その日、上杉楓人(うえすぎ ふうと)が自宅に帰ると一通の封筒が届いていた。
宛名の面を見れば自分の名前が書かれてあり、中身は紙と思われる感触のものが何枚か重なっているかのような厚みがあった。
封筒はその場で急いで通学用の鞄にしまうと、それから玄関の前に立った。
扉を開ける前にスマホを取り出して時間を確認する。
「まだ帰ってきてないよな」
共働きの両親が帰ってくるには全然早い時間であることを確認すると、少し安心した。
両親さえ働きにでていれば、家には誰もいないはずなのだ。
楓人の家は平凡な一軒家だった。二階建ての一般的な造りをしたその建物は所々に経年劣化の痕跡が見え、年季が入っているのが一目で分かる。そんな家だが、楓人がここに住み始めたのは比較的最近だった。
ある日を境に家計の羽振りが急に良くなったことがあった。それまでは節約節制が家訓だったのに、今ではすっかり無駄遣いしなければそれでいいと言われるほど甘くなっている。
急に、と言っても家計簿のことなど子供の自分には話してくれないので、両親の間では何か計画の上だったのかもしれない。
とにかく、楓人の目線から見れば当時は宝くじにでも当たったのではないかと子供心に邪推したし、だとすれば親はどうして自分のお小遣いを上げてくれないのかと恨んだこともあった。
話は逸れたが、そんな自分の家に入るだけだというのに、どうして意気込んだのかといえば、その原因が先ほどしまった封筒にある。
楓人はこの封筒の配達をここ数日もの間、心待ちにしていたし、それと同時にうっかり親が受け取ってしまわないかと常に気を揉んでいた。
つまり、これを親に見られたくないのである。
「ただいまー!」
持ち鍵で玄関に入るなり家中に響き渡る声で言った。
家中から跳ね返ってくる楓人の声が止み、それから数秒ほど待ってみたが返事はない。
それを確認してから楓人は靴を脱ぎ、家の中へと上がると、自分の部屋へ戻る前にリビングや両親の部屋、果てはトイレや浴室まで見回って本当に両親がいないことを確認してから、自室に入った。
自室の扉を閉めるなり背負っていた鞄から先ほどの封筒を取り出す。
用のなくなったの鞄の方は乱暴にベッドへ放り投げた。
封筒を持って勉強机に座ると、糊付けされた部分を剥がそうと何度か爪で引っ掻く。しかし、端の部分までピッタリ接着されているらしく、いつまでたっても剥がれることはなく、苛つくだけの徒労に終わった。
諦めて中の紙まで破らないように気を遣いながら封筒の上っ側を千切ると、中の紙を机の上にぶちまけた。
「……二枚」
中に入っている紙の枚数は二枚。
二枚ともA4サイズで、封筒に収まるように三つ折りにされていたから、それで厚みがあるように感じたらしい。
記載の面が内側となるよう谷折りに折られていたので一見しただけではそれぞれの中身が分からず、とにかく楓人は近い方から手に取った。
「これはどうでもいい」
一枚目の内容を一瞥して、すぐにわきに置いた。
書いてある内容は領収料だった。楓人が"このサービス"を利用するにあたり支払った金額を証明するだけの紙だったので、楓人にとっては分かり切った内容だった。
二枚目を取る。おそらくこれが本命。
「…………」
手が震えているのに自分でも気が付きながら、それでも恐る恐る紙を開く。
二枚目の内容は、民間企業のサービスによる、DNA鑑定の結果を示す資料だった。
楓人が自分で探して見つけたこのサービスは、病院で検査をするより精度は劣るものの、安価で誰でも依頼ができることを売り文句として宣伝していた。
そんな少し怪しいサービスに楓人が検査の依頼をした対象は、自分の母”上杉四葉”と自分”上杉楓人”の二人。
結果と思しき内容は以下の通りであった。
『母と思われる女性、ID <xxxx-xx>は、子、ID <yyyy-yy>の生物学的な母として排除されません』
内容は間違いなく楓人は四葉の子であると証明していた。その資料に記載の結果を見て、楓人は力なく紙を握る手をだらりと垂らすと、天井を見上げた。
紙は指から滑っていき、床へと落ちた。
数週間前のことである。
上杉家でパーティが行われたことがあった。
「楓人君、高校入学おめでとー!」
そう言ったのは四葉の妹であり楓人の叔母、五月だった。
この日、親戚連中の中からは五月が駆けつけてくれていて、パーティ会場となっている上杉家のリビングには上杉家三人も加えて四人での食事となっていた。
リビングの中央に置かれた座卓のテーブルにはこれでもかと料理が盛り付けられていて、ラインナップはからあげやらフライドポテトやらピザやらと、どういうわけか高カロリーでジャンクなものばかりだった。
食べ物の他にも、大人たちの前にはバラエティに富んだ酒の缶達と空のグラス、楓人の席にはオレンジジュースが入ってグラスが置かれていた。
「あのちっちゃかった楓人君が高校生かぁ。時間の流れがどんどん早くなってく気がするよ」
「五月おばさんくさいよー?」
「だって本当に叔母さんだしさ」
嗜める母の言葉を五月は、酒の缶の中からビールを手に取り、ジョッキに注ぎながら飄々と流した。
「わかりづらいボケ方するな」
その五月に対して合いの手のようにツッコミを入れる父、風太郎。
「だけどごめんね楓人君。他の姉妹の皆も来たがってたんだけど、忙しいみたいで」
五月が申し訳なさそうに言った。
実のところ、今日は五月しか来ていないが四葉と五月には他にも姉妹がいる。
名前の字面でなんとなく想像ができるかもしれないが、二人の上にはなんと後三人も姉がいる。
しかも、揃いも揃って同い年の同じ顔、つまり五つ子なのである。
物心がついた頃、初めて母と叔母たち一同に囲まれた時、母親が五人もいて自分は起きながらに悪夢を見たのかと困惑したのは今でもちょっとしたトラウマだったりする。
そんな叔母達だけれども、五月に言われずとも今日来ることが難しいということは、当然ながら四葉にも連絡がきていて、連絡を受けた時の四葉はひどく残念がっていた。
「別に俺は、どうでもいいし」
オレンジジュースを飲みながら楓人はそっけなく答えた。
すると横からこら、と風太郎に頭を小突かれた。
「そういう言い方はやめろ。失礼だろ」
「失礼って、相手は五月さんだし、別にいいじゃんか」
「相手が誰だろうが関係ねえ」
「うるせぇなぁ……」
風太郎の言い方が気に入らず、思わず口から漏れた。
露骨な文句は出たがこれ以上言い返そうという気はなかった。どうせ言い返しても勝てないからだ。
風太郎は口先ばかりで運動はからっきし。世間一般の父親らしい姿を風太郎から見たことがなかった。
真面目屋な風太郎と比べるとヤンチャな性格だった自分は、そんな父に嫌気がさして、中学生の思春期真っ盛りの頃は反抗心から金髪に染めてやったこともあった。髪は今でもそのままにしている。
染めた直後は風太郎に死ぬほど怒られるだろうと覚悟の上でやったのだが、意外にも微妙な顔をされただけで何も言われず、むしろ四葉などは妙に上機嫌になったのは、今でも解明されていない謎の一つだったりする。
「こーら」
そんな昔のことを思い出していると、再び頭が小突かれた。
今度は反対側からで、四葉からだった。
「お父さんにそんな口きいちゃダメでしょ」
「……ごめんなさい」
風太郎と全く同じポーズで楓人の頭を小突く四葉。
その四葉に対しては、楓人はしゅんとなり頭を下げた。
「なんで俺の話は素直に聞いてもらえないんだ……」
「人望じゃない?」
その光景に不満そうにする風太郎を、四葉は慣れたように流した。
風太郎について散々の文句をこの場に書き殴ったが、実は四葉にはベッタリであった。
母親ながらに運動神経抜群で、しかも職業は理学療法士で病院勤め。その上、勤め先の病院の院長は母方の祖父、つまり四葉の父親だというのだから実家も太いときた。
子供ながらに母は父のどこが好きなったのかと不思議でならなかった。
(まあ、親の馴れ初めなんて聞きたいわけじゃないけどさ)
「あはは、上杉君の扱いも相変わらずだね」
「俺は甚だ不本意なんだが」
「お父さんは昔はチヤホヤされすぎたんだから、むしろバランスがいいくらいだよ」
「母さん、あれをチヤホヤって言うのか……? 俺にとっては悪夢なんだが」
「あ、ひどい! 家庭教師の最初の頃なんて私があんなにお手伝いしてあげたのに!」
「はいはい、ご馳走様」
パンッ、と手を打って五月が流れを断ち切った。
息子の目の前で顔を突き合わせて言い合っていた二人は恥ずかしそうに元の位置まで戻っていく。
自分はと言えばそれを視界に収めながらも、親の痴話喧嘩などどうでもよかったので、黙々とからあげを突っついていた。
「子供の前で喧嘩しないでよ。今日はせっかくの楓人君のお祝いなんだから」
「俺は別に気にしてないよ、五月さん」
「ならいいけど」
それきりさらりと雰囲気を戻し、楓人に続いてからあげに五月は手を伸ばした。
楓人も五月も、風太郎と四葉の対応に小慣れているのは、二人の年甲斐もない痴話喧嘩を日常茶飯事だったし、仲直りも誰の手を借りることなくすぐするから、もはやコントのようなものだと割り切っているからだった。
「でも本当に、二人とも親なんだから、子供の前であんまりみっともないことしないでよ」
「五月ってばどんどんお母さんみたいになっていくね」
「……お母さんの年なんてもうとっくに追い越しちゃったけどね」
五月は寂しげに呟いた。
四葉と五月の母親の方は既に他界しているらしい。四葉の実家で遺影を見たことがあった。
「それにしても一花はともかく、二乃と三玖まで来れないなんて珍しいな」
一瞬だけしんみりとした空気になりかけたが、気を利かせたのか風太郎がフライドポテトを摘まみながら言った。
それに合わせるように四葉も答える。
「急に団体さんの予約が入ったんだって。逃すにはもったいない収益になりそうなんだとか」
「つっても今日の集まりだって前々から声かけてただろ。断れないほど経営ヤバいのか、あいつら?」
「さあ、お店のことだし私もそこまでは詳しくないけど……五月は何か知ってる?」
四葉から話を振られた五月は首を左右に振った。
「ううん。私も特に聞いてないかな。最近実家にもあんまり帰ってないから二人がどんな生活してるのかも知らないし」
「あ、そっか。五月もう家出てるんだっけ」
思い出したように四葉が言う。
「そうだよ。もう何年にもなるのに、まだ覚えてないの?」
「だって五月のところには遊びに行ったこともないし、会う時はいつも実家だから全然そんな気がしなくって」
話を聞いている間、楓人も言われて見れば五月の私生活のことはまるで知らないなと考えていた。
というか楓人が親戚周りのこと自体、あまり興味もないのが正直なところなのだが、せいぜい知っていることといえば実家と呼ばれている中野家には現在、祖父と二乃と三玖の三人暮らしをしているということぐらいだ。
一花と五月の二人は別のところに住んでいるらしいが、家がどこにあるのかまでは知らなかい。
まあ、親戚の理解度などこんなもんだろうと、それ以上は考えなかった。
「遊びに行ったことないといえば一花の家にも行ったことがないんだよね」
ちょうど封戸と同じように、四葉もオレンジサワーのプルタブを引きながら言った。
「あー、私もないかも。別に行く理由もないからだけどさ」
「たまに思うけど、五月さん達五つ子姉妹って本当に仲いいの?」
「……楓人君、近頃お父さんに似てきてるって言われない? 主にデリカシー周りとか」
「勘弁してよ」
「それはどういう意味だ五月?」
貼りつかせた笑みのままこめかみに青筋を浮かべる五月と、ぶっきらぼうに答える楓人。
加えて、あらぬ流れ弾に楓人どころか風太郎まで眉を八の字にした。
これもまたよく見る光景で、四葉はそんな三人を眺めながら声を上げて笑っていた。
そんな憎まれ口を叩き合いながらも、その実のところ和気あいあいとした雰囲気で進行していったパーティも何時間も過ぎれば自然とお開きになった。
五月は自分の家に帰り、リビングの後片付けも終えて楓人も自分の部屋に戻っていた。
なんだか今日の集まりは自分が主役のはずなのに、結局四葉たち五つ子の近況の確認といった話ばかりになっていた気がする。
食事の席では五つ子の仲を野次ってみてが、実際のところは仲が悪いどころかその正反対で、今なお姉妹全員で仲が良いことが兄弟のいない楓人にとっては羨ましかった。
楽しい食事の場のことを思い出しながら、時間も大分遅くなってきたころ、寝ようと思い布団に潜っていた楓人だったがぶるりと催すものを感じた。
三月下旬のこの頃、まだまだ寒く布団から出るのが億劫でたまらなかったが、それでも仕方なく布団を出た。
部屋の扉を開けると、すぐにリビングの方から風太郎と四葉の声が聞こえてきた。
どうやらパーティの後片付けを終えて晩酌を二人でしているらしい。
何を話しているのか、部屋を出ただけでは聞こえなかったが、トイレに近づくにつれて徐々に聞き取れるようになってきた。
『楓人、本当は私が生んであげたかったなぁ……』
(は……?)
四葉の声に、足が止まった。
自分でも驚くほどに頭が真っ白になったのに、体は機械のように正確に止まり、動いた。
リビングの入り口のすぐ横、壁にぴったりと張り付いて耳をすませる。
『おい、声がでかいぞ。楓人に聞こえてたらどうする』
『……ごめん』
『少し飲みすぎだ。続きはジュースにしとけ』
『うん』
そんな話が聞きたいのではない。さっきの話の続きを聞かせろ、と楓人は焦れた。
その願いに応えるように、幾分か小声になった四葉の声が聞こえてくる。
『でもさ、楓人が大きくなればなるほど、そう思わずにいられないんだ』
『なんでだよ』
『だってさ、楓人が今も大きくなってくれてるのは私達が育てたからだけど、楓人の成長の一番最初のところに私はいなかったんだよ?』
『それは……』
『……ごめん、やっぱり飲みすぎちゃったみたい。そんなこと言ってもお父さんを困らせるだけだよね』
『いや、いい。気にすんな……とにかく、お前はこれからもあいつの母親だ。明日からもしっかり頼むぞ』
『もちろん、これからは楓人も高校生だからね。しっかりサポートしないと!』
そこまで話を聞いた辺りで楓人はトイレには行かず、一度部屋へと戻った。
トイレに辿り着くまでにはリビングの前を通る必要があり、先ほどの会話を聞いてしまったことを二人にバレていいのかどうかわからなかったからだ。
部屋に戻ると、部屋を出る時に点けた電気をそのままに布団に飛び込んだ。
頭の中がぐるぐるして、余計なことを考える余裕が無かったからだ。
(お袋は俺のことを生んでない? 母親じゃないってことか?)
改めて言葉にしてみるが、まるで実感が湧かなかった。
だってである。小さい時から四葉にずっと育てられてきた。
それに親子で他所様と会った時だって、楓人は男の子なのに母親似だと言われることがよくあった。
顔が似るということは、それってつまり血が繋がっているはずだろう。
やっぱり何か聞き間違いだったのだろうかと、そう思ったところで、一つ気が付いたことがあった。
(五つ子……)
母、上杉四葉は五つ子だ。
全く同じ顔の人間がこの世界には後四人もいる。
寒気がした。自分は今、とんでもないことを考えているのではないかと鳥肌が立つ気がしたが、それでも頭だけは止めようがないほどに高速回転してしまう。
つまりはこういうことか。上杉楓人という人間は、上杉風太郎を父に持ち、そして母親は上杉四葉”以外”の五つ子の誰かだということか。
四葉が自身が母親ではないことを自覚しているのは、人間の構造上やむを得ないことである。
父親が違うというのであれば、托卵などという吐き気を催すことがなされたことになるが、逆はそうはいかない。
考えられるシナリオは、風太郎の不貞の結果を四葉が背負うことになっているというケースである。
(あの両親が? 本当に?)
父のことはあまり好いていないが、それでも誰もが羨むおしどり夫婦であることは息子である楓人が誰よりも知っていることだ。
自分が生まれた時、十五年も前となれば愛情の熱量だって今以上だろう。
そんな最中でことに及ぶかと、風太郎に対して疑心の心を向けたところで、気分が悪くなってきた。
ただでさえ親の情事など知りたくもないのに、しかもそこに不倫の可能性が絡むともなれば拍車がかかるのは必至だ。
トイレに行きたい理由がもう一つできた気すらした。
ともかく、そうなればもう一つ、いや二つは疑問ができる。
一つ目は、では本当の母親は誰かということ。
四葉が本当に自分のことを生んでいないのであれば、楓人だって面識のある四人の叔母のうちの誰かということになる。
二つ目は、なにゆえ四葉がそれを受け入れているのか。
先ほどの会話を聞いた限り、楓人のことを嫌々育てているわけではなさそうであったし、何より自分自身の記憶が四葉という人物から多大な愛を受けて育ってきたと訴えかけてきている。
それは幼い頃から同じで、それほどまでに四葉は割り切れているのかと考えるも、不明瞭なところが多すぎて腹落ちするところが何もなかった。
ただし、一つだけ胸の内に生まれた気持ちができた。
先ほど、話に漏れ聞こえて来た母の言葉、『楓人のことを生んであげたかった』と言った時の四葉の声はどこまでも寂しそうだった。
大好きな母にそんな思いをさせる風太郎と、まだ誰か分からない本当の母親とやらが許せない気持ちになった。
「見つけ出してやる……!」
高校生という新生活を前に、胸を膨らませるはずの楓人の胸には、もっと別種の何かが宿った気がした。
真実を白日の下に晒して、母に謝らせてやる。
本当の母親の目の前で、四葉こそが本当の母親だと言ってやるのだと、楓人は胸に誓った。
そうして、一つの淡い期待を持って楓人は四葉と自分のDNA検査をかけた。
本当の母親とやらは五つ子の誰かではなく、まったく見知らぬ別の女性なのではないかという希望をかけて。
そして出た結果は、遺伝子の一致。
一致したはずの四葉からは生んでいないと言質が取れてしまっているため、残る四人が母親候補ということになる。
遺伝子情報だって限りなく同一人物の一卵性の五つ子だからDNA検査だって一致してしまうのだろう。
民間のサービスなどではなく、医療機関によるもっと精密な検査となれば四人の中から一人だって特定できるかもしれないが、流石にそれは未成年の楓人一人ではできない。
だから自分の力で見つけ出す必要がある。
楓人は高校生活を始めながら、同時に母親探しの作戦を考え始めたのであった。