亜人間恋愛物語 作:d1199
キャスターは水晶玉に手をかざした。冬木市全域を探索する彼女の術式が姑獲鳥を捉えていないのは、冬木の強い歪みに紛れてしまっているからだった。
それは彼女にとって問題ではなかった。姑獲鳥が狙うのは子供のみであり、冬木市に住む乳幼児を全て把握しているならば、紛れていたとしても、歪みの変動絵図と比較すれば出顕ヶ所を絞り込む事ができる。“姑獲鳥”という名が分かった時点で見付け出す事は時間の問題だ。相対するのが、受肉したサーヴァント一体に高位の魔術師に異端の魔術使いならば戦力比も圧倒的だ。強いて問題をあげるならば、聖杯戦争と異なり期限がなく、姑獲鳥には無理をして闘う事が無い事だ。危険と感じれば隠れ忍んでしまえば良い。この地を離れる事もありえる。
ただその可能性は低いと彼女は見ていた。歪みの薄い地に行けば、魔力の供給が滞るどころか目立ちやすい。喰らっている子供の魔力〈魂〉を、自分の活動に使う事も検討したが姑獲鳥の性質上除外していい。
そもそも冬木以上の歪みの地〈霊地〉である三咲町は、彼女ら以上に厄介なモノが居る。
彼女の水晶玉は関係者を次々に映し出した。ライダーに監視されている彼女のマスターは、自室の椅子に腰かけたままピクリとも動かない。桜は葵の部屋で葵と共に静かに事が済むのを待っている。衛宮家の二人は予定どおり出発した。衛宮家の結界にも不備は無い。
(だと言うのにこの胸騒ぎを感じるのは何故?)
初戦の士剣戦闘において姑獲鳥は、姑獲鳥という存在を追尾するグングニルを、散らせた自身の羽根を囮にし回避するという知的戦闘を行った。名前を知る前は、彼女の必死の捜索にもかかわらず、尻尾すら掴ませなかった。彼女はこの時期を待たなければならなかった。だとするならば。この悪霊は相応の策士とみるべきだ。彼女の憂慮は、見落している何かである。
『マスター』
『何か問題か?』
『いえ。問題が無い事を確認させて頂きました』
『温和しくしてるから士郎らのフォローに専念してくれ』
彼女は僅かな落胆を覚えた。こういう狂質的な相手は主の御家芸だというのに頼れないのはもどかしい。魔術師と策士は本来別物と言う事を思い知らされる。
姑獲鳥の情報を整理する彼女が思い出したのは、士郎が一度受けた呪詛である。それは妊婦もしくは出産経験者のみが解呪できると言う厄介なものだが呪詛自体は強くない。転じて。これは同属性には効きにくいと言う意味でもある。男よりは女。女よりは妊婦。あの二人に出産経験は無いが、同じ女であるだけで対抗力の増加が期待できる。なによりセイバーは最高峰の対魔力を、凛は強力な抗魔力を持っている。
(同属性、同質、同期、同じ女。用心深い姑獲鳥がこの条件を軽視するものかしら……考えすぎだわ。一本の羽根からジワジワと魔力が放出されるだけならば、何も問題は無い。私の性質が悪く出ているだけね)
キャスターは息を呑んだ。姑獲鳥程度なら問題ないと男である士郎が単独行動をしている。その彼が、一本以上の羽根形呪詛を受けたらどうなるのか。
彼女は杞憂であると思いつつも、衛宮家の人間が念話の術式を持っていない事を悔むのみだった。
◆
彼が身を潜めるのは、地上よりは空に近い各戸口が連なる六階の通路の影である。静かに伺う彼が見たモノは、その通路に立つ和服を着た女だった。それは、怪鳥を追った夜に彼が見た通り魔に刺された人物だった。
(化けていたと言うのか……あの時に気づいていたならば)
グングニルによる狙撃は一度躱された以上必中を期待できない。そこが狭いマンションの廊下であり、隣のマンションも近いならば、外した場合の影響が大きすぎる。彼の手にセイバーの戦闘経験が宿る剣〈カリバーン〉が在るのは、それを憂慮した結果だった。柄を握る手に彼は力を籠めた。
(監視してるキャスターによって皆が集まるのを待つか。それとも仕掛けるか)
機会を窺う彼の傍に顕れたのは、彼女の影である空のローブだった。
『セイバーと凛さまがそこに向かっているから、二人を待ちなさい』
“その理由を聞きたい”彼がそう言い切れなかったのは、開いた扉から子供が現れたからだった。
見殺しにできないと飛び出した彼は、剣の導かれるまま踏み込んだ。掲げた剣を光らせた彼が見たモノは、蛍光灯の灯火が天井に連なるだけの無人の廊下だった。
「居ない。逃げた?」
カリバーンが反応したのは、彼の背後で影が揺らいだからだった。ドクンと彼の心臓が強く打った。
(回り込まれた?! いつの間に!)
振り返った彼が見る着物の女は、十本の羽根を扇子の様に持っていた。
(逃げない? 待っていた? これは罠!?)
いずれにせよ。狭いマンションの通路ではあの羽根を避けられない。どの様な罠か知らないが、セイバーの戦闘経験が宿る武器で遅れをとりはしない。羽根〈呪詛〉は、全て叩き落し仕留める。その判断は、彼がその呪詛を一度受けているからだった。ズダン。彼は剣の動きに追従する様に、剣を邪魔しない様に、大きく一歩踏み込んだ。彼が確信したのは、女が士郎の間合いの中だったからだ。
「まま」
その声は、刃が女の首を落とす前だった。その子が立つのは、士郎の背中だった。彼の身体は盾になっていた。ドクンと彼の心臓が強く打った。
(これが本命?!)
ニタリと笑った女は、演舞でもするかの様に羽根を撃ち出した。
「ならば全て叩き落す!」
踏み込みを途中で止めた事により不安定になっていた彼は、廊下の壁を蹴り飛ばす事によって体勢を強引に立て直した。カリバーンが吠えた。羽根がカリバーンを通り過ぎたのは、その時の事だった。
「!?」
士郎の右脛に羽根が突き刺さっていた。左腿にも羽根が突き刺さっていた。右脇・左肩・首の左側・辛うじて目を守った左の二の腕には三本刺さっていた。
ギリとは彼が食い縛った音である。何故通り過ぎた。いや。考えるのは後だ。技を繰り出した直後の女は硬直している。羽根に魔力を奪われるならば、それが十本刺さっているならば、これが最後のチャンスだ。羽根が斬れないなら、本体を斬れば良い。
渾身の力で練り出した彼の希望を打ち砕いたのは、「まま」彼に抱き付いた子供だった。「!!」踏み込み途中のその脚は、微かに遅れた。彼は羽根だらけになった。ドサリとは彼が膝を突いた音である。全身に突き刺さった羽根は、彼の魔力である光の粒をキラキラと放出していた。青ざめた彼はうずくまった。冷たいコンクリートの廊下に這い蹲っていた。
歯を食いしばり睨み上げる彼に、その女は襟をはだけて見せた。陶器の様に白い肩に在ったのは、グングニルによって負わされた傷だった。女は晴々と笑っていた。
(俺を狙ってた……舞弥さんの言う通り防刃ジャケットを着ておけばよかった、か)
首を掴まれた彼は、「ぐ……」女の片手で持ち上げられた。そして廊下と落下を仕切る丈夫な手すり壁に押し付けられた。押された彼は、手摺り壁を乗り出し仰け反った。彼の体に力は入らず、感覚も霞んでいた。彼の頭の下にある地面は、六階分もあった。
「と、トレース、オ、」
バチリ。彼の右手に走ったのは、弱々しい静電気だった。
彼は押された。手摺りの外側に出たのは彼の頭だった。次に首そして肩。次々に押し出されとうとう腰に達してしまった。仰け反った彼の身体が、ぐらりとシーソーの様に傾いた。六階分下の大地に閃いたのは白銀だ。
「シロウ!」
彼女のところへ落ちようと彼が蹴りを繰り出した事と鋭く強い黒のわだかまりが女の体を打ち抜いた事は、同時だった。ドサリとは、手すり壁の内側に士郎が落ちた音だ。パラパラと舞っていた女の髪は、散り散りになって消えた。弾き飛ばされた女が忌々しい表情で見るのは、士郎の傍らで赤いコートを揺らす凛だった。
◆
その暗がりを斬り裂くターコイズブルーの明りは、不敵に笑う凛が唸らせる魔術刻印の放つ光である。その通路の片側だけにある606と刻まれた赤茶の扉には、その光が反射していた。ズサリ。凛の左足が通路の床を擦るその音は、重心を移動した証であり威嚇でもあった。こう言った。
「そう。真打ち登場ってわけだ。その悔しそうな顔がどうしてここが分かったのかって意味なら、そうね……調子に乗りすぎたってところ」
キャスターのその声は、彼女の右手の甲に刻まれた念話の術式からだった。
『凛さま』
『キャスターは後方支援に徹しなさい。聖堂教会の動きだって注意する必要があるんだから』
『姑獲鳥を発見したので、ライダーをマスター監視から待機に変更し、必要と判断すれば投入します』
『分かった。でもセイバーも居るから必要ないわよ』
彼女が掲げたのは魔術刻印が刻まれた左腕である。
「私のシマで好き勝手した落とし前は付けさせてもらうから」
そこは、ヒトがすれ違う事ができる程度の通路だった。壁には、僅かに張り出す四角いガス給湯器とビニール傘が掛けられた窓の面格子があった。壁と床の角には赤い消火器があった。側溝には、絡まった埃や落ち葉があった。転落を防ぐ丈夫な手すり壁の向こうで浮び上る夜のマンションも色が違うのみでここと同じだった。天井の白い蛍光灯が鈍く灯るその場所に、真っ直ぐな黒く長い髪を流す赤い着物を着る二〇歳前後の容貌を持つ女と軽く波を打つ黒い長い髪を流す洋服を着る十七歳の凛が立っていた。
◆
掲げた左腕に右手を添える発砲体勢の凛が見るのは、女の腕に居る幼い子供である。彼女はどうすると考えた。これがある程度の犠牲を許容する聖杯戦争でないならば、一般人を巻き込むのは論外だ。直に来るセイバーに強襲させるのが妥当だ。彼女が選んだのは時間稼ぎである。ポケットから取り出された小玉は緑の地球が表現として適当なセラフィナイトだった。
「――」
凛の呪文に応じたそれは、床に転がると同時に、誘眠結界を緑の光と共に放ち始めた。それが設置されたのは、女からよく見える場所だった。
「言っておくけれど、誰かが来るドサクサで逃げられるなんて思わないでよ。この辺りの皆はグッスリと寝ていて起きないから」
血の様な赤い目で凛を睨み付けていた女の髪が揺らいだ。
(見抜かれた?)
凛の予想も付かない事が起きた。その女は、腕に抱いていた幼い子供を床に降ろしたのだった。凛の脇にある606号室の扉が開いた。その子供はフラフラと家の中へ戻っていった。ザワリ。逆立つ女の髪の先端が赤い翼になった。そこには、主である女の命を待つ大量の赤い羽根が生えていた。
凛の左腕が「どんな狙いかは知らないけれど、ばっかじゃない!?」唸りを上げた事と女の目が開かれた事は同時だった。二人は同時に撃ち出した。
女が撃ち出した赤い羽根は、凛が撃ち出したガンドで消滅した。数本の羽根を蹴散らした凛のガンドは、羽根で軌道を逸らされ女を通り過ぎた。大きな音と共に、女の背後であり廊下の終りでもある手すり壁が欠け落ちた。舌打ちをしたのは凛だった。
「気を遣いながらってのはストレスが溜まるわね!」
女が撃ち出す羽根の威力は、凛より劣るが手数が多い。威力に勝るフィンの一撃を大量に撃ち出せば、押し切れるが周囲に被害が出る。彼女は、威力を下げたガンドで全ての羽根を叩き落す事にした。ビュンビュンとは羽根が撃ち出される音だ。ドンドンとはガンドの発砲音である。自家用車三台分の距離を高速で飛び交う羽根とガンドは、衝突し消滅した。凛が選んだのは消耗戦だが、それが時間稼ぎを意味するならば彼女の意図通りだ。
ガンドに刺さった赤い羽根は、正月の遊びである羽根つきそのモノだった。羽根つきが、一年の厄を羽根〈跳ね〉る事によって子供の健やかな成長を願う儀式ならば、これはどの様な皮肉だ。彼女はその様な事を考えた。
『キャスター。セイバーは?』
『あと二フロアです』
このまま押し切る、そう思った凛を裏切ったのは「ぐ……」士郎の呻き声である。羽根とガンドが対消滅する事によって生じる火の粉の様な魔力を浴びる彼は、両手両脚をだらりと垂らしていた。
「衛宮君! 意識があるなら返事をしなさい!」
彼の手が動いた。
(何とか無事か)
手すり壁と床の隅に腰を下ろす彼は、全身を痙攣させていた。
(これって、痙攣?)
凛の隙を突いた一枚の羽根が彼女の髪を掠めたので、彼女は敵に集中せざるを得なかった。
(子供のヒキツケに似てるけど、まずい)
彼に刺さった大量の羽根からは、魔力である大量の光が皮肉なまでに美しく放出され続けていた。ドンドンドン。ガンドを撃つ凛は苛立っていた。
『キャスター! セイバーはまだ!?』
『到着です』
「シロウ!」
通路にセイバーが現れた。彼女が携えるのは、士郎が打った中身のないカリバーンであるが、彼女の魔力を帯びていた。ガンドを撃つ凛と、凛と打ち合う見知らぬ女と、ピクリとも動かないシロウを見た彼女は、目尻を釣り上げた。
「貴様!」
「セイバー! 衛宮君を頼んだ!」
セイバーは、士郎が侵されている呪詛に気がついてしまった。凛はセイバーを見てしまった。それは一瞬の隙だった。バサリと赤い羽根が羽ばたいた。
◆
士郎に突き刺さった大量の羽根は、セイバーが駆け寄った瞬間に数本が抜けた。それよりは多い幾つかは萎れた。士郎に駆け寄りつつも凛はこう言った。
『キャスター』
『捕捉しております』
セイバーが触れた彼の額は冷たかった。
「鞘の効果はありますが、魔力の放出量が多すぎで上手く発動していない」
凛が行使した【スコレサイト〈回復と再生〉と真珠〈出産〉】の二重に効果は無かった。
「女って要素だけじゃ弱いのか……あー! もうっ!」
「鉱石魔術は詳しく知りませんが、成功率を上げる石はないのですか?」
「アダマンタイト〈成功率の上昇〉ってのが在るんだけど、私は二重〈二つ〉までしか使えないのよ。かと言ってスコレサイトとの組み合せだけで効くかってところなんだけど……多分無理だわ」
『凛さま。そちらに向かいます』
『アンタは拠点で姑獲鳥の捕捉に専念しなさい。ここまで追い詰めたら、逃がせられないでしょ』
『ならばライダーに追撃を依頼します』
『そうして』
目を覚まさない士郎の頬に手を添えるセイバーは、凛が見ても痛々しいモノだった。算段を立てた凛はこう言った。
「セイバーは衛宮君を私の家に運んでキャスターの処置を受けなさい」
「しかし」
「私よりセイバーの方が速いでしょ? ライダーも来るから安心して」
セイバーが俯いたのは、悔しさを堪えた結果である。
「リン。申し訳ありません。シロウを届け次第直ぐ戻ります」
「良いから早く行きなさい」
◆
マンションのロビーを出た凛が見たモノは、士郎を背負ったセイバーが闇夜に消える姿だった。
『キャスター。状況を教えなさい』
『姑獲鳥は東南東に向かっています』
凛は歩き始めた。その両手両脚は大きく振られていた。
『東南東……冬木教会がある方向か。不味いわね。ライダーを聖堂教会に見られると少し困るわ』
『屋敷を出発したライダーは東へ直進し、川を越え教会の直前で待ち構えます』
『私らを出し抜く奴だから、ライダーに気を付ける様に言って』
『凛さま。マスターに協力を依頼するべきです』
『だめよ』
『状況をお考え下さい。ここで出し渋れば逃がしかねません』
『くどい』
『……危険は承知しておられると言うこと?』
『当然でしょ。この地でいい気になってる悪霊〈勘違い女〉を引っ叩くのは、セカンドオーナーの務めなんだから。ここだって時に頭が体を張らなくてどうするのよ。少しぐらい分が悪い程度で引っ込んだりしたりはしないわ。キャスター。アンタも遠坂に身を置くなら、覚えておきなさい』
はぁとは念話越しに届くキャスターの憂慮とストレスの表れだ。同意を感じ取った凛は笑って言った。
『まだ反対?』
『トオサカの為になる様に行動しろ。こう申し付けられていますので不安点は多いですが同意しますわ』
『それは結構』
筋力強化と体重軽減の術を自分に掛けた彼女は、跳躍した。見知らぬ家の塀を踏み付けると、見知らぬ家の屋根を踏み付けた。家々を八艘飛びで渡っていった。タンと屋根を蹴った彼女は、跳躍の頂点に達した。手足を軽く曲げる彼女は、髪とコートをなびかせた。彼女が見るのは、夜の帳が降りた町だった。真っ暗な夜の暗がりとヒトの灯りが、混ざり合っていた。
彼女が幻視〈み〉たのは、寝ているだろう人々である。
『聖杯は壊れて良かったのよね』
『何故そうお思いに?』
『あの姑獲鳥。喰らう積もりの子供を人質に使わなかった。これの意味を考えると、あの悪霊はただ子供を食べるのではなくて狂ってしまった母親って事よね。聖杯戦争ってそういうのを前提としているから』
『それが本音ですか。凛さまは案外魔術師らしくありませんわ』
『率直に未熟と言ったら?』
『だからこそ、真也さまは凛さまを気に入ったのでしょう』
『ここでマスターと言わずに名前で呼んだ理由は?』
『マスターのマスターとは言い難いですから』
『主従って事?』
『いつか。お話ししますわ』
◆
夜空に浮かぶ赤い何かを凛が見つけたのは、白い家の屋根に降り立った時だった。人の気配が無いその家の門には、蒼月と刻まれたプレートが掲げられていた。
「千歳さんは……もう居ないのか」
その赤い何かは、赤の怪鳥だった。ドンヨリとした白の中を動いていた。
「意外とのろまなのは……仕方がないわね。あの身重なら」
彼女は、ポケットのセラフィナイト〈誘眠〉を、呪文と共に周囲にバラ撒いた。
(曇が背景で助かったわ。見えやすい)
『この距離ではまず当りません』
『下手な鉄砲数打ちゃ当るって言うじゃない?』
『飛翔高度は五〇メートル、直線距離ならば五七メートルです』
『周囲に人影は?』
『ありません』
ドンドン。彼女の左腕が火を噴いた。撃ち出された黒い弾は、冬木市の夜を斬り裂いていった。最初の一群は、怪鳥の後ろを掠めていった。なので彼女はもう一度ドンドンと撃った。
「数撃っても当らないじゃない! 誰よそんな事言ったの!」
ドンドン。
『凛さま』
『今話し掛けるな!』
『マスターが、姑獲鳥の速さと距離を考慮しろと言っています』
ドンドン。
『なによそれ!』
『“キャスターの測定値からざっと計算をした。無理して狙わずに数メートル先の範囲にバラ撒け“と言っています』
彼女は、怪鳥の飛行ルートの先にガンドをドンドンドンとバラ撒いた。撃ち出された黒い弾の連なりは、夜の曇空に消えていった。
怪鳥がグラリと傾いた。ギィと音を立てたそれは、堕ちていった。
「……」
凛のそれは、愉快半分不愉快半分だった。
『凛は物理を履修していないんだろ。だそうです』
『私は文系コースなんだから仕方がないでしょ!』
◆
タッタッタ。白い街灯が灯る小道を走るのは凛である。
『落下地点は一〇〇メートル先の公園です。ライダーが向かっていますので自重してください』
『相手次第!』
キャスターのその念話が渋々なのは、彼女が鳩尾に鈍い痛みを覚えているからだった。
『……姑獲鳥の呪詛は類似の法則を強化したモノです』
『だから?!』
『姑獲鳥の放つ呪詛とは、姑獲鳥と異質な物に対するという意味を強く持ちます。それは、魔に関わるかと言う意味であり、女かと言う意味であり、妊娠・出産経験があるかと言う意味です。類似とは同質です。呪詛に掛かりにくい反面、影響を受けやすい。くれぐれもご注意下さい』
『同じ魔に関わる者でも同じ女でも、最後はまだだから問題ないわね』
それは、跳躍した凛がフェンスを乗り越えた時の事だった。空中で身動きできない彼女に、大量の羽根が降り注いだのだった。ドサリ。広葉樹と雑草が繁るそこには、磁石に吸付けられた砂鉄の様な羽根の塊があった。それは魔術発光によって内側から弾けた。赤い羽根は砕けて散った。重厚な銀色の光は、聖なる防御を司るカンポ=デル=シエロと霊的な防御を司るシルバールチル=クォーツの複合発光である。パラパラ。羽根の成れの果てが舞い散る中に立つ凛は、公園の真ん中でうずくまるそれにこう言った。
「用心深いと聞いていたけど。その程度で倒せると思ったなら詰めが甘すぎだわ」
ほつれた黒髪から見える片目は、悪鬼の様に釣り上っていた。
「良い顔じゃない。その方が似合ってるわよ。貴女」
その女がもう一度飛ばした大量の羽根は、鉱石魔術の防壁に阻まれ、凛に届く前に砕けて散った。ズサリとは、凛の茶色い革靴が公園の砂利を踏み付ける音である。
「勝負あったわね」
凛は、ポケットから取り出した二つの鉱石を投げ付けた。それは、アンバー〈雷〉と銀〈破魔〉からなる二重である。銀色の雷が荒れ狂った。
◆
「ぎぃぃいぃぃぃぃぃいいぃぃぃっ!」
振袖と髪と目を逆立てるそれは、公園を塗り潰す程の赤い魔力を吹き出していた。突風の様なそれを堪えた凛は、僅かに後退ってしまった。
「レジストした!?」
『凛さま。姑獲鳥は貯め込んだ魔力を使っています』
『少しは動揺しろって言うのよ!』
半人半鳥の女は、篝火の様な一本の羽根を撃ち出した。とっさに飛んだ凛の跳躍距離が一〇メートル以上だったのは強化の術が残っていたからだが、彼女のコートが斬り裂かれていたのは彼女の防壁を突破したからである。
両目は釣り上り口は避けていた。怒り狂った女は、空中に浮かべた多数の羽根を一斉に撃ち出した。それは、ブランコの鎖を断ち切りコンクリート製の山に孔を開けた。
走り、跳躍し、地に着いた手を支えに凛は一回転した。避け続ける凛であったが、強化の術が切れれば鴨撃ちだ。だが貯め込んだ魔力を放出している以上、彼女が持つ最大攻撃の二重は効かないのである。
『ライダー到着まで十秒です。どうにか持ち堪えてください』
ズサリとは、凛が足を止めた音である。身を屈めた凛は、内に曲げた両脚を大きく開きながらも、左手の指先のみを大地に添えていた。それを見た女は、振袖の様な羽根で地面をドシンドシンと叩いた。開いたクチバシの中には、人間の歯があった。
目尻の釣り上った二人の目が合った。
「ぎぃぃいぃぃぃぃぃいいぃぃぃっ!」
「Leben! Drei Steintanz, Gewöhnt beide. Schießen! 〈応えよ! 三重の石よ舞い踊りて共に成れ。放て!〉」
二人は同時に撃ち出した。凛が投じた鉱石は、オニキス〈対魔〉とサードオニキス〈魔除け〉とサファイア〈邪気払い〉だった。それは三重である。
「アンタ。おかしくなって、おかしくなった事にも気付いてないんでしょ。子供を失って狂ったくせに他の子供を襲うなんて、無茶苦茶だわ」
凛が見下ろすのは、右腕と右肩と首と頭のみだった。その真際ですら、女は凛への憎しみを止めなかった。
「怨みのあまり死にきれないって顔ね。でもね。こっちもはらわた煮え返るぐらい頭にきてるのよ」
「……男すら知らぬ生娘に子を失った悲しみなど分かりはせん」
「そうね。知りたくすらないわ。だからこれでお終い」
彼女た投じたのはルビー〈破魔〉だった。炎に塗れるそれは断末魔の悲鳴すら忘れた。
「呪うてやる! 呪うてやるぞ! その髪! その肌! その乳! その尻! その香! お主を覚えたぞえ! 我と同じ苦しみをかみ締めるがよい! 呪われてしまえ!!!」
それは灰となって消えるまで、呪われよと怨念を吐き続けた。
「やっと口を利いたと思ったら典型的というか陳腐? 結構な呪力だけれど私を呪うんなら石化の呪いをもってこいっつーのよ」
◆◆
彼女の背後に現れたのはライダーだった。振り返った凛は、自慢げに笑っていた。
「あら。遅かったじゃない。全部済んじゃったわよ」
凛を見たライダーが浮べたのは憂慮だった。
「強い念が残っています」
「数日で抜けるでしょ。この程度の呪いでへこたれる様な魔術師はやってないわ」
凛は、コートが裂かれていた事に気がついた。
「それより散らばってる鉱石を拾ってくれない? あーあ。一張羅は台無しだし鉱石を幾つ使ったんだろ。大赤字よ」
ライダーが「以上です」握り拳を突き出したので、凛の両手は手柄杓の形だった。一言礼を言った彼女が目を止めたのは、ハート形のペンダントだった。
「あらいやだ。コートに入れっぱなしだったんだ」
「それは?」
「うちに代々伝わる石で魔力を貯め込んでたのよ。真也の再構成で使って今は空っぽなんだけど……あれ? このペンダントにこんな模様あったかしらね。赤い点というか羽……」
《凛》
ライダーが首を傾げたのは、ペンダントをマジマジと見ていた凛が突然振り返ったからだった。ライダーは言った。
「問題がありますか」
「……いま、そこに誰かが居た様な気がしたんだけど」
ライダーが見るのは、誰も居ない公園のベンチを見る凛である。
「誰も居ません」
「見れば分かるわよ」
『セイバーならそちらに向かっている最中です』
『そう』
『それより無茶はお控えください。未修得の三重を実戦投入など寿命が縮まります』
『面目躍如ってやつ?』
凛は猫の様に背伸びした。こう言った。
「さ。帰りましょ。みんな待ってるだろうし。お腹空いちゃったわ」
凛は迎えに来たセイバーに向かった。ライダーは公園に漂う悪霊の残滓をじっと見ていた。