Fake/Another apocrypha after   作:ハトスラ

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四日目 騎英の手綱

 目の前で人が一人死んでいる。

 胸に去来するのは『どうしてこんなことになってしまったのか』という、強烈な感情。目の前の死体には見覚えなど全くないハズなのに、それを見た瞬間から意味もなく泣きたくなってくる。

 

 理解不能な感覚に目を閉じると、次に飛び込んできた光景はどこぞの玉座の前だった。

 

 ────ここは、どこだ?

 

 そう呟いたつもりの唇は、その実なんの音も発しない。

 困惑のまま辺りを見渡して、玉座の前に跪く一人の青年の姿が目に入った。

 

 燃えるような赤い髪と、血の色を写したかのような瞳。控えめな装飾が施された軽鎧に身を包み、膝をついて玉座を見上げる彼を、レオンは知っていた。

 

 サーヴァント・ライダー。真名をベレロフォン。

 強者ぞろいのギリシャ英雄の中でも、ギリシャ七英雄の一人に数えられるほどの勇者である。

 

 彼の見上げる先には一人の王。

 王は一通の手紙を取り出すと、勇者に向けてこう言った。

 

『この手紙を持ち、リュキアの王を訪ねるがよい』

 

 手紙を受け取った勇者に対し、王はこうも続けた。

 

『ただし決して手紙の中身は見ないこと』

 

 そこまでを聞いて、レオンはこの光景が夢なのだと、ようやく悟った。

 これはサーヴァントの記憶。契約で繋がったサーヴァントの記憶を、夢という形で共有してしまう、一種の共感状態に他ならない。

 

 その理解と同時、またも場面が切り替わり、レオンの目の前には一面の雲海が広がっていた。

 見渡す限りの青い空と、眼下に広がる雲海。頬を撫でる風は冷たく、夢とは思えぬほどの感触をレオンに与えてくる。

 

 飛んでいるのだ。

 それも、雲すら見下ろすことができるほどの高みを。

 

 ゴオッ、と耳鳴りのように風を切る音がする。

 高く高いこの場所を、凄まじいまでの速さで移動しているのだろう。眼下の雲海が勢いよく後方へと流れてゆき、とうとう雲間から地上を見下ろすことができた。

 

 

 ────遠い。

 

 

 それはレオンにとって、おおよそ地図のようなものに見えた。

 

 地上の地形はよくわかる。

 どの辺りに人の住む土地があるのかもわかる。

 けれど、そこにどんな人がいて、どんな暮らしがあるのかなど全くわからない。全体図が見えても、細やかな場所はさっぱりわからないものだった。拡大できない航空写真を眺めているのに似ている。

 

 それほど、ここ()と地上は遠く離れすぎていた。

 

 それにも関わらず、レオンは全く恐怖を感じていなかった。

 空の美しさに瞳を奪われるほどの余裕を残しているほどだ。

 これだけの高度を、いつ振り落とされてもおかしくないようなスピードで飛んでいるというのに。

 

 無論、これが夢であることも原因の一つではあっただろう。

 しかしそもそも、この(記憶)の本来の持ち主が、この光景をちっとも恐ろしいと感じていない、という点が大きかった。

 この程度、勇者にとっては日常茶飯事。景色を楽しむ余裕はあっても、落下の恐怖などとはほど遠い。

 なによりも、勇者は相棒に全幅の信頼を置いていた。

 

 ギリシャ七英雄・キマイラ殺しのベレロフォン。或いは、天空騎兵ベレロフォン。愛馬とともに自在に空を駆け、恐るべき魔獣を討ち滅ぼした英雄。

 人馬一体。空を自在に駆ける勇者と天馬にとって、天空(ここ)こそは彼らの力が最も発揮できるホームグラウンド。恐怖などありはしない。

 

 

 ────あるとするならばそれは、これより戦うことになる魔獣への恐れのみ。

 

 

 これは英雄ベレロフォンの記憶。

 彼を戦士から英雄へと昇華させた魔獣との戦い。レオンはその追体験をさせられている。

 

 気付けば雲を眼下に捉えていたほどの高度は随分と落ち、目の前には荒れ果てた岩山。そしてそこに住む怪物の姿。

 

 伝承に曰く、それは獅子の頭と山羊の胴体、蛇の尾を持ち、近づく者を焼き払う死の猛獣である。

 ギリシャ最大最強の怪物・テュポーンと怪物たちの母・エキドナから生まれた、まさに怪物の中の怪物。魔術協会における『動物学科』の別名、あるいはその学部で扱われる合成獣たちの名、その語原。

 

 合成魔獣キマイラ。

 火山を縄張りにし、周囲へと破壊をまき散らすリュキア王国の災厄。

 リュキアの王より討伐を命じられた、ベレロフォンが倒すべき怪物である。

 

 目が合う。

 獅子の眼光。こちらのことなど、蹂躙すべき獲物としか見ていない冷ややかな視線に、レオンの背筋は凍り付いた。

 

 が、これは勇者の記憶。

 恐るべき魔獣へ立ち向かう恐怖。それすら超えられずに何が英雄。何が勇者か。

 咆哮し飛びかかるキマイラを前に、勇者と天馬は引くどころか前へと踏み込んだ。

 

 交錯の瞬間、振るわれる死の鉤詰め。

 ギラリと光る凶器を軽くいなし、勇者の槍が魔獣の肩口を抉る。

 魔獣の絶叫を背に、すれ違った勇者が手綱を振るうと、天馬は乗り手の意志を汲んで急上昇。

 直後、キマイラの(大蛇)が標的の失せた空間に叩きつけられた。ずしり、と重々しい音とともに大地が割れる。

 上空よりそれを見たベレロフォンはしかし、一切の恐れを感じさせない果敢さで、再びキマイラに向かって急降下を仕掛けた。

 二度目の交錯。キマイラの牙も爪も巧みにかわしきった勇者の槍は、魔獣のわき腹を貫き、そして貫いた直後には魔獣の手の届かない上空へと逃れている。

 

 勝った、とレオンは思った。勇者が仕掛ける鮮やかすぎるヒットアンドアウェイ。

 いかに魔獣の攻撃力が優れていようとも、当たらなければ効果はない。そして魔獣には上空に逃げる天馬を追うすべがない。

 加えて勇者には油断も慢心もない。多くの戦士を屠ってきた魔獣を前に、勇者の気が緩むことなど断じてない。

 

 再三の突撃。

 与えられる傷は僅かだが、確実にキマイラに蓄積されていく。

 対する勇者と天馬は未だ無傷。

 これならばキマイラが不死身でもない限り、負けようがない。

 

 そんなレオンの楽観は、十数度目になる突撃の折り、あっけなく打ち砕かれた。

 

 勇者がすれ違いざまに振るった槍。キマイラの背に直撃したそれが、耳障りな音を立てて弾かれる。

 瞠目した勇者の挙動が一瞬停止。その隙を突いて、切り返された魔獣の爪が勇者を襲った。

 が、驚愕から反応の遅れた勇者に代わり、彼の足となっていた天馬が咄嗟に空へと舞い上がる。狂爪は勇者と天馬のどちらもかすめることなく、空気を裂くに留まった。

 

 上空へと逃れた勇者が、怪しげに魔獣を見る。

 勇者の槍は確かに魔獣を捉えていた。それも加減のわからなかった初撃とは違い、この戦法に慣れつつある今の一撃は、ざっと見積もって初撃の三倍ほどの威力が乗った一刺しだ。万に一つでも弾かれる可能性などありはしない。

 それが弾かれたというなら、原因は恐らく────、

 

 そう思考を巡らせる勇者の前で、キマイラの体色が変化していく。

 鮮やかな金の体毛を持つ獅子の頭も、黒く艶のあった山羊の胴体も、すべらかに光を反射する緑の鱗持つ蛇の尾も。それら一切合切が濃い赤銅に染まってゆく。

 まるで錆びた金属のような。否、事実それは金属であったのだろう。赤銅色に染まった魔獣が身じろぎするたび、ギシリと金属が擦れる音が響き、赤い錆が地面へと落ちた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 魔獣が吼える。

 耳をつんざく咆哮とともに、赤銅色の魔獣が天馬のいる空へと飛びかかってくる。

 

 勇者の判断は迅速であった。

 即座に天馬を後退。飛びかかる魔獣をやり過ごすと、落下していく無防備な背に槍を突き立てるべく、手綱を操り加速する。

 十分な速度の乗った突きは赤銅色の背を捉え、魔獣の血をまき散らしながら抉りとった。

 だが浅い。

 初撃の感触でいえば、魔獣の身体を貫通させていてもおかしくはない一撃は、僅かに魔獣の肉を抉りとっただけ。やはり勘違いなどではなく、この魔獣は堅くなっている。

 

 舌打ちを一つ。

 それだけでこの事態を飲み込んだ勇者は、落下しうずくまる魔獣に追撃を仕掛けるべく再びの加速。

 硬化しているのならその防御を貫く速度を以てして刺し殺す。

 

 一方で勇者に叩き落とされた魔獣は、うずくまったままビクビクと痙攣し始めた。

 赤い錆を落としながら震える魔獣の背にヒビが入る。ビシリ、ビシリ、と音を立てながら亀裂が大きくなる。

 

 これ以上の変化なぞさせまいと、勇者の槍がその背へと突き込まれた。

 ガギン! と鈍い手応え。

 まるで硬い岩盤を突いたかのような感触を訝る間もなく、ヒビ割れの中に吸い込まれた槍が、凄まじい反発力で以て弾き返される。

 

 再び舌打ち。

 苦々しい思いは浮かべど、勇者にはもはや驚愕などない。皮膚の硬質化は既に見ている。そのことで二度も三度も足を止める必要はない。

 迅速に冷静に、ベレロフォンは距離を取った。速度を乗せれば威力が乗る。そのためには助走距離が必要だ。次は今の倍の速力を以て貫く。

 

 助走距離を稼ぐために離脱した勇者の眼下で、うずくまるばかりだった魔獣がついに再起動を果たした。

 痙攣しながら立ち上がり、ぶるぶると身体中から赤錆を落とす。

 直後、背中のヒビ割れが葉脈のように魔獣の全身に広がり、そのままビシリという音を立てて砕け散った。

 まるで魔獣そのものが砕けたかのように思われたが、そうではない。砕けたのは魔獣の全身を覆っていた赤錆だけである。

 

 或いは、魔獣の行う一連の変化は、昆虫でいう変態のようなものだったのか。

 (さなぎ)が蝶に変わるように、古い外装を脱ぎ捨てたキマイラは、それまでとは姿が一変していた。

 

 獅子の頭部と山羊の胴体。その接続部から不自然に山羊の頭が二つ生えている。蛇の尾は三つ叉に分かれ、それぞれの先端から大蛇の頭が舌を伸ばし、毒を滴らせる。

 身体自体も二周りほど大きくなっているようだが、変化はそれだけではない。なによりも大きな変化が一つ。

 キマイラの黒い胴体から、一対の黒い翼が延びている。

 

 白馬と白鳥が調和したような天馬の美しさとは違う。

 激しく混ざり合った獣たちに、ついでだからとコウモリの羽根を付け加えてみたような歪さ。

 

 ぞわり、と勇者の背筋に悪寒が奔る。

 直後、絶叫とともに魔獣が飛んだ。

 それまでの放物線を描くような飛びかかりではない。キマイラを見下ろすベレロフォンに向け、真っ直ぐ飛翔したのである。

 

 速く、鋭い。

 

 その認識と同時に打ち払う。

 助走の為に距離を離していたことが幸いした。彼我の距離を一瞬にして食いつぶす程の速力は、ベレロフォンの予測を遙かに超えている。初見で打ち払えたのは運が良かったとしか言いようがない。

 ビリビリと、槍を持つ手が震えた。魔獣の強襲、その余韻が痺れとなって勇者の腕に残っている。

 

 ベレロフォンはすぐさま振り返った。

 が、その時には既に、槍に弾かれたハズの魔獣が再び迫るところだった。

 手綱を操り急旋回。乗り手を振り落としかねない挙動で、天馬が魔獣をかわしきる。

 

 ベレロフォンの脳裏に、捨て去ったハズの驚愕が蘇った。

 

 

 ────速いのは直進飛行だけではない。初めて空を飛んだとは思えないほど、あの魔獣は空中での旋回速度に優れている。

 

 

 そこからはもう一進一退の空中戦だ。

 目まぐるしいほどの急旋回、急加速、急停止、急上昇、急降下。互いに激突し、かわし、かわされ、また激突する。

 時に平行し、時に螺旋を描いて天馬と魔獣が空を駆ける。

 

 それは誰もが知らない戦いだった。

 獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾。誰もが知るキマイラは、空など飛ばない。翼などない。ベレロフォンと天馬を相手に、互角の戦闘をすることなど適わない。

 

 何度かの激突を介し、勇者は互いの戦力を分析する。

 機動力、突進力、防御力はこちらが上。

 対し、攻撃力と耐久力は魔獣が一歩上だ。

 天馬の有する加護は魔獣の攻撃を大幅に軽減するが、それにも限度はある。殺しきれなかった威力は、確実に勇者と天馬を傷つけていく。

 一方、天馬のような加護の力を持たない魔獣は、勇者と天馬の攻撃に激しく傷ついているものの、そのタフネスが尋常ではない。機動力も攻撃力もそのままに、こちらへと襲いかかり続ける。

 

 このまま空中戦を続けるのならば、恐らくは相打ち。否、天馬が健在でも先に勇者がまいる。いかな英雄といえど、幻獣と魔獣とのスタミナ勝負についていけるほど頑健ではない。

 そして勇者が脱落すれば、その先に待っているのは天馬の敗北だ。

 そもそもの話、この天馬は戦いに全く向いていない。基礎スペックで魔獣を上回っているものの、優しすぎて戦闘行動そのものを不得手としているのだ。闘争の為だけに存在するかのような魔獣とは根本からして違う。

 現状の戦闘は、天馬の性能を勇者が戦闘向けに引き出しているからこその五分だ。乗り手の判断に大きく依存した戦闘で五分なら、乗り手を失った天馬が敗北するのはどうあっても避けられない。

 

 故に勇者たちが勝利するためには、今すぐに魔獣を粉砕するしか道はなかった。

 

『やるか、相棒(兄弟)

 

 そう言って、勇者が天馬の首筋を撫でる。応えるように(いなな)いて、天馬は魔獣との距離を引き剥がしにかかった。

 

 切り札はこちらにあり。

 その使用の為には、充分以上の加速距離がいる。

 

 だが、魔獣はそれを許さない。

 自らの攻撃圏外に逃れようとする勇者たちを執拗に攻め立て、離脱を妨害する。

 それは魔獣の本能だったのだろう。ここで距離を離されたら最後、必滅の一撃がくるのだと確信している。

 

 もつれ合いながら飛ぶ天馬と魔獣。

 爪を、牙を巧みにかわしながら、どうにか魔獣の足を止めようと、勇者の槍が何度も翻る。

 手応えはある。けれど槍は魔獣を削り穿つものの、有効なダメージを与えられない。血塗れになりながらこちらに向かってくる魔獣は、何度突かれようとも止まらない。

 それどころか、魔獣は逆にこちらの足を止めようと()を伸ばしてくる。勇者が振るう槍を掴んで、引き落とそうというのだろう。

 四足獣にはおよそ不可能な芸当ではあるが、今のキマイラはそれが可能なほどに変化している。

 

 

 ────リュキアの民が言うには、それは元々、一頭の山羊であったらしい。

 

 

 山羊は、自らを捕食しにきた獅子を逆に平らげ、次いで近くを縄張りにしていた大蛇をも喰らいつくした。

 山羊はその時点ですでに山羊ではなく、獅子の頭と山羊の胴体、蛇の尾を持つ奇っ怪な生物へと変わっていたという。つまり、伝承に残るキマイラの基本的な姿だ。

 

 けれど肝心な話はむしろここから。

 キマイラへと変化した山羊は、リュキア火山を縄張りとして、多くの生き物を喰らった。肉食獣も草食獣も、野生も家畜も関係なく。

 そうなればリュキア王国から、魔獣の討伐隊が派遣されるのは時間の問題であり、実際に討伐隊はキマイラを討つべく火山へと派遣され、そうして大敗した。

 弓を、剣を、槍を用いて戦って、何度も何度も敗れたのだ。リュキア王が、『この魔獣には勝てない』とそう諦めるまで何度も。

 そう、何度もこの魔獣に『進化の為の餌』を与え続けた。それとは知らず。

 

 ベレロフォンの視界を共有しているレオンは、恐怖とともにその魔獣を見た。

 

 まず目に入るのは、黄金のたてがみを持つ獅子の頭。その両脇から無理矢理繋がっている山羊の双頭と、二対の黒翼。

 一対はコウモリの羽根を巨大化させたようなものであり、もう一対はカラスの羽根のようでもある。

 翼のある胴体からは、さらに()()()()が四本ほどぶら下がり、それぞれが何か歪な武器のようなものを握っている。

 尾は今や八つに分かれており、蛇の頭以外にも、猛毒を滴らせるサソリの尾までが混ざっていた。

 

 これはレオンの推測でしかないが、キマイラとは『混ぜ合わせた獣』ではなく、『混ざり続ける獣』なのではないだろうか。

 

 よくよく見れば魔獣の爪はただの爪ではなく、いくつもの剣を重ね合わせたものだし、牙だって恐らくは鋼鉄性だ。一見ただの体毛に見えるものだって、鉄や青銅といったもので構成されている。

 つまりは、今まで喰らってきたものたちの属性だ。そしてこの獣は、何かを喰らい続ける限り際限なく混ざり続ける。

 

 それが、レオンには恐ろしい。今でさえ手が着けられないというのに、この先この魔獣はどこまで変化してしまうのか。これ以上餌を与えれば、世界すら食い尽くすほどに成長してしまうのではないか、と不安になる。

 

 きっとその不安は勇者も抱いていたことだったのだ。

 変化に次ぐ変化。次第に失われていく優勢。冷静にそれを認識しているのに、『撤退』ではなく『決着』を選んだのは、今すぐに魔獣を滅ぼさねばならぬと感じたからだ。

 

 槍を掴もうと伸ばされた腕を、天馬の後ろ足が蹴り潰す。同時に、こちらへと巻き付こうと迫る蛇の尾を、勇者の槍が切り払った。

 血と肉をまき散らしながら潰れた部位を、如何なる原理か、魔獣はその身体から切り離した。まるで根菜を引き抜くように、潰された腕とともに()()()()()のようなものが、ずるり、とキマイラの身体から抜け出て地上へと落下してゆく。

 が、腕はまだ三本健在であり、蛇の尾も残り二本ある。キマイラは攻勢を緩めない。

 その上、切り離した部分からはまた新たな部位が生まれようとしていた。

 そも、キマイラがこれまでに喰らった生き物の数は、それこそ十や二十では利かない。キマイラが喰らったものの特性を得るのならば、変化するための材料などまだいくらでもあるハズだ。

 果たして、勇者と激しい立ち回りを演じるキマイラからは、猛禽の頭部と切り払われる以前よりも太くなった大蛇の尾が生まれたのである。

 もはやなんでもありの魔獣を見て勇者は軽く笑みさえ浮かべたが、

レオンは寒気が止まらなかった。

 

 直後、キマイラの口腔から炎が放たれる。

 獅子、山羊の双頭、猛禽、蛇の尾。それらの顔を持つ部位からの、炎による一斉射撃。広範囲に吐き出される炎は、魔獣との距離も相まってかわしようがない。

 だが、かわせなければ勇者はここで終わりだ。

 キマイラの炎は、元々岩をも溶かすほどの代物である。元の形態から変化して頭部を増やした今の火力は、少なく見積もってその数倍。天馬の加護があるとはいえ、まともに受ければひとたまりもない。

 

 自らを破滅させるであろう炎をしかし、勇者は獰猛に笑って歓迎した。

 

『そいつを待っていた!』

 

 勇者の左腕。そこに装着された銀の籠手が、雫となってキマイラの炎の前に落とされる。

 銀の雫は一瞬にして肥大化すると、炎ごとキマイラを包むように展開した。

 

 

 炎牙封殺(ブレイカー)()混沌魔獣(カオスビースト)

 

 

 炎を反射し、キマイラを焼き殺したと言われる宝具。

 その伝承の通り、銀の流体金属は拡散する炎の勢いをそのままキマイラへと跳ね返す。

 のみならず、大きく展開された銀色の宝具は、まるで絡みつくようにキマイラへと襲いかかった。

 

 魔獣の絶叫。

 宝具によって拘束されたキマイラが、反射された自らの炎で身を灼かれてゆく。翼を、たてがみを、腕を、尾を、身体中の様々な部分を焼け落としながら苦悶の声を上げ、炎から逃れようとする。

 だが、勇者の宝具はそれを許さない。魔獣の全身を包み込んだ流体金属はその動きを阻害するどころか、灼かれ続ける魔獣をそのまま絞め殺さんとばかりに拘束を強めていく。

 

 魔獣からすれば、もはや勇者と天馬を追うどころの騒ぎではない。

 そして魔獣が動きを鈍らせた隙を逃すほど、勇者は甘くはない。

 もがく魔獣を後目に、天馬は大きく加速して魔獣を引き離した。

 

 速く、速く空を駆ける天馬は、まるで一条の流星。

 白昼の流星は天へと還ろうとするかのように高度を上げて、さらにさらに加速してゆく。

 

 流れゆく景色の中で、勇者は眼下を流し見た。

 上空から見下ろす空には、拘束されもがき続ける魔獣の姿。

 恐らくは、あのまま放置しておいても死にはしないだろう。現にあの魔獣は、身体中のあらゆる部位を削ぎ落として炎と宝具から逃げおおせようとしている。

 

 ならばこそ勇者は、さらなる必殺を以て魔獣を粉砕する。

 

 天馬を操る手綱が、眩く輝いた。

 遙か高みへと昇りゆく天馬の限界が、一つ、また一つと外れてゆく。その度に大きく加速する天馬は、加護の力すらも倍加させて天上を駆ける。

 

 求められるのは完全必殺。

 それ故の長い長い加速距離。加速しながら大きな円弧を描いて、天馬がついに最高速度に達した。

 

 決着の時は今。

 輝ける手綱をしっかと握りしめ、勇者は高らかにその真名を紡ぎ上げる。

 

騎英の(ベルレ)……、手綱(フォーン)ッ!!』

 

 真昼の白い流星が、空を切り裂いて天上から地上へと奔った。

 ただ空から流れる一条の光は、射線上の一切を粉砕して────、

 

 

 

 

 

 

 

「……う、ん」

 

 ぼんやりとした思考のまま、レオンは目を覚ました。

 脳裏にはたった今見た夢の内容がこびり付いている。

 魔獣キマイラと英雄ベレロフォンによる戦い。神話の内容を間近で見せられて、レオンは身が竦む思いだった。

 

 神話に語られるベレロフォンは、神々からペガサスとそれを操る手綱を与えられ、リュキア火山に棲みついていたキマイラを上空から一方的に殺したとされている。

 だが、蓋を開けてみれば一方的などとはほど遠かった。ペガサスを自在に操った高速戦闘でようやく互角。

 そもそもからして、あのキマイラの形態も、その特性も誰もが知らないものである。神話に語られるキマイラなどよりも、ベレロフォンの記憶にあるものの方が遙かに強力で凶悪だった。

 

「というか、英霊たちはあんなものたちを……」

 

 呟きながら寝所を後にする。

 世界に刻まれる英雄たちは、ベレロフォンがそうであるように、多かれ少なかれ怪物の類を殺してきた者である。それが聖杯戦争に喚ばれるような者たちであるのなら尚更だろう。

 

 改めて英霊たちの凄まじさを思い知った気持ちだ。

 今後はライダーに対する態度を少し改めようか、とそう思った。

 

 そう、思っていたのに。

 

「……なにをやっているんですか、このサーヴァントは」

 

 レオンの目の前には、気持ちよさそうに寝こけるライダーの姿。

 身支度を整えて自分の部屋から出た矢先、共有スペースの長椅子に横になっているライダーを発見したのだ。

 

「起きなさい!」

「ふあ……?」

 

 すかー、と気持ちよさげな寝息を発てるライダーに、思わず声を荒げる。

 今さっき見た夢のおかげで幾らか回復していたライダーへの畏怖やら尊敬の念は、普段着のままだらしなくソファで熟睡している彼のせいで一瞬にして瓦解した。

 なんだか裏切られたような気分になって叫んでしまったのだが、ライダーからすれば全く以て身に覚えのないことであろう。寝ぼけ眼をごしごしとこすりながら、うーんと大きく伸びをしてライダーが身を起こした。

 

「おう、なんだ。敵襲か?」

「敵襲か? ではありません。貴方はこんなところでなにをしているのですか!?」

「寝てたんだけど……?」

 

 キョトンとした顔でライダーが言う。

 怪訝そうな彼の視線はレオンから壁掛け時計に移って、ますますわからないという顔になった。

 

「まだ5時前じゃねえか。こんな朝っぱらから、サーヴァントを使うような仕事があんのか」

「5時……!? いえ、そうではなく。なにはなくとも周囲の警戒は貴方の仕事でしょう。今は聖杯戦争中なんですよ。だいたい、そもそもからして貴方に睡眠は必要ないでしょう」

 

 現在時刻を把握していなかったレオンは、ライダーの言にたじろいだ。が、それとこれとは別問題だと切り替える。

 ライダーの方はそんなレオンの様子を、どこか呆れ顔で眺めていた。

 

「しつこいね、アンタも。ここにゃアンタらの張った結界と、キャスターの奴が作った工房があるんだから、別に俺の警戒なんていらねえだろ」

「そういう問題ではありません。だいたい、休むなら休むで霊体化すればいいだけの話でしょうに。なぜにわざわざ実体化して睡眠の真似事など……」

「そいつは昨日だか一昨日だかに言ったぞー?」

 

 仮初めとはいえ、せっかく受肉して現代にいるのだから楽しまなければ嘘、だったか。それは確かに聞いてはいたが、やはり戦闘のために呼び出されたサーヴァントが、という感情は拭えない。

 

「っていうか、アンタも勤勉だねえ。なんか昨日もそれなりの時間まで起きてたんだし、昼間くらいはもうちょい寝ててもバチあたんねえと思うぜ?」

「私だって、こんな時間に起きるつもりは……」

 

 言い掛けて、口をつぐんた。

 ライダーの過去を夢見たせいで目が冴えてしまったなどとは、なんとなく本人には言い出しづらい。

 

「いえ、私のことはいいのです。師父の力になろうと思うのなら、いくら努力をしても足りないくらいなのですから。それよりも、問題はむしろ貴方のやる気の方で……」

「あー、はいはい。わかったわかった。明日から頑張るから、マジで」

「それはわかっていない者の発言でしょう!?」

 

 ひらひらと、やる気なさげに片手を振るライダーに声を荒げる。ライダーは盛大なため息をついた。

 

「はあ、俺ってそんなに信用ないかねえ。一応、アンタのオーダー通りの仕事は一通りこなしてると思ってんだが。戦闘にも意欲的よ、俺」

「それはっ……」

 

 思わず言葉に詰まった。昼間の態度はどうあれ、確かにライダーは言われた仕事をきっちりとこなしている。

 特にランサーに対しては、あちら側の真名と弱点を暴くといった成果も挙げているのだ。これで彼が仕事をしていないと評価するのは、いくらなんでも横暴である。

 

「し、仕事をしているとかしてないとかではなく……。こう、普段の態度をもっと改めるべきというか……」

「起き抜けで気ぃ立ってんのか知らんが、今日はいつもより小言多い……、いや。ああそうか。アンタ、焦ってんのか」

「え」

 

 思ってもみなかった言葉を返されて、ぽかんとする。

 こちらの様子を意に介さず、ライダーは諭すように続けた。

 

「なにに焦ってんのかは知らんが。ま、未だに誰も脱落してねえとか、自分のサーヴァントが大して強くないとか、大方そんなとこかね。

 けどな、焦りすぎても良いことないぜ? アンタに関しちゃ、もうちょい肩の力抜いた方が良いよ」

 

 焦り。自分は焦っているのだろうか? ライダーの言うようなことに?

 

 確かに彼の言うとおり未だに脱落サーヴァントはいないし、ライダーもそう強力なサーヴァントとは言えないかもしれない。

 だが脱落はさせていないとはいえ、自分たちが不死身のランサーに対するアドバンテージを有していることは先日確認済みだ。それは他の陣営に比べ、聖杯戦争を勝ち抜くのに相当有利な事項のハズである。

 ライダーのスペックに関しても、他のサーヴァント相手に戦えない程ではない。むしろ自在に変形するあの宝具の存在は、ステータスの低さを補って余りある。

 

 ライダーが指摘するような焦りは、自分の中にはあるハズも────、

 

(ああ、そうか……)

 

 そこで唐突に思い至った。

 今し方見た夢。強力に過ぎるライダーの『騎乗宝具』。ライダーが持ってこれなかったと言った、ライダーの象徴とも言えるそれ。

 

(……私は、このサーヴァントに最強の武器を使わせてやれないのだ)

 

 レオンに焦りがあるとすれば、きっとそれが原因だ。

 

 ライダーは『システムに弾かれた』と言っていたが、本当にそうだろうか。レオンではなく、レオンの姉やエヌマエルなどといった魔術師に召喚されていれば、あの宝具も持ってこれたのではないか。未熟なマスターのせいで、彼は強力な武装を失ってしまっただけではないのだろうか。

 そもそも、サーヴァントのステータスはマスターの能力値に影響されるものだ。だから彼のステータスが強力とは言えないのも、レオンのせいではないのか。

 

「言ってるそばからか。辛気くせえツラだこと。普段はもっとふわっとしてるくらいでいいんじゃねえの? ずっとそんなだと持たねえだろ。切り替え大事よ?」

 

 こちらの気も知らずに、ライダーはそう言ってレオンの肩を叩いた。

 

 ぐっ、と拳を握る。

 あれだけの怪物を殺してのける英雄が、レオンがマスターだということで理不尽な弱体化を強いられているのかもしれない。レオンにはそれが悔しい。

 だって夢の中の彼はあんなにも強かった。あの天馬さえあれば、ライダーが他のサーヴァントに負けることなんてあるハズがない。

 

「ライダー」

「おう、とりあえず朝飯にすっか。二度寝もいいが、せっかくだしな」

「私がマスターでなければ、貴方の騎乗宝具は使用可能でしたか? いえ、それでなくとも貴方はもっと強力なサーヴァントだったのでは?」

「なんでえ、藪から棒に。……ああ、んだよ。もしかして自分がマスターとして未熟なのでは? とかって焦ってたのか? 大丈夫大丈夫、アンタはよくやってるって」

 

 だからメシ、と続けて、部屋を出ていこうとするライダーを、レオンは強めの声で呼び止めた。

 

「ライダー!」

「よくやってるって言ったろ。宝具もステータスも、元々の実力やら知名度やらが影響してくるんだし、アンタが良いとか悪いとかじゃあねえよ」

「それでもマスターによって変わることもあるでしょう」

「そうさな、そりゃもちろんあるが。俺からマスターに関して言えることっつったら一つだしなあ」

「なんです?」

「運用を間違えるな、ってそれくらい。で、それについてはアンタよくやってるよ、ってさっきから言ってる」

 

 そう言って、彼は子供にするようにこちらの頭をぽんぽんと叩くと、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「はい。この話はこれで終了ー。メシ行こうメシ」

「待ちなさい、まだ話は」

「終わってるよ。ほれ、アンタも一緒に行こうぜ。この時間だとアレだな。ぎゅ、ギュードーンとか? あとカツドゥンとかの店だな」

「ちょ、ライダー」

「まあまあ、拠点周りの哨戒と思えば有意義だろ。哨戒ついでにメシ食うだけだって」

 

 ぐいぐいと、こちらの手を引きながらライダーは笑う。まるでなにか、よほど喜ばしいことがあったかのようにニコニコと。

 

「いやいや、まったく。朝っぱらから愉快なこともあったもんだな!」

「はなっ、放しなさい! 自分で歩きます。なんなのですか急に!?」

「えー? だってマスターとしての体裁を気にするくらいには、俺のことを自分の持ち駒だって認識してくれたワケだろ? 真っ当な主従関係に一歩近づいた記念に奢ってやろう!」

 

 なんだそれは。

 ライダーの言い分では、まるでレオンがライダーのことを自分のサーヴァントと認識していなかったかのようではないか。

 いや、確かにレオンは『自分が死ぬか、キャスターが消滅したら、エヌマエルと再契約しろ』とライダーに伝えていたし、自分よりもエヌマエルを優先しろとも言っていたが。それにしたって流石にライダーが自分のサーヴァントである自覚くらいはあった。

 ただ単に『エヌマエルを勝たせる』という優先順位の問題である。そして今もその優先順位は変わっていない。いざとなれば、このライダーをエヌマエルと再契約させる。

 それはそれとして、自分のせいでライダーが弱いのは我慢がならなかった、というだけで、ライダーが喜ぶような心境の変化とかいったものはないのだ。

 

 けれど、それを指摘したところで良いことなんて一つもないのだろう。そも、このサーヴァントが話を聞いてくれるとも思えないし。だからレオンが指摘するのは別のこと。

 

 上機嫌で前をゆくライダーに向かって、レオンは声を上げた。

 

「奢るもなにも、そのお金の出所は元々私のものでしょうが!」




※???「俺のサーヴァントは最強なんだ!」


当SSでのギリシャ七英雄は

ヘラクレス
テセウス
メレアグロス
オルフェウス
イアソン
ペルセウス
ベレロフォン

という説を採用しています。
化け物連中と同じ格として扱われるイアソン様、マジイアソン。
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