亜人間恋愛物語   作:d1199

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彼の夢と彼女の現実2

 綾子と桜は、冷蔵庫に手を宛てがったリーゼリットをじっと見た。彼女はそれをやすやすと持ち上げたので、二人は驚くのみだった。

 

「……こりゃすごいわ」

「力には自信があったのに」

「危ないからさがって」

 

 それを家の外に持ち出したリーゼリットが「リン。ここでいい?」と聞いたので「ええ。そこにまとめて」と凛は答えた。門の前に置かれた冷蔵庫を見るのは士郎だった。

 

「遠坂。その冷蔵庫捨てるなら貰っていいか」

「馬鹿ね。リサイクルショップに売るに決まってるでしょ」

 

 桜が一〇年住んだ家には段ボールが沢山あった。

 段ボールを持って二階から降りてきた真也が玄関で倒れたので、見下ろす士郎は呟いた。

 

「死んだか?」

「勝手に殺すな……」

 

 凛は言った。

 

「しばらく無理してたから祟ったか。ライダー。リビングに寝かしといて」

「降ろせ」

「暴れない様に」

 

 凛と綾子は涙を流しながら笑っていた。

 

「あはは」

「美人さんにおんぶされる羅刹か。締らないね♪」

 

 軽作業なら問題ないと実母の荷物を段ボールに詰めていた真也は、タンスの奥から一冊のノートを見つけた。一〇年は経っているそれは、汚れ掠れていたが辛うじて読む事ができた。彼はそれを開いた。

 

 

 

 手記

 

 

 

 私は~~一族の一人として生まれた。父と母は存在するが、ヒトの言う親子としての関係は無かった。私は生れ落ちた瞬間から使命を果たす事を求められた。使命とは、勇士の魂を~~へと持ち去る事だ。大勢居る姉妹の中には、使命のみの生き方に疑問を呈する風変りなモノも居たが、私は気にならなかった。使命によって生まれたならば使命に殉ずるのみだ。使命を果たすモノに個は不要だ。なぜなら使命を果たす妨害になるからだ。時々高潔なヒトに手を貸すこともあったが、それは父の命に過ぎなかった。

 変化をしない私たちと異なり、移ろうヒトは何もしなければ腐ってしまう。神秘の脅威にさらされていた頃は問題にならなかったが、知恵を発展させた彼らは適応という力と共に堕落もまた覚えてしまった。世界の変化に対応できなかった神々が地上から去った頃に、ヒトの堕落を案じた何かが研鑽という戦いをヒトに与えた。それが聖杯を求める戦いだった。選ばれたヒトとヒトが戦いを通じて魂を研鑽しあうのである。参加資格が可能性だった故に、武力と言う意味において劣るモノが居た。聖杯は支えるモノをも呼び出した。世界の外で燻ぶっていた私は、新たな使命を得たと呼びかけに応じた。

 カレに出会ったのはそんな時だった。

 

 聖杯を求める七騎との激しい戦いは、使命のみの私にとって問題にならなかったが、相方であるカレが大問題だった。ある時にカレはこう言ったのだ。“君は間違ってる。感じる事が出来るのに自分を大事にしないのはおかしい”自分の中によく分からない淀みを感じ始めたのはこの頃だ。それが憤りだと気づいたのは後になってからだった。

 カレは何も持っていなかった。幼い頃に体験した“自分だけが生き残った”と言う事実を重視するがあまり、皆の為にならないといけないと言う生き方を自分に課していた。自分の命すら軽視できるのはカレに取って使命だったからだが、カレにあるのは使命のみだった。それは私も同じだ。私が揺らいだのは鏡を見せ付けられた気分になっていたからだ。

 類は友を呼ぶというのか、それともカレの属性だったのかは知らないが、私を酷く気に入ったカレは私に世話を焼いた。端的に言えばヒト女扱いされた。もともと聖杯を危険な奴に渡せないというよく分らない理由で参加していたカレだから、新たな使命を得たと言わんばかりの熱心さだった。大きな何かを倒すには、力ごなしではなく、押して引いてを繰り返す事による揺動が効果的だ。元々カレに揺さ振られていた私は、何時の間にかカレに応じてしまっていた。これが無自覚というのだから質が悪い。

 私は、ヒトの幸せをカレに求めていた。この時の私はこの意味に気がつかなかった。

 試練を勝ち抜いた私たちは、共にある事を聖杯に願った。聖杯は、私の持っているヒトに非ざる力をどうするかと聞いた。今後の事を考えた私は所持を続ける事にした。

 

 

 降り立ったのは、カレが住んでいた世界に良く似た僅かに異なる世界だった。場所は世界の最も西にある島国だった。そこは、私の知らない文明の進んだヒトの世だった。カレと異なりヒトの暮しなど全く知らない私は、カレに教わりながらその地に根を下ろそうと腐心した。戸籍などは魔術を使い役所を誤魔化した。私の初めての仕事はスーパーのレジ打ちだった。帰った家には夕食の準備を済ませて笑うカレがいた。細かい作業が苦手だからレジ打ちから倉庫に回されたと不満を言っても、カレは笑うのみなので私は不満だった。私にとって一番穏やか時だった。

 それはある日の事だった。カレの不在を狙ったかの様に、シュバインオーグと名乗る妙な老人がやってきた。その人物は、私たちの経緯を全て知っていると言った。まだ大きくなってもいない私の下腹部に、災いとなるとも言った。激怒した私は追い出した。それは正しかった。

 

 産まれたその子は泣かなかった。産まれた直後の赤子が泣く事は、医学的に第一啼泣と言う。それは外界との刺激を受けた結果だ。その子は外界との刺激を刺激と感じていなかった。余りにも激しい痛みを感じてしまい痛みに慣れてしまったかの様に見えたのは、その子が笑いもしなかったからだ。

 私はその子に触れる事が出来なかった。その子は邪眼を持っていた。見ただけでも吐気を催した。その子の持っている眼は危険すぎた。だから私は術を施した包帯で、生ればかりのその子の眼を封じた。

 とにかく触れられない事は大問題だった。その時代のカウンセリングを受けたが効果が無かった。その子に感じる私の嫌悪は、医学でどうにかなる様なモノでは無かった。その子は私と正反対の属性を持っていた。ルーンの魔術も無力だった。

 私はカレの協力の下で克服しようと試みた。少しずつ近づく事と見詰める時間を、増やしていった。私が、カレの腕の中にいるその子に触れられたのは、その子が三歳になった頃だった。時同じくして、ひた隠しにしていたその子の存在がヒトの社会に発覚した。産まれた直後から眼を封じていたその子は視力に異常を来していた。虐待していると判断された私たちはその子と隔離された。既にその地に根を下ろしていた私たちはそれに抗う事が出来なかった。瞬く間に知れ渡る通信網が発達した時代では、暗示も分が悪かった。特に触れる事すらできない私は、育児適性がないと診断され、メンタル的な治療と言う名の下に監視される事になった。

 どうする。どうしたらいい。思い付かない。出生の事は話せない。話した所で相手にされない。相手にされれば、カルテに別の精神疾患の項目が増えるだけだ。

 保護されたその子の周りで、犬や虫などの小動物が変死するという妙な事件が起こり始めたのはこの頃だった。人道的見地から眼の封印を解かれたその子が見るのは、死の線か点のみだ。死を理解していないその子は身近な生き物を興味本位で殺していた。猶予が無いと判断した私たちは、新天地を求めて逃げ出す事を企てた。

 

 カレが死んだ。

 

 保護施設に向かう途中で気が反れていた私は、ほんの一瞬だけカレから目を離してしまった。カレは、道路に飛び出した見知らぬ子供を助けようとして身を投げだした。呆気なかった。もう施設を逃げ出してしまっている。あの子は凶行を行う一歩前だ。別の場所に移動されれば捜し出すまでの間に他の子が危険に曝される。なにより、この地の魔術師に知られれば自体が更に悪化する。泣く余裕すら無い私は、カレの躯を見捨ててその子と共に逃げた。手配されたその国には居られなくなった。私は世界を彷徨った。気配を隠せる強い歪みの地。尚且つ日本人が目立たない地。僅かな期待を求めて赴いた北欧を諦めた私は、日本に向かった。その為に~~という名前を捨て蒼月千歳と名乗る事にした。その子は一郎から真也という名前に改めた。

 その子は心が欠けていた。神秘から身を守る為に集団行動をする様になった経緯から元来ヒトは助け合う精神を持つが、この子にはそれが無かった。一度与えた名前を取り上げた事も悪化した要因だった。だが触れられない。抱く事ができない。頼る人が居ない。相談が出来ない。私が与えられるのは理論的な指導のみだった。五歳になった真也が自発的な行動をしなくなったのは、条件付けの結果だった。私には打つ手が無かった。ふらっと再び現れたシュバインオーグが、辛いならば還るかねと聞いた。それだけはできないとできないと断った。それは死の間際に交わしたカレとの約束だったからだ。封印具と眼鏡を真也に施した彼は何処かへ立ち去った。

 

 今日六歳の真也が自殺を図った。小さい頃に眼を封じた影響で世界がまともに見えていない真也は、“アンタはボクのせいで泣いている。親不孝はダメだからこうしただけ”と虚ろな目で淡々と語った。建前で抱き締める事はできるが、嫌悪感は隠しきれない。無理に抱き締めれば悟られる。それは逆効果だ。その真也に私ができる事は、生存するモノは生存し続けなくてはならないと諭す事のみだった。

 私は~~を見殺しにしてしまった。徐々におかしくなっていく真也を止められない。いつか、この子に手を掛ける日がやって来る。どうしてこうなった。分かっている。ヒトに非ざるモノがヒトと子を結んだ結果だ。あの時、聖杯に従うまま力を捨てれば良かった。違う、それではあの地で生活が築けなかった。ならばこれは当然の帰結か。なら、~~の求愛に応じた事が間違いだったのか。助けて。誰か助けて。どうしてお前は私たちを残して逝った。私と共にありたいと言ったのは嘘だったのか。分かってる。お前は人並の人間になりたがっていた。それは私も知っていたから、だからそれは仕方がない。ごめんなさい。ごめんなさい。お前は悪くない。悪いのは私だ。これはヒト非ざるものがヒト並の幸せを願った罰だ。子を持つ事がこんなに辛いなら、母になどならなければ良かった。ヒトになろうなどと思わなければ良かった。

 私はヒトになれなかった。

 

 

   ・

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   ・

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   ・

 

 

 今日。桜を見つけた。

 

 

 

 

 落ちた雫でふやけたノートを真也は閉じた。真也が掴んだのは梱包している士郎の肩だった。

 

「士郎。キリッ。ガラクタを半分引き取ってくれ」

「分かった。キリッはやめろ」

 

 真也の部屋のクローゼットをガサゴソと漁る士郎はこう言った。

 

「雷河じーさんからきいた。役所の手続はもう直だろ。お前どうするつもりだ」

「士郎の言った事は覚えてる。だから好きにしろ」

「もう俺にその権利はないから聞いただけだ」

 

 士郎が抱えたガラクタの詰まった大きいタンボールに、真也はノートを放り込んだ。

 

「これは?」

「誰に宛てたものか分からないから、おふくろに気に入られた士郎にやる」

 

◆◆

 

 そこは新都のホテルだった。

 八人は座れそうな背の低いテーブルに用意されている箸は四人分だった。その座敷は、一〇人楽に収まる広さだった。当初適当にあしらう予定だった凛がある種の緊張を持っていたのは、相手が冬木の会場を指定したからだった。それは、凛にとって慣れたホームという意味であり相手にとってアウェイと言う事だった。

 

(それだけ場馴れしてるか自信があるって事か)

 

 凛は隣に腰かける相応に着飾った葵を見た後に、相対する禅城側の人間を見た。普段着で行ってやろうかと思った凛だったが、実母の実家が関わっているなら無茶もできまいと穂群原の制服を選んだ。彼女の正面に腰かける御見合相手は、ライトグレーのスーツを着慣れていた。

 

(二〇歳って聞いていたけれど……何と言うかちぐはぐな雰囲気ね)

 

 二人がルーチン通りに二人きりになったのは、かルーチン的なやり取りを四人で幾つか交わした後だった。

 

「最初にお断りしておきますが、」

「ここは変わった町ですね。一見普通の町に見えますが戦場の様に荒れている」

 

 すまし顔の彼女だったが、先手を取られたと内心では地団駄を踏んでいた。

 

「ここは日本でも有数の霊地ですから。(禅城のくせして)ご存じありませんでしたか?」

「私は、血筋という意味で禅城ではありませんから」

「……は?」

 

 黒縁眼鏡の中にある彼の黒い眼は手元にあるコップの水を沸騰させた。凛は目を剥いた。

 

「(見て沸騰させた? 隷属の魔眼って事はないだろうから無機物魅了?)その眼鏡は魔眼殺しですか?」

「答は、いいえ。詳細はまだ話せません。ただお伝えできる事はあります。私は突然発生なんですよ。仕事で知り合った禅城の方と懇意になり身を置いている身です」

「なら。どうしてこうなってるんですか?」

「突発発生した魔術師の貴重性はご存じの事と思います。その私がいまだフラフラしている事を嘆いた御前様の計らいと言う事です」

 

「その様な重要な事を私どもは聞かされていませんが」

「しばらく黙っていろと言われたのですが、そう言う訳にも行かないと判断した結果です」

「どうして、そう思われたのですか?」

「貴女がそう言うタイプだと思ったからですよ」

 

 凛は持っていた湯呑みを口にした。

 

「ご存じありませんか? その様な分析的な物言いは失礼な行為だと思いますけれど」

「言葉は難しいですね。思っている事を上手く伝えるのが難しい」

「違う言い方があるなら聞きますが」

「貴女は私の好みなんです。だからそう思った」

 

 凛は自分のターンで黙ってしまった。お茶を飲み込んだ彼女はこう言った。

 

「あら。もう少し回りくどい方だと思っていましたが」

「実際のところ私も御前様の顔を立てるだけのつもりだった」

「だからといって貴方がと言う理由にはなりませんが」

「確かにそうです」

「どうして笑うんですか? 失礼な事を言った思いますけれど」

 

「貴女がそう言うタイプだからですよ。どうでしょう。御見合い抜きにして何度か話し相手になってくれませんか。電話でも構いませんが、もし直にあって頂けるなら貴女に退屈な思いはさせない」

「しません」

「そう思われるのも当然です。だが貴女は、少なくとも一人の男を知る事ができる。それは貴女の将来にとって重要な判断材料になります。もちろん遠坂さんを不安にさせる様な ――失敬。都合の悪い場所と時間を避けてもいいし、ご友人と一緒でもいい。もちろん諸々〈金銭〉の心配は無用です」

「貴方にメリットが無いように思えますが?」

 

 彼が差出したのは、電話番号を書いた箸の紙袋だった。

 

「繰り返しますが貴女がそう言うタイプだからですよ。こうして話しているだけでも浮れます。パラグライダーの経験はありますか?」

「ないけど……」

「隣町に体験できる場所があります。何時でも電話してください。三コール以内に出ます。必ず」

 

 彼女は、差出された箸の袋を無視して、眼鏡越しで笑う抉れた眼をじっと見ていた。

 

 

 遠坂家のリビングにあるローテーブルに置かれているのは、三つの紅茶と大皿に乗った茶菓子である。綾子のその発言は、凛が紅茶を含んだ後の事だった。

 

「御見合をしたって。遠坂。本気?」

「形式上だから心配は御無用よ。ご交際という話にはなっていないんだから」

「そうか。こんな事で決着着いたら面白くないからな。それはよかった。そう言う事ならちょっと聞かせろって。どんな人だったのよ御見合の相手は。写真とかあるんだろ?」

「プライベートの事ですから、お話ししませんわ」

 

 スティック型チョコ菓子を食べる桜が「二〇歳だそうですよ。やっぱり年上ですよね」と言った後に、綾子が「桜は分かりやすいわね」と屈託無く笑ったのは桜の真意に気付いていたからだった。なので凛が「私が駄目だって分かったら桜に話が行くかもね」と言ったのは当然だった。

 コンコン。扉がノックされる音が立ったのは、桜が戦いている時だった。入ってきた真也が見たのは、ローテーブルを挟んでお茶会に興じる縁のある三人だった。彼は綾子にこう言った。

 

「来てたのか」

「よ。お邪魔してるよ。随分シケた顔してるじゃない」

「考え事で寝られなかった」

「悩んで真也が寝れないなんて長生きするもんだ」

「笑い事でもないんだ。凛。桜。キャスターの準備が出来たから地下工房へ行ってくれ」

 

 綾子が「何をするのよ」と言ったので、真也は「もうじき桜の中の孔を閉じるから凛のペンダントに魔力を再充填しておこうって話だ」答えた。なので凛が「言っちゃうかしらね。この真也君は」と言った。

 

「それ位いいだろ。綾子。ごゆっくり」

 

 パタンと扉が閉まった音に「兄さんは寝不足と言うより落ち込んでます」訝しがるのは桜であった。凛も「……」妙だなと思っていたので、綾子が「あのだな遠坂。真也って御見合いの話を知ってる?」と聞いたのは当然だった。まさかと凛は青ざめた。

 

「桜?」

「言ってません」

『ライダー?』

『言っていませんが』

『キャスター?』

『越権行為ですので』

『か、か、母さんは?』

『凛さまが言うべき事だからとおっしゃっていました』

 

 うわとは綾子の呆れ声である。

 

「真也! まちなさい!」

 

 

 その夜は、キャスターにとって最も都合の良い時間だった。呪を唱え印契を切る彼女が庭に築いたのは、神殿だった。月に微かな雲がかかる夜の下で、その家の全員が見るのはその神殿から出てきたライダーだった。駆け寄った桜が握ったのは彼女の両手である。

 

「どう? 変な所は無い?」

「問題ありません。これで霊体になれなくなり睡眠も必要になりましたが」

「それは、きっと良い事だからこれからもお願いね」

「はい。サクラ」

 

 はしゃぐ妹を見た真也はこう言った。

 

「キャスターの番だ。準備はいいか?」

「ええ。異存はありませんわ」

 

 二人の受肉が終わった。真也が「これで残りは桜の回復だけか」と呟いたので、凛は「あ」と声を出した。彼女が「三人のベッドの手配が一週間遅れてるのを忘れてた」と言ったならば、全員から呆れられたのは当然である。

 

「忙しかったんだからこんな事だってあるわよ!」

「全員で六名ですが部屋は三つ。マスター。如何なさいますか?」

 

 キャスターに言われた彼にできる事は、頭を痛める事のみだった。桜は凛の部屋になった。キャスターは葵の部屋になった。ライダーは真也が使っていた部屋を使う事になった。一週間限定でライダーの部屋となったその部屋の扉を彼がノックしたのは、彼の寝床がリビングになったからだった。扉の隙間から現れたのは、白のタンクトップに白のショートパンツという姿のライダーだ。サラリと流したアメジストの髪の間に、四角い瞳が光っていた。

 

「忍び込む部屋は隣の筈です」

「ライダーであってる」

「受肉直後の私の所に来たという所は、私に子を産ませたいという事ですか」

「ライダーは俺に関する何かを知ってる。それを聞きたい」

 

 彼女が部屋に彼を招き入れたのは、慎重を要する話だったからだ。

 ベッドの端に腰かけた彼女は背筋を伸ばしていた。扉にもたれ掛かった彼は腕を組んだ。彼が見る彼女は、ベッドライトの淡い光を背に浴びて全身に影を落としていた。眼だけを光らせて彼女は言った。

 

「私を一人部屋にした理由が分りました」

「キャスターは俺に従わざるを得ないからライダーに聞く事にした。お袋は何者か。父親は誰か。ライダーはそれを知ってる筈だ」

「シンヤにその資格が無いので今言う事はできません」

「その資格って何だ」

「影響を強く受けすぎます」

「俺の出生はそれだけ異常という事なんだな」

「キャスターもそうですが、シンヤが過剰評価をする事を懸念しています」

 

 睨み合いを解いた真也は彼女に背を向けた。

 

「夜遅くに悪かった」

「明日。サクラの回復を行います。ソファーでの睡眠が不都合ならば部屋を代わります」

「一度やってるから大丈夫だ。ライダーこそ、久し振りの睡眠を堪能してくれ」

 

 

 地下工房に降りた凛が驚いたのは、上半身裸の真也が居たからだった。初めて見る三〇代前後の滅法美しい女が、彼の肩に近い首筋に触れていたので二度驚いた。ゼニスブルーの髪が揺らいだのは、凛が何かを言い掛ける直前だった。

 

「凛さま。おはようございます」

 

 ぽかんとは凛の口である。誰だこの女。だがこの声に聞き覚えがある。そもそも青紫のローブを着る人物はこの世に一人のみだ。そうでないならこの世はおかしい。

 

「……キャスター?」

「如何されましたか。随分と驚かれているようですが」

「凛はキャスターの素顔を見て驚いてる」

「ふ、ふぅん。ライダーも驚いたけどキャスターも中々のモノじゃない」

 

「お褒めにあずかり恐縮です」

「嫌味にしかならないから止めた方が良い」

「それで上半身裸の真也くんは綺麗どころのキャスターに何してもらってるわけ?」

「ギアスを組込んで貰ってる」

 

 キャスターが持っていたのは、鴉の羽根ペンだった。脇にある白い皿に入っているのは血だった。彼の首筋にあるのは赤い術式だった。凛は言った。

 

「力の源は?」

「我が師。ヘカテーです」

 

 あははとは凛の笑い声である。

 

「男の魔術師のくせしてヘカテーって」

「ヘカテーが魔女の神になったのは聖堂教に堕とされた中世以降の話。それ以前は普通の冥界神だったから問題は無い」

「ならそれは黒い仔羊の血?」

「いえ。高い対魔力を持つマスターには不足しますので私のモノを使っています」

 

「あらいやだ。真也君ったらキャスターの血を刻まれてるのね」

「他に方法は無いから堪えてくれ」

「血は魔術媒体なんだから魔術師である私は別に気にしてないわよ。そんな事」

「それって絆って事ですか?」

 

 何時の間にか来ていた桜に驚きつつも、凛はこう言った。

 

「マスターとサーヴァントが結ぶパスのようなモノよ。桜の回復で取りあえずは片が付くから桜も準備を始めなさい」

 

 

 夜が更けた。電球照明のような魔力の灯りが落とされ、その代わりに松明のような灯が灯った。赤に近い黄色の揺らぐ光を浴びる桜は、キャスターから聞く説明にただ頷いた。カーディガンを憂鬱そうに脱いだ桜は、襟が大きく開いた白い長袖シャツを露にした。真也の視線に気がついた桜は気怠そうに言った。

 

「下着は着けてないんです。どうせ脱ぎますから」

「外に居るから準備が終わったら呼んでくれ」

「変な兄さん。兄妹なのに」

「もうダメだろ」

「そうですね。もうダメですよね」

 

 二人が話す目的語は違うと凛は思った。

 凛の実妹である桜は、地下工房に設置された魔法陣の上に、身を横たえた。軽く曲げた膝を軽く内に重ねていた。腰にある両手の細い指は、冷たく硬い岩を掻いていた。その唇は、乱れた青紫の髪を含んでいた。その瞳は宙を見ていた。桜が全ての肌を晒しているのは《どうせ見られるしもう見られているから》用意したシーツを払い退けたからだった。少し離れた所に立つ凛が感じるのは、苛立ちと戸惑いである。戻ってきた彼が微かに戸惑ったのは、初めて会った時の幼い桜を思い出したからだが、あの時と異なりその肢体が成熟仕掛っているならば、凌辱を受け入れてしまっているように見えた。

 真也がキャスターから受け取ったのは、刃先から柄まで一つの金属で作られている二〇センチ程の黒のペーパーナイフだった。刃物特有の銀光沢が無い黒光りするタイプを選んだのは、怖さを感じさせないように配慮した結果だった。

 

「これを使って桜の中の魔術的なモノを除いていく。痛みはないしもちろん血も出ない。だけれど本当に寝なくて良いのか? 刃物を体に突き立てるように見えるから、相応に怖く見える筈だ」

「忘れちゃったんですか? 私の体はもう兄さんに突き立てられてるんですよ?」

 

 彼が驚いたのは、目の前で身を横たえる義理の妹が、大聖杯の洞窟で見た黒い桜と重なったからだった。

 

「あの時みたいに好きにしてください。私の体は結構丈夫なんです」

 

 今は回復に専念するべき時だと、彼は雑念を放り投げた。イリヤの時と同じようにキャスターの支援を受けた彼は、そのナイフを桜の腹に突き立てた。桜の体が「……っ」ピクリと振れた。小聖杯としての桜が死んだ。

 桜が身を横たえていた。その脇で真也は跪いていた。その後ろでキャスターは指を真也の側頭部に添えていた。魔法陣が鋭く光っていた。桜が「は」小さく息を吐いたのは、その肌がじわっとした汗を掻いていたからだった。それらが、凛の見る光景である。彼は言った。

 

「苦しい所はあるか?」

「変な兄さん。苦しいなんて今更なのに。でも良いんですよ。私は兄さんの妹ですから。どんな事でも我慢します」

「……これから水属性の要素を除去する」

 

 彼はナイフを桜の喉に突き立てた。桜の髪と瞳の色が黒くなった。のたうつように持ち上った桜の右手は真也の顎に触れた。頬を撫でた。

 

「名前は忘れちゃいましたけれど兄さんの殺す眼ってキレイですね。見てるだけで吸い込まれちゃいそうです」

 

 僅かに開いた唇は濡れていた。彼を見る潤んだ瞳は焦点が合っていなかった。桜が放つ匂いと熱が立ち籠めていた。ゴクリとは、暗い静かな部屋に響いた唾を呑む音である。桜のか細い指は彼の耳を撫でていた。

 

「我慢しなくて良いんですよ? 私は気にしませんから」

 

 桜は小さく重ねていた脚を組み直した。部屋の何処かで跳ねた水の音は、その部屋に響いた。凛の声は固かった。

 

「桜。少し静かにしなさい。施術の妨げになるから」

「ダメですよ。お姉ちゃん。兄妹の事なんですから」

 

 被術者の体内律動が高まっている事を、キャスターは主に伝えた。彼は二度目はできないと続行する事にした。こう言った。

 

「パスも殺すぞ」

 

 空気が変わった。

 

「パす?」

 

 桜が目を剥いたのは、真也の持つナイフの刃先が自信の鳩尾にあったからだが、“これで最後だ”と彼が言いきれなかったのは、桜が、飛び退いたからだった。両手足を体に絡めるその姿は、男に怯える汚れを知らない娘そのモノだった。

 

「いやです! どうして殺すなんて言うんですか!」

「落ち着け。それを取り除かないと桜は完全に戻らない」

「戻るってなんですか!? 私たちの一〇年は戻さないといけない事なんですか! これは血が繋がってない私たちの最後の絆なのに! 兄さんは私じゃなくて姉さんを選んだのに! 兄さんは私から妹である事も取り上げるんですか! いやです! ぜったい! いやぁぁぁあぁ!!!」

 

 

 薄暗い地下室に響くのは桜の嗚咽だった。跪いたままの真也が撫でるのは、腕の中に居る妹の黒い髪だった。

 

「大丈夫だここに居る」

 

 彼は何度もそれを繰り返した。目を伏せた凛は、二人に背を向けた。

 

◆◆

 

 自室の扉をノックする音があったので、凛は開けた。薄暗い廊下に立つ彼は、部屋の明るさを浴びていた。彼は無理やり笑っていた。

 

「夜遅くにごめん。書類を雷牙じいさんのところに出してきた。実際の手続はこれからだけれど提出日で有効になるから明日だな。それで少し話がしたい」

「手短にね。もうすぐ日が変わるから」

「ならリビングへ」

「ここで話しましょ」

 

 彼がただ立っていたのは、その部屋に驚いたからだった。

 

「失礼ね。ジロジロ見ないでくれる?」

「こんな豪勢な部屋だとは思わなかった」

「とにかく掛けなさい」

 

 彼は、机から持ってきた椅子の背もたれを抱き抱えるように腰かけた。パジャマ姿の彼女は、ベッドの縁に静かに腰かけた。凛は言った。

 

「桜の調子は?」

「キャスターの話だとぶり返したそうだ」

「誰が見たってそう思うわよ」

「しばらく桜と同じ部屋にする。取りあえず一週間」

 

 凛は笑って言った。

 

「そのまま一緒になったら?」

「話ってのはその事だ」

 

 抑揚の無い彼の言葉に、彼女は目を伏せた。

 

「旅から帰ればって思ってた。いや。言おうと思えば何時でも言う事が出来た。あの時までは。でも今は、旅以前に言おうと思う事すら出来なくなってしまった。俺は誰かを捨てられない。選ぶ事ができない。俺は、凛のきょうだいになるよ」

「……そう」

「ごめん。気を持たせるようなことをした。凛が嫁ぐまでは、三人を見届けるまでは、俺は誰かを作らない。これが俺に残った最後であり最低限の義理だ。御見合の人が良い人だといいな。それじゃお休み」

 

 立ち上がった彼の手を掴んだのは、凛だった。

 

「待ちなさい。きょうだいになるなら桜と真也みたいに、きょうだいの絆を作らないとね」

「今の自分は間違っているかもしれない、そうは思わないか」

「中途半端は嫌いなのよ。それとも。これからも曖昧なまま私を縛ろうって腹積り?」

「俺は理由無くそういう事はしない主義だから」

「そうよね。それはそう。ごめん」

 

 手を放し背を向けた凛を彼は抱き締めた。

 

「話は最後まで聞く。だから対価を用意する。凛の剣になるってのはどうだ」

「なにそれ、セイバーじゃないんだから」

「信用ないか」

「当然でしょ。嘘ばかりなんだから。この右手の義手なんていい証拠よ」

「ならもう少し俗物的にいこう」

 

 向き直した彼女に、彼は左胸を指し示した。

 

「この心臓は凛が再構築した。これでどう?」

「決まりね。勝手に取られる事も捨てる事も駄目」

「映画であったな。こんなネタ。怪物になってしまった男が心臓を恋人に渡すって奴」

 

 互いの背に初めて腕を回した二人が感じたのは、痛みであった。

 ドサリという倒れ込んだ音があった。スプリングの軋む音があった。脚の間にある彼の腹に手を置いた彼女は、彼を見下ろしていた。その頬には雫が伝っていた。カーテンの隙間からは差し込む月の光が少し傾いた。天蓋を背景にする彼が苦悶の表情を浮かべていたので、彼女は彼の背に手を回した。

 

「好きって言いなさいよ」

「言えない」

「好きって言って」

「ごめん」

 

 時計の針が動いた。

 

 

 スウェットに袖を通した彼は笑っていた。気怠い体で見上げる彼女も笑っていた。

 

「おやすみ姉さん」

「お休み。真也」

 

 彼を見送った彼女が出来る事は、ベッドの中で丸まる事のみだった。

 

「どうしてよ。肌を合わせてるのに。嬉しいはずなのに。こんなにも辛いなんて……最低」

「どうして、こうなるんだろ。あの時凛がすぐ許諾してくれてたら、あの時の俺なら……それは虫が良すぎるか」

 

 いつもの場所で彼が見る月は、いつものように何も語らなかった。

 

◆◆

 

 教師の促しで一歩前に出た転入生はこう言った。

 

「アルトリア=フォン=アインツベルンと申します。縁あって皆様と同じ学舎に通う事になりました。本日より一年間、よろしくお願いいたします」

 

 ディズニー張りの大げさな身振りで求婚したのは安藤〈Aくん〉だった。あっさりと玉砕した。

 

「そ、それ、は、ど、どこの、ど、どなたでしょうか」

「皆様のご学友であるシロウ……衛宮士郎、その人です」

 

 教室の片隅で彼が物憂げに空を見上げるのは、クラス中の男子生徒から睨まれていたからだった。

 凛のでもなく士郎のでもない三年の教室に在るとある席は、空白のままだった。

 穂群原のグラウンドを必死に走るのは士郎であり、それを追うのは嫉妬に狂った男子生徒達だった。それを見下ろすのはパックのコーヒー牛乳から飛び出すストローを咥える綾子と凛である。

 

「そう。留学するの止めたのか。二人のため?」

「それも理由の一つなのだけど。ウチに居るキャスターの知識を放っておく理由はないわよね」

 

 グラウンドのそれは、騒ぎではあるが凛には終わった証の様に見えた。

 チゥとコーヒーを吸ったのは綾子だった。

 

「桜の様子はどうなのよ。普通に見えるけれど」

「そう見えるだけ。夜泣きが激しいのよ。昨夜なんて徹夜して真也と宥めてたわ」

「無理もないか。幾ら操られていたって、そう簡単に割り切れる事じゃない」

「それもあるけれど不安がってるのよ。

「恨みって事?」

「ほら。真也って自己を持ったじゃない? おいていかれるって怖がってる」

「ランサーさんの事?」

「そう。真也は否定しているけれど。落ち着くまでまだ掛かるわね」

 

 グニュリとは、綾子の持っていたコーヒー牛乳のパックが握り潰された音である。凛はもったい無いと髪をかき上げた。綾子は言った。

 

「で。そろそろ話してくれない? アンタら結局どうなったの?」

「新年度より遠坂真也となりました」

「……結婚?」

「安心しなさい。養子よ。私の弟、桜の兄、桜共々ウチの籍に入ったのよ」

 

 綾子が開けた口は塞がらなかった。腕を組んでいた凛はため息をついた。

 

「あれだけ大騒ぎしてそれ?」

「ライダーもキャスターも母さんも千歳さんもそれを見越して準備してたのよ。まったく。本当に勝手なんだから」

「文句の割には満更でもなさそうだ」

「いいのよ。これが一番良い関係。桜にとっても私にとってもね」

「あの妹にしてこの姉ありか。うひゃひゃひゃ♪」

 

 腹を抱えた綾子が目尻に涙を浮かべて大笑いしたので凛は容赦しまいと決意した。綾子が「なら私が貰っても良いのね」と言ったので「どうぞ。止めはしませんわ」と笑って答えた。凛の余裕に訝しがるのは綾子である。

 

「なにそれ」

「真也は、私たちの為に私たちが嫁ぐまで、特定の相手は作らないと宣言していますので。あの馬鹿〈シスコン〉相手にできるモノならやってみたら?」

 

 綾子が青ざめているのは、ここに至る経緯を思い出したからだった。桜がやってきたので凛は足元の鞄を掴みあげた。

 

「御免なさい。遅くなりました。夕飯のお買い物して帰りましょう」

「美綴さんにはお世話になりましたし、門前払いはしませんけれど敷居を跨ぐ時は覚悟して下さいね。私たち姉妹がお相手しますから。それではごきげんよう」

「振り出しに戻った? と言うか一匹増えた? あ、あのシスコン野郎……おぼえてろーーーっ!!」

(これでいい。これ以外方法は無いんだから)

 

 

 

 

 真也が発ったのは、その十二ヶ月後の事だった。

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