ヨブ・トリューニヒトを辿って   作:ただの誰か

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10話 カイザーラインハルトの姉 アンネローゼ・フォン・グリューネワルト

ミッターマイヤーと面会した翌日、ルインは一人墓地を歩いていた。気まぐれの行動だった。ヨブ・トリューニヒトについての話をミッターマイヤーに報告するという仕事も終わり、これであとは普段の自分の日常に帰ればいいのだが、どうにもそんな気にもなれない。なんとなく、誰かにまだ自分の話を聞いてほしい気持ちがあった。といっても別に話をする当てなんてないので、それならば死人相手にでも語るかと思い、訪れたのがこの墓地であった。

 

ルインは墓地の奥まで足を進める。奥地の小高い丘を上ると、ぽつんと一つだけ墓があった。墓石には『我が友』と碑銘 が刻まれている。故人ジークフリード・キルヒアイスの墓である。

 

墓の前にルインは立つ。といってもこの場に来たからと言って、何かを急にひらめくということもなかった。なにか語ろうかとも考えていたのだが、実際の墓を前にしてその気持ちも萎えた。墓というものは思い入れをもった相手が眠っているからこそ価値があるのだということは理解できた。ルインにとってキルヒアイスは所詮、死んだ他人でしかない。

 

(なにやってんだか俺……)

この墓までは首都から随分と距離もある、わざわざこんな場所まで足を運び、ぼーっと墓を眺めている自分がアホらしく思えた。

 

それでも、なぜ自分はこんなとこに足を運んだのか。なんとなく理由はわかっていた。死人に語るなんて考えは自分への言い訳にしかすぎないのも、ここに来て理解していた。

 

ルインはしばらく、墓の前で佇む。どのくらい時間が経ったかはわからない。ただここに居れば、わざわざここまで来た理由がやってくるような予感がしていた。

 

そうして、それはやってきた。護衛の人間に囲まれ、一人の女性と少年がこちらの墓に向かって歩いてくる。ルインを見た女性は、護衛と少年の足を止めさせ、一人でルインのほうに近づいてくる。護衛のものたちは一人で行かせるのに大いに反対だったようで、離れた位置から銃を手にし、ルインのほうを睨んでいる。それも当然であろうと、ルインは思った。今の自分は明らかに怪しいし、護衛されている相手は世界にとってとても重要な存在だ。

 

女性がルインの近くまで寄ってくる。美しい女性だった。ドミニク・サンピエールも、ミッターマイヤーの妻も美人であったが、それでも比較になりようがない。人というよりまるで美術品のような女性であった。その女性は真っすぐとルインのほうを見つめている。まるで何かを見透かすような目であった。

 

「私は、アンネローゼ・フォン・グリューネワルトです。あなたは?」

カイザーラインハルトの姉であった女性は、落ち着いた声でルインに話しかけた。

「ルイン・トリューニヒトです。ちょっと世間話でも付き合ってもらえます?」

それに対してルインは軽薄な若者の態度を崩さず返した。

 

 

 

 

 

アンネローゼ・フォン・グリューネワルト。カイザーラインハルトの姉であり、ゴールデンバウム王朝第36代皇帝フリードリヒ4世の寵愛を受けた女性である。カイザーラインハルトの唯一の肉親ではあるが、弟が残した権力とは距離を置き、半ば隠遁生活をしていることで知られていた。立場的には現皇帝アレクサンドルの伯母ということもあり、ルインのようなものが気軽に世間話など持ちかけていいはずもなかったのだが、当の本人は気後れした様子もなく、軽い口調で話をはじめた。

 

内容は、これまで調べてきたトリューニヒトという人間について。昨日ミッタマイヤーに話した内容をルインは語った。アンネローゼからすればこのような戯言に付き合う義理もなかったはずなのだが、嫌がる素振りを見せるふうなこともなかった。ルインの話に相槌をうち、時には軽い質問も挟み、相手が話しやすいように聞き手に徹する。親身に話を聞いているといっていい態度であった。二人の立場から考えれば、あまりにも不自然な光景ではあるが、当の本人たちはまるで不自然さを感じていない。初めからそれが当然であるかのようにさえ見えた。

 

「……それでトリューニヒトっていう人間は死んだんだけど……なにか違和感があるんですよね」

ながい前置きを語り終え、ルインは自分の抱えている疑問を口にする。

「なぜ、トリューニヒトというお方がラインハルトを侮辱したのか……ということですか?」

アンネローゼはルインが本題に入る前に、その核心について言葉にした。ルインは一瞬驚いたが、「そうそう」と言葉を続ける。

「あの保身の塊がどうして最後の最後にそんなミスを侵したのか。それが不思議で……ロイエンタール元帥のことを読み間違えたといえばそれで済む話なんですが……俺にはどうも納得がいかない。……なにかが……トリューニヒトという人間を曇らせた……」

そう口に出して、ルインは空を眺める。ここまできて、ルインにはなにがトリューニヒトを曇らせたのかわからなかった。

 

対して、アンネローゼはすぐに思いつくことがあった。アンネローゼはどう聞かせようかと少し思案し、考えがまとまってから口を開いた。

 

「少し、私の弟の話をさせていただいてもよろしいですか?」

唐突な内容だった。しかしルインには断る理由もなく、「聞かせてください」とアンネローゼの言葉に耳を傾ける。

 

「私の弟は宇宙を手にしたと言われています」

カイザーラインハルトは宇宙を手にした。それは万人の認めるところであった。もちろん彼が宇宙の全てをどうにかできたわけではない。軍事においても、政治においても彼以外の多くの人間の思惑の上で成り立っているし、無制限になにか行使出来るかといえば、現実としてはそうではない。彼が手に入れたのは皇帝という立場の人間が現実的に使える権力だけだ。それは勿論、個人として持つには大きすぎるものだが、決して宇宙の万物を自由に出来ることではない。それでも、彼は宇宙を手にしたと言われている。それを比喩として多くの人が受け入れたからだ。

 

「多くの屍を築き、大切な親友を犠牲にし、わが身さえ燃やし……そうやって宇宙を手にいれました……そんなことをする必要なんてどこにもないのに……」

アンネローゼは悲しそうにそう呟く。

「ジークフリード・キルヒアイスの遺言……って聞きますけど」

『宇宙を手にお入れください』それがカイザーラインハルトの親友、ジークフリード・キルヒアイスの遺言であることは広く知られていた。だからこそカイザーラインハルトは宇宙を手にしたとも言われている。

そういうニュアンスを含んだルインの言葉に対して、アンネローゼは静かに首を振った。

 

「……逆なのです……ジークが求めたからラインハルトがその遺言を実行したのではありません……ラインハルトが求めていたからこそ、ジークがその遺言を残したのです」

 

ジークフリードの遺言は、ラインハルトが生きるために必要な言葉であったと、アンネローゼは思っていた。あの優しい赤毛の少年は、最後の最後まで自分の弟のためを思って言葉を選んでくれたでのあろうと。だからこそ、ラインハルトは立ち上がり、生を全うできたのだと。

 

「仮に……最初からジークが隣におらずとも……私が皇室に入らずとも……ラインハルトはきっと宇宙を求めた……そういう子なのです」

アンネローゼから見たラインハルトはずっと幼少の頃から変わらなかった。気位が高く、自信に満ち溢れ、すべてを我が手に出来ると疑っていなかった。貴族とは名ばかりの貧しい家庭に産まれ、幼い時に母を失い、力ない父を罵倒し、姉と二人肩身の狭い世界で生きていたのにだ。それでも何者の風下にも居る気はなかった。居られもしなかった。

 

「生まれつきなのです……生まれたそのときから……ラインハルトは全ての上に立つことを望んでいた……生まれた場所も、環境も関係ないのです。きっと、野望とはそういうものなのでしょう……」

そう言って、アンネローゼは話を終えた。しかし、ルインとはアンネローゼが何を伝えたいのかいまいちピンと来なかった。

 

「それが……トリューニヒトの話とどう繋がるんですか?」

そうルインに聞かれ、アンネローゼは優しく諭すように返した。

「宇宙の片隅の小さな家庭にそのような存在が居たのです……宇宙の反対に同じ思いを抱いた人間がいても不思議はないのではありませんか?」

そこまで口に出されて、やっとルインはアンネローゼが言わんとすることが理解できた。

 

「……トリューニヒトも宇宙が欲しかった?」

なぜ権力を求めた。なぜ足を止めず求めつづけた。なぜ同盟だけで満足できなかった。そのことについてルインはやっと核心に触れた気がした。全ては宇宙を手に入れるためだ。言われてみれば単純な話である、権力を求め続けた結果として行きつく先はそれしかない。権力によって行使できる力も、与えられる財力も、トリューニヒトからすればどうでもよかったのかもしれない。実質的に行使できる権力ではなく、誰よりも上の立場という称号を求めたのだ。誰の風下にも居られなかったカイザーラインハルトと同じように。

 

(あんた実は結構必死だったんじゃないか?)ルインはそう思った。

 

アムリッツァで予想以上の大敗をしたときも

救国軍事会議のときに穴倉に逃げ込んだときも

フェザーンや地球教と駆け引きをしていたときも

ヤン・ウェンリーがカイザーラインハルトを打倒しかけたときも

 

いつも必死だったのはないかとルインは思った。あの取り繕った仮面の下で必死に野望のために生きてきたんじゃないかと。

 

トリューニヒトにはカイザーラインハルトのような、万人を惹きつけるきらめくような才能はなく、あったのは人より回るその口だけ。それでも宇宙を手にすることを諦められなかった。止めるタイミングなんていくらでもあったはずなのに、その野望を捨てられなかった。

 

トリューニヒトにあったのはか細い道だけだったはずだ。旧同盟は銀河帝国と比較しても国力は劣る。なんとかフェザーンとの兼ね合いでバランスを保っていただけに過ぎない。軍事面では絶望しかなかった。それでも諦めず、手を打ち続けた。得意の口先だけを武器に、政治を利用し、他人を利用し、敵も味方も利用し、自分の権力を少しずつでもと増やし続けた。

 

よく考えればカイザーラインハルトに役職を求めたときなんてのは、一世一代の博打だったのかもしれない。機嫌を損ねた結果、言いがかりをつけられ当時持っていたものすら失う可能性だってなかったわけじゃない。それでもいつか宇宙が欲しくて、誰にも頭を下げたくなかったのに、カイザーラインハルトに頭を下げて役職を求めた。

 

「だから!だからか!それで目が曇ったのか!トリューニヒト、あんた……カイザーラインハルトに嫉妬してたんだ!そうか!『嫉妬』か!」

自分が手に入れるつもりだった宇宙を先に手に入れた男がいて、その男の風下に立たされ、そのことで目が曇った。それはまさしく、『嫉妬』という感情である。

 

きっとトリューニヒトだって散々苦労してきたのだろう。野望のために何もかも利用して、自分自身の私情も隠し続け、そうして全てを手に入れるつもりだった。だというのに、数年前まではまったくなにも持っていなかった男が急に現れ、自分の欲しかったものを全て手にしてしまった。そのことに嫉妬したのだ。

 

あるいは本人も無意識だったのかもしれない。最後までトリューニヒト本人はカイザーラインハルトを利用し続け、歯牙にもかけていないつもりであったのかもしれない。しかし、心の片隅に抱いた嫉妬が、不必要な罵倒を口から滑らせた。何もかも思い通りに動かしてきたような男が、自分の心を思い通りに動かせず、感情が漏れ出てしまった。

 

立場の違いをわきまえていたら、そんな感情が生まれるはずもなかった。カイザーラインハルトに憧れる人間はたくさんいるが、心底嫉妬する人間はそうはいない。それは、同じような野望を抱いていたからこそ洩れでる感情であった。そうして、その感情のために死ぬことになった。そう思うとルインはおかしくて仕方がなかった。

 

(政治の化け物だのなんだの言われても。やっぱりあんたも人間だったってことじゃないか)

感情に振り回され、不用意なことを言ってしまい、それで失敗する。実に人間らしい行いだ。

 

宇宙が欲しい。そんな子供じみた野望を捨てきれず、そのために嫉妬し、口を滑らせ、ヨブ・トリューニヒトはあっけなく死んだ。

 

「そうかいそうかい!宇宙が欲しかったのか!『そんなもの』が欲しくて墓穴を掘ったのか!」

ルインからすると随分とバカバカしい話に感じた。彼からしてみれば宇宙を欲した人間の野望というものは、あまりにも理解しがたいものであった。だからこそ、今この時までその考えが浮かばなかったのだろう。

 

全宇宙を支配する。人が楽しく生きるためには過ぎたものだ。政治が身体中を縛りつけ、権力者の争いの出汁にされ、市民からは神のごとき振舞いを求められる。それで得られるのは『あなたが一番偉い』という自己満足じみた称号だけ。そんなものを欲した人間たちが可笑しくて、そのことを理解できない自分自身が可笑しくて、しばらく彼は笑い続けた。

 

 

 

 

「いやはや、いい話ができた。なんかスッキリできましたよ」

ルインとしてはもう自分のなかの問題は解決できた。実際のところ、今の話が本当であったかは確認のしようもない。ルイン自身の勝手な思い込みであり、大いに間違っている可能性もあるのだが、それでもこの答えでいいと満足していた。

『人が一人、嫉妬で目がくらんだ』

このようなオチがついたならルインとしては十分であった。『化け物がいたのではなく、人がいただけだ』その確認さえ出来れば得るものはあったと思っている。

「ありがとうございます。世間話に付き合ってもらって」

そう言って、最後に挨拶をする。この場にとどまっておく理由ももはやなかった。しかし、アンネローゼからは別れ際の挨拶は戻って来ずに違う言葉が返ってきた。

 

「……あなたは……宇宙が欲しくないのですか?」

その質問に、ルインは少し言葉が詰まる。どう返答してもよい質問だった。冗談任せに「俺も貰えるなら欲しい」とでも言ってもいいし、本心から「そんなものいらない」と言ってもいい。しかし、いまのルインから出てきたのは違う言葉だった。

「なんで俺にそんな質問を?」

ルインは試すかのように質問を質問で返す。

アンネローゼはチラリと遠く離れている護衛のほうを見た。気を使っている様子だ。

「別に向こうにゃ聞こえやしないですよ、この距離なら。だから思ったことをどうぞ」

ここまで来たのだ、ここで語るのをやめてしまってはかいがない。そんな風なことを考えながら、ルインはアンネローゼの言葉を待つ。

アンネローゼは少し目をつむったあと、しっかりとルインの茶色の瞳を見据えて口を開いた。

 

「それでは改めてお伺いします……あなたは宇宙が欲しくないのですか……エルウィン・ヨーゼフ陛下」

 

その言葉を聞き、かつてエルウィン・ヨーゼフ2世と呼ばれた青年は、これまでとは違い静かな笑みを浮かべた。

 




二文字も違ったらまるっきり他人
前振りがちょっとあざとすぎたかもしれません

誤字報告ありがとうございます。
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