本の都、アフツァックには大小含め山ほどの書店が存在する。
その中には他の町では到底お目にかかれない高度な専門書だったり、
印刷・製本の技術が発展した今日でも、同じ内容同じ規格で大量に印刷され流通されるのはごく一部の人気作品のみ。
殆どの少数派の作品はこうした
つまり、無名の本を買いたいなら、アフツァックの地元民に頼るしかないのだ。
「助かりました、ヤコさん! お陰で探していた本を買う事ができました」
「こっちこそ、本の納入手伝ってくれてありがとね。重いし、獣車使おうか悩んでたから助かったわ」
アフツァックの商店街・パチャルラック近くの繁華街の一画。
買ったばかりの本を抱えた司書見習いの少年・シオ=フミスは同じく見習いの少女・ヤコ=フスムに向けて頭を下げていた。
先日の福書典祭において見習い一同が売り出した本の追加発注を受け、2人で卸し先に運び込んだ帰り。
ずいぶん時間を前倒しで予定を終える事ができたため、シオの希望で料理本を幅広く扱う書店に立ち寄ったのである。
「それにしてもフミス君、すごい腕力よね。従者3人がかりで運ぶような分量だったのに、1周で運びきるなんて。何か競技でもやってたの?」
「えーと、家が貧乏だったので石工店で働いていて……」
「あっ。ごめんなさい」
大抵の庶民は、生計の為に必要だから筋力を付けるものだ。
膂力と競技を結び付けるなど、また
ヤコは首を振って話題の変更を試みる。
「でも、結局フミス君はなに買ったの? 主婦向けの本しか置いてないし、男の司書が態々自費で買うようなものなんて無いと思うけど」
「ああ、これです」
シオが包みから取り出して見せたのは、料理本にしてはやけに凝った装丁と綴じがなされ、それに見合った分厚さの、荘厳な雰囲気すら漂わせる一冊。
「『母の味方 ~ 姑を黙らせる今日の献立20選!』……?」
素っ頓狂な題字に目を白黒させるヤコ。
「はい! 実は元々、司書になる時に故郷の幼馴染から餞別として貰ったものだったんですけど、先日の巨大精霊騒ぎのどさくさで――――」
シオはあれやこれやと事情を説明するが、当のヤコは上の空で、混乱の最中にあった。
(母!? 母って誰!? フミス君お母さん居ないって話じゃなかった!?)
シオ=フミスは両親ともに所在が知れぬ身であることは、見習いの間では周知の事実だった。
となると、ここで示される『母』は二通りしかありえない。
①:シオの身近にいる女性で、出産・子育てを経験している、もしくはその最中の人物
②:シオの周辺の女性で、近日中に『母』になろうとしている人物
①として考えられるのは、同じ見習い同期でありながら既に一児の母というソフィ=シュイムか、教員のレイ=アナ=エダン位だろう。
ヤコはシオの人付き合いを把握している訳ではないが、何かと忙しくかつアフツァックに来たばかりの見習いが、同期と教員以外に贈り物を送るほどの交友関係を広げるのは難しい筈。八方にコネを広げつつあるメット=ナナウという例外はいるが、シオには彼女の様な野心はない。
エダン先生とシオとはそれほど接点が多いわけではない。色々教えてもらったお礼として本を贈るとしたらそれほど不自然ではないかもしれないが、贈答品とするにはタイトルがやや不謹慎、洒落の通じる相手でなければ失礼が過ぎるだろう。
逆にシャレが通じる相手、ソフィであれば喜んで受け取ってくれるかもしれない。だが彼女の息子はもう16歳と聞く。ソフィ自身は?で自活(※出来ていない)生活を送る今、家事の技術を磨いて姑との関係を円滑にする必要性は低い。
となると、考えられるのは②。シオの近くで結婚を検討中の人物となる。
彼に心を寄せる女性の存在に心当たりはなくはないが、シオ自身は全く気付いている節はなく、だいたい姑が存在しない。よってシオが自分の結婚相手に送る説はあり得ない。
次に思い当たるのが旧友のシュコ=トヴァッチ。近日中に親が決めた許婚と結婚予定という。だが彼女の家事技術は、司書としては極めて珍しいことに、隙なしに近い。下手な助言を与えた所で余計なお節介にしかなり得ない。
そもそも司書自体、殆どが結婚願望が低く、自前の収入もあるのでその必要性すら低いという、大陸において極めて特異な職業だ。結婚どころか恋愛を考えている人すらそうそういはしなーー。
マドハだ。彼女の幼馴染、マドハ=カムランがいる。あいつのじれったいにも程がある片想いを後押ししようという算段だろうか。確かに、”彼”の母親、姑となる人物は手強い。というか怖い。交際を認めさせる上での”様々な問題”を改善するための手段として、書の力を借りるのは、確かに理にかなっているのかもしれない。
シオにとっても、親友への恋慕を応援するという気概は自然なものだろう。
ヤコは、恐る恐る、シオに尋ねる。
「……その本、誰に送るの?」
「? いえ、自分で読むつもりですけど……」
全く予想外の返答であった。
同時に、『近日中に”母”になろうとしている人物』という前提が、ヤコの判断を大きく狂わせることになる。
(フミス君は近日中に男性と結婚するから、姑との関係を改善しようと模索しているーーーー!)
前提として、アトラトナン大陸には同性間での結婚を許す文化は存在していない。
だが、先日の福書典祭で手にした
『ーー書が人を造り、書が世界を創っているんだーー』
その言葉をヤコも聞いたことがあったかどうかは定かではないが、確かにトモシキ先生の新刊は、ヤコ=フスムの精神の奥底に芽吹き、その宇宙を造り変えつつあった。
(結婚するとしたら相手はーーやはりスモモしかあり得ない。だって?に男性は少ないし、『姑がおっかない』という特徴が知られているのも彼だけ。女の園の中で孤独な少数派。そしてスモモのフミス君に向けるあの暑苦しいスキンシップ! 相部屋で1年間過ごしている間に愛が芽生え、惹かれ合ったと考えたら、何も可笑しくはない!)
……少々思い込みが暴走しているフシがあるが、まあ13,4歳の少女なのである。
同じく相部屋のアルフ=トラロケの存在が忘れ去られていることは気にしないでおこう。
(でもスモモがフミス君と結ばれるとなると、マドハのスモモへの想いは……。いけないわ、ヤコ。親友の失恋を願うだなんて。でも、もしスモモとフミス君が結婚なんてことがあり得るなら、私とマドハもひょっとしたら、もしかしたら、まかり間違ったらーーーー!)
「えーと……、ヤコさん?」
何やら一人で頭を抱えたりブツブツ独り言を言ったりしているヤコの様子を心配して、シオは恐る恐る声をかける。
「……フミス君」
「はい?」
顔を上げたヤコは期待に満ちた眼差しでシオを見た。
「応援してるからね」
「何がですか!?」