違和感だ。だが何がおかしいのか分からない。お帰りとは、帰宅者への挨拶であり、その後の台詞も務めを果たした人物に向けられる言葉としては適当だ。だがこの違和感は何だ。
彼女は突いてみる事にした。
「言い付け通り掃除に励んでるわね。上手くできたら褒めてあげても良いわよ」
彼女が髪をかき上げたのは、からかいと不遜の表れである。
「そうか。だったら気合いを入れないとな。凛に認められる事は嬉しいからな」
「……」
「どうした。鳩豆鉄砲な顔をしてる」
これは何の冗談だ。私は夢を見ているのか。違う。これは罠だ。罠に決まってる。
「何を企んでるのよ」
「気に障る事を言ったなら謝る。すまなかった」
「……」
昼前だというのにカラスがカァカァ鳴いていた。
「あのだな。俺は変な事を言っているだろうか。申し訳無いが、そうなら言って欲しい。改めるから」
太陽が浮いているというのに、フクロウがホーホー鳴いていた。
「そう。分かった。巡礼の旅を却下した当て付けなんでしょ。はっきり言うけれど、陰湿よそれ」
「諦めたくはないけれど、凛を困らせたくないから取りあえずは忘れる事にする。当面はリハビリに専念するよ。大丈夫だって事を見て貰ってから、その時にもう一度聞いてくれると嬉しい」
ぽかーん。それは、彼女の開いた口の状態であり、彼女の心理状態でもあった。コレは問題だ。だが、問題にするべき事なのかすら分からない。なので、彼女は慌ててしまった。
「ちょっと。キャリアが壊れてるのは、モノに当ったからなのかとか。時計塔を壊してこなかっただろうなとか。言いなさいよ。ほら。突っ込んであげるから。お帰リンとか。ほら」
「もう言わない」
「ど、どうして、よ」
「困らせたくないから。凛。今までふざけた態度で済まなかった」
ガッチャンとは、彼女の手から解放されたトラベラーズキャリアが、転倒した音である。
「荷物は俺が運ぶよ」
彼女は、その人物の右手のみに手袋がある事に気がついたが、それどころでは無かった。彼の追い打ちは、無自覚だった。
「長旅ご苦労様。そうだ。言わないといけない事がある。実は、君が不在時の事なんだけど、」
「き、きみ?」
「親しき仲にも礼儀ありって、おかしいか?」
とうとう凛は、家に逃げ込んだのだった。
「だ、だれかーーーーーーーっ!!!」
凛は走った。ドドドと家の中を駆け抜けた。釣り上った目尻には涙が浮いていた。地下工房に居たのはライダーのみだった。
「リン。帰宅早々なのですが、」
台所に居たのは桜だった。
「お帰りなさい。姉さん。実は兄さんの事なんですけど、」
実母の部屋に居たのは葵だった。
「お帰り。真也さんに会った? 帰国早々ごめんなさい。実は、」
「キャスター! キャスターは何処!?」
彼女が家の中を駆け抜けたのは、キャスターが全ての鍵を握っていると確信しているからだった。ババンと開いた扉は、リビングの部屋のモノだった。乱れた髪すら気に止めず、凛はキャスターに詰め寄った。待ち受けていたキャスターは深々と御辞儀をした。
「お帰りなさいませ。凛さま」
「なによあれ! アンタなにしたのよ!?」
ピッピと凛の指さす部屋の片隅は、真也が掃除をしていた方向である。
「毒!? それとも呪い?! わかった! 実は人形でしょ!? それとも川に落とした!? そう! そう言う事なのね!? 私たち三人の問題が解決できるからって、真也を“川に落とした斧”の儀式にかけたのね!? 貴女が落としたのは金〈真面目〉の真也ですか。いいえ違います。では銀〈普通〉の真也ですか。いいえ違います。では鉄〈軽薄〉の真也ですか。そうです。正直者の貴女には、三人の真也をあげましょう。って私に軽薄な真也を宛てがおうって、そうはいかないから! でも真面目もイヤ!」
「ご説明致します。長旅でお疲れでしょう。お茶を淹れますのでお待ちください」
◆◆◆
それは、士郎と真也の喧嘩が終わった日の夜の事である。キャスターは、慇懃に深々と葵に頭を下げたのだった。
「恥を承知でお願い申し上げます。葵さまのお力添えを頂けないでしょうか」
「はい。私にできる事でしたらなんででも」
キャスターは、葵を窓口に舞弥から伝えられた育児のこの鉄則・士郎と真也の喧嘩の過程・好意を持っているが苦手だという真也の発言、これらの意見を踏まえ、治療方針を見直した。
育児の原則とは、特定の相手との身体の接触である。これが安心の原点となり転じて他人や環境からもたらされるストレスの耐性になる。子供は、いつでも傍で見守ってくれ、必要な助けを与えてくれる存在に特別な結び付きを持つ。甘えん坊が逞しく育つ傾向にあるのは、この結果だ。
定着を図る人格が複数である事に問題があるのだと考えたキャスターは、千歳が不在だったので、葵に依頼したのだった。
士郎らと闘った翌日の朝。真也のベッドの傍に腰かける葵は、彼が目を覚ました事に気がついた。ぼんやりしていた彼は、葵の姿を認めるや否や飛び退いた。ドテと滑稽な音を立ててベッドから落ちた。ベッドの端から顔を出した彼の表情には、多分の困惑と微かな恐怖があった。
「あの。葵さん。何故ここに居るんですか」
「歩いてきました。扉も開けましたけれど」
「そうではありません。男の部屋にくるなんて軽卒だって意味です。どうして笑うんですか。俺は冗談なんて言ってませんから」
「実を言うと。真也さんに恋愛対象ですって言われた時、ときめいてしまいました」
「なんです。突然」
「そうなったらどうなるのかとも、ちょっとだけ思ったり」
「その発言に至った理由を教えてください……キャスターですか? キャスターですね?」
「でも駄目です。年齢差もありますし、娘の幸せを取り上げては母親失格です」
「お願いします。俺の話を聞いてください」
「だから私は真也さんのママになります」
「……はい?」
葵は、椅子から腰を浮かせた。ベッドを回り込むと、ベッドと窓側の壁の隙間に居る彼に近づいた。彼は後退った。彼女は真也の右腕が無い事に気がついたが、既に知っていたので込み上がる何かを辛うじて堪えた。
「母親の愛情が怖いんですね。欲しかったのに、また拒絶されてしまう事が怖くて求められなかった」
葵は膝立ちになると、両手をカーペットに付いた。四つん這いでにじり寄った。彼は、嫌いな食べ物を突き付けられた様な顔をしていた。
「あの、近づかないで頂けないでしょうか。色々困りますので」
「でも。もう怖くありませんからね」
「盛り上っているところ、水を差したくはないのですが、話を進められると非常に困ってしまうと言うか」
真也の後退った先には、行止りである部屋の壁があった。なので葵は、彼の目と鼻の先まで近づいた。
「実を言うと、男の子も欲しかったんです」
「……ひょっとして。ナウシカ好きですか?」
「テトとのシーンは大好きです♪」
妙な静けさに居ても立っても居られず駆け付けた桜の見たモノは、葵の腕の中で気を失っている兄の姿だった。耳・口・鼻。彼の穴という穴から煙が出ていたが、桜にはそれが幻覚か現実か分からなかった。
◆◆◆
帰宅したばかりの凛は、トラベラーズキャリアすら開けずに全員を招集した。リビングで事情聴取である。彼女のその発言は、キャスターから顛末を聞いた事による不機嫌の表れだった。
「ふぅん。それでこうなったと」
ソファーに腰かける凛は、ローテーブル越しに腰かける葵と真也をジロと見た。凛の隣に腰かける桜は、息を潜めていた。ライダーは、リビングにある観葉植物の隣で行方を見守っていた。
葵は、「ゴメンね。凛」としょげていた。なので真也は「待った。葵さんを責めるな。叱責なら俺が受けるからなんでも言ってくれ」と身を乗り出した。腕を組む凛の端正な表情は、「あら。随分真摯な発言ですこと。同一人物とは思えませんわ」歪んでいた。なのでキャスターが「葵さまと会っていた時のマスターが、基本人格として定着しましたので」と突っ込んだ。ピクピクとは、痙攣する凛のコメカミである。
「そう。そーよね。アンタ。母さんへの態度は違ってたものね。良いわ。そんなに気に入ったなら、母さんあげるから、どこにでも行くと良いわ」
「葵さん。しばらくは蒼月の家に、」
我慢できずにガーと吠えたのは凛である。
「冗談に決まってるじゃない! どうして真に受けるのよ! バカなの! バカでしょ! バカなら馬鹿って言いなさいよ! 諦めるから!」
「分かった。俺は馬――」
「そんな事で諦めるかーって言うのよ! それ以前に簡単に認めるなっていうのよ! と言うか“あのな凛。嘘でもそう言うこと言うな”って言いなさいよ! いつもの真也ならそう言うんだから!」
とすとす。すたすた。足音を立てる凛は、一同の前であり部屋の一部である場所を、苛立ちを隠さずに何度も往復した。ピタリと止まった彼女は、キャスターを睨み付けた。
「キャスター。私は、アンタの失態を見過ごすつもりはないわよ」
ローブから覗く口元は、静かであった。
「覚悟は出来ております。何なりとお申し付け下さい」
割り言ったのは真也である。
「従者の責を追うのはマスターである俺だ」
「そうね。その通りだわ。真也はキャスターの責任を負う。でも私は真也の責任を負ってるのよ。こんな事は二度と許さない。キャスター。アンタは真也の力を抑えるギアスを構築しなさい」
「かしこまりました」
「真也も異存は無いわね」
「ない。ただ姑獲鳥だけは倒させてくれ」
「衛宮君たちが追っていた悪霊の事?」
「そうだ。俺にやらせてくれ」
「もし責任を感じてるなら、リハビリに専念しなさい」
「時間を調整すれば八時間はいける。その間に仕留める」
彼女は、ソファーに立て掛けられていた真也の霊刀を取り上げた。鞘を掴みその柄を真也に差し出した。
「握ってみなさい」
柄に手を伸ばした彼の手が一瞬止まったのは、ためらいがあったからだった。彼女は、彼が掴む前に霊刀を引っ込めた。
「母さんの影響を強く受けて武器を持つ事に抵抗を感じる様になった。右腕まで無くした状態で、調伏なんてできる訳ないでしょ。調伏は私がする」
「ならせめてライダーを同伴してくれ」
「ライダーは当面真也に付けるわ。次はない、私はそう言った」
「……分かった」
「一時間後にキャスターは地下工房に来なさい。詳細を話して貰うから。ライダーは真也から目を離すな。以上解散」
部屋を出て行った凛を追い掛けたのは、桜であった。
◆◆◆
桜が話し掛けたのは、凛が冷蔵庫から牛乳を取り出した時だった。
「姉さんは、やりすぎです」
凛は、ガラスのコップに牛乳を注ぐと乱暴に飲んだ。
「有名な選手が結婚と同時に成績が落ちるって話を聞いた事ある?」
「いえ」
「それは当然よね。練習時間を家族との時間に回すんだから。衛宮君と闘った真也の真意は、英霊にして英雄であるランサーを意識したもの。英雄の絶対条件は、善悪問わず人の心に強く残る死。そして、それには何かを一途に追い求めるって言う生き方が前提条件なのよ」
「それがいけないんですか? 綺麗な生き方だと思いますけど」
「確かにね。だったら、こういう言い方ならどう? ランサーは英雄であり、英雄とはある意味において人類の頂点。それを追い掛ける真也は頂点に相応しい一途な労力を支払わざるを得ない。それに、家族との時間が含まれると思う? 防ぐには徹底的に潰すしかないわ」
凛は、蛇口を開けて水を流し始めた。流しにあったスポンジを水に濡らし食器洗剤を付けた。握り開きを繰り返しスポンジを泡立てた。コップを洗った。泡を流したコップを食器乾燥機に置いた。泡立ったスポンジを水に流した。手拭いで手を拭うと、桜の前を横切った。大振りに手足を振る凛の足音は、怒りである。桜は言った。
「これからどうするんですか」
「私の身内にしでかした落とし前を付けるのよ。その姑獲鳥をぜったい調伏してやるから」
桜が背後のライダーに言ったのは、凛の姿が消えた後だった。
「ねぇ。ライダー。兄さんが、誰も選ばなかったらどうなるんだろ」
彼女は沈黙していた。
◆◆◆
屋敷の窓から見える空には、星がちりばめられていた。それを見るのは窓にもたれ掛かる真也である。部屋の暗がりで動いたのは、青紫のローブだった。
「凛さまを一人にしても宜しいのですか?」
「一人心当りがあるから、大丈夫だろ」
「信用していらっしゃいますのね」
「最も信用できるのは敵ってね」
「……」
「……」
彼が沈黙したのは、彼女の真意を促す為であった。キャスターの声は鎖で繋がれた様に重苦しかった。
「神代の魔術師も地に堕ちたもの。従者の務めも果たせず魔術も無力。罰は如何様にでも」
「キャスターが居なかったらもっと酷い事になっていた。俺はそう考える。同じ間違いをしなければ良い」
「それだけですか?」
「メディアにできないなら誰にもできないだろ。調査と理論で追うのは、問題解決の正当なアプローチだよ。凛の時〈再構成〉も葵さんの時も、俺が言うのも何だけどイレギュラー過ぎだ。なにより聖杯戦争時の功績は忘れていない」
「私は、魔術師以外あり得ません」
「それでいい。どうしてもと言うなら、戦闘訓練のリハビリを考えてくれ。期間は一年以内。武器すら持てないこの体たらくだと、旅の許可を得る以前の問題だ」
「中止するべきです」
「駄目だ」
「ではせめて供を。私かライダーを」
「駄目だ」
「まだランサーへの道を?」
「戦争時の恩人に会いに行く事は話が別だ。危ないかもしれないから家の外には出ない、馬鹿げてると思うだろ。魔術師でない人の危険と俺の危険は、相対的に異なる。とても大事な事を避けた俺は、それよりは低い大事な事を何かに理由を付けて避ける様になる。その代わり必ず遣り遂げるよ。でないとメディアに恥を掻かせるからな」
彼女は、フードを降ろした。
「それではできうる限りの準備をしましょう。お任せください。攻守共に企て事は私の得意とする所です。それでは失礼します」
彼に背を向けた彼女が再び向き合ったのは、彼が呼んだからだった。
「桜経由で士郎から聞いたんだけど、柳洞寺に葛木先生の墓ができたらしい。整理が付いたら行ってくると良い」
深々と頭を下げた彼女は、スゥと消えた。
「……なぁランサー。実はお前みたいになれたらって考えてた。少しだけ、成れるかもって考えてた。でも、お前に一番近い俺は負けてしまった。負けた以上他に方法が無い以上、俺は諦めないといけなくなった」
家の門を出た凛と窓越しに目が合った。彼女は、そのまま夜の街へ消えていった。彼が見るのは、消えてしまった彼女の背中である。
「本当に、上手くいかない」
◆◆◆
収穫が無い事に憤る凛が帰宅したのは、日付変更線を過ぎた頃だった。玄関の扉を開けた彼女が聞いたのは、意見交換以上言い争い未満の会話だ。それは台所から聞こえてきたので、何事かと彼女は足を向けた。するとピタリと収まった。凛が出くわしたのはライダーだった。彼女は、凛を一瞥すると立ち去った。彼女が見るのは、台所に立つ真也である。
「喧嘩? 珍しいって言うよりは、初めてじゃない?」
「喧嘩ではなくて、ただ話してただけ」
「そうは見えないけれど。それで何を話してたのよ」
「桜と出かけろと言われた」
「断ったって事? 良いじゃない。兄妹水入らずていってきたら?」
彼女の物言いが挑発的であったのは、学校出の追跡劇のささやかな復讐だった。
「二人っきりってのは駄目だろ。三人と一緒ならともかく」
「あら。生真面目になった真也君が三股しちゃうんだ♪」
「ライダーと口論になったのは、その積もりも無いからだ。お疲れ様。何か淹れようか?」
「……要らないけど」
「そう。なら俺は寝るよ。お休み」
彼の背が家の暗がりに消えていった。彼女はその背から目を離せなかった。