Fake/Another apocrypha after 作:ハトスラ
夜の新都。
すっかり暗くなり、人気のなくなった街並みを、少女とともにゆっくりと歩いていく。
工事現場に海浜公園。
今夜だけで何度死んだと思ったかわからない。そんな自分が、今もこうして生きて歩いていることがどこか不思議だった。
思わず深山町の方角に視線を向ける。
時間帯が時間帯だからか、向こう岸には明かりが少ない。対して、川を挟んでこちら側には、こんな時間でもまだ明かりのついている建物が多く残っていた。
とは言っても、明るいのは新都の中心部の話。九条たちが歩いている地域は新都でも外れの方になるため、明かりの数は深山町と大差ない。
「そんなに気にしなくても、アーチャーが警戒してくれてるから大丈夫ですよ」
九条の様子を、周辺への警戒と考えたのか。少しだけ前を歩いている少女が、立ち止まって声をかけてきた。
「それに貴方のセイバーもいます。滅多なことは起きないでしょう」
「ああ、うん」
少女の言葉に曖昧に返す。
サーヴァント・セイバーとサーヴァント・アーチャー。今は『霊体化』しているという、九条と雅の従者。
深山町から新都に入る途中、九条は少女から、この超常のヒトガタについて大まかな説明を受けていた。
それだけではない。
この世界には魔術というものが存在していること。
その魔術を使う魔術師が実在していること。
そして自分はその魔術師同士の戦いに巻き込まれたということ。
サーヴァントとはその戦いに使われる『武器』だということ。
『遠坂雅』と名乗った少女は、何も知らない九条に『聖杯戦争』と呼ばれる儀式について、そのような知識を語ってくれた。
が、申し訳ないことに、九条の頭ではそれらの知識を完全に理解することが出来ない。というよりも、突然魔術だのなんだの言われても信じられない、というのが正直な感想だ。
もっとも、今夜だけで五人ものサーヴァントと出会い、その内の三人から殺されかけた以上、信じられなくても『そういうものだ』と納得するしかない。
それに、自分が何か得体のしれないことに巻き込まれたという実感だけはずっとあったので、理解が及ばなくても説明を受けられたというだけで精神的には大分救われた。
それよりも今の九条には、自分の置かれた状況よりもっと気になることがある。
「その、遠坂さん」
「なんです?」
「本当に、大丈夫なのか?」
雅の姿を見ながら問いかける。
血塗れの彼女の下半身。誰がどう見たって重傷だ。
平然と構えているが、とても立ったり歩いたりしていい傷ではない。
海浜公園から歩き始めてここまでずっと、九条は彼女の傷が気にかかっていた。
途中、何度か休憩を提案したり、肩を貸そうかと問いかけたりもしたのだが、雅は「大丈夫です」の一点張り。彼女は自分の言葉通り平然と歩いているのだが、九条の方は気が気でない。
いっそセイバーの力を借りて、無理矢理にでも病院に連れて行った方がいいのでは、と思い始めていた。
「え? ……ああ。認識阻害の魔術を使ってますから、通りすがりの誰かが私の姿を見て『怪我人だー!』なんて騒ぎにはならないと思いますよ」
「……」
違う、そうじゃない。
その展開までは思い至らなかったが、九条が心配しているのはそんなことじゃあないのだ。
「?」
微妙な顔をしただろう九条を見て、雅が何もわかっていないような表情で首を傾げる。
数秒の後、彼女は何かに気づいたように顔を綻ばせて、
「九条さんの方にも同じように認識阻害の魔術使ってますから、誰かに見られても『殺人犯だー!』って騒ぎにはなりませんよ」
「……」
だからそうじゃない。
確かに九条も雅を抱き上げた時に血塗れになっているけれど、心配事はそこじゃない。
あと、さりげなく雅が被害者で、九条が加害者に見えるって言い方もやめてほしい。傷を負ったのは雅だから、彼女が被害者なのは間違いないのだけれど。
「そうじゃなくて傷は……。俺には魔術師がどうとかはわからないんだけど、それでもそんな傷を負ったら動かない方がいいんじゃないのか?」
「ああ、そっち? 大丈夫だって言ったと思うんですけど、心配性なんですね」
いや、普通は心配するだろ。という言葉をすんでのところで呑み込む。もしかすると魔術師という人種には、あの程度の傷は擦り傷程度の扱いなのかもしれない。
「……化け物じゃねえか」
「なにがです?」
自分の思考に、思わず戦慄の言葉が漏れた。
雅の方は相変わらずにキョトンとして、九条の思考などまるでわかっていなさそうである。
彼女はその内、
「心配はありがたいんですけど、それって杞憂ですよ?」
と言って、ほら、とシャツの裾をまくり上げた。
「……っ」
何の頓着もなく晒された白い肌に、九条の心拍数が一瞬にして跳ね上がる。
相手はまだ子供。相手はまだ子供。相手はまだ女子高生!
場違いな煩悩を振り払うべく、脳内で念仏のようにそう唱えながら、九条は彼女のすっきりとしたお腹回りを見た。
雑誌やテレビで目にするモデルたちと比べても、遜色ないように思える適度に絞られた腹筋。あばらの辺りから腰にかけて、緩やかな曲線を描くすべらかな腹部には
「あれ……?」
九条は思わず首を傾げた。
決して浅くはなかったハズの刺し傷。それが傷痕すら残さず、綺麗さっぱり消えてしまっている。
腹部にも血の跡は残っているが、傷があったという証明はもはやそれだけだ。血糊を洗い流せば、あんな傷を負った人間だとは誰も思わないだろう。
「ね?」
「えっと、なんで?」
「簡単な治癒の魔術です。見たとおり傷は治ってますから、九条さんが私を心配することなんてありません」
シャツの裾を整えながら、何でもないことのように雅が言う。
対し、九条は二の句が継げなかった。
実際にどれくらい深い傷だったのか目視したわけではなかったが、尋常ではない出血量から相当に深い傷だと九条は判断していたのだ。最低でも手術室に運び込まれる程度の傷だと、そう思っていたのに。
ふたを開けてみれば、『自分で治しちゃいました』ときた。魔術師というのは、みんなあのぐらいの傷を簡単に治せるものなんだろうか。
しかも九条は、雅が自分の傷を治そうと何かをしている場面を見た覚えがない。
「……化け物じゃねえか」
「もしかしてそれ、私のこと言ってます?」
再度、先ほどと同じ感想を吐き出すと、やや困惑したような声が返ってきた。何故に自分がそういう風に思われたのか心底わかっていない様子だが、一般人代表としてはとても正しい反応をしたつもりである。
「ま、まあ。大丈夫なら、よかった」
「私のことより、九条さんの方は大丈夫なんですか?」
取り繕うように言って、思わぬ返事に面食らう。
「俺?」
「はい。突然サーヴァントなんて強力な使い魔と契約したら、魔力が足りなくなったりとか色々で、なにかしら身体に影響でてくるかと思うんですけど」
魔力が足りない、というのがどういった状態なのかはわからないが、今のところ九条の身体に異常はない。
極度の緊張状態が続いていたから確かに疲れてはいるが、これはそういう『契約が原因の異常』とは違う気もする。
「よくわからないな。遠坂さんが言う『影響』っていうのがどういう感じのものかはわからないけど、俺としては普通に疲れてるって感じがするだけで、他は特には」
「そうですか? ……もしツラくなったら早めに言ってくださいね」
こちらを気遣う台詞に、なんだか妙な気分になる。
いつの間にやら、心配する側とされる側が逆転してしまった。
「わかった。ちゃんと言うよ」
「はい。まあ、目的地まではもう少しなんですけどね」
ほら、見えてきましたよ。
そう続けた雅の言葉に、視線を少女から進行方向に向ければ、成る程。坂道を登っていった先に、教会の屋根が見えた。
「教会って聞いて、もしかしてって思ってたけど。やっぱり言峰教会のことなのか」
「ええ。言峰教会……、っていうか冬木教会ですね。
ここは元々、聖杯戦争の監督のために、『聖堂教会』が建てたって教会ですから。今回の監督役も、ここを拠点にしてるんです」
「……またよくわかんない単語が出てきた気がする。ついでに聞き捨てならないような台詞も」
「聞き捨てならないようなこと言いました?」
はて、と首を傾げながら少女は坂道を登っていく。
坂の途中にある外国人墓地に少し肝を冷やしながら、九条と雅は登るほどに建物が少なくなっていく坂道を、さほどの時間もかけずに登り終えた。
小高い丘の上にある冬木教会。
通称・言峰教会。
長らく神父を務めていた人物が、信仰厚い良い神父と慕われていた為に、いつしか彼の名前で呼ばれることの方が多くなったと聞いている。
ごくり、と唾を呑み込んだ。
これまでの人生で、こんな場所には縁がなかった。同じ神様ゆかりの建物でも、『神社』と違って『教会』なんてものは九条にとって未知の空間なのである。
その上ここを訪れた用向きが、よくわからない闘争について説明をされる為、というものなのだから緊張感は半端じゃない。
「さ、じゃあ入りましょう」
「お、おう」
なんの気負いもない様子で、雅が教会の扉に手をかけた。
ギィィ……、と蝶番が軋むような音を発てて、木製の立派な扉が開かれていく。
時間帯が時間帯だからか、明かりは落とされ室内は薄暗かった。
それでも真っ暗で何も見えない、という事態には陥らない。夜間に訪れる人間を考慮して、最低限の明かりだけは灯されているらしい。
敷地の広さと外観から想像していたが、中も随分と立派な造りだった。
広い礼拝堂と、それを埋める数多くの長椅子。察するに信徒も随分多いらしい。神父が信仰心の厚い人物だったということの現れだろう。
その薄暗い神の家の中、一人の人物に目を引かれた。
「あ」
まさか人がいるとは思わなかった九条の口から、思わずおかしな声が出る。
教会の中にいたのは厳格な雰囲気を持つ神父、……ではなく、どこか近寄りがたいオーラを放っているシスターだった。
修道服に身を包んだ、金髪の小柄な女。年の頃は20代前半くらいだろうか。明かりが落とされ薄暗い室内では、金糸のような美しい髪が一際目を引いた。
「こんばんわ」
こちらに気付いたシスターが会釈をする。
つられるようにこちらも頭を下げて、さて何を言おうかと迷った。
『こんばんわ! 良い夜ですね。ところで聖杯戦争について教えてください!』
……ないな。
直球にもほどがある。
そもそもこの教会の人はみんな『聖杯戦争』について承知なのだろうか? もしかしたら一部の人間だけが関わっていて、あとは知らぬ存ぜぬなんてこともあるのではないか?
もしこの人が『魔術』なんてものと無縁だった場合、九条はただの頭お花畑な人になってしまう。
などと、九条が何を言うべきか迷っている数秒の間に、シスターの方が再び口を開いた。
「ようこそ旅の人。こんな夜更けに、我が教会になんのご用ですかな?」
「……は? え?」
まるで感情を感じさせない声色と表情に圧倒されかかって、いやそうじゃないと心の内で疑問符を浮かべる。
今、おかしなフレーズが聞こえた。旅の人とは一体。確かに自分はここを訪れるのは初めてだが、旅人に見えるほどに土地の人間に見えないのだろうか?
九条の困惑をよそに、金髪のシスターはさらに言葉を重ねた。
「毒の治療なら5ゴールドの寄付を。トーサカを生き返らせるなら3ゴールドの……」
「やかましいわ。あと人の命を3ゴールドとか言うな」
怒濤の勢いでこちらを混乱させる言葉を放ってくるシスターを、割って入った雅の声が黙らせる。
「初対面の相手をからかうのは止めなさい。そっちがそんな調子じゃ、こっちの話が切り出しにくいでしょう?」
やや機嫌悪そうに雅が言った。
ずい、と九条の前に出た少女の背中は、小さいながらもこの場ではとても頼もしい。
「あら、生きていたんですかミス・トオサカ。血塗れですから、てっきり死んだものと。あ、
「ソレ、笑えないわ」
相変わらず感情の読めないシスターの声音に、相変わらず不機嫌そうなままの声音で雅が応じる。
「私はまだちゃんと生きてます。なんならアンタらの神に誓ったっていいけど?」
「おや、つまりそれは魔術協会から離反して、我ら聖堂教会側に付くと?
ええ、我らの神は寛大です。罪深き貴女も、快く迎え入れられましょう」
「いや、その気はないから。それよりも、今日はこの人の件でアンタに用事があって」
雅に手を引かれて、彼女の隣に並んだ。どうやらこのシスターが聖杯戦争について事情を説明してくれる人物らしい。
こちらを見上げるシスターの、翡翠の瞳と目が合う。
目は口ほどに物を言う。とはいうが、このシスターの場合、目から感情を伺うことは不可能な気がする。それほどに目、というか表情がほとんど変化を見せない。
そのシスターは、改めて九条を上から下まで見つめてから一言。
「……結婚式のご相談ですか?」
「は?」
「それならこんな時間でなくとも、もっと明るい時間帯に来てくだされば……」
「違うわ!」
「では殺人の隠蔽ですか? 日本の警察は優秀ですよ。下手なことせずに自首した方が罪は軽いのでは?」
「アンタ、わざとやってるでしょ?」
「まさか。二人して血塗れですから『殺し愛』したのか、誰かを殺したのかと思うのは当然では?」
「……」
相変わらずシスターの表情にも声色にも、特別な感情といったものは乗っていないように思える。
思えるのだが、さすがにここまでの雅とのやり取りを見ていれば、九条にだって、小馬鹿にされつつからかわれているのだとわかった。
不機嫌そうな顔のまま、黙り込んだ雅の様子がそれを証明している。というか、そろそろ爆発しそうで怖い。
「あの」
意を決して声を上げる。
シスターと教会の雰囲気に気圧されて、会話を雅に任せてしまっていたが、ここに来たのは九条の事情だ。九条が事情説明を受ける為にきたのだから、やはり自分が口を開かねば。
「はい。なんでしょう?」
「俺はセイバーのマスターだ」
「……まあ」
感情の見えなかったシスターの、その表情が初めて変化した。
目を見開き驚いた様子で、九条から雅に視線を移す。
「それは本当よ。っていうか、そのことで話をしにきたの。マスターになった人間は、ここで届けを出すんでしょう?」
「ええ、そういうことになっています。
しかし驚きました。まさかいきなり
「まあ私もそう思うけど」
呆れた様子でこちらを見やう雅に、ややたじろぐ。
まずかった? と少し焦るものの、口から飛び出した言葉はもう引っ込めることなど出来ない。
「別にいいですよ。迂闊なこと言って、今後不利になるのは九条さんですし。
それにそうでも言わないと、このアホシスターは話を先に進ませてくれそうもありませんでしたから」
「まあ、アホシスターだなんて……。なんて口の悪いお嬢さんなのでしょう」
「はいはい、すみませんでした。
それよりもこの人、ずぶの素人ですから、監督役から聖杯戦争について教えてあげてほしいんですけど」
「あら。そんな予感はしていましたけど、やっぱり素人さんですか。
それはそれは、この度は大変なことになりましたね」
「へあ!? あ、はい。どうもご丁寧に……?」
こちらに向き直って一礼。
礼儀作法にはさして明るくない九条でも『綺麗なお辞儀』と思うほどのお辞儀を見せられ、反射的に礼を返す。
「それじゃ、後はよろしくお願いします。私は、話が終わるまでそこで待ってますから」
そう言った雅が、礼を交わし合っている九条たちの隣を通り過ぎて、長椅子に腰を下ろした。
「遠慮せずに横におなりなさい。ここにはそれを咎める者はいませんよ」
「そ。ならお言葉に甘えて」
シスターの言葉を受けて、長椅子に座り込んだ雅が横になる。
そのまま「ふーっ」と長く息を吐き出して、眠るように目を閉じた。
「まったく。呆れたやせ我慢だこと」
「やせ我慢……? って、やっぱり傷が!?」
ふさがった傷を見せられて納得してしまっていたが、やはりあれだけの出血を伴った傷は魔術師でもツラいものだったのか。
シスターの言葉を反芻した九条は、雅の元に向かおうと足を向けた。
「大丈夫ですよ」
が、目の前のシスターの言葉に足を止める。
「相当の出血ですから、それなりに深い傷だったのでしょうけど。それでも彼女は、素養の上なら『化け物』の類です。
たとえ常人が死に至る傷でも、彼女が受け継いだ『魔術刻印』が彼女を死なせはしませんよ」
「まじゅつ、こくいん? いやそれより君、やっぱり血の跡が見えて?」
「ええ。認識阻害の魔術を使っているようですが、これは『視線を別に誘導する』だけで、血の跡をなかったことにしているわけではありませんから。注意深く観察すれば、当然貴方たちが血塗れなのはわかります」
まあ、通行人の目を欺く程度なら問題はないでしょうが。とシスターは付け加えた。
「とにかくミス・トオサカの心配は不要です。
それよりも自分自身のおかれた状況を心配した方がよろしいかと」
「俺の、おかれた状況」
「はい。では、始めましょうか」
そう言って、表情のないシスターは九条に問いを投げかけた。
「私は今回の聖杯戦争の監督を務めさせていただく、ノエル・リヴィエールと申します。貴方のお名前を聞かせていただけますか?」
「九条、レイジだ」
「ではミスタ・レイジ。貴方はセイバーのマスターで間違いはありませんね?」
「これがその証明……、なんだよな?」
右手の甲に刻まれた三画の紋様。サーヴァントを律する絶対命令権にして、マスターの証。令呪。
それを確認して、ノエルは「確かに」と頷いた。
「ここに来るまで、ミス・トオサカからなんらかの説明があったかと思われますが?」
「ああ。えっと……、この世界には魔術師がいて、その魔術師同士の戦いが聖杯戦争で、サーヴァントはその為の『使い魔』とかいうものだってことくらい、かな?」
「では、その聖杯戦争を行う目的はご存じでしょうか?」
「目、的……?」
そういえば、状況に翻弄されっぱなしでそこまで思い至らなかったが、戦いを行う以上、そこには何かしらの目的があってしかるべきだ。
まさか戦うこと自体が目的、なんてどこぞのバトルマニアみたいな理由で戦ってはいまい。
「聖杯戦争は戦いであると同時に、ある種の魔術儀式でもあります。すなわち『万能の願望機・聖杯』を降臨させるための儀式ですね」
「儀式……、この戦いが?」
儀式。と聞くと、魔法陣を描いたり、生け贄を捧げたり、釜の中に得体の知れない薬草を放り込んだり、というイメージがある。
とても今日、体験したような殺し合いとは結びつかない。
「儀式です。
七人の魔術師が七人の英霊を喚び出し、最後の一組になるまで殺し合う。殺し合いの果てに残った者を、聖杯は自らを得るにふさわしい人物と認め、この世界に現れるのです」
「……よく、わからないんだけど。つまりその聖杯? とかいうのが賞品で、それを手に入れるために戦っているってことか?」
「概ねその認識で構いません」
「その聖杯って、そんなにいいものなのか? 人殺しをしてまで手に入れたいって、そんな風に思うほどに? いや、そもそも本当に殺し合う必要なんてあるのか?」
なんとなく、聖杯というものを手に入れる為の『競争』なのだとは理解した。
けれどそれにしたって殺し合う必要があるのかは疑問だ。それに、九条にはそこまでして欲しい物なんてない。たとえば、周りの人間を殺せば一生困らないだけの金をくれる、なんて言われても、九条には人を殺せない。
そう思っての質問だったのだが。
「魔術師という人種には、貴方の倫理観は通用しませんよ。彼らは自分の利になることがあれば、親兄弟の命だろうと顧みることはありません。
もっとも、それを差し引いても『聖杯を手に入れたい』という手合いはいるでしょう。なにせ『万能の願望機』です」
あっさりと、魔術師と一般人の感覚を一緒にするなと言われてしまった。
加えて、先ほども聞いたフレーズがノエルの口から飛び出す。
「さっきも言ってたな。『万能の願望機』って。それって一体、どういう意味だ?」
「言葉通りに受け取ってくだされば結構です。
『万能の願望機』。つまり聖杯は、持ち主のどんな願いでも叶える魔法の釜、というわけですね」
「どんな……?」
「どんな願いでも、です。大金持ちになりたい。世界征服がしたい。
およそ、生きている人間の望むようなことは何でも叶うんじゃないですか?」
「……っ」
言葉に、詰まる。
死者を蘇らせる。そんなことが、もし、本当に、可能、だと、したら……。
「それから殺し合う必要ですが……、これについては必ずしも必要ではない、という回答になりますね」
ノエルの声に、意識を呼び戻される。
「それなら、」
「ただ、敵対サーヴァントは全て倒す必要があります。時が来れば聖杯は現れますが、聖杯は自分にふさわしい持ち主────勝ち残りですね。それを見極めるためにサーヴァントを遣わしますので。勝ち残りがいない時点で、勝者なし、ということになります」
「……それじゃ結局、聖杯を穫るには人を殺すしかないってことか」
「いいえ。先ほども言いましたが、殺し合いは必ずしも必要ではありません。必要なのは敵対サーヴァントの排除だけです。
なのでマスターの方は、殺さなければならない、という訳ではありません。殺し合いをせずにサーヴァントさえ排除できるのなら、誰も死なないでしょうね。
もっとも、貴方がサーヴァントも『人間』だと認識しているのなら人殺しは避けられませんが」
「それは……」
確かに彼らの見た目は、九条たちと変わりのない人間だ。
それでも、今夜の内に彼らの戦いを目にした九条には、彼らサーヴァントが単純に『人間』という枠に落とし込んでいいものとは思えなかった。
だからといって『兵器』とカテゴライズするのもはばかられる。少なくとも九条が見てきたサーヴァントには皆、自由意志というものが存在していた。
ならばお前はサーヴァントをどう認識しているのか、と聞かれると困ってしまうのだけれど。
「さて。貴方がどう思おうとも、『戦って自分以外のサーヴァントを倒す』これが聖杯戦争のルールです。実に単純明快ですね。
ですがそれ以外にも留意していただきたいのは、極力、戦いは人目に触れさせない、ということ。
聖杯戦争ような『世界の裏側』の事情は、表社会に知らせないのが暗黙のルール、ということになっています。そこを忘れて考えなしに戦われると監督役──今回は私ですね──から粛正を受けることになります。また、冬木の管理人も黙っていないでしょう」
ですから、なるべく夜とか人目のつかない時間帯と場所を選んでくださいね、とノエルは締めくくった。
「ざっくりとした説明でしたが、なにか質問はありますか?」
「じゃあ、えっと……。さっき聖杯はどんな願いでも叶えるって言ってたけど、それって本当なのか?」
まずその前提条件が疑わしい。
どんな願いでも叶う。
まるで奇跡のような触れ込みだ。それが本当ならば、成る程。殺し合いの一つでも起きるのは無理ないことかもしれない。
ただそれは、本当にどんな願いでも叶うならだ。
実際に殺し合いをして手に入れたそれが、その実なんの価値もないものだったとしたら、殺した方も殺された方もまるで浮かばれない。参加者には徒労と後悔だけが残ってしまう。
「確かに疑わしい話ではありますね。実際、余所で行われている聖杯戦争でも『万能』というほどの願いは叶えられていないようですし」
「待った。余所で? 聖杯戦争って別の場所でもやってるのか?」
思わぬ台詞に割り込みをかけると、ノエルは長椅子で横になっている雅に視線を移した。
「サーヴァントを用いた聖杯戦争のシステムを築き上げたのは、『始まりの御三家』と呼ばれる三組の魔術師たちです。
彼らはここ冬木の地で聖杯戦争を繰り返していましたが、三度目の折りにシステムの中核を強奪され、彼らの作り上げたシステムは世界中の魔術師たちに拡散されてしまいました。
そういう訳で冬木限定だったこの戦いは、今では世界各地で執り行われているという次第です」
「世界中で、こんな戦いが……」
「ええ。それこそ人間のエゴなのでしょう。どんなことをしてでも、自分の願いを叶えようというのですから。
……話が逸れましたね。とにかく、世界中で行われている聖杯戦争でも万能の願いが叶えられたという話は聞き及んでいません」
世界的にこんな戦いがあると聞いて驚愕する。
と、同時にそこまでしても、やはり『どんな願いでも叶う』なんて美味い話はないのだと思った。
「それじゃやっぱり、願いが叶うなんて嘘なのか」
「いいえ。『万能』とまではいかないまでも、極めて小規模な──無論『万能』に比べればの話ですが──願い自体は叶えられています。それこそ億万長者になった人間もいたと思います」
それに、とノエルは付け足して、
「それはサーヴァントの数が五騎程度の聖杯戦争の話です。
魔術師ではない貴方にはわからないかもしれませんが、サーヴァントの召喚。それ自体が魔術師にとっては奇跡に近い。魔術師が一生をかけても不可能な奇跡を、聖杯の補助によって可能としているのです。
それを今回は七騎。五騎程度の召喚しかできない聖杯でも大概の望みが叶うのなら、七騎ものサーヴァントの召喚を可能とした今回の聖杯は、限りなく『万能』足り得る性能があるのではないでしょうか」
「……、じゃあ仮にそれが本当に『どんな願いでも叶う』として、そんな凄い力があるのなら皆で分け合ったりはできないのか? 独り占めしようとするから戦いになるんだろ」
そう言うと、目の前のシスターは嘆息した。
表情にこそ表れていないが、どうやら呆れているらしい。
「話を聞いていましたか? 聖杯はふさわしい持ち主を選びます。いかに聖杯が万能であったとしても、聖杯自身が『持ち主は一人』と定めている以上、奇跡の定員は変わりません」
「あ」
そういえばそんなことを言っていた。
つまり聖杯というのは七組で殺し合った末、たった一組にだけ許される奇跡の杯なのか。
だとしたら、それはなんて血塗られた奇跡。
「質問は以上ですか?
ならば今こそ問いましょう。貴方はこの戦いに参加しますか? それとも降りますか?」
愕然としていた九条に、ノエルからの問いが投げかけられる。
自分の世界とは無縁だったことについて聞き続けたせいだろうか。その言葉の意味を、数秒の間九条は理解できなかった。
「……え?」
「貴方は一般人でしょう? つまり、自分から進んでマスターになった訳ではない。
戦うのか否か。自らの進退を決める権利が、貴方にはあります」
考えてみれば、それは当然のことだ。
戦いに参加するかどうか。そんなものは一番最初に決めておくべきことである。
巻き込まれ、なし崩し的にセイバーのマスターになった自分とは違い、他のマスターはとっくに戦うことを決めているハズだ。
それはつまり、自分を助けようとしてくれた雅もまた、これが殺し合いだと了承して戦いに参加しているということ。
そのことに気付いて複雑な思いが沸き上がるものの、根底にある感謝の気持ちは変わりない。どう繕っても、雅が見ず知らずの自分を助けようとしてくれたことだけは揺るがないのだから。
黙っている九条を迷っていると見たのか、ノエルがさらに言葉を続けた。
「降りる場合、貴方は誰も殺さずにすみますし、誰かから狙われるということもほぼないでしょう。……完全にないと言い切れないのが心苦しいですが。
そして聖杯戦争の終わりとともに日常に帰ることができると思われます。安全な選択肢と言えるでしょうね。
この場合、貴方には令呪を捨ててセイバーとの契約を切ってもらうことになりますが」
「……契約を、切る」
「はい。
これは説明していませんでしたが、サーヴァントにも聖杯を使って叶えたい願いがあります。しかしマスターなくしてサーヴァントはこの世界に留まれません。故に、超常の存在であるサーヴァントはただの人間の下の着くのですが……。
契約を切られれば、例外を除いて、サーヴァントは消えるしかありません。つまりその時点でサーヴァントの願いは叶わなくなる。
戦いを放棄する、という選択肢は貴方の安全と引き替えに、セイバーの悲願を殺すということです。いわば、セイバーに対する裏切りですね」
サーヴァントにも願いがある。
なんとなくそういう予感はあった。聖杯なんてものがあったとして、それを欲するのは人間だけではないだろう、と。
ノエルの言葉で予感は確信に変わり、そして知らぬ内に背負っていた責任にも気づかされる。
九条が我が身かわいさに戦いを放棄することは、九条を助けてくれたセイバーの願いを放棄することと同じだ。
「今の話で、セイバーの為に戦おう、などと考えたのならそれは間違いですよ。戦いは誰かの為でなく、自分の為に行うべきものです」
「え」
知らず俯いて拳を握っていた九条は、諭すような声色に顔を上げた。
目の前のノエルは、変わらずに表情に乏しい顔でこちらを見つめつつ、何事もなかったように言葉を続ける。
「さて、もしも戦うならば、言うまでもなく貴方は危険に晒されます。
それでも、人間は何かしらの欲望を持っているもの。通常の方法では決して手に入らない願いがあるのなら、戦うことは愚かではあってもおかしなことではないでしょう。
自分の命を掛け金に、他人の命と願いを殺して、たった一つの願いを手に入れる。その覚悟があるのならば、ですが」
「……」
九条だって人間だ。彼女の言うように欲望の一つ二つは、当然のように持っている。
それでもそれは、他人の命を奪ってまで叶えたいものではなかった。
『お兄ちゃん』
いつかの、誰かの声が蘇る。
普通の方法では叶わない願い。胸の内に深く沈み込んだ、最も叶えたくて、しかしとっくに諦めていた願い。
けれど、それが叶うかも知れないと。その可能性が示されてしまったのだ。
ならば、自分は────、
「遠坂雅を、殺せますか?」
唐突なその言葉。
オブラートに包むなんて甘いことのされない、直線的で容赦のない質問。
「そこに寝っ転がっているミス・トオサカは、魔術師としては致命的なまでに甘ちゃんです。マスターとなった貴方を殺さずに、こんな所に連れてきたのも、その甘さゆえでしょう。
しかしそれでも彼女はマスターです。貴方が戦うと、敵になったとすれば、迷いながらも貴方を殺しにきます。
その時に、貴方は遠坂雅を殺せますか? 恐らく、何の関わりもない貴方に肩入れして、こんな所まで貴方を連れてきた彼女を。その恩を忘れて、年端もいかない少女を、その手で殺すことができますか?」
「……っ」
この少女には恩がある。そして、少女は戦うことを良しとしている。
それはさっき九条も思ったことだ。
ならば九条が戦うことを選べば、雅とはいずれ殺し合うことになる。
自分の手を引いてくれた。助けようとしてくれた。まだ高校生の少女と殺し合うしかなくなるのだ。
ノエルはそのことを容赦なく突いてくる。
お前が参加するのは紛うことなき殺し合いで、願いを叶えようとするなら、例え恩人の少女でも殺さねばならないのだ、と。
そのことから目を逸らすな。
そのことを誤魔化すな。
いっそ暴力的な、その問い。
返す言葉に詰まった九条は、その問いを噛みしめた。
噛みしめて、そうして問いに込められたシスターの思いを垣間見る。
「……ああ、そうか。君は、優しいんだな」
進むにしても、退くにしても、九条が背負わなければならないものは必ずある。
それをノエルは示してくれた。ルールの説明だけをすればそれで事足りたのに、わざわざ辛辣な言葉まで用いて九条にそのことを自覚させてくれた。
その上で九条に進退を問う彼女は、やはり優しいのだろう。そんな風に自分を気にかけてくれる存在がいるのは、嬉しいことだ。
「……優しい人間は、このような選択肢を突きつけたりしないと思いますが?」
「いいさ。俺がそう思ったってだけだから」
そう言って、微笑む。
さて、各々の思いはともかくとして、九条はここで進退を決めなければならない。
最低限それだけのことはしなければ、ここにつれてきた雅にも、ここで話をしてくれたノエルにも申し訳が立たないのだ。
セイバーの願い。それを生かすのか殺すのか。
自分の願い。その為に他人を殺すのか。願いを捨て去るのか。
助けてくれた少女。その恩に報いるのか。恩を仇で返すのか。
それを思って、けれどきっと答えなんて決まっていた。
『万能の願望機』が手に入る戦い。
聖杯が本当に『万能』足り得るのなら、九条が胸の深くで思っていた願いも叶うだろう。
目を閉じる。
きっと、彼女は喜ばない。他人の命と願いを犠牲にしてまで、そんなことは望まない。
だから一言。
「ごめんな」と呟いてから、九条は目を開いた。
「答えは決まった。俺は────」
※聖職者と一般人。別名を説明回と呼ぶ。
セイバー「毒の治療をお願いします」
シスター「5ゴールドになります」
クジョウ「それって日本円でいくらなんだ……?」
Fate好きな方々には今更な話のオンパレード。
ところでUBWのBlu-ray届きました。
まだ見れていないんですが、先にブックレットをチラ見した結果、驚くべきことが記載されてました。
長年の疑問であった『-』判定について説明しておられる!?
ただ何の宝具について回答されているのか不明なので一部もやっとした形。記憶に間違いがなければ『-』判定は干将・莫耶のC-だけだったと思うので、たぶん干将・莫耶のことだと思うんですが、だとしたら『-』判定って強くない?
A-の宝具とかあったら超強いよ。A-の筋力とかなら倍加しない限りバサクレスの筋力より上だよ、すごいよ。
と、作者の興奮が止まりませぬ。
きっとこれから先、『-』判定持ちの公式サーヴァントや僕鯖が増えるんだろうなあ、と期待しております。