Fake/Another apocrypha after 作:ハトスラ
「「本当にいた……」」
マウント深山商店街に到着した千恵子と双葉は、その光景を見て異口同音に呟いた。
深山商店街に出店する屋台・江戸前屋。たこ焼き、鯛焼き、どらやき、大判焼きと、さまざまな種類の商品を扱うこの店の前に、噂の『赤い髪の外国人』が立っている。
白いシャツと黒いスラックスに身を包んだ長身の男だった。
手には今し方購入したのだろう『江戸前屋』とプリントされた紙袋を抱え、気安い表情で屋台の店員と談笑している。
千恵子たちからは位置関係の問題で横顔しか見えないが、それだけでも相当整っている顔だと思われた。
「ど、どうする、ちーちゃん。ホントにいたぞ」
「う、うん。ホントにいたね。ど、どうしよう」
どうしようもこうしようもない。
というか、何故ヒソヒソと声量を落として会話しているのだろうか。別にやましいことなど一つもないハズである。
二人が商店街に来た目的は、赤髪の外国人を見るためだったので、目的自体は既に果たされてしまっている。
しかしながら、この炎天下の中を延々歩いてきた身としては、『一目見たから満足ですわー』とはならないのである。
だからといって、見知らぬ外国人に突撃していくなんてことは出来そうもない。人見知りする千恵子はもちろんのこと、割と誰にでも話しかけることが出来る双葉にしたって、完全に初対面の外国人が相手では後込みしてしまうらしい。
そもそも日本人という人種自体が、『外国人』というカテゴリを苦手にしている節がある。
そういった『暑い中ここまで来たのに見ただけでは満足できない』と『だからって初対面の外国人に話しかけるなんて逆ナンパ紛いのことは出来ない』が噛み合って、双葉と二人、お互いの顔を見ながらオロオロと立ち尽くしてしまう。お互いの口から漏れるのは「どうしよう」「どうする」「ドウシヨウ」「ドースル」ばかりという体たらくだ。
この場に雅か鏡子がいたのなら、もう少し違った反応があったのだろうが、生憎とここにいるのは引っ込み思案な千恵子と、残念な頭脳を持つ双葉だけ。
そんな風にオロオログダグダしている二人の頭上に、不意に影が差した。
ハッとして顔を上げると、高く昇った太陽を遮る形で、件の外国人がこちらを覗き込んでいる。
「え……?」
「ふぁっ!?」
双葉と同時に驚愕の声を上げた。
これほどの目立つ容姿、加えて先ほどから彼をチラチラと見ていたにも関わらず、ここまで近寄られるまで彼の接近にまるで気が付かなかった。
突然の(少なくともこちらにとっては)ことに戸惑う千恵子たちを余所に、赤髪の外国人は大判焼きを摘みながら首を捻る。
「俺になんか用かい?」
「へあ!?」
「な、なんでそう思うんです?」
「や、さっきからチラチラ見てたろ。お嬢ちゃんたちとは初対面だと思うが、俺になんか言いたいことでもあるのかと思ってよ」
「……う」
特に言いたいことがある訳ではないが、チラチラ見ていたのは事実である。ついでに言えば、ここに来た成果も欲しかったので、どうにか彼と接触できれば、と思い始めてもいた。
そんな折りに、まさか向こうから会話を振られるとは思いもしなかったのだ。
そしてその内容が、『あなたたちの行動なんて筒抜けでしたよー』だなんて、想像すらしていなかったのだ。
初対面の外国人と向き合っているという緊張と、その初対面の外国人にこちらの行動を見透かされていた恥ずかしさから、千恵子は思わず俯いてしまう。自分では確認出来ないが、きっと緊張と羞恥とで、自分は赤面しているだろう。
現実逃避のためか、千恵子の脳内では『あ、本当に日本語ペラペラなんだ』なんてどうでもいい感想まで浮かんでくる始末である。
そんな千恵子に代わって口を開いたのは双葉だった。
「あー、用事とかは特にないんだけど。最近噂のイケメン外人が、実際どんくらいイケメンなのか確かめようと思ってさー」
さすがは穂群原が誇るノーテンキ娘・柳洞双葉だ。きっかけさえ与えられれば、彼女は物怖じしない。
先ほどまでのオロオロした態度は一体なんだったのか、と思うほどの開き直りっぷり。いっそ清々しいほど開けっぴろげに、ここに来た理由と彼を見ていた理由を語る。
そんな双葉の言葉に、赤髪の青年は手にしていた大判焼きを一口、二口。辺りをチラりと見渡して、さらに一口。手にしていた大判焼きをきっちり食べきって、それからそこでようやく気が付いたかのように口を開いた。
「あ、それ俺か」
「あなたです」
その鈍さに、千恵子は思わずツッコんでしまった。
ツッコミを入れられた青年は、さして気にすることもなく紙袋の中から次の大判焼きを取り出して口に含む。
「はーん。しっかし、この暑いのにわざわざそんだけの為に出向いてくるとか……。お嬢ちゃんたち、アレか。暇なんか? それかすげー物好きなのか?」
大判焼きを頬張りながらの、まさかのマジレスである。
いや、彼からすれば当然すぎる感想と疑問だから、千恵子たちには何も言えないのだけれど。
「いいだろー別に」
と思った矢先に、双葉が青年に噛みついた。
「普通の女子高生の毎日には刺激が足りないんだよぅ。少しくらい面白いこと探そうと思ったっていいじゃんかー」
なんていうか、これぞ柳洞双葉である。
ひとたび会話の流れさえ掴めれば、大体いつものペースに持って行く。友人や知人どころか、初対面の相手にすらいつも通りな彼女に、千恵子はいっそ尊敬の念すら抱いてしまうほどだ。
「面白いことねぇ。で、実際に出会ってみて、お嬢ちゃんたちは満足したかい?」
「いやぁ、正直ビミョーだなー。確かにイケメンだったけど、このクッソ暑い中歩いてきたんだし? 見ただけじゃ割にあってないっていうか」
「おう。まあ、そらそうだわな。人の顔見て、腹が膨れるわけねえし」
あまりにも明け透けな双葉の態度に、千恵子は青年が気分を悪くしないか心配になったが、どうやら杞憂だったらしい。
赤髪の青年はむしろ楽しそうに笑って、持っていた紙袋に手を突っ込むと新たな大判焼きを取り出して言った。
「なんなら食うかい? 美味いもん食えば、多少は満たされるもんだろ」
「え、マジ? いいの!?」
「ちょっ、ダメだよ双葉ちゃん!!」
差し出された大判焼きを、あっさり受け取りそうになった双葉を慌てて止める。
「え、なんだよちーちゃん」
「何だよ? じゃなくてね、いくらなんでも知らない人から食べ物貰うのは……」
「大丈夫だろ。この
「出会って数秒だよ!?」
いや、確かに気の良いお兄さんという印象は受けたが。
それにしたって、もう少し警戒心というか、遠慮というか。そういったものは必要だと思う。知らない人には付いていかない、物を貰わない、なんてことは小学生どころか幼稚園児ですら言い聞かせられることである。
「ハハッ、まあ警戒は当然だわな。それに俺はお嬢ちゃんの言うような良い人ってわけじゃねえし。けどアレだ。これには毒なんて入ってねえから安心しろって」
「いや毒とかの心配はしてないんですけど」
現代日本で、しがない女子高生の自分たちがいきなり毒殺されるなんて事態、そうそう起こり得るとは思えない。というか、そんな可能性なんて千恵子には思いつきもしなかった。
咄嗟に『毒』なんて言葉が出てくるあたりが、外国人と日本人の発想の差なのだろうか。
戸惑う千恵子を余所に、いつの間にやら大判焼きを受け取っていた双葉が呑気に言った。
「兄ちゃん面白いな! 気前もいいし、日本語上手いし! やっぱ粒あんは最高だし!」
「双葉ちゃん最後関係ない」
っていうか止めたのに受け取っちゃったんだね。などと、やや肩を落としながらツッコミを入れる。
ちなみに、千恵子は粒あんと
そんなわけで、状況に流されるまま千恵子が受け取ったのはカスタード味の大判焼きであった。
双葉に注意した手前、ばつが悪い思いはあったのだが、甘いものが別腹な女子高生としては差し出された誘惑に勝てなかったのである。
と、カスタード味を受け取った千恵子を見て、青年が一言。
「お。カスタードも食うんだな」
「……? あ、はい。好きな味なので」
意図が掴めない言葉に首を傾げると、青年は思い出すかのように口を開いた。
「いやな、昨日セイバーの……。ああ、いや、この国にいる
「そんなことないですよ。カスタードも、なんならチョコレートも美味しいです」
「その友達さ、頭固いか妙なこだわりがあるめんどくせえ奴じゃねーの? 確かに粒あんは至高だけど、他も美味いよなあ」
千恵子と双葉の言葉に気をよくしたのか、青年は「だよな」と嬉しそうに笑った。
「ん? この国に友達がいるってことは、兄ちゃんはその友達に会いに日本にきたのか?」
「あ、もしかして日本語お上手なのも、そのお友達さんのお陰なんですか?」
ふと思い立ったかのように質問した双葉に便乗して、千恵子もまた疑問を投げかける。
冬木には外国の血筋が入った現地人も多いが、彼のここまでの言動と噂の内容から、千恵子は赤髪の青年が冬木の人間には思えなかった。
さて質問を受けた青年はと言うと、千恵子たちの質問に一度首を振ってから、
「いんや、こっちには仕事でな。日本語は……、まあ仕事の為に覚えたんだ」
「ほえぇ……。仕事の為に外国語勉強しなきゃとか、社会人は大変なんだなあ……。わたし大人になりたくねーぞ」
「ふ、双葉ちゃん。いま相当情けないこと言ってるよ……?」
確かに仕事の為に外国語を学ぶのは大変だろうが。
特に日本語は世界でも難しい部類の言語らしいから、目の前の青年も学ぶのは苦労したのではないだろうか。
「苦労は別にしてねえな。気づいたら覚えてた感じだし。ここまで上手く会話できるのには、正直自分でもビックリしてるんだけどよ」
「気づいたら覚えてた!? 兄ちゃん天才って奴か!」
「おう、天才って奴さ」
おどけたように言って、青年は次の大判焼きを取り出した。その光景に千恵子は若干の戦慄を覚えた。
なにせ千恵子が見ただけでも、これはもう三つ目の大判焼きである。千恵子と双葉が受け取った分も合わせると、青年の紙袋からは既に五つの大判焼きが取り出されている計算になる。
これだけの数の大判焼きを一人で食べようとしていたのか。そもそも紙袋の中にはまだ中身が詰まっていそうなので、大判焼き六つ以上は確定である。すらりとしたモデル体型のどこにそんなに入るというのか、体重の増減で一喜一憂する身としては切実に知りたい。
知りたいが、まあそんな訳のわからないことを訊ねられるハズもない。
戦慄と羨望を隠しながら、千恵子が問うたのは当たり障りのないことだった。
「えっと、お兄さんはどこの出身なんですか?」
「ん? ギリシャ」
「ギリシャかあ。わたし行ったことねーわ。いいとこ?」
ギリシャどころか、海外に行ったこともない双葉が問う。
赤髪の青年は首を傾げて、
「どうだろな? ニッポンもいいとこだし、お嬢ちゃんたちみたいな可愛い女子もいるしな」
「「かわっ……!?」」
唐突なその言葉に、二人して赤面する。
世辞の類だと頭では理解できるのだが、如何せんこんな男前から正面きって可愛いなどと言われたことのない千恵子たちには刺激が強すぎた。
ろくな反応も出来ない千恵子たちに、青年はいいね、と笑う。
「そういうとこがな。俺の周りにゃ押しが強えのしかいなかったからなあ……。その点、この国の女子は慎み? とかそういうのがあっていいわ」
どこか遠い目をして青年が言った。
女性関係で何かあったのだろうか。千恵子には縁がないが、これほどのイケメンになると、そういう異性関係の悩みも増えるのかもしれない。
「っと、悪い」
言って、青年が片手を挙げて千恵子たちから距離を置いた。
突然のことに顔を見合わせるこちらを置いて、青年は彼方を向いて、なにやら一人で話始める。
「あー、なんだよ。……おう、おう。それはいいじゃねえか、ちゃんと作戦会議には出席したろ」
コメカミの辺りを押さえながら、そう言う彼の手に携帯端末らしきものは握られていない。
とはいえ、彼の口から吐き出されている言葉は明らかに誰かと会話しているようなものだ。
「うっわ。わたし、インプラやってる人間初めて見た」
「ああ、そっか」
驚愕の表情で言う双葉に納得する。
携帯端末のインプラント。
今や現代人には必須アイテムとなった携帯端末を身体に埋め込む最新技術である。
インプラント技術が日本国内で認可されたのがここ数年であるため、まだまだ日本人のインプランター(端末インプラントを行っている者をこう呼ぶ傾向にある)は少ないが、海外ではそれなりに普及している技術だそうだ。
つまり、携帯端末を持たずに誰かと会話している様子の青年は、そのインプラント技術を使っている者なのだろう。
双葉の言うとおり千恵子もインプランターを見るのは初めてだったため、その可能性に思い当たるまでに時間がかかったが、言われてみれば納得である。
「……はいはい、わかりましたよっと。ったく、まだ昼間だってぇのに」
それで会話は終わったのか、軽く頭を振った青年が苦笑しつつこちらに向き直った。
「なんだ。話の途中に悪かったな」
「いえ。その……、今のは電話、ですよね? 私たちインプラントやってる人って初めて見ました」
「端末なしで電話するって、外から見るとあんな感じなんだなー。電話とか着信音は、やっぱ直接頭に音が響く感じで聞こえるのか?」
生でインプランターを見た千恵子たちの感想に青年は怪訝な顔をしつつ、
「いんぷら……? まあよくわからんが、直接頭に声が聞こえる感じではあるな。
それはそうと、悪いなお嬢さん方。ホントなら夜まで暇だったんだが、マスターからのオーダーでね。これから一仕事しなけりゃならん」
「お仕事、ですか」
「そういや仕事で日本に来たとか言ってたけど、兄ちゃんはなんの仕事してんだ?」
「んー、説明が面倒くせえな。まあ『運転手』みたいなことやってる」
「運転手? 金持ち乗せてリムジンとか運転すんの?」
「まあ、この先そういうこともあるかもな。
そういう訳で、俺はもう行かなきゃならんのだが。その前にコイツだな」
そう言った青年が差し出したのは、先ほどから大判焼きを取り出し続けていた紙袋である。
「ちょっと仕事場には持っていけなくてな。お嬢ちゃんたちと知り合ったのも何かの縁だ。捨てちまうのも勿体ねえし、これ貰ってくれねえか?」
「え、いいの? 貰う貰う!!」
もはや脊髄反射と言っていいほどの早さで即答した双葉に、千恵子は軽く頭を抱えた。
「双葉ちゃん。さすがにそろそろ遠慮した方がいいと思うよ? お兄さんも、これ以上は申し訳ないですし、受け取るわけには……」
「なんだよー、くれるって言ってるんだから貰ったらいいじゃんかよー」
「あのね、双葉ちゃん」
子供か。
駄々をコネる双葉を窘めるべく口を開こうとすると、その前に青年が片手を挙げて千恵子を制した。
「いいっていいって、貰ってくれ」
「いえ、でも」
「ただで貰うのに抵抗あんなら、そうだな……。ここいらで美味いもん食える場所を教えちゃくれねーか? それでチャラってことでいいだろ」
「美味しいもの、ですか?」
「おう。仕事で来てるとはいえ、やっぱ日本を満喫しなきゃ嘘だろ?」
ニッ、と笑ったその顔に嘘は無いように思われた。
けれど、きっと彼の台詞は、こちらに余計な気を使わせない為の配慮だったのだろう。
そんな彼の配慮に気付いてか、それともやはりただの脊髄反射だったのか。千恵子の隣にいた双葉が、勢いよく挙手して口を開いた。
「はいはいはーい! 新都の『風来軒』の味噌ラーメンとか絶品だぞぅ。あと、この商店街ん中だと『泰山』の麻婆豆腐とかオススメ!」
「え、『風来軒』はともかく『泰山』は……」
自信満々に告げられた店名とメニューに戦慄する。
風来軒のラーメンは味は濃いが確かに絶品だ。
けれど、泰山の麻婆豆腐は食べる人を選ぶというか、まず間違いなく万人向けではない。アレは何というか、辛さという地獄というか、地獄という辛さというか。
だが基本辛党というか、辛さに対して随分耐性がある双葉には千恵子の言わんとしていることが理解できなかったようだ。
単純に泰山の麻婆豆腐を貶されたと思ったのか、不満げに口元を尖らせながら反論する。
「なんだよ、美味いじゃんか。麻婆豆腐。他には、新都駅ビル食品コーナーのカスタードシューとか?」
「それが有りなら『喫茶アテネ』のレアチーズケーキとかも有りじゃないかな?」
「あー、アレな。お小遣いが無尽蔵なら毎日食いに行くのにな」
その意見には全く同意するしかない。
あるいは、雅くらいのお金持ちであれば毎日くらい食べても平気なのかもしれないが。平凡な一般庶民である千恵子には、まずもって無理な話である。
そんな千恵子と双葉のやりとりを見て、まるで微笑ましいものでも見たかのように青年が目を細めた。
「フウライケンとタイザン、そんで駅ビルとアテネな。覚えた。今度食いに行くわ」
そう言って青年は大判焼きの入った紙袋を双葉に手渡すと、こちらが何か言うよりも早く、商店街の人の流れに乗っていってしまう。
「そんじゃあな、お嬢ちゃんたち。縁があったらまた会おうぜ」
言いながら、あっという間に雑踏の中に溶けていくその背中に、千恵子たちは慌てて声をかけた。
「あ、これありがとうございます!」
「またなー、兄ちゃん!!」
青年は振り返らないまま片手を振って、こちらの声に応えると、
「おう。あー、それから……、あと一時間くらいは未遠川に近づかねえ方がいいぞ」
そんな言葉を残して、青年の姿は雑踏に紛れて消えてしまった。
戦闘を開始したランサーとアサシンを追って、テオドールは深山町の町並みを駆け抜けた。
パスを通じて感じるランサーの位置情報では、戦場は冬木市の中心。未遠川周辺だと思われる。
ランサーの性能を考慮するに、その場所での敗北は万が一にもないだろうが、かといって座して待つわけにもいかない。宝具の解放を許可した手前、敗北はなくともやりすぎてしまうことは大いにあり得るのだ。
それに一対一の戦闘に問題がなかったとしても、そこに敵マスターが加わった場合、あるいは他のサーヴァントに乱入された場合には、ランサーの勝利が確実とも言い切れない。
特に、ランサーの防御宝具────『
「む?」
と、それまで休むことなく走り続けていたテオドールは、肌に感じた不穏な気配に足を止めた。
感じたのは肌を刺す殺気と、渦巻く魔力の気配。
まさに深山町の町並みを抜け、そろそろ未遠川の河川敷に差し掛かろうかというタイミングである。
(この、タイミング)
内心で舌打ちしつつ、テオドールは勢いよくその場から飛び退った。
直後、テオドールがいた空間を熱風が吹き抜け、無数の光の
テオドールを捉え損ねた光の飛礫は、アスファルトにぶち当たると『じゅう』と焼けるような音を立ててその場に広がっていく。その様相は、まるで突然の雨に水たまりが広がっていくかのような────否、アスファルトの上で日差しを反射するそれは、真実水たまりである。
光の飛礫に見えたものは、その実ただの水滴────無論、なんらかの攻撃的魔力が込められたものだろうが────だったらしい。
「いや。熱湯か、これは」
形成された水たまりを見て、テオドールはそう呟いた。
今日は日差しも強くアスファルトから照り返す熱も相当にキツい。だが、水たまりから感じる熱はその比ではなかった。よくよく見れば、水たまりは沸騰している。
先に飛礫とともに吹き抜けた熱風もさるものながら、飛礫自体に込められていた熱も相当なものである。直撃を受けていれば火傷ではすまなかっただろう。
「吹き抜けよ不吉の風、地に注ぐは不幸の雨。巡り、溢し、災禍を運べ」
「!」
耳朶を打つ詠唱。
咄嗟に視線を向けた先には、こちらに手をかざす一人の魔術師。
「
その言葉とともに、再びテオドールに襲いかかる熱風と熱湯。
「チッ」
舌打ち一つを残してそれらをかわす。
目に見えない風だけならともかく、目に見える水滴がセットの魔術ならば、かわすことなぞ造作もない。
そして敵が姿を見せているのなら反撃もまた容易い。
懐に手を突っ込んだテオドールは、かわした魔術の行方にはもはや目もくれずに、投擲武器を撃ち放った。
風を裂き、魔術師に迫るのは三本の剣。
聖堂教会の代行者が使う『黒鍵』と呼ばれる投擲用の武装である。
「
標的に向かって真っ直ぐ突き進んでいた黒鍵は、魔術師のその言葉とともにあらぬ方向へと軌道を逸らされる。
本来の目標とは程遠い場所に飛んでいった黒鍵は、そのまま手近にあった街路灯を二本ほど切断して地面へと突き刺さった。
「……黒鍵。やはり代行者ですか」
「…………」
ふう、と一息ついて、魔術師がそう呟く。
それには答えず、テオドールは改めて敵の姿を観察した。
二十代後半の、どこか神経質そうな男だった。
艶のある黒い髪と切れ長の瞳。服装は黒のスーツに白の皮手袋。
一見すると、魔術師というよりはどこかの執事のようにも見える長身痩躯の男はしかし、アンダーリムのメガネの下から、射殺すような視線をこちらにくれていた。
このタイミング。そして躊躇無くテオドールへと攻撃を仕掛けてきた積極性。
テオドールはこの男こそがアサシンのマスターだと断定した。
アサシンによる奇襲が失敗に終わった今、マスター同士の対決によってランサーを脱落させようという魂胆だろう。
ランサーの援護に行けないのは痛いが、この展開はテオドールからしても願ったりな状況である。積極的なアサシンの排除を決めた以上、マスターを殺して魔力供給を絶つことも視野のうちに入る。
なにより、ここでテオドールがアサシンのマスターを押さえておけば、ランサーがアサシンを追いつめた時、令呪による緊急撤退を行使されずに済む。
懐に忍ばせた黒鍵の
対し、魔術師はスーツの内ポケットから、拳大の楕円形の物体を取り出した。見た目は陸上の円盤投げで使う円盤そのもののような形をしている。
「
魔術師のその詠唱が契機となった。
事ここに至っては、もはや殺し合うしかない。とばかりに、かける言葉もなくお互いに動き始める。
先手を打ったのは魔術師。
「嫉妬に狂え、豊穣の風」
詠唱の直後から魔術師の周囲を浮遊し始めた円盤が、追加の呪文でテオドール目がけて飛んでくる。単純な速度なら、先ほど見た熱湯の魔術よりも上だ。
だがやはり見えている攻撃。それも正面から向かってくるものに、テオドールは恐れなど感じない。
「邪魔だ」
両手に握り込んだ黒鍵の柄に魔力を込める。
魔力を込められた柄から刃が伸び、黒鍵が剣の形状を取る。
代行者の中には黒鍵を柄だけ大量に持ち運び、現地で刃を生成する者たちが存在する。そしてテオドールもそんな中の一人である。
左手の黒鍵を三本とも投擲。
同時、魔術師との距離を詰めるテオドールと魔術師の放った円盤とが交錯し、飛来した勢いそのままに円盤が弾かれた。
円盤を弾いた右の黒鍵を手に、テオドールはさらに距離を詰める。
その様を見るや否や、魔術師が再び呪文を紡いだ。
「嫉妬に狂え、豊穣の風」
耳に届くのは先ほどと同じ詠唱。
テオドールがそう認識するのと同時、たしかに弾いたはずの円盤が、再びテオドールに向かって飛来する。
「ふっ!」
今度は弾かず、体捌きのみで円盤をかわした。
そのテオドールの視線の先で、魔術師に向けて投げた黒鍵がその矛先をテオドールへと変更する。
「
投げ放った勢いそのまま────否。むしろさらに加速した黒鍵が、元の持ち主を串刺しにするべく宙を走る。
単純な投擲の時ですら人体を貫通させるほどの威力を持った代物だ。それにさらに加速がついたとなれば、テオドールの持つ防御礼装────特殊な処理の施されたこのカソック服だ────程度では防ぎきれない。
それをわかっていながら、テオドールはさらに強く踏み込んだ。
恐れる必要はない。防御が不可能なのだとすれば、触れる前に落とせばいいだけのこと。
右手に握り込んだままだった黒鍵を投げ、飛来する三本の黒鍵をまとめて叩き落とす。その挙動と平行して左手に黒鍵を握り、テオドールの背後から後頭部を打ち抜こうとしていた円盤を斬って捨てた。
真っ二つになった円盤が、急速に勢いを失って墜落する。二つに分かれた円盤は、弾き飛ばした一度目や、触れずにかわした二度目とは違い、テオドールを追撃しようとしない。それどころか動く気配すらない。
これは恐らく『円盤』を操る魔術だったのだろう。真っ二つになることで対象が『円形』でなくなってしまった結果、もう操ることが出来なくなってしまったとみた。
「……!」
目を見開いた魔術師が後退の素振りをみせる。
前進を続けるテオドールに、彼の魔術師としての適正距離が潰されかかっているのだろう。
仮に
魔術の発動に失敗すれば、待ち受けているのは自滅である。それ故戦闘中の魔術師は、魔術の射程距離はもちろんとして、己が集中を乱されない距離を保とうとする。
要するに、だ。
このままあと、三メートル。いや、二メートルも距離を詰めれば、目の前の魔術師は反撃の余裕がなくなるだろう、ということだ。
「吹き抜けよ不吉の風、地に注ぐは不幸の雨!」
後退しつつ、魔術師が詠唱を始める。これは最初に見た、熱風と熱湯の魔術だ。テオドールが距離を詰め切る前に足を止めようというのだろう。
だが遅い。
テオドールの出来うる最速で黒鍵を投擲。
初撃は逸らされ、二撃目は跳ね返された黒鍵だったが、魔術師が別の魔術を発動させようとしている今、その心配はない。
仮に黒鍵を返されたとしても、それはそれで敵の攻性魔術を妨害できたということである。
「……ッ! 巡り、溢し……!」
逡巡は一瞬だった。
このまま攻撃魔術を使うべきか、それとも黒鍵を返すべきか。
魔術師がそれを迷い、詠唱が止まったのは、時間にして一秒にも満たない一瞬のことだった。
そして、その一瞬があればテオドールには十分であったのだ。
「災禍を運べ、
魔術師が詠唱を完成させる。
熱風と、飛礫の如くばらまかれる水滴が投擲された黒鍵を弾き、テオドールへと襲いかかる。
既に至近と言っていい距離から放たれた魔術。常であれば回避のしようもなかっただろう。
しかしこれは既に二度見た魔術であり、来るとわかっていた魔術でもある。加えて先ほどの、魔術師の硬直。
この条件でかわせない方がおかしい。
前進の勢いを殺さぬまま、迫る熱波を横合いに転がって回避すると、起きあがる勢いとともに黒鍵を抜き放った。
狙うは必殺。
魔術を外して無防備を晒すその首を切り落とし、確実に始末をつける。
ついに魔術師を己の攻撃範囲に捉えたテオドールが、黒鍵を振りかぶった。
「
そのタイミングで魔術師の口から、新たな詠唱が漏れた。
だが、今からテオドールの攻撃を防ぐ魔術など間に合うはずがない。テオドールの黒鍵は、既に魔術師の首すじ数センチまで迫っているのだ。
あるいは相打ち狙いの攻撃魔術か。なんにせよこの首だけは落としたと、テオドールが確信した瞬間。
「
とてつもなく重い打撃が、テオドールの腹部を打った。
「ガッ……!?」
不意打ちに近い衝撃に身体が浮き上がり、攻撃の目測を誤る。結果、首を落とすハズだった黒鍵は、何もない空間を素通りするに留まった。
のみならず、テオドールの身体はそのまま二、三メートル以上も吹っ飛ばされる。
攻撃の瞬間に聞こえた声が、魔術師のそれと認識できたのはその後だ。
「ぐっ……」
思わぬ攻撃にうめき声を上げながらも、何とか受け身を取ったテオドールが立ち上がる。
その視界に飛び込んでくるのは、片足を高く上げ、今まさに振り下ろそうかという魔術師の姿だった。
「ちぃっ」
舌打ち一つを残してその場を離れる。
直後に振り下ろされる蹴撃。まるで削岩機を叩きつけたような震動と轟音を響かせ、魔術師の足はそれがさも当然かのように舗装された路面を砕いてみせた。
「
そして再び耳朶を打つ詠唱。
アスファルトを蹴り砕いた魔術師が、その驚異の脚力で以てしてテオドールに追いすがる。
身体強化系の魔術、とテオドールが思い至る頃には魔術師は既に右腕を振りかぶっていた。
離脱の最中、迎撃体勢の整わぬテオドールに容赦なく魔術師の右腕が襲いかかる。
アスファルトを容易く砕いた脚力だ。腕力も相当な強化が成されているとみるべきだろう。まともに受ければ骨の一本二本では済むまい。
それでもテオドールにはかわす選択肢は残されていなかった。
顔面を狙う掌底打ちに、咄嗟に左腕を差し出す。直後、左腕にとてつもない衝撃がはしり、テオドールの身体ごと数メートル以上も押し込んでいく。膝を折り、歯を食いしばって衝撃に耐えるも、おそらくこれで左腕は折られた。
それでもこの距離ならば、テオドールから差し返せる。
衝撃にぐらついた身体を奮い立たせて、テオドールは右腕を────、
ぼぎり、と鈍い音が響いた。
テオドールが受け止めた魔術師の掌底。その右腕が、差し出されたままだったテオドールの左腕を握りつぶしている。
驚愕に目を剥くこちらをよそに、魔術師はさらに右腕に力を込めるとテオドールを地べたへと引き倒した。
「
右腕一本でテオドールを押さえつけた魔術師が、残った左腕を振り上げる。左の拳に渦巻く膨大な魔力。
再度、顔面を照準した攻撃がテオドールに牙を剥いた。
「……砕ッ!」
魔術師の拳はまたもアスファルトを砕き、拳を中心にした一帯に、もうもうと土煙を起こす。
魔術によって
「そう簡単にはいきませんか……」
が、土煙の中、ゆらりと立ち上がった魔術師はそう呟いた。
一陣の風が土煙をさらい、魔術師の足下を露わにする。その足下には拳による破壊の爪痕が残されてはいたものの、そこにあるハズのテオドールの姿はどこにもなかった。
だらり、と魔術師の右腕が垂れ下がる。スーツの長袖に覆われた彼の右腕は、二の腕の辺りを切断寸前まで切り裂かれていた。
「……格闘の適正があるとは思わなかった」
顔面を粉砕される直前、魔術師の右腕を切り裂き、辛くも身をかわしていたテオドールが言う。
実際、相当に危うい回避ではあったが、なんとか生き残った。
そして生き残った以上、ここから巻き返しを図るのみである。
戦況は五分。
魔術師に握りつぶされた左腕は使い物にならないだろうが、あちらも右腕は使えまい。奇しくも隻腕同士なら、戦力差は万全の時とそうは変わらないハズだ。
魔術師には遠距離魔術があり、こちらには黒鍵の投擲がある。
強化魔術による近接格闘には正直肝を冷やしたが、既に『来る』とわかっている動きならば対応もできる。
残った左腕で、魔術師がメガネの位置を整えた。
再度の激突の、それが契機となった。
一旦距離を取ったとはいえ、間合いは未だ遠距離魔術のものではない。自然、お互いが選んだのは格闘による近接戦闘であった。
「
魔術師がそのあり得ざる脚力で、彼我の間合いを食い尽くす。コマ落ちした映像を見せられているかのような移動速度は、距離を取るにも詰めるにも、悪夢のような性能だ。
そしてそこから繰り出される拳打もまた、魔術師という人種では考えられないほどの速度とキレであった。強化の魔術にかまけた身体能力だけではない。明らかにそういった訓練を受けた者の拳なのである。
が、それを受けて立つのは代行者。
先ほどのように不意をついた攻撃ならばともかく、知っている動きに対応することなどテオドールには容易い。
瞬きすら許されぬ拳を首を振るだけでかわすと、テオドールは魔術師の懐深く踏み込んだ。ほぼ密着状態の魔術師の腹部に、折り畳んだ膝を叩き込む。
鈍い打撃音が響き、魔術師が身体を激しく揺らした。
だがテオドールの攻撃はこれで終わりではない。身体をくの字に折り曲げた魔術師の襟首を掴むと、思い切り引き寄せて頭突きを見舞う。互いの額を割るほどの頭突き。双方が受けた衝撃は推して知るべしである。
それでも仕掛けた側であるテオドールの方が立ち直りが早いのは当然。よろめく魔術師から手を離すと、テオドールは拳を握った。
一歩踏み込み、腰の捻転を利かせ、魔術師の顔面目がけて拳を叩き込む。
「……!」
手応えはあり。
テオドールの渾身の一撃は、魔術師の頬を捉えた。
同時、魔術師の左拳がテオドールの頬に突き刺さる。
テオドールの視界の外側から放たれた左フック。クロスカウンター気味の打撃がテオドールを打ち据えたのである。
「「……ッ」」
双方ともにお互いの拳の威力で弾き飛ばされた。
恐るべきは人一人を軽く吹き飛ばす拳の威力か、はたまたそれに耐える肉体の頑健さだったのか。
吹き飛ばされ、お互いに地べたに転がされながらも、当然といった体で立ち上がる。片腕が使えなくなろうが、内蔵に深刻なダメージがあろうが、今の一撃がアゴにきていようが、そんなものは関係がない。
互いに相手を撃滅すると決めた。ならば己の肉体にどんな損傷があろうが、敵を滅ぼすまで動きを止める訳にはいかない。動きを止めた時点で、それは敗北であり死である。
息を深く吸い込み、ゆっくりと吐いた。
たったそれだけの動作で全身が悲鳴を上げる。それはもう動くな、という身体からの警告だ。魔術師の一撃は確実にテオドールの骨を砕き、内蔵を潰している。
だがテオドールは止まらない。
止まれと訴えるその痛みが戦闘の妨げになるのなら、そんなものは見て見ぬふりをする。もとより、任務の為に肉体を限界まで酷使してこその代行者。
踏み込み、振りかぶり、打つ。
いま、このときだけは、それだけを行う機械でいい。
軋む身体を無視して、テオドールが魔術師に肉薄する。
対峙する魔術師は口元の血を拭うと、テオドールの突進を真っ向から受けてたった。
そこからはもう互いの血肉を削りあう格闘戦だ。
魔術師の拳を捌き、こちらの拳を叩き込む。
かわし損ねた蹴り足がテオドールの胸板を砕く。
黒鍵が敵の太股を裂き、掌打がこちらの肩を外す。
血を吐き、骨を砕き、肉を抉る。
ものの数分で満身創痍になった二人は、どちらからでもなく距離を置いた。
「
全身血塗れ。右腕に至っては辛うじて繋がっているだけの魔術師が、それでも少しの闘志も萎えさせずに呟く。
この短時間で数度耳にした詠唱。おそらくは身体強化の起点。
ここから『
今の詠唱は、強化の重ねがけではなく、強化のかけ直しだろう。距離を取る一瞬、魔術師の動きが鈍くなったようにテオドールには見えた。強化の持続時間そのものはそれほど長くないらしい。
その考察の直後、テオドールたちから数キロ離れた地点で、突如として大きな破壊音と震動が起こった。
音は未遠川を挟んで向こう岸から。離れていてもなお音が聞こえてくる程度には、大きな破壊だったらしい。
互いに一瞬だけ音の方角に目を向けたが、それだけだ。
今はそんなことよりも目の前の敵をぶちのめすことの方が先決なのである。
恐らくこれは、ランサーが宝具を解放したことによる破壊だ。
契約によってランサーと繋がっているテオドールは、破壊音の寸前、自分の身体から相応の魔力が引っこ抜かれていくことに気がついていた。
あちらは決着が近いか。あるいはもう着いてしまったか。
どちらにせよ、こちらの戦いも終わるまでにそう時間はかからない。
「……
呟いた魔術師が、路面を自身の血で染め上げながら、テオドールへと迫る。満身創痍とはとても思えない速度。
振り上げた拳が、テオドールをぶち抜く為に加速する。
対し、黒鍵を構えたテオドールが狙うのはカウンター。
拳をかわし、魔術師の心臓にこちらの牙を突き立て終わらせる。
きっとどちらも、この一秒未満の交錯ですべてが決着すると予感していた。
────だから、それは完全に不意打ちだったのだ。
テオドールへと飛びかかり、拳を振り下ろそうとしていた魔術師が、まるで何かに縫い止められたかのように空中で制止した。
「……!」
あり得ない制動に瞠目する。
同時、脳が警鐘を鳴らす。カウンターのタイミングを外された。
が、驚愕はテオドールのものだけではなかった。
動きを止めた魔術師が目を見開き、そして吐血する。
魔術師の胸からは鈍色の穂先が生えて────、
「まずは一人」
テオドールが状況を飲み込む前に、そんな声が耳へと届く。
そしてその時にはもう、状況は変わりすぎていた。
まるでボロ雑巾を放るように、赤い髪の男が穂先へと突き刺さった魔術師を投げ捨てる。
こちらの動揺など歯牙にもかけず、魔術師を背後から突き殺した男はテオドールへと槍を向けた。
赤い髪。赤い瞳。青い軽鎧に銀色の籠手。その手に握る鈍色の槍が、錆びた残像を宙に描く。
「そんで、これで二人だ」
血に塗れた切っ先が、風を裂いてテオドールへと撃ち込まれた。
心臓に照準されたであろうそれは、受けてしまえば文字通り致命の一撃だ。
驚愕も動揺も、状況の理解すら置き去りにして、無我夢中でその槍撃を防ぐ。
槍撃になんとか差し込むことが出来た黒鍵は、一秒の拮抗すら許されずあっさり砕かれた。それでも防御と同時に身をひねったおかげか、槍はテオドールのすぐ脇を抜けてあらぬ方向を突く。
「来い」
瞬く間に引き戻される槍を見ながら、無意識にテオドールの唇が動いた。
舌打ちし、槍を再照準する男の動きより、テオドールの言葉が吐き出される方がほんの僅か早い。
「……ランサーッ!」
直後、その声をきっかけにして、膨大な魔力が命令を遂行するために迸る。
まるでガラス窓を突き破ったかのような音が、辺りに響いた。
同時に、空が砕けたとしか言いようのない現象が起き、砕いた空から一人のヒトガタ────ランサーが出現する。
ランサーは、テオドールへ矛先を向ける男の遥か頭上から、三叉槍を手に容赦なく襲いかかった。
音と、魔力と、殺気。
赤髪の襲撃者が、自らの頭上に注意を向けるには十分すぎたらしい。
ぎょろりと視線が空を向き、すぐさま男は横合いに転がって、突き込まれる三叉槍をかわした。
「っとぉ!」
赤髪の男を捉え損ねた三叉槍が路面を砕く。
攻撃を外したと見るや、すぐさま槍を引き戻したランサーが、地面を転がる男に追撃をかける。
「
だがランサーの追撃は、解放された流体金属によって阻まれた。
それどころか流体金属は無数の針に枝分かれし、攻撃回数と攻撃面積の両方を武器に、ランサーに襲いかかる。
「チィッ」
全身を貫かんとする針を全弾叩き落として、ランサーが流体金属から距離を取った。
その間に、赤髪の男は悠々と体勢を整える。
「令呪か。いいね、そうこなくっちゃよ。仕事とはいえ、奇襲の上に弱いものイジメじゃあ、後味悪いと思ってたとこだ」
にやり、と口角をつり上げて赤髪の男が言った。
彼の足下には、今し方ランサーを迎撃した流体金属が付き従っている。
この姿。この宝具。間違いない。
テオドールとアサシンのマスターとの戦いに割って入ったのは、燃えるような赤い髪が特徴的なサーヴァント・ライダー。
無敵の肉体を持つランサーに傷を付けられる、海神の眷属である。
マスター同士の争いに奇襲をかけ、一挙に二つの陣営を潰すのが狙いだったか。
背後から胸の中心を穿たれたアサシンのマスターは、ライダーに投げ捨てられてからぴくりとも動かない。うつ伏せに倒れたまま血を流し続けている辺り、おそらく即死だったのだろう。
令呪によるランサーの転移が間に合わなければ、テオドールもあの魔術師同様、今頃は胸を穿たれて倒れていたハズだ。
「ま、そのザマじゃあ正々堂々って言うわけにゃあいかねえだろうが」
鈍色の短槍をランサーに向け、少しだけ気が抜けたような口調でライダーが言う。
アサシンのマスターに気を裂いていたテオドールは、ライダーの台詞に目を見張った。正確には、ライダーに揶揄されたランサーの状態を確認して絶句した。
「ランサー?」
何人たりとも傷つけることが出来ないハズのランサーが、口元から血を流している。のみならず、全身は僅かに痙攣し、顔面は蒼白であった。
どうみても普通の状態とは思えない。さらに、ランサーのマスターであるテオドールは、ランサーの損傷が見た目以上に深刻なことを見抜いてしまった。
戦闘行動は行えるだろうが、戦闘能力は著しく下がっている。
他のサーヴァント相手ならともかく、今の状態でこちらにダメージを与えてくるライダーの相手は出来ない。
「悪りぃが、見逃す気はねえぞ。雇い主からの命令もあるし、何より今まで横やり入れてくれやがった自業自得ってやつだ」
言いつつ、間合いを計るライダーの槍に、銀の流体金属が装着されていく。
その様子を見ながら、テオドールの脳内にランサーからの念話が届いた。
『業腹だが、退くぞ神父』
苛立たしげに、ランサーが言った。
出来ることなら撤退なぞしたくないと、その口調が物語っている。
それでも現状での不利もしっかりわかっているのだろう。ランサーが撤退を提案しなければ、テオドールが命令を下していた程度には、ランサーは消耗している。
ランサーに視線を合わせ頷いてみせると、彼は迅速に行動に移った。
ライダーにはもはや目もくれず、こちらの隣に移動したランサーがテオドールを抱き抱える。テオドールを連れての、一も二もない逃走の構えである。
「逃がす気はねえって、言ったろうがよッ!」
撤退の動きを見たライダーが吠え声を上げた。
鈍色の槍に装着された流体金属がこちらに向かって伸び、まるで鞭のようにしなりながらランサーを打つ。
しかし、負傷したとはいえどランサーは最速の英霊だ。しなる銀の鞭を危なげなく回避し、ライダーから距離を取ろうと走る。
だが、思うように距離が離せない。それどころか、伸長し続けるライダーの鞭に徐々に追いつかれはじめていく。
自身の負傷。
マスターという荷物。
間合いを潰すライダーの宝具。
この三つが噛み合って、ランサーとライダーとの間にあった敏捷値の差が埋まってしまったのだ。
このままでは離脱前に追いつかれる。追いつかれれば、少なくともテオドールは死ぬだろう。そうなれば魔力切れでランサーも消滅だ。
勝ちの目を感じとったのか、ライダーの槍が鋭さと回転数を上げてランサーに襲いかかる。
しなり、伸び、変幻自在に軌道を変える槍撃を、とうとうランサーが回避し損ねた。テオドールを片手に抱えたまま、やむを得ず迎撃を選択する。
「足を止めたな?」
そして一旦足を止めてしまったのなら、もうそれでおしまいだ。回転数を上げ続ける槍の前に、守りに入ったランサーはその場で釘付けにされてしまう。
「このまま削り殺してやる!」
「ぬかせ、海神の
槍を捌くランサーが激情のまま叫んだ。
それと同時、テオドールの脳内に『多少の被害には目をつぶれ』と念話が届く。
「あまり俺様をなめるなッ!!」
何を、とテオドールが問うよりも早く、防御の構えを解いたランサーが槍を投擲した。
ライダーとテオドール、双方が目を見開く。
戦場で、それも敵の攻撃を防いでいる最中に武器を放り投げるなど、尋常ではない。
案の定武器を失ったランサーは、ライダーのしなる槍に打たれて大きく損傷した。
咄嗟にテオドールと自身の頭を庇うように動いたようだが、被害は甚大。戦闘の続行などもはや不可能なレベルだ。
一方で、投擲された三叉槍はすさまじい勢いで飛んでゆく。わざわざ防御を捨ててまで投げただけのことはある。命中すれば、ライダーにも大きな被害を与えられたハズだ。
だが、無情にも三叉槍がライダーに命中することはなかった。
すさまじい勢いで突き進む槍は、ライダーを捉えるどころか、かすりもせずにライダーの遥か後方へ飛んでゆく。
「ハッ、どこを狙って────」
「狙い通りだ、バカ者めッ!!」
嘲るライダーを遮って、血塗れのランサーが吼える。
「
三叉槍が消えていった方角に、ランサーが手をかざす。
ざぶり、と遠くの方で、何かが着水する音を聞いた。そして、
「……
真名の解放を以て、投げられた槍が起動する。
「!」
まず初めに異音があった。地鳴りのような、低く、そして腹の底に響いてくる音。
次いで、膨大な魔力の塊がライダーの遥か後方からせり上がってくる気配。
「なんだと……!?」
思わず、といった体で振り返ったライダーが、驚愕の声を漏らした。
そしてその感情はテオドールも同じだ。目の前の光景に、言葉を失うしかない。
テオドールの目に映ったのは、こちらへと押し寄せる津波の姿であった。
波の高さは三十メートル以上。横幅は────この辺り一帯なら間違いなく余裕で飲み込む規模。
ただそれだけで圧倒的な破壊のエネルギーを持つ津波は、しかしこの時においてはそれだけに留まらない。
巨大な津波から感じるのは確かな魔力の気配。そしてその魔力はランサーの宝具のそれだ。
迫り来る津波に目を凝らせば、荒れ狂う波濤の中に魔力を放ち続ける三叉槍の姿が見て取れた。
やはりこれはランサーの宝具。だが、これだけの津波を起こせるほどの水量を一体どこから。
が、テオドールの疑問が解消されることはなかった。
押し寄せる津波に思考する時間はあれど、質疑応答を行う時間など、それどころか逃げまどう間すらない。
程なくして到達した津波が標的ごと深山町を飲み込み、破壊の爪痕を刻み込んでゆく。
「ラン、サァアアアアアアアッ!!」
その最中、テオドールはランサーの腕の中で、ライダーの怨嗟の声を聞いた。
ざばり、と水を滴らせながらライダーは立ち上がった。
「クソッ、二度も逃げられてちゃ世話ねえな」
ガシガシと頭をかきながら吐き捨てる。
言葉の通り、ランサーには主従共々逃げられてしまった。
双方ともに戦闘不能寸前であったのでしばらくは戦場に出てこないだろうが、そんな状態の敵に逃げられたライダーのプライドは傷つき気味である。
『逃げられはしましたが、成果もありました。キャスターの攻撃が通るとわかった以上、ランサーはそう倒しにくい敵ではありません。
ランサーの真名は貴方の予想通りとみていいでしょうね』
こちらの独り言に念話を返したマスターに苦笑する。
「ま、真名関連はお相子だろ。向こうも俺の正体に感づいてたみてえだしな」
海神の小倅。
前回の戦闘では『海神の眷属』と称したライダーを、今回の戦闘ではそう呼んだあたり、ライダーの正体はバレている可能性が高い。
同じギリシャ系のサーヴァント。お互いに海神と関わりがあり、目の前で宝具まで解放したのだから、気付かない方がどうかしているレベルだとは思うが。
『ランサーの宝具で人払いの結界も破壊されてしまったでしょう。人が集まってくるまでに帰還しなさい』
「はいよ」
ため息を吐きながら辺りを見渡す。
辺り一面は酷い有様だった。
未遠川方面から押し寄せた津波は堤防を乗り越え、容赦なく深山町を蹂躙していった。ライダーがざっと見渡した限りでも、倒壊した建物、押し流された自動車、ひしゃげた道路標識、砕かれたアスファルトにそこかしこに溢れる瓦礫、と散々なものだ。
不幸中の幸いだったのは、これが自然発生した津波ではなく、ランサーの宝具によって引き起こされたものだった、という点だろうか。
広範囲を巻き込んだかに見えた津波は、深山町に到達した途端、周囲に拡散するのではなく、その圧倒的な水量を一点に集め始めたのである。
その一点とは倒すべき敵であり、この場合であればライダーということになる。到来した津波は、その後渦巻く水流となってライダーを襲ったのだった。
結果、あれだけの津波が押し寄せたとは思えないほど、深山町の被害は小さい。あくまでも同様の自然災害が起きた場合の比較ではあるのだが。
それと反比例して、津波を一点に集められたライダーの周囲は目も当てられない惨状である。ただ対軍宝具の直撃を受けただけとは思えない破壊の痕がそこかしこに刻まれている。
ただ水は、本来あり得ない速度で引き始めていた。
魔力で無理矢理に持ってこられた反動だろうか。津波となって押し寄せた大量の水は、破壊の限りを尽くした後、元の場所────未遠川へと還り始めている。
『貴方の宝具がアレに耐えられたことも、こちらとしては嬉しい誤算でしたね』
「だから令呪の強制送還はいらんと言ったろう? ま、相性が良かったってのも大きいがな」
今でこそ攻撃に転用しているが、ライダーの宝具、
通常の状態ではただのCランク宝具に過ぎないが、相手の攻撃を防ぐ場合には元々のランクにプラス補正が加わった状態の防御宝具として使用できる。
ライダーは津波に巻き込まれる瞬間、展開していた
「しかしまあ、滅茶苦茶やりやがるな、
最後にそう呟いてから、ライダーは霊体化した。
あとに残ったのは、破壊され尽くした町並みだけであった。
※ランサーの真名特定余裕過ぎな件。あとライダーも。
テオドールと交戦していた彼は、魔術師というよりも魔術使い。詠唱はきっと外国語で言ってるんだろうけど、どうせ綴りとか間違えてボロがでるので、日本語で書いてます。脳内変換してください。
前回のお話読んでもらえればわかると思いますが、今回のこれも踏まえると、前回ラストのアサシンへの念話と彼が刺されたタイミングがほぼ一致で
アサシン念話→即ランサー強制送還となるので、アサシンが撤退命令受けた瞬間くらいにランサーが消えていたり。
満を持して出てきたのに、速攻でランサーに消えられて、呆然としている隙にアサシンにも撤退されてぽかーんしているキャスターが目に浮かぶようだよ(愉悦)
【ステータスが更新されました】
【CLASS】ランサー
【真名】???
【マスター】テオドール・デュラン
【性別】女性
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力B 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:B+
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
たとえBランク以上の魔術であっても、それが性別に依存する魔術ならば効果を軽減できる。
【固有スキル】
地形適応:C
地形に適応する能力。
地形条件によるステータスの低下を防ぎ、地形によっては自身のパラメーターをランクアップさせる。
ランサーは特に海・河川への適応が高い。
【宝具】
『
ランク:B
種別:対人(自身)宝具
レンジ:ー
最大補足:1人
あらゆる攻撃を無効化するランサーの肉体。
物理・魔術問わず、あらゆる攻撃を無効化するが、海神系のルーツを持つ者には、この宝具の無敵性は発動しない。
『
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大補足:1人
ランサーが『最高』と豪語する三叉槍。
穂先へと周囲の水分を収束・圧縮し、相手へと叩きつける。
河川や海など、周囲が水で満たされている場合、ランクと種別が向上する。
【CLASS】ライダー
【真名】???
【マスター】レオン・モーガン
【性別】男性
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:D
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
騎乗:A+
騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし竜種は該当しない。
【固有スキル】
神性:D(B)
神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
海神ポセイドンが父であるとされるライダーは、本来なら高い神霊適正を持つのだが、現在は大幅にランクダウンしている。
【宝具】
『
ランク:C++
種別:対人宝具
レンジ:1~12
最大補足:1人
意志を読みとる流体金属。
普段は籠手として担い手の腕に装備されているが、真名解放で流体として解放され、敵に襲いかかる。担い手の意志に応じてあらゆる形状に変化させられる他、敵の魔力に反応してある程度の自動迎撃も可能。
また、武器へと装着することで武器のレンジを調節することもできる。
この宝具の本来の用途は攻撃ではなく防御であり、盾などの形状に変化した際には攻撃を反射する特性を持つ。