――『BAR美貌の人妻』『ぼんじゅうる』『ケチャップ夫人』
「うーむ。何となく近づいては居る気がするが……」
ネオサイタマの貪婪な宝石箱めいたネオン・カンバンとは打って変わって、古風な合成樹脂や錆びたトタン材に直接ショドーがなされたカンバンを見上げながら、キュアは路地裏を歩いていた。むろん、日本のバイオ生体化学分野を牛耳るヨロシサン製薬の重役を務めるキュアがこんなところを歩いているのは異例も異例であるのだが……
理由と言えば、大したことでもない。以前、この近辺のうどん屋でカレーをごちそうになり、その帰り際に傘を貸してもらった恩を返しに……というのも大げさだが、安い強化PVC製のほぼほぼ使い捨てと変わらない傘とはいえ、借りたものを返そうと思いたって――そしてもう半分、以前食べたカレーを使った『カレーうどん』を食べてみようと、あの店を探していたのだ。
とはいえ、あの日はすきっ腹にまかせてふらふらと歩き回ったせいで正確な位置がつかめない。IRCネットワークでうどん屋を検索してみたものの、古く、大衆食堂めいたアトモスフィアのあの店は特段これという物がヒットしなかったのだ。
そこでキュアは最も原始的な方法である『実際に行ってみる』というある意味で非効率的な方法を取ったのである。システムの走狗めいてアマクダリ・セクトの理念を広めているというのに、妙にまたあのカブキチョ近辺のギラギラした世界から一歩外れて、寧ろ開発から取り残された、都会のエアポケット的なレトロ界隈を無為に散策したくなったのだ。
自分の体・精神をいくらヨロシ化しようとも、生物に備わる冗長性というか日本人の精神性……とまでいうと大げさな気もするが――非効率的なことからもゼンを見出し、和とする美徳が自分にもいくらか備わっていたのか、とも思ったが、それらがどうでもよくなるくらい困ったことがひとつある。
「おなか、減ったのう……」
そう。腹が減ったのである。以前と同様。いや、以前食べたあのうまいカレーをもう一度食べるのだから満腹で行くものでもなかろうと、出発前に軽く自社製品のバイオインゴット含有エナジーバーと梅コブチャだけを取ったのは正直よくなかった。道に迷い、結構な時間がもう経過して、それらはエネルギーとして消費してしまった。喉も乾いてきたが、ネオサイタマではヨタモノに破壊されてパーツをスカベンジャーにもっていかれてしまうため路地裏にあまり自販機はない、というか残っていない。
「ン……?」
しかし、キュアの優秀なニンジャ嗅覚が、ふいに鼻を突く香ばしい油の匂いを嗅ぎとった。
「肉、ニンニク、ショーユ……ショウガ?」
肉。やはり肉と言うのは強い。ネオサイタマではスシともう一つ、ソウルフードとしてヤキトリがあり、これは一串100円程度で食べられることから低~中級サラリマンなどに人気がある。安く、滋味のある肉が食べられるという事からガード下などには違法に店を出すヤキトリ屋台が並ぶのはよく見る光景であるらしい(キュアは勝ち組であるためほとんど見たことはない)
しかし……この匂いはすきっ腹には犯罪的だ。油の匂いと言うとヤキトリではないだろうが、肉を焼くなり揚げるなりするだけでもう御馳走になってしまう。キュアもオーガニック・コーベ・ビーフなどを食べたことがあるが、あれはバターのように舌の上で溶けて甘みと香ばしさが残る一品であった。そんなものが食べられるとは思えないが、空腹の今、完全に体が肉を欲している。肉肉肉肉!
そうして『こども公園』と入口のトリイ・ゲートに掘られたショドーが消えかけた小さな公園にたどり着き、キュアの目に飛び込んできた光景は……
「ハーッハッハッハッハ!モータルどもが涙を流しておるわ!」
「グワーッ!胃!」「アイエエエエとまらないよお」「アイエエエおなかいっぱいだよお」
「………………」
ニンジャがモータルを虐げている姿であった。ナンデ? キュアはそう自問する。肉の焼ける匂いをたどってきたらニンジャがいて、なんかあきらかにおそらく自分と同じく、匂いに誘われたモータルに非道行為を働いているのだ。なんなのだこれは。
「また新たな犠牲者がやってきたか! ドーモ! モンゴリアンチョッパーです!」
「ドーモ、キュアです」
アイサツ! 非ニンジャである読者の皆様には奇妙な光景に感じられるだろうが、これから殺し合いをする間柄であろうともアイサツは大事でありニンジャの礼儀だ。古事記にもそう書いてある。
「あーあの、儂はほら。無用な争いは好まんから! そこなモータルどもを適当に虐めておれ。別に邪魔しないから」
キュアは正直すげー関わり合いになりたくなかった。別段、自分がモータルで非ヨロシの民を助ける義理はない。好きにすればいいと思うが、ここで下手に襲い掛かられるのは厄介だ。キュアはアーチ級ニンジャ『オグニ・ニンジャ』のソウルを宿しており正直言ってそこらのサンシタであれば負ける要素はない。が、こんなところで自分がもめごとに巻き込まれるのは避けたいのだ。部下や『ペイシェント』すら連れずお忍びで来たのはこれまた失敗であったか。
「いいや、キュア=サン! 貴様も我が術中にはまったのだ。のめのめとすきっ腹を抱え誘い出されたのだろう? ならばこの俺の料理を食べ、モータル連中同様カロリーに苦しんでもらう!」
「????????????????」
ニンジャと言うのは基本的に、ニンジャソウルで大なり小なりどこかしら思考回路が常人と乖離しているものだが、こいつは一体何なのだ!?
「グワーッ!!!グワーッ!!!涎!」「アイーエエエ!」「おなかがあ」
おお、ナムサン……モンゴリアンチョッパーなるシェフめいた装束のニンジャの足元には、数人のニチョーム住人や観光客が倒れ、中には涎を際限なく垂らしたり、おなかを抑え苦しみもがいているものさえいる!明らかにニンジャに毒か何かを盛られたに違いない。このニンジャの料理を食べるわけにはいかぬ。キュアはカラテを構え……
「イヤーッ!」
素早い!得物である手術刀型のスリケンを投擲する前に、モンゴリアンチョッパーが側転から低空ジャンプパンチめいて皿を差し出してくる!
「イヤーッ!」
キュアはマリめいて小柄な体を跳ね上げ、リープしながら敵の奇怪料理カラテをみやった。これは!? 近くに止まった小さなキッチンカーにはフライヤーが備え付けられ、その傍らにはそれから上げられて、余分な油を切っているカリカリの衣に覆われた……肉!
「ククク……それほどおそろしいか。俺のからあげが!」
「からあげ」
キッチンカーには『ジューシーな』『スゴイ(肉汁が)』『無限に食べられる可能性』などのノボリがある。なんなのだこれは!どう反応すればいいのだ!? キュアはその異様なアトモスフィアに戦慄した。
「ハッハッハ、モータルどもはもはやこの俺のからあげのトリコよ。しかしからあげは別に本体ではない。本体は……これだ」
そうして、モンゴリアンチョッパーはリサイクル皿(屋台に返すとクーポンがもらえ、ラッコちゃんとかのUNIXシーライフにやさしい)に盛られた唐揚げに、薄黄色のソースをかけたのだ。これは!
「くっくっくっ……これが何かわかるか?タルタルソースだ……マヨネーズベースにオニオンやキュウリのピクルス、ケッパーにビネガー、ホースラディッシュを俺が独自に編み出した配合で混ぜ合わせたものだ。お好みでレモン果汁を加えてもいい……」
「……ハッキリいってやろう。この世の食べ物のほとんどはタルタルソースを食べる土台にすぎん……人類種はタルタルソースの奴隷なのだ」
「いきなり大風呂敷をひろげてきたな……すごい自信だ……」
キュアは再び戦慄した。なんかいきなりこう、わけわからん方向に話が転がったからである。
「とったりーッ!イヤーッ!」「シマッタ!グワーッ!」
その時! 戦慄のあまりザンシンがおろそかになったキュアの口に、モンゴリアンチョッパーは皿の唐揚げを一気に流し込んだのである! ナムアミダブツ!
「グワーッ!肉汁!」
熱い!噛めば噛むほど鳥のうまみとこれは……しょうゆベースのタレだ!にんにくが強くパンチが効いているが、同時にかすかなショウガ!臭みや癖がない!そしてそこに甘みと酸味の絶妙なバランスがあり、かつ、からあげじたいの味をマイルドにするタルタルソース!
「う、うまあい!!!」
キュアはあまりのおいしさにその場に座り込んでしまった。よく見ると他の住人や観光客もからあげをむさぼっているではないか!そして!
「ムッ、これジツとかを感じぬ。ふつうにおいしいからあげじゃ……」
そう、高位のソウルを宿すキュアはニンジャソウル感知能力にも長け、ジツなどがかかった物品をある程度看破できる。しかし、この肉からはそうした『ジツ』の痕跡を感じないのだ。おそらく、へんなものは入っていない。バイオ鶏肉、卵、油、バイオキュウリ、バイオ玉ねぎ、オリーブなどなど
「では300円をいただく」
「アッハイ。300円じゃな」
しかも安い……一般的なお店のから揚げ屋台などは最低500円はするだろうし、スーパーでもパック300円のやつにタルタルソースはつかない。お店で食べればもっとするだろう。
「顧客に提供するために品種改良されたバイオ鶏肉などを使うが、実際俺は農家などを直接見回ったうえで交渉し、安心高品質なものを仕入れている……オーガニックはたしかに自然の滋味があり、よいものだが管理されたバイオ食品も高水準でまとまった一定の品質があり、時期を問わず、さらには安価で、みなさまにとどけるにはそうした製品をつかわねばならない。オーガニックだけ使っていては、一部の食通とカネモチ以外が食べることができない価格になってしまう」
「説得力がある」
説得力がある……キュアは経営者であり、納得した。小規模事業者なりの企業努力を感じるからだ。
「えーとじゃな、つまり、おまえはなんか不穏なものいいをするけど別に悪意なく、ただ純粋にからあげをつくって売っていただけということか?」
「ククク……バイオサイバネのまともな味覚が残っているかもわからん相手に通じるか不安であったが、それに気づいたことは褒めてやろう」
それから。キュアは公園のベンチに座り、おかわりのからあげをつまようじでほおばりながら、モンゴリアンチョッパーの話を聞いた。
「いいまわしが毎回不穏でまぎらわしい……」
「そして俺は、別段からあげをうっていたのではない。先ほども言ったがあくまですべての食材はタルタルソースを食べるための土台なのだ」
こうして、迷惑なニンジャ『モンゴリアンチョッパー』の事件は終わったかに見えた。すっかりうどん屋の事を忘れかけていたキュアだが、気を取り直して公園から去ろうとした時。
「ハッハッハ! ドーモ、スイートチリです! 兄者よ! まだ軟弱なタルタルソースにこだわっていたか!」
「その声は我が弟!」
「からあげにはスイートチリソース!それこそが唯一の真理であることが何故わからん。人類種はスイートチリソース生産のための哀れな奴隷生物でしかない」
弟が来てめんどくさくなったので、キュアは勝手に戦え!といいのこし帰っパした。