【タクティカル肝試し】鮫島事件について調べてみた!   作:はまっち

4 / 5
【この動画はお住いの国では公開されていません】

 

「……切り札?」

「ふふふ、聞いて驚け!見て笑え!!」

 

 蹴りが躱される。カウンターを警戒したのか、供花は大きく飛びのいて腰から引き寄せたスマホを向ける。

 刹那。パシャリとフラッシュが光り、薄暗いバーの空気に慣れた鮫島ちゃんの顔を鮮烈に照らした。

 

「……。術式、『星斗に願いを(ケンガンアシュラ)』……でしたか」

「そ。真名、開帳――」

 ぽつりと呟き、スマホを指先で弄った瞬間、鮫島ちゃんの身体が供花の懐へと飛び込んだ。

「……もう騙されませんよ」

 拳を打つ。スマホを持ったままの肘で逸らし、後ろに下がった足を絡めるように更に蹴り。輝くスマホのライトで影が伸びる。

 これまでに負ったダメージを一切気取らせることなく続く暴力の嵐に、供花はたまらず叫んだ。

「うひゃっ、変身バンクの間は攻撃しちゃダメだってぇ!!」

「……なんですか、そのお約束は」

「そう! お約束なの!」

 スマホをくるりと回して鮫島ちゃんに打ち付け、ナイフ術にも似た連撃で少女に間合いを開けさせる。

 スマホの背から絶えず迸る閃光を、狙い澄ましたかのように鮫島ちゃんへと向けつつ。眩い光に目を細める少女が再度踏み込もうとしたところを蹴りつけながら、意気揚々と呪いを唱える。

「さあさあ改めまして――――開け(ひらけ)開け(ひらけ)開け(ひらけ)開け(ひらけ)開け(ひらけ)――繰り返すつどに五度、 ただ満たされる刻を破却する!」

 

 供花は芝居がかった動作で、ぽいと真上へスマホを投げる。

 その瞬間。鮫島ちゃんの顔へ、眼へ投げかけられていた光が止まる。一瞬順応が追いつかずに真っ暗になった視界を無理やりこじ開け、一等暗く感じるバーの只中に立つ供花のにやけ顔を睨みつける。

 暗い場所から、明るいモノを注目し。そうしてまた光を失った時に引き起こされる現象――訓練でも強化しきれない人体の基本機能を逆手にとった供花へ、鮫島ちゃんは小さく呪詛を吐く。

「……あなた、本当に…………イカサマばかり」

「顕現せよ! 『帳見晴らせ呼子鳥(インスタント・ピューリッツァー)』!」

 

 ちっとこぼれた恨み言を聞いてか聞かずか、供花は猛る。

 その刹那。全周を警戒するように身を固めた少女の背筋を、小さく霊的な冷たさが這い降りていくのがわかった。

「界異……いや、縁起」

 呟く。一瞬だけ早く下げた頭頂を掠めるように、底冷えする怖気が風を起こす。

 屈む。切りそろえるかの如く黒髪が散り、見えざる刃が横薙ぎに振るわれたのがわかった。

 冷気と風から感じ取る。恰も黒く長大なヘビのような見えざる様。続けて大気がよどみ、ドスにも似た短刀の形をとった霊力が鮫島ちゃんを突く。間一髪とばかりに飛び跳ねて避けたところを、供花のペグが足元の床面へと刺し穿たれる。

 続けて、拳銃弾にも似た銃撃。

 振り返りざまに霊弾を掠め、真下から突き上げられた不可視の旗を飛び越える。

 暗闇に順応してきた鮫島ちゃんの目に、その下手人――カウンターの上に立つ、小さな人形の姿が映し出された。

 

 それはまさしく、狩衣をまとった小型の女。やけに丸っこくデフォルメされた顔には憎たらしいニヤケ顔が作り込まれ、真実のソレよりも豊満な乳と変わらぬアホ毛、それに腰から生えたトキのような白い翼が現実を模したものではないことを如実に示す。

 

 

 一言で言えば、参考資料として嫌々視聴させられたバーチャルアイドル――――”鵠別供花”その人であった。

 

 

「…………」

「リンゴちゃん! 今日もよろしくねっ!」

 素手で壁にペグを打ち、ワイヤーを張る。スマホを片手に続けて陣地を構成しつつある供花から目を逸らした刹那、全長15cm程度のねんどろいど……商標を避けるとフィギュア人形が、その球体の関節を鳴らす。

 途端、冷たい空気が力を増す。霊力で構成されたバットが振り下ろされるのを、空気感の違いだけで躱した。

 

「…………さっきは『名亡しさん』って言ってませんでした?」

「そんな昔のことは覚えてないね」

「……だから騙されなくなるんです」

「そんな未来のことはわからない!」

 

 映画の台詞を口ずさみながらペグとワイヤーを張っていく供花を尻目に、鮫島ちゃんは霊体の銃弾を躱す。アサルトライフルかとばかりに放たれる銃撃を軽く避けて、カウンターを叩き壊す正拳突き。ひょいとコンロの上に立ったフィギュアを追って回し蹴りを浴びせた刹那、返す刀で冷気の銃弾が跳ぶ。

 

「……霊的攻撃を使う縁起。術はない。となると」

 ぽつりと供花の手の内を読みつつ、ワイヤーの前で手を合わせた供花に向けてグラスを投げる。うひゃあと軽い声を出して額を血で染めた祓魔師の女は、「あっちと遊んでてよ」とだけ叫んだ。

「今の私はペグ打ちの(おきな)……(おうな)?なの! ここでちょっときゅうけーい! あーゆーおっけーい!?」

「……隙を見せるのが悪いのでは」

「それって正論? 私、正論って嫌いなんだよね!」

 手にしたスマホでフラッシュを焚く。パシャリと眩い光が一瞬だけ目を逸らさせる。

 供花の動きへ合わせるようにフィギュアが放った霊的な鉄骨の展開を間一髪屈んで避けた瞬間、鮫島ちゃんを囲むようにして貼られた注連鋼縄が霊的な機序を持ってその効果を発動させた。

 

「結界設置完了! 付与する効果は────【回避妨害】!」

 

 言葉が発された途端。ズシリと粘度をもった水のように、大気が重くなるのを感じる。

 重りでもつけられたかのような呪いの理論を身にしみて体験しつつ、後ろから振りかぶられたペグを弾き返す。

 ワイヤーが取り付けられたままに壁へと突き刺さったペグを見た供花は、ワンツーのリズムで続く正拳突きを空振らせるように身を引いた。

 恰もサイリウムでも振るかのように、ブルーライトを煌めかせるスマホで半月を描く。

 光の半輪を追いかけるように、霊体の銃撃が飛来する。

「この機を逃すな! 無人在来線爆弾、全車投入!」

 供花は大仰なセリフを吐き捨てつつ、追撃出来るはずの位置から大きく飛びのき再度ペグを地面に突き刺す。斜めに張られたワイヤーを飛び越えて一歩追いつつ霊弾を躱した鮫島ちゃんは、得心がいったように言の葉を零した。

「……っ、そういう。”制約”ですか」

「なんのこと……? 言ってくれなきゃ……!何も分からないじゃないか!!」

 さらに一歩。スマホで照らし、ペグを打ちながら逃げ回る供花を追って、鮫島ちゃんは拳を放つ。その合間を縫って後ろから、横から、魂をそのまま打ち砕かんとする霊体の拳や蹴りが乱れ打ちされる。

 これまでの格闘戦偏重から打って変わって、ペグを打つ他には縁起――フィギュアによる霊的攻撃を仕掛けてくること以外を行わない祓魔師の女のニヤケ顔を一瞬ちらりと見つつ、これまで戦ってきた呪詛犯罪者たちの傾向から一つの結論を投じる。

 

「“ふざけたセリフでしか喋れない”、“縁起を使っている時には攻撃できない”――そんなところじゃないですか。あなたの術式は」

「おいおいおいおいッ! だァ~~れの頭がフザケたヘアースタイルだってェッ!?」

「……いや、髪型は特に言ってませんが……」

 話が通じない。ちっと舌打ちした瞬間、再びワイヤーに霊力が灯った。

「更に重ねて命ずる――【回避妨害】!」

 もう一つ。重圧で大気が軋む。失血の続く肝と脚より、押し出されるように朱殷が散る。

 ばさりと羽搏きのような音とともに撃ち出された霊弾を掠め、供花のペグを辛うじて避ける。

 一瞬で展張したワイヤーをちらりと見ながら、ぽつり。

 奇しくも供花と同じタイミングで、懐から一冊の薄い手帳を取り出した。

「もいっちょ!【回避――」

「――――『動くな! 刑事訴訟法110条および112条に基づき、当物件を捜査差押処分とする!』」

 呪文のような通達が詠み上げられた瞬間。全く異なる術理が広がる。

 本来あるべき術理の衝突も、霊力の弾き合いも。何事もなかったかのように浸透する法令が、供花の構築した簡易結界の効果を丸ごと烏有に帰していく。

 霊力の励起もなしに、霊能力のないものでも扱うことの出来る術。祭具の運用にも近しく、”正しい手順で事をなす”ことで発動する術理――儀式技術。

 数ある儀術の中でも更に新しく、最も公になっているもの。日本を陰に日向に守る警察官の、血と涙と汗の結晶。

“法令をもとに、警察官という権力の地上代行者によって発動する、正義正道の儀式(・・)

 それが。

「……警視庁式、『対祓魔師戦闘術(AEC)

――折角裁判所から取ってきた『礼状』を……まさか使わせてくれるとは」

 

 恨みがましく睨みつけた視線を受けて、供花は負けじと笑い返す。

「なにそれ、呪具?」

「ただの“儀式”ですよ……。貴方には縁のなさそうな」

「なにそれ、嫌味?」

 そうですが。真顔で呟いた鮫島ちゃんに、背後からフィギュアが霊力の啄みを繰り出した。

 空気の淀みがもとに戻り、既に動けやしないくらいには負傷しているとは思えないほどの精細さで、霊弾より一瞬だけ早く回避を続ける。そのさなかにも供花を狙って致命の打撃を繰り返す。

 ちっと舌打ち。結界で可能な限り妨害しながら削り潰すという目論見が崩れたことを呪いつつ、供花はわざとらしく指示を出す。

「しょうがない! プランCを飛ばしてプランDに変更! まあ所謂ピンチってことだから、そこんとこ夜露死苦ゥ!」

 了解、とばかりに敬礼したフィギュアの周りで冷たく空気が澱んでいくのを感じ取りつつ、ふとツッコミを入れた。

「……プランBはなんなんですか」

「ないよそんなもの!」

「……そうですか」

 ぽつりと呟きかぶりを振った鮫島ちゃんの眼前を、ワイヤーの張られたペグが飛び去る。大きく外れて後ろの壁へ――つい先ほど破壊されたカウンターの奥へと突き立てられた祓串を一瞥しつつ、「移動の制限か」と独り言つ。

「……浅知恵ですね」

 ワイヤーを用いて機動を制限する事も、それを逆手にとってワイヤーを足場に使うことも、慣れた事。況や一本だけ張られた注連鋼縄など、回避も利用も容易い。

 敢えて目論見に乗ることもないとばかりに蹴りを放ち、スマホで以て逸らされたところを。ふと。(まじな)いが耳に入った。

 

「ネットミームの悪魔よ、アメリカ国民の寿命を一年与える。代わりにどうかマキマを……いや、支配の悪魔を殺してほしい!」

 続けて、一つ。供花は手にしたスマホを左手に。右腕で指でっぽうを形作りつつ、恰も高名な《大隊長》のような格好をしながら術理を叫ぶ。

 かつて北海道の某所で交戦した仮想敵国(ロシア軍)の縁起使いと同じような、独特の構え――儀式手順を。

「『ソ連軍非化学戦専門家(Специалист Нехимибой СССР)』奥義――――」

「……! 『刑法第81条(外患誘致)』っ……」

 返す刀とばかりに発動した術式への妨害。一瞬の言葉の間で術理が交錯した刹那、供花は手にしたワイヤーを引く。壁に突き刺さったペグが撓り、鮫島ちゃんの背後へと返る。

 ちっと舌打ち。発動した祓魔戦闘術は、果たして縁起を呼び出すもの(黒魔術)か、縁起の術を自身に合わせるもの(ウィッチクラフト)か。はたまた縁起を使い潰した末の強化(即席の呪具化)であるのか。

 いずれにしても。

 鮫島ちゃんは腰を落とし、正拳突き。首尾よく躱した供花を追って更にワンツーの連撃。そこからリズムを敢えて崩しての掌底を。

 やるねとばかりにスマホを握った片手だけで払った刹那、腹と顎先を狙った二連の蹴りが飛来する。

「っとぉ!?」

 耐えきれなくなったかのように大きく飛びのいた瞬間、鮫島ちゃんは狙いすませたかのように顎先へと上段の回し蹴りを放った。

 回避も防御も難しい位置取り。連撃の末尾に仕掛けられるはクリーンヒットすれば顎どころではない、必殺の一撃。

 

 取った。供花の顎骨に致命の右足が当たった瞬間、彼女の姿が掻き消える。半月を描いて蹴りが空を切る。渾身の一撃が烏有に帰す。

 かつん。

 鮫島ちゃんの足元で、一台のスマホと霊力を纏った小さなフィギュアが瓦礫だらけの床へと落下する。

 

「――見たかっ、私は! バ美肉してない方の“不死身のコシチェイ・【ベスメルトニー(Бессме́ртный)】”だぁ!!」

 

 鮫島ちゃんの後ろで、供花の声が響く。恰もチェスのキャスリング。式神と自らの位置を入れ替える祓魔術。

 振り返る少女の視界の端。入れ替わったかのように蹴り技の真下でスマホを抱えたフィギュアから、界異が式法を行使するとき特有の大気の澱みが迸った。

 

「――――っ」

「【縁起限定開錠】、『カース・フォー・ブーム(/summon minecraft:tnt )――」

 

 第八班の同僚たちの術理を、言葉遊びだけで再現し詠唱。それに従い、スマホを携えたフィギュアが祓魔術(式法)を展開する。

 ふっ。と息をのんだ鮫島ちゃんは、振り返る勢いを殺すことなく一息で距離を詰める。供花の喉元を狙うように貫手を放ち、宙を跳ねるワイヤーを手に。初動を潰された供花が身を低く伏せるその瞬間、空を抉ったペグを注連鋼縄を介して直接フィギュアへと叩きつける。

 刹那。何の変哲もないスマホが叩き割られ、ニヤケ顔のフィギュアの頭が大きく圧し折れて泣きっ面を晒した。

 幾重にも張り巡らされた包囲網を逆手にとった少女は、ふっと息を零して――次へ。縁起を潰し終えられた供花へと。

 

「もういい! もどれ!」

 

 そう叫んで、供花は自らが前に出る。

 中段の蹴り。ストンプ。鉄山靠から突き倒し。片腕と足捌きだけで捌き切る鮫島ちゃんに、幾つもの武術を切り貼りしたような近接格闘のラッシュが飛ぶ。

 一発一発で通常の人体を破壊せしめる武芸の極みを、幾つものフェイントに合わせる。

 手刀、貫手、掌底に正拳突き。武器を持たぬ徒手で武器の技を応用しつつ、供花は肘を宛てがいながら裏拳を放つ。

「なんの罪もないスマホと……っ、ねんどろいどの仇っ! ギアを一つ上げていくぞっ!」

 裏拳を放った刹那、手首を絡めるように鮫島ちゃんの手技が光る。足をかけての体落としに払い足で応戦、空に浮いた手で袖を掴む瞬間、刃を仕込んだ眼鏡で軌道を制す。

 薄皮を刈るように供花の首へと伸ばした仕込み刃。避けた狭間を肩に落とし。肘を弾いて刃先を外し、テコの原理で腕を折るべく上腕を叩いた。

 足を引く、腕を引く。踏み出す地下足袋を血染めの踏み込みで汚しつつ、供花の狩衣からまろびでた脇を蹴る。

 呼吸を一つ、胸の肉で受けた供花は足を腕で挟み込み、ぐいと引き寄せ息を吐く。

 続けざまに少女の左腕が殆ど動かないまま遠心力だけで鞭の如くに繰り出されるも、鮫島ちゃんごと地面に倒れ込む形で軌道を回避。へし折れたテーブルの木材を即席の(パンジステーク)に仕立てた供花の試みを、鮫島ちゃんの薄く細い体がただそこにあるだけの身体強度のみで以て破砕する。

 まじかよ。恨み言をこぼすまもなく、鮫島ちゃんの蹴りが飛ぶ。回避のしようがない距離から、今度は供花を引き込むように脚先だけで間合いへ引きずり落とす。

 チッと掠めたこめかみから薄い血と。銃弾でも浴びたかのような擦過傷。空気の壁が爆ぜる音。人の身で音速を超える超常の様を見せつけつつ、鮫島ちゃんはさらに一つ。供花の胸ぐらへと手を伸ばした。

 握り込まれた刃が光る。無防備な首元を切り裂く如く。供花はふっと息を零し、含針術にも似た術技でもって血混じりの唾を少女の目へと吐き捨てた。

 目潰し。咄嗟に避けて緩んだ攻め手を返すように、供花は鮫島ちゃんの軸足をそのまま真っ向から蹴り押しにかかる。サッカーであればファウル上等、悪質極まりないほんの一歩のスライディング。これを受けて鮫島ちゃんは自身の指の潰れた軸足よりも、首を先んじて刈ることを選ぶ。供花に身を反らす回避を強制し、次へと繋げる致命の連撃を。

 

 刹那。供花の顎が拳を叩く。刃の内側、伊達メガネそのものを握る、刃を返しようのない位置。

 自らの頸動脈が切り裂かれる恐怖を攻撃の手だけで返り討ちにしつつ、祓魔師の女は体を前へ。”睨みつけるライオンのポーズ”とも称されるカラリパヤットの型を即興で用いつつ、地を這うような低姿勢のまま鮫島ちゃんの腕と体を押し飛ばした。

「……っ」

 強いたはずの生死の選択が一瞥すらくれられずに撃ち返されたことを、仰向けに倒れる視界で悟る。蹴りが直撃した右足の脛から罅割れるような嫌な音が響く。

 続けて、供花の上体が跳ね起きる。上空の魔を撃ち落とすかのような蹴りが鮫島ちゃんの顎を穿ち、白熱した視界が彼女の眼前を覆っていった。

 

 たたらを踏む。ほんの僅かな空間失調。体内を巡る衝撃の波。

 鮫島ちゃんの身心へ更に重篤なダメージが入る。肝臓に突き刺さったままの銀製祓串から、押し込まれた血が噴き出す。

 その機を逃さず、槍術に見立てたボディブロー。壊れたカウンターを飛び越えて躱した少女へ鞭打を浴びせ、供花は残心を取るとともに滴る汗を拭った。

 

「動きが鈍ってきたんじゃないの。もう疲れちゃった?」

 

 とんと距離を取り、反閇にも似た足踏み。挑発的に笑いかけつつ手を招く。

 見え透いた煽り。肩で息をしつつ、鮫島ちゃんは眉をひそめた。

 

「……まさか。これからですよ」

「良いね。来いよベネット、武器なんて捨てて掛かってこい!」

 返答の代わりとばかりに、カウンターを飛び越えての回し蹴り(トルリョチャギ)。片腕だけで全体重を支えつつ、腕で跳ねての裏拳を。

 パッと風を切って振り抜かれた脚。身を低くして躱した刹那、供花のアホ毛を烈風が揺らす。爪先だけが瞬きほどの刹那を擦過したかと思えば、鮫島ちゃんのブーツが祓魔師の膝を打つ。

 歯を食いしばり、旋を描いて足を引く。腰に捻りを入れてジャブを打ち、続く裏拳に頭突き。床を踏みしめた鮫島ちゃんの足元を掬うように外へと刈り、軽く躱した足取りを逃れるように一歩後ろへ。

 ふっ、と息をつく。構えを取った瞬間、鮫島ちゃんの蹴りが飛ぶ。一瞬のうちに三発の蹴りを連発する超人の技巧を誇ることもなく、蹴りを受けた衝撃に震える供花の腕を狙って更に一歩。防御を為した腕で視界を塞いだ一瞬の隙を見逃す事なく貫手を放つ。

 更に一歩。踵にぶつかったワインの瓶を蹴り上げ、貫手を跳ね上げ。上振れて肩を掠めた少女の腕を取るように手を伸ばし、鮫島ちゃんの背中に腕を回して引込返(ひきこみがえし)。一瞬逆さまに浮き上がった身体のまま体を捻って供花の指先から逃れつつ、雰囲気の良い壁掛けのイタリア絵画を踵で穿って姿勢を整え。未完に終わらせた柔術の技で床に叩きつけられる勢いのまま、腕の一本のみで供花の身体を釣りあげた。

「……っと!?」

 みしりと大きく軋む骨。少女の細腕からは想像もできないような膂力で無理矢理に体勢を崩された供花は、床を杭打機の如く思い切り踏みつけて支え持つ。堅牢な鉄筋コンクリートの建物に罅が入るような嫌な音を響かせつつ、重心が大きく真下へ寄る。

 一瞬動きの止まったところを、鮫島ちゃんの仕込み刃が風を切って閃いた。

 踏み込み。足技を制限するように腿の間へと爪先を押し入れ、胸を切り裂く一撃。

 ふっと力を抜いて真後ろへ倒れた供花の胸元から血飛沫が迸ったかと思えば、鮫島ちゃんの鼻先を地下足袋の爪先が掠める。オーバーヘッドの蹴りを間一髪で避けた後、追撃を躱すように横薙ぎの蹴り。ブレイクダンスにも似た技術をカポエイラの足技で以て用いつつ、ごつんとテーブルの残骸にぶつかった反動で供花は上体を起こす。

 その勢いのまま、鮫島ちゃんの鼻先を狙って正拳突き。少女の瘦身が翻り、身体ごと回転する加速度を生かして、動くこともない左腕を無理矢理叩きつけた。

 軽く右腕で逸らす。拳の裏を沿わせていく。供花の小手から打ち出された衝撃が鮫島ちゃんの掌の骨を内側から砕く。

 刹那、少女の左手――そこに握りしめられていたライターが爆ぜ散り、なすすべもない供花の右側へ黒く輝く破片を散弾かの如く埋めていく。

 激痛。黒不浄と呪瘤壇の破片。その身に穢れが回るより先に、目の前の鮫島ちゃんを討ち果たす。

 ワンツーのリズムで打ち出された頭蓋を叩き割る致命の左を、その尺骨と橈骨の間を切り裂くように、メガネのツルに仕込まれた刃で数度刺し穿った。

「……っ、てぇ!」

 流れるように供花の左腕を殺し、続く右の拳に目をやる。

 仕込み刃を返す。深々と骨まで刺さった腕から血潮が吹き出る。狙うは供花の、無防備な喉元。

 メガネを握りしめたままの手首を引き、祓魔師の筋肉質な腕から刃を引き抜こうとした刹那。恰も石を掘り起こすかのような、強い抵抗。腕の筋肉を引き締めて刃を取らせない腹積もり。

 鮫島ちゃんが供花の意図を悟ると同時。仕込み刃に根元まで貫かれた筋肉質な左腕ごと、鮫島ちゃんの腕が上がる。歩法とともに最上段を取らされ、細い胴ががら空きとなる。

 にやりと激痛をこらえるように口元をほころばせた供花は、少女の肋骨のすぐ下辺りを狙って一発。握りしめた拳を叩きつけた。

 

 ばちり。瞬間、意趣返しのように火花が散る。超高圧の電流が迸る。

 スタンガン――いや。もっと短絡的な、子供がシャーペンの芯をコンセントに入れるが暴挙。

 内臓が内側から焼かれる感触、血が沸き立ち肉が焦げる匂い。

 供花の掌に握られた円筒状のバッテリー――高容量充電池が、泡立って焦げ付いた血に塗りたくられた銀製祓串から引き剥がされたのを、鮫島ちゃんは黒く煌めく視界の只中で見通した。

 

「見たかっ……! これが私の超能力(レベル5)、『十萬過電(サンダーボルト)』!!」

 

 供花は自慢げに口元を緩ませる。刃が突き刺さったままの左腕を鞭のようにして、たたらを踏んだ鮫島ちゃんへと叩きつける。更に一歩、ラグビーじみたタックルを。

 鞭打。中国拳法に存在する、相手へ激痛を走らせるだけの武術。頬骨を叩き割るようにして殴りつけられたそれを真っ向から受けつつ。

 

 鮫島ちゃんの鉄仮面が、ほんの一瞬悪辣に歪む。

 

 ピシリ。自ら握りつぶした伊達メガネの蝶番から、無色透明な液体が迸った。

 そうなると、全くの無防備なのはこちらのほう。水滴にも満たないドロリとした粘性の液体が供花の顔に付着する。

「っ――!?」

 瞬間。供花の視界がぼやける。呼吸が止まる。尋常ではない激甚の痛みに喉の奥が異常をきたし、肺腑の奥から酸素を求めて不随意な呼気を繰り返すだけ。

 更に一発。供花の口元を押さえるように黒い手袋のビンタが飛ぶと、掠めただけの唇から震えと不規則の異常が広がっていく。

 ――毒手。少林寺拳法に伝わる、禁断の魔手。毒に浸した徒手にて触れるものを屠る禁じ手。

 「刃牙で見た手口だ」と呟くやいなや、不随意に痙攣する筋肉を抑えることすらも出来なくなり、大きくテーブルの向こう側へと転げていく。

「なっ……にを!」

 過呼吸気味に喉を押さえて呟いた言葉に、鮫島ちゃんは手袋を放り捨てながら返した。

 

「……毒ですよ。メチルホスホノチオ酸化合物」

「ぐっ……ごほっ…………わかりやすく言ってよ、理系じゃないんだから……!」

「VXガス」

 朦朧とする頭でも、その毒のことは知っている。とある宗教団体によって数多の事件で使われ、近年では北の独裁国でも暗殺に使用された毒物。ガスマスクすら貫く、人間の作り出した最悪の劇物。

「け゛っ……K2で、見たよ……それ」

 ――当然、フィクション作品ではしばしば出てくる猛毒。あのとき若き医師の卵が助かったのは、たまたま治療薬があったから。

 供花の手元にそのようなモノが無いことなど、誰であっても知っている。

 鮫島ちゃんは小さく溜息をつきながら、呻く供花の元へと歩む。

 

「……もっと有名な例は言わないんですね」

「…………やだよ。その話題は、BANされるし。小菅には……もう、行きたくないんだ、よっ!」

 力なく投げつけたペグを片手で弾き、さらに一歩。

 相互に満身創痍のまま、供花は閉塞する気道に無理矢理言葉を通した。

「ってか、それ、加護の……殻でしょ。霖ちゃん以外に、そんなの…………デキる人いたんだね」

 第八班の同僚の、“極端に形を象るだけの加護”――霊的奇形による不遇な様式を思い起こしつつ、ぽつり。

 1mgでも用いれば死に至る毒物を保管することは容易ではない。至極当然、メガネの蝶番の部分に安全性を担保した上で封入できるものでは。

 物理的に不可能なことを多少は解決することが出来る“祓魔術”の奥深さを想起させつつ、供花は鮫島ちゃんの持つ他の手札を想う。

「……科捜研(うち)には……まあ、広義の医霊のエキスパートがいるので」

「絶っ対、……そういう使い方じゃないよ、マンチ野郎。いっぺん怒られたほうがいい」

「……あなたが言っちゃいけないセリフですよね」

 呆れ混じりの嘆息。鮫島ちゃんは一瞬緩んだ空気を掻き消すように、床で過呼吸気味に転げる供花へと歩み寄った。

 

「……まあ、いいです。あなたはこれで詰み――――」

「と、でも思っていたのかっ?」 

 供花の頭蓋を直接叩き割るよう、踏みつけ。ごろりと床を転がって正中を外した供花の、しかし躱しきれはしなかった眼窩を踏み潰した刹那、脳漿と頭蓋の飛び散る音に混じって、何か機械の起動する電子音。

 バーの店内の真ん中。まさしく、突入前に供花が何かを設置していた――そうしてこれまでの格闘で荒れ果て、あちらこちらに木材が散らばった残骸の只中。

 ビクリと撥ねた供花の腕が、一枚の綺麗な形代を握り込んで、小さなラジオのような装置に叩きつけられた。

 

 ぴりと空気が重くなる霊的な反応。低出力の結界を構成して界異からの隠形と為すらしいその装置の名は、対人戦を基幹とする公安に置いても伝えられている。

「名伏……?」

 ヒトに対しては意味のない――そうして、敵に捕捉されている段階でも死にかけの段階でも意味のない、ただの隠れ身を使えるだけのアクティブステルス。疑問を言葉に呈した刹那、神聖さをも感じられる静謐な空気が更に重く。更に広がる。

 供花の胸から落ちた形代が黒ずみ、そうして、腕の中の形代が一瞬にして塵になって分解された瞬間。

 

 ほんの手のひらサイズの小さな名伏が、雑居ビルを丸ごと倒壊させるかのような光とともに弾け飛んだ。

 

 目に映る。光に照らされた壊れたテーブルの名が消え、そもそもそこには無かったかのように霧散する。

 目に映る。血で浸されたカーペット、転がるボトル、砕けた頭蓋。距離を取るように下がった脚から呪いが染みこみ、その部位を動かしていた記憶と意志と名前自体が希薄化する。

 失われた下腿で着地し、力と意図と共にバランスを崩す。胸の奥が強く押されたような感覚と同時、脱力した総身が呆けた忘我に塗り替えられる。

 

「……っ」

 一瞬目を閉じる。光の消えた闇の中で瞼を開け、ざりと散るコンクリの基礎の感触。

 やけに眩しいネオンの輝き。冷たい外気が火照った身体を冷やす。

 つい先ほどまで立っていた雑居ビルが丸ごと掻き消えた事を悟った刹那、鮫島ちゃんの頬を握り拳が突き抜けた。

「あはは! 灰被りて我らあり!! これでほぼマッチポイントでしょ!!」

 いやにハイテンションな笑い声。殴りつけられた衝撃で2枚の形代が吹き飛び、もはや後がないことを如実に示す。

 たたらを踏んだ足でコンクリの基礎を罅割れさせ、崩れた上体のまま旋回するように右腕の掌底を供花の脇腹に打つ。

 げほりと咳き込んで臓腑を揺らされた供花に向けて、答え合わせとばかりに鮫島ちゃんは呟く。

 

「……存在消失」

 

 何の物理的な変化もなく、予兆もない。となると残るは霊的な作用。

 一瞬一瞬を見て把握した先程の機序は、まさしくその霊的攻撃に相違ない。

 膝を折った体勢からボディーブローを繰り出しつつ、供花は面白おかしそうに叫んだ。

 

「ちがうね!!こいつは生まれついてのアクターの手口だッ!『霊力』を『暴発』させてッ!呪瘤檀に仕立て上げた(・・・・・・・・・・)のさァ〜ッ!」

 

「……いや、そうはならないでしょ」

「なっとるやろがい!!」

 一歩下がり、攻め手を潰す。続く足を払い、返す拳が弾かれる。

 襟を掴む手、腕を折る一撃に肘を返し、一瞬の傾きを崩しに。足を滑らせ脛を蹴る。

 蹴りに膝を合わせて相打ちを狙い、アッパーカット。仰け反って逸らした刹那に体当たり。体勢を崩さず足を戻して貫手を置く。

 ほんの一瞬の間に行われる幾つもの攻防を全くの無表情で行いつつ、鮫島ちゃんは疲れたかのようにため息をついた。

 

「……まだやる気ですか」

「あと2枚かな。お前はトリコ?」

「……わかってるくせに」

「なんでもは知らないよ。知ってることだけ」

 

 鼻で笑い、更に一歩。

 夜の風を切りながら、二つの拳が交錯する。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。