倉庫   作:ぞだう

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必要な盲目(三船美優)

「……ええ、不安でした。怖かったですよ、貴方が他の誰かに奪われてしまうんじゃないかと思うのは」

「怖かった。思う度に苦しくて、涙が零れてしまうほど辛くて嫌で。なのに思わずにはいられなくて」

「怖かったです。ずっとずっと、怖かった」

 

 ベッドの上。自分の部屋のそれじゃない。大好きな人の匂いが染み付いた、今はそこに私自身の匂いも染み付けた、もうすっかり私にも馴染んでしまったベッドの上。

 プロデューサーさんの家。その中で、当然二人。公にはしていない、公にはできないけれど、だけど恋人として結ばれた私とプロデューサーさんとの二人きり。

 仕事を終え帰ってきたプロデューサーさんを、先に仕事を終えていた私が出迎えて。食卓を共にして、お風呂もまた共にして。それから互いに何を言うでもなく自然とここへ。身体を重ね、愛し合って。そして今。行為を終え、寄り添うようにして隣へ寝ながら、見つめ合って交わし合う。

 

「でも、今はもう大丈夫。大丈夫なんです」

「そんなふうに怖くなることもなくなりました。零した涙で枕を濡らしながら、痛む胸を掻き抱いて、貴方の名前を呟き続ける。……そんなことも、今ではもうなくなったんです」

「信じることにしましたから。貴方のことを、ただ、まっすぐに」

 

 繋がり求め合う最中、何度も何度も口にしていたから。「もっと、もっと」「抱き締めて、離さないで」「私を見て、私だけを見て」そんな言葉を何度も私が口にしていたから。だからなのだろう。優しいプロデューサーさんは口にした。「寂しい思いをさせてごめん」

 私も、私はプロデューサーさんのアイドル。忙しいのは知っている。数多くの、綺麗で可愛い、素敵な異性に囲まれているのはわかってる。そしてそれは、私がそうして理解していることはプロデューサーさんもわかってる。わかっていて、それでも口にしてくれた。「ごめん。きっと寂しい思いをさせたよね。不安な気持ちにさせたんだよね」と。

 忙しい中で自由にできる限りの時間、そのほとんどを私との時間のために尽くしてくれるこの人が。たくさんのアイドル達、私と同じように好意を抱き恋心を向ける大勢の異性に囲まれながら、けれど私に誠実であろうと努めてくれているこの人が。それでも申し訳なさそうな声音で、汗に塗れた私の身体へ優しく手を添えながら、私を見つめて言ってくれた。

 だから応える。私のものとプロデューサーさんのもの、混じり合う二人の涎にまだ濡らされた口許へ手を添えて。今も冷めない熱い吐息と一緒に言葉を返す。

 

「決めたんです。信じるんだって」

「見ることにしたんです。信じると決めた貴方のことだけを」

「失うかもしれない、と。ほんの一瞬そう思っただけであんなにも怖くなってしまうくらい、私にとって貴方は大切な人なんです。きっともう貴方なしではいられない。……それならもう、いっそ信じきってしまおうと決めたんです」

 

 口を開いて言葉を送る度吐息が掛かる。ねと、ぬと、と粘り気を帯びた音を立て糸を引きながらプロデューサーさんの口許を撫でる私の指へ。そしてプロデューサーさんの、瞳には私だけを映し淡く頬を紅に塗った愛しい顔へ。

 一旦口を閉じ身体を前へ。まだ消えない高揚感と脱力感に包まれて弛緩しきっている身体を、少しずつ這わせるようにしてプロデューサーさんへと近付ける。

 足を絡める。腰を触れさせる。お腹を合わせて胸を押し付ける。近付く私に応えてプロデューサーさんも、それまでそっと添えていた手を背中へ回してくれた。優しく、でもしっかりと抱き締めてくれた。

 重なる。深く、強く。

 

「プロデューサーさんは私の世界なんです。何より愛しい、何より大切な、他のどんな何よりも大きなもの。私の生きる意味」

「そう、貴方は私にとっての世界。なら不安を抱くなんて、疑うなんてそんなの必要のないこと。世界を疑う人なんていないんですから」

 

 顔を前へ。

 薄く開かれた、まだ互いの涎が消えずに残る唇へ。そっと顔を前へ出し、自分のそれを触れさせる。

 

「確か……健康な否認、みたいに言うんでしたね。……墜落するかもしれないから、と飛行機に乗れない。事件に巻き込まれるかもしれないから、と家から一歩も出られない。世界が突然壊れてしまうかもしれないから、と生きてさえいられない。それでは困るから、そんな可能性を認めないでいること」

「必要な盲目。生きていくために、世界を信じるということ」

「……ふふ。正確に言えば私のそれは、そういうものに分類される訳でもないのかもしれませんけど。でも、そういうことなんです」

「私にとっての世界は貴方。貴方がいないと私はもう生きられない。……いいえ。貴方を失ったら、とそう思ってしまうだけで駄目。だから私は信じたんです」

「生きるために、私の世界を」

 

 軽く、柔く、触れるだけ。けれど糸を引くキスを何度も。

 私を離さず、優しく確かに抱いていてくれている温かな腕。心地いいその感触に心を満たしながら、言葉の続きを口にする。

 

「いつか、プロデューサーさんは言ってくれましたね。『貴女のことを愛しています。貴女のためなら、きっと、なんだってできてしまうほど』と」

「嬉しかった……。私、あの言葉が本当に嬉しかったんです。大好きな人からそんなことを……あんなにも真剣な眼差しで、言ってもらえるだなんて。……本当に、嬉しかったんです」

「嬉しくて……。そしてプロデューサーさん。それは、私も同じなんですよ」

「なんでもできる。貴方のためならきっと。……貴方さえいてくれるならきっと。それは」

 

 そっと、そうっと。口許へ添えた手をゆっくり動かす。

 大切なものを扱うように、慈しみを込めるように。私にとって何よりも大切なプロデューサーさんを、この胸に溢れる限りの想いを込めて。撫でる。愛おしむ。

 

「貴方に愛される私は、きっと強い女です」

「貴方のためになんでもできる。どんなに大変なことも、どれだけ難しいことだって、きっと叶えられるほど」

「貴方さえいるのなら、私はきっと強いんです」

「でも、プロデューサーさん。私はきっと弱い女なんです」

「貴方なしでは何もできない。どんなに些細なことも、どれだけ簡単なことだって、きっと叶えられないほど」

「貴方さえいないなら、私はきっと弱いんです」

 

 少し、長いキス。

 唇は閉じたまま。押し付け触れさせるだけ。けれど離さない。別れず結ばれたまま、重なり続ける長いキス。

 それを交わして。最後、離れるのを惜しむようにわざと音を響かせながら。間に架かった糸を舌で手繰り、それをお腹の中へ迎え入れてから。それからまた。

 

「貴方さえいてくれたなら生きられる。貴方さえ失ったなら生きられない。それが私なんです。もう、どうしようもなく」

「だから信じます。貴方を。信じて、私のすべてを委ねます」

「生きるのも死ぬのも貴方次第。私の生死は貴方のもの。だから、もう不安なんてないんです」

「愛しい貴方に生かされているのなら生きればいい。愛しい貴方に殺されるのなら、その時は死ねばいい。……生きている今を許される限り、私は、ただ盲目に貴方のことを信じていればいい」

「だから、もう怖くないんです」

 

 まっすぐ一途に向けた私の視線。それを受け止める瞳は、今もまっすぐ私のことを見てくれている。

 もう不安に思うこともできなくなってしまったけれど、それでも申し訳なく思っていた。これまでにも何度か……何度も、重たい想いの片鱗を見られてはいた。けれどここまで実際にそれを言葉にしたのは初めてだったから。

 けれど、プロデューサーさんは受け止めてくれた。きっといろいろな感情はあるのだと思う。前向きじゃない後ろ向きな感情も。それでも、私のことをこうして受け入れてくれている。

 信じた世界が私を裏切らずにいてくれることが嬉しい。私は生きていていいのだと、そう確かめられて心が満ちる。

 大好きな人。恋しい貴方。愛おしいプロデューサーさん。私の唯一の人、大切な世界へと、狂おしいほどの想いが溢れてしまって止まらない。

 好き。好き。好き。私の信じる最愛へ向けて、もう何度も重ねてきた言葉を心の中で繰り返す。

 

「……プロデューサーさん」

「私はもう大丈夫です。心配なんてしなくても、もう不安に押し潰されたりなんてしません」

「貴方が私の信じる貴方でいてくれる限り、私はもう大丈夫ですから。貴方に愛されている限り、愛する貴方と私は幸せでいられるんですから」

「だから、プロデューサーさん」

「叶うならどうか……ずっと、私を貴方の隣で生きさせてくださいね」


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