亜人間恋愛物語   作:d1199

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見極め

 彼女が見る夢は幼い頃に見た父である。

 

 凛が目を覚ましたその日の朝は静かだった。彼女の部屋にある諸々は音一つ立てなかった。窓から見える草木も身動ぎ一つしなかった。静けさのあまり、時計塔に提出する第二次報告書に乗った消しゴムくずが煩い程であった。その部屋に響いたペラリという音は、机に向かう彼女が雑誌をめくる音だった。

 その雑誌のとあるページに掲載されていたのは、男性下着であった。『ブリーフ、子供の頃から慣れ親しんでいるブリーフを大人になっても履き続ける人は保守的で環境の変化を嫌うタイプ。トランクス、通気性と開放感のあるトランクスを好む人は社交的でアクティブなタイプ。ボクサーパンツ、体に心地好くフィットするボクサーパンツを好む人は、自信と余裕がありリスクを嫌う傾向がある』その後には、ローライズボクサーやビキニパンツの説明がされていた。

 

(こう言うのって、どの程度アテになるんだろ)

 

 色々書き込まれたカレンダーを何気なく見た彼女は、「やっば。今日は洗濯当番だ」雑誌を閉じて部屋を出た。

 洗濯とは衣類を洗う事である。事が起きる前は、使用人と葵が交互に凛が稀に行っていたが食扶持が増えた事により雇い続ける事が出来なくなった。その結果、彼女にも役割が率先して求められる様になったのだった。彼女は洗濯機が設置されている脱衣所の扉を開けた。

 

「洗濯なんてさっさと終わらせて――」

 

 そこには最新型〈ボタンの多い〉の洗濯機が置かれていた。初めて見る横入れタイプのそれに、彼女は呆然と立ち尽くすのみだった。

 

(二人の家で使ってた物と入れ替えたんだっけ。忘れてた)

 

 だもので桜がピポパとボタンを押した。不慣れさどころか戸惑いすら無い妹の姿に、姉は僅かに感心した。

 

「機械が得意なのね」

「普通に使います」

 

 桜が微かな不愉快を浮べたのは、これから姉が洗う衣類を確認したからである。それを感じ取った凛はこう妹に言った。

 

「なに?」

「なんでもありません。洗剤は中のタンクに入っているので、洗濯物を入れてこのボタンを押すだけです。ピーピーと鳴ったら後は取り出して干すだけ……なんですか? 教わってあげてるって勘違いしてる生徒の様な顔は」

「わざわざ来て貰って悪かったわね。初めて見る機械だから聞いただけで、前の洗濯機なら何て事なかったんだから。後は楽勝でこんな事はパッパと終わらせて二度と聞かないから、桜はもう戻って良いわよ。ご苦労様」

「私がやりましょうか?」

「嫌だわこの娘ったら。大丈夫だって言ってるのに」

 

 凛が洗濯カゴから取り出した衣類をポトリと落としたのは、その時であった。彼女が初めて目の当たりにした衣類を、その妹は意に介する事もなく、洗濯機に入れた。

 

「兄さんのは私がやりますから、姉さんはそれ以外を洗ってください」

「何よ、その。仕方がないわねの様な言い方は」

「無理しない方が良いですよ。兄さんの下着が触れないのでしょう? 今まで触った事もない無垢な女の子なら仕方がないですけれど」

 

 そんな訳があるか。目を背ける様なモノは何度か目にしてきたのだ。この程度訳はない。掴もうと伸ばした凛の手は重かった。掻っ攫うかの様に横から伸びたのは桜の指である。ためらうこと無く掴む彼女は、洗濯機に放り込んでいった。桜が掴んだのはグレーのボクサーパンツだった。それを見た凛が思い出したのは、先程まで読んでいた雑誌だった。

 

「ねぇ。桜。下着の種類ってこれだけ?」

 

 ピクリとは、妹の体が聞捨てならぬと振れた音である。桜は淑やかに笑っていた。

 

「どうしてそんな事を聞くんですか」

 

 凛は尊大に笑っていた。

 

「少し気になっただけ」

 

 睨み合っていた視線を先に外したのは妹であった。

 

「だったら教えません」

「どうしてよ」

「少し気になっただけでしょう?」

「あら。意固地に成るほど隠す事?」

 

 笑いいつつも睨み合う姉と妹に挟まれた最新型の洗濯機は、ゴウンゴウンと震えるのみである。

 

 

 凛がノックをした扉から現われたのは、掃除機を持つ葵だった。いつもの若葉色のワンピースだったが、紺のエプロンを纏っていた。長い髪は、うなじで結っていた。凛は、その部屋に実母が居た事が気になったが、それ以上に落胆めいている事が気になった。

 

「どうしたのよ。浮かない顔をして」

「お掃除をと思ったのだけれど、片づいていて掃除をする所がないの」

「良い事じゃない」

 

 凛が覗いた部屋の中は過不足無く整っていた。

 

「しっかりしてくれる様になったのは嬉しいのだけれど、もの足りないわね」

「無事に親子の通過儀礼が済んで世話を焼くのも良いけど、甘やかすのは困るわ」

「厳しいのは結構だけれど、厳しいだけでは駄目よ」

「母さんと桜がそんなだから私が厳しくしてるんじゃない。そうだ。父さんってどんな下着を使ってた? ……なによ。その顔」

「私はそこまで酷い母親になれないわ」

「意味が分からないのだけど」

「真也さんが庭で掃除をしているから、余裕があるなら手伝ってあげて」

 

 二階のベランダから凛が見下ろした庭に彼が居た。それを見た彼女が感じたモノは奥歯に物が挟まった感覚である。軍手を装備し首に手ぬぐいを巻いた彼は、拾った落ち葉やゴミなどをビニール袋にせっせと入れていた。

 

(感心感心と言いたいけれど、幾ら何でも宝の持ち腐れだわ。何かないかしらね……そうか。あの魔眼で大概の呪いが殺せるならば心霊医療につかえる。大々的に売り出せば……いや駄目か。衛宮君の固有結界並にアレもまた厄介な代物だ……)

 

 彼女は渋々諦めた。

 

◆◆

 

「ペットボトルは資源ゴミで週二回、プラスチックはプラスチックゴミで週一回、新聞紙は資源ゴミで週二回。乾電池は可燃ゴミなのか」

 

 彼は、それぞれが詰まった有料ビニール袋を、庭の片隅にある倉庫に入れた。

 

「収集日は間違えない様にしないとな」

「少し良い?」

 

 立付けの悪い倉庫の扉に手を焼いていた彼は、驚いた。その様子が初めて会ったグール狩りの夜と同じだったので、彼女も驚いた。

 エプロン姿の彼が、流しのシンクから取り出したのはゴミ受けだった。彼が気むずかしい顔をしたのは、ヘドロで塗れていたからだった。

 

「生活はゴミを生むよな」

 

 ゴム手袋を付けた彼は、使い古しの歯ブラシでそれを洗い始めた。凛は、生ごみを入れたビニール袋の口を縛っていた。

 

「ゴミを無駄にしたくないなら、生活の質を向上しなさい」

「仰せの通りであります。それで用件はなに?」

「あれの進捗状況を教えてくれる? 三人の部屋のリフォーム会社の事よ」

「一番安いA社は、他のB社とC社に比べて価格差がありすぎるから止めた方が良いと思う」

「理由は?」

「このA社は最近できたばかりでアルバイトも常時募集してる」

「それが根拠?」

「人が続かないって事だから、B社よりは安いC社が適当だと思う」

「ふぅん」

「何か不明点がある?」

 

 縛り終わったゴミ袋を蹴飛ばした彼女は、探る様な眼差しでこう言った。

 

「これからの予定は?」

「二階の廊下と一階の廊下とリビングと食堂の掃除。夜は桜に勉強を教える事になってる」

「屋根の掃除も良い?」

「ん~。分かった」

「安請け合いして大丈夫?」

「今日の買い出しにセールス品は無いからな。駅前なら陽が落ちた後でも買いに行ける」

「日没後の外出は許可しないわよ?」

「なら買い出しはライダーに……買い物を頼んで良いか。屋根掃除は請負うから」

「良いけれど。引き受けるのは、都合が偶々空いていただけなんだから」

「ありがと」

 

 ついと彼女はそっぽを向いた。

 

 

 廊下の窓から見えるのは、太陽の光ではなく、月明かりだった。地下工房からの帰り道。そこを行く凛が憤りを堪えているのは、分厚い書籍で小突かれた感触が頭に残っていたからだった。

 

「時代後れのくせにっ!」

 

 両手を乱暴に振りながら歩く彼女は、その部屋の前でピタリと足を止めた。扉越しに届いてくるのは兄妹の声だった。

 覗いた鍵穴から見えるのは、ベッドの上に置かれた小さいテーブルに向かう二人だ。胡坐を掻いていた兄は、テキストに指を差していた。彼はライトグレーのスウェット姿だった。

 

「英語には句と節ってのがある。句は主語と述語動詞を持たないが、節はそれを持つ。例えば名詞句。“夜遅くに電話をするのは失礼だ”という文章は、“夜遅くに電話をするのは”+“失礼だ”で構成されていて、“この夜遅くに~”ってのが名詞句になる。名詞節ってのは ――聞いてるか?」

 

 ベッドの上で兄に相対する妹は、薄い桃色のパジャマ姿でペタリと座っていた。凛が見るのは、兄の一挙手一投足である。

 

(桜が着ているのはパジャマだけか。どう見ても誘ってるわね。いや。誘い受けか)

「兄さんは、カナデって知ってますか」

「名前だけは聞いた事あるな」

「歌姫って言われる程に凄い歌手で」

「そう」

「お兄ちゃん娘なんです」

「仲が良い事は良き事だな」

「本名は蒼月奏って言います。親戚かも知れません」

「それは、それで、不安だな」

「兄は妹を娶る義務があるって、声高らかに歌ってます」

 

 兄は、トントンとテキストをテーブルに当てていた。

 

「桜はアレだ。一度社会を見るべきだ」

「兄さんが言うんですか」

「兄さんはなんでも知ってる」

「私の気持ちも知って、痛い!」

 

 真也は妹の額をペチンと弾いた。涙目の桜は、ぶっすーと頬を膨らませた。

 

「馬鹿な事言ってないで勉強に集中しなさい。受ける模試もまだ決めてないだろ」

「夢の中だと優しかったのに。と言うか馬鹿な事ってなんですか!」

「もうこんな時間だったのか……葵さんの部屋にそろそろ戻れ」

「兄さんには、可愛くて大事な妹と今夜一緒に居られる権利があります」

 

 妹は背中に入った何かをどうにかする様な仕草をしたので、薄い桃色パジャマの襟がはだけた。そこには、自然でしっとりとした立派な谷間があった。

 妹が「やんっ♪」と言ったのは兄に抱きかかえられたからだが、妹が「どうしてですか! この間まで時々!」と言ったのは葵の部屋まで運ばれたからだった。

 

「葵さん。迷子のワガママ妹をお持ちしました」

 

 淑やかな葵は「御勤めご苦労様です」と苦笑いをするのみだ。抱きかかえられた妹は、兄に枕をボフボフとぶつけていた。抱きかかえられた妹は、意気地無しと兄を罵っていた。苦笑いの葵は次女を引き取った。

 

「お休み桜」

「兄さんのばか―!!」

 

 扉を閉めた彼は、壁の影に隠れている彼女に気がついた。

 

「そんな所で何をしてる」

「何でもないわよ。お休み」

「お休み」

 

 彼女は自室に戻った。

 

 

 とある日の廊下を歩いていた彼が足を止めたのは、廊下に落ちていた物に気づいたからだった。

 それは、ピンクとオレンジが混ざった鮮やかで魅力的な色だった。全体的にシンプルな作りだったが、レースなどで上品に装飾されていた。両側から二本づつ延びる二本のストラップは、健康的な色気を想像させた。アンダーワイヤー・サイドボーン・サイドベルトで構成される基礎はしっかりと作られており、3/4サイズのカップが加わるならば、寄せて上げるのに十分である。彼の前の廊下には誰もおらず、後ろにも誰も居なかった。

 彼は困ったと頬を掻いた。放置するべきかとも考えた。結局、問題は見過ごすべきではないと考えた。

 これは厄介なモノなので、誰かに頼むのが無難だ。では誰が適当だろうか。キャスターに依頼すると、凛の物だった場合に恥を掻かされた云々と言う展開が容易に幻視できる。凛に依頼した場合、それが凛の物だったら気恥ずかしい思いをさせる。桜に依頼した場合、凛のモノだったら、姉の威厳〈カップサイズ〉という話になる。葵に依頼した場合、万が一葵のものだったら自分が困る。

 彼は、ライダーの名を呼んだ。

 

「かくかくしかじかまるまる。という訳でこっそり渡してくれ」

「なぜ私に?」

「俺が最も頼みやすい相手はライダーで、ライダーは凛に渡すのに最も問題が少ない」

「理由を求めます」

「受肉していないライキャスはまだ下着を持っていない。凛のモノだと断定した理由は――」

 

 彼女は小さく笑った。

 

「渡しておきましょう」

 

 握り締める拳を奮わせるのは、隠れている凛である。

 

 

 彼女がギリギリと締めるのはベッドの上の枕だった。

 

「どうして私のだって即答できるのよ。桜とライダーは考えるまでもないけれど、キャスターも仕方が無いけれど、母さんとサイズは近いんだから」

 

 彼女は、若々しいデザインのそれを見た。

 

「流石に母さんのモノだってのは無理があるか」

 

 彼女は自分の胸を、外側から掴んだ手で持ち上げた。赤いシャツの中のそれは華々しくも慎ましかった。彼女が思い出すのは、凛のモノだと断定した彼の後ろ姿とライダーの失笑である。どうすると彼女は考えた。大きさで馬鹿にされるのは勘弁ならない。大きさによるヒエラルキーの発生など何としても阻止しなくては。何かないか。

 胸の大きさが問題になるのは、得てして男絡みである。コンコンと部屋を叩きやってきた桜は、髪が濡れていた。

 

「姉さん。お風呂開きました」

「そう。なら入るわ」

「兄さんが待ってますので早く入ってくださいね」

「アンタね。もう少し姉を敬いなさい。兄ばっかり……」

「どうしたんですか? ピコンって顔をしてますけど」

「何でもない。先に入って貰って」

 

 紙袋を掴んだ彼は、部屋の外に出た。窓から見える空が暗いのは夜だからであり、着替えの入った紙袋を彼が持っているのはこれから入浴するからだ。葵と桜は気にしなかったが当主が気にしたので、彼の入浴順番は最後になった。湯の張り直しも検討されたが、乙女的な難しい問題とコストの板挟みになった当主の苦悩によって見送られたのだった。

 

 

 薄暗い廊下に立つ彼が見るのは、扉に掲げられた白い一枚のプレートである。金色の鎖で釣り下げられたそれには、入浴中と刻まれているのだが、ひっくり反り白い無地を見せていた。この家での取り決めであるそれを確認した彼は、浴室と廊下の間にある脱衣室に繋がる扉を開けた。

 脱衣室は、洗面所・洗濯機・衣類を入れるカゴ・浴室に続くすりガラス、そう言った物が置かれている複合的な場所だった。天井から柔らかいオレンジの明りが降り注ぎ、湯の湿気が籠もるその場所に、下着姿の凛が立っていた。それを見た彼は無意識にやはり華奢だと考えた。クスクスとゴーゴーと換気扇が鳴っていた。

 軽く波打った髪を揺らしながらも気怠く身を屈める彼女は、その髪越しに見えるショーツの横紐に指を掛けていた。それは、ピンクとオレンジが混ざった色だった。

 前布も後ろ布も鋭利な三角を形作っていた。下腹部の中程から股の隙間にある芳しい丘までを隠す布は、レースの薔薇を咲かせていた。

 腰の少し下がった所を走るのは、前布と後ろ布を繋ぐ紐に近いレースの帯だった。その薄い布切れで最奥を隠す彼女は、腰を僅かに傾げ、片膝を内股に軽く曲げていた。

 彼女の胸を覆うそれは、ショーツと同じ色だった。柔らかいUの字形のワイヤーから盛り上るカップには、レースがあしらわれていた。カップとカップの間に咲く白いリボンの下にはホックがあった。

 サイズが少し大きく肩紐にもカップにも隙間があったが、鎖骨から胸元を介し隠れて見えない胸先に続く曲線は、桜とは異なるおわんの様な丸みを描いていた。時の狭間で彼は、あの下着はやはり彼女のモノだったかと自分の眼力を褒めたりもした。だが換気扇は、クスクスとゴーゴーと鳴っていた。

 

 

 視線が衝突している事に気付いた彼は呻くのみだった。なんと言う事だ。この様な、僅かに期待しつつももっとも恐れていたイベントが、寄りにもよって彼女とは。せめて桜だったなら。否。妹といえど、年頃なのだからもう駄目だ。葵さんは考えるまでも駄目だ。キャスターは気にするから駄目だ。ライダーなら、腕力に訴えてくるから駄目だ。やはり誰でも駄目であり、よりにもよってという問題ではない。

 彼女は時間が止まったかの様にピクリとも動かなかったので、彼は何かを言わねばと考えた。だが生憎と彼には何も思い付かなかった。仕方がないので彼は彼女に背を向けた。

 

「ごめん」

 

 急ぎ立ち去ろうとした彼を止めたのは彼女の声だった。それに、憤りによる堅さは無く困惑と諦めが混じっていた。

 

「扉の札を見なかったの?」

「裏側だった」

「そう。なら悪いのは私ね。でも次から気をつけて」

「とにかく忘れるから。済まない。」

 

 パタンと扉が閉まった。最初の数歩はトタトタだった。次の数歩はタッタッタだ。何時の間にかドドドとなった。彼がそう言った足音を立てるのは、収まりの付かない衝動に煽られ走らざるを得ないからだった。

 

 

 羞恥すら忘れて彼女が吹き出したのは、背を向けた彼の耳が真っ赤だったからである。

 

「そうよね。真面目でもそう言う事は別よね」

 

 最後の一枚までもを脱いだ彼女は、タオルで髪を纏めた。ハミングを奏でながら浴室の扉を開けた。

 彼の部屋で繰り広げられているのは、兄妹喧嘩である。その妹は、ベッドの上で丸まっている兄から毛布を引っ剥がそうとしていた。

 

『兄さんは姉さんのを見たんですね! どうして意識してるんですか!』

『言うんじゃありません! 思い出してしまうから!』

『小さいのに価値は無いって言ってたのに! いつ宗旨替えしたんですか!』

『そんな事は言ってない! 桜の全部が誇らしい言っただけです!』

『お母さんだって私のだってライダーのだって姉さんのよりずっと大きいのに! ほら! 兄さんほら!』

『やめなさい! はしたない!』

『道を誤った兄を正すのは妹の義務です!』

 

◆◆

 

 ベッドの上で仰向けの凛が、浮べているのは難しい表情だった。

 

(真面目も意外と悪くない。三股をするつもりも無いと言ってる。だが学校での追いかけっこからそれっ切りなのは何故? ……真面目になったから奥手になった? あ、そっか。旅から帰ってからの積もりなのか)

 

 はぁとは彼女の付いたため息である。

 

(……仕方がないか。頭ごなしに否定するのは止めて前提としてあげますか。アイルランドまで陸路って、馬鹿なら馬鹿なりにもう少し考えろって言うのよ)

 

 まさかと思いつつも彼女が不安と焦りを感じたのは、フィンランドの魔女を思い浮べたからだった。なのでセイバーの左薬指にあった指輪を思い出した。ごろんと彼女はうつぶせになった。

 

(どこかで誰かをまた見つけられても困る。保険は必要か。仕方がない。奥手な男の子は私がリード――)

《好きって言ったの。嘘だ》

 

 彼女の胸の奥が、刺された様にズキンと疼いた。

 凛に呼び止められた真也が、食材が詰まったビニール袋を両手にぶら下げたままなのは、買い出しから帰ってきたばかりだからだ。腕を組み睨み付ける彼女には、不愉快・苛立ち・困惑・羞恥エトセトラ様々な感情が入り交じっていたので、彼は言われるがままだった。

 

「母さんは二〇歳で結婚してるのよ」

「……その発言をした理由を聞かせてくれ」

「学校での返事をしてあげるって言ってるのよ。旅から帰ってからならそれはそれでいい。でも社会も年齢も待ってくれない。私はこんな仕事で母さんも二〇で結婚して二一で私を産んだ。遺憾ながら、考えておく必要はもうあるのよ。だから来週の役所の手続までに決めなさい」

 

 彼女の意図を悟った彼は深刻そうに俯いた。重苦しい沈黙の後にこう切り出した。

 

「その事なんだけど。俺は、」

「真也が迷うのは理解できるわ。大事な話だから当然よね。旅の事は前向きに考えてあげる。だから私の事も考えて。これが私のできる最大限で最後の譲歩だから」

 

 

 その家の電話が鳴っていた。表示されている番号は、学校でも衛宮家でも美綴家でもなかった。それは、遠坂家にとってしがらみと言う名の古い名前だったのである。

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