亜人間恋愛物語   作:d1199

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壊復〈かいふく〉

 彼が立ち尽す場所は、二階にある小部屋であり個室である。生きていく以上仕方がないのであるが、彼には抵抗感があった。彼は意を決して扉を開けた。水の流れる音がした。彼は部屋から出てきた。落ち着かない何かを取り繕う様に、足早に廊下を歩いた。

 少し前まで彼が住んでいた家は半分規格品だ。別の場所に半分作っておいた部品を、敷地に持ち込み組み立てる作りだ。彼が住んでいるこの家は、大量の石と多めの木材を敷地に持ち込み、設計者であり施工者が作り上げた家だ。足元の廊下に広がる赤いカーペットが何よりの証である。

 彼は壁をコンコンと小突いてみた。叩かれた石の壁は、中身の詰まった音を彼に返した。強度を構造で補う発泡的な軽さがが皆無だった。古い歴史を持つ洋館ならば、それは当然だった。

 

 難しい顔をした彼が思い浮べたのは、青々とした緑の木・果ての無い青い空・陽気な小鳥の囀り・強くも優しい陽の光、そしてベンチだった。自室に向かっていた彼は、踵を返した。

 

(らしくないが偶には良いだろ。休養は必要だ)

 

 廊下を歩く彼の頭に届いたのは声だった。静かだったが妖艶だったので、彼の足は僅かに速まった。

 

『マスター。どちらへ?』

『散歩』

『直日没ですので、外出はお控えください』

『キャスターの気づかいは有り難いけど。流石に一日中寝るのは疲れる。日没までには戻るから』

 

 一拍。キャスターの声は、患者に手を焼く看護婦の様である。彼は、白衣の姿を想像してみたりもした。

 

『ライダーを向かわせますので、しばらくお待ち下さい』

『一人で歩きたいんだけど。なんと言うか気分転換に』

『なりません』

 

 歩きながも企てた彼はこう言った。

 

『商店街にも寄るつもりだけれど、何かご所望品はあるか』

『マスターが私を買収するのは無意味です』

『もっとシンプルな話だって。キャスター』

『……私を従者以上に扱うのは程々になさいませ。思わぬ怪我をするやも知れません』

『もうしてるってキャスターは気づいてないのか。それは灯台下暗しって奴だ』

『幼いのか豪胆なのか判断に悩みますわ。マイマスター』

『今のキャスターは、その本性と違ってとても困惑する表情をしているんだろうな』

『フードを捲ればお分かり頂けます。私は抗いませんが、お試しに?』

『それは今度にしとく。で、どうする? どうしても要らないなら止めとくけど』

 

 キャスターの声は、トーンが上がっていた。

 

『その日を楽しみにしておりますわ。マスター。チーズケーキをお願いします』

『了解。(相手の懐と距離を察しつつ、プレゼントを素直に要望する或いは受け取るって彼女の美徳だよな。流石元主婦。〈わたしなんでもいい~〉と言いつつ〈えーこれ嫌い~〉ってのが一番困る。単にこの関係だからなのかもしれないけれど)』

 

 彼が思い浮べたモノは、寝心地の良さそうな公園の芝生・暖かくも粒に手こずる缶のコーンスープ・ほくほく肉まんだった。彼は、小走りになった。水を差したのはキャスターだった。

 

『それはそれとしてご相談があります』

『キャスターが俺に言うって事は、俺に関する事か』

『はい。魂を測定する許可を、頂きたいと』

 

 彼の調子は少し堅くなった。

 

『魂って、心臓の中の?』

『はい』

『魂の測定って、見るって事か?』

『いえ。触診に近いモノです』

 

 彼女の声は、畏まっていたが事務的であった。彼は言った。

 

『少し考えたい』

『被術者が抗えばこの術式は成立しません。是非ともご検討下さい』

 

 屋敷の玄関が開いたのは、その時の事である。

 

 

◆◆

 

 

 開いた玄関の扉から現われたのは、その家の姉妹であった。

 

「ただいま」

「ただいま帰りました」

 

 二人はコルク色の学生服を着て、学生カバンを持っていた。赤い陽の光を背に浴びていた。姉は手慣れた様にエントランスを歩いたが、続く妹は広く薄暗い玄関に戸惑っていた。姉は言った。

 

「この私が補習なんて、あったまいたーい」

「二週間も休んじゃいましたから」

「綾子の奴大笑いしてくれちゃってさー。どうやって報復してやろうかしら」

「おかえりなさい」

 

 葵である。彼女は若葉色のワンピース姿でショールを羽織り、下腹部の前に両手を置いて嫋やかに立っていた。姉にとっては見慣れた姿であり、妹にとっては慣れつつある姿だ。

 

「……」

 

 二人の実母は二人を凝視したまま固まっていた。二人は予想外の展開に見合うのみである。

 

「……どうしたのよ」

「葵お母さん?」

 

 葵は小走りに駆け寄ると二人を抱き締めたのだった。

 

「ちょっと。いきなりなによ」

「あの」

「ごめんなさい。この日が本当に来るなんて今でも信じられなくて」

 

 その声は震え目尻からは涙が流れていた。

 

「大げさなんだから」

 

 凛は頬を染めそっぽを向いていた。桜は笑っていたが涙ぐんでいた。二人を放した葵は、目尻の涙を指で拭った。そして微笑んだ。

 

「着替えて手を洗っていらっしゃい。食事の用意は出来ているから」

「兄さんは?」

「もう寝てるから起さない様にね」

 

 桜が見た腕の時計は、十七時を指していた。玄関へ向けて歩く彼に届いたキャスターの念話は、固かった。

 

『急ぎ部屋にお戻り下さい』

『出かけるって言ったろ。何を言ってる』

『今御二方が階段に――』

「二人?」

 

 現われたライダーが彼の首根っこを掴んだ事と、階段を上りきり二階の廊下に姉妹が現れた事は同時だった。目が合った。二人は同時に驚いた顔を見せた。気取った事を言おうとした姉は、時が止まったかの様に凝固している彼を見て、気まずそうに顔を伏せた。妹はためらいがちにも縋る様に何かを言おうとした。彼は、初めから居なかったかの様に消えていた。

 

 

◆◆

 

 

 その日の夜は、三月らしからぬ冷え込みだった。その家の庭にある一本の櫻も、花を咲かすにはあと二週間は掛ると言っていた。屋敷の屋根の上から彼が見上げる夜空には、星も月も無く、ただ雲が敷き詰められていた。彼が腰を下ろすその屋根は、堅く冷たかった。

 

《兄さんは、私のこと嫌いになりましたか?》

 

 それは、身体能力にものを言わせ二人の前から消え去った時に、届いた義理の妹の嘆きである。彼は、膨大な破壊力を産み出すその手をじっと見た。その手がどこに向くのかと彼が考えた時、彼の心臓が凍り付いた。

 問いかけても何も応えない夜空にふわり舞ったのは、アメジストの長い髪だった。足音すら立てない彼女の口調は、堅かった。

 

「何を考えていますか」

「何も考えてない。ただ、ぼぅとしてる」

「サクラとリンが不安がっています。理由が無いのであれば、思わせぶりな態度は控えるべきです」

「どういう意味で思わせぶりだ」

「“俺はお前らが嫌いだ”その様に見えます」

「キャスターに頼まれたのか?」

「聞かずとも見れば分ります」

 

 彼の隣に腰かけたライダーは、片膝を立て片脚を投げ出した。二人が見上げる夜空には、雲の切れ目から姿を見せる星々があった。彼女は言った。

 

「悩むとここに来るとリンから聞きました」

「今とは違って一時的にこの家に居た時そうしてた。まだ一ヶ月も経ってないのに、随分前のように感じる」

「話なさい。シンヤは何を考えていますか」

「相談する時は、相手が話すのを待つべきだろ。というかなんで命令形だ」

「相手に寄りますが、シンヤの悩みは経験上重大です。放置するほど大事になります」

「ライダーに隠し事は無し、その決まりだったな」

「覚えていれば問題ありません」

 

 一拍。それは、彼の躊躇いである。

 

「わだかまりがある」

「それはリンとサクラに対する怨恨という意味ですか」

「嫌っていればこの家に居ない。気になっているからここに居る」

「逃げた理由を求めます」

「二人にされた事と二人にした事が、どういう意味を持つのか、ごっちゃごちゃで良く分からない」

 

 彼は初めて、ヒト一人分離れた彼女を見た。目隠しで隠されているその瞳は他所を向いていたが、その気配は彼に向けられていた。彼は言った。

 

「ライダー・アーチャー・バーサーカー。サーヴァントと戦える俺が、一体何か。ライダーはそれを知ってるんだろ」

「シンヤは、初めて持った自己意思を扱いかね、他者との関係に戸惑っている状態です。例えるなら英霊の座に居る本体が、サーヴァントの記憶を見る事に相当します。ただシンヤの場合、その当事者を肉として実感していますから、その記憶に実体感が混じります」

「冷静な解析痛み入るよ。でも俺が欲しいのは診断ではなくて対処だ。どうしたら良い」

 

 彼女の「……」間は、発言を考慮した結果である。

 

「体を治すのが先決です。一日の三分の二を寝ないといけないシンヤに、何かをする事など不可能です」

「相談になってない」

「少し離れてみるのも良いかもしれません。見つめ直す切っ掛けになります」

「答を言わずに情報だけ与えるのか。まるで新しい保護者ができたみたいだ」

 

 彼は苦笑いである。

 

「凛と桜が一番厄介だと思ったけれど、実はライダーがジョーカーだって気がしてきた。手強すぎでやってられない」

「サクラ・アヤコ・シロウから、シンヤの話を聞きました。チトセから教育も任されています。この関係は妥当とするべきモノです」

「姉、か」

「嫌われ役のお姉さんも悪くありません」

 

 和らいだ雰囲気で、彼女は言った。

 

「シンヤは何も変わっていません。あの姉妹の為だけに走った向こう見ずのままです。でなければ冷静で用心深いシンヤが、刻限を無視するなどあり得ません。二人とこれからどうするのか。焦らずに納得の行くまで話し合う事でしょう」

 

 彼女は腰を浮かしたが、彼は物言わずじっと俯いていた。

 

「もう部屋に戻るべきです。そろそろ心臓に刻んだキャスターの保護術式〈タイマー〉が……シンヤ?」

 

 真也は強制睡眠状態〈シャットダウン〉に入っていた。ライダーは黙って彼を背負った。夢に落ちた彼が見るモノは、壊れた時計の針の様に振れる赫〈あか〉い槍だった。

 

 

 

 

 胎動していた拝火教の悪魔は肉の身体を失った。巣くっていたその影もキャスターによって祓われた。暗躍していた神父も消えた。それでも、直径は三キロもあろうかという巨大な空間が明るいのは、その場にある巨大なクレーターに設置された大聖杯と呼ばれる巨大魔法陣が未だ稼働し続けているからである。その光を浴びるイリヤ・セイバー・キャスター・ライダー・凛・士郎は、対峙する二人の見届け人だ。

 

 真紅の魔槍〈ゲイボルク〉は、血の様に赫〈あか〉かった。この男を倒した暁には、その槍を引き継がねばならない、カレはそんな事を考えた。

 

 真紅の魔槍をヒュンと回した長身痩躯の槍兵は、槍の中程を持ち切っ先を下げる構えを取った。カレは左手で鞘を持ち柄に右手を掛けるランサーの知らない抜刀の構えを取った。ランサーは何時もの飄々とした笑みではなく、深刻な表情を浮かべていた。

 

「よう。久しぶりだな真也」

 

 カレは声が出せない事に戸惑った。ランサーは苦笑いだ。

 

「もう声も出せねえってか。ここに辿り着いたのは、お前に渡した追跡用のルーンのお陰なんだが……それすら忘れた、か」

 

 カレの両手から霊刀が消えていたのはアインツベルン城でギルガメッシュに負けたからだ。見届け人の皆が消え失せていたのは、カレが殺してしまったからだ。槍兵は構えたまま目を瞑ると、興の冷めた顔をした。今のランサーは狩人ではなく、ただの掃除人なのだ。カレは何も言わず表情すら作らず、ただ突っ立っていた。

 

(身体が動かない? ……違う。この身体は勝手に動いてしまう)

 

 槍兵が向けたのは、必殺の穂先である。真紅の槍に魔力が満ちた。

 

「本来なら全力の戦闘をってところなんだが。今のお前とやり合っても面白くねえ。ただ死んでくれや……その心臓もらい受ける!」

(待て。止めろランサー。逃げろ、今すぐに!)

『駄目ですよ。兄さんは私だけの為に生きて、私だけの為に死ぬんです。だから決闘なんて許しません♪』

(俺はこんな決着を望んじゃいない! お前だってそうだろ!?)

「ゲイボル、」

 

 洞窟全体に響き渡る程の重い音があった。カレが岩壁に打ち込んだ腕の周囲には、赤く染まった骨と肉片と青い毛が飛散していた。立ち籠める粉塵に気を止めることなく、カレは作業的に腕を抜いた。カレが岩壁に開けた穴の奥には数秒前までランサーの顔だった肉塊があった。

 カレは、義理の妹から供給される膨大な魔力によって可能となった空間を縮める程の踏み込みを用い、宝具〈ゲイボルク〉が発動する前にランサーの頭を掴み、そして岩壁に打ち込んだのである。槍兵の身体は頭部を失ってなお槍を構えたまま立っていたが、義理の妹の影に喰われて消えた。

 

(ランサーーーーーーッ!)

 

 呆然と立ち尽くすカレの後ろに、死んでしまったランサーが立っていた。

 

《お前の行動理由は、全てお前のモノじゃないから。どれだけ走っても、気が済むなんて事はあり得ない。この後を考えるのは、お前自身だ》

 

 ランサーは、槍を差し出した。

 

《握らないのか? これがお前の望みだろ?》

 

 カレは、その槍をじっと見るのみだった。

 

 

 

 

 真也は、目を覚ました。

 彼の着ていたTシャツが、大量の汗によってその身体に付着していた。彼の身体は、汗を掻いているというのに冷たかった。彼の呼吸は、ふいごの様に耳障りな音を立てた。

 

「ぐ……」

 

 彼は身を起こしたが、貧血でも起したかの様にドサリと音を立ててベッドに身を横たえた。彼は枕に頭を埋めながら周囲を見渡した。

 

(ここは……?)

 

 そこは、彼に取って見慣れないが見覚えのある部屋だった。青紫のローブを纏った女が空中から現れた。彼女は舞い上る裾を気にしながら、トンと小さい音を立ててカーペットの上に降り立った。

 

「悪しき夢魔に憑かれましたか」

 

 彼女は頭を下げ一礼とした。しばらく彼女を凝視していたのは、ここに至る経緯を思い出す為である。心臓が納まりそうな大きさの水晶玉が、キャスターの頭上にプカリプカリと浮かんでいた。彼のベッドの脇に立つキャスターは、女医の様だった。

 

「マスターは目覚めたばかりだというのに酷い倦怠感を感じている筈です」

「まぁね」

「それは、徐々に悪化します。それを防ぐ為の“魂の測定”です」

 

 

 

 

 彼は、心臓をゆっくり抑えた。グッタリとする真也は、キャスターの説明に細心の注意を払っていた。

 

「手順を簡単に説明します。安定した状態が好ましい為に、強制的にお休み頂いた後に測定を行います。術式の力は、我が師ヘカテーを源にします。その診断結果を基に治療を開始します」

 

 心臓を庇う手はそのままだった。彼は、こう聞いた。

 

「魂ってどんなデータになる」

「お伝えできません」

「なんで」

「口答で表現できないからです」

「キャスターと俺の魔術に対する認知レベルが、異なりすぎて伝えられないって事か」

 

 キャスターの口調を例えれば、気遣いだ。真也もそれを感じ取った。

 

「魂の測定は慎重に行うべき術です。安定を欠いているならば尚更だと考えます。ですが。問題を解決するには、問題を正確に把握する必要があります。如何なさいますか」

「治療と槍とどちらが安全かな。槍を握らずに済むなら、その程度の危険は何ら問題がないんだけど」

 

 首を傾げたのは、キャスターである。

 

「それは、どの様な意味でしょうか」

「こちらの話」

 

 槍と姉妹と未来を秤に掛けた彼はこう言った。

 

「やってくれ」

「宜しいのですね?」

「放置すれば終り。他に手段がないなら、問題は俺自身の事のみだ。やってくれ」

「かしこまりました」

「それに。信頼するのはマスターとしての最低限の義務だろ」

「その言葉の価値は、私にとって一国に匹敵しますわ」

 

 

◆◆

 

 

 微笑んだキャスターは、チョイと舐めた右人差し指と中指の先端を真也の額に付けた。呪文を唱えた。彼女は、糸が切れてしまった様な主を見つつ、その部屋と廊下を仕切る扉の向こうに立っているライダーにこう言った。

 

「マスターを着替えさせて頂きたいのだけれど。何故貴女かというと二回ある実績が理由よ」

『可能なら私が部屋に入る前に立ち去ってください。私はシンヤほど貴女を知りません』

 

 ライダーが扉の向こうでもどかしそうに待っているのを感じつつ、キャスターはベッドの上の主をじっと見た。

 

(人使いが荒いと言うべきか、飽きさせないと言うべきか、仕え甲斐があると言うべきか……悪巧みを考える暇もないわね)

 

 部屋から用の済んだライダーが姿を消すと、キャスターが入れ違いで顕れた。キャスターはふわりと浮くと、真也の隣で膝立ちをした。ギシリとマットレスが音を立てた。

 前屈みになった彼女は、ベッドに置いた左手を身体の支えとした。すると彼女の髪がサラリと流れた。フリーの右手で彼のTシャツを捲り上げた。左手は心臓の上にかざした。彼女は、詠唱を開始した。か細い手に顕れた不可視の小規模の術式は、真也の心臓を探っていった。水晶玉が輝いた。

 

 

 ガキン。彼の内に響いたのは、それはビリヤードの球が弾ける様な音であり、ボウリングのピンが弾ける音だった。キャスターはそれに気がつかなかった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 タッタッタ。穂群原学園から遠坂邸に続く道を、二人の姉妹が駆けていた。凛と桜である。ハナマル健康優良児の綾子が病欠、それを聞いた凛は直感で気づいたのだ。立ち止ったその姉は、息を切らす背後の妹にこう言った。

 

「私は先に行くから、桜は後から来なさい」

「姉さん。待って下さい」

(まさか綾子がここまでやるとはね)

 

 朝から始まったその日の空は、赤みが混じり始めていた。それは、致すには十分な時間が経過していると言う証だった。そうだったならどうしてくれようか。そう熱り立った凛がババンと盛大に玄関の扉を開けると、いつもの様にフードを目深に被ったキャスターが待ち構えていた。凛はキャスターの素顔をまだ知らない事を思い出したが、即座に忘れた。

 

「お帰りなさいませ。凛さま。桜さま」

 

 凛の背後に息を切らす妹の姿もあった。

 

「綾子が来たと思うけれど、まさかこの家に上げたとか言わないわよね?」

「マスターの事でお話があります。どうぞこちらへ」

「その物言いは何かあったって事か」

「それを確認します」

「まどろっこしいわ。真也は何処よ?」

「御自室です」

 

 ババン。凛がその部屋の扉を激しく開けると、丸いテーブルの上に置いてあるネーブルオレンジを、椅子に腰かけながら頬張る真也が居た。目が合った。

 

「「……」」

 

 彼は、一瞬辛そうに眼を逸らせたが直ぐに陽気な顔を作った。彼の真意に気づいた彼女は一瞬表情を陰らした後、呆れと挑発を織り交ぜた態度を示した。彼はネーブルオレンジを飲み込むと、事も無げにこう言った。

 

「学校サボったのか。そんなんじゃ桜に示しが付かないぞ」

「元気そうで安心したと言いたいけれど、話を聞かせてくれない? 美綴さん、居るのよね?」

「綾子? 来てないけど」

 

 シラを切るとは良い度胸だ。どうしてくれようか。そう考えた姉の背後から顔を出したのは、二人の妹である。

 

「……兄さん?」

「あのだな。桜。学校をサボるなんて葵さんや凛に知られたら……どうした幽霊でも見た様な顔をして」

 

 その姉妹の率直な感想は“何かがおかしい”である。彼は腰を上げると、妹の熱を測ろうと手の平を妹の額に近づけた。その妹は、とっさに身を引いた。

 

「「「……」」」

 

 “ぶわっ”という擬態音がその場に在ったのである。

 

「めそめそ」

 

 桜の兄は泣き出した。

 

「「……」」

 

 その姉妹は現実について行けず戸惑うのみだ。例えるなら、バラバラになったアルバム写真を、古い順に並べ様と腐心している様が適当である。

 

「……兄さん?」

「……ちょっと真也」

 

 それはトイレから戻ってきた綾子のセリフである。

 

「もう良いです。桜に嫌われた。そう言ってんのよ」

 

 凛は不愉快さを浮べて、綾子を睨み付けた。

 

「釈明は後で聞くけれど、何が起こったのか状況を説明してくれない?」

「説明のなんて無い。というよりしようがないね。どう見ても真也だこれは。まったく。心配損じゃない」

 

 蒼月兄妹は、二人の目の前で劇的に見つめ合っていた。

 

「兄さん。私はまだ妹なんですか?」

「何を言っているのかな。この妹は。ずっと一緒だ、そう言ったのは桜だろ。ほら。おいでー」

「兄さんっ!」

 

 二人は絆を思い出したように抱き合った。

 

「兄さん兄さん兄さんっ!」

(サクラニウム補給~♪)

 

 兄のスウェットを握り絞める妹は、泣きながら喜んでいた。兄は腕の中の妹の頭を撫でていた。凛は脱力した様に「これって、正解なわけ?」と呟いた。綾子は「桜にとっては正解だ。私にとっては振り出しに戻った気分だけど」うんざりしながら呟いた。凛は言う。

 

「回復おめでとうと言いたいのだけれど、散々手間を掛けさせた私に言う事があると思わない?」

「お帰リン」

「真也くんってとてもユニークなのね」

「楽しんで貰えたらなによりー」

「この軽薄な態度、出会った頃を思い出すわ……聖杯戦争末期の真面目な真也の方がよかった」

「それは私も激しく同意よ」

「時に綾子。体育会系が運動しなくなると直ぐ太るらしいんだが、その予兆が綾子にあるって俺のゴーストが囁いてる」

「そう言うこと言うのかお前は。その度胸に免じて……表に出な」

 

 綾子は怒り笑いで、組んだ両手をバキボキと鳴らしていた。

 

「ふっふっふ。美綴綾子よ。よく考えるが良い。我がその気ならもう十回はスカートを捲られている」

「やれるもんならやってみな。責任取らせるから」

「パンツ見られて結婚とか。そんな法律があったら未婚率も問題にならないよね」

「ボコるって意味に決まってるだろ。どんだけ馬鹿なのよ」

「兄さん。どうしても見たいなら私のを――」

「なんの脈絡もなく何ですか。やめなさい。はしたない」

 

 ガヤガヤと騒がしい室内で、フードで顔を隠したキャスターの纏う雰囲気は懸念である。

 

「凛さま。ご意見を頂けるでしょうか」

「会話に多少違和感は感じるけれど、術後直後ってそう言うモノじゃない?」

「これは予想した展開の一つですが、その可能性は僅かでしたので」

 

 ふぅむ。凛が考えた時間は一秒足らずだ。

 

「真也」

「唐突に真面目な顔されると少し困るんだけど。というか綾子の事はもう良いのか」

「我が名 遠坂凛の名において命ずる。三回回ってワンと言いなさい」

「「「……」」」

「……前々から思ってたんだけど、君のそう言う処は治した方が良いと思うぞ。どんなにデキた奴でも愛が冷める」

「私が欲しいのは服従だけよ」

「捻くれも程々にしないと葵さんが泣くからヤメレ」

 

 妹は目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭うと、笑顔でこう言った。

 

「兄さん。今日の晩御飯は何が良いですか」

「なんでもいいってのも、困るか。ならハンバーグ」

「任されちゃいます」

 

 その兄妹は手を繋ぎながらグルグルと回っていた。凛の脱力した様な失笑は、呆れ・喜び・安堵など複雑な諸々が混ざった結果だった。

 

「経過観察をしましょ。ところで美綴さん。来ないでって言わなかったかしら」

「遠坂は御見舞いは駄目だって確かに言ったけど、私は遊びに来たんだから問題ないだろ」

「随分と情熱的な下着を着けていらっしゃる様だけれど」

「っ!?」

 

 そんな馬鹿な。透けている筈はない。自分のブラウスを確認していた綾子は、凛の罠に気がついた。

 

「随分と純粋な遊びを考えていた様で感謝申し上げますわ」

「……袖にされ続けてる不憫な私に文句ある?」

「それはお気の毒様。美綴さんの功績に免じて“当面敷居をまたがせない”と言う温情沙汰にしてあげます」

「ぐっ」

 

 

 白い紙の中心に鉛筆で円を描く。その白い円の回りに、複数の黒く塗り潰した円を描く。中心の円は精神の基底であり、それが白いという事は、何も無い事を意味している。周囲の黒い円とは、接した事のある人物との記憶だ。

 この精神構造により彼は、人格を状況に応じて切り替えていた。再構築された事により、一度は平時の人格が定着しつつあったが、綺麗との戦闘により過負荷が掛かり解離仕掛っていた。

 魂の測定により状態を把握したキャスターは、マイナスよりプラスが多いと明白である自身とライダーと綾子を積極的に触れ合わせる事により、その黒い円を白い円に定着させようとした。

 プラスの精神を構築し、その上で凛と桜の円をゆっくりと馴染ませる計画だったのだのである。測定前のライダーとの接触に真也が好意的な反応を示したことから、キャスターは計画の適正さにほぼ確信を持っていた。綾子を迎え入れたのもその一環だ。

 ところが。目を醒ました彼は治っていた。それは予想と異なる結果だったのである。

 キャスターは不安を隠さずじっと自身のマスターを見ていた。

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