亜人間恋愛物語 作:d1199
「う、うそ」
愕然と凛が立ち尽すのは、蒼月家のリビングに置かれたソファーを見たからだった。それは、腰かければローテーブルに置いた紅茶を飲む事ができた。ゆったりとTVを見る事も出来た。上質なソファーのクッションは青みがかった灰色だったが、骨組であるウォールナット〈木材〉は赤みがかった桃色だった。当時の凛が自室に持ち込もうと画策していたモノであり、桜に持って行かれたものでもあった。そのソファーに身を横たえる千歳は、鳩尾から下腹部までを内側からこじ開けられていた。その血でソファーを濡らした彼女は、滴らせた血でフローリングに血だまりを作っていた。彼女は死んでいた。ぐずりとは、たじろいだ凛が千歳の腑物を踏み付けた音だった。
トイレに駆け込んだ彼女は、胃の中のモノを全て吐き出した。口をゆすいだ洗面台で水を飲んだ。凛が見る鏡には、体裁など微塵もない死人を見た様な顔が写っていた。その頬には水道水と涙が混じっていた。穂群原のブラウスで口を拭った彼女は考えた。落ち着け。これは問題だ。だが自分は問題を把握して切れていない。まとめろ。落ちついて纏めろ。死んでしまっている彼女は蒼月千歳だ。あれは自殺か。違う。聖杯戦争後に冬木市を発った彼女は、旅の途中の真也と会う事によって和解している。ここで死ぬのはありえない。なら他殺だ。桜の養母であり真也の実母である真也より強い彼女を、ナニかが殺した。
千歳の瞼を閉じた凛は、その家の電話機でキャスターを呼び出した。電話に出たのは葵だった。
「外出?(葛木先生に会いに行ったのか。タイミング悪いわ)」
『一〇分で戻るって言ってたけれど。凛? どうしたの?』
千歳が死んだと凛には言えなかった。なのでライダーへの取り次ぎを頼んだ。千歳の正体を既に知っているライダーならば、その態度が硬化するのは当然だった。
『迎えに行くので、その場から動かないように』
「犯人は現場に戻って来るものらしいから直ぐ出るわ。道の途中で落合いましょ」
閉じられたカーテンの隙間から見える空は、直に陽が落ちる紅だった。彼女の直感は、これが終りではなくまだ続くと告げていた。
「何が起こってるのよ。訳が分からないわ」
◆
凛の足元にある黒いアスファルトには、白い線の道路標識が敷かれていた。コンクリートブロックで作られた塀が立ち並んでいた。駐車禁止を意味する交通標識が散立していた。生活道路で左腕〈ガンド〉を構える彼女が見るモノは、ブロードソードを携えるフードの少年だった。
「今にして思えば怪しすぎだわ。アンタがやった訳?」
「違います」
「話が通じるって事は、知ってるって事だ」
「違います。僕は、そうなるという事を知っていただけで、ここに居るのは貴女を警護する為です」
「知っていたなら、止めたり警告したりできた筈よね」
「僕は制限されています」
「敵味方って色々あるけどさ。どう言い繕うとも立場を悪くする存在を味方とは言えないわ」
「悪くなんてしていません」
「賢そうに見えたけれど意外と抜けてるのね。身内を殺した相手を言わないってだけで疑うには十分よ。経験上、犯人と断定はしないけど。共謀者だとは判断するわ」
「……」
「ふぅん。否定はしないんだ」
「凜さん。僕は、貴女に償いきれない過ちを犯しました。僕を殺したいならそれでも構いません。ですが、それではあの人に顔向けができません。少しの間だけで良いです。僕に守らせてください」
「何を言ってるのよ。初対面なのに」
「……」
「貴方、誰?」
ジャラジャラ。鎖ののたうつ音が、紅に染まる生活道路に響いた。少年の背後を狙った鉄杭は、少年の剣に弾かれた。魔力の反発光が迸った。ライダーの攻撃を防いだ少年に、凛は目を丸くするのみである。
「(何者よ。この子)ライダー! その子を殺さないで! 聞かなきゃいけない事があるんだから!」
「善処します」
「善処じゃなくて殺すなって言ってんのよ!」
「そこまでリンに従う理由はありません」
(この頃の私は、真也が言う所の信頼度が低いんだった)
ギン、ギィン。距離を維持するライダーが繰り出した鉄杭は、全て弾かれた。少年は、大きく踏み出した足で強大な剣圧を奮っていた。魔力を帯びた剣風は、周囲の住宅を軋ませた。ストン。凛の脇に下りたライダーが見るのは少年である。
「剣の扱いが似ています」
「誰のによ」
目隠しを取ったライダーが少年を見ようとしたので、バックステップで距離を取った少年は電柱の影に隠れた。凛が驚いたのは、電柱の影から飛び出た剣には少年の目が写っていたからだった。
(この子は、ライダーの正体を知ってる?)
回り込もうとするライダーに気付いた少年は、住宅街に連なる家の壁を蹴りながら「ごめんなさい」凛の後ろに降り立った。凛を視界に納める事を危惧したライダーは、魔眼を封じた後に通常攻撃に戻した。それは、攻撃をし終わったライダーに少年が仕掛ける瞬間だった。キン。道路に転がったのは、少年に断ち斬られたルビーの破片である。凛をチラと見た少年が憂慮と悔しさと驚きを浮べたのは、絶妙なタイミングと方法で追撃を邪魔されたからだった。
「(鉱石魔術の存在を知ってるのか)あのねボク。おイタもその辺にしておかないと、いくら温厚なお姉さんたちでも怒っちゃうわよ?」
「リンの発言に疑問がありますが、タイミングの適正さに驚きました」
「驚くような事じゃないわ(ライダーとの共闘は何度もやってたから当然よ)」
少年の脚の位置と弾かれた鉄杭のタイミングから大凡の間合いを悟ったライダーは、その一歩外で踏み込んだ。それは、彼女の最大速力だった。ガキン。少年の手にするブロードソードとライダーの手にする鉄杭が、せめぎ合っていた。魔力の反発光を放っていた。孔を持つ桜をマスターにするライダーは、筋力A・敏捷A+だった。その少年は、そのライダーと力競べをしているのであった。
(やっぱり普通じゃない。これじゃまるで真也……)
その少年が弾かれたのは、ライダーと拮抗している状態でガンドを撃たれたからである。フードがまくれ上がった。凛は、少年の顔を知っていた。流石のライダーも驚愕のあまりその手を止めた。その少年は、セイバーと瓜二つだった。
「セイバーが自分と同じ顔に気をつけろって言ってたんだけど。貴方。衛宮君を殺した?」
「僕は――。あの衛宮士郎は ――だったとしても ――僕だって――」
泣きそうな程に顔を歪めたその少年は跳躍した。その姿が一軒家の向こうへ一飛びで消えたので、凛はこう言った。
「ライダー。悪いけど運んでくれる? 追い掛けないと」
「直に日が沈みます」
「ライダーだってセイバーそっくりの男の子が気になってるんでしょ? 捕まえて吐かせましょ」
「この状況でまだ疑いきっていないとは驚きました。シンヤの一件が相当堪えたようです」
「キャスターなら何とかなりそうだし。あれからだいぶ経ってるから」
「まだ二日目です。その発言の真意を求めます」
「キャスターと合流したら話すわよ」
ライダーと凛が柳洞寺の門に続く山道に立っていたのは少年を追っていたからだったが、門に入らずに愕然とした表情で立ち尽しているのは足元にキャスターの遺体が転がっていたからだった。夜の山道に煌めくのは長刀だった。
「あ、アサシン?」
驚きを隠さないライダーと凛を見下ろすそのサーヴァントは、ゆるりとした佇まいだった。
「一目だけと願ったのは可愛いものだがそれが身の不運だったな。生者を喰らい満たされている今なら見逃す。この地に再び足を踏み入れるならば、覚悟をすることだ」
「リン」
「(振り返るな。振り返っただけでも何が起こるか分からない)退くわよライダー」
背を向けた凛は、死んだ気配だけを残すキャスターを(……キャスター。ごめん)後にした。
夜の冬木の空に、人間でも獣でもない超越した何かの咆哮が響いていた。
◆
「――――!!!」
それは黒い津波だった。或いは黒い火砕流だった。煙と水と異なるものだが、飲まれれば死んでしまうという事は共通していた。
「――――!!!」
大地を揺るがす咆哮を上げながら凛に迫るのは、その斧剣を喰らわそうとする狂戦士〈バーサーカー〉だった。静かに佇む彼女が取り出すのは、生涯を掛けて練上げた十の宝石の内の三つである。
「五番! 六番! 七番! 斉射!」
彼女が熾した真紅の光は、狂戦士を包み込んだ。彼女が吹き飛ばした頭部は、急速に再生していった。凛の攻撃は、僅かに足止めしたのみであり一回殺したのみだった。それ故に、ライダーが彼女の後方で控えているのであった。ライダーが身を伏せるのは、脚力の全てを疾走に向ける為だった。騎兵の眼前に、召喚の魔法陣が顕れた。継いで顕れたのは、赤い血で結ばれた巨大な眼だった。ライダーの叫びが迸った。
「あぁぁぁああぁぁぁぁあっ!」
――騎英の手綱〈ベルレフォーン〉――
とっさに飛んだ凛は、脇の大地で身を伏せた。バーサーカーを襲ったのは、目が眩む程の白い魔力光に包まれた彗星だった。それは直撃だった。時間と定義するのも馬鹿らしい短い時間だけ耐えた狂戦士〈バーサーカー〉は、吹き飛ばされた。凛の五感が回復したのは、墓石の破片が脇にコトンと落ちた時だった。そこに在るのは、ジェット旅客機が不時着したのかと錯覚する程に巨大な轍だった。彼女が見るのは、一〇〇メートル離れた先で上半身を再生する狂戦士だった。
隣に立つライダーに言う凛が浮かべる表情は、困惑と言う名の苦笑いである。
「勝てないわね。ライダーの意見は?」
「同意します」
「生者を妬むなら見つかったら最後、何処まででも追ってくるわ。ライダーは三人を連れて逃げなさい。私が囮になるから。真也と桜には敵討ちとか馬鹿な事をするなって言っておいて」
「囮なら私の方が適任です。リンでは足止めもできないでしょう」
戦闘再開の雄叫びを上げたバーサーカーは、怒濤のように押し寄せ始めた。ズシンズシンと地が慄いた。
「できるのよ。ライダーから見て、私は三年後の遠坂凛だから」
「理解が出来ません」
「しなくて良いわ。私だってどうしてここに居るのか分かってない。衛宮君達の仇を討って謎を解いて。元の時間に戻ろうって思ってたけれど、死んだ筈のサーヴァントが闊歩するなら、もうそんな事言ってられない」
「リンの発言を受け入れることが出来ません。反対します」
「この時の私が知らなくてライダーが知ってる秘密って言うと……千歳さんは、こことは異なる聖杯戦争で受肉した英霊で、真也はマスターだった人間との子供。どう?」
「……三年後の私は何をしていますか?」
「大して変わらないわ。ライダーは桜の味方ばっかり」
「リン。貴方に感謝を」
笑った彼女は闇夜に消えた。
◆
再生をし終えた狂戦士が明後日の方向へ駆け出したのは、ライダーを追ったからだった。なので凛は、その数メートル先の空間にガンドをバラ撒いた。立ち止ったそれが凛を見たのは、命中した証だった。
(そういえば、前にもこんな事があったわね。私が物理を履修していないとか何とか。何の時だったかしら)
その懐古は、「――――!!!」狂戦士の咆哮で途切れた。狂戦士が凛に向けて走り出した。凛はポケットから複数の鉱石を取り出した。それらは、地・水・火・風・空をそれぞれで司る五つの鉱石である。
「ゼウスの子ヘラクレスよ。アベレージワンの真髄、その身を以て知りなさい……Fretus〈応じよ〉」
彼女の手の平に浮いていた五つの鉱石は、砕けてアステロイドベルトの様な輪になった。クルクル回り始めた。
「Confracta est terra, dignum.〈地は砕けて、一となる〉」
「Aqua in ignem, et erit.〈水は燃えて、一となる」
「Flamma Frigidus et erit.〈炎は凍り、一となる〉」
「Ventum evasit, et unus.〈風は淀み、一となる〉」
「Si caelum est Ochire, partem fieri.〈空が落ちれば、一となる〉」
「Et ludat ac ludat.〈回れ。回れ〉」
「Redeo ad omnesque trahant.〈然れば、全ては渦に帰す〉……Last Whirl!〈最も深い渦〉」
かつて魔神を焼いた白い渦は、至近距離の狂戦士を焼き尽した。その斧剣は、大地と共に凛の体を砕いた。墓場から溢れた彼女の肉片は、崖下にボトボトと落ちていった。
彼女が最初に見たのは、星空だった。次に見たのは穂群原のスカートから生えている脚だった。
「……ここが天国? だったらなんで星空に向かって二本の脚が生えてるのよ……」
彼女が顔をしかめたのは、抓ったストッキング越しのふとももが痛かったからである。
「……これ私の脚だ。そうか。ひっくり返ってるなら星空に自分の脚が生えているのは当然……」
がばりと起きた彼女が見るのは、森の中だった。
「待った。私は確かにバーサーカーの斧剣に潰されて……」
彼女が見上げるのは、崖の上にある墓場の縁である。
「崖から落ちて助かった?」
立ち上がった彼女は、身繕いも程々に森の中を駆け出した。
◆
目的地である彼女の家は、廃墟と化していた。窓硝子は割れていた。壁は砕けていた。庭は荒れていた。屋根には穴が開いていた。
「母さん! 桜! ライダー! 真也! 返事をしなさい!」
その声は、瓦礫に埋もれた葵のモノだった。
「う……」
「良かった。大した事ないわ」
崩れ掛った部屋の暗がりからその声が響いたのは、治癒を施した葵を凛がソファーに寝かした時の事である。
「アインツベルン城以来だな。凛」
「……アーチャー? 聞くけれど貴方がやったの?」
「違うと言ったら信じてくれるか?」
「なら違うと言いなさい」
「ギルガメッシュだよ。アーチャーを含めた彼らは、聖杯戦争で生き残った人物を狙ってる。動機は知らないけど」
霊刀を手にするスウェット姿の真也が部屋の暗がりから顕れたので、凛は言った。
「臓硯が、死者は生者を妬むって」
穴の開いた壁の近くにアーチャーが立っていた。扉が無くなった部屋の入口に真也が立っていた。凛は二人の間だった。三人に月明かりが落ちていた。真也は言った。
「なら駒の動機は理解できたな」
「真也。桜とライダーは?」
「庭で死んでる」
「嘘よ」
「死んだよ。やってきたギルガメッシュに殺された」
「……うそ」
アーチャーは皮肉めいた笑いをした。その皮肉に気づきつつも真也は言った。
「凛。キャスターが調べていた事を伝えるけど、俺の推測が混じってるから注意してくれ。聖杯戦争が終わった直後に、士郎が死んでフードの少年が顕れた。イリヤが死んでバーサーカーが顕れた。セイバーが死んでギルガメッシュが顕れた。お袋が死んで臓硯が顕れた。キャスターが死んでアサシンが顕れた。ギルガメッシュの対が俺ではなくセイバーと言う事から考えると、条件は恐らく縁だ。葛木先生は、恐らく自害した久宇さんの分が余ったからだろ。ランサーは確認できていないけど、恐らく綾子だ」
「そう。葛木先生の言っていた対とはこの事ね」
「重要なのは生と死の変換ポイントだ。彼らは、甦ると死んだ土地から動けなくなる。死んでその地に縛られる地縛霊と真逆だ。ギルガメッシュが動けるのは、単独行動スキルの効果だけど制限がある」
鼻で笑ったのはアーチャーだった。
「善人のフリをするなど滑稽だ。凛。こいつはなギルガメッシュの襲撃の時に真っ先に逃げたぞ。三人を見捨ててな」
「言い訳はしない」
凛が息を呑んだのは、彼の魔眼から血の涙が溢れていたからだった。
「あの三人を見捨てるぐらいなら死んだ方がマシだった。それでも逃げたのは ――全てこの時の為」
ギチリ。それは真也の打ち込んだ霊刀とアーチャーの干将莫耶が反発しあう音だった。
「止めなさい! 今の体の状態じゃ無理よ! アーチャーに対する縁なら真也にだってあるんだから!」
「アーチャーの土地は、俺がお前を殺したあの臨海公園だ。急いで場所を変えるぞ。でないと困るだろ?」
「止めろって言ってるのよ!」
彼女が近づけなかったのは、二人の繰り出す斬撃を見る事すら出来なかったからだ。ガチン。その打ち合いを合図に二人は距離を取った。アーチャーが十字に構えた干将莫耶は鋏の様だった。真也は下段の構えだった。アーチャーは言った。
「大人気無いから言っておこうか。ギルガメッシュの襲撃から逃げたお前の意図は悟っていた」
「そうか。凛に手を掛けるのは流石に気が引けたか」
「たわけ。なり損ないのサーヴァントなど放置できんからだ」
「良く聞け、この捻くれ野郎。それが事実ならこの行動は正当だ」
「お前如きが凛のサーヴァントなど不釣合いにも程がある」
壁の穴から身を躍らせた真也は、逃げろと一言残し闇夜に消えた。待っても彼は戻ってこなかった。凛の脚に涙が落ちたのは、彼女が「やめて、やめてよ……」崩れ落ちていたからだった。
(逃げるべきだ。生き返ったサーヴァント達は死んだ場所に囚われる。遭遇確率を大幅に下げられる。もし私に何かがあれば母さんが一人になる。なにより真也の行為を無駄にする。少なく負けろ。勝ちを狙うな。母さんと二人で暮らしていたあの時に戻るだけ。出来ない事をしないのが遠坂凛……)
寝ている葵に手紙を持たせた凛は立ち上がった。
「母さん、ごめん」
彼女は、蘇りが闊歩する夜の街へ歩き出した。
(バーサーカーに殺された私が生き返ったのは、桜もしくはライダーの死が宛てがわれたからだ。これが、真也の言う生と死の転換ポイントなら皆を助けられる可能性がある。方法は思いも付かないけれど……やれる事があるのに、このまま引き下がったら皆に顔向けできないって言うのよ)