【タクティカル肝試し】鮫島事件について調べてみた!   作:はまっち

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 拳を構え、足を引く。

 双方ともに正拳を擬した空手の基本、奇しくも同じ構え。

 秋口の空っ風がネオンの街並みを吹きすさび、割れた街灯をぎしりと鳴かす。散乱するゴミを舐め取っていく。

 武器は僅少、手札は数多。形代の数だけが、両者の違いを如実に示す。

 

 動き出しは同時。

 鮫島ちゃんが機関拳銃に手をかけた刹那、供花はひらりと身を躱して雑居ビルの壁へと手を掛ける。アスファルトの上を側転し、足首とつま先だけで体を返してほんのわずかな壁のへこみに指を入れる。

 ぱららと小さく押し殺された銃声が連続で響き渡るやいなや、空中で身を翻して壁に備え付けられた検針機に足をかけた供花は、狙いをつけづらくするかのよう突然もう一つ跳んで雑居ビルの上層階へと拳を当てた。

 ガラスが割れる音とともに供花の姿が銃弾の雨から覆蔽せられ、暗い闇天に飛ぶ弾丸は空を切り。猿のような俊敏さを誇る祓魔師の女に対し、一切の有効打を与えることもなく。

 なるほど。どろりと滴る肝臓からの冷たさを感じながら、鮫島ちゃんは頷いた。

 

「……隠れる気ですか」

 

 普通の呪詛犯罪者ならば、或いはチンピラ程度ならば有用な手。戦い方を知らない人間はゲリラ戦に大いに不向き。しかし供花が相対するは、公安の殺し屋そのものである。

 仮想敵国(朝鮮人民軍)のコマンド作戦も、共産主義者の遊撃戦も、メキシカンマフィアの突発的な殺戮も。全てを突破してきた、歴戦の工作員そのものである。

 なにより五感にはない感覚で以て、その目論見は容易に感じ取れる――――ならば。

 あくまで合理に則り、彼女の脚先は小さく狭い階段へと向けられていく。

「……鵠別供花は2階。柱と間取りから考えるに……居室中央にてペグ――霊反応性祭具を設置中」

 こつり。拳銃を腰だめに構えつつ、少女は歩む。足音を可能な限り消したサイレントエントリーの(すべ)

 クリアリングを欠かすことなく階段を、廊下を。そうして重い防火扉の閉まった酒場のようなテナントの目の前を銃口を通して確認すると、その奥で飛び蹴りの構えを取る祓魔師の姿を感じ取った。

 

「……なるほど。……3、2、今」

「でやーっ!!」

 

 直後、重く閉ざされた木材の扉が吹き飛んだ。

 重量40㎏程度のトネリコ材。シックで瀟洒なバーの扉。飾ると雰囲気のよくなる彫刻が施された重厚な片開きのドアが勢いよく鮫島ちゃんへと飛来する。

 少女は静かに腰を落とし、身を固め。階下まで響くほどの震脚を以て、中国拳法にもある寸勁を繰り出す。

 轟音と同時。粉々に砕け散った木製の戸を蹴破るようにして、ボロボロの狩衣を纏った小柄な躯体が飛び出してきた。

 察知は可能、回避は不可能。狭い通路に大きな扉で、黒不浄を相互に保持していないが故に対応も至難。

 それはまさしく、恰も鮫島ちゃんの“霊体器官”を知っているかのような立ち振る舞い。まさか、と思う間もなく、供花の地下足袋が少女の肩口をしたたかに打った。

 みしり。肩甲骨の軋む音。ライダーキックにも似た飛び蹴りを、鮫島ちゃんは真っ向から受ける。自らの身体強度に物を言わせ、それが致命の一撃にならないよう軽く後退しつつも左手に備えた拳銃の狙いをつける。

「……っ」

「ちょいちょい! <跳躍>+<キック>+<マーシャルアーツ>でダメ3倍くらいなってもいいでしょうが!!」

 妄言を垂れ流しながら、供花はもう一つ跳ねる。拳銃を真上へ跳ね上げるよう、片足をさらに伸ばしたムーンサルトキック。銃口から放たれる硝煙が天井を穿ち、反動と合わせて半月を描くように火花が散る。

 勢いをそのままに天井から電気の落ちた蛍光灯を手に取るや否や、ほんの一瞬にも満たない制動で体勢を整え。一息に「龍槌閃!」と叫びながら鮫島ちゃんの脳天へ向けてただの蛍光灯を振り下ろしていく。

 もう一歩下がり、引き抜いた特殊警棒を逆袈裟に振るう。圧し割れた蛍光灯のきらめきを目で追いつつ、逆手のままの突き。供花の頬を裂く穂先を貫き、空中で放し。瞬時に持ち替え振り下ろす。

 着地を狙った切り返しを四つ足の獣の如くに身を伏せて躱した供花は、片手をついたまま床面を這うようにして下段の蹴りを。跳んで躱した鮫島ちゃんを追撃するよう伸びきった左足で床を踏み締め、カポエイラもかくやという伸身のバネで以て更に上段。身を逸らして爪先を鼻頭に掠めさせつつ、鮫島ちゃんは腰だめに構えた銃を放つ。

 軽い音。交錯する銃弾。壁を蹴って姿勢を無理矢理に変えた供花は踏み込みの要領で上体を起こし、眼前の少女の顔面を狙いすますジャブを撃った。

 拳に警棒の柄を打ち付けた刹那、ワンツーのリズムで右が飛ぶ。くるりと警棒を回してストレートを逸らした鮫島ちゃんに、三度目の正直とばかりの頭突きが襲う。

 

「普通……1、で来ませんか」

 瞬間。爆弾でも炸裂したかのような衝撃。ダイスロール次第でノックアウト判定が入るほどの石頭。頭蓋の代わりに黒髪に覆われた皮膚が裂け、流れる血が鮫島ちゃんの左目を覆っていく。

「ばーっか! こういうのは1でやる方が良いんだよ!!デルウハ殿だって言ってたでしょ!!」

 挑発的に笑いながら左フックを放とうとする供花からさらに一歩。つい先ほど登ってきた階段を飛び降りるように身をひるがえし、狙いの定まるはずのない空中からやたらめたらな銃撃を浴びせた。

「…………一理ありますね」

「いやないよ、最低だよデルウハ殿は」

 供花はうひゃあと飛び退きながら何かを放り投げ、陰に身を隠す。ワイヤーの張られたペグが真っ直ぐ頭上へと突き刺さり、注連鋼縄が虚空に揺れる。

 

 ここで一度、小休止。相互にやりようがない場合は、策を練りつつ仕切り直す。――そのような腹だろう。

 血で覆われた鮫島ちゃんの視界の――或いは第六感の中で明瞭に動く女の姿を明確に捉えつつ、「そうはいかない」と呟いた。

 

「……当然!」

 直後。供花が階段に身を躍らせる。一拍の呼吸すらおかず、遮蔽物の無い中空へと飛び降りる。

「……っ、なるほど」

 ふっと息を吐いた直後。呼吸を読まれたかのようなタイミング。

 

 一拍の焦りと共に機関拳銃を擬し、引き金に指を。数発放たれた銃弾が供花の腹を撃ち抜き、どぷりと穢れが弾け飛ぶ。裂帛の呼気と共に濁った血が噴き出す。

 回避を取ろうとしたのか、或いは続く何かの策のつもりか。ベルトのようなポーチのようなものをワイヤーにひっかけたままに鮮血のほとばしる腕から力が抜け、毎秒9.8mの速度で命が燃え尽きていく。

 ――ただ、それだけ。発砲炎を残してガチリと後退しきった遊底が、弾切れであることを如実に示す。

 ただのそれだけ。伸びきった左腕の先、銃口を掴んだ供花は、黒く穢れに染まり切った形代を胸元から散らせながらその腕を高く掲げさせる。

 

 刹那、ミシリと骨の軋む音。いかに身体の強度が高くとも関節はその挙動に堪え切れることなく、構造上の問題で破断する。古流柔術や中国拳法の一部に実在する、不随の奥義。

 

「念仏の鉄直伝……骨外し!」

「……やけに古い作品を知っていますね」

「見たことあるんだ! 嬉しいね!!」

 

 大の大人でも呻くほどの激痛を味わったはずの鮫島ちゃんは、いたって冷静に供花の足を刈る。筋肉に守られてすらいない脛が打ちぬかれ、がくんと崩れる矮躯。続けて発されるはずであった古流柔術の一本背負いをキャンセルしつつ、間近に落ちてきた供花の頬を殴りつけた。

 

「ってかさぁ!! 一応肝臓ヌいたしさぁ!ついさっきは関節外したはずなんだけどぉ!?」

「……最初にデスロールをキメておいて、何をいまさら」

 鮫島ちゃんの殴打を受けつつ、ノーガードで肘を入れる。続けて膝が入ったところを、振り向きざまの裏拳で返す。

 避けようのない距離。回避のしようのない踊り場。ほんの数秒の間に行われる応酬の合間に、供花は大きく笑いながら鮫島ちゃんから距離を取る。狭いコンクリートの壁へと痛む肩をぶつけていく。

「……それもそっかぁ!」

 

 追撃とばかりに一歩足を踏み出した鮫島ちゃんに笑いかけ、爪先だけで更に後ろへ。壁に尻を擦り付けるように、地下足袋でコンクリの粉を払うかの如く。

 普段の彼女なら「ケツワープじゃん」とほざくところ、そのような余裕も呼吸の暇も無い。

 

「しゃあっ!! 祓魔格闘術(エクソマーシャルアーツ)奥義! “黒蛇(ブラックマンバ)”――――」

 

 ――そうして、壁を蹴る。加速度を合わせて、直角に打ちつけられた壁をもう一つ。恰もロープ際で反動をつけるボクサーやプロレスラーのごとき挙動。

 繰り出されるは、祓魔格闘術の奥義の一つ。壁や結界を足場として跳躍し、予測困難な軌跡で攻撃を放つ近接機動戦の極意。自らが構えた拳やペグ、或いは短剣を以て速度と打撃を与える武芸の極致。

 境界対策課に伝わる喧嘩殺法の一端を――これを当然ながら知っている鮫島ちゃんは、踏み込みと同時に右肩を突き出し、警棒と合わせて頭を守る。

 だらりと垂れ下がった左腕を後ろに、カウンターとばかりの蹴りをいつでも放てるように。

 可能な限りでは万全の姿勢を取った瞬間。供花は呵呵と大笑いしながら鮫島ちゃんの腹へと何の変哲もない蹴りを入れた。

 

「なんちゃってぇ!! ただの三角蹴りじゃーい!!!」

 

 ごほり。吐息が漏れる。横隔膜が潰れ、肺腑がえづく。

 咄嗟に警棒を振り下ろして供花の肩骨を砕き、そのまま床に転がしたところで鮫島ちゃんは左腰を捻る。肝臓を貫いたままの銀製祓串が常にじくじくと痛み続ける。

 狙うは再び、供花の脳髄。サッカーボールの如くにヒトの頭蓋を砕く蹴りを繰り出した瞬間、供花はそれが分かり切っていたかのように片手だけの力で壁際へと再度跳ぶ。

 空を切った蹴り。鮫島ちゃんが追撃でもう一歩を踏み出した時、供花はぽつりと呪いを唱えた。

 

「開けっ、『携行祭具殿(ハンディーアーセナル)』!!」

 

 ――刹那。ちりと熱が迸る。鮫島ちゃんの獣耳の毛が逆立ち、襟足からうなじの産毛までもが炙背の熱を浴びせられる。

 

「…………っ!?」

 半歩、立ち止まる。急制動の反動を無理矢理押し殺し、背筋を逸らす。

 その途端、ギロチンの如くに赤熱した大太刀が振り落ちた。

 咄嗟に掲げた特殊警棒と、上体に置いて行かれた獣耳の中ほどまで。それに分厚い革のブーツに守られていたはずの足の指を丸ごと断ち切り、致死の刃がコンクリの床へと突き刺さる。

「っ――、ぅ゛ぁ゛っ!!!!」

 これまでにない激痛が脳髄を駆け巡り、焼けんばかりの絶叫が抑え殺した喉から迸る。

 白熱する視界の中で呻く鮫島ちゃんを前に、供花はその大太刀の柄を開いてバッテリーを取り出しながら立ち上がった。

「どうだぁ! 一振り20万円の重み!!」

 自慢げに、悪戯が成功したときの子どものように。胸を張る供花が用いた祭具の名を、彼女への意趣返しとばかりに、鮫島ちゃんは小さく唱える。

 

 境対課、祓技研特製――電子妖刀・牙折包丁。

 

 黒不浄をも超え大型の界異すらも討ち果たすことが出来るほどの威力を、その内蔵バッテリーの続く数十秒の間だけ出すことの出来るという大型の祭具。

 閉所で使うどころか、一撃でも外してしまえば万全に機能させることすら不可能となる鋼鉄の文鎮。抜群の巨躯か異常の膂力を持つ者でなければ万全に振るうことすらも能わない、この場にとって最もふさわしくないシロモノ。

 しかし。

 

「……これを、狙って…………」

「影牢シリーズはよくやってたもんで……ね!」

 

 しかし。一瞬だけのギロチンとして使うならば――それも追撃を躱すためだけのトラップとして機能させるならば。全ての話は変わってくる。

 

「あと、ほら。だいたいわかってきたし……君の手癖」

「…………はあ?」

 

 呆れたように。言葉尻を低く。怒気すら込めた嘆息とともに鮫島ちゃんから放たれた蹴りを、供花はひょいと階段を再び登るようにして避ける。

 コンクリにヒビを入れるほどの身体性能と、続く裏拳。錆びた鉄の手すりをひしゃげさせながらこれを振り抜き、鮫島ちゃんは後ろ手で電子妖刀を手に取った。

 

「……これでも?」

 

 手にするのも初めての祭具。どころか扱ったことすらない。真価を発するバッテリーは先程抜かれ、狭い踊り場で扱うのはどう考えても不向き。

 指の落ちた脚で階段を踏みしめ、どくりと血潮を床に撒く。自傷にも等しく常人では支えすらも出来ない所業を取りつつ、回転の力を以てこれを補助。

 深々と床を穿つ大太刀の切っ先に膂力を籠め、威力を溜め。

 そうして一刀。流れ星の如くに横薙ぎを。

 

「無明……逆流れっ!?」

 刹那。無骨な刃金が壁を打つ。古いコンクリが軋む。妖星の銀閃、乱れる神の怪力。砲撃にも似た轟音のままに一切の障害を――硬い建材そのものを両断し、濛々と荒ぶアスベストの只中を切っ先は行く。

 供花は自らの首筋を守るように一歩跳び退き、さらに一歩。天井から釣り下がるベルトとポーチを手にしてもう一歩分の高さを稼ぐ。その瞬間、供花の胸元を寸前で大太刀の切っ先三寸が掠め取っていく。

 ――新陰流奥義、八寸の延金。斬撃の刹那に握りを変えて間合いをほんの少しだけ伸ばす術技。

 どこで会得したのかもわからない初見殺しの技を一瞥すらくれずに回避した供花は、断たれたスートラと露出した左乳房を隠しつつ口角を上げた。

 

「……ああ、あの狼ちゃんの技かぁ! 会った事はないけど聞いたことあるよ――ってことはやっぱり、君も祓魔師なんだ!!」

「……五月蠅いですね」

「連れないなぁ鮫島チノちゃん。コーヒーブレイクでもしない?」

 

 軽口に何も返さず、空ぶった太刀でそのまま手すりを真っ二つに裁断。再び床を穿った刀の勢いを殺すことなく柄を叩き、鮫島ちゃんはつい先ほど月を思わせるように断ち切られかけた壁へ向けて跳躍する。

 そうしてもう一回。鮮血の滴る足先をぐちょりとコンクリに宛がい、高度を稼ぎつつ階上の供花をめがけて飛び込む。まさしく、つい先ほど供花が成した通りの三角跳び。

 扱ったこともない、戦闘スタイルにも合っていない祭具と、たぐいまれな戦術機動(タクティカルマニューバ)。常軌を逸する祭具運用能力を保持した祓魔師ですら不可能な駆動を見せて一気に距離を詰めた。

 

「ちょ、仕切り直しCくらい発動させてよ!」

「……これ以上形代を使ったら、後が怖いので」

 

 暗に早く死ねという圧。着地と同時の手刀。踏み締めた右足からぐじゅ、と血が滲む。痛みかわざとか、恰も転ぶように関節が外れたままの左腕が遠心力を以て供花を打つ。

「へっ。いやだね! 私は生きる!生きてアイナと添い遂げるっ!!」

 

 力のこもっていない腕を頭蓋で受け、供花は見るからに無防備な左腕へと指を這わせる。狙うは再びの背負い投げ、意図を読んだように自分から近づいた鮫島ちゃんが掌底を打ち、供花の肋骨をみしりと軋ませる。

 ちっと舌打ちしながら後ろへ飛んだ供花は、着地と同時に重厚な木の扉――その残骸を蹴り上げた。

 豪速で飛来する材木をぱしりと軽く手に取り、鮫島ちゃんの右手がしなる。瞬間的に音速を越えた剣閃が続く扉材を打ち、続く踏み込みと同時に供花の豊満な胸を真下から叩きのめす。

「……武器を渡すつもりで?」

「あいたぁっ! ……こ、これがブシの情けって奴よ!」

 

 涙目になりながら両腕を立てて前に、三戦(サンチン)の構え。

 呼ッと息を整えた瞬間、材木が叩きつけられる。呼吸と同時に正拳で突き、続く鮫島ちゃんの機動を後の先で抑止しながら型外れに足を引く。

「情けないですね」

 ふっと息を吐いて更に前進。打たれた胴を腹筋だけで弾き返した供花に、更に一歩踏み出しながらの蹴りを放つ。合わせて足を引き琉球空手の正拳を返しつつ、再び振りかぶられた木材を尻目に右足を大きく下げながら蛇の如き構えへと流れるように変化させた。

「情けない? なんだよその古色蒼然とした考え方は。私にとっちゃ、そんなものはナンノブマイビジネス(夜に影を探すようなもの)だよ?」

「……そうやってすぐ茶化すところも」

 

 木剣の切っ先を的確に手の甲で返す。続く腰だめの突きを材木から放した右手で打ち払い、回転しながら落下する木材を手に取って無防備な供花の脇へ。肘を以て受け止めた刹那に膝を入れ、鮫島ちゃんは真後ろへとくるりと回りながら躱した祓魔師の女を追う。

 バーのカウンターに並べられた食べかけの料理とグラスとがガシャガシャと音を立てながら崩れ落ち、カウンターを乗り越えようと身を乗り出したところで大きなワインボトルが振りかぶられるのを見た。

 

「どうぞぉ! こちらのお客様からです!!」

 手首を返して身を逸らす。短い髪を分厚い底のボトルが掠め、ガシャンと大きな音を立てながら1本数万円のアルコールが割れる。赤黒い液体をあたり一面に撒き散らしながらどこぞの誰かのとっておきの一本が烏有に帰す。

「我が国には生意気な奴をビール瓶で黙らせるという伝統芸がありましてねぇ!!」

 鮫島ちゃんは返す刀とばかりに机の上のフォークを手に取り、横薙ぎの要領で投げ打つ。ひょいと身を伏せた供花の姿を“霊体器官”によって感じ取りつつ、大量のグラスが割れる様を目にする。そうして祓魔師の女がカウンターから顔を上げた瞬間、狙いすましたかのように食べ残しのパスタを皿ごと彼女の顔面へとひっくり返した。

「うべっ」

 妙な鳴き声を上げる供花を追撃。カウンターの向こう側へと飛び移り、手に取ったカトラリーナイフを首元へと振る。パスタでべちょべちょになった顔面をそのままに、供花は空中に舞う割れた皿の欠片を親指で弾くようにして小さな刃を逸らす。

 続けて蛇拳の突き。動かない左腕を執拗に狙う蹴りと応酬の最中、鮫島ちゃんは指のない右足を前に突き出して踵だけの上段蹴りを。一歩大きく下がった供花の背中で洗いたての食器が不協和音を撒き散らす。

 一歩猛追。鮫島ちゃんの出足に合わせて、供花はコンロの上のフライパンを手に取った。

「それっ!グムの特製料理だよ!!」

 

 熱の冷めつつある鉄塊と、その上の生焼けのフォアグラのソテー。塩と胡椒で味付けされた絶品の肉料理(カルネ)を、瞬間的に音速を超える横薙で以て年若い少女の頬へと殴りつける。

 ごがっと鈍い音を響かせ、鮫島ちゃんの視界が揺らぐ。つけていた伊達メガネが跳ぶ。

 咄嗟にメガネを取り、ツルを指先だけで外して逆手に。仕込まれた刃を振るって銀線を閃かせ、供花の頸動脈へと最短を征く突きを放った。

 供花は少女の手首を掌で挟むようにして小さな暗器を防ぎ、武器を捨てるよう一歩。踏み込みと同時に持ち上げる。

 柳生新陰流、無刀取り。伝承の中でしか存在しない奥義を軽く用いながら、続けて無防備な正中のどこにでも殴打を浴びせられる距離。位置取り。

 合わせて少女は蹴りを放つ。供花の腹へと血色の足跡を印す。タイ捨流にもある、鍔迫りのさなかの下駄ぐり。指も肝臓も失ったはずの鮫島ちゃんから放たれる武技に驚嘆しつつ、合気の技を応用してメガネに仕込まれた暗器ごとカウンターに叩きつける。瞬間供花の腹筋に響く重い衝撃に苦笑しながら、腕の力だけでくるりと側転。つまみのブルーチーズを高そうなスパークリングワインごとひっくり返し、テーブルクロスの敷かれた客席の側へと転がりながら間合いを取った。

 

「なーんで……すぐ返して来れるのさっ、と!」

 とん、と指だけでテーブルの上を優しく転回しつつ、皿に並んだスピエディー二の串を振り打つ。野菜と肉とを白ワインで程よく焼いた美味なる料理を真っ向から冒涜しながら、容易く素手で弾き返した鮫島ちゃんをにらむ。

 そのまま着地。後ろ足の蹴りで瀟洒なテーブルをひっくり返した刹那、俊足で以て距離を詰めた鮫島ちゃんの足を重い机が打ち付けた。

「……っ、曲芸ばかり」

 片足で机を受け止め、足を掛ける。身を乗り出すようにさらに一歩加速した少女に向けて、誰かの荷物だけが残された椅子が一発横薙ぎに振るわれる。

「どの口が!」

 

 衝撃。供花と鮫島ちゃんの身体強度に押し負け、何の変哲もない椅子の方が砕け散る。双方ともに何の損傷も支障もないことを悟った供花が一歩真後ろの椅子の背もたれに手を乗せながら軽業師の如く片手で宙返りするのと、鮫島ちゃんがメガネの弦に仕込まれた刃を振るうのはほぼ同時。

 間一髪で薄く切り裂かれる腿。追撃を抑えるように小さな鼻先を掠める供花の蹴り上げ。逆さまの視界で食卓に並ぶブルーチーズとスパークリングワインを一瞥し、供花は懐から一枚の呪符とスマホを取り出した。

 

オンキリキリバサラウンハッタ(om khili khili vajra hum phat)オンキリキリマイダヨソワカ(om khili khili maidayo svaha)――――『霊弾発射』!」

 

 そうしてパチリ、弾指の儀。舌を回した高速詠唱。タクティカル祓魔師として一般化されつつある汎用祓魔術の1つ――そうして鮫島ちゃんの知識によれば忌火を起こす儀術の一つとして記されることもある、ごくごく一般的な祓魔術の基礎の基礎。

 真っ直ぐに呪符を向けられた鮫島ちゃんは咄嗟に、前へ倒れるようにかがみこむ。刹那。がしゃりと音を立てて飛び散ったブルーチーズが発火し、小さな炎となってピザのようにどろどろの発酵乳をあたりへ散乱させる。

 

「……『星斗に願いを(ケンガンアシュラ)』、でしたか。まさか儀術も引用できるとは」

「へっ。ネットには古神道から新興宗教まで専門家が沢山いるのさ」

 飄々と答えつつ、若干大仰に両手を広げる。その隙を討たんがために疾駆した鮫島ちゃんへ向けて、供花は呪符を挟んだ二本の指をまるで銃口のように形作った。

「……にしては、寡聞ながら覚えのない詠唱でしたが?」

「私には聞き覚えがあるけど……ねっ!」

 バン。口でっぽうと同時、紙のナプキンを放る。一瞬だけ供花の顔を隠す演出の妙を操りつつ、その指先を鮫島ちゃんの足元へ。刹那警察のブーツで踏み締めたスパークリングワインが発火し、歩んできた足跡を為して少女の裾を焼いていく。

 

「フハハハ! これで形勢逆転だね、日本公安の暗部たる娘よ!! これからはじまる私のスタイリッシュな大立ち回り(フルコース)、とくと味わってくれるかな!?」

 

 熱のこもる、炎が徐々に広がっていく店内。供花は舞台劇のような大ぶりの一礼をして、少しふらつきながら再度呪符と指でっぽうを鮫島ちゃんへと向けた。

 

「……それ、超人アクターchの真似ですか」

「おっ、コラボ見ててくれたの?」

 

 いいえ。鮫島ちゃんは小さく首を振り、祓魔術への対抗策を――その詠唱が為される前に接近する、単純明快な方策を思案する。ずきりと痛む肝臓の祓串と炎で炙られつつある足を勘案し、出した答えは速戦即決。

 まだ曲がりなりにも義があったあの男と、この目の前で笑う女は明確に異なる。

「……彼と言うより、ただの悪役ですね」

「知ってるなら話が早いよ――――食らえ、『高齢化ダンス』!!」

 瞬間。疾駆した鮫島ちゃんの腕が伸びる。伊達メガネの暗器を右手に、だらりとぶら下がる左腕を固く握り込んでの徒手格闘。

 同時。とんと床を蹴って、弾幕舞踏(フラメンコ)。足取り軽く椅子やテーブルを藁の楯としつつ、刃を障害物に宛がうことで逸らしつつ。

 「オンキリキリ」、供花は呪いを大仰に唱え、恰も呪符をリボルバーかなにかとして扱っているかのように右手の親指へと左手を添える。

 刹那、バンと大きく口でっぽう。一度に三回発砲する早打ちの流儀を即興で用いつつ、指と腕とを反動のように揺り動かす。振り抜かれかけた刃を差し戻すように、鮫島ちゃんへ術からの回避を強制していく。

「オ゛ン゛ッ゛ッ゛ッ゛!!!」

 少女の着地と同時、彼女の左わき腹を狙うようにして呪符を指す。忌火の術とあれば、それを躱さぬ術はない。指を失い火傷に痛む右足を殆ど犠牲にしつつ、鮫島ちゃんは床の上を転がる。

 

 ――良すぎる目と高すぎる運動性能を持つ者などはごまんといる。それこそ供花もその一人。もしも目がなければ回避しようとも思わず、動ける力がなければ不十分。

 その両方が備わっていたことこそが、供花の“読み”を確実なものにする。

 供花の狙い通り、想定通りに最も“合理”的な回答を叩き出した公安の年若い娘子へ向けて、祓魔師の女は壁際に配されていた背の高い帽子掛けを片手で取り上げながら足を踏み出す。

 そうして下段の構えを取るや否や、燃える床を転がる鮫島ちゃんへと一息に突いた。

「飛べぇぃっ!」

 切羽、鮫島ちゃんは動かない左腕を盾にするようにして一条の軌道を変える。槍の如く穿たれた帽子立ての尖った鋒が床を貫き、続けて薙刀術にも似た切り上げ、加えて供花の手元だけでくるりと軌道を回し、当然ながら帽子を掛けるための突起を少女の脇へと突き入れた。

 

「これぞ、なんっちゃって尾張貫流――アクセントに宝蔵院流を添えて!」

 

 様式の異なる二つの槍術に薙刀術、更には鬼庭刑部の槍の技法を織り交ぜる奇妙奇怪にして神妙不可思議な武。鵠別供花の真価とも言える、多流派の連結。

 

 槍の穂先に絡まれ投げ飛ばされた鮫島ちゃんは低い天井に足をつき姿勢を整えると、器用に丸めた手首で以て帽子掛けの中ほどを強打する。真逆のベクトルの力学が働き、純粋な膂力によって長物の長たる槍は床に沈む。

 踏みつけの代わりに弧拳を以て、超常の威力を以て、彼女の同僚自身の戦闘技術を難なく代用した少女は、中ほどから圧し折れた帽子掛けの軸に指をかけ真っ直ぐ供花の側へと足を滑らせた。

 

「……悪手ですよ」

「それじゃあ後楽園ゆうえんちで私と握手!」

 

 ぱっと槍を手放し、鮫島ちゃんの身体ごと壊れた槍を跳ね上げる。そのままスマホを持つ手を左腰に配しつつ、指でっぽうの狭間に挟んだ呪符を鮫島ちゃんへと向ける。

 右足を下げた異形の居合。到底回避のしようのない中空へ――相互に助け合える仲間のいないからこそ成り立つ、必殺の一撃。

 妨害のないまま大きく振り抜かれた手刀の居合を、少女は懐から落としたタバコの箱だけで抑える。

 供花の右手の手根管――親指の付け根に当たる手首のわずかなツボへと箱の角を的確に落下させ、人体に不可欠な神経反射を誘発させ。それで稼いだわずか1フレーム未満の時間と距離。

 一手だけであれば、身を逸らして掠める位置に頭を置いた鮫島ちゃんにとってたったそれだけで十分なシロモノ。

 供花はぴくりと震えた右手のしびれに不快感をあらわにしつつ、二の矢とばかりに構えていた呪符を到底回避しようのない目と鼻の先に突きつけた。

 

オンバサラニーラサーガ(om vajra nira saga)!来たれよ風天――」

 

 衝撃。呪いを最後まで言い終わることなく、腕が跳ねる。指でっぽうの銃口が有らぬ方向へと指向する。狩衣に守られた肘を全くの視界外から――真下から打つのは、供花がついさきほどまで保持していた帽子掛けの台座。石突にもにた木製の竿頭。

 その先――指のない素足だけの右足で即席の槍を挟み込んだままの鮫島ちゃんは、逸脱の神業を誇ることもなく、供花の指から離れた呪符を視認した。

 

「やはり……医霊執符」

「観衆の――あっいや私の目の前で手品を暴くなんてサイテー!」

 

 加護の力を以て、生命力を活性化させる……ただそれだけの回復用の祭具。本来であれば供花がやったような発火性もなにもないはずの、誰でも使える支給祭具(サプライド)

 最初から込められていた3回分の機能を失ってただの紙切れに変わる呪符から目を逸らし、鮫島ちゃんは供花の腹へと崩拳を打ち込む。固い肉を叩き合わせたような音が響く。

 げふりと血の味を口に溜めた供花へ、鮫島ちゃんの口からタネを暴く。

 

「……微生物の発酵、発熱の異常な促進。その類ですね」

 ぴたり、と答えを言い当てられる。これまで忌火のブラフとして使ってきたモノと、医霊執符という祭具。

 その2つから導き出される答えに、祓魔師は青ざめた顔で笑みを浮かべた。

「…………もしかして、わかりやすかった?」

「……よく考えつくものだと、感心はしますよ」

 

 あくまで生命にしか効果のない医霊の術技。これを逆手に取って、カビや菌類ーーあくまで”生命”の範疇であるコレらに、医霊による生命力の異常な……三次元科学を超えた増進を。

 爆発的に増えた微生物たちによる発酵と活動の熱量を以て、瓶内二次発酵のスパークリングワインやブルーチーズを一つの発火源として活用する。タネが分かればただそれだけの、大きなブラフ。

 手品というにはあまりに大きく、祓魔術と呼ぶにはあまりにチャチなブラフを咄嗟に造り、真面目くさって伏せ続けてきた供花に、鮫島ちゃんは「ペテンが得意であるのなら」と小さく呟いた。

 

「……あなたの発言の全てが嘘だとして、再考し直すべきですね」

「いいよ。信じたくないなら、信じなきゃいい」

 

 供花は残念そうに肩をすくめて、残った祭具を脳内に刻む。

 命よりも大事なスマホと4枚の形代。ペグにワイヤー。呪瘤壇が1つと、まだ起動すらしてない名伏。それに牙折包丁を失った高容量充電池。

 相手は重傷。残り3枚の形代だが、異常な継戦能力を持つ以上は油断も隙もない。さらには此方のブラフもバレたと来た。

 

 まあ。小さく笑う。強盗どころではなく荒れ果てたバーの店内にて、眼前に立つ鮫島ちゃんに蹴りを放つ。

 

「切り札は取っておかなくちゃ」

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