白い天井、白い床、白い布団。
視界一面ほとんど白の部屋に僕はいた。
空調の聞いた静かな室内は驚くほど穏やかで、何もしていないとうとうとしてしまうほど幸せな空気が充満しているのが肌でもわかるほどだった。
その室内に、ガラリと扉を開けて入ってくる足音がした。
「あちゃー、タイミング悪かった。寝ちゃってるや」
「楓人の方は起きてるな。子供を放っておいて寝るなよ……」
「それくらい大変だったんだよ。きっと」
入ってきたのは二人の男女だった。女性の方は緑のパーカーを着ていて、男性の方は白いワイシャツを着ている。
二人はベッドの傍でその人の顔を眺めた後、続けて僕をのぞき込んできた。
「元気でちゅかー? パパを連れてきましたよー。ママが寝ちゃってる間はパパに遊んでもらおうねー」
女性の方からほっぺたをぷにぷに突っつかれる。指先が沈み込んでくる感触がしてくるが、強く押されたと感じるほどの圧はない。
鼻の下を伸ばしきった緩んだ笑みを向けてくる女性の後ろで、男性の方は少し微妙な面持ちをしている。
「四葉、お前……この子の親はお前だろ」
「……そうだけどさ。今くらい、ママにさせてあげようよ」
「お前はそれで────」
「風太郎。それ以上は何も言わないで」
男性と話すにつれ、徐々に寂し気な笑みとなっていく女性は無理やり話をそこで切ると、ベッドで寝ている女性の方へ目を向けた。
「今ぐらいはそうさせてあげないと、可哀そうだから」
楓人が目覚めた時、電車は目的地に到着して停車している最中であった。
二乃と三玖の店で、店長と呼ばれる男性が帰った後、楓人は自分の食事を済ませている間も二乃と三玖を相手に世間話をしてみたが、手掛かりになるようなことはなかった。
その日の分の食事代は本当にタダにしてくれて、それだけでもお小遣い制の学生身分をやっている楓人にとっては、まあ収穫はあったかと自分を納得させると、店を後にした。
その足で続けて向かったのは一花の事務所であった。
母親探しのことで今日、一番の収穫といえば店に入る前に見かけたネット記事だったものだからどうしても気になったのだった。
楓人にとっての一花の場合、会おうと思っても気軽に会える相手ではないので、ここに来るしかなかった。
何しろ一花は実家の中野家からも出ているし、連絡先だって持っていない。連絡手段もなければ居場所も分からず、ネットの情報しか手に入れられない楓人の状況は、彼女の一ファンと何一つ変わらないのであった。
「だからって、事務所に押し掛けるのはストーカーって思われかねないよな……」
電車を降りてまっすぐ事務所まで、ほとんど衝動的にここまで来てしまったが、流石に建物の中にまで押し掛けるほど冷静さを失ってはいなかったので、ビルの前で独りごちると、その場を立ち去ろうとした。
その背中に。
「なにあなた。うちのタレントのストーカーなの?」
女性の声がした。聞き覚えのある声だった。
「お前、さっきの……」
振り返ると後ろには先ほど『なかの』の前で合った女の子が立っていた。
最初に会った時もやたら整っている顔をしているとは思ったが、こんなところで会うということは女優かアイドルだろうか。
先ほどのまずい独り言を聞かれてしまったようで、初めから警戒心が最大にまで高まった目を投げかけていた彼女であったが、振り返った顔が楓人であると気づくなり更に眉間の皺が濃くなった。
「あなたさっきの……うそ、まさか本当に……?」
どうやら向こうもこちらを憶えているようで、こちらが何も言わずとも何やら勝手に繋がっていくものがあるらしく、楓人の目の前で二十面相を繰り広げた後、最終的に怯えた目をした。
それと同時、彼女に素早く取り出したスマートホンのレンズを向けられると、パシャっという音と共にフラッシュをたかれた。
「今、あなたのことを撮ったわ。何かしたらこれを持って警察に行くから。それと暴れるのも無駄よ。私、ここの事務所の所属だから大声を出せばすぐに関係者がすっ飛んでくるわ」
「待て。疑われるようなことを言ったのはこちらに非があるが、俺は怪しい者じゃない。ここに所属してる人の知り合いなんだよ」
「ストーカーなんて大概同じ言い訳するわ。もしそれが本当だったらあなた、うちのタレントの誰と、どんな関係か言ってみなさいよ」
本来、女優の親戚などと言いふらすことはNGなのを十分理解している楓人であったが、ここで黙秘すれば捕まるのは自分なのだからと、答えることに迷うことはなかった。
「中野一花という人が所属しているだろ。その人は俺の叔母だ」
「……あなたの名前は?」
「上杉楓人。苗字が違うのは、一花さんと同じ五つ子の姉妹の四女、四葉が嫁いだ先の姓だからだよ」
「……ちょっと待っててね」
すらすらと答える楓人の話を聞いていくうちに、彼女の顔は粗探しをしてやろうという魂胆丸見えの表情から神妙なものへと移ろっていった。
しまいには握りしめていたスマートホンで何か文字を打つような操作をして、最後にタップをするとそのまましばらく静止した。
「何してんだよ?」
「待ってって言ってるでしょ。今既読付いたからそのうちすぐに……来たわ」
既読という言葉に、楓人はもしかして彼女が一花へ連絡を取っているのかもしれないと想像が付いた。
先ほど写真も撮られたから。それとセットで一花本人に照会をかければ一発でわかると踏んだのだろう。
もしもその予想が正しければ、楓人としては何一つ嘘は言っていないので、むしろありがたいくらいだったが、一つ不安が残った。
わざわざ一花の事務所に押し掛けたことが本人に知られてしまったのである。
(言い訳を考えておかないといけないな)
そう思っていると、彼女の方がスマートホンをしまってからこちらを向いた。
「中野一花から確認が取れたわ。嘘は言っていないようね」
「それは良かった」
どうやら楓人の予想は当たっていたらしい。やはり一花へ確認の連絡を送っていたようだ。
しかし、この目の前の女性の方こそ素性が知れないため真相は分からないが、一花のことをフルネームで呼ぶことに違和感があった。
事務所の後輩などであればもっとカジュアルな呼び方をするように思えるが。
「ねえ、立ち話もなんだし少し場所を移動しない?」
「なんでだよ。こっちはお前に用はないぞ」
「私はある。それじゃ不満?」
「付き合うメリットがない」
「親戚なのに本人にアポも取らず事務所へ来たってことは何か事情があるんでしょう? それを黙っていてあげるっていうのはメリットにならないかしら?」
それはメリットではなく、デメリットが帳消しになるだけではないのだろうか。
「一花さんには俺がここに来たってこと言ってないのかよ」
「今は上手く誤魔化しておいてあげてるから、多分大丈夫だと思うわ」
「多分かよ……」
どうして正直に言わないのかも不思議であったが、今は彼女の誘いのリスクを頭の中で天秤にかけてみる。
誘いに乗ったとして、結局帳消しになったと思っていた一花に事務所まで来たことがバレるというデメリットの爆弾が爆発する未来は見えた気がした。
誘いに乗らなければ間違いなく爆発するそれを、彼女誘いに乗れば不発弾程度にしてもらえるのならばマシと言えるだろうか。
というか、彼女の本人にはメリットがないなどとのたまったものの、同年代の美人からお誘いを受けたこと自体は、こんな状況ではあるものの悪い気がしなかった。
「……分かった、付いていく。ただできればその前に何の用があるのかだけ聞いておきたいんだが」
「ここじゃできない話だから移動したいって言ってるのよ。なるべく人がいないところがいいわね……カラオケでいい?」
「お前ここに所属してるってことは女優かアイドルだろ? 男と密室なんていいのかよ」
「無名の役者相手にそんなの気にする暇なパパラッチなんていないわよ」
そう言うなり、彼女は決まりとでも言わんばかりに勝手に歩き始めていった。
最初の見立て通り、やはり事務所所属のタレントらしい。
このルックスで無名ということにも驚きだが、まるで自分の評判なんて気にもしていないような素振りも意外だった。年頃のこういった仕事をしている少女というのは、承認欲求に抗えないタイプがほとんどだと思っていたのだが。
楓人の方はといえば、ストーカー疑惑まで投げかけられた相手からされる人には言えない話が何かということで、不安とちょっとだけの期待が胸の中で渦を巻いていた。
疑惑は晴れたわけだし、まさか恐喝はされるようなことにはならないだろうと覚悟を決めると、重い足取りで彼女の後に続いていった。
「私は中野美樹。中野一花は私のママよ」
カラオケに移動し、ドリンクバーでお互いの飲み物だけ先に用意して案内された部屋に入るなり、開口一番に彼女はそう自らを名乗った。
なるほど、ママ呼びを普段しているが、それを隠すために外ではフルネーム呼びなんてしたのか────って。
「そんなわけあるか。一花さんに娘がいるなんて話、本人からもお袋からも聞いたことがないぞ」
美樹と名乗る彼女の年齢は既に観察した通り、同い年か少し上ぐらいに見える。
生まれてこの方十五年ほどを現世で人生を謳歌している楓人であるが、従姉がいるなんて話はついぞ聞いた覚えがない。
それにである。
美樹の顔はよく観察したので分かるが、美人であることは認めるものの、中野家の血を感じさせない顔立ちをしているように見えた。
一花の童顔に見えるかわいらしい顔立ちと比べると、彼女はきれい系だ。
父親似である線も捨てきれなくはないが。
「そりゃそうよ。娘になったの最近だし」
「最近? 見た目の割に若いのか?」
「そうそう。こう見えて生後半年なの……って、何言わせるのよ」
「お前が勝手に乗ったんだろ」
ただ、悪ノリのおかげで美樹と一花の親子関係は大体半年程度であるというのは読み取れた。
楓人も割と本気の天然で聞いたところはあったが、それだってありえても十代前半ぐらいだと思っていたので、半年の親子関係となれば別の可能性が浮上する。
「養子ってやつか?」
「そういうこと。ママに面倒を見てもらってる期間でなら、もう何年にもなるけどね」
ママ、という呼び方に慣れず、その相手が一花だと理解するのに数秒時間が必要だった。
この高慢チキな話し方をしておいてママ呼びかよというギャップが凄かったからだ。
しかし、話を聞くと続けて同じ質問が再び湧いて出てくる。一花と美樹が数年越しの付き合いなら、やはりどうして自分たち家族に紹介しなかったのかということだ。
「なんでママがあなた達に知らせなかったのかって顔してるわね」
「心を勝手に読むな」
「読まなくても顔に出てたわよ。あなた、結構嘘とか苦手でしょ?」
「決めつけるな」
「本当は?」
「……まあ、確かに苦手だが」
「本当に白状するなんて筋金入りじゃない!?」
そう言うなり美樹はけらけらと笑った。
なんだか弄ばれているような気がして……いや、現にそうなのだろうが、同年代で、しかも女子で、しかも美少女に手玉に取られるのが妙に恥ずかしかった。
「ぐっ……!」
「ああ、ごめんごめん。からかい過ぎたわね。せっかく私の愚痴を聞いてもらおうとしてるんだから、悪く言っちゃ悪いわよね」
「愚痴?」
「うちの親ね、ネグレクトだったの」
「……!」
一瞬にして、先ほどまでの空気が消し飛んだ気がした。
およそこの場で出ると思わなかった単語が出ると思ってもいなかったからだ。
何より、一花がネグレクトとは、そんなことがあるのかと思った。
それに半年かそこらの付き合いでなんて────
「何か勘違いしてない? ネグレクトだったのは私の本当のママよ」
「……そっちか、よかった」
どうやら美樹は、一花との馴れ初めを教えてくれようとしてくれているらしいとようやく理解が追いついた。
「私の本当のママも元は織田プロ……うちの事務所の所属でさ。売れないアイドルをやってたのよ。でも、幼かった当時の私から見ても考えなしの人で、現場で出会った遊び人のプロデューサーと結婚もしないで私を作っちゃって、認知もしてもらえないで一人で私を育てることになったの……いえ、結果的にネグレクトになったんだから育ててももらえてなかったわね」
「…………」
どう口を挟んでいいのか、判断に迷うところがあった。
何も言わない楓人に対し、美樹も分かったようにこちらへリアクションは求めず、話を続ける。
「ある日、前のママはいつもみたいに仕事に行くって言ったっきり帰って来なかったわ。家の扉が次に空いた時に入ってきたのはママじゃなくて事務所の社長だった」
「……本当の母親はどこに行ったんだよ」
「知らない。死んだって連絡も来てないし、どこかでまだ馬鹿をやってるんでしょうね。それでしばらくは社長の家で保護されてたんだけど、社長も独身だしさ、ある日、あなたの叔母さんが私を預かるって言い出したの。自分と境遇が似てるからって」
「似てる……?」
「聞いてないの? うちのママと……あなたのところもお母さんもね。とにかくママたち五つ子姉妹の本当の父親って、蒸発してるらしいわよ?」
「初めて聞いた」
「まあ子供に聞かせる話じゃないからかしらね」
こちらの反応にあまり興味を示さず、勝手に納得する美樹。
楓人的にはお前も同い年ぐらいだろだろと思わずにいられなかったが、境遇が境遇故に避けられなかった話題なのだろうと、自分と比べて過酷な人生を歩んできている彼女に同情めいた感情が湧いた。
ただ。
(波乱万丈な人生になりかけてるのは、俺も同じか……)
「ごめん、今のはあんまりからかうつもりとかなかったんだけど、何か気に障った?」
「え?」
「急に暗い顔したから」
「考え事をしてただけだ。続けてくれ」
「……そっか。まあそんなわけでママに何年か面倒見てもらってたらさ、半年前にくらい前にとうとう本当に家族にならないかって言ってもらえたわけ」
最後まで聞いてみれば、やはり一花は良い人なのだな、という感想ぐらいの感想だった。
ちょっとした感動話ではあったかもしれないが、フィクションとしてはありがちだし、初対面の相手の話だから共感もし辛かった。
意外と冷たい人間なのかもしれないなと、どこかで冷静に見つめてくる自分を感じながら、とにかく話してくれた美樹に月並みでも感想を述べようとする。
「最初は運がなかったかもしれないが、好きになれる母親と出会えてよかったな」
「全然? 私、ママのこと嫌いよ?」
「は?」
飛び出た言葉に反射的な声が出た。
当の美樹はあまりにもあっけらかんと、更に続きを話す。
「聞いてほしいのはここからが本題なの。数年間ママと一緒に住んでみて、あの人の”人となり”ってのが何となくわかってきたんだけど」
「ああ」
「あの人、凄くだらしないのよ……!」
「ああ……」
そっちは聞いたことがあった。
曰く、一花の寝室は魔境だとか。未開の地、ジャングルなんて言われ方を他の五つ子の姉妹達や風太郎から聞いたことがある。
それこそ何年か前、一花が家を本格的に出ていった時には寂しいと思う反面、掃除が楽になったと二乃と三玖が言っていた気がした。
(数年前……その時にこいつを引き取ったのか)
ちょっとした思い出話の回想のつもりが、頭の中で紐づくものがあった。
一花がどういう思いで家を出たのかまでは分からないが、時系列的に一致するそれらからして、美樹を実家に置くことを避けたかったか、逆に姉妹からの反発を避けるために隠そうとしたのだろうという予想は立った。
「それにあの人、隠し事ばっかりだし」
「っ!?」
再び心を読まれたかのように、心臓が跳ね上がった気がした。
けれど美樹を見れば、こちらの様子は気づかず、吐き捨てるようにデンモクが置かれたテーブルを見つめていた。
「最初、引き取ってもらった時は世の中には優しい人もいるんだって私も思ったわ。けど、社長も私のことは知ってるからってママがよく事務所に連れて行ってくれてたわ。傍でママや他のタレントのお仕事を見ていくうちに段々、芸能界なんて夢見るほど馬鹿を見る場所だって嫌でも理解させられたわ」
「何があったんだよ」
「何もないわ。ただ仕事を取るために嘘を付いたり見栄を張ったり、そんな大人の社会人なら誰だってやってるようなことを、ママや他のアイドル達もしているのを見てただけ。でも、それだけでもまだ幼くて、テレビの向こう側はキラキラしたものだと勘違いしてた私にとっては、夢が壊れた気がしたわ」
「言いたいことは分かるが、それだけで母親を嫌う理由になんてなるのか?」
「あの人はそういう嘘をね、綺麗に使い分けるのよ。嘘や秘密は女の武器だって本気で思ってる」
「…………」
「それが間違っているとも思わないわ。むしろ向こうが正しくて、私が子供なだけなんでしょうね。それでも、あの人を見る目がどんどん曇っていくのを止められないのよ」
そう語る美樹の視線はどんどん下がっていった。
ただ、表情だけは凛としていて、落ち込んでいるというよりかは、何かと葛藤しているように見えた。
まるでまだ、根っこのところには信じるものがあるかのような瞳に、何故か楓人は目が離せなかった。
そんな今の美樹を通して昔の彼女が見えた気がした。
彼女本人も言っていた通り、芸能界というものに昔は憧れるものがあったのだろう。それこそネグレクトを受けていた彼女にとって、テレビは唯一の現実逃避の道具だったのかもしれない。
そんな中、現実では母親から見捨てられた彼女を救い出してくれた一花という存在は、さながらテレビから飛び出てきたヒーローのように美樹の目には映ったのかもしれない。
衝撃的な出会いによって最初に高すぎる理想を持ったが故に、どんどん落ちていく一花のイメージとのギャップに彼女も対応しきれていないのだろう。
そこまで彼女を見つめた時、うんと美樹は急に伸びをした。
「話せて良かったわ。こんな話、他じゃどこにもできないからさ」
「学校の友達とかじゃダメなのか?」
「ママが中野一花ってこと自体秘密にしてるわ。本当は言いふらしてやりたいけど、一応子供いない設定だし、あの人」
「なら事務所の社長とか。そっちは世話になってたらしいし事情も知ってんだろ」
「浅いわね。親の職場の上司に親の悪口なんて言うわけないでしょ」
それはそうだ。事務所だのなんだのと、色々と自分とは縁遠い話がついて回ったせいで、当然のことが見えなくなっていた。
「聞いてもらえて感謝するわ。あなた結構役に立つわね」
「俺は何もしてないぞ」
「あなたがママの親戚ってだけで十分よ」
「人の立場だけを見て利用するな。お前が一番嫌いな論法だろそれ」
「まあ、確かに?」
指摘に対して美樹はまんざらでもなさそうにすると、一度も口をつけていなかったアイスコーヒーを一口飲んだ。
合わせてこちらもオレンジジュースを飲むと、先に口を離した美樹が言う。
飲みながら、意外と一花の影響を受けて育っているんだなという印象を美樹に対して抱いた。
彼女が芸能界に入ることになった経緯は聞かされなかったが、恐らく一花の女優としての輝かしい方の側面に憧れたから、とかだろう。
口では嫌いだなどと言っていながら、本当は一花のことを好きなのかもしれない。
「それで、あなたの方は?」
「俺?」
「ママに会いに来た理由よ。あなたみたいに事務所に押し掛けてくる親戚なんて見たことないし、それ以外でも悪質なファン以外初めて見るわ」
「悪質なファンではいたんだな」
前例があるから事務所前ではあんなにスムーズに警告を出してきたのかと、変なところで納得がいった。
改めて、自分の事情を説明すべきかどうか計ってみる。
普通に考えればすべきではないだろう。彼女を通じて、一花に母親探しをしていることが伝わる恐れがある。
「安心して。ママに秘密にしてほしいなら、そうしてあげるわ。ていうかバラすつもりなら、最初からあなたがママに会いに来たって言ってるから」
ほら、と言いながら美樹は自分のスマホの画面を見せてきた。
チャットアプリが開いていて、相手は一花のようだった。
先ほど、事務所の前で美樹と出会ったころのタイムスタンプで楓人を撮影した写真と、楓人が一花の親戚だと友達から聞いたけど本当か、などという遠回しな確認をしていて、実際に事務所に来ていたとは確かに書いていなかった。
「これだけじゃあな、こっちも知られたら結構困るんだ。話を聞いてから心変わりされたら堪ったもんじゃない」
「んー、じゃあこれならどう?」
「?」
おもむろに美樹は席を中腰で立つと、滑るようにして楓人の隣に座った。
動きに合わせてたなびく髪から、香水のフローラルな香りがした。
半分奪うようにして、机の上に放り出していた楓人のスマホを奪い取ると、電源ボタンを押してきた。
「不用心ね。ロックくらいかけておきなさいよ」
「おま、人のを勝手に────」
「はい、チーズ」
こちらの文句など聞こえないかのように、勝手に写真アプリを起動するなり自分だけ決め顔をして自撮りをしてきた。
楓人と美樹、二人並んでいる状態での写真が保存される。
「私がママにチクったらそればらまけばいいわ。男と密会してたなんてバレれば、私は大目玉を喰らうでしょうね」
「────! 頭おかしいんじゃないか!? 自分で自分の脅迫材料作るやつがあるか!?」
「何よ、こっちがリスク背負ってあげようって言ってるんだから私の勝手でしょ?」
「だからって……!」
言い返そうとするも、段々こいつに常識を問うこちらの方が無駄なことをしているのではないかという徒労感が湧いてきて、急に言い返す気がなくなってきた気がした。
冷静に、渡されたツーショット写真の価値を評価する。
「お前さっき、無名の役者のゴシップなんて相手にするパパラッチはいないとか言ってなかったか?」
「知らないわ」
「三歩歩いたら忘れる鳥か何かかお前は」
「……! ああもう! ごちゃごちゃうるさいわね! こっちの人に言えない面倒くさい話聞いてくれたお礼に相談に乗ってあげるって言ってんのに何で素直に話さないのよ!?」
「そんな風に言われた覚えがねえよ!?」
あれだ。こいつは嘘とか秘密が嫌いなくせして、正直に気持ちを言葉にするのもできないタチらしい。
なんて面倒くさい。どういう人生を送ったらそんなひねくれた性分になるのか……と思うも、彼女の半生は先ほど聞かされたのであった。
とにかくあれだ、こういうのを人はツン────
「なんか知らないけど、めちゃくちゃ失礼なこと考えてるわね。あんた」
「?」
「嘘ついたってバレるからって顔だけでとぼけるのもやめなさいよ! 逆に腹立つわ!?」
「注文が多いやつだ。俺にどうしろっていうんだよ」
「だから! 聞かせなさいよ! あんたの事情を!」
仕方なく、楓人は自分が本当の母親探しをするに至った経緯を説明してあげた。
今まで母親だと思っていた四葉から生んでいないという発言を聞いてしまったこと。DNA検査の結果、それでも四葉と一致してしまったということは、五つ子の他の四人が候補であること。
ついでに、一花に昔、活動休止の時期があったということ。
それらの話を聞いた美樹は。
「何それ、最悪じゃん……」
と、目を丸くして青ざめていた。
「私が知っている限り、ママがお休みを取った期間なんてなかったから、話が本当なら私と会う前よね……昼間に喫茶店の前であなたと会った時にスマホに映ってたママの記事だって私見たことないし、かなり前のことになるわ……それに……」
次いで、何やらぶつぶつと呟きながら勝手に思考を巡らせた彼女であったが、いかんせん情報が足りなさすぎるらしく、楓人と同じで結論も出せなかったらしい。
「ダメね。私の知るママの情報だけじゃ、あなたの役に立てそうなことはないわ」
「だろうな。もう十五年ぐらい前のことだからな。一応何か心当たりがないか思い出そうとしてくれただけでも助かった。礼を言う」
「どういたしまして。ただ、昔のママのことは分からないけど、あなたの母親を見つけ出すことなら簡単よ」
「なに?」
思わぬ言葉に、身が固くなった。
「言ったでしょ? 私養子だって。ママと養子縁組結ぶ時、色々手続きが必要だったから見たことあるのよ」
「何をだよ?」
「戸籍謄本。まあ普通の人生を送ってるあなたじゃ知らなくてもおかしくないけど、この際だから憶えておきなさい。日本の法律だとね、戸籍上の実母っていうのはどんな理由があろうと、生んだ女性が登録されるのよ」
「……それって」
「そ、そこにあなたの本当のママの名前が載ってるはずだわ」