生まれた日のことを僕は憶えていない   作:真樹

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2_顔馴染み

 中野一花。織田プロダクション所属の女優。

 高校生の頃にデビューを果たし、活動初期の頃は無名の役などによる下積み期間を経て、現在は日本だけに留まらず海外でも名を馳せるスターとして活躍中の女性である。

 優れた容姿のみならず、抜群の演技力と精力的な活動スタイルにより低迷の時期もなく現在まで至っている。

 ただし、デビューから数年経ったころ、一年間の活動休止を宣言したことがあった。

 結婚報告はおろか、熱愛報道すら一度もない中野一花だが、当時は妊娠したのではないかと巷では噂されていた。

 

「ん?」

 

 高校に入学して最初の休みの日、楓人は道すがらスマートホンでそんな記事を目にした。

 先日、偶然にも盗み聞きした一件から、自分の本当の母親が誰なのかを調べる算段を組み立てていた楓人であったが、叔母である四葉以外の五つ子の中でも一花だけはこうしてネットにいくらでも記事があるので、とりわけ調べやすかった。

 とはいえ、基本的にはネットに転がっている記事ではネガティブが過ぎる話題などの場合、事務所の検閲によって消されている場合が多く、しかも探し求めている情報がが十数年も前のことともなればなおさらだった。

 だから一花にそんな噂が昔出回っていたことがあったと知ったのは、一花のことをネットで調べ始めてから数日経った今日なのであった。

 ようやく見つけた気になる情報に、他にも何か書かれていないかと目を皿にした時、スマートホンの画面が大きく揺れた。

 

「きゃっ」

 

 短く女性の声がした。

 スマートホンの画面が揺れただけではなく、体にも衝撃が走った。

 どうやら歩きスマホのせいで前から来た人に気づかなかったらしい。

 ぶつかった拍子に楓人の手からスマートホンが落ち、相手の女性は尻もちをついた。

 

「すいません!」

「ちょっと、気をつけてよ!」

 

 地面に座ったままの女性は楓人の顔を見上げるなり吠えてきた。

 年の頃は十代後半、自分よりも年上だろうか。

 色白で華奢な体格、加えてやたらと整った顔立ちの女性は第一印象だけならばお嬢様のような見た目に感じたが、それ故に今さっき発せられた怒声はそんな彼女の第一印象を即座に崩すものだったので困惑した。

 

「黙ってないでなんとか言いなさいよ……まったく、ほらこれ」

 

 女性は立ち上がると、落としたスマートホンを拾い上げてくれた。

 楓人は上手く返事ができなかったが、軽く会釈をしてから受け取ろうとしたところで、彼女の目が持っているスマートホンの画面に落ちていることに気が付いた。

 

「ちっ」

「……え?」

 

 一瞬、画面が点いたままのスマホを見て眉を顰めた気がした。

 それに聞こえたのは舌打ちだろうか。思わず彼女の顔を見る。

 不機嫌な顔はぶつかった時からなので今変わったわけではなく、だから彼女の舌打ちの意味も読み取れず、スマートホンを受け取ったものの、また固まっていると。

 

「離していいかしら? ちゃんと持ってないとまた落とすわよ?」

「あ、すいません……」

 

 呆けていたせいでスマートホンを持つ手が弱かったのを察してくれていたのか、楓人がようやく我に返ってしっかりと握るのを確認してから彼女は自分の手を引いた。

 それきり挨拶もなしに楓人の横を通り過ぎて歩き去って行く、その後ろ姿を見送りながら、言葉遣いで得た印象より悪い人ではないのかなと評価した。

 元を言えば歩きスマホをしてたのは自分の方だし、それが普通かとも納得できた。

 

「考えても仕方ないか。気を付けないとな」

 

 それよりもである。

 ネットに夢中になっていて気が付かなかったが、自分が目的地の目の前まで来ていることにようやく気が付いた。

 喫茶『なかの』。叔母の二乃と三玖が営む店である。

 商店街通り沿いで豆腐のように四角い形をしたコンクリート建ての建物、その一階が店になっている。

 通りに面した店の入り口のすぐ横には石階段が続いており、そちらを上って二階建ての二階へと上がれば父方の実家だったりする。

 店の扉は楓人の目の前にあるので、さっきの女性もここから出て来たのかと、一瞬考えたりもした。

 とにかく今日、用があるのは一階の店の方だったので楓人は持ったままだったスマートホンをしまったから店の扉を開けた。

 来客を知らせるための扉に備え付けの鐘がガランガランとあまり透明感の無い音で鳴った。

 

「いらっしゃい。あれ、楓人君?」

「お久しぶりです、二乃さん」

 

 店を開けて最初に出迎えてくれたのは二乃だった。片手に空いたトレイを持っており、配膳の戻りらしい。

 二乃の奥、カウンターの中には三玖もいた。

 三玖も二乃の声を聞いてからカウンターに少し乗り出すようにして顔を出すと、にこりと笑顔を見せてくれた。

 

「三玖さんも久しぶり」

「うん、久しぶり。元気してた?」

「まあ、それなりです」

「今日はフータローや四葉と一緒じゃないの?」

「一人です」

「そっか、じゃあこっちのカウンターにおいで」

 

 言いながら三玖はキッチン越しにカウンター席を指さした。

 案内されるがまま入り口をくぐると、店内に充満しているコーヒーの香ばしい匂いと、スイーツの甘い匂いが漂ってきた。

 席に着くまでの間、ぐるりと店内を見回す。

 カウンター席の後ろ、特に仕切りなどない長テーブルの席には先ほど二乃が配膳したらしい老夫婦の二人客と、カウンターには老人と呼ぶには少し早い壮年の男性が座っていた。

 どちらも来客のこちらになど見向きもせず、気ままにコーヒーを啜ったり食事をしながらその場の空気を満喫していた。

 そんな彼らからも目を離し、三玖の言われた通りの席まで来ると、場所はカウンター席の壮年の男性から一つ飛ばしの席だった。

 

「荷物は……なさそうね」

 

 案内された席に座ると同時、すかさず二乃が折りたたみできる布製の荷物カゴを開いた状態で持ってきたが、こちらの身なりを見るなりそう呟いて畳んだ。

 今日の楓人の持ち物は全てポケットに収まるものだったので、ほぼ手ぶらだった。

 畳んだカゴを片づける二乃を横目に、キッチンからこちらを見続けている三玖。

 

「それで、君が一人で来るなんて珍しいね。どうしたの?」

「この前の俺の入学祝い、来たくてもこれなかったってお袋から聞いたから、ちょっと顔を見せようかと思いまして」

「そうなんだ」

「そんなに気配りできる子だったっけ?」

 

 ずけずけとそんなことを言ってくる二乃。

 しかし、二乃の持つ楓人像は実に的確だった。本当のところで言うと実際はそれだけの理由であれば今日、この場には来ていなかった。

 ここに来た理由は無論、母親探しのためであるがそれを言えるわけもない。

 そんな楓人の本音など知らず窘めるように三玖。

 

「二乃、失礼」

「別に俺は気にしてないから大丈夫ですよ、三玖さん」

「実は入学祝いにかこつけてタダ飯を食べに来ただけだったりして?」

「二乃……!」

「バレたか」

 

 少し語調を強める三玖を抑えるように、わざとらしく合いの手を入れる楓人。

 二乃のイジワルな解釈はむしろ都合がよかった。普段世間付き合いなんてしない子のガラにもない行動より、こうしてボロが出たかのように振舞った方がよほど信憑性も上がるというものだ。

 昔から二乃は気さくな性格で、楓人と親戚連中の間を取り持ってくれることがあった。特に、思春期に入ってから急に気恥ずかしくなってタメ口だったのを敬語で話すようになった時も、二乃だけは察してくれたのか変わらない態度で居続けてくれたのは本当にありがたい話だった。

 そんな二乃の方も、楓人が本気でタダ飯を食いに来たなどと言っているわけでもない様子をわかった上で、イジワルな表情を崩すとくすりと笑みを漏らした。

 

「ま、可愛い甥っ子が来てくれたことだし、今日はその手に乗ってあげるわ」

「冗談でつもりだったんですけど、そう言ってくれるならお言葉に甘えさせてもらいますよ?」

「構わないわ。三玖、あんたもいいわよね?」

「もちろん。メニューはそこにあるから好きなの言ってね」

「ありがとうございます」

 

 言われた通りに楓人は目の前のメニュー立てにかけられているメニューを取った。

 手作りらしく、紙をラミネート加工しただけらしい二つ折りのメニューにはドリンクとフードがそれぞれ書かれていた。

 

「三玖、私洗い物にしてるから、少し前お願いね」

「わかった」

 

 頭の上では二乃と三玖でそんな会話がされた後、二乃の方が建物の奥へと引っ込んでいった。

 ちょうどいい。

 確認作業をするなら二人より一人の時を狙った方がありがたかった。

 軽くメニューを眺めて注文を決めてから楓人は顔を上げた。

 

「決まった?」

「…………」

「……楓人君?」

 

 顔を上げた楓人はしばらくの間三玖と向き合った。

 注文を聞こうとじっと待っていた三玖の方は何も言わない楓人を見て困ったように愛想笑いを浮かべる。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもないです。オレンジジュースと、それとフルーツケーキで」

「かしこまりました」

 

 冗談のつもりだろうか三玖は恭しく返事をすると、すぐに準備にとりかかった。

 楓人はそれを横目に、先ほど凝視した三玖の顔を頭の中で思い返してみた。親戚の顔などまじまじと見る機会の方が少ないが、もしも血の繋がった親子であるならこれで何か感じるものがあるかもしれないと思ってしたことだった。

 やってみた結果としての楓人の所感は、まるで分からなかった。

 まあ、そうだろうなと半分は分かっていたのでガッカリはしなかった。漫画やドラマじゃあるまいし、それで分かれば苦労はしない。

 実のところ母親を探そうと心に決めたはいいが、どう調べたらいいか具体的なプランが楓人にはまるでなかった。

 間違っても本人に「あなたが母親ですか?」と聞くわけにもいかない。そんなことをしたって生まれた時のことなど何も覚えていないこちらからすれば、はぐらかされたらそれ以上の追求のしようがないし、逆に向こうにはこちらが本当の母親を探し始めたことを気取られてしまう。

 どうして四葉が大人しく偽りの母を演じているのか、その経緯さえ知らない今は本当の母親だけではなく、五つ子全員を相手にうかつな行動は避けた方が良いだろう。

 

「君、二乃ちゃん達の甥っ子なのかい?」

 

 考えに耽っていると横から声がした。そちらの方に目を向ければ、楓人が店に入った時からいた壮年の男性がこちらを向いていた。

 全く知らない人からの声掛けに一瞬、人違いか自分の方が声をかけられたと勘違いしただけかと勘繰ったが、かけられた言葉は楓人以外に当てはまりようがないために、それらの勘繰りは即座に否定される。

 だとすれば、なおのこと「なんだこのおっさんは」という胡乱な気持ちが湧くもので、楓人は「はぁ……」と生返事をした。

 対して男性の方はにこにこと嫌味の無い笑みを浮かべながら、少し顎を引いて距離を取ってくれた。

 

「ああ、急に話しかけてすまないね。少し君たちの話が聞こえてきて気になって」

「まあ、そうですけど……」

 

 おっさんの方こそ誰だという言葉は飲み込んだ。

 代わりに何か事情を知らないかと三玖へと目線を向ければ、ちょうど料理の支度が済んでキッチンからこちらへカウンターを回り込んで来るところだった。

 楓人が注文したジュースとケーキが載ったトレイを置きながら三玖は言う。

 

「この人、常連さんなんだ。いつも暇らしくてずっとうちにいるから気になったみたい」

「お得意さんにひどい言い様だね」

「コーヒー一杯で何時間も粘られるから、うちとしては迷惑なんですけど」

「……マジ?」

「冗談です」

「なら良かった」

「ところでカップが空ですけど、おかわりはいかがですか?」

「本当に冗談なのか分からなくなったんだけど……お願いするよ」

「かしこまりました」

 

 空いたトレイに男性のカップを乗せると、三玖はもう一度カウンターを回り込んでキッチンへ戻った。

 同じコーヒーのおかわりらしいが、食器棚から新しいカップを取り出すした。

 この店のコーヒーは豆を挽くところからやるらしく、続けて戸棚からコーヒー豆の入った容器と手回しのコーヒーミルを取り出す。

 キッチンに置きっぱなしの計量器に容器ごと載せてから、豆をすくい上げてミルのホッパーの部分へと入れていく。重量のマイナス値で豆の量を図っているらしい。

 ミルの方を計量器に載せて、ミルに入れた豆の重さで計らないのは入れ過ぎるのを避けるためだろう。入れ過ぎた場合は刃物が付いているホッパーの中に指を入れないといけないし、不衛生にもなる。それと比べて初めから容器の方を計っておけば、すくい上げた瞬間に分量間違いに気づけるといった具合だろう。

 そういった作業を続けながら、三玖は話も続けてくれる。

 

「その人、近所のケーキ屋の店長さんなんだ。二乃が学生だった時にお世話になってたの」

「君にだってお世話してあげたじゃないか」

「……ありましたっけ?」

「ほら、君らが高校の赤点地獄から脱出した時、うちで祝賀会をしてくれただろ? その時の食事はタダにしてあげたじゃないか」

「そんな昔のことよく憶えていますね。それにあれ、フータローのお給料から本当に少し引いたらしいじゃないですか」

「詳しいね」

「五つ子の情報網を甘く見ないでください」

 

 軽口を叩き合うその二人の感じからして、本当に馴染んでいるのが楓人にも分かった。

 最初に楓人に話しかけて来たくせに、楓人が生まれる前のことを二人で話し始める辺り、それが大人のすることかというのはご愛敬だろうか。

 ちょうど、向こうもそれに気が付いたようでこちらを見てきた。

 

「すまないね、君のことを置いてけぼりにしてしまった」

「ちょうど”マジかこいつら”と思ってたところでした」

「正直だね」

「そうあれと父に教えられているので」

「なるほど、上杉君らしい教育方針だ」

「父をご存じなんですか?」

 

 そういえばさっきの会話の中でも、三玖が当たり前のように風太郎の名前を出していた。

 

「二乃ちゃんと同じで、彼もうちで働いていたからね」

「二人は同じところで働いてたってことですか?」

「そうだよ。うちは系列店とかもないからね」

 

 同じ看板の店で働いていたというだけでなく、どうやら本当に同じ店舗で働いていたらしい。

 ならば僥倖だ。

 上杉家でも中野家でもない人間でも、旧知の仲なら何か知っているかもしれないし口を滑らせるかもしれない。

 

「よかったら昔の親父たちの話を聞かせてもらうことってできますか?」

「年寄りの昔話に興味を持つなんて君は変わっているね」

「よく言われます」

「僕も君みたいな若い子と話せるまたとない機会だ。いくらでも話させてもらうよ」

「あら、私達は若くないみたいな言い方ですね」

 

 カウンターに肘を置き早速長話をする体勢を取った男性の出鼻をくじくかの如く、洗い物を終えたらしい二乃が出てきた。

 二乃の方に男性は振り返ると。

 

「そんなことはないさ。僕からすれば君たちだって十分女の子だよ」

「あら嬉しい。お礼に良い事教えてあげます」

「なんだい?」

「さっき店長のお店の子からうちの店に電話かかってきましたよ。携帯まで放り出してそっちにサボりに行ってないかって」

「ええ?」

 

 言われて男性はすぐさま懐をまさぐると、どうやら収まっているべきところに携帯が収まっていないことに気が付いたらしく、少し焦った表情を浮かべた。

 

「店の子、他には何か言ってたかい?」

「ちょっとトラブったから戻ってきてほしいって」

「そうかい……それは行かないとだ。非常に残念だけどね」

 

 男性は席を立った。

 男性に向かって、三玖。

 

「あの、コーヒー今淹れ終わったんですけど」

「いただくよ」

 

 キッチンと席の仕切りになっているカウンターの上に男性が手を出すと、申し訳なさそうに三玖はまだ湯気が多く立ち上っているコーヒーの入ったカップを手渡す。

 男性は一口、舐めるようにして啜り温度を確認すると、イケると思ったのか二口目は一気に煽った。

 ぐびぐびと何度か喉を鳴らして、カップから口を離した頃にはすっかり中身が空になっていた。

 空になったカップを再び三玖へと返すと。

 

「味わって飲んであげられなくてごめんね」

「いえ、こちらこそお気遣いありがとうございます……」

 

 同じ飲食店に関わる者だろうにしか通じ合えないようなやり取りをした後、料金をその場に置いて出口へと向かい始めた。

 楓人はその背中に、釣った魚が逃げていくような思いで声をかける。

 

「あの、連絡先渡すんで今度、返信もらえませんか」

「三玖ちゃんも言ってた通り、僕はよくここに居るから。いつでも会えるよ」

 

 どうやら本当に急いでいるのか、ナプキンに連絡先を既に書き始めている楓人に向かってひらひらと手を振って静止し、男性はそう言った。

 最後に再び二乃と三玖の方へ「じゃ、また」と挨拶をした後、男性は店を出ていった。

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