亜人間恋愛物語   作:d1199

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彼の夢と彼女の現実1

 立ち並ぶ無数の木々の間にあるのは霧のみだった。静まりきってしまっていて呼吸どころか鼓動の音すら耳に付いた。乾ききった口の中は辛かった。漂う冷たい空気は重りの様に体に絡み付いていた。そこは、とても臭かった。そこが町から遠く離れた森の中ならば何かがあっても助けは来ない。なので彼は手にある霊刀を雄牛に構えた。彼が対峙するのはヒトの血と魂を喰らうモノである。

 彼に襲い掛ったそれは牙を剥いていたので、彼はそれの死の点を霊刀で貫いた。断末魔をあげる事すら無く消えたそれは、時計塔の依頼だった。それが消滅した事を確認した彼は岩の影に駆け寄った。そこには息も絶え絶えのライダーが腰かけていた。彼は「無事だな?」と聞いた。至る所が裂けた黒のパンツスーツからは、血が流れていた。彼女の声は疲れ果てていたが、それは彼も同じだった。彼女は言った。

 

「次回からは割の良い依頼を求めます」

「俺も同感。『キャスター。無事終わった。これから帰る』」

『お疲れ様です。皆にそう伝えておきます』

 

 門を潜った彼が見上げるその家には灯りが灯っていた。そこは彼の家だった。彼は頬をポリと掻いた。指摘したのは背後のライダーである。

 

「いい加減慣れるべきでしょう」

「未だ夢心地ってだけだ」

 

 彼はその家の扉を開けた。

 

「ただいまー」

 

 玄関に立っていたのは、若葉色のパジャマとチョッキを着た葵だった。彼は驚いた。

 

「どうしてここに?」

「キャスターさんから、そろそろ帰ると聞いたものですから」

「(気が利くというかお節介というか)心苦しいのであまり気を遣わないでください」

「そう言う訳にも行きません。ですから真也さん。そろそろお義母さんと呼んでください」

「もう少し時間をください」

 

 二人を通り過ぎたのはライダーである。

 

「シンヤ。私は部屋に戻ります」

「お疲れ様」

 

 彼女を見た葵はため息をついた。

 

「ライダーさん……キャスターさんもですけど全く変わりませんね」

 

 彼が愛想笑いをしたのは、年齢と美容に関する会話が御法度だからである。

 

「皆に顔を見せてあげて下さい。丁度。台所にいます」

 

 台所に立っていたのは、冷蔵庫を覗き込む桜だった。彼女が数年着ている薄い桜色のパジャマ上は、破れかねない程に内側から引っ張られていた。彼は言った。

 

「タダイマー」

「怪我大丈夫ですか?」

「もう塞がってるから後は一晩寝れば大丈夫だ。それより桜が疲れた顔をしているのが気になる」

「レポートの提出日が近いから、飲物を取りに来てたんです」

 

「レポート? 宿題って事か」

「もう高校生じゃないんですから。そんな言い方しないでください」

「高校生じゃない?」

「そうだ。お風呂が沸いていますから入っちゃってください。いま綾子さんが入ってますからその後ですよ。お風呂場で変な事したら怒っちゃいますからね」

 

「綾子が来てるのか」

「来てるなんて変な真也さん。明日は私の番ですから、ちゃんと調えておいて下さいね。それじゃ。お休みなさい」

「しんやさん?」

 

 風呂場に向かう途中の廊下に会ったのは、豪快に笑う白いスウェットを着た綾子だった。

 

「お。無事に帰ってきたね。ヤバイかもって聞いてたけれど、そんな気はしなかったから安心はしてた。そうそう。明日から修学旅行の引率で一週間留守にするけど、私が居ないからってハメを外しすぎないでよ。ほら。突っ立ってないで先に凛の部屋の部屋に行きな。心配してたから」

「凛? 部屋? と言うかこんな夜遅い時間に遊びに来ておばさんに心配されないのか?」

「ボケてないでさっさと行ってあげな」

 

 扉を開けた部屋の奥にあるベッドでは、白いネグリジェを着た凛が本を読んでいた。彼の姿を認めた彼女は微笑んだ。

 

「お帰りなさい。大丈夫だって聞いてたけれど酷い格好ね」

 

 彼がその部屋をグルリと見渡したのは、色々変わっていたからだった。ベッドはキングサイズだった。小さい人間用のベッドもあった。部屋の雰囲気が、瀟洒から柔らかいモノに変わっていた。

 

「ほら。この子に帰ったって挨拶して」

 

 導かれるまま彼は彼女に近づいた。彼女は、大きくなった腹をさすっていた。ベッドボードに置かれた写真立てには、ウェディングドレスを着た三人と彼が写っていた。

 

(そうだ。結局俺は、道徳を盾に自分の事しか考えて居なかったって気がついたんだった)

 

 その写真にヒビが入った。割れたのは彼自身だった。

 目を覚ました彼はベッドの上だった。それは誰かを選び誰かが泣いた事を悔んだ彼が見た夢だった。

 

「夢の中で夢を見るって、なんだそれは。おまけに結末が突然死って訳が分からない」

 

 

 

 

 彼の夢と彼女の現実

 

 

 

 

《助けて》

 

 彼女の手足がもつれているのは長い時間走り続けているからだが、いつから走っているのか彼女は覚えていなかった。

 

《誰か助けて》

 

 彼女は追い掛け続けられていた。彼女の背中に手を延ばすのは血にまみれた手だった。

 

《どうして》

“お前に喰われてしまったからだ”

 

 足を掴まれた彼女は転倒した。引き摺られた彼女は穴に落ちた。おびただしい手が彼女に群がった。

 払い退けようとした手首は、広がるように引っ張られた。蹴り飛ばそうとした脚は、抱えられるように掴まれた。もがく肩は、押え付けられた。髪を振り乱す頭は、掴まれた。衣類は全て剥ぎ取られた。彼女が見るのは、こじ開けられた股に群がる蟲々だった。そこは、陽の光が届かない冷たくヂメヂメした養祖父の影が蠢くあの場所だった。

 

“その胎盤を寄越せ”

《い、いや……》

 

 彼女の最奥に群がろうとした蟲は死んでいた。悪夢より更に深いところに落ちる彼女を抱いていたのは、死をもたらす二つの眼だった。

 

「桜」

 

 その声に目覚めた桜が見たモノは、彼女を見下ろす不安を隠さない葵の姿だった。

 

「酷くうなされていたけれど大丈夫? それとも凛か真也さんを呼ぶ?」

 

 額に宛てがわれた葵の手に安堵を感じた桜は、午前四時を指す時計と汗に濡れた自分の寝間着に気がついた。桜が困った様な笑みを浮べたのは、深刻の度合が葵の予想より小さかったからである。

 

「大丈夫。少しぶり返しただけだから」

「なら良いけれど。辛い様ならちゃんと言うのよ?」

「はい。着替えますね。汗掻いちゃいましたから」

 

 寝間着が貼り付く桜の体は冷えていたが、兄の魔術回路が混じっている鳩尾だけが燃える様に熱かった。

 

 

 その家の敷地を取り囲む石の塀は歴史を感じさせた。年季の入った数本の樹木が大きな枝を広げていた。手入れされた芝生は青々と生茂り、花壇は精魂込められていた。明るく開放感があったが、結界による独特の重苦しさがあった。小人が迷い込んだならば魔獣の森と呼ぶ、遠坂の庭はそう言った印象を与える場所だった。

 真也が持つ真紅の魔槍は沈黙していた。

 その槍の穂先は下に向いていた。槍を掴むその右手は、ダラリと垂れていたがそれを落とす気配はなかった。脚を肩幅程度に開いたその身体は、瞑想状態で立っていた。サァと柔らかい風が凪ぐと、槍が動いた。彼は大きく一歩踏み込んだ。

 

 持ち手の位置を中程から端へ変えた彼は、銅鑼を叩く様にグルリと大きな孤を宙に槍で描いた。空を唸らすその槍捌きは、真也が何度か見た槍兵のをなぞったものである。ヒュン。ヒュンヒュン。腕の振りのみで三回突かれた穂先は、空に三つの穴を開けた。空を走った真空の刃は、一〇メートル離れた樹木の幹を三回抉った。頭上でクルクル回された槍は、庭の空気を巻き上げ旋風を引き起こした。辺りに小石など諸々の細かいモノが散らばった。その真空の刃は、大きく深い轍を大地に作った。

 

 真半身という構えを取った彼は、庭の片隅にある大きな岩にその穂先を向けた。対峙する相手に肩を向けるその構えは、対峙する相手から見ると最も面積が小さくなる姿勢である。彼は、石突きの握り拳一つ分内側を左手で掴んだ。右手の中を滑らせながら岩を貫いた。大の大人五人分はあろうかというそれに、柄より一回りより大きめの穴が空いていた。

 真也がゼーゼーとふいごの様な荒い息をし始めたのは同時であった。

 

「流石にこの歳で槍に変更は無理か。片付けないと凛に怒られ……」

 

 手にある魔槍をじっと見た。

 

(……ランサー。俺はどうするべきだろうか。分かってる。自分で考えろだろ?)

 

 その声は、庭を貫く玄関から門へと続く石畳に立つ凛のモノだった。ばつの悪い彼は誤魔化すように頭を掻くのみである。

 

「ちょっと。なによコレ」

「考え事をしながら槍を振ったらこうなった」

「ランサー好きも程々にして」

「ごめん」

「手伝ってあげるから直ぐ片付けなさい」

 

 彼は知らず槍を握り絞めた。

 

「あのだな。(考えて分からなければ動くしかない、か)明日時間あるか?」

 

 桜が二階の窓から見ていた。

 

(……にいさん?)

 

 

 桜の離った矢は見当違いのところへ飛んでいった。射場に立つ彼女に話し掛けたのは、同じ弓道衣を着た綾子だった。彼女の物言いは叱咤ではなく疑問である。

 

「残心もへったくれもないね。今日は何時になく酷いけどどうしたのよ」

 

 構えを解いた桜の表情は、あからさまに陰っていた。

 

「兄さんが変なんです」

「おかしいのは前からだろ」

「いえ。そう言う事じゃなくて。兄さんが真面目になって」

「真面目の振りじゃなくて?」

 

「実は……かくかくしかじかまるまる」

「ほんと? それ?」

「はい」

「そうかそうか昔に戻ったか。覚えてるか? 真也が軽薄になったのは」

 

「「良いお兄ちゃんはひょうきんで陽気であるべき」」

 

「兄さんが小五の時です」

「桜の言いたい事はだいたい分かった。真面目な真也が今のままを良しとするかって事だろ」

「そうなったら。美綴先輩はどうしますか?」

 

 豪快にアハハと笑った綾子は、こう言った。

 

「取りあえず数発殴って刺すかどうかはその時次第だ」

「美綴先輩は不安にならないんですか?」

「明日の不安には今更よ。あ、そうそう。もしそうなっても私の分は残して置けよ。流石に死体は刺せないからな」

 

 桜の返答が苦笑いだったのは、陰と陽なみに方向性の違う綾子が、自分と同じだと再認識したからだった。

 

 

 凛が映画館にいるのは真也に誘われた結果だった。映画に興味の無い彼女が受けた理由は、羞恥をひた隠しにしつつも誘った彼を評価した結果であり、一度袖にした結果でもあった。照明が落ちた薄暗闇の中でシートに腰かける彼女が落ち着かないのは、出かける直前にキャスターに呼び止められたからだった。

 

『凛さま。本日は帰宅されますか?』

『あ、当り前でしょ。夜前には帰ってくるわよ。何を考えてるのよ……何よそれ』

『これはマスターの魂を測定した結果から構築した術式結晶〈コードセル〉です。――の可能性がゼロではないのならばこの施術をお受けください。理由は、今はお答えできません』

 

 ソフトドリンクのストローを咥える彼女が本編前の宣伝をなおざりにするのは、キャスターの言った事を意識した結果だった。端正な頬は染まっていた。

 

(キャスターの奴。蒼月家に関して何か知ってるわね)

 

 

 彼女が見るスクリーンには、“Cat in the Box”と映し出されていた。

 

 

 そこは、かつて栄え今衰えたアメリカのとある工業都市だった。市の財政が破綻し警察力が不足した結果、犯罪が増えた。人口の減少が止まらず廃墟が多かった。セントクレア湖を望む一画に非合法の研究施設があるのはそう言った理由だった。その廃墟の中を一人歩く人物が居た。白髪で顔には深いシワがあったが長身の体はしっかりとしていた。靡かせる白衣は学者の証だったが、その下はアロハシャツだった。その人物が開けた扉は、研究施設だった。彼は科学者だった。

 デスクには、若い彼と当時の恋人が写った写真が置かれていた。

 PCの画面を見た彼は、「やった! 成功だ!」飛び跳ねた。その地下研究室に置かれているのは量子理論の実験機だった。彼のコンピューターは、シミュレーションと基礎実験が合致したと伝えていた。それは時間と空間を越える機械であった。研究室の一画にある食い散らかしや印刷物の山から彼が掘り起したのは、電話機だった。留守録の先はパトロンだった。

 

「ロニー! シャンパンとターキーの用意をしておけ! クリスマスはまだ先だがもう意味が無くなるぞ!」

 

 

 デスクに向かった彼が意気揚々とキーを叩いたのでシステムが立ち上がった。ヴォンヴォンと機械が唸っていた。

 

「権威に執着し探究心を忘れた能無しエセ科学者どもめ。私の反撃が今より始まるのだ! ……いや。その様なくだらない理由でこれを作ったのではないのだ」

 

 彼が見た物は過去の出来事である。それはナチスの指導者の最後であり、フランスのバスティーユ牢獄に収監されていた仮面の男の正体であり、サンジェルマン伯爵の一生であり、聖ヨゼフの階段を作った人物だった。彼は知識欲の亡者だった。

 彼が落胆したのは、その機械が未来を映す事が出来なかったからだった。

 

「何故だ。理論上は可能な筈だ。それとも見落しがあるのか。全てを投げ打った結果がコレか」

 

 落胆し椅子にドッサリと身を投げた彼が見た物は、デスクに置かれた一枚の写真だった。それには四〇年前に別れた彼の恋人が立っていた。研究に一生を捧げると決めた彼は、彼女の一生を台無しにできないと別れを告げたのだった。感傷に浸った彼は、四〇年前のその時を設定した。

 

「な、何と言う事だ!」

 

 彼と別れた彼女は、三九年前の今日に死んでしまっていた。

 

「別れを告げる事なく私の人生に付き合わせ彼女の一生を台無しにすれば死ななかったというのか……こんな馬鹿な事があるか!」

 

 ヴォンヴォンと機械が唸っていた。それに気付いた彼は機械に手を加え始めた。現地に赴く事はできない。だが些細な事ならば影響を与える事が可能だ。

 

「彼女に気付かせ死を回避する」

 

 彼はその手をピタリと止めた。

 

「三九年前の出来事を変えたら、今への影響〈バタフライエフェクト〉はどうなる。無関係なヒトが不幸な目に遭うかもしれない。いや。三九年間で死んだ人が助かるかもしれない。待て待て。それは希望的観測に過ぎない」

 

 ボタンに伸ばした指を、戻しまた伸ばし戻した。それを何度も繰り返した。教会に赴いたが止めた。ウォッカの瓶は一口飲んで投げ捨てた。

 一夜が経っていた。目に隈を作った彼はシャワーを浴びて着替えた。機械の前に立つ彼は、それと己自身にこう宣言した。

 

「人生を研究に捧げた私は、ヒトの生き方を捨てたヒトであってヒトでないものだ。ならば今更何をためらう事がある。神に頼る事など論外! 人を変えるのは人の業のみ!」

 

 未来を変える方法は一つのみだった。死に至るルートに入ってしまう前にマイルストーンと呼ばれる時間と場所が限定された条件下で、生存するルートを彼女に認識させる事だった。ヒトの認識が世界を変える、それがシュレディンガーの猫の正体だった。それは、別れた後に男と出会う事だった。

 

「これを避ければ、会いに行く途中で事故に巻き込まれずに済む。傲慢だ。傲慢すぎる。だが生きてさえいるならば、新たな幸せを掴む事が可能だ」

 

 彼は、彼女の母親の目の前で彼女の家族が写った写真を棚から落とした。それを見た信心深い彼女の母親は、彼女に電話した。電話に気付いた彼女は、鞄から携帯電話を取り出す為に、立ち止った。街中で鞄がぶつかるという些細な切っ掛けが無くなった事により、彼女は会う筈だった男と出会わなかった。

 彼女は生き続けたが、彼の研究室は静かなままだった。

 

「未来が変わったのかどうか、時の中に居る私が知覚できないならば……彼女の死を私が覚えているこの事実は……何を意味する」

 

 彼に出来る事は泣き崩れる事のみだった。

 

「認識はヒトの数だけある。世界〈ルート〉は認識によって変わるのではなく複写される。未来が見えなかったのは、分岐する未来を指定していなかったからだ。私は、君が生存する世界を生み出しただけだった。これは、君を救った事になるのだろうか」

 

 その老いた科学者が見る四九年前に死んでしまった恋人の苔むした墓石は、彼に答えなかった。

 

 

 スタッフロールが流れ初めると同時に席を立つ人が現れ始めた。幕が閉じた。真也は言った。

 

「元ネタはシュレディンガーの猫だそうだけれど、ユニークな解釈だな」

「なによ。考え込んじゃって。まさかとは思うけれど第二魔法を扱う私にフィクションを信じろとか言わないでしょうね」

「突飛すぎて話すのも恥ずかしいから言わない。君は絶対笑うから」

「君は止めて」

 

《凛》

「どうした?」

「今呼んだでしょ」

「いや? 同名の人が居たとか」

 

◆◆

 

 部屋に帰った凛を待っていたのは、彼女はベッドの上で枕を抱える桜だった。凛がはぁとため息をついたのは、もの言わない声を聞いたからである。

 

「今までの綾子や桜の様に映画をただ見てきただけで何もないけれど。やっぱり後悔してるわね」

「兄さんをお願いします」

「正直に言いなさい」

「もう兄さんに負担を掛けたくないですから。私は大丈夫です」

 

 桜は逃げる様に部屋を出た。

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