六月の中頃に五月から届いたDNA検査の鑑定書は、結果的に楓人を混乱させただけだった。
子供を作れないはずの四葉と遺伝子適合率が最も高いという矛盾。
五月が何故そんな資料を送ってきたのか、楓人には五月の狙いが皆目見当がつかなかった。
もしも今回の検査の結果が楓人の能動的な行動によるものであれば、偶然と切り捨てられたかもしれない。
たまたま本当の母親よりも四葉の方が適合率が高かっただけだと、納得できただろう。
しかし、あれは五月から送られてきたものであって、封筒には開封された形跡もあった。おそらくは五月も事前に確認したのだろう。
開封されてしまっていることから中身が改竄されている可能性もあるのだが、五月がわざわざそんなことをするメリットも薄い。
彼女の口ぶりは楓人に協力的で、鑑定書の改竄などすればかく乱にしかならないからだ。
恐らく五月は楓人に対して何かを伝えようという思惑があるのだろうが────
「──すぎ君……上杉君!」
「うおっ」
「何ぼさっとしてるのよ。ちゃんと話聞いてたの?」
「あ、あー……」
考えに夢中になり過ぎていたらしく、美樹が不機嫌そうな顔でこちらを睨んできていた。
慌てて手元のノートを見て何の問題に取り掛かったのか思い出そうとする。
現在、楓人は美樹と二人で”なかの”の一角を借りて家庭教師の授業を受けている真っ最中だった。
五月から色々と話を聞いたあの日、すこぶる機嫌を悪くした美樹であったが、その後少ししたころに律儀にも次の授業の日の連絡をくれた。
おかげであれからも何回か授業が行われた跡だった。
「すまん。どこやってたんだっけか」
「……問4。公式の応用問題よ」
結局、楓人は美樹の話を聞いていなかったと白状したが、彼女の機嫌が良くなることはまるでなく、腕を組んで背もたれに身を預けた美樹はぶっきらぼうな口調で言った。
数回目の授業ともなれば、美樹の先生としての癖も何となく分かってきた。
彼女は自身の性格の通り、スパルタで少々押しつけがましい講義をするスタイルだった。
馬鹿の思考回路が読めないようで、美樹の中では誠心誠意分かりやすく説明してくれたつもりらしい解説を聞いた後も、楓人の頭の中には何も残っておらず何度か彼女がキレたことがあった。
そんな日々を思い返せば、今のような横柄な態度でも今日は機嫌がいい方かと思ってしまう自分がいた。
だから大人しく楓人は改めて言われた問に取り組んでみようとしたところ、
「そういえばだけど」
美樹が小声で話しかけて来た。
「あなたが気にしてたこと、調べて来たわよ」
「十六年前、一花さんが仕事を休んでた理由か?」
美樹は頷いた。
あれからも母親探しに協力してくれている美樹には一つの頼みごとをしていた。それが楓人が言ったことであり、一般の情報しか手に入れられない楓人では調べるのに限界のあったことだった。
美樹が本格的に中身について話をする前に、ちらりとキッチンへと目を配る。
二乃と三玖はカウンター席に座る別のお客さんと談笑をしている最中だった。
楓人たちの席は位置取り的に小声で話せば二乃達へ届くことはないので、動向に気を配っていれば大丈夫だろうと思案すると、話の続きを求めるように美樹へと目を戻した。
「残念だけどあなたが期待したほどのことはなかったわ。本当にただ休みを取っただけみたい」
「ただの休みで一年も取るか普通?」
「厳密には半年とちょっとぐらいみたいだったけどね。それと、あなたは芸能人舐めすぎよ。ストレス半端なくて鬱になっちゃう子もいるんだから、そのぐらい休む人だっているわ」
「お前は大丈夫なのかよ?」
「なに、心配してくれるの?」
言いながら、からかうようにニヤリと笑みを浮かべる美樹。
対して楓人はさも当然のように答える。
「当たり前だろ」
「────」
「お前には色々と手伝ってもらってるんだ。倒れられでもしたら俺が困る」
「人を便利使い扱いしないでもらえる!?」
一際大きい声で怒鳴る美樹。言うと同時、席からも立ち上がっていた。
流石にそんな素振りをすれば楓人以外からも視線が美樹へと集まり、一瞬だけ店中の話し声が止み店内にかかっている有線のBGMだけが流れる時間ができた。
「お、おほほほ、失礼いたしました~……」
張り付いた笑みを浮かべ、慌てて席に戻る美樹。
見れば顔は愛想笑いのままリンゴのように赤くなっていて、楓人の視線に気が付いた彼女は誤魔化すようにまだ冷めていないコーヒーを一気に呷った。
「お前、外面だとお嬢様っぽく振舞うよな」
「”ぽく”って何よ。おじいちゃんは病院の院長でママは人気女優。間違いなくお嬢様でしょ」
そんな親たちの実の娘ではないけどな、と内心で思ってしまった楓人だったが、いくらなんでもラインを超え過ぎている考えなので言わず、自省する。
「話戻すわよ。何でか知らないけど、隠すように家にアルバムがあったから見てみたの。でもママが妊娠してたような形跡はなかったわ」
「なら一花さんも候補から外れるってことか」
「……そうなんだけど、そうとも言えないのよね……」
「変な言い方するな。当時の写真でお腹が膨らんでないなら白ってことになるだろ」
「ちょっとおかしいところがあったのよ」
「おかしいところ?」
「ねえ上杉君、変なこと聞くんだけどね」
一拍。
「あなた本当に十五歳なの?」
「そんなの、当たり前だろ……」
美樹の問いかけに答える楓人の声は覇気が無かった。
言いながら、絶対と言い切れないと思ってしまったからだ。
楓人の最も古い記憶は三歳のころだ。両親と一緒に夜ご飯と食べている時の記憶。それより前の出来事となると、確かに日々を穏やかに過ごしていたという感覚だけは残っているが、具体的に何があったかまでは思い出せない。
もしも生まれた年から一年、前後のどちらかにズレていたとしても、楓人自身の記憶だと十五年全て覚えているわけではないので、記録でしか確認のしようがないと思ってしまった。
「なんでそんなこと聞くんだよ。写真に何が映ってたんだ?」
「その逆、映ってなかったのよ」
「……?」
「あなたが生まれる前、つまり十六年前にママと姉妹の人達でハワイ旅行に行ってたみたいなのよ。当然、そこにはママと他の姉妹の人達が映ったツーショットの写真が四人全員分あったわ」
それでね、とそこで一度話を切ると、美樹はコーヒーカップに手を伸ばし、しかし中身が空であることに気づいてその隣の水の入ったグラスで口を湿らせた。
グラスを戻してから、美樹。
「ママ以外の四人全員、誰もお腹なんて膨らんでなかったのよ」
「……!」
「その時点でおかしいけど、他にもきになったことがあってね? 写真の日付はちょうど今頃の時期だったのよ。あなた確か今月生まれよね? 出産直後でハワイ旅行なんてあり得ないし、だとしたら五つ子の誰かは臨月のあなたを抱えた身重の状態で海外に行ったことになるけど、行先は医療費が高いアメリカ。もしもそこで産むことになったら何百万円もの余計な出費になるわ」
「だから出産の時期が一年、前後のどちらかにズレたと考えた方が自然ってことか」
「それならママ以外の四人もお腹が大きくなかったことの説明もつくもの」
つまり自分の本当の年齢は十四歳か、十六歳の可能性がある。そういうことになるわけだが。
(本当か……?)
いまいち実感の湧かない話で合った。
確かに実感、という言葉を使うのであれば厳密に楓人が自分を十五歳であると言い切れる実感はない。それは先ほども自分でも考えた通り、生まれてから十五年の年月全てを記憶していないからである。
けれど、成長過程の日々のことであれば記憶はある。
例えば一年のズレでも発育に著しい差が出る小学生のころなど、楓人は良くも悪くも平凡な体格の持ち主であった。だから楓人は自分の年齢を疑ったことなど一度たりともなかったし、疑われたこともなかった。
それにである。
「もしそれが本当なら出生届を偽ったことになる。犯罪だろそれ。そんなことをするメリットがあるのか?」
「それは……」
言葉を詰まらせた美樹に、それ以上の考えはないのだと楓人は察した。
恐らく美樹は単純に、十五年前に撮られたという写真に妊娠していない五つ子全員の姿が映っていることが考えの起点になっているだけなのだろう。
だとすれば、前提が間違っている恐れがある。
「写真の日付の方が間違ってたって可能性はないか?」
「……あ」
「アルバムで見たってことは、写真はデータじゃなかったってことだろ? 日付はどんな風に書かれてたんだ?」
「写真の右下に、字幕みたいな感じでうっすらと……」
「ならそれはフィルムカメラで撮ったやつで、多分だが撮影者は親父だ」
楓人の家には風太郎の趣味で置かれている写真撮影に関連する機材があるため、多少の知見が楓人にはあった。
元々は父方の祖父、勇也が写真家であった影響から多少風太郎も写真というものに対して思い入れがあるようで、そういった機材を風太郎も持つようになったとかつて聞いたことがある。
「写真の日付が一年ズレてて、俺がお腹の中に居ない時期に撮った写真、そういう可能性もある。そんなことあるのかって気もするが、その方が俺は納得がいくな」
「そうかしら……」
美樹はいまいち納得がいっていないように呻いた。
気持ちは楓人もわかる。多少こじつけをしているような、無理やり解釈しているような感覚があるが、美樹の理屈よりは理性的で腑に落ちる話のはずだ。
だとすればハワイの写真は無関係で、それ以外に美樹が気になることもなかったということになるから、結局手成果は無しかと、そう思った時だった。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「────!」
突然聞こえた二乃の声に心臓が跳ねた。会話に完全に夢中になっていた。
同じタイミングで、やはり驚いた様子の美樹が口を開く。
「お、お願いします三玖さん……!」
「残念、二乃よ」
「あ……あー、ごめんなさい」
「謝らないでいいわ。まだ慣れてないでしょうし、こっちも慣れっこだから」
話しながら持ってきたステンレスのケトルでお代わりのコーヒーを注ぐ二乃に、美樹は軽く会釈する。
”なかの”で家庭教師をしてもらっていることについて詳しく触れてこなかったが、二乃と三玖には既に美樹が一花の養子であることも説明済みだった。
「調子はどう? さっき大声が聞こえてきたけど、あんまり良くない感じかしら?」
二乃が言うと同時、美樹が新しく注がれたカップに手を伸ばしていたところで止めて質問に答えようとしたので二乃は無言で飲んでからで構わないと手でジェスチャーをした。
その言葉に甘えて美樹は一口すすると、カップから顔を話した時には驚きは少し収まった様子だった。
「……どうもこうもありません。このボンクラってば何回同じことを教えたってちっとも覚えないんです」
「そんな言い方ないだろ。俺だって遅くとも三回くらいきいたころには覚えてるぞ」
「普通は一回で覚えるのよ! ていうか私が教えてるんだから覚えなさいよこのお馬鹿!」
「なんだか昔のフー君と四葉を思い出すやり取りね……どれどれ?」
二乃は楓人のノートを取り上げて眺めた。
楓人のノートにはこれでもかと美樹の解説を写経した後と、同じ公式で数字を変えただけの反復問題が繰り返し書かれていた。
一ページ丸々ほとんど同じ問題に取り組んでいる跡を見た時など、二乃の顔は若干引いていた。
「なんというか、美樹ちゃんの教え方って楓人君の父親と似てるわね」
「勘弁してください。気持ちが悪いです」
「なんでフー君そんなに嫌われてるのかしら……!?」
「あの、勉強場所を貸していただけているのは本当に感謝してますが、邪魔はしないでいただけると助かるんですけど」
「邪魔なんてするつもり無いわよ。むしろお手伝いをしにきたつもりだったんだけど……実際問題これで進んでるの?」
「……まあ、ペースは落ちてきていますが少しずつは……」
「あんまり詰め込み過ぎも良くないわよ。時には飴と鞭を使い分けないと」
「具体的には何をすれば?」
美樹がそう問いかけると、その言葉を待っていましたと言わんばかりに二乃はこちらを指さしてきた。
「午後からはオフにしましょう!」
「それで、何で遊園地になるんですか」
「私達も昔、勉強で詰まった時はこうやって息抜きしたからよ」
二乃の急な提案によって連れて行かれた先は位置的には近所の部類の遊園地であった。
あまりにも急すぎる提案に、美樹は店の方はどうするのかと訊いてみたのだが、二乃曰く「こういう時に自由できるのが個人経営の強みよねぇ」と不敵に笑って済まされた。
二乃が話を決めると三玖も反対することもなく、あれよあれよという間に美樹は楓人に加えて二乃と三玖まで保護者としてついてきて遊園地に来たわけなのだが────
「じゃあもう一つ……なんで私は二乃さんと二人きりなんですか……?」
どういうわけか、現在二手に分かれて別行動を取っていた。
楓人と三玖は今現在、観覧車で空高くゴンドラに揺られている。
美樹と二乃はその真下のベンチでを眺める形となっていた。
こんなことになったのも観覧車に乗る直前、二乃が急に体調が悪くなったと言い出して辞退し、付き添いに美樹を指名してきたからであった。
「体調悪いなんて絶対嘘ですよね。今の二乃さん凄く顔色いいですし」
「良い事おしえてあげる。大人の女はね、嘘も都合よく使い分けるものなのよ」
「……」
「あんたも一花の子なら、よく分かってるんじゃない?」
「ええ本当に……あの人は昔から嘘ばっかりでした。私のことをからかって、あしらって、私に本当の顔なんて見せてくれたことなんてないんじゃないかって思ってます」
一花と親子になってから数年になるが、二乃へ言った通り、一花はいつも嘘も時にはつきながらのらりくらりと世間を渡っていた。
決して悪意のある嘘ではないので、美樹も一花のことを悪い人だとは思っていないのだが、それでも軽率に嘘を吐く一花の姿は軽薄に見え、引き取ってもらった時に彼女へ幻視した輝きのようなものがどんどんとくすんでいく気がした。
「人ってもっと、素直にまっすぐ生きるべきだと思うんです。じゃないと他人を傷つけるだけじゃないですか」
かつて、美樹の本当の母親は自分に言った。
”じゃあママ、仕事に行ってくるね。夜には帰ってくるから、そしたら久しぶりにレストランに行こっか。だからママが帰ってくるまで、おうちで大人しくしててね”
そう言った母親は最後まで帰ってくることはなく、それでもまだ人を、母を疑うことを知らなかった美樹はきっと、外から織田社長が扉を開かなければ最後の瞬間まで自分から扉を開けることはしなかっただろう。
「私を引き取ってくれたママには感謝してます。大人としても世渡りの上手い人だとは思いますけど……気持ちだけで言えば、嫌いです」
言ってから、恐る恐る二乃を見る。
馬鹿正直に自分の気持ちを吐露した美樹であったが、その言葉によって二乃が不快感を持つだろうということに気が回らないほど本当の馬鹿ではなかった。
いくら一花の娘であるからといって、知り合ってから日も浅い美樹に、自分の姉である一花を愚弄されて二乃は怒るだろうと予想をしていた。
しかし。
「あっそ。別にいいんじゃない?」
「……怒らないんですか?」
「怒らないわよ。私だって裏でコソコソしたりするのあんまり好きじゃないし。むしろあんたの言う通り、一花はもう少し正直に生きた方がいいかもしれないわね」
「────」
あっけらかんと言う二乃。
美樹は自分の言い分が幼稚なものだという自覚は持っていた。思ったことをそのまま口にすれば人との衝突は免れないし、実際過去にそういったトラブルの経験もあった。
優れた容姿を持っていながら地方の芸能事務所に所属し、そこでさえも売れずに燻っているのは、そういった自分の人間性の幼さが原因だと理解している。だが、それを直そうという気もさらさらない。
だから今だって分かって強い言葉を使ったわけで、なのに二乃から共感されるなどとは露ほども予想していなかった。
けれど、驚きと同時に不思議な感覚も覚えた。
まるでこの人が相手であれば、何を言っても大丈夫だと思うかのような安心感。
「二乃さん、変わってますね」
「お互いにね」
何の打算も気遣いもない言葉のキャッチボールが心地よくて、自然と表情が綻んだ。
「やっと笑った」
「え……?」
「あんたも楓人君も店にいる時からずっと眉間に皺を寄せてるんだもの。どうやって取ってやろうか、久しぶりに頭を悩ませたわ」
「もしかしてここに来たのも、私達のため?」
「もしかしても何もあんた達のためよ。言ったでしょ。勉強の息抜きだって」
「……ありがとうございます」
「可愛い甥っ子と姪っ子のためだもの。苦でもなんでもないわ」
言ってから二乃は、ベンチに座った体を少し前に倒した。
膝の上に肘をついて頬杖を付くと、のぞき込むようにして美樹の顔を見る。
「だからさ、良かったら話も聞くわよ。あんたたちの悩み」
「……! なんで……!」
もしかして、楓人のやっている母親探しのことがバレているのかと美樹は表情を強張らせた。
「楓人君のノートを店で見た時、最初に飲み物を運んだ時から全然進んでるように見えなかったもの。もしかしたら勉強以外に何かトラブルでも抱えてるのかなって心配になったんだけど」
「トラブル……」
「例えば一花から『次の期末試験で楓人君の赤点を回避出来なかったらクビだ』とか言われてたりしてない?」
「そんなノルマもらってないです。ていうか家庭教師を始めて最初のテストなんですから無理に決まってるじゃないですか。そんな無茶言う人なんていないですよ」
「それがいるのよねぇ……」
美樹には何の話か分からなかったが、二乃は遠い目をした。
その二乃に対して美樹。
「それと悩みがないわけじゃないですけど、何の話かは言いたくないです。プライバシーです」
「五月みたいなこと言うわね」
「そういう二乃さんはどうなんですか。私や上杉君に言えない話だってあるんじゃないですか?」
例えば楓人の本当の母親を隠しているとか。
「そりゃあるわよ」
「────」
まさか素直に肯定されるとは予想してなく、美樹の方が面食らった顔をした。
「でも秘密よ」
「なんでですか」
「理由言ったら意味ないじゃない。秘密は言えないから秘密って言うのよ」
「じゃあやっぱり私も言いたくないです」
美樹は頬を膨らませながら言った。
その美樹の顔を見て、何故か笑う二乃。何がおかしいのやら。
「ま、一花のノルマの話が違うなら大方、楓人君と喧嘩でもしたのかしら。あんた達顔を合わせればいつも憎まれ口を叩き合ってるもの」
「……違います。喧嘩は、してないです」
「含みのある反応ね……前々から気になってたけど、ぶっちゃけた話美樹ちゃんは楓人君のことどう思ってるの?」
「どうって?」
「異性としてに決まってるじゃない」
「まったく興味ないです」
ピシャリと言い切る美樹。楓人のことは誤魔化しでも何でもなく、本心からそういった目で見たことはなかった。
美樹の目から見た楓人の印象というと、正直な感想を述べるなら”不気味”だ。
顔も体型も普通で頭だけはすこぶる悪い。むしろ普通よりダメ寄りの人間かと思えば、いざ会話してみると妙に頭が回る。
知識の保有量なら間違いなく美樹の方が上のはずなのに、時々楓人からは美樹では考え付かないようなこと意見が出てくることも多々あった。着眼点が独特というか、普通の人とは違う思考回路を持っている、そんな感じだ。
加えて楓人とは頻繁にくだんの母親探しの話をするわけだが、彼は当事者であるにも関わらず感情的にものを言うことが極端に少ない。
生来からの性格で感情の起伏が激しい美樹と話していると、美樹の方が他人事のはずなのに自分のことのように起こることもままあった。
別に彼だって無感情に振る舞っているわけでもないが、そんな怒るべきところで怒らない、人とは違う情緒を持った彼の振る舞いと何を考えているかの分からなさ具合から総括して、美樹の彼に対する印象は”不気味”と形容するに落ち着いたのであった。
「私はただの雇われ家庭教師です。年もたまたま近いだけだし、仕事としてお給料だってもらってます」
「もしかして相場の五倍?」
「何の話です? 裏の仕事じゃないんだし、そんなわけないじゃないですか」
「ちょっと気になっただけよ」
さっきからやたらと話の腰を折られるな、と美樹は内心で嘆息を漏らした。
ただ、おかげで少し考える時間を持てたこともあり二乃の狙いが何となく見えた気がした。
(要するに若い子の恋バナが聞きたいってだけね。本音が見えてみればなんて浅はかなのかしら)
大体、自分と楓人の場合、血は繋がっていないが従姉である。そういった目で見ようとする方がおかしいだろう。
確かに楓人とは家庭教師以外、例の母親探しでも交流は持っているし協力している。一花に内緒で母親の過去を探ろうとするリスクのある行動も取ったことがある。
しかしながら、そういった行いは全て美樹が彼に共感したからであって、恋慕の感情までは伴っていない。
本当の母親から捨てられた同じ境遇の身として、彼の本当の母親も見つけ出し、何で彼を手放したのか自白させて謝らせたかったからである。
決して、ポジティブな動機からではない。
そのはずなのだが。
「ふーん」
二乃はなおもニヤついた顔をしていた。
「何ですかその顔は」
「別に?」
「また秘密ですか?」
「さ、どうだか。秘密といえば秘密だけど、別に美樹ちゃんだって知ってるはずのことだしねえ」
「……まるで意味が分からないんですけど」
「ま、ここには鏡が無くてよかったわねってことで、この話は終わりにしましょう」
「はぁ?」
それよりも、と二乃は徐に立ち上がるなり怪訝な顔の美樹の手を取ると、
「三玖たちが帰ってくるの待ってるのも飽きてきたわ。私達も他のに乗りに行きましょう!」
「ちょっと、二乃さん!?」
半ば強引に引っ張るように、美樹を連れて遊園地の雑踏の中へと消えていった。
「あれ、二人が移動し始めた」
「二乃さんの具合良くなったんですかね?」
雑踏に消えていく二乃と美樹の二人を、ゴンドラの中から楓人たちは見下ろしていた。
すでに観覧車は折り返しに入ろうとした中、楓人と三玖の二人の初めての会話だった。
三玖も楓人も、話し始めれば饒舌なのだが、何分消極的な性格故であった。
「具合は大丈夫だと思う。多分嘘だろうし」
「は?」
「きっと二乃の狙いは君と美樹ちゃんを別行動にさせることだと思うから」
「なんでそんなことするんですか」
「楓人君と美樹ちゃんが喧嘩してるのかもって、お店にいた時心配してた。多分別行動にさせたのは、君には私から聞くように仕向けたいからなんだと思う」
会話が初めてだったのに続けて、観覧車に乗って初めて三玖はこちらの目を見て訊いてきた。
「してるの? 喧嘩?」
「してないです。あいつにはよく憎まれ口を叩かれますけど、それがあいつにとっての平常運転みたいなものですから」
「そっか、ならいい」
そう言うなり、また窓の外を眺め始める三玖。
突っ込んだことを訊いて来た割に、あっさりと引き下がったのは少々意外だった。けれど三玖の淡泊な性格を思うと、そういうものかとも思えた。
しかし、そうなると沈黙はあまり苦としない方である楓人であっても、折り返しの残り半分の時間も同じように沈黙が続くのはいくらなんでも少し気まずく、自然と何か話題はないかと思考を巡らせた。
話題に困った時、楓人はよく直近の出来事から順に探し始める。これが自分の癖なのか、それとも一般的なあるある話なのかは分からない。
そして、直近の三玖に対して話題にできそうなことと言えば、やはり美樹だった。
「そういえばなんですけど」
「なに?」
「三玖さんと二乃さんから見た美樹ってどうですか?」
「どうって?」
「ほら、俺たちが店で勉強するようになった時に初めて一花さんから娘なんて言われたから、驚いただけじゃなくて少し複雑な気持ちだったりしないのかなって思って」
「確かに初めて聞いた時はびっくりした。それに美樹ちゃんを引き取るために一花は家を出たらしいけど、正直に言ってくれれば私はうちで美樹ちゃんがうちに住むことだって別に反対しなかった」
「部屋は空いてますもんね」
現在の中野家の部屋の内、二乃と三玖の部屋以外は空室となっている。
最初に空けたのが風太郎と結婚し同棲するようになった四葉で、それから五月、そして美樹を引き取った一花という順だ。
一応今もそれぞれの姉妹の部屋という振り分けのままになっているらしいが、四葉の部屋などはもう住んでた頃より部屋を空けている時間の方が長くなってきていることもあって、半分物置部屋状態になっているという。
「良い子だとも思うよ。性格も最近は分かってきて、何となく二乃っぽいなって思うこともあるし」
「それは俺も同意です」
意外と、二乃から養子だと言われて紹介された方がしっくりきたのかもしれない。
「美樹ちゃんも二乃に懐いてくれてるみたいだし、楓人君と二人でうちの店に勉強しに来てくれるようになってからは、なんだか娘ができたみたいな気がして結構私達も嬉しいんだ」
「懐いてる割に、あいつ三玖さんたちのこと未だに間違えますけどね」
「それは仕方ない。まだ何回かしか会ってないし、見分けられない方が普通だよ」
「……言われてみれば、俺は気が付いた時には見分けられるようになってたけど、最初の頃は分からなかったな」
「でしょ?」
四葉に連れられて五つ子が勢ぞろいした時のことは今でも覚えている。
母親と同じ顔が他に四人もいるのを初めて見た時の光景は、以前にも触れた通り少々のトラウマだったりする。
ただ、それ以降の五つ子達との日々は特別衝撃的なこともなければ、小さかったこともあってあまり記憶がない。
三玖に向けて言った通り、気が付いた時には見分けられるようになっていた。
「フータロー……君のお父さんも最初の頃は見分けられなかったんだよ」
「あの親父ならやりかねないというか、さぞかし見分けられるようになるまで苦労したでしょうね」
風太郎の興味の向き先はかなりはっきりしている。興味が無いことにはとことん向き合わないし、覚えようとしても普段の頭の良さはどこへいったのかと不思議になるほどのポンコツぶりを発揮する。
というか、学校で教わるような知識以外のことは全て興味がないのではと思うような振る舞いをするので、父と比べると多感な楓人からすれば人生楽しいかと聞きたくなるほどだった。
逆に楓人の場合、おおよそ大体のことには興味があるし、それなりの才覚もある。ただ学校の勉強一点においてだけはやる気がでないので、そう言った意味では風太郎と真逆の才能を持って生まれたのかもしれない。
(なるほど、だから赤点を取るのか)
今度真面目に美樹に、自分は勉強しても無駄なのではないかと相談しようかと思ったが、本気で殴られそうな未来が見えた気がした。
「正解。フータローは全然私達のこと見分けられなかったよ。おかげで姉妹の皆に振り回されてばっかりだった」
「いい気味です」
「私達もそれをいいことに、結構イタズラとかしたし」
「例えばどんなことです?」
「知りたい?」
「是非」
単純に、あのすまし面の父が困ったというエピソードには興味があった。
三玖は懐かしむような目をしてから言う。
「最近は姉妹の皆とも会わなくなったからしないけど、私達よく互いの姉妹に変装してたんだ」
「────」
「そういえば一花から聞いたけど、君、私達が高校生だったころの話とかも聞いたんだよね」
「……ええ、まあ」
「一度私、本当に四葉になり代わっちゃおっかなって思ったこともあったんだ……君にする話でもないかもだけどね」
「……いえ」
「楓人君?」
昔話に饒舌になり始めた三玖であったが、ふと、楓人の様子がおかしいことに気が付いてこちらを覗き込んで来た。
「大丈夫?」
「大丈夫、です……」
なんとか答える楓人であったが、本音を言えば大丈夫とか大丈夫じゃないとか、それどころではなかった。
何気ない、ただの会話のつもりだったのに、たった一つの言葉で満遍なく散らばっていた不可解の話の全てが繋がっていってしまったからだ。
十六年前、五つ子の誰一人妊婦ではない状態で映っていた写真。
DNA検査での四葉と楓人の遺伝子の一致。
そしてそれを否定するかのような四葉の体の病気。
五月の言う病気の詳細。四葉は子宮に問題があり、厳密には”子供をお腹の中で育てられない体だった”ということ。
それらを全て縫い合わせるようにして繋ぐ変装……いや、四葉となり代わるという”手段”。
一つの可能性が見えた。
もしも四葉の体は子供を育てられないだけで、依然として子供を作ろうとする能力、卵子を作る能力が残っていたとしたら。
現代の医学ならば可能ではないだろうか。四葉から取り出した卵子を体外で風太郎のものと受精させて”別の姉妹”へ託すことが。
代理出産。
そんな単語が自然と思い浮かんだ。
自分で考えておきながら、そんなことが倫理的にも、法律的にも許されるのかという疑問が湧く。
けれども即座に思い出されるのは、十六年前に五つ子達はアメリカへと渡っているということだった。
美樹は言った。臨月の妊婦が海外になど行けば、現地で産むことになるリスクがあると。
逆ではないだろうか。彼女達はアメリカまで自分のことを産みに行ったのではないか、と。
他にも次から次へと考えが巡る中で、気が付けば隣で三玖が血相を変えた顔で自分の名前を呼んでいる気がした。
気がした、というのは今も耳元で聞こえているはずの声がはっきりせず、頭は辻褄合わせに躍起になって思考を巡らせていたからだ。
観覧車が地上へ到着するなり、楓人は気分が悪いからとその場を離れると、人混みからはぐれた茂みへと入っていった。
そこで取り出したのはスマートホン。ネットを起動し、とある店の名前を検索欄に打ち込み、表示された電話番号へと電話をかけた。
あの後すぐ、楓人の体調が悪そうだという話になって解散することとなった。
二乃と三玖は楓人を家まで送ろうかと、しつこいくらいに言われたが、丁重に断った。
何故ならば一人になった楓人の足取りは自宅ではなく、そのまま五月の家に向かったからである。
店への電話が終わった後、楓人は五月にも電話をした。
電話越しに自分の考えの全てを伝えると、五月はまっすぐ来るように言ってきた。
家の前までたどり着き、インターホンを鳴らすとすぐに彼女は出迎えて来た。
「……入って」
通された玄関の先、五月の寝室に楓人は通されると、その部屋のテーブルには一冊のアルバムが置かれていた。
表紙には五つ子五人の名前が文字のシールで貼られていて、一目で五月専用ではなく五つ子用のものであると理解した。
楓人はそのアルバムの前に座ると、五月へと目を向けた。
目を向けた先で、五月も黙ってうなずき、中を見ることを許してくれた。
中身を見てみれば沢山の写真が飾られており、中には美樹が言っていた十六年前のハワイの写真というのもあった。
そこにも一つ、楓人の考えを裏付けるように”変装した姉妹の姿”が映っていた。
そしてそこから数ページ捲ると、目的の写真が見つかった。
「……やっぱり」
写真には楓人の予想通りの光景が写されていた。
遊園地で楓人が最初に電話をした場所は『REVIVAL』だった。
店の名前は一花に案内してもらったから知っていたから調べることができた。
電話先で出た店長に対して、楓人は常連ならもしかしても分かるかもと、二つの確認をした。
『十六年くらい前に”なかの”が休業してたことってありますか?』
『そんな覚えはないね。僕の覚えてる限りじゃ二乃ちゃん達のお店はずっとやってるよ』
『じゃあもう一つ、やっぱり十六年くらい前の頃、何かおかしいことはありませんでしたか?』
『昔のこと過ぎて憶えてないけど、例えばどんなことだい?』
『例えば、二乃さんと三玖さんのどちらかが店に顔を出さない時期があったとか』
『それもないね。二人とも接客に出てたと思うよ……ただ』
『…………』
『君に言われたから思い出したけど、確かにその頃、三玖ちゃんの様子がおかしかったような気がするかな。強いていうなら、あの時期の三玖ちゃんだけは凄く二乃ちゃんぽかったというか』
『ありがとうございます。それが聞ければ十分です』
楓人はアルバムの写真をもう一度見た。小さいの頃に見たことのある写真。幼い頃は母の姿だと思っていた写真。
そこには、二乃が店でアリバイ作りをしている間に撮られたと思われる、病室のベッドにお腹を膨らませている三玖と傍に立つ風太郎の姿が、はっきりと写っていた。