倉庫   作:ぞだう

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私と、キスしましょう(高垣楓)

「ねぇ、プロデューサー」

「なんですか?」

「朝ですね」

「そうですね」

「窓から差し込む朝日が眩しいですね」

「そうですね」

「少しだけひんやりした空気が心地いいですね」

「ええ、そうですね」

「ですから、プロデューサー」

「なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「……」

「……」

「……朝に顔を会わせた開口一番がそれなんですか」

「だって、したくなっちゃったんですもん」

「したくなっちゃったから、って……貴女は」

「したくなっちゃったものはしたくなっちゃったんですもん。仕方ないじゃないですか。やむなしじゃないですか。キスするしかないじゃないですか」

「いや、しませんけどね?」

「えー」

「そんな、えー。って」

「プロデューサーのいけず……いいじゃないですか、もっとこう、ふかいふかーいお目覚めのキスをしてくれたって……私、お姫様ですよ?」

「確かにシンデレラではありますけど」

「シンデレラは王子様からお目覚めのキスを貰わないと、起きられないんです」

「それはお話が違います。僕も、べつに王子様ではありませんし」

「高垣楓はプロデューサーからお目覚めのキスを貰わないと、起きられないんです」

「いや、しませんよ?」

「……」

「流石は楓さん、泣きの演技も様になってます。成長しましたね」

「……落ちませんか?」

「落ちませんが」

「ぶぅ」

「そんな膨れられても……もう、ほら行きますよ。車出しますから」

「いけずー。へたれー。甲斐性なしー」

「……まったく」

 

「ねぇ、プロデューサー」

「なんですか?」

「赤信号ですね」

「そうですね」

「ここの信号って、変わるまで長いんですよね」

「そうですね」

「周りに車、一台もいませんね」

「ええ、そうですね」

「ですから、プロデューサー」

「なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「……」

「……」

「……いや、運転中ですし」

「今は停まってますよ?」

「いつ青になるか分からないでしょう」

「青に変わるまでの間だけでいいですから」

「危ないですから」

「ちょっとくらいなら大丈夫ですよ」

「ほんの少しでも楓さんを危険に近づけてしまうような真似を、僕にさせろと?」

「……そういう言い方はずるいと思います」

「大人はずるいものなんです」

「むぅ、あんまり意地悪の酷いプロデューサーは嫌いになっちゃいますよ?」

「僕、嫌われちゃうんですね」

「……本当に嫌いになったりなんて、しませんけど」

「そうですか」

「ええ、嫌いになんてなれませんから」

「……そうですか」

「大好きですから。プロデューサーのこと、心から」

「……」

「あら。――ふふ、癖が出てますよ」

「……」

「頬が赤いです。目が泳いでます。唇が結ばれてます。――嬉しく、思ってくれてるんですね」

「……そうですね。プロデューサーとして、担当するアイドルに信頼を置いてもらえているというそのことについて、それは当然嬉しく思います」

「む、頑固ですねー……」

「何がでしょう」

「もう、そんなプロデューサーは嫌いに――はなれないので、んー……うん、そうですねぇ……」

「なんの思案なんですかそれは」

「――……あ、そうです」

「なんです」

「そんなプロデューサーは、私、もっと好きになっちゃいますよ?」

「……なかなか予想外な言葉が出てきましたね」

「私のプロデューサーへの好感度は、基本的に下降することはありませんから」

「とりあえず、ありがとうございます」

「ええ。――なのでそれならいっそ、もっと好きになってやるぞー、です」

「そうなるとどうなるんですか?」

「もっと好きになります」

「はい」

「行動も過激になります」

「はい」

「例えば今こうして身に着けているシートベルトを外して運転席に座るプロデューサーへとしなだれかかり、キスをしてくれるまで絶対に離れなくなったりします」

「ふむ」

「ちなみにキスをしてもらえると止まらなくなって、結局離れません」

「なるほど」

「もう無限です。無限ちゅーです。永遠ちゅーです。未来永劫ちゅー地獄です。むしろ天国です」

「それは困りますね」

「でしょう?」

「ええ」

「離れてくれないのは困ってしまいますよね?」

「そうですね」

「ですから」

「ですから?」

「まだそこまでなっていない今の内、今の私の内にほら、ね、キスしましょう」

「――ああ、楓さん」

「はい?」

「信号青になりました。車出すので、おとなしくしていてくださいね」

「……ぶー」

「膨れられても」

「ぷすー。――ん、ぷすぷす」

「膨れた空気を抜いてくれたのはいいですが、そうして突っついてくるのはやめてください」

「ぷいっ」

「運転中ですから。――ってもう、はぁ」

 

「ねぇ、プロデューサー」

「なんですか?」

「レッスン、頑張りました」

「そうですね」

「汗に濡れて、喉も渇きました」

「そうですね」

「これは水分補給をしないといけません」

「ええ、そうですね。――ですから、このスポーツドリン」

「ですから、プロデューサー」

「……なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「……」

「……」

「……いや、水分補給が必要なこととキスを求めることとの関連性が掴めないのですが」

「関連性、なんて簡単じゃないですか」

「なんなんです?」

「今の私には水分が足りません」

「はい」

「なので身体の外から水分を取り込まなければなりません」

「はい」

「水分です」

「はい」

「水分といえばプロデューサーの唾液です」

「……はい?」

「プロデューサーの唾液です」

「いや、聞こえなかったわけではなく」

「そうですか。――なら、分かってもらえますね」

「何をですか」

「水分が必要。なら水分とイコールで結ばれるプロデューサーの唾液が必要。それを手に入れるためにはどうすればいいのか、そうだ、キスすればいいんだ。という」

「なるほど、やっぱりわかりませんでしたね」

「わかりませんか」

「わかりません」

「わかりました。それなら分かってもらうために、何はともあれ、まずキスしてみましょう」

「しませんからね」

「ええっ」

「驚かれても」

「そんな……プロデューサーは、私がここで惨めに干からびてしまっても構わないとそう言うのですか……?」

「おお、泣きの演技も上達しましたね、流石です」

「ありがとうございます」

「いえ」

「それじゃあご褒美にキスを」

「しませんけどね」

「むぅ、釣ったアイドルにご褒美を与えないなんて、プロデューサーの風上にも置けない人ですね」

「僕がプロデューサーでは不満ですか」

「不満です」

「そうですか」

「近いけれど、遠いので」

「……そうですか」

「越えてきてくれても構わないんですよ?」

「越えませんよ」

「私は構いません」

「楓さんはアイドルでしょう、少しは構ってください」

「やーです」

「そんな、子供じゃないんですから」

「いいんです。私はどうせ二十五歳児なんですから。子供でーすもん」

「開き直らないでください」

「プロデューサーも子供になりましょう? 素直になって、自由になって、キスしましょう?」

「……しません」

「えー」

「えー、ではなく」

「子供ですけど、今なら大人のキス解禁中ですよ?」

「しませんから」

「ねっとり、とろとろ、えっちなちゅーし放題ですよ? 推奨中ですよ? 自信を持っておすすめ中ですよ?」

「しーまーせーん」

「……ぶっすー」

「急にそんなやさぐられても」

「むー……なら、ん」

「はい?」

「あー」

「あー?」

「あー!」

「あー……ああ、なるほど。――ん、はい、ゆっくりいきますからね」

「あー」

「ほら、気を付けて。――と、おっと」

「あー……ん、んぅ、く……ん、うふふ……」

「……まったく、もうすっかり大人でしょうに、こんな」

「あー」

「……まだなんですか?」

「あー! あー!」

「ああもうはいはい、ちゃんと飲ませてあげますから。……もう、ほら、傾けますよ……」

「ん、あー……」

 

「ねぇ、プロデューサー」

「なんですか?」

「大切なお仕事ですね」

「そうですね」

「緊張します。不安も、あります」

「そうですね」

「でも、そんなものを感じている暇はありません。勇気を出さないと……」

「ええ、そうですね」

「ですから、プロデューサー」

「なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「……」

「……」

「……楓さん」

「はい」

「ここはどこですか?」

「ここ……舞台袖、ですね」

「そう、舞台袖です」

「ええ」

「舞台袖ということはどういうことですか?」

「どういう?」

「まず人がいます」

「いますね」

「スタッフさんも、他のアイドル達も、幕を隔てた向こうにはファンの方々まで」

「そうですね」

「大勢います」

「大勢いますね」

「まずいですよね」

「まずいんですか?」

「いや、それは、常識的に」

「アイドルは常識に囚われてしまってはいけないんです。常に殻を破り、輝き続けなければ。――ですから」

「それはそれでその通りですが、アイドルであるからこそ今回はまずいというか」

「何がです?」

「見られたらまずいでしょう。アイドルが、それも自身のプロデューサーとキスをしていたなんて……」

「バレなければいいんです」

「バレなくてもまずいですし、バレないで済むとは思えません」

「ちゃあんと注意してちゅーすれば大丈夫、ですよ」

「いやいや、ライブ中で皆意識があっちへ行っているとはいえ、これだけ人と遭遇しかねない状況でそんな」

「大丈夫ですよ」

「いや、駄目でしょう」

「むちゅー」

「そうして唇を突き出されても」

「むちゅー」

「しませんからね、どれだけ求められてもこればかりは」

「むちゅー……」

「落ち込んでも駄目です」

「むちゅー!」

「かといって怒り出されても」

「むちゅー」

「駄目なものは駄目、ですからね」

「むーちゅー」

「もう。……はい、他のことでなら何かしてあげられますから」

「むちゅー」

「例えば? ……そうですね、それじゃあ、んー……ああ」

「むちゅ?」

「無事に今回のライブが成功したら、以前から行きたいと言っていた温泉へ――」

「プライベートで、ですか……!?」

「いや仕事で、ですけど。――というか楓さん急に戻るのやめてください、びっくりしました」

「ずっと突き出していて疲れちゃいました。ちょっと痛いです」

「変なことするから」

「――と、それはそれとしてプロデューサー」

「はい?」

「お仕事はえぬじーです」

「でも、前から行きたいと言っていたまさにその温泉ですよ?」

「プライベートでなければ意味がありません」

「そう言われても……」

「プライベート。プロデューサー付き。おいしいお料理おいしいお酒。二泊以上。二人きりでいちゃいちゃ。以上、最低条件です」

「……ハードル高すぎませんか」

「これで最大の譲歩です」

「最大が最大の体を為してないような気が」

「これ以上はありません。引きません。譲りません」

「困りましたね」

「でも」

「なんです?」

「一つだけ別の道が」

「あるんですか?」

「あるんです」

「それは?」

「それは」

「はい」

「私と、キスしまし」

「困りましたね」

「――遮るのは酷いと思います」

「至極当然の反応です」

「むー……むっ、ちゅー……」

「戻らないでください。――もう、本当に」

「むちゅー……」

「――……はぁ、楓さん」

「むちゅ?」

「お仕事。一泊。それで納得してください」

「むー……」

「好きなときに飲み会券も付けますから」

「……二人きりです?」

「二人きりです」

「いつでも、です?」

「いつでもです」

「何枚?」

「普通にいちま」

「……」

「――三枚でどうですか」

「そうですね……。――ええ、わかりました。それではそれで良しとしましょう」

「納得してもらえましたか」

「はい。――それは、ディープで濃厚なキスのほうが望みではありましたが。……仕方ありません。夫を受け入れてあげるのも、いい奥さんの条件ですから」

「身に覚えのない単語が飛び出してきましたね」

「すみません、まだ少し先のお話でしたね」

「先というか」

「あ、そうです」

「――なんですか?」

「キスはわかりました。仕方ありません。ここでは我慢です」

「そうですね」

「その代わり、――ん」

「ん?」

「頭、ぽんぽんしてください」

「……髪が乱れてしまいますよ?」

「軽くでいいですから」

「その体勢を変える気は」

「ありません。してくれるまで差し出してます。ずっとです。ライブにも出られません」

「それは困りますね」

「でしょう?」

「わかりました。――ぽんぽんだけで、いいんですか?」

「撫でてくれてもいいんですよ」

「欲しいんですか?」

「欲しくないとでも?」

「――それなら、ぽんぽんとなでなでですね」

「はい、たっぷりお願いしますね」

「たっぷりまではしませんが。――ん、触れますよ」

「はい」

「……」

「――……うふふ」

 

「ねぇ、プロデューサー」

「なんですか?」

「レッスンにお仕事に、今日も充実した一日でしたね」

「そうですね」

「お仕事終わりにおいしいディナーもいただけましたし、ふふ、大満足です」

「そうですね」

「お風呂も済ませてしまいましたし、あとはもう明日に備えてお休みするだけ、です」

「ええ、そうですね」

「ですから、プロデューサー」

「なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「……」

「……」

「……いえ、しませんよ」

「どうしてです?」

「どうしても何も」

「こうして同じ屋根の下、二人きりなのに」

「これは、楓さんが帰れないというから……一人、外へ置いてしまうわけにもいきませんし」

「そうですね、一か月も前からお世話になってしまってます。――ほとんど、同棲のようなものですね」

「同棲だなんて」

「建前は違っても、中身はそれと変わりません」

「……」

「お風呂は、一緒に入ってくれませんけど」

「当然でしょう」

「まあ、時間の問題だと思いますけど」

「いや、しませんよ?」

「この同棲に関しても、半年前くらいにはずっとそのセリフを聞いてました」

「……いや、お風呂は程度が違いますから」

「ならキスはどうです?」

「それも駄目でしょう」

「してるのに?」

「してないでしょう」

「ええ、深いキスは、まだ。――でも触れ合うくらいのキスはもう、今日だって何度も、私がキスをねだる度にしてくれていたじゃないですか」

「……」

「そうして無言で、少し触れ合う程度の軽い、けれど確かなキスを何度も」

「……」

「キス自体は何度もしてます。何度も、何度も、何度も。――それでも、私の望むキスは駄目なんですか?」

「……ええ、駄目です」

「どうしても?」

「どうしても。――それは、一線ですから」

「一線――というのなら、もう既に」

「ええ、常識的に見ればそうでしょう。こうして同じ屋根の下に枕を並べ、触れ合う程度のものとはいえキスまでして、そんなのどう考えても越えてます。どうしようもなく、駄目です」

「なら」

「けれど、それでも、ここは僕にとっての一線なんです。既に駄目でも既に駄目であるなりに、駄目の中でもここは一線なんです。楓さんのプロデューサーとして、ここは、最後の一線なんです」

「最後の」

「ええ。――ここを越えてしまったら、僕はきっと」

「――私はそれでも」

「楓さんはアイドルです」

「その前に一人の女です。――アイドルも、失格な」

「それはそうかもしれません。でも」

「でも?」

「アイドルは楽しいでしょう? 素敵な仲間がいて、キラキラ輝くステージがあって、美しく幸せに包まれた世界を創り出せて」

「それは」

「それに約束したじゃないですか。トップアイドルになる、って。シンデレラガールになる、って約束を」

「――ええ」

「だからそれまでは。――少なくともそこまでは、僕は貴女のプロデューサーでいたい。それをやめるわけにはいかないんです、だから」

「だからできないと?」

「はい」

「どうしても?」

「はい」

「……」

「……」

「……わかりました。プロデューサーが、そこまで言うのなら」

「ありがとうございます」

「ですから、プロデューサー」

「なんですか?」

「私と、キスしましょう」

「――……あの、楓さん? 今の話」

「聞いてましたよ。――聞いていて、だからやっぱり、私は欲しいんです」

「えっと」

「プロデューサー。確かに私にとって、トップアイドルになることは何よりの望みでした。夢でした。――でもそれと並ぶくらい、今の私にとってはそれを越えてしまうくらい大きな、心から望む夢があるんです」

「夢」

「貴方と結ばれたい」

「……」

「今の私にはそれが何よりの願い。一番の、最高の、夢なんです」

「……」

「ですから、プロデューサー」

「……はい」

「私はやめません。キスを望むこと、貴方を誘惑すること、結ばれるために必要なあらゆること」

「……」

「キスが最後の一線だというのなら、私はむしろ、その一線を越えてもらうために努力を惜しみません」

「……」

「でも」

「……でも?」

「でも、今まで通りプロデューサーが私のそれに頑張って耐えることは何も非難しません。ちょっと不満ですけど、でもいいです。耐えてください。――ふふ、ゴールは変わりませんから」

「ゴール?」

「ええ、私がプロデューサーと結ばれるというそのこと。――トップアイドルになれば、その時にはプロデューサーも応えてくれるんでしょう? なら、いずれ結ばれることには変わりません」

「少なくともそれまでは決して、というだけ。そこへ至ったら応える、とまでは」

「そうして少なくとも、なんて言葉を口にしてしまっている時点で、応えてくれることは確定したようなものです。自分でも、わかるでしょう?」

「……」

「ふふ、とはいえ私はあまり我慢強くはないので。――そこへ至ってから結ばれるより、今すぐにでも結ばれたいと、そう願ってしまう堪え性のない女なので。誘惑は、しちゃいます」

「止める気は」

「ありません」

「……そうですか」

「ええ。――ふふ、悔いるのなら、私をこんなにしてしまった過去の自分を悔いることです」

「そうですね。――無かったことにはしませんが」

「はい、そうしてください。――私との出来事何もを無かったことにできないところも、プロデューサーの良いところですから」

「貴女もでしょう?」

「私もですけど」

「この前だって、出会った当初くらいのことを持ち出したり……」

「プロデューサーとのことなんです。全部覚えてるに決まってるじゃないですか」

「あんな些細なことまで」

「ことまで、です。――言った通り私はわがままですから。好きな人とのことは、どんな小さな事であっても何一つ取り零したりしたくないんです」

「……そうですか」

「あ、ふふ、また癖出ちゃってます」

「見逃してください」

「嫌です。取り零しはできません」

「困ったわがままさんですね」

「こんな女は嫌いになっちゃいます?」

「嫌いになれるのならこんな苦労はしてません」

「そうですか」

「そうです」

「それなら――ふふ、もっとわがままになっちゃいましょう」

「困るのでやめてください」

「えー」

「いや、えーって」

「むぅ、仕方ありません。――なら」

「なら?」

「プロデューサー」

「はい」

「私と、キスしましょう」

「なら、という接続の意味はなんだったんですか」

「キスしましょう」

「や、当然しませんよ?」

「いつものほうでいいですから。ほら、お願いします」

「……」

「……」

「……んんっ!」

「ん――……ふ、うふふ」

「……楓さん」

「なんでしょう?」

「入れようとしましたね」

「あらそんな。――私はただ口を開いて、舌を伸ばして、唇を舐めて」

「駄目ですよね」

「でも入れるつもりはありませんでしたよ?」

「信じろと?」

「ええ。――私はわがままですけど、ずるだけはしないんです。知ってるでしょう?」

「それはまあ」

「誘惑するとは言いました。だからします。――でも、貴方が耐えるのを踏み越えて無理矢理に関係を進めるような、そんな真似は絶対しません」

「そうですか」

「そうなんです。――偉いでしょう?」

「そうですね」

「えっへん」

「でも、唇を舐めるのはありなんですね」

「誘惑の範疇です」

「その範囲が日を経る毎に広がっていきそうで怖いのですが」

「……」

「……」

「……うふっ」

「前途多難そうだ……」

「いいじゃないですかー。役得ですよー。貴方の奥様アイドルですよー」

「まだ良くないです」

「むー。お堅いですねぇ」

「当然です」

「もっと誘惑頑張らないと」

「あまり頑張られると困るので控えめにしてください」

「やーです。――ふふ、私は早く高垣じゃない楓になりたいんですもん。誘惑は、やめません」

「……そうですか」

「そうなんです。――ですから、プロデューサー」

「なんですか、楓さん」

「私と、キスしましょう。――キスして、一緒になって、私と結ばれましょう?」


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